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被害総額500円と窓ガラス [随筆日記]

最近、日記としてのBLOGをぜんぜん書いていないな~ぁ、と思って…、と言うよりも友達から 「ここんところの奈っちゃんのBLOGはつまんない!」と言われたので、久しぶりに日記など書こうかな~ぁ、と思った訳だが…、ど~したものか、なかなか話しがまとまらない…
今日もいろいろなことがあった。 そしていろいろな思いも溢れた。 でもそれを文字にすることは出来ても、文章にするのはなかなか難しいもんだ!

う~ん…、とりあえず…、 
今日は陶房も休業日ということで、先生と咲っ子さんとデートのお約束、お茶菓子などもって出かける。

芸術家って無口で気難しいというイメージがあったけど、鈴木先生はおしゃべり好きで気弱なタイプ、 内も外もおおよそ陶芸家には見えないが、腕だけは惚れ惚れとするほど確かである。
その経歴も面白くて、何の目的もなく地元の工業高校に入り、ついうっかりとした成り行きで猛勉強の末に大学進学を果たすが、まったく意図しなかった経済学部に入ったおかげで苦労の末になんとか卒業。
その後は地元の製菓会社に入社してお菓子を作り、その当時お付き合いしていた彼女の父親が着ていた制服にあこがれて、一年後には警察官へと転進。
そして50歳の時に退官して、今は陶芸家になっている。

趣味はネコ。 三度のメシよりお金より、妻や子よりもネコが好きという猫おじさん。
そしてとってもダジャレ好き。 ホラ吹きではないけれど、どこまでホントでどこから冗談なのかわからない。

そんな先生が今日、「また泥棒に入られちゃったよ~!」との第一声。
「ネコは、盗まれなかった?」 と冗談で返したが、どうやら泥棒話しはマジらしい。
控え室の窓ガラスが割られて、所々に足跡が生々しく残っていた。
今回の被害額は、五百円硬貨が一枚・・・。 先生いわく、「500円ごときで、二枚ガラスの高価な窓を割らんでくれよ~」と…
実は半年前にも空き巣に入られていて、この時の被害額は、小銭の貯金箱とその中身、おおよそ3万円ほどで、手口から見て、同一犯ではないようだ…  が、しかし・・・・・
どちらの犯人さんも、先生の作品には一つも手をつけず、陶芸作品の被害はゼロ。
「これってある意味侮辱だよね~」との笑い話で済んだが、やっぱり何だか気持ち悪いよね…。

これが起因したわけじゃないけど、この後すこぶる体調が悪くなった…
原因はわからないけど時々ある…  どうしようもなく全身が不調を訴える時が…
二時間ほど休めばケロッと治ってしまうのだが、しばらくの間はとても辛い…
結局今日も我慢が続かず、限界の一歩手前で失礼をさせてもらって、車の中で横になった。
雨が降り出した・・・・・  心地よい雨音…  その音で、少し眠ることが出来た。
気がついた時には既に暗くなっていたが、体調はすっかり良くなっていた。 よかった…

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第十八願のこころ ② [仏法]

『仏説無量寿経』上巻 「第十八願・本願文」

   説我得仏・十方衆生・至心信楽・欲生我国・乃至十念・若不生者・不取正覚・
   唯除五逆・誹謗正法

さてさて、御法話のつづき… だが、お話しは少し難しくなってきた…。
“南無”は、仏に成るという原因 = 仏因  ← そしてこの‘仏因’には、 「信」 と 「行」 がある。
「信」の真意は、「至心」「信楽」「欲生我国」の三心 、 「行」の真意は、「乃至十念」の称名に収める。
“阿弥陀仏”は、その結果 = 仏果  ← そしてこの‘仏果’には、 「往生」 と 「成仏」 がある。

この『御本願』の御文は、法蔵菩薩様が、仏々相念で世自在王仏様にお誓いくださったもので、私に言われているのではない。 この仏さまのお言葉を説き開いてくださったのが親鸞聖人。
‘南無阿弥陀仏’のお心を説かれた親鸞さま著作の『教行信証』において、法然さまが十八願の一願のみで御法門をお建てになったのに対し、親鸞さまは四十八願の中から、五願開示をもって御法門を建てられた。 「開示」とは、第十八願の御文のお心を深く堀りあてて五願に分解し明示されたとのこと。
その五願とは、

第十一願 (必至滅度の願) 必ず滅度に至らす(正定聚不退転の仲間入りをさせる)と誓われた願。
第十二願 (光明無量の願) 光明が無量の仏さまの御徳を誓われた願。
第十三願 (寿命無量の願) 寿命が無量の仏さまの御徳を誓われた願。
第十七願 (諸仏称名の願) 十方諸仏の讃談供養を誓われた願。
第十八願 (至心信楽の願) 仏さまの真意が誓われた願。

G先生は、「阿弥陀仏に救われる」 というのは、「“南無”の心をいただくということ」とよくよく仰られる。
“南無”の心(信じる心)一つで往生の一大事が平生の時に定まって報恩のお念仏をさせていただける、その為に人間に生まれさせていただいたのだと。

六道の内、地獄・餓鬼・畜生の三悪道は、あまりにも苦しく、愚痴に追われている為に仏さまのお話しを聞くことができず、修羅は戦いに明け暮れ、天上界は楽に酔い、この人間界でしか仏法は聞かれない。

六道をへめぐって何度も生死を繰り返し、「オレがー!」という一度も死んだことのない「この私」という‘我(が)’が、久遠劫来 ず~っと ず~っと迷い続けて、今、やっと人間界に生まれさせていただけた。
それなのに私は、「それがど~した!」とふんぞり返るばかりだけど、ここにどれほどの仏さまのご苦労があったのだろう・・・・・
そんな私の「オレがー!」という心の中に、阿弥陀さまは、「早くその我執を破ってくれ! 破ってみせる!」と言って、‘南無阿弥陀仏’となって飛び込んで来てくださった。

阿弥陀さまは、いつも いつも ここ(我)に居て、私が地獄に堕ちた時には、私の‘我(が)’の中から飛び出し、「わたしの修行が足らなかったためにお前を地獄に落してすまなかった、許してくれ」と、血の涙をこぼして謝ってなさる。
しかし、地獄で苦しむ私にはそんな如来さまが鬼や閻魔さまにしか見えない・・・
私が餓鬼道にいた時にも、私の我執の心から飛び出した阿弥陀さまは、「わたしが悪かった、すまなかった」と謝りなさっているのに、私はひもじくてしょうがないから如来さまを丸かじりに食いついてしまう・・・
私がどの世界に居ようとも、阿弥陀さまは ず~っと ず~~~っと、私の「オレが~!」の腹底にいてご辛抱してくださった…
待って、待って、待ちぬいてくださったお方が、‘南無阿弥陀仏’さまですよ。

G先生のお言葉に、 涙が…、 ポロリとこぼれ落ちた…     誰の涙? 何の涙?

私は、人間として生まれてきたことも、こうして仏法を聞かせていただけていることも、当たり前にしか思えないし、それがどれほど尊いことなのか微塵もわからない…
でも、 「本当に信じ難い御法を私は聞かせていただき、なまんだぶつ なまんだぶつ とお育てをいただいたおかげで、‘南無阿弥陀仏’が称えられ、‘南無阿弥陀仏’と聞かせてもらえるようになった。  友、同行、先生、そういう善き方々に囲まれているのが私なのですよ」 と、G先生は教えてくださった。

このあと、G先生の求道時代のお話しでは、 「信心が欲しい!」というのもお育てをいただいから出てきた心だけれども、自分が走る前から一等賞の印「有り難い!救われた!」という褒美をもらいにかかっていた。 そんな自分に「あぁ、間違っていた! 反対だった! 仏さまに求め続けさせたんや!」と、文句の一つもなく気付かせていただいたのが獲信の時の思いだったとお話しくださった。

これも、あれも、すべてが永い永~い間の仏さまのお手厚い宿善のおかげであり、お育てのおかげ。
も~~~ぉ! どれだけご苦労をかけて来たのかわからん!!
それなのに仏さまの方から私に手を合わせて、「助かってくれ~、信じてくれ~、称えてくれ~」と頭を下げて、私の為に‘南無阿弥陀仏’となってくださった。
そして私は 「行」も「信」もないのに、その御教え、‘南無阿弥陀仏’のおいわれを聞けるこの場に座らせていただけている。  南無阿弥陀仏

最後にG先生は、「自分が一番大事と思っているが、わたしの考えていることは、みんな嘘、反対で、一息 一息が地獄に向かって真っ逆さまに堕ちて行くしかないお前だぞ、と言ってくださっているのが御法。
でも、決して難しい法ではなく、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と叫ばせてもらうだけで仏凡一体の世界が開けてくるんだ」とお話しくださった。

G先生は、「だいぶ話しが横にそれた」と仰ったけど、私は、G先生を通して『第十八願のこころ』に触れさせていただけたように思う。 南無阿弥陀仏

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第十八願のこころ ① [仏法]

2009.9.20 G先生  
御讃題は、蓮如上人 『御文章(御文)』 五帖 五通 より

信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。
この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。

いただいたプリントには、『大無量寿経』より 「第十八願文」、及び「本願成就文」、また、蓮如さまの『御一代記聞書』 や 天親菩薩さまの『願生偈』 などが記されてある。

御法話は、お釈迦さまが万善万行のご修行の末に、この地球上で唯一成仏してくださったおかげで、阿弥陀さまの御説法をお説きくださり、これをこの末法の世にて親鸞さまが、「」(お釈迦さまご出世の本懐である阿弥陀さまの御本願が説かれた浄土三部経)と、「」(私に代わって阿弥陀さまがやり遂げてくださった大行)に加えて、「」(他力回向の信心一つ)で、「」(仏果である仏の悟り)を得させていただくのだと説き開いてくださった、というお話しから入られた。

「私の命は、他の命を奪い取らねば生き続けることが出来ない…」と、G先生はいつもお示しくださる。
因果の道理に従えば、とても生きながらえることなど叶わない私がこうして生きていられるのは、無量寿(死なない命)・無量光(私の迷いを断ち切る力)を完成させてくださったからである。 それは何故か・・・。
阿弥陀さまが魚や食肉に姿を変えられ、「われを食え!」とご自身の命を投げ出してくださっているのは、無明の世界で苦しんでいる私をあまりにも憐れと見られて、「どうか迷いの世界から飛び出してくれ!」と願われ、五劫思惟して建ててくださったのが四十八願であり、その中の私を救う方法として十八願(本願)を起こしてくださった。 これをいかにいただくかが今日のお話し。

『仏説無量寿経』上巻 「第十八願・本願文」

たとい我、仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して、我が国に生まれんと欲(おも)いて、乃至十念せん。 もし生まれずば、正覚を取らじ。 ただ五逆と正法を誹謗(ひぼう)するものをば除く。

阿弥陀如来さまは、一番最初に成仏なされた仏さまであられるが、その本師本仏の阿弥陀さまがその位から降りられ、法蔵比丘となって世自在王仏さまのもとに行かれ頭を下げられた。
誰の為に?  この私の為に・・・
私は、善も積めないし、悪を止めることも出来ない…、仏に成りたいという心などまったく無いし、ただ ただ 悪業を重ねることしか出来ないヤツだと知った上で、法蔵菩薩さまは、「それならば、こちらでお前が仏になるだけの種を全部作ってあげよう」と、五劫という永い間、私の為に考えに考えて考え抜かれて結果出来上がったのが四十八願であり、根本願である十八願である。

この願を実行させる為に、今度は兆載永劫という果てしなく永い永い間、この私一人の為にご修行をして下さり、そしてついに出来上がったのが、‘南無阿弥陀仏’ である。

無量寿 ・ 無量光 のお力を “阿弥陀” といい、私の為に仕上げられた ‘南無阿弥陀仏’を 信じる心が “南無” の心、この心をいただかねばならんとG先生はお説きくださる。
私は‘信じる心’など一欠けらも持ってはいない…。 そんなこと私よりも阿弥陀さまは百もご承知。
だから‘南無阿弥陀仏’にすべてを込めて仕上げたものを私に届けて下さった。 
阿弥陀さまの方から手を合わせ、頭を下げられ、「どうか‘南無阿弥陀仏’と親子の名乗りをしておくれ。 どうかわたしにお前を助けさせておくれ。 お願いです、お願いです」と…
これを信じる心など皆無の私に向かい、必ず救うと信じて、十劫の昔から立ちづめ、呼びづめ、招きづめ。

このお話しをされる時、G先生は いつも いつも 立ちづめ、呼びづめ、招き詰めのお姿で手を合わせて、何度も 何度も 頭を下げられる。
驚く心も、感謝の心もない私だけれども、G先生という姿になって私の目の前に立たれた阿弥陀さまが、「どうか、わたしを信じておくれ! そして‘南無阿弥陀仏’を受け取っておくれ! そうしたらお前の罪業はすべて引き受け、この世で‘南無阿弥陀仏’と称えずにはおられない身にしてあげる」 と 手を合わせ頭を下げて拝まれれば、こんな強情頑漫な私でも何か居心地が悪くムズムズしてくる。
そんな私の口からポツリと 「‘南無阿弥陀仏’」と出てきたならば、如来さまは大喜びをしてくださる。
「あぁ~、そうでしたか! 私には何の力もありませんでした。 如来さまの悟られたお宝ものを、ただ そのまんまいただくんですね~!」 と、自分の中には絶対に有り得ない、“南無”の心(信じる心)を先にいただく。 ハッキリと親子の名乗りをさせていただく。 すると“阿弥陀仏”がくっついて来てくださるのだと…。

親鸞さまは、師匠であられる法然さまの下で念仏の教えを聞いておられたほとんどのお弟子方が、阿弥陀如来さまに任せきっていない! 信じる心など持ち合わせていないのに、自力の心で信じている人ばかり! スッキリと 「‘南無阿弥陀仏’一つでええんや!」と言える人が、あまりにも少ないと見られ、法然さまの念仏往生の本心は、信心往生である、信じる心一ついただくと、‘南無阿弥陀仏’と称えずにはおれんようになるのだ、と、あきらかにしてくださった。

( つづく )

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『仏説無量寿経』下巻 三毒段 「愚痴」 ② [仏法]

2009.9.20 MO先生  
『仏説無量寿経』 下巻 「愚痴之誡」 

かくのごときの世人(せにん)、善をなして善を得、道(どう)をなして道を得ることを信ぜず。 人死してさらに生じ、恵施(えせ)して福を得ることを信ぜず。 善悪の事(じ)すべてこれを信ぜずして、これをしからずと謂(おも)うてつひに是(ぜ)することあることなし。 ただこれによるがゆゑに、またみづからこれを見る。

<意> そもそも私には、仏になりたいなどと思う心などないので、世間事を捨てて仏道修行をしよう、善根(仏法三学「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」)を積んで仏果を得えようなどとは思わない。
ただ ただ 人間レベルでの楽果(無苦・安楽)をタダ貰いしたいだけで人間的枠組から逃れられない。
また、死んだら再生があるということを信じ切れず、 つまりは善悪因果の道理を否定し、自分の枠組みにしがみ付いてこれを受け入れられず(=謗法)、因果の道理を否定する見解を自分の意見としている(=邪見)のである。

たがひにあひ瞻視(せんじ)して先後同じくしかなり。 うたたあひ承受するに父の余(のこ)せる教令をもつてす。 先人(せんにん)・祖父もとより善をなさず、道徳を識(し)らず、身愚かに神(たましい)闇く、心塞り、意(こころ)閉ぢて、死生の趣、善悪の道(どう)、みづから見ることあたはず、語るものあることなし。 吉凶・禍福(かふく)、競ひておのおのこれをなすに、ひとりも怪しむものなし。

<意> 前述の邪見が、先祖から子孫へと教え伝えられ、善悪因果を信じないが故に仏道修行をせず、死んだら終わりだとか、死んだら成仏するだとか、因果の道理を否定した見解が脈々と受け継がれ、真実の仏教をかたくなに聞こうとしない。
善悪因果に従ってどうなるかを見る智恵がないために、これを語る者もなく、しかるに吉凶・禍福の根本原因を怪しむ者さえいない。

生死の常の道(みち)、うたたあひ嗣(つ)ぎて立つ。 あるいは父、子に哭(こく)し、あるいは子、父に哭す。 兄弟・夫婦たがひにあひ哭泣す。 顛倒上下することは、無常の根本なり。 みなまさに過ぎ去るべく、つねに保つべからず。 教語し開導すれどもこれを信ずるものは少なし。 ここをもつて生死流転し、休止(くし)することあることなし。

<意> 生あるものは必ず死に帰することは常の道理。 その通りだと思う。 そう、ただそう思うだけで、全然自分の身についていない。 だから泣く。 親子も夫婦も互いに死に別れて泣き合う。
いつかは死ぬと思っても、我が身に明日は訪れると決め込んで毎晩眠りにつく。
では、いつ死に帰すか? 年配者からとは限らず、病人からとも限らず、元気な若者でもコロッと死んでしまうことがあるというが無常の根本である。 …と言うのを頭ではわかっていても、腹底はピクリともしてない。
まぁ、明日私が死ぬということはないだろう…と、毎日 毎日 自分の死は先延ばしにするばかりで、結局、私が死ぬだなんて腹底では少しも思っていない。 老少不定と言っても口先ばかりで、いつまででも生きていられるんだと邪見し、私は全然無常がわかっていないのだ…。
だから生まれ変わり死に変わりを繰り返し、これがいつまでも止まないのである。

かくのごときの人、矇冥(もうみょう)抵突(たいとつ)して経法を信ぜず、心に遠き慮(おもんぱか)りなくして、おのおの意(い)を快くせんと欲(おも)へり。  愛欲に痴惑せられて道徳を達(そと)らず、瞋怒(しんぬ)に迷没し財色を貪狼(とんろう)す。 これによつて道(どう)を得ず、まさに悪趣の苦に更(かえ)り、生死窮(きわ)まりやむことなかるべし。 哀れなるかな、はなはだ傷むべし。

<意> 私は、因果の道理も、無常も、根本的にわかっていないから、仏道修行をする気も起こらず、したがって輪廻転生が止まない。
この私の心は愚かで、道理には背き、仏の教法も口先だけで信じていないし、後生のことなど心にかけることもなく、ひたすらに目先の快楽のみを追求するばかりである。
腹を立てては財欲・色欲を貪って、それはまるで獣のようだ。 
だから迷いから離れられず、来世もまた地獄一定で、出離の縁あることなしとお示しくださった。

あるときは室家(しつけ)の父子・兄弟・夫婦、ひとりは死しひとりは生きて、たがひにあひ哀愍し、恩愛思慕(おんないしぼ)して、憂念結縛(うねんけっぱく)す、心意痛着(しんいつうじゃく)してたがひにあひ顧恋(これん)す。 日を窮め歳を卒(お)へて、解けやむことあることなし。 道徳を教語すれども心開明せず、恩好を思想して情欲を離れず。 昏矇閉塞(こんもうへいそく)して愚惑に覆はれたり。 深く思ひ、つらつら計り、心みづから端正にして専精に道を行じて世事を決断することあたはず。 便旋(べんせん)として竟(おわ)りに至る。 年寿終りつきぬれば、道を得ることあたはず、いかんともすべきことなし。

<意> 目先の快楽の中で最も強烈な快楽である恩愛・情愛は、仏道に入る最大の妨げになっている。
愛する家族の誰かが死ねば、残された者は死別を悲しんで思い出と愛着が募るばかり。 その執着から離れら切れないので、仏道の功徳を教えたとてもこれに専念することができず、我が寿命が尽きてしまえばいかんともし難いとお示しくださっている。

総猥憒擾(そうわいけにょう)にしてみな愛欲を貪る。 道に惑へるものは衆(おお)く、これを悟るものは寡(すく)し。 世間怱々(そうそう)として憀頼(りょうらい)すべきものなし。 尊卑・上下・貧富・貴賤、勤苦怱務しておのおの殺毒を懐く。 悪気窈冥(あっけようみょう)にしてために妄りに事を興(おこ)す。 天地に違逆し、人心(にんしん)に従はず。 自然の非悪、まづ随ひてこれに与(くみ)し、ほしいままに所為を聴(ゆる)してその罪の極まるを待つ。 その寿(いのち)いまだ尽きざるに、すなはちたちまちにこれを奪ふ。 悪道に下り入りて累世に勤苦す。 そのなかに展転して数千億劫も出づる期(ご)あることなし。 痛みいふべからず、はなはだ哀愍すべし。

<意> 『阿弥陀経』に‘五濁惡世’と説かれているように、この世は乱れきっていて心安らぐことがない。
私は愛欲を貪るばかりで、進むべき道に迷い、またこの世には頼れるべきものなど何もない…。
世渡りに苦労し、忙しく、心の底には毒を含んだ恐ろしい思いを抱きながら、今はそれを隠せていても、縁がもよおせばいつ表に現われるとも知れず、この悪心が表面化すればこの世にいる内から地獄の苦を負うことになる。
非行悪業が悪果と現われ、こうした罪業が雪ダルマ式に増えて行き、その罪は行き着くところまで行き着く。
そして突然命奪われ地獄に堕ちて生死に苦しみ、苦悩の世界で転生を重ねて何千億劫もの永い間出ること叶わず、その痛ましさは言葉にならず、まったくもって哀れであるとお示しくださっている。

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『仏説無量寿経』下巻 三毒段 「愚痴」 ① [仏法]

2009.9.20 MO先生  
御讃題は、親鸞聖人の 『教行証文類』 信文類三(末) より

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを「聞」といふなり

<訳> 『大無量寿経』下巻 の 『本願成就文』 に 「聞其名号 信心歓喜 (その名号を聞きて、信心歓喜せん)」 という言葉があるが、その「聞」というのはどう言うことかというと、「この私が、‘生起’― 阿弥陀さまの起された願いの根本、なぜ法蔵菩薩さまとなって御本願を起さなければならなかったのか、ということ、 ‘本’― 法蔵菩薩さまが私一人の為にどのようなご苦労をして下さったのかということ、 ‘末’― その仕上げとして私一人の為にどのような姿になってくださったのかということを、聞かせていただいて、これがそのままスッキリと心に入りました」 と言うことが、名号を聞くということである。

「誰の為に起された御本願なのか?」 と 問われれば、頭の上では 「罪悪深重・煩悩熾盛の私の為です」 と 言葉には出来るけれども、はたしてこの身に問うてみたならばどうなのか?
ここをえぐって具体的に‘私’というモノガラを説かれたものが“三毒段”であり、お釈迦さまは 『大無量寿経』下巻において、「こんなお前の為に! こんなお前だから!」 と繰り返し、様々な面から説いてくださっている。
“三毒”とは、三つの根本的な煩悩のことで、「貪欲(欲しいの心)」・「瞋恚(憎いの心)」・「愚痴(自己愛の心)」をいい、今回の御法話では、この“愚痴”についてご解説くださった。

“愚痴”の‘愚’も‘痴’も、愚か・無智という意味で、仏教の真理を知らないということ。 これが煩悩の親玉。
“三毒段”の‘愚痴’で取り上げられている仏教の真理とは、“因果の道理(罪悪)”と“無常”の二つについての無智であり、これを 「お前は頭の上で知ったと言っているだけで、根本的な愚かさが身についていないじゃないか!」とお示しくださり、また「今後とも身に付かないぞ」という私の姿を照らし出してくださった経文であるとお話しくださった。

 ( 中略 ― BLOG 『仏説無量寿経』下巻 三毒段 「愚痴」 ② )

三毒段 「愚痴」 のまとめとしてお話しくださったのが、『本願文』 の最後にある、「唯除五逆 誹謗正法 (ただ五逆と正法を誹謗する者をば除く)」 と言われた阿弥陀さまのお言葉であった。
お前は、五逆罪を犯しているから救いようがないんだ!  
お前は、謗法罪を犯しているから救いからは除かれているんだ! 

「“唯除五逆 誹謗正法” とは、汝の名なり!!」 こう叫ばれたMO先生の大きな声が頭に突き刺さって、一瞬背筋がピンッと伸びた…。
「私の名前は、“唯除五逆 誹謗正法” …、 私だけは除かれている…」 そう聞いた次の瞬間に、伸びた背筋は一気に小さく丸くなった…。

「唯除五逆 誹謗正法」は、“仮除”ではなく、“実除”である。 「除く」は、「除く」! 「お前は、除く!!」
「逆法の死骸」という言葉も、「死骸」は「死骸」であって、形容詞などではない!
「逆法の死骸!」という事実! 「聞かんヤツだ!」という事実! だから私は唯除されている…

『親指のふし』 より

「私に限って大丈夫」と思っている人も、もう一ぺん考えてみませんか。 そうしたら何が出てくる。
本物の信心だったら、どれほど叩いても心配ないですよね。 「疑ったらいかん」と臭いものにフタをしているのが、そもそも自分のはからいというもの。
真にまかせきっているのなら、素っ裸になれましょう。 
ご教化もほかし、喜びもほかし、念仏もほかし、聞いたとか、ありがとうなったのも、全部ほかしてしまって、「サア、出かけていかんならん」 となって、出てくるのが本物です。 そこで勝負をせんならん。
それが「信心のみぞさらえ」というものでしょう。 「あの体験があるから」という、それもほかしてみたらどうですか。 持ち物があると、通るところも通られん。 (中略)
後生の関所は、荷物があると通れませんよ。 素っ裸になって救われるというのが念仏の教えです。
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貪瞋・邪偽・奸詐百端にして悪性侵め難し [仏法]

2009.9.19 MK先生  
御讃題は、善導大師 の 『観経疏』散善義 より

外(ほか)に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相を現ずることを得ざれ、中(うち)に虚仮(こけ)を懐ければなり。 貪瞋(とんじん)、邪偽(じゃぎ)、奸詐百端(かんさひゃくたん)にして、悪性(あくしょう)侵(や)め難しこと、蛇蝎(じゃかつ)に同じ。

<訳> 上辺だけ賢者や善人の如く振舞ってはならない。 なぜならば心の中には偽りを抱いて、貪り・怒り・邪ま・欺きの心が絶えず起こり、悪い本性は変わることがなく、それはあたかも蛇や蠍のようである。

先々月、不思議な体験をされたというMK先生。 今回の御法話は、その体験を通して知らされた‘南無阿弥陀仏’のお心をお話しくださった。

仏教は、自分の心を問題にしていくのだと教えていただいたとおり、私の本心を覗いて見ると、外に表わしている笑顔や優しい言葉とは裏腹に、心の中にはそれとは逆の虚仮の心、貪欲・瞋恚・愚痴の心で渦巻いているということが、ほんのちょっとだけ見える。
善導大師は、「一人一日の中に八億四千の念あり」 と示されたが、その全部が見えていたら、自分の恐ろしさにきっと生きてはいられないだろう…。 何せ、一つ残らずそのすべてが悪業なのだから…。
そんな私の中なる世界(心の中)で絶えず造り続けている悪業の一つ一つが三悪道に落ちる種となって、中なる世界のそのまた奥にある未耶識(マナシキ)・阿頼耶識(アラヤシキ)と言う世界に一つ残らず納められて行き、そこに積もりに積もった過去世からの悪業の種が、私の次に行く世界を造り出しているのだと…。 つまりは、日々刻々に自分で自分の後生の因を造っているのだと聞かせていただいた。

それは私の理解をはるかに超えた世界で、私にはこれを思議することは出来ない。 智恵がないのだ。
でも、悟られた仏さまには、この原因のところに、今、ここで、私の後生がどのように展開していくのかという、その結果がハッキリと見えておられる。 だから、「お前の後生は一大事だぞ~!」 と 叫ばずにおれないのだと…。

私の心の中は、何でもありの私(オレが)の独裁王国である。
我欲のままに貪り、何にでも手を伸ばし、誰でも何度でも平気で殺す…。 自分の都合に合わせて仏法だって、何だって利用して、その欲が達せられなければ当たり前のように腹を立てる。
それなのに自分は、まともで善人だと思っているのだから、自分の後生に一大事があるだなんてツユ・チリほどにも思えない…。
そんな私だから…、 そんな私の為に、阿弥陀如来さまは、五劫もかけてご思案くださり、兆載永劫と言う永い間ご修行をしてくださった。 それも私一人の為のご苦労であったと…。

しかし、そんなこと、私からお願いをしたわけでもなければ、望んだことすらない。
仏さまからの一方通行の愛の手を、疎ましいとさえ思っている私がいる。
こんな私の後生を心配して、どうか救われてほしいと願われ、こんな私を悟りの世界に生まれさせるだけの力を‘南無阿弥陀仏’に封じ込めて届けてくださった仏さま。
その‘南無阿弥陀仏’をどうか受け取ってくれよと、阿弥陀如来さまは、立ち詰め、呼び詰め、招き詰!

それなのに、それなのに、‘南無阿弥陀仏’に遇わせていただく時に立ちはだかる自力の心…。
外には賢く善人ぶって自分はまともな人間だと思い装っている私であるが、心の中では、ありとあらゆる悪の世界を造りに造って、後生は地獄へ堕ちるしかない、そんな心を当て・頼り・拠り所にし、そんな心でお救いを鷲づかみにしよう・助かりたい・幸せになりたいと穢い手を伸ばすばかり…。
阿弥陀さまは、こんな醜い私であることは百も承知の上で ‘南無阿弥陀仏’を仕上げてくださった。
そんな心しかない私だからこそ、‘南無阿弥陀仏’になってくださったのに、私は、邪見・驕慢の自力の心で阿弥陀さまのお救いに立ち向かい、計らい、邪魔することしかできない…。
それが唯除された、五逆・誹謗謗法の私の相(すがた)なのだとお聞かせいただいた。

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今、 私は、 どうなの? [随筆日記]

「‘心’って、コロコロと変化しているよね!」 
って、今は当たり前のこととして実感しているけど、以前は、理屈でしかわかっていなかった…。
その頃、これを知ることがどうして大切なことであるのかさえ私にはわからなかった…。

四ヶ月前、「自分の本心(本音)を知らなければ、聞き開くことは難しい」とYuさんに言われて、それ以来しばらくの間 YuさんからのMailの書き出しはいつも、「どう? 今の気分は? どんな感情が動いてる?」、「今朝の気分はどう? どんな感じ? 感情の動きは?」 と、聞いてくださるようになった。
MRさんからも顔を合わせる度に、「今の感じは?」と頻繁に尋ねられ、Yuさんと会っている時など1時間に5,6回は、「今、どんな感じ?」と不意に何度も尋ねられて、その度々に私は、「さて…、どう答えようか…」と考えていた。
その、思案している2,3秒の間に、既に‘心’は移り変わっているのだと言うことさえも私はわかっていなかったし、第一Yuさんがおっしゃる 「本心」だとか 「本音」だとかいうものがどんなものなのか、正直私にはわからなかった。

「本心(本音)というのは固定したものではなく、いつも動いていて、常に変わっていく、その時 その時の心の自然な動きで、わかりやすく言えば、今 動いている私の感情のことだよ」 と教えていただいても、「私の心は幾つもあって、そのどれが本当の私の心なのか、私にはわかりません」と答える始末…。

自分が生きていく為に身につけた術の一つに、「自身の心を誤魔化す」と言うことがある。
体調が悪くならないように…、死にたくならないように…、心が壊れてしまわぬように…、 私は いつも いつも 自分にとって都合の悪い感情は無意識の内に押さえ込むようにして生きてきた。
そしてその上に覆いかぶさった幾つもの感情こそが私の本心であると思っていたので、本心なんて自分の心の持って行き方次第で、いくらだって変えられると思っていた。
それに対人関係では、まず相手の感情を先読みし、相手が私に求めているものを常に考え、それに自分の感情を添い合わせるということを極自然にしていたので、「今、どんな感じ?」と尋ねられれば、考えられるだけの「その時の感じ」の中から、その人が求めている答えを探し出して返事をするという作業の上で答えることしか出来なかった。

でも、「思案するよりも先に立った感情こそが本心であり、これを日常生活の中で注意深く観ていくことが大事なんだ。
自分がどんな者なのかを、「今の感じはどう?」という自問自答の中で観て行き、そこにある、自分にとっては不都合で見たくない心(意業)を見せられること、自分の本音を知るということが重要なんだ」 と教えられ、その訓練の甲斐あってか、少しずつ自分にとって不都合な心を発見することが出来るようになった。

そして、いつ頃からかはわからないけど、「今、ここで動いている私の心」 というものが認識できるようになってきて、 いつの頃からか、「こんなコロコロと変化し続ける心なんて全く当てにならないじゃん!」 と気付かせていただけるようになって、 今、想い返せば、「私の本心がこんなんだから仏さまにご苦労をおかけしているんだ」 と、いつも いつも 聞かせていただいていた。

昨日、そんな私に 「今度は身体の声をちゃんと聞いてね!」 と言ってくださった。
ところが、「自身の心を知る」ということが最初出来なかったように、「自身の体調を知る」と言うことが、今の私にはわからない・・・。
どんなに体調が悪くても出来る範囲でこれを誤魔化して、「病は気から」を実戦するのが常であり、いくら体調が悪くなっても私の根には、「自分は死なない」という顛倒(てんどう)した考えがあるので、「頑張れば何とかなるさ!」と思ってしまう。
第一、病気をするということは人に迷惑をかけるということだと思っているので、休養・休息をとるということに罪の意識を感じてしまう…。 
だから心持ちを元気に保って、悪しき体調は気力でカバー! 私の理想に反した不調は、見ない、聞かない、取り合わないをモットーに、元気いっぱいに振舞っていれば、体調不良も病気もいつの間にか消えてなくなってしまうさ・・・ と、思えるように心を持っていく。
時々、気がついた時には倒れていた…、と言うことも度々あったけど、意識がもどれば、「あぁ、やっぱり私は死ななかった」 … で 終わってしまう。

いつ消えるとも知れぬ命を持ちながら、自分の犯した罪も重さも知らずに堕ちていくばかりの我が身であると仏法で聞かされても、やっぱり自分が死ぬとは思えない私がいて、でもその根本では“死”から逃げ回っている私…、 ただいま迷いの真っ只中。

そんな私を誰よりも心配してくださっている私の仏さまからいただいた命だもの、やっぱり大切にしなきゃね! 
私の仏さまが与えて下さった、受け難きこの身体を受けたのだから、ちゃんと正直に向き合わなきゃね!
そう思って、「今、私の身体はどうなの?」って聞いてみたら、「すごく、すごく、疲れている」って… 「心も、身体も、クタクタだ」って…
中加減な体調の時に身体を横にすることにはちょっと抵抗があったけど、それでもベッドに横たわって4,5分、心の中で後悔と戦っている内にいつのまにか寝てしまったみたい…。 3時間近くもお昼寝しちゃった!
あぁ、もったいないことしたな~、 あぁ、気が引けるな~、って気持ちは拭えないけど、今日は、身体にはやさしい一日を過ごすことができた。

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2009夏 一人旅・回想録 36 ( 青森 → 自宅 ) [Travel]

青森ねぶた祭前夜祭の会場を後に、元来たBoard walk を通って青森駅へと向かう。
青森駅はクラシカルな感じで混み混みしているところがいい感じ。 でも来年末には青森まで新幹線が延長される予定なので、ここも近代的な駅へと変わってしまうのだろうな~ぁ。 ちょっと淋しい気がする…。
今回青森駅には見学に来ただけで、残念ながら列車には乗らない。
この後、駅前から出るリムジンバスに乗って空港へと向かう予定だが、バスの時刻までまだしばらく時間があったので、駅前の 小さな 小さな待合所でパソコンを広げて 一人旅 五日目にして最終日のBlogを更新する。

青森駅から青森空港までは直行バスで30分少々。 空港に着く少し前頃から小雨が降り出した。

青森空港は想像していたよりも近代的な空港であった。
バスの車内にて NETで飛行機のCheck In を済ませておいたので、空港では手荷物を預けるだけでOK! 搭乗時刻までFree time である。 とは言って何もすることもないので、空港のレストランに入って
3177761今回の旅、最後の晩餐会を催すことにした。
いただいたのは、期間限定御膳‘津軽・祭囃子’で、地物料理がいろいろついて¥1,500!と御値打ち & 美味しかった!
(帰宅してからの体重計が恐怖である…)

ごゆるりとDinnerを楽しみ、搭乗時刻の少し前にGateに行くとちょうど改札が始まった。 
乗客は多くない。 J-classは私の他に二人だけ。 EC-classも半分以上は空席のようだった。
窓の外は雨模様。 飛行機は予定よりも少し早めにGateを離れた。 そして離陸。
眼下に広がる青森の夜景はなんだか素朴な感じ…  「See you again …」 
雨雲を抜けた上空は、既に地球の陰に隠れてしまった太陽の光が僅かばかり差し込み、それが黒・白・青の物悲しいコントラストを作り出していた。

何だか新聞も読む気になれないし…。 私は、機内サービスのコーヒーをいただきながら、シートに深く腰を沈めて瞳を閉じた。

長かったようで短くて、短いようで長かったような… そんな感じの五日間…
特に何をしたわけではないけれど、いろいろなことがあったような気がする…
私は今、何を考えているのだろう・・・・・  わからない・・・・・  
今回の旅に同行してくれたメモ帳も、残り数ページとなった… この五日間の私の記憶…
変だな~ぁ、 泣きたい訳でもないのに…、 何も考えていないのに…、 目から雫が流れ落ちた…。 これも涙って言えるのだろうか…。

私・・・・・・・・  何も捨てられなかった・・・・・・・・  何もかも捨てるつもりで旅立ったはずなのに…、 私は、何一つとして捨てることが出来なかった・・・・・・・・
それでも、後悔はしていない。 これが私なんだ…。 何一つ捨てることの出来ないのが私なんだ…。

この五日間は私にとってどんな意味を持っていたのだろう。
「何故、恐山なのか…」 と、相変わらずの自問に思わず笑いが吹き出る。 も~ぉ、ど~だっていいよ!
今は、何もわからないことが幸せ…

夜の8時を過ぎると、さすがに窓の外は暗闇に包まれる。
見えるのは、窓ガラスに反射する自分の姿と、飛行機の翼でフラッシュする灯りだけ。
そっか~ぁ!! 無明の中では何も見えない。 後方から私にあてられた光があって、初めて私の正面に薄ぼんやりとした自分の姿を見ることが出来るんだ!
でも、それだけじゃ~、私は自分の姿しか見ることしか出来ない…。 
だけど、一瞬だけ自分が見えなくなる時がある。 それは、窓の外のライトが点灯するたびに、自分の姿は窓ガラスから見えなくなって、この時見えるのは、まぶしすぎるこのライトだけ…。
そうなのかもしれない・・・・・・!!    何が・・・・・・?
ん~~~・・・・・  何だかよくわかんない!  頭がこんがらがってきた!!

頭をブルブル回していると、「コーヒーのおかわりはいかがですか?」 とCA。
「今度はゆずジュースをください!」 既にお腹は、ちゃぽん ちゃぽんである・・・
しかし…、青森へ行くのに往路は鈍行列車で三日も要したのに、復路は飛行機で1時間チョットとはね~ぇ… 文明の力はすごいね!

飛行機は予定時刻よりも15分も早くセントレアに到着した。
そして空港に迎えに来てくれているはずの夫と五日ぶりの再会… のはずが、夫がいない…
携帯に電話をすると、「空港には来ているんだけどね、また迷子になっちゃった! 奈っちゃん、探しに来て!」 と・・・・・   「はい、はい! 迎えに行くから待っててね!」 
はあぁ~、 一人旅が終わったことをしみじみと実感する・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 35 ( 青森 ) [Travel]

船は脇野沢を出港した。 これで下北半島ともお別れである…  「See you …」 

陸奥湾に入ってから船は大きく揺れるようになったが、午後3時、定刻どおりに青森港へと入港した。
さて…、どうしようか…。  とりあえず港をフラフラと散策する。
最初に見つけたのは、石川さゆりの歌う『津軽海峡冬景色』の歌碑であった。 ボタンを押して懐かしきその歌を聴いていると徐々に人が集ってきて・・・  でも、誰も声に出して歌わなかった。
また、港には、現役を終えた青函連絡船の八甲田丸が係留されていて博物館として公開されていたが、特に興味がなかったので素通りしようとしたところ、いきなり大阪弁で声をかけられた…、 と思ったら、八甲田丸の前にあるドリンクの自動販売機が何かのセンサーでしゃべり出したのだった。 
しかし…、なぜ大阪弁? ここは青森なんだし…。 私は個人的に関西弁よりも東北弁でしゃべる自動販売機の方のが面白いと思うのだけど…

このあと、青森観光物産センター・アスパムまで行けば何かあるだろうと、青い海公園へと向かった。
港からアスパムまでは海の上をBoard walk で行くことができる、とても快適なお散歩コース!
そして公園の海岸沿いを歩いていると、何やら園内から賑やかな音楽や太鼓の音色が聞えてきたのでそれにつられて広場の方まで行ってみると、テレビ局の中継車が何台も出動するほどの大きなイベントをしていた。
「何だろう? 何だろう?? 何だろう???」 中継車や人混みをかき分けて中に入っていくと、巨大なテントハウスが立ち並ぶその中に、なんと“ねぶた”が展示されているではないか! 「WaO~!!!」
すごい! すごい!! と、感激しながら展示されているねぶたを全部カメラにおさめちゃった!!!
この時は感激しすぎて、ただ単純に喜ぶばかりであったが、この後ステージの方へと行ってみると、そこに 【   青森ねぶた祭前夜祭 】 との大看板を発見し、 「え゛゛゛っ! あの有名なねぶた祭り?」 「その前夜祭?」 と言うことは、今日、名古屋に帰る予定の私は、見られないじゃん…!  トホホ…である…
これぞ、無計画な旅の落とし穴だよね~ぇ…
今さら仕方がないので、青森ねぶたまつりの‘前夜祭’ならぬ‘前夕方祭’を思う存分楽しむ!

初めてねぶたを目の前にしたけど、想像していたものよりもかなり大きい。 山車を三台並べたくらいの大きさで、しかも骨組みもかなり頑丈そうだ。 
日のある内に見てもこれだけ壮観なのだもの、夜、これに明かりが灯って、祭囃子や太鼓の音、人々の大きなかけ声が加われば、もっと もっと 素晴しいんだろうな~ぁ~   あ~、残念!!

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これが私のお気に入りの二点。 いつか、夜闇に壮大に浮かび上がったその姿を見に来たいな~!
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2009夏 一人旅・回想録 34 ( 下北半島 → 青森 ) [Travel]

仏ヶ浦の散策を終えて船へと戻る。 暑くて、暑くて、融けてしまいそうだ!
昨日に引き続いて、今日も日焼け間違いなしである! 青森にいるのに、既に肌は南国の小麦色!

佐井の港に戻ると、「奈っちゃん、お帰り~!」と出迎えてくれた優しい人たち、ありがとう!

そして私は、おばさんにスーツケースを預けたまま、港のレストランでチャチャッと Lunch time [レストラン]
3176340今日のメニューは、とろとろ卵のシーフードオムライス・カレー! 
オムライスにカレーという組み合わせは初体験! 
食べ放題の一夜漬けサラダも、とってもとっても美味しかったけど、量が多くて完食ならず・・・ ゴメンナサイ

今日まで、北へ、北へと向かってきたけど、いよいよ南へとU-Turnだ。
慌ただしくもおばさんにお礼をしてスーツケースを受け取り、「またね!」という言葉で別れ、今度はシィライン社の高速旅客船ポーラスターに乗船する。 ここから青森港まで、二時間半の船の旅だ。

乗客は数えるほどしかいないので座席は使いたい放題。 しかし、船内は冷房も入っておらず、窓も開かず、甲板にも出られないので、とても快適とは言い難かった。
船がゆっくりと岸壁を離れる…。  なんだか切ない…。   
ここまで来た・・・・・・・  ここまで来て、私は何を得たのだろう・・・。  この数日間は、私にとって何だったのだろう・・・。  そんな思いが込み上げてきたが、答えは出なかった。

ただ、おばさんと、「またね!」と言って別れたことを胸にかみしめる…。 
これは、昔からの私の儀式。 自分への戒め。
「Good-bye」ではなく 「See you」で別れるのは、未練ったらしい自分とか、虚仮な自分が見えるから。 
もしかしたら私は、自己認識していない、理屈を抜きにした部分で、“無常”なるものを知っているのかなぁ・・・
自分の知識や思いを越えた部分で感じている何かに対して、それを知っているからこそ無意識の内に、嫌なモノには目を向けないように、自分にデメリットをもたらすモノには触れないように、そうやってそれらを自己判断で選別しながら自分を守っているからこそ生きていられるのかもしれない…、と思った・・・・・

船は、先ほど訪れた仏ヶ浦の近くまで来て徐行し始めた。
海上から見る仏ヶ浦の巨岩群は、本当にチッポケなものに見えて・・・・・、 何だかイヤになってきた!
今に始まったことじゃないが、自分のその時々の心を基準にアレコレと思案することが、ものすごく鬱陶しく、邪魔に感じる・・・  でも、これがなくなったら私はどうなっちゃうんだろう・・・・・?
何もなくなっちゃう…!  私から、「我(わたし)」を抜いたら、何もなくなっちゃうじゃん・・・!
何だか笑えた。 よくわからないけど笑えた。  そして笑いの中から、「無駄な抵抗はもうやめよ!」と言う、真面目な声を聞いたような気がする。

仏ヶ浦

船内には観光案内が流れているが、乗客の中にすこぶる機嫌の悪い子供がいて、彼の発する奇声によって何を言っているのか全く聞えない。
それなのになぜか周囲の乗客が、「チェッ」っとする舌打ちだけはよく耳に入ってくる。
世の中、耳をふさぎたくなるようなことばかりだ~。

旅客船ポーラスターは、最寄の港に立ち寄りながら南へと進み、途中、団体客の乗船もあって船内はかなり賑やかくなった。 
そして、脇野沢港では15分の停泊時間があったので、私は一人、港へと降り立った。 他には誰も降りてこない。
私は港にあったモニュメントの上で仰向けに寝転んで…、空を見つめ、両手を上げた。
私の手って、こんなにも短い・・・・・  これじゃ~、お空に届かない・・・・・
どんなに どんなに 頑張ったって、これじゃ~、全然届かないよ~~~  「悔しい・・・・・」
でも・・・・・、 今、私が触れているこの空間と、私が見上げて空と呼んでいるあの宇宙空間との境目って、どこなんだろう…、 それはどんななんだろう…。

10分少々、すっかり自分の世界に浸ってしまったが、「ヨッコイショ!」 と起き上がって船の方を見ると、船窓からはたくさんの視線がこちらに向けられていた…     「恥ずかしいじゃん・・・![ふらふら]

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2009夏 一人旅・回想録 33 ( 仏ヶ浦 ) [Travel]

今日最初のスケジュールは、佐井港から仏ヶ浦海上観光船ニューしもきたに乗船して仏ヶ浦まで向かい、上陸にて散策、そして再び帰港するという予定である。
昨日は地獄の恐山! 今日は浄土の仏ヶ浦! すごいね~! 下北半島では今生で地獄と浄土の両方を観光出来ちゃうなんて!

事前に予約をしておいた観光船のチケット売り場に行くと、「あぁ! 奈っちゃん?」 と、窓口にいた見知らぬおばさんに笑顔で迎えられた。
え゛っ? こんな本州最北の地に知り合いなんかいたっけ??? とは思いつつ、「はい!」と笑顔で答える私…。 でも、誰?・・・
「あの~ぉ」と口ごもる私に彼女は、「観光船の予約をしてくれた奈っちゃんでしょ? 苗字の読み方がわからなかったから‘奈っちゃん’で覚えとったの!」と…。
ハハッ…  そ~ゆ~ことネ、 ビックリしちゃった! でも、ニックネームで呼ばれるのって嬉しい~!

フェリーの乗船時間になって乗り場に行くと、先ほどのおばさんが再び笑顔で迎えてくれ、彼女のだんな様も、その他従業員も、みんなで、「奈っちゃん、楽しんでおいでね~!  帰りも乗り遅れんよ~にな~!」 と見送ってくれたのがとても嬉しかった。
仏ヶ浦までの乗船時間は30分ほど。 フェリーはほぼ満席で100余名の客が乗船していた。
何とか端っこの席を確保できたのだが、隣に座っているご夫婦が喧嘩の真っ最中だった為、あまり居心地の良い席とは言い難かったが、景色がよくなるにつれ次第に喧嘩も収まってきてヤレヤレであった。

ここら周辺の海域は潮の流れが速く荒いと聞いていたが、見た目には非常に穏やかな海であった。
フェリーは仏ヶ浦の小さな船着場に着岸し、下船した私は一人、岩場の方へと歩き出したが、私の後ろに誰もついて来ない…。 「ヘンだな~ぁ」と思って後方を振り返ると、船着場には三つの人山が出来ていた。
ここに来て初めて知ったことだが、このフェリーに乗って来た乗客は、三つの旅行社のツアー客で、個人客は私一人だけだったようだ。

仏ヶ浦私は、自由気ままに岩場の散策を開始した。 しかし、何だか今日はいろんな人に声をかけられるな~ぁ。
「そっちは道が違うよ」 「ここから先は何もないよ」 「そこは危ないよ」 といった注意喚起なのだが、私って、普通とは違うことをしているのかしら?  私自身、危険を犯しているとは思っていないのだが・・・・・
まあ、ここは仏ヶ浦だし、仏さまからのMessageとして素直に受け取っておこう!

私が手近な所の散策を終えた頃、ツアー客は順番に集合写真の撮影中! その横を涼しい顔で通り過ぎて奥の巨岩群の森へと一番乗りで入っていく。
写真で見るとすごく小さな岩に見えるけど、身近に来るとその巨大さに圧倒される。
今日は天候に恵まれて、 空もきれい! 海もきれい! そして聳え立つ岩も美しい!
ここをお浄土と譬えるのはあまりにもお粗末だけど、でも一風景としてはとっても美しい場所であった!

仏ヶ浦 浄土浜

さてさて、私は岩場によじ登って、やっとフリータイムとなった団体客を遠目に高みの見物である!

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2009夏 一人旅・回想録 32 ( 下風呂 → 佐井村 ) [Travel]

4時半起床。 昨夜はかなりBlueな気持ちになっていたが、今朝の気分は悪くない。
朝風呂に入って手足を伸ばし心身ともに目を覚ます。 やっぱり温泉はいいね!
昨日は夕日を見逃したけど、ここは東海岸沿いだし朝日は問題ないだろう…、と窓を開けたが、今日は雲に邪魔をされて朝日は拝めそうにない。
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 ・・・ 
私の心に雲はかかっていても、太陽は間違いなくあるんだよね・・・  なんて・・・ 何言ってんだか・・・

テレビを付けるとNHK北海道が放映されていた。 あれ? ここは青森県だよね~? NHK青森って、なかったっけ?  
退屈しのぎに散歩にでも出かけようかと思い立ち部屋を出たが、ロビーに朝刊を見つけて予定変更。
しかしな~ぁ、新聞を読みながらも、「今日は、お家に帰るんだぁ~」という気持ちがぬけやしない…。
「このまま、もっとずっと旅を続けたい」と思う私と、「あぁ、帰れるんだ…」と思う私が交錯する。
7時少し前に仲居さんに声をかけられ朝食をいただく。 目の前の港で水揚げされたばかりの朝獲れのイカ刺しが甘くてとても美味しかった。   今日も仏さまの命をいただいて一日が始まる・・・

今朝の気温は20℃前後と名古屋よりも10℃近くも低く、潮風を感じながらバスを待つのも心地よい。
帰りの飛行機の時間まで思う存分下北半島を楽しもうと北へと向かうバスに乗り込んだ。
 
大間の海先ほどまでの分厚い雲も朝日によって徐々に溶かされ、青い空と碧い海がとてもきれいだ!
この海の向こうには北海道がある! う~ん、やっぱりまだ帰りたくないかも~!!
バスは風間浦村の海岸線の国道から大間の町道へと入り、本州最北端の碑の前で停車。
下車をしている時間はなかったけど、車窓から記念写真だけはしっかりと[カメラ]カシャ!
ここからは日本海側の海岸沿いの国道を南に向かってバスは進む。

今日の最初の目的地は佐井村の港である。 ここから観光船に乗る予定だ。
しかし、佐井港に一番近いバス停から港までは徒歩5分とのことで、その下車するバス停の名前も聞く人によって様々なのでちょっと不安。 「まぁ~何とかなるさ!」とは思ったが、一応バスの運転手さんに、「港に一番近いバス停で降りたいのですが…」と声をかける。
すると運転手さんは、「港に行ってど~するの?」と聞いてきたので、「えっ?」とは思ったが、「観光フェリーに乗りたいの!」と答えると、「それじゃ~案内してあげるから待っていて!」と言われ、「えっ?えっ?・・・」。
頭の中に?????マークが並んだものの、言われた通りに素直に待っていると、バスはバス停ではなく白い二階建てのビルの前で停車した。
そして運転手さんに、「着いたよ! このビルがチケット売り場で、その前がフェリー乗り場だから!」と言われ、「?!?!」、思いがけない結果にビックリであった!
「LUCKY~! ただ乗って待っているだけで着いちゃったよ~!!」 と、素直に感動している私と、
「何で? これ、乗り合いバスだよね? ルート外れちゃってもいいの? どうしてこんな親切なことしてくれるの? これって本当?」 と、疑心に喜べない私と、
この結果だけを見れば、何も疑うことはないのに、いつまでたっても疑いが晴れないのは、例のアレと同じね・・・・・
親切にしてくださった運転手さんに対して今の私が出来ることは、ただ「有り難うございました」と言うことだけ…。  これも、例のアレと同じだわ・・・・・

そんなこんなで私の心配は無用なものとなり、無事に佐井の港に到着した!

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信州 戸倉上山田温泉 [Travel]

先週末、再び信州へ Short Trip!  
今回のテーマは、【 露天風呂付き客室 で ゆ~ったり、の~んびり 】 である。
と言うことで、一泊二日の温泉ドライブに行って来た。
行き先は、長野県千曲市の上山田温泉で、なぜここかと言うと、「露天風呂付き客室」という条件でお宿検索をしたところ、行ける範囲で一番お値段がお安かったから! という単純な理由で決定した。

金曜日の朝はゆっくりの10時出発。 通勤ラッシュも終わって、お天気も快晴で、ホンにドライブ日和。
前回とは逆のコースで、諏訪ICより高速を下りてビーナスラインに向かい、途中のお蕎麦屋さんに立ち寄って Launch time ! 今回は、とろろざる蕎麦をいただく。
食事の後は、カーナビの指示に逆らいながら走ったことのない道を冒険ドライブ!
車は、青空の下で輝く黄金色の田園風景の中を快適に進み、心も晴々! 話もはずむ!!

そんなこんなで宿に到着したのは16時を過ぎてしまったが、ここからは思う存分温泉三昧である。
源泉欠け流しの戸倉の湯は、やわらかくって、なめらかで、とっても気持ちがよくって惚れてしまった[黒ハート]
ひと汗流した後は温泉街へ散策に出かけ、千曲川沿いの道をの~んびりと散歩したり、歌碑の前で五木ひろしの‘千曲川’を聞きながら情緒にひたってみたり、足湯のある公園でくつろいだりと、花金の夕暮れ時を思う存分楽しんだ。
そして戸倉温泉の名所であるネオン街にも行ってみた。 しかしまだ時間も早くて芸妓衆には出会えなかったが、自分の名前が店名になっているスナックを二軒も見つけて、喜んでいるヘンな私[わーい(嬉しい顔)]

そして宿に戻ったならば、お部屋の露天風呂へと一直線! う~ん、[いい気分(温泉)]気持ちい~ぃ
入浴後は、お楽しみの Dinner time 。  民芸調のバー風の広い個室で二人きりの夕食を楽しんだ。
しかし、食事の量が半端ではなかった! いやいや、量だけではなく 味も 質も 申し分なく、これまた惚れてしまった[黒ハート]

食後は、温泉組合主催の “姨捨夜景ツアー” なるものに参加した。
宿までタクシーが迎えに来てくれて、まずはJR姨捨(おばすて)駅からの善光寺平の夜景と篠ノ井線のスイッチバックする列車を見学して、この後、長野自動車道の姨捨サービスエリアから見る夜景を満喫する。
ここは名月鑑賞の地としても有名であるが、残念ながらこの日はお月様との対面は果たせなかった…。
そして帰り道には信州味噌のSHOPにて試食やら、お土産のサービスがつき、このツアー お一人様 ¥1,000 とは、けっこうお値打ちかも!

姨捨サービスエリア

宿へと戻れば当然、お部屋の露天風呂へと直行し、 う~ん、[いい気分(温泉)]やっぱり気持ちい~ぃ

善光寺平 姨捨

翌土曜日は残念ながらの雨模様。
しかし、姨捨の棚田をはじめ、昨夜参加した Night tour を再びめぐった Day tour (もちろん個人的に!)では雨の影響もなく、夜とは違った善光寺平の風景を堪能できた。

帰り道は、・・・  外は[雨]大雨、車内は[たらーっ(汗)]涙雨のドライブとなり、とっても思い出深い旅となった。[ぴかぴか(新しい)]
これについては、いつかどこかで!                              南無阿弥陀仏

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2009夏 一人旅・回想録 31 ( 四日目の終りに… ) [Travel]

すっかり日も落ち、小さな下風呂の温泉町は夜のとばりに包まれ外灯が心細そうに揺れている。
宿に戻ると女将さんが再び笑顔で出迎えてくれ、私の赤い目を見たからかな? 「とにかくお風呂にゆっくりと浸かって来て、それから食事にしましょうね!」と優しく促してくれた。
とても小さな温泉町の、小さな温泉旅館で、宿のお風呂も小じんまりとしたものだったけど、何だか心身ともに癒されていくようだった。

お風呂から上がって部屋に戻り窓から夜の港を見ていたら、一人でいることがとても寂しく感じられた。
でも、運ばれてきた夕食を目の前にすると、そんな憂鬱な気分も吹っ飛んで、も~ぉ、食らうことしか頭にない! 
3172221オーダーした生ビールを片手に一人で乾杯! 昼食抜きの空きっ腹に冷たいビールが染み渡る。
しかし、殺生三昧に歓喜しながらも、何故か食があまり進まない…。 
疲れているのかな? 好きなものから頑張って食べて半分ほど制覇したところで限界がきた。 「お魚さん、板さん、ごめんなさいm(__)m」

夕食後、もう一度温泉に入ってから、その後はいつものようにパソコンを立ち上げるが、やはりNETはつながらないので、過去のMailなどを読み返しながら、いろんなことを今の自分に問うてみた…。
でも、確かなものは何も出てこなかった…。  出てきたものは、私の思い…  私が作った妄想のみ…
そして、ここ数日間の自分を振り返ってみただけでも、自分というものがいかに虚仮で不実で当てにならないいい加減なものであったかということが見えてくる…。 
それと同時に、そんな自分に満足している私と、そんな自分を嫌悪している私が、共倒れになりそうなところで上手くバランスを取り合っているように思えた。

“生きる”って何なんだろう…、 “死ぬ”ってどういうことなんだろう、 って考え時、結局、 “私”って何? という疑問にたどり着く。
その答えは仏法の中にあると教えられて、何か不思議な力に導かれるままに今日まで来たけれど、初めて仏法と出遇った時のあの感動も、あの歓びも、既に化石のように硬く、冷たく、朽ちている。
御法によって教えられる“私”って、この世の常識とはあまりにもかけ離れているし、認め難いものばかりで、こんなものを教えられて私にとっては迷惑でしかない…、 とても仏さまに手を合わせる気にはなれない…。

この1年…、 私の中で様々な変化があったにもかかわらず、私の心は何も変わっていないように思う。
その心、自分の思いこそが捨てモノなのだと聞かされても、これを捨てたら私じゃなくなっちゃう…。
私が大好きな“私”も、私が大嫌いな“私”も、全部 全部 “私” だもん! 好きでも、嫌いでも、私は “私” が一番大事! 一番 一番 大切なの!
「その“我執”によって無始より迷いに迷ってきた」と聞かされても、「それがどうした?!」としか思わない…
「そんな私を愛して、心配して、必ず救ってやると誓っておられる方がいる」と聞かされても、私の中からは、愚痴や疑いしか出てこない…

バッグから手紙を取り出して読み返す…  胸が… 締め付けられるように苦しい…
最後まで読むことが出来ない…
手の中でグシャグシャに丸められてゆく手紙に涙がこぼれ落ちた・・・・・
でも…、 私は…、 これを捨てられない…
どんになに胸が苦しく、呼吸があおっても、 その手紙を投げ捨てることが出来なかった・・・・・
悔しかった…、 すごく、悔しかった・・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 30 ( むつバスターミナル → 下風呂 ) [Travel]

時刻は17時をまわり、バスの車窓から差し込む西日がきつくなってきた。
私は海を眺めるために東側のシートに座ったが、車内は帰宅時間と重なっていたため混雑していた。
バスはむつの町を抜け、国道279号線を北へと向かう。 
車窓から眺める風景の至るところで咲き誇る紫陽花の花がとてもきれいで、同時に咲いているあわだち草の花とのミスマッチな季節感を不思議なものとして感じた。
私の中では、紫陽花は6月、あわだち草は9月という認識があり、そんな自分の知識が常識となって、今、目の前にある現実ですら、「信じられない」と言ってみたり、「不思議」という一言で処理してしまったり、まったく、自分の智恵が唯一なのか?!と自身に問うてゲンコツで頭を小突くが、これで動じる私ではない…。

途中、大畑バスターミナルで大半の乗客が降りたため車内の客は5人ほどになって快適! と言いたいところだが、そうはいかなかった。
通路を挟んで斜め前の座席に座っている青年がシートの背もたれにしがみ付くような姿勢を保ったまま、ジーッと私の顔を見ている。
それが気になって、私は彼に、「何か?」と尋ねるが、彼は何も答えず、ただ無言のままジーッと私を見つめるままである。
「どうしよう・・・・・」と心の中で呟く。 
彼とは普通の会話が成り立たないのではないか…、と思っている私が、私の行動と言動を制限している。
何故ならば、彼は知的障害を持っているから・・・・・・
彼の二つ後ろのシート、通路を挟んで私の隣りに座る彼の知人である女性も同様に障害を持っている。
おそらく学校か職場からの帰宅途中なのだろう…。 彼女の方はひたすらにしゃべり続けているが、彼の方は無言のままで、ペットボトルのジュースをチュパチュパと音とを立てすすり飲む以外は静かなものであるが、視線は私に向けられたままなので、私はそれが気になって仕方がない…。
「どうしよう…、 どう対処すればよいのだろう…、 何か話しをした方のがよいのか、それともこのまま無視してこれを耐えるしかないのか…」

バスは海沿いの道を進む。 時折バスの右手に、そして正面に海の景色が広がる。
そんな美しい風景を目にしながら、表面上は平静さを装い、しかし心の中ではその青年を虚仮にしつつ苛立ちを募らせる私って・・・  見たくない自分の姿を見せられて私は目を背けた・・・・・
自分の外にきれいなものを見つけようと、私は感動を探しながら車窓からの景色に目をやる…
もうすぐ日暮れだ…  宿に着いたら、すぐに夕日を見に行こう…

むつから1時間少々で下風呂のバス停に着いた。
バスから降りる際、私が降車ボタンを押そうと手を伸ばすと、これを見ていた彼がすかさず私よりも先にボタンを押してくれたのだが、私にしてみたら有り難くもなんともない…、最後まで疎ましいヤツだと罵ることしか出来なかった…。
そして、自分の他人に対する判断基準の冷酷さを自己嫌悪しながら、私は宿への道を急いだ。

下風呂港の夕焼け宿に着くと、私は Check In も済まさぬうちに女将さんに荷物を預け、「夕日を探しに行って来る!」と言い捨てて宿を飛び出した。
もう既に西に聳える山陰に太陽は沈んでしまっているけれど、海の方まで出れば…、 あの山の脇を北に抜ければ 夕日が見られるんじゃないか… と、 淡い期待を胸に走り出したが、どこまで走っても夕日は見られず、体力が尽きた時には青く染まった西の空に白い月が浮んでいた・・・・・・
下風呂から見た月
そんなものなんだ・・・・・・
いくら私が頑張ったところで、時間は決して待ってはくれない・・・・・ 
夜は、必ず訪れるものなのだから・・・・・・
港で一人佇みながら、また涙がこぼれ落ちた・・・・・・

ひぐらしの声を聞きながら、月明かりの道を宿へと戻る…。 
その途中で出合った花々に話しかけながら・・・・・・
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2009夏 一人旅・回想録 29 ( 恐山 → むつバスターミナル ) [Travel]

宇曽利湖に背を向けて地獄めぐりコースへとまっすぐに、そして足早に進む。
賭博地獄、金堀地獄、法華地獄、などなど、聞いたことのない地獄横丁の看板を、他人事として横目に通り過ぎる。
唯一、「恐ろし~ぃ!」と思った看板は、「マムシ注意」と書かれた看板だけ!
人の作った地獄なんて全然恐ろしいとは思えないけど、マムシと出会うことだけは勘弁願いますって感じ…。

地獄めぐりの後は五智山展望台に登ったが、面白くもなんともない…。
この後、霊場恐山の南の谷に、「林崎大明神参道」と書かれた看板がポツンと突っ立っていたので、面白そう!と、その真っ白な小石の山の急斜面を、女性らしからぬ格好でよじ登って行った。
山上には石仏などがあり、そこから恐山菩提寺を一望できるViewpointであったが、やっぱり面白味に欠けて早々に下山する。 人工物を眺めるより、この小山の上り下りの方がよっぽどスリルがあって楽しい!
あら?  私って、穏やかな安心を求めているのだろうか…  それとも冒険的な不安定さを求めているのだろうか…   どちらにしろ、今の自分を満足させることしか考えていないのは確かなようだ!

恐山菩提寺総門が退場してバス停へと向かう。 するとちょうどバスが来たのでさっそく乗り込もうとしたら運転手さんから、「まだしばらくは発車しないから遊んで来てください」と言われた。
私がNETよりプリントした時刻表を見せると、「あぁ、最近ダイヤ改正をしまして、今は一日4本のバスしかありません。 これが今日最後のバスです!」と言われた。
よかった・・・・・。  何はともあれ、この霊場恐山にて野宿をせずにすんだ。

バス車窓から見た宇曽利湖 

帰りのバスの車内では、恐山のイタコに伝わる『実話』と称した物語りのいくつかがテープで流されたが、どれもこれもまことにお粗末なお話しで、聞いているだけで疲れてしまった。
死んだ娘の魂が新しい着物を着てお礼参りに来ただとか…、この子は昨年死んだ誰々の生まれ変わりだとか…、 身近な人の“死”を、自分勝手に良く良く解釈したくなる気持ちもわからんでもないが、「全部、人の“死”じゃん!」って思いながら聞いていた。
すると、「それじゃ~、自分はどうなのよ?!」って自分に切り返されて、思わず一歩後ずさったが…、 「私こそ、 まったくわかっていない…、 まったく感じてなんかいない!」
そんな自身のグチャグチャした思いに入り込みそうになった時、 「次は、念仏車~、念仏車です。 お降りの方はボタンでお知らせください」 との車内アナウンスが入った。
「念仏車?」 そんな地名があるんだ~。  ‘私’という地名の中にもお念仏は届けられているけれど、私はそれを全然回していないな~ぁ… なんて思い、一言、‘南無阿弥陀仏’と小さな声で呟いた。

むつバスターミナルで一旦バスから下車し、予約しておいた今夜の宿へと向かうためのバスを待つ。
その間、約1時間。 まずはNETで今朝予約した飛行機のチケットが取れたかを確認する。
帰りも青春18きっぷで帰る予定だったが、のんびりとしていたら今生事の予定に間に合わない!
後生のことはチンプンカンプンで慌てる気持ちにはサッパリなれないが、今生事には飛びついたら最後、おろそかには出来ず大慌てである!
しかし、パソコンを膝の上に乗せて、カチャカチャっとキーボードを叩くだけでアッという間に翌日のAIRチケットが取れてしまうだなんて…、しかもディスカウトチケットが…、 全く便利な世の中になったものだ!

それから、霊場恐山では圏外で携帯電話すら使用できなかったので、この間に携帯Mailの送信とBlogの更新をしていたらアッという間に1時間が過ぎてしまった。 案の定、むつバスターミナルから5分も走るとパソコンからNETへのアクセスは出来なくなり、この1時間は、今回の旅の中で一番充実した1時間となった。 
さてさて、NETは無理だけど、今夜のお宿では携帯電話は繋がるのだろうか…?

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2009夏 一人旅・回想録 28 ( 霊場恐山 7 ) [Travel]

おかげさま・・・、 おかげさま ・・・ ?   なんだか だんだん 虚しくなってきた ・・・・・
‘南無阿弥陀仏’が、私の「思い」という針で刺されて、風船のようにしぼんでゆく感じ ・・・・・・
お念仏は呪文じゃないよ!  称えて救われるんじゃない!
私がその足で踏みつけている如来様の願いで称えさせてもらってるんだよ…
その願いこそが「救わせてくれよ!」の‘南無阿弥陀仏’なんだよ…

どんなに自分の心を奮い立たせようとしても、無理!! 
しょせんは、「知識」 VS 「思い」 の バトルにしかならない・・・・・
「そんなこともわかってる!」と、自分の声にすら苛立ち、耳を塞ぐ私・・・・・
何やってんだ、私は …    「全然ダメ!・・・・・・」 と 声に出して呟いた。

ここでセコンドがタイムを告げた。  
背後から観光客のおばちゃんがやってきて、「どっこいしょ!」と言いながら私の隣りに腰をおろした。
私は慌てて涙を拭いて、そ知らぬ顔を装うが、おばちゃんにとっては、私が泣いていようが笑っていようがお構いなしで、「あ~、暑いね~! 今日はこんなにいい天気になると思わんかったわ~、ね~ぇ!」と話しかけてきた。
私は、「そうですね…」 とだけ答えて後は無言を保ったが、おばちゃんは一方的に恐山についての自分なりの感想をしゃべり始め、私は、「あぁ、また世間の常識論だ…」と、おばちゃんの話には耳を傾けず、適当に相づちをうちながらそれを聞き流した。
そしてやっと話しが途切れたと思ったら、おばちゃんに、「あんた何やっとったの?」といきなり質問を振られ、それがあまりにも不意打ちだったので、「別に何も・・・」と思わず口ごもってしまった。
おばちゃんは、「ふ~ん」と言いながら今度は自分の家族のことについて語り始めた。
またいきなり質問をされても答えに詰まるとおもったので、今度は私の方からアレコレと質問をしながら、しばらくの間はおばちゃんの話し相手に専念した。
そして後方よりおばちゃんを呼ぶ家族の声に促され、おばちゃんが、「はい、はい、今行くよ!」と言いながら去っていた時には、ド~ッと疲れが滲み出た。
そのおかげか少し空腹を感じたのでバッグの中より缶コーヒーと携帯食のクッキーを取り出して、また一人、宇曽利湖を静かに見つめながら軽く Lunch time とした。

「この世は全て虚仮不実 ・・・   
唯、真実は、唯除五逆のこの私(我)と、この口から飛び出る‘南無阿弥陀仏’のみ ・・・」
そう言いながら、何も響かん、何の感動もせん私…
「後生は目の前に迫っているぞえ!  お前の後生は大丈夫かえ?!」
そう問われても、何も驚かん、何もわからん私しかない…
私にあるのは、‘南無阿弥陀仏’を疑う心だけじゃん・・・・・
それがどんなに罪深いことだと聞かされても、全然消えないんだもん! も~ぉ、いいかげんにしてよ!!
と、また振り出しに戻って来てしまう・・・・・・  疲れた・・・・・・

恐山 宇曽利山湖
私は重い腰を上げて、再び宇曽利湖の波打ち際へと向かって歩き出し、その湖水をそっと片手で掬った…  冷たかった…
きっと阿弥陀さまはその両手で私を救いとってくださっているのに、私はこの水よりも冷たく仏さまの手を凍らせているんだろうな~ぁ…、 そしてすぐに自らの業でこぼれ堕ちて行くんだ・・・・・

再び順路に戻って霊場恐山の観光を形だけでも満喫する。
「私は、阿弥陀さまにこんな所まで連れて来てもらわなければ何も気付けなかった…、 それを身をもって教えていただく為に、この地へと導かれて来たんだ…」 という思いと、
「何なんだ! こんな所まで来て、また仏法、仏法と、馬鹿じゃないか私は!」 という思いと…
二つの思いが「我こそ真実!」と心の中で喧嘩する。

「も~、お前たち(私の思い)に振り回されるのはたくさんよ!!」 と 私は足早にコースを回った。

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2009夏 一人旅・回想録 27 ( 霊場恐山 6 ) [Travel]

二人連れのライダーが去って一人きりになると、とても静かに感じた。
カラスの鳴き声と、鶯の声がする…  先ほどの法則で言えば、カラスは地獄の鳥で、鶯は極楽の鳥だわね…、なんて思いながら一人笑い。
風の音がする・・・・・  そのまま耳を澄ましていたら、何か言葉のように聞けそうな気がしたが、後方より一組のカップルがここの日陰を求めてやって来たため気が削がれてしまった。
この喫煙所の斜め横に‘浄土ヶ浜’と書かれた看板と賽銭箱が設置されていて、これを見て彼女が言った、 「ここ‘浄土ヶ浜’って言うんだ~ぁ、 ‘天国の湖’なんだね~」 って…。
一瞬、ズベッ… となったが…、ま~ぁ世間ではそれが一般常識なのだろう…。

彼らが立ち去った後、しばらくは誰も来なかった。 時刻は14時、今日はLaunchを食べ損ねた。
遠く、宇曽利湖の波打ち際を、先ほど賽の河原で一人佇んでいた男性が、ゆっくりと歩いて行くのが見えた。 そして、彼の姿が見えなくなると、本当に一人ぼっちになった。 

「なまんだぶつ…」 と、口にしてみる…。  「なんまんだ仏…、 南無阿弥陀仏…」

霊場恐山         今、私(我)がここにおる  
         南無阿弥陀仏もここにおる
         「ここ」と言うのは私(我)なり
         「私」と言うのはオレがの「我」
         上辺にあらず、 思案にあらず、

         私(我)があるから、如来様もここにおる
         私(我)がなければ、如来様の苦労もない
         私は我(ワタシ)、 我(ワタシ)は私
         だからこその‘南無阿弥陀仏’
         それが証拠に、口から飛び出す‘南無阿弥陀仏’

こんな言葉がノートに記入されていた。 自分で書いたはずなんだけど、あまり覚えていない。
ただ、お念仏と共に、また涙が溢れてきて・・・・・  しばらくの間、泣いていた事だけ覚えている。

「私は、何故ここに来たのだろう・・・・・」  また同じ疑問が頭の中で繰り返される…。

恐山 宇曽利   誰かが私を地獄へと突き堕とすんじゃない…。 
   誰かが造った地獄へ堕ちて行くわけでもない…。
   私が自分で選んだ道が地獄行き。 
   私が自分で造った世界が私の行き先。

私は、自分に会いに来たんだ・・・・・
こんな遠くまで来なければわからなかった・・・・・
なぜ 恐山なのか…、 
なぜ 私は一人ここにいるのか…、  なぜ 今、この瞬間があるのか…、
メモする手が止まった・・・・・・  でも、溢れ出てくるものは止まらない・・・・・・

私は、私でしかないんだ・・・・・・
こんな私に、いつも寄り添って一緒にいてくださる…、 
‘南無阿弥陀仏’となって一緒にいてくださる…
泣きながら笑えた…   大泣きしながら、ぐしゃぐしゃに笑えた…

私、人間に生まれたんだ…
私、今、生きている…  おかげさまの命が、ここにある・・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 26 ( 霊場恐山 5 ) [Travel]

先ほどの恐怖感は、いったい何だったのだろう・・・・・
開かれた見通しの良い場所まで来て、また、他の人の姿を見つけただけで、得体の知れない化け物から逃げ延びたという安堵感に変わってゆく心…。
しかし、気持ちが落ち着いてくると今度はこの場所にも飽きてきて、心の中で拠り所とした人たちさえも疎ましく思う心が沸き立つ…、身勝手極まりのない私・・・・・・

宇曽利山湖 と 極楽ヶ浜

八角円堂の前を通って、無色透明な血の池地獄を横目に、宇曽利湖(うそりこ)畔の賽の河原へと出た。
賽の河原には、積み石… と言うよりも、ただ小石が無造作に寄り集まっているだけの石の小山のようなものが数えられる程度あるだけで、何のことはないただの砂浜だ。
しかし、この山中にあってこの白砂の浜という風景は、他所ではなかなかお目にかかれるものではないだろう。 それに、宇曽利湖の水の透明度はすこぶる良い。
多分ここを訪れた人たちは、賽の河原よりも、まず宇曽利湖の美しさに心奪われ、「これはこの世のことならず、死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語 ・・・」なんていう悲話に心を寄せる人などほとんどいないであろう…。
案の定、後方よりやってきたバスツアーの客の誰一人としてこちらに目を向ける者などいない…、
誰もが一直線に美しい極楽ヶ浜の方へと楽しそうに駆け寄って行く…。

しかし、たった一人だけ賽の河原にて宇曽利湖の水面を見つめながら佇んでいる人があった。
先ほど奥の院不動明王の前ですれ違った一人旅の男性である。
最初に彼とすれ違った奥の院では、「こんにちは!」と挨拶を交わし、次に会った八角堂の前では、「暑いですね~!」と一言だけ交わしたが、今の彼は、とても声をかけれるような雰囲気ではなかった。
その横顔は、とても大きな悲しみに耐えているかのように見えた…。

宇曽利湖の波打ち際に座り込んで湖中の湧き水をしばらく間ジーッと眺めながら、腑に落ちなかった疑問の答えを見つけたように思った。
なぜ、火山岩がゴロゴロしてガスの湧き上がる場所を地獄といい、この湖や白浜を極楽と名づくのか…、
要は、醜く、オドオドしく、苦しく、辛いものは、全て‘地獄’と呼称し、美しく、ホッと出来て、楽しく、ラクチンなものは、全て‘極楽’と呼称される。  な~んだ、単~純!  
で…、馬っ鹿みたい!!
私は立ち上がって極楽ヶ浜の方へとゆっくり歩き出した。

先ほどとは別の団体客がやって来て、また自分勝手に騒いでいる。
ここは人々が口をそろえて言っているような、「この世とあの世の境目で死者の想いが充満していて…、且つ、亡き人ととの語らいの場…」だなんて、私は微塵も感じない・・・・・
ここにあるのは美しき地球の自然と、この世の人々の嘘と穢き欲の思い・・・ それだけである・・・・・・

それにしても日差しがキツイ…  日陰になる場所も、ベンチもない…  既に腕や胸元は日焼けで赤くなり熱を帯びている。  天気予報では今日の天気は曇りだと言っていたのに…、晴れ女の頭上には燦々と夏の太陽が輝いている…。
見渡すと極楽ヶ浜の中ほどに一箇所だけ小さな屋根を見つけたのでそちらへ引き寄せられるように歩いて行くと、そこは唯一の喫煙場所であった。
吸殻入れから放たれる悪臭よりも、とにかく日陰に入りたかったし、既に2時間近くふらふらと歩き続けていたので涼める場所で座りたかった。
極楽ヶ浜より見た宇曽利山湖先客はバイクで旅する二人連れの男性のみ。 遠慮なく隣りに座らせてもらった。
でも、ただボ~ッとしているのも居心地が悪かったので再びノートにむかってアレコレと記入をしていると若い方の男性が、「俳句とか作ってるんですか?」と声をかけてきたので、「いえ、日記みたいなものをメモしてだけです」と答える。
するともう一人の男性が、「湖を見てくる…」と言い残し、一人、宇曽利湖の方へと歩いて行った。
二人きりになったけど、全然会話は弾まない…。 それでもお互い気まずくなることなく、ただボ~ッと出来たのは、多分、それだけこの風景が心安らかな感覚をもたらしてくれたからだろう。

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2009夏 一人旅・回想録 25 ( 霊場恐山 4 ) [Travel]

霊場恐山には、私レベルの奇妙な光景をいくつか目にした。

恐山の結び草[三日月]一つは、積み石。 
どうして石をきれいに積み上げることが、水子や幼子の浄土往生の手立てになるのだろう…? と、とてもひっかかった・・・
[三日月]一つは、結い草。
霊場に生えている草が二方から堅結びにしてあるのだが、これは、積み岩の塔を崩し子供を苛めに来る鬼の足を引っ掛けて転ばすためなのだとか…。
しかし、こんな悪戯にひっかかってスッ転ぶ鬼ならば、可愛いんちゃうの?とさえ思ってしまう・・・
[三日月]一つは、記名された小石
霊場の随所に、直系10cmほどの小石や同等の大きさの小さな地蔵が無造作に山積みにされているのだが、これに個人名と日付の記されているものがいくつかあった。
中にはダイレクトに願い事などを書いてあるものもあるが…、さてはて、いったい何のため?
恐山 賽銭[三日月]一つは、お賽銭。
とにかく、賽銭箱の数は半端なく多い。 犬も歩けば賽銭箱に当たる!と言えるほど多い。
それとは別に霊場には、地獄名の付けられた岩や、火山性ガス(亜硫酸ガス)の小さな噴出口が所々にあるのだが、必ずと言っていいほど賽銭箱とは別の場所に小銭が捧げられてある。
先ほどの話しじゃないが、「どうぞ、地獄とご縁で結ばれますよ~に!」ってつもりではないだろうに…、なぜお賽銭をあげるのか…、私には理解できない。
[三日月]一つは、カラス。
カラスがいるから不気味というわけではないが…、
カラスと言えば食料豊富な都会の鳥だと思っていたのだが、ここ霊場には、観光客の数よりもカラスの数の方がはるかに多い。 
いくらカラスが雑食だといっても、亜硫酸ガスの立ちこめるこんな何にもなさそうな場所に、これだけの群れが生息しているというのは奇妙な気がした。

[満月]しかし、何よりも奇妙だったのは、私自身かもしれない・・・・・・

慈覚大師堂の脇を抜けて、大平和観音像のある高台から慈覚大師坐禅石の方へと下りて行く。
その私の後ろを何かがついて来る・・・・・・
私の背後に…、 私の後方足元に…、 誰か、何かはわらないがついて来る・・・・・・
私の背後で小路の石が転げ落ちる音がしてフッと振り返るが、そこには誰もいない…。
得体の知れない何かが私をつけまわす。
私の背後で草の茂みをかき分けるような音がしてフッと振り返るが、やはり誰もいない…。 
しかし、確かに何かが私の背後でうごめいている。
正体のわからないものに対する恐怖。 
一人っきりでいることに対する恐怖。
畏怖する気持ちを紛らわそうとしても、私の耳も感覚も、背後の何かを捉えて放そうとしない。
恐い、 恐い、 恐い !
思わず人を探す。 誰でもいいから正体の知れたイキモノの存在を探す。
そして前方に一組の観光客の姿を見つけて私は駆け出した。

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2009夏 一人旅・回想録 24 ( 霊場恐山 3 ) [Travel]

丘から下りて順路通りに岩石だらけの小路をポチポチと歩いて行く。
そして、大王石、無間地獄、みたま石、などと名称を付けられた岩に対して一々愚痴をこぼしながら、また、所々で地中より吹き上げる火山ガスを興味深く観察をしつつ、「ここのどこが地獄の風景と言えるのか・・・」と、思わず声に出して言った後、大きなため息をついた。

音といえばカラスの鳴く声と、耳を澄ませば火山ガスによって吹き上がる蒸気の音がかすかに聞こえるだけで、後は観光客らの話し声がやたらと耳に入ってくる。

 「 カラスがいるってことは、やっぱりここは不吉な場所なのよ! 」
 「 ここに来て、やっとおばあちゃんと会えた気がする、 あぁ、来てよかった・・・ 」
 「 写真なんか撮っちゃダメよ! 心霊写真になっちゃうから! 」
 「 なんだか気分が悪い…、悪霊にまとわり憑かれている感じ・・・ 」
 「 ここの石を持ち帰ると祟られるそうから、触るのもやめとこッ! 」
 「 ホントに地獄の風景みたいだわね~、クワバラ クワバラ・・・ 」
 「 きっとあの子(私)も、死んだ両親とか恋人とかに会いに来たんじゃない?! 」

これが、極々普通の世間の認識なのだろう・・・  何の矛盾も持つ必要のない当たり前の会話なのだろう・・・  
そんな世間の常識に…、 そんな世間一般の人々のお話しに…、 私は何をこんなにイラついて、何にこんなにも腹を立てているのだろうか・・・・・  わからないけどすごくムカムカする・・・・・

お天気は快晴! 岩の白さと、山の緑と、湖の青と ・・・  恐山はとても美しい所である。
この地に対して、恐ろしさなど微塵も感じられない。
だって、私の方がよっっっぽど恐ろしいよ~・・・  他者を嘲り、他者に苛立ち、他者を謗って、他者を疎う・・・・・
そんな自分の思いを抑えきれない・・・! そんな自分の心を誤魔化しきれない・・・!
「わたしは・・・・・  
わたしは、こんな心を持ったまま、死んで行かなくっちゃいけないの・・・?
イヤだ、 死にたくない!  わたし、死にたくない!!」
そう思ったら息が苦しくなってきて…  私は、自分の胸元を鷲づかみに押さえながらいつの間にかその場に跪きしゃがみこんでいた・・・。

一人ぼっちだと思った・・・・・
私は、しゃがみこんだまま、一人 泣いた・・・・・・
日の光を遮るものの何もない山の上で、私は一人ぼっちで・・・
悲しいのか…、恐いのか…、悔しいのか…、怒っているか…、 何もわからないまま、ただ泣いた・・・・・・

以前 Yuさんが、「死んだ者より、生きている者の方がよっぽど恐ろしい。 自分というヤツが一番恐ろしい…」 と おっしゃったことを思い出した。
「イ・チ・バ・ン、 オ・ソ・ロ・シ・イ・ノ・ハ、 コ・ノ、 ワ・タ・シ ・・・・・」
私は、それを認めたくないんだ・・・・・   でも、私は知っちゃったんだ・・・・・・
私がこれを、認めなくとも…、受け入れなくても…、その事実は存在するんだ・・・・・・

そして、それを教えてくれたのは誰?! 
世間を馬鹿に出来るだけの知恵も、こんな浅はかで愚痴な自分というものを見ることの出来る目も、惨めで孤独な私というものを拒否する心を感じることが出来たのも、誰のおかげなの?!

自問する心には何も答えぬまま、私は、汗とも涙ともわからないグチャグチャになった顔をハンカチで覆って立ち上がり、また一人歩き出した。
霊場恐山の地蔵とカラス

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2009夏 一人旅・回想録 23 ( 霊場恐山 2 ) [Travel]

恐山菩提寺の総門をくぐって境内に入る。 参拝客は数人しかいない…  思っていたよりも静かだ。
永代常夜灯が両脇に立ち並ぶ参道を、一歩一歩ゆっくりと進んでいく。
山門近くまで来ると、その手前両脇の小石を積み上げた小さな山の上に地蔵尊が穏やかな表情でたたずんでおられ、その小山には何本もの風車が色鮮やかな花のように供えられていた。
山門は比較的新しく、見渡せば寺務所などの建物もあまり古さを感じさせない。
その山門をくぐると右手には薬師の湯、左手には小滝の湯と冷抜の湯があり、中を覗くと白濁色の湯が湯船いっぱいに湛えられていたが、誰も入浴はしていなかった。
さすがに観光客の行き交う見学コースで入浴する… というのは勇気がいるけど、ホントは入りたかったんだけどね・・・
参道の一番奥にはご本尊の羅陀山地蔵菩薩が安置されている地蔵殿があり、ここも改修されたばかりとみえ新しくきれな建物であった。

この時、騒がしく走り寄って来た小学生の兄弟が境内の石を投げ合ったりしてとても迷惑だったので注意をしようとしたところ、彼らの祖父らしき人が駆け寄ってきてその少年らに対して酷い言葉で叱り飛ばした。
兄弟は祖父に叱られ内心はショゲているのだろが、表面上は負け惜しみの皮を被りその威勢は止まらず、これに輪をかけて祖父の怒りは浸透し、聞くに堪えがたい言葉でその兄弟に罵声を浴びせた。
一方、兄弟の父親は何も言わず一人離れて遠目に見ているだけで、祖母と母親も少年らのことは感知しておらず二人で世間話などをしている。
その祖母が、「お賽銭は5円と相場が決まっているのよ!」と言いながら財布の中身をさばくっていると、祖父に叱られた弟の方が祖母の元へとやって来て、「どうして5円なの?」と尋ねた。
すると祖母は、「神様と幸せなご縁(5円)で結ばれますように!っていう意味よ!」と得意気に答えた。
思わずズッコケタが、私も子供時分、祖父母から似たようなことを教えてもらったことを思い出し苦笑いを噛み潰す。

その騒がしい家族の登場によってすっかり恐山気分を削がれてしまった。 それどころか世の中に対しての怒り心まで噴出し、私は無意味に腹を立てていた。
彼らが立ち去るまでのしばしの間、私は自分に湧いた怒りの心を抑えることに専念しながら、いったい私はなぜこんなにも苛立っているのだろうか…、何に対して腹を立てているのだろうか…、 と 考えてみた。
あの悪ガキ兄弟に対して…、口の悪い祖父に対して…、子供に責任を持てない両親に対して…、無知な祖母に対して… そして世間のいいかげんな常識に対して? 等々…。
考えるまでもなく、私は全部世間が悪いと思っている・・・、 自分以外の他人が悪いと思っている・・・ 
そして自分には、知識があって…、正義感があって…、モラルもあって… と、極甘の自惚れしかない・・・
そう気付くと、今度はそんな自分自身に対して怒りの心が湧き上がり、しかも、私の腹を立たせた全てのモノが悪いんだと言い切っている心は少しも衰えを見せずに、ゴチォ混ぜの怒りで私は赤面した。

あ~ぁ・・・ すっかり気分が壊れてしまった… と、本殿はそのまま素通りして順路通りに左手奥へと伸びる道を上がって行った。
その先には、 殺伐とした…、 荒涼とした…、 と 言うよりも、殺風景ながらも、どこか存在感のある岩場の風景が広がっていた。
まずは例のファミリーとの距離を広げるために、彼らとは別のルートをとって右手の山へと向かって伸びる歩道を登っていく。
そこは奥の院不動明王へと続く参道で、その小高い丘を少し上がった所で来た道を振り返ってみると裏山から見た霊場恐山を一望できて、その風景に少しずつ恐山気分(?)が戻ってきた。

恐山奥の院はその道をもう少し森の中へと上がって行った所にあって、 ・・・・・ でもね、小さな不動明王の石像があるだけで、ゴミだらけのガックリとするような場所であった。
その時、背後に人の気配がしたので振り返って見ると一人旅の男性が登ってくる姿が見えたので私は早々にこの場を後にして山を下り、その途中の景観の良い場所で再び立ち止まって遠く全景を見渡した。
霊場恐山 不動明王の丘より

何もない・・・・・・  目の前に広がる風景に、私は何の意味も見出せなかった…。
ただ、今ここにある自分と言う存在を見つめた時、・・・・・・  このままでは私の存在理由も意味を成さずに終わってしまう… と思った…。
私の存在理由って何・・・・・・・?  何なの?! 

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2009夏 一人旅・回想録 22 ( 霊場恐山 1 ) [Travel]

バスの窓を開け、生い茂った青森ヒバの原始林の中を吹き抜けてきた恐山の風を頬いっぱいに浴びながら霊場恐山へと向かう。
車内では再び民謡が流され、私はそれを空耳のように聞きながら・・・、 
そのメロディーのせいだろうか…? 歌詞もわからないままに、なんだか悲しくなってきた…。

民謡の後は再び観光案内が始まって、それは恐山の随所に見られる‘積み石’にまつわる物語であった。
親よりも先にあの世へ逝った幼子が、その罪を償うために‘賽(さい)の河原’と呼ばれるあの世とこの世の境界で、父や母に詫ながら救いを求めて石を積んでいくのだが、しかし毎夜毎夜地獄の鬼が現われて、無残にもそれを崩し壊されてしまう。
その積み石の塔を崩され苛められて嘆き悲しむ幼子に、地蔵菩薩が救いの手を差し伸べるというお話であった。
そしてこの地を訪れた父母は、我が子の責め苦を少しでも軽くしてやろうと丁寧に石を積み上げていくのだとか…。

これは『地蔵和讃』を元にした仏教とは全く無関係な物語であるが、多くの人がこれを信仰している。
「 これはこの世の事ならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなる
 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬ幼児が 賽の河原に集まりて 父恋 母恋 恋し恋しと泣く声は
 この世の声と事変わり 悲しさ骨身に達すなり かのみどり児の所作として 河原の石を取り集め  
 一重(ひとつ)積んでは父のため 二重(ふたつ)積んでは母のため  
 三重積んでは故里の兄弟我が身と廻向(えこう)して
 昼は一人で遊べども 日も入あいのその頃に 地獄の鬼が現れ やれ汝ら何をする」

バスは、鬱蒼としたヒバの原始林の中からいきなり飛び出したかのように一転して日差しを遮るもののない湖畔沿いの道へと出た。
目の前には青い夏の空と、碧く澄み切った宇曽利湖(うそりこ)、その奥には外輪山の山並みが見渡せる。
そして左手前方に見えてきたのが正津川、通称・三途の川にかかる太鼓橋で、その朱色が風景にアクセントをもたらして良い感じ! だけどこの橋、悪人には針の山に見えて渡れないのだとか…。
良かった♪ 私には針の山じゃなく、美しいお浄土への入口にかかった橋に見えるわ!(;^-^)ゞ

とうとう着いた・・・・・   恐山まで来てしまった・・・・・

バスを降りてまっすぐに入口へと向かう。
まずは入山料(¥500)を支払って、受付所にてスーツケースを特別に預かってもらう。
そして総門の前に立ち止まり空を仰いだ。
日差しがキツイ・・・・・    それ以外のことは何も思わなかった。

恐山菩提寺恐山菩提寺の本坊はむつ市にある円通寺で曹洞宗のお寺である。 本尊は延命地蔵菩薩。
開山は約1200年前の862年に、天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられ、円仁が中国での修行中に見た夢のお告げによって導かれこの地に辿り着いたのだとか…。
当時は天台宗の修験道場として栄えたものの、1457年には廃寺となり、1530年に再興されている。
恐山が霊場として全国に知られるようになったのは戦後のことで、当時のマスコミが「死霊の山」といったイメージで宣伝したことによって注目を集めるようになったわけだが、元々は、下北地方に昔から伝わる大漁、五穀豊穣、無病息災といった現世利益を願う「地蔵講」という習わしによって地元民の地蔵信仰の対象となった寺にすぎない。

しかし・・・・・、  なぜ私は恐山まで来たのだろう・・・・・・?

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2009夏 一人旅・回想録 21 ( 恐山 へ ) [Travel]

下北駅で列車を降りて、ここからはバスで恐山へと向かう。
乗客は10名ほどで、このうち恐山へと向かった観光客は半数ほど。 その中に一組、父娘のペアーがいた。
中学生位にも見えるが、父親が持つ娘の赤いポーチから推測するに小学校高学年といったところか。
なんだか羨ましい…。 父親がアレコレとスケジュールの段取りをしたり、娘の感情にまで気を使いながら手を尽くしているその姿を見て、微笑ましいというより、羨ましいな~と思った。
当の娘は父親のそんな気遣いに気付きもせず、楽しそうに笑ったり、時には我儘を言ってみたり…、 
でも、世間ではそれが普通なのだろうな~ぁ。
御法話の中でも、「子供が親に気を使ったり、遠慮したりはしないでしょ?!」と言われることがあるけれど、私はそこの所でいつも耳を塞いでしまう。
記憶の中の私は、いつも親に 気を使って、 遠慮して、 父は私にどんな言葉を期待しているのだろう…、母が喜ぶにはどんな私でいたらいいのだろう…、迷惑をかけないように…、期待を裏切らないように…、相手の心を読むことだけに神経を集中させていたように思う。
そして、そんな張り詰めた神経を癒してくれるのは自分だけで…、私は他の誰と一緒にいるよりも一人きりでいることの方が好きだった。
もっともこれは子供時代の話で、今は、・・・・・・・・・・  
今は、わからない…、  私は何を望んでいるのだろう…

恐山行きのバスの車内では自動アナウンスによる下北半島の観光案内が始まった。
下北半島は、東に太平洋、西には日本海、南には陸奥湾、そして北には津軽海峡と四つの海にに囲まれた本州最北の地であり、その中心となるのが釜臥山(かまふせやま/標高879m)を最高峰とする恐山山地である。
私もこちらに来てはじめて知ったことだが、「恐山」という名称の山が存在しているのではなく、「恐山」とは、宇曽利湖(うそりこ)を中心とした 釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰の外輪山からなる総称なのだそうだ。
私が目指しているのは恐山菩提寺のある いわゆる霊場恐山であり、高野山、比叡山と並んで日本三大霊場の一つとされている地である。

恐山は、アイヌ語で宇曾利山(うそりやま)とも称され、「ウソリ」とは「湾・入江」の意味をもつとのこと。
「人は死なば、お山さ行ぐだ…」と、下北では、「死ぬ = 山(恐山)へ帰る」と信じられており、現在でも地蔵信仰を背景に死者への供養を目的として東北各地から参拝客が訪れるそうだ…。

バスは、小さなむつの町を後に、青森ヒバの茂った山道をゆっくりと登って行く。
車中では下北、恐山の観光ガイドに続いて、その昔、恐山へ参拝する為に歩いて登った人々がその道中で歌ったとされる民謡が流れている。
現在では、こうしてバスに乗って楽々と行くことができるが、昭和初期までは道なき道を行かねばならない修行にも似た道中だったのだとか…。
車道の際に目をやると 「丁塚」と呼ばれる石柱が点在しているが、これは恐山の一千年祭 (1857~1862年)の時、参拝者の道しるべとして信者によって建立されたもので、田名部から恐山総門まで(約14km)の間に一丁間隔毎に計124基あるそうだ。

そしてバスは街道途中の‘冷水(ひやみず)’というバス停で停車した。

恐山 冷水ここは恐山の湧き水の水呑場となっていて観光名所の一つなのだとか…。 
その案内が可笑しかった。
「この‘冷水’を1杯飲めば10年長生きが出来、2杯飲めば20年長生き出来て、そして3杯飲むと・・・・・
死ぬまで長生きが出来る!」 とのことで…  これを聞いて私は、思わず声を上げて笑ってしまった。
バスの運転士さんより「下車して飲んで来てもいいよ」と言われ、私はいの一番にバスを降りて‘冷水’をいただいた。
手にすくって 一杯、 二杯、 そして 三杯飲んで、「これで私も死ぬまで長生きできるぞ!!」
しかし、四杯、五杯・・・と飲んだ場合は、いったいどんな御利益が…???

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2009夏 一人旅・回想録 20 ( 八戸駅 → 下北駅 ) [Travel]

家出四日目。 今朝も4時半に目が覚めてしまう。 
毎日睡眠時間は短いものの、途中で目覚めることもなく、薬がなくてもグッスリと眠ることが出来ている。

今日…、 いよいよ今回の旅の目的地である恐山へと向かう。
なぜ恐山なのか・・・、  自分でもわからない・・・・・。 
ただ、みんなが心配してくれているようなことは考えていない。 
だって私は、“生”からも“死”からも見放され拒絶されて、何にもわからないままにただ流されているだけ・・・
自分の居場所がどこにも見つけられなくて…、 自分が存在している意味もわからない…、 ましてや自分がどうしたいのかさえもわからないまま、こんな所まで来てしまった…。

だけど、たった一つだけ変わったことがある。 それは、「帰ろう」という気持ちが湧いてきたこと。
今朝いただいた一通のMailに、私は、私の居場所を見つけた。

HOTELで朝食を済ませて、やはりいつものように少し早めに宿を発ち駅へと向かう。
天気は快晴で、早朝から肌を突き刺すような夏の日差しが痛い。
今日も鈍行列車でのんびりと目的地まで向かうが、青春18きっぷは利用せずに乗車券を購入しホームへ。
通勤ラッシュの時間帯を過ぎているからかな? 八戸駅の朝は思ったよりも静かだ。乗車予定の列車は八戸駅始発であるため出発の30分も前から乗車できたので、私はいつものように車内で新聞を広げて一通り目を通す。

今、気持ちがとても穏やかな感じ…。 
よくよく考えてみたら、私はいつも自分で自分を追い込みながら崖っぷちを息を切らして走っていたような気がする。 でも、そ~ゆ~の、嫌いじゃないんだよね…。
ギリギリの所で頑張っている自分っていうのを、自分で演出して、自分で絶賛して…、単なる一人遊びだね…。
だけど時折、自然の中に溶け込んだ時にだけ、そんな危なっかしい一人遊びを忘れて、身も心も為るがままに委ねたくなることがある。
そんな感覚とは違うけど、今は、初春に鶯の第一声を聞いた時のような穏やかさが心に澄み渡る。
ずっと、ずっと、こんな気持ちが続いてくれたらいいのに・・・・・
そう思った瞬間に、心の中には春一番が吹き荒れる…。 続くわけがないじゃん!私の心の春夏秋冬は、常に秒速の変化をし続ける・・・・・

そんな時、「今日の私も仏法チャンネルにセットされているんだろうか…」とフッと思い自分の頭の中を覗いてみたが、何処をどう探しても仏法のブの字も見つからない…。 自分一色だ。
でも、フッとした一瞬にヤツはやって来て、私の頭をかき乱すからな~ぁ・・・
「あっ!!」 ハッとした…
と言うことはつまり、私の中から御法が出てくる訳ではないのだ…。
そ~か、そ~か、私には 「仏」も 「法」も ないんだ!  そ~なんだ、そ~なんだ!
でも、何でそれが嬉しいのだろう? はて…? 私は何が嬉しいのだろう…?

八戸駅から野辺地駅までは、のどかな農村地帯の風景が続く。
野辺地駅で途中下車をして大湊線に乗り換え下北駅へと向かう列車は、陸奥湾の東側を南から北に向かって一直線に上がって行き、ちょうど下北半島を斧の形として捉えた場合、柄の内側部分にあたる海岸線近くを走行する景観のよい路線である。

大湊線野辺地駅を出てしばらくすると陸奥湾越しに、うっすらとではあるが釜臥山のシルエットが浮んで見える。
あの山の向こう側に、私の目指す地があるんだと思うと、少し背筋の伸びる思いがした。

車窓からの風景は、暴風雪林の雑木林と、その木々の間から時折覗く青い海。
快晴の夏日の海風は、私が知っている不快なものとは違って、北の地ならではの清々しいものである。
なんだか、本当に知らない土地に来たんだ~ という感慨が深まって来て、私は家出四日目にしてようやく旅行者になった気がした。

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‘孤独’ と ‘死’ の 虚実 [心]

久しぶりにお会いしたOGさんと夜遅くまでたくさんお話しをした。
話した… と言うよりも、お話しを聞かせていただいたと言った方のが妥当かな?!
くすぐられたり、突っつかれたり、時にはグサッと刺されたり、(^.^ゞ  数々の大切なお話しも、私にとって都合のいいことしか覚えていないけど…、貴重なお時間をいただいたことに感謝!

そして帰り際、駅の改札口へと向かう途中で行き交う人の波をぼんやりと眺めながら 私がポツリと、「みんな楽しそうに見えるね…。 世間の人たちは、皆それぞれに苦労を背負ってはいても、幸せそうに見えるのは何故だろう…」と呟いた。
別に答えを求めたわけではないけれど、OGさんは一呼吸おいてから、「そうだね…、 きっと皆幸せなんだよ…」とおっしゃった…。
私も、そ~なんだ・・・・・
私って、 自分は幸せ! 恵まれてる! 愛されてる! って…、 いつも いっつも、そう自己暗示をかけて自分の心を誤魔化しながら生きてるんだよね・・・・・
私は…、 ‘孤独’という現実を認めたくなくて、目を背けてるんだ・・・・・

この30分ほど前のことだった…、
笑顔をこぼしながら淡々とお話しをされていたOGさんが急に言葉を詰まらせて、「自分の心は誤魔化せない… 自分には嘘が付けないんだ…」と、大粒の涙を流された…。
この時私はすごく自惚れた心で、OGが 今 目にしている辛い現実を包み隠してあげられないか…って思った。 
どうしてそんなもの見ちゃうの? 見なければいいのに!! 認めなきゃいいのよ!! って、 そう思いながらも、そんなOGさんを見て少し羨ましく思う私もいた。
自分に正直になるって、すごくツライことだと思う…。
でも、自分に嘘をつきながら生きているのも結構キツイ…。
自分で自分を誤魔化していることに気がついていない時は、それはそれで、それなりに幸せだった…。
でも・・・・・ 認めたくない自分、 受け入れ難い現実、 そんなものを突きつけられて、これらから逃げ続けているというのも楽なことじゃない…。
 
世間も、私も、虚仮不実。
そんなこと知らなきゃ幸せでいられたのに…、 皆と一緒に泣き笑い出来たのに…  って・・・
嬉しい時も、悲しい時も、そんな思いがいつまでたっても抜けやしない・・・。 
「それじゃ~私は不幸なの?」 と、そんな自問自答には、「私は幸せよ! いつだって幸せだわ!」って胸を張って答えるのだが、その胸の奥に不気味に蠢いているものは、日々成長を続けるばかり・・・。
これを認めちゃったとたんに、気分は Low mode に突入して、泣きたい気持ちと、苛立ちが頭をもたげた。

その上、OGさんも Yuさんも、「早くこの世との縁を切りたいね~」みたいな事を言うものだから、「私も~ぉ♪」 な~んて 明るく同意したものの、「ホントに死んじゃいたい…」って、また死にたがり病が再発しちゃってますます気分は滅入るばかり・・・

「‘この私が死ぬ’っていう、本当のところの自死と向き合ったならば、わたしは生きてはいられないだろう…」 と OGさんはおっしゃった。
フッと思った・・・  「歳をとる」って、 仏さまが、遠まわし 遠まわしに、「この私は死んで行かなくっちゃいけないんだよ」って、 私が傷つかないように、私がショックを受けないように、ゆっくり ゆっくりと、 いつ訪れるとも知れぬ無常の風を教えてくださっている ってことなのかな~ って・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 19 ( 三日目の終りに… ) [Travel]

八戸駅に到着。 今朝、松島駅を出発してから約10時間… さすがに疲れた・・・・・
八戸の夕日
でも、八戸で見た夕日は、疲れた心を癒し、迫り来る夜闇を忘れさせてくれるほど美しかった…
八戸駅で下車した後、駅に併設された観光案内所に立ち寄って青森のガイドをいくつかもらってからHOTELへと向かった。

Check In を済ませて部屋へ入り、すぐにPCを開く。  どうしても言いたいことがあった・・・・・
自分の気持ち…、 自分の本当の気持ちさえもわからなくなっていたここ数日間…、
今だって、何が本当で、何が嘘なのか…、自分のことなのに全然わかっていない・・・・・
だけど、どうしても伝えたいことがあって、今、そのままの気持ちをしたためてMailを送る。

過去の自分の思いに居座るのではなく、過去の自分の思いと向き合った時、チョットだけ客観的に自分を見ることができた。
それは、今現在の私の勝手な思い込みかもしれないけど、あの時、何で私はあんなことを言ってしまったんだろう…、 あの時、私はいったい何に依存していたのだろう…、 そんなことを、少し時間をかけて冷静に見つめた時、その時には見えなかったものが見えてきたような気がした。

私は…、自分が全然見えていない・・・・・  これを…、認めたくない私がいるという事実・・・・・
図星! 御名答! 人から言われて傷つくのは、私の大嫌いな私の核心を指摘されるからなんだろうね…
やっぱり傷つきたくない・・・・・   自分だけは… 傷つきたくない・・・・・
だから、いつも、自分を守ることに躍起になっている・・・・・

私は…、自分を生きていなかった・・・・・  今…、それを…、認めざるを得ない・・・・・  
だって、過去の自分を振り返った時に、私はいつも相手の心ばかりを詮索していて、自分はどうしたいのか…、自分は何を思ったのかなどは二の次で…、自分というものがいつもお留守になっていた・・・・・
だからかな…? 一人になった時は、極端に自分の世界に入り込んで、今度は周りが何も見えなくなってしまう・・・・・

物心ついた時からず~っとそうやって生きて来たから、今さら変えることなんて出来ないかもしれないけど、ただ、「そんなんでいいの?」って、自分に問いかけられた…。

私は何を言いたいんだろう…、 私は何を求めているんだろう…、 こんなこと自己分析してどうなるんだろう…、 私…、無駄なことしてる…? 
ただ、明日どうなるかわからない自分だから、これだけは伝えたい…
そんな思いが、今日一日、随所で現れた・・・・・

ウニラーメンこの後、少し遅くなってしまったが夕食に出かけた。
歩き回る元気もなかったので、HOTELの近くにあった郷土料理居酒屋に入ってお勧めのウニラーメンをいただいた。 
今日は炭水化物ばかりの食事だし…、御法的な呪いのかかった一日だったし…、心身ともに不健康な感じだ!

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2009夏 一人旅・回想録 18 ( 久慈駅 → 八戸駅 ) [Travel]

北リアス線 下りの終着駅 久慈に着いた。
久慈駅は、想像していたよりも広さはあったが、利用客は閑散としていて…、 天候や時刻の影響だろうか…、それとも私の心の問題なのだろうか…、少し暗い感じのする駅であった。
今日6回目の乗り継ぎとなる久慈駅でJR線に再び乗り換え、今日の最終目的地である八戸へと向かう。
時刻は17時少し前。 久慈駅から八戸駅までは二時間弱の列車旅となる。
列車内は学生が大半で、でもそんなに多くはないので余裕で座ることができた。

ここ東北の学生諸君はとても元気だ! どの列車で出遭っても、本当に楽しそうに賑わっている。
ただ、周囲の迷惑は一切考えていないので、正直、眉間にシワの因ることも多々あるが…、 自分もそうやって大人になってきたのだろうな~ぁ…、 そして今も、周りの迷惑を顧みずに生きているのだろうな~ぁ…、 なんて、ババクサイ感傷に浸る…
しかし…、これだけ一日中移動をし続けているのに、まだ岩手県を脱出することが出来ずにいるというのは、気持ち的に少し疲れる…。 東北の一県は、ホントにデカイな~ぁ。

JR八戸線の列車にはエアコンが付いていない。 座席近くにあるボタンを押すことで、天井に取り付けられたクラシカルな扇風機が回り始めるが、私は外の空気を求めて列車の窓を押し開けた。
こちらに来てから窓を開けることのできる列車と出合って小さく感動している私・・・
遠慮気に僅かに開けた車窓のその隙間から吹き込む風は、夏のものとは思えないほどひんやりとしていたが、その冷たさが今の私には心地よかった。

八戸線の列車の速度はすごくのんびりとしている。 それに各駅での停車時間もやたらに長い。
慌てず、急がず、のんびりと旅をしようよ!と思っていた私にはピッタリのはずなのに、なんだかこの暢気さにひどく苛立っている私がいた・・・ 
このイライラの原因は何なのだろうと考え時、目の前に迫った夜闇…? ではないかと思った。
私が、晴れの天気がいい、昼間のままがいいといくら願ったとしても、刻々と夜は迫り来て… その時は必ず訪れる…
これは誰にも止められない・・・・・  そして、私はその夜闇に恐れを抱いているのかも・・・・・
しかし、その畏怖する心を見たくないから…、 この苛立ちを抑えたいから…、 私は自らの空想の世界で夜闇にネオンを着飾らせて、きれい きれいと 自分を安心させるのかもしれない・・・・・。

フッと思った・・・・・  “死”って何なんだろう…  “私が死ぬ”ってど~ゆ~ことなんだろう…
ただ漠然と、世間レベルの“死”しか私には考えられない…
しかも、それは決して“自分の死”にはなっていないのだろう…
だって、いくら思案しても、真実の“死”なんて見えて来ない。 それどころか、これに目を背けている私というヤツが見えてくるだけ…
そのくせそいつは私の頭の片隅に居座ってどうしたって離れてくれない。
だから私はそいつを自分のお気に入りの花々で覆い隠すしかなくて・・・・・。
その花畑には、「私が死ねば、私は苦しみから解放され、みな幸せになれる…」と書かれたプラカードを掲げてあるんだ・・・・・・

列車は山中を通り抜け、陸中中野駅の手前辺りから海の風景へと変わった。
暴風雪林の隙間から覗く青い海と、淡い潮の香りが、優しく心を癒してくれる…。
この時間、日本海側の列車旅なら美しい夕日が見られただろうな~ぁ と、少し残念に思う気持ちもあったが、遠くに浮ぶ船が西日を浴びてキラキラと輝いている風景に、心弾むものがあった。
あれ? 潮の香りに混じって、にんにくの香りがする…  あっ、青森にんにく? やっと岩手県から脱出だ!

お天気は回復傾向!  これにつられて私の気持ちも回復傾向!
空の青さと、海の青さは全然違う。 そして西に輝く太陽と、それに照らされた光も全然違う。
だけど、青は青で、光は光なんだ…  ただ、それだけのことがなんだかとても嬉しく思えた。
そして、開けられた窓から外に出していた手が、いつの間にか 冷たく 硬く かじかんでいることに気が付いた。 

八戸線の車窓からの風景はとても快適。 久慈駅を出てから1時間半、列車は次第に北から西へと向きを変えて走る中、鮫駅からは車両の前方に太陽が見えた。 
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後は言葉にならない・・・・・
列車内は通勤・通学の乗客らで賑わっていたけど、私の心は西に輝く夕日の美しさに奪われていた。
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2009夏 一人旅・回想録 17 ( 宮古駅 → 久慈駅 ) [Travel]

宮古駅に着いた。 釜石から宮古まで、1時間以上も乗車していながら、何も見ずに…、そして何も得られずに過ごしてしまった…、という敗北感が残ったような気がした・・・・・

宮古駅からは再び三陸鉄道の、今度は北リアス線に乗車して久慈駅まで向かう。
この区間も青春18きっぷは利用できないので駅の券売機にて乗車券を購入する。
列車内は学生や観光客らでにぎわっていて、既に海側の座席をはじめ横置きのシートは満席だったので、縦置きシートの隙間に座らせてもらった。
列車内は南リアス線の車両とは違って、観光列車というイメージはない。

久慈駅までは1時間半の列車旅。 「久慈か~ぁ…、琥珀の産地だな…」と心の中で呟いた後で、フッと思った…
「久慈・・・ 久しく慈しむ…?」 
仏さまの慈悲のお心は久遠で無量で、そんなドデカイものが私一人の為にかけられているだなんて… 
ありえないよ… 絶対にありえない!!
そう思う心に、「でも、知っているでしょ?」と、誰かが問うた。
そうだね・・・   私は知っている・・・・・   私は、いつも聞かせてもらっていた・・・・・・・
だけど私は、自分がそう思うとか、思わないとか、 今日は感じたとか、感じなかったとか、 いつも いつも 私の‘思い’でそれらを打ち消し、いつも いつも 私の色に塗り替えてきたんだ・・・・・
何も信じない・・・  信じればいつか裏切られ、傷つくだけだから・・・
誰も信じない・・・  信じられるのは自分だけ・・・、私しか私のことをわかってあげられないから・・・
知らず 知らずの内に、頬に一滴の涙が伝った・・・・・・

宮古を出た列車は、しばらくの間山中を走る。 海は、遠くに時折見えるだけでリアス線としての意味を疑う。
そんな時、 「遠くから見ているだけじゃダメだよ。 海水にドボンと浸からなきゃ~。
それが‘聞く’って言うことじゃ~ないのかな~ぁ。
見ているだけじゃ~実際のところ、何もわからないでしょ! 水温も、深さも、味も・・・。 
これを人から聞かせてもらったって、何の実感もないから信じられなくって当~然じゃん!」
と、心の声が馬鹿にしたように囁いた。

長いトンネルが幾つも続く。 やっとトンネルから出たと思えばすぐに次のトンネルに入ってしまう・・・。
いつになったら海は見えるのだろう・・・、 また暗闇・・・、 今度は長いのか 短いのか・・・。
このトンネルを抜け出た先に青い海と光の世界を夢見て、でもトンネルを出た先には、私が期待していた風景とは違う、さっきと何も変わらない景色に幻滅し・・・、 そして、またトンネルへと入って行く・・・。
その繰り返し・・・ どこまで行ってもまたその繰り返し・・・  こんなのイヤだ・・・、 も~イヤだ!
そんな時、また、「違うでしょ?! 果てしなく続く闇のトンネルから抜け出たいと思っているのは、私の願いじゃないでしょ?! 
この暗闇のトンネルから早く抜け出させてあげたい!と本当に願っておられるのは、誰? そして闇の中で泣いているのは誰なの?」

何を見ても、何を聞いても、次から次へと湧き出す御法の声に、もう反発する気力も失せていた・・・
そんな時、車内アナウンスが次の停車駅を告げた。 「次は、ぜったい~ ぜったい~」
も~勘弁してよ~ と 思いながら駅の看板を見ると、「摂待」と書いて「せったい」とのルビがふってあった。
私、頭も耳も ど~かしちゃってる! 
「摂待」・・・ この漢字から発せられる御法的な嫌なイメージを回避しつつ、それでもメモを取ってしまう自分が悲しい…

宮古駅を出て40分、島越駅まで来てようやく海岸線まで見えるようになった。
でもやはり、港や海水浴場の風景ばかりで、リアス式海岸という荒々しさは微塵も感じられない。

3143640車両後方部の縦置きシートが空いたので、席を移動して先ほど食べそびれた駅弁を袋から取り出す。
時刻は、ちょうど16時を過ぎたところ。 お昼抜きでも空腹感はなかったが、せっかくお勧めの駅弁を買ったのに腐らせてしまうのはもったいないし…と、封を開ける。
ハモニカ飯弁当(¥500)のハモニカとはメカジキの背びれの付け根部分ことで、柔らかく上質のトロ肉を甘辛く煮込んだものがご飯の上に乗っていて、とても美味しく量も女性向きでペロリと平らげてしまった。

3141127ちょうど食事が終わった頃、堀内駅の少し手前で車内に観光アナウンスが流れて列車が徐行をしはじめたので、私はクルリと身体の向きを変え子供のように窓に向かって逆さに座りなおしてから車窓を大きく押し上げた。
すると、私の髪をゆらして車内には夏らしからぬ涼し気な風が流れ込み、私は思わず瞳を閉じてその心地よい風の音に耳を澄ませた。
列車が完全に停車して写真タイム。 私がゆっくりと目を開けると、ここまで来て初めて太平洋に面した三陸リアス式海岸らしい断崖の景色をほんの一部だけだが望むことが出来た。

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2009夏 一人旅・回想録 16 ( 釜石駅 → 宮古駅 ) [Travel]

山田線は、釜石駅を出てからしばらくは住宅街の中を走り、波板海岸駅を過ぎた辺りから海がきれいに見え始める。
そして30分ほど行くと、本州最東端の駅である岩手船越駅がある。

見上げれば、重っ苦しく空を覆っていた分厚く灰色の雲は南北に割れ、まぶしいほどの澄み切った青空が真上に覗いている。
それを見上げていた時、無意識の内にあるメロディーを口ずさみ歌っている自分に気付いた。

♪   深き御法に 遇いまつる   身の幸なにに 譬うべき
    ひたすら道を 聞き開き   まことの御旨 いただかん   ♪

何だって私はこんな歌を口ずさんでいるんだろう…  私ってば、ど~にかしてる!!
と、思わずムッとする…  こ~ゆ~意地悪をするのは、仏さまの仕業以外に考えられない!
「私は忘れたいんだって言ってるでしょ!!!」 と、険しい表情で無言のまま叫んでみても、やっぱり頭から離れてはくれない。
私は大きなため息をひとつついて うつむきながら観念した。 すると、フツフツと穏やかな言葉が胸の中に 一つ 二つ と、ゆっくり沸き上がってきた。

阿弥陀さまは、ただ、称えてくれって仰ってる・・・・・ 
ただ称えてって願っておられる・・・、 
何もわからない今のままの、このままの私でいいって・・・・・
称え心も起こらない、こんな私のまんまでいいから、ただ称えてくれって・・・・・

深い 深い この御法と、もう出遇っているじゃない…?! 
この命を受けて、この御法と出遇って、そして、こんな幸せなことは他にはないんだって聞かせていただいたよね…
迷いに迷って、やっと聞かせていただける身になったのに、その御心から逃げてど~なるの?
“死”に逃げ込んでど~するの?  “死”があるから今日まで逃げてきたんでしょ?

溢れ出した涙が止まらなくなった・・・・・
「ど~してそんなこと言うの? ど~してこんな気持ちになるの? ど~して、ど~してこんな私に聞かそうとするの? ど~して、ど~して、ど~して、こんな私なんかに届くの? 私、何、響いちゃってるのよ…!」
一生懸命声を殺そうとハンカチで顔中を覆っても隠し切れない嗚咽と、涙と、鼻水…。

そして、 私は一人じゃない・・・・・  そう思ったら、また涙が溢れた・・・・・

どれだけ泣いていたのだろう…
通路を挟んで隣の席に座るおじさんが、心配そうにこちらをチラチラと見ている。
車掌さんも、声をかけようか かけまいか…、と、ぎこちなく黙ったまま通り過ぎた。
私は、泣くよりも小さな小さな声で、「南無阿弥陀仏」と称えた。 心を置いて、ただ、「南無阿弥陀仏」と呟いた…

窓の外を見上げると、いつの間にか先ほどまでの青空は再び灰色の雲に厚く覆われ、ドンヨリとした重っ苦しさが空いっぱいに広がっていた。
いつになったら晴れるのだろう・・・・・
いつになったらスッキリ明るくなるのだろう・・・・・
私じゃ空の天気は変えられない・・・、 私に変える力があったならば・・・・・・・・

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