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2009夏 一人旅・回想録 15 ( 盛駅 → 釜石駅 ) [Travel]

3141125三陸鉄道・南リアス線の列車は、一両きりのディーゼル・ワンマンカーで、私が乗車した列車の車両の前方には漁師道具の網や貝などでデコレーションが施されていた。
これは、上下線共に一日一本ずつ列車内にて手作りのお漬物やお菓子などを期間限定で販売する産直コーナーのある‘産直リアス号’なのだそうだ。

観光列車といっても沿線住民にとっては重要な足となっているリアス線であり、乗客の大半は地元の住民。 この鉄道目当てに乗車している観光客は10人にも満たないほどであった。
恋し浜駅で通路を挟んで隣の海側のシートが空いたので、私は意地悪おじいさんを残してお隣さんに移動し、ここからはのびのびと車窓からの風景を楽しんだ。 
そのおじいさんも次の駅で下車をし、少し前まで混み合っていた車内はとても静かになった。

時刻も1時近いし、乗客も極僅かなので Lunch time にしようかな♪ と、気仙沼駅で購入した駅弁をテーブルの上に出した。
ここで予想外の事態が・・・。 次の三陸駅より某ツーリズムの団体客が、三陸鉄道・リアス線の乗車体験とかで観光バス数台分の人間がこの列車へと乗り込んで来たので、列車内はたちまち通勤列車状態になった。
もちろん全員座ることなんて不可能。 立ち乗車の人はおしくらまんじゅう状態で、車窓からの風景を眺めることができた人なんて、半分もいないんじゃないかな~ぁ?
それ故にツアーの団体客からはブーイングの嵐で、あちらこちらから グチ、ぐち、愚痴が延々と続く!
しかし、満員列車にも参ったけど、この愚痴にも参った・・・。 車内に流れる観光案内のアナウンスも聞えないし、こんな状態ではとても Lunch time だなんて言っていられない・・・、 と、Launchはあきらめてお弁当を袋へと戻す。

そんな中、吉浜駅の先で列車が徐行し始めた。 一瞬静まり返った車内に、「ここから眺める吉浜海岸の風景が、三陸南リアス線の最大のビューポインです」との案内が入った。
その景色は、御世辞にも美しいとは言い難い、畑と民家と海が見える極々ありふれた風景で、「え゛っ? マジ?!」と、口からこぼれ落ちそうになる。
もちろんそう思ったのは私だけではない。 列車内のブーイングは先ほどにも増して盛大なものとなり、団体客の不満の嵐と、それに耐える個人客の苛立ちが列車内に渦巻いていた。

3141126これを過ぎると終点・釜石駅まではあと20分ほどだが、この間、いくつかのトンネルをくぐり抜けるだけで、「これがリアス式海岸線だ~!」って言えるような景色にお目にかかることは出来なかった。
次の乗り継ぎ駅の一つ手前、平田駅を過ぎた所で再び列車は徐行を始め車内に観光案内が流れた。
進行方向右手前方の丘の上に、海を見つめて立つ真っ白な観音菩薩像。
これは釜石大観音と言って高さは48.5mもある大きなもので、海の安全を見守っているのだとか。
由来はともかく、この時、灰色の雲を溶かしていくのような強い日の光が真っ白な丘の上の観音像に反射して、本当にきれいな光り輝く観音様に見えたのが、なんだかとても嬉しく思えた。

南リアス線の下りの終点駅である釜石駅に到着して、ここで団体客はバスへと戻り、私は再び青春18きっぷを使ってJR山田線に乗りこんだ。 列車内は空いているしとても快適。 

遠くの空の雲の切れ間から青空が覗き、みるみる天気は回復傾向。
まるで私の心みたいだ・・・・・

三日前、笑っていいのか、泣いていいのかもわからない不安定な心のままにこの旅に出た。
分厚く低く立ち込めた雲は、時折声を殺して泣いたり、時には大声を上げて激しく泣いてみたり…、 でも、一度として晴れることはなかった。
僅かに日の光が差し込んだとしても、すぐにその切れ間を修復してしまう雲は、まるで仏さまの光明を、自分の心で次から次へと埋め固めていくみたいで・・・・・
でも、それが止められない・・・・・  光なんて信じない…  光なんて見たくない…
だけど、今はなんだか穏やか気持ちで光を待っている私がいる。
早く晴れて欲しい! 光を浴びたい! この重っ苦しい雲を溶かして! って思う。

列車は、ひとり静かに走り出した。

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2009夏 一人旅・回想録 14 ( 気仙沼駅 → 盛駅 ) [Travel]

快速列車では小牛田駅を出てから1時間20分で次の乗り継ぎ駅である気仙沼駅の二つ手前にあたる大谷(おおや)海岸駅は、駅のまん前が海水浴場というロケーションであった。
でも、真夏だというのに誰一人として海水浴客はいない… 冷夏だからかな~?
そういえば私も昔、宮城県の海水浴場でよく泳いだけど、浜辺はいつも貸切状態に近いものがあって、それが常であったから、初めて地元(愛知県)や北陸(若狭湾)近辺の海水浴場に行った時のあの混雑振りにはひどく驚いたものだった。
ちなみにここ大谷海岸駅は、日本一海水浴場に近い駅として有名なのだそうだ。

気仙沼駅に着いた。 予想以上にローカルな駅。
今日はここで駅弁を買っておかないと、お昼ごはんを食べそびれてしまうおそれがあり、20数分間の乗り継ぎ時間を利用して一旦改札を出て駅のキヨスクへと向かう。
駅はしっとりと落ち着いたいい感じなのに、改札の駅員(駅長かも…)さんがカシャカシャしている上に態度も横柄でちょっと気に入らない。 駅員の都合に合わせた時間にしか改札をしてもらえず、改札口の前に整列をさせられてから改札を受けて通るのは始めての体験。
「なんで?!」と思ったが、ここで議論しても始まらない…、 これが気仙沼の流儀なのだろう…。

駅員はいただけないが、気仙沼駅のキヨスクのおばちゃんはとっても気さくでいい感じ!
短い時間だったけど、おばちゃんとのおしゃべりは旅の一服が出来た。 そしておばちゃんお勧めの駅弁‘黄金龍のハモニカ飯’と、‘林檎のどら焼き’を購入して次に乗る列車を待った。

気仙沼駅から乗車した列車はここが始発駅ではなかった為、希望のシートには座れなかった。
乗客のマナーは都会とは違ってあまり良いとは言えない…。 2人掛けシートを向かい合わせにした4人分の座席を荷物などを置いて一人で占領している客が往々にして見られる。
「ここ、座ってもいいですか?」と尋ねれば空けてくれるだが、「俺が俺が…、オレのオレの…」、という どこかで聞いたフレーズ丸出しの場面に度々出くわす。
しばらくして乗客の乗降に伴い海側のシートが空いたので移動する。 LUCKY~!!

大船渡線の列車に揺られること1時間、次の乗り継ぎ駅である盛(さかり)駅に到着。
ここからはいよいよ観光列車・南リアス線に乗車となる。
つまり、青春18きっぷは利用出来ないので三陸鉄道の窓口のおばさんに言って乗車券を購入しようとしたのだが、「自販機で買ってくれ」と冷たく言われ、長らく待たされた後だっただけにちょっとムッとしたが、券売機に気が付かなかった自分も悪いので素直に自販機にて切符を購入した。
しかし、後々になって知ったことだが、青春18きっぷを見せて窓口で乗り継ぎの切符を購入すれば半額で割引乗車券が買えたそうで、そんなこととは知らず、おばさんにしてやられた! 

乗車券購入でかなりもたついた為、南リアス線の列車内は既に満席に近い状態となっていたが、1コーナーだけ空いているシートがあった。
そこはテーブルを挟んでペアーシートが向かい合わせになった4人分の座席で、進行方向向きの窓際のシートに一人のおじいさんが座っていたのだが、隣りのシートにはおじいさんの手荷物、そしてコーナーの入口を塞ぐかのように傘が向かいのシートに橋渡しされており、おじいさんは正面の座席下まで無造作に足を投げ出していたので、彼以外、誰も座ることが出来ない状態であった。
しかも、そのおじいさん、とても大柄で気難しそうな恐い顔をしているので誰も何も言えず、数人の乗客は座ることが出来ずに立ったまま横目でおじいさんを恨めしそうに見ていた。
「あぁ~、まただ…」と思いつつ、私は単に座りたかったのでそのおじいさんに、「ここの座席、空いていますよね?」と尋ねると、おじいさんは無言のまま私に視線を向けて、私がその返事を待たずに「ありがと~♪」というと、おじいさんは無言まま視線を窓の外へと移した。
私はシートに橋渡しされていた彼の傘をどけて、おじいさんと対角の逆向き通路側のシートに腰を沈めた。

車窓からの風景も思うように見られないし…と、私がテーブルの上にノートを広げてこのことをメモし始めると、今までそっぽを向いていたおじいさんが私のノートをチラッ チラッと盗み見しようと、視線に落ち着がなくなってきた。
私はこうしておじいさんの悪口を書いている訳だし、これを本人に見られては都合が悪いので、自然を装いながらそっとメモした部分を手で隠しノートに記入し続けた。
しかし、私が記入した部分を手で覆い隠したことで、おじいさんはますます私のノートが気になったみたい。
そんなおじいさんのしぐさが可愛くて、可笑しくて、ついつい私が一人笑いをすると、今まで身じろぎもしなかったおじいさんがゴソゴソと落着きをなくしはじめた。
ムチャムチャ笑える!
私が笑いを堪え切れずにおじいさんに笑顔を向けると、おじいさんは慌てて窓の外に視線を移して何事もなかったかのように装う。
この、一見恐そうで意地悪っぽそうなおじいさんのおかげで、今、私はすごく楽しい(^^)v
私って、性格悪~(^.^;)

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2009夏 一人旅・回想録 13 ( 松島駅 → 気仙沼駅 ) [Travel]

朝、出発前に時間に余裕があっても、この後のスケジュールが気になってなかなか落ち着くことができないので、やはり早めに Check Out して駅へと向かう。

松島駅は予想外に小さく、とても静かな駅であった。
まだ誰もいないホーム。 駅向こうの森の中からセミが力強く鳴いている一方で、遠くホトトギスのやさしいさえずりが耳に聞こえ、視線の先の線路のわきには紫と紅のガク紫陽花の花が、昨夜の雨で息を吹き返したかのように美しく咲いている。
今日の空模様は薄曇り。 小さくそよぐ風が頬をやさしく撫でていく。 
私は、とある初夏の朝を描いた絵本の中に佇んでいるかのような錯覚をおぼえながらも、何度も出る大きなため息に少しウンザリしていた。

「自分に正直になる」って、ものすごく身勝手で、我儘で、傲慢なことだよね・・・・・
「自分にウソをつく」って、ものすごく惨めで、悲しくて、辛いことだよね・・・・・
だけど、どちらも苦しいってことには変わりなく、結局、私がどんな生き方をしようと、どんな自分でいようと、生きているということ、生きてゆくということ自体が苦しみなんだ・・・・・
そんな思いが幻想の絵本の世界を暗闇に変えてゆく。

列車がホームに入ってきた。 乗客は少なく、車内はとても静かだ。
さぁ、どうしよう?! 次の乗り継ぎ駅である小牛田(こごた)まで20分しかない。
このまま東北本線で北上して盛岡あたりで食べ歩きなどしようか? それとも三陸鉄道に初トライ!?
この時、曇り空の切れ間より日の光が列車内に差し込み、これをきっかけに「海を見よう」 と決め、三陸鉄道リアス線で青森へと向かうことに決めた。

小牛田から南三陸1号で気仙沼へ向かう列車では、海を眺めるには最高のシートを確保できたが、通路を挟んで隣のシートを、一人旅の男性より横取った三人組のおばあちゃんたちがとにかくうるさくて、周囲の乗客も一人二人と渋々車両を移動するほど…
しかし私はこのシートを離れたならば、海を望むことは出来まい…と思って、しぶとくも座席は移動はせずに、この賑やかさに耐える道を選択した。
それが良かったのか、悪かったのか…、 おかげで何の思案も出来ず、今日は心苛立つままの列車旅となった。

小牛田駅を出てからしばらくは宮城らしい田園風景が続き、志津川辺りまで来るとトンネルの合間に 山あり 田あり 海あり と、次々と変化する風景が退屈する隙を与えない。
お腹が鳴った…、 隣りでひたすらに食べ続け、しゃべり続けるおばあちゃんたちに影響されてか少しお腹が空いてきたので、宿で作ってもらったおにぎりを一つ食べた。
塩味はついていないが、大きな自家製梅干の入ったおにぎりは、なんだかとっても懐かしい味がした。

昔、毎年お盆休みに帰省する度に、帰りの道中で食べるようにとおばあちゃんが作って持たせてくれたおにぎりと同じ味がした。
おばあちゃんの作るおにぎりは、真ん丸くて、爆弾みたいに大きくて、おまけに塩気も薄ければ、中に何の具も入っていない、お米の味をまるまる満喫できる特別製の握りメシだ。
その大きなお米の塊りに、大きな海苔を何枚も使って包んでいく。
一番デカイのはお父さん用のおにぎりで、その次はお母さん用のおにぎり。
少し小さいのが私用で、一番小っちゃいのが妹用にと、おばあちゃんが愛情たっぷりにこしらえてくれたもので、それでも一度では食べきれないほど 大きな 大きな、そして気持ちのあったかくなるおにぎりだった。

懐かしいな~
でも、もう二度と食べることが出来ない・・・・・ 思い出の味は、思い出の中だけのもの・・・・・
祖母が亡くなった時も、母が亡くなった時も、 あぁ、すべてが思い出になって行く… と思った。
二度と手に入れることの出来ない時間の中に、次々と詰まって行く思い出を、私は一見、置いてきぼりにしているようでいて、実はその中に心地よい寝床をこしらえ、いつも、いつまでもそれにしがみ付いて離れ切れずにいるのではないのだろうか・・・・・・

そう思った時、「死ぬまでやってな!!」 と 冷たい言葉が耳をかすめた・・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 12 ( 三日目の朝… ) [Travel]

昨夜はあまり眠れなかった。 その分、メモ帳にはぎっしりと文字が並んでいる。

朝食は和定食。 昨夜同様ダイニングには私だけ。 でも、食欲がなくって申し訳がない…
食べられなかったごはんで女将さん特製の大きな梅干入りのおにぎりを作ってもらった。 
小さな宿の、こ~ゆ~ところが好き[揺れるハート]

朝食後、部屋に戻ってから出発まで一時間近くも余裕があり、ついつい物想いにふけってしまう…

   私はどこへ行こうとしているのだろう… 
   私はどこへ向かおうとしているのだろう…
   自分の事なのに、私は何もわかっていない…
   本当に、一寸先の事はもちろん、今この瞬間のことすら私は全然わっていない…

   どんな夢を描いても、 どんなに希望に満ち溢れていたとしても、
   一瞬にして終りを告げる瞬間が必ず来るんだ
   その現実から目を背けてど~なる?
   いや、違う・・・・・
   その現実に心をかけることが出来ないから私だから、
   この現実に、この私の一寸先の現実に、私に代わって心をかけてくださる方がいる
   それが私の仏さま・・・・・
   それを私は知っている…  私はそれを知っている…

   「だったらちゃんと聞かせてもらおうよ」
     また阿弥陀さまがしゃしゃり出る
   「私の仏さまはどこにいる?」
     私の口から出てくる‘南無阿弥陀仏’
   「なまんだぶつは呪文じゃないよ、なまんだぶつは心だよ、なまんだぶつは力だよ」
     ‘南無阿弥陀仏’は ・・・  
     ‘南無阿弥陀仏’は、私を苦しめる呪文だわ!!

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2009夏 一人旅・回想録 11 ( 二日目の終りに… ) [Travel]

一人旅の夜は寂しいでしょ? って言う人があるけど、私はそうは思わない。
旅行中に一番落ち着ける場所である宿で、誰に気を使うこともなく自分だけの世界に浸れる。 
ベッドに身体を横たえて、頭の中では自由に夢を描く。 多くの視線から開放され、やっと本当の自分を解き放つことが出来るのだから、こんな贅沢なことはないと思う。
眠くなったら寝ればいい…、 眠れなければ遊べばいい…、 時間も空間も私一人のためにあるのだから。

松島での夜、パソコンを開けるとたくさんのMailが入っていた。
それをとても嬉しく思うのは、やっぱり本心では一人が寂しいからなのかもしれないね…。
ただ、こんな私を心配してくれる人がいることがとても とても 嬉しくて…、ただ、感謝!

受信Mailの中に、御法座への参加確認のMailもあった。
その内容から、あぁ、やっぱり私は生きているだけで迷惑なんだろうな~と感じた。
だけど、こんな気持ちのまま死ねたら最高に幸せだよね!!
だって、私がこの世からいなくなることで、喜んでくれる、幸せ!って感じてくれる人がいるってことは、私の死も無駄ではないなって思えるから・・・・・
子供の時、「生まれてきて、ごめんなさい」って思った時、もっと私に勇気があったならば死ねたのに…
そうすれば大切な人たちを苦しませずにすんだのに…   そう、思った・・・・・・

もう、誰かに迷惑をかけるのは嫌だ。 裏を返せば、誰にも嫌われたくない。
そんなの無理だってわかっているから、もう誰とも関わり合いたくない…って思う・・・・・
私は、怖いんだ・・・・・  傷つくことが…、 そして生きていくことが…

私…、 私は、仏さまだけで十分だから…  私には、いつも阿弥陀さまが一緒にいてくださるから…、
だから、もう…、 他の誰もいらない・・・・・ 他には何もいらない・・・・・  って思った。

だって、みんな嘘ばっかり!  人も、私も、嘘ばっかりじゃん!!
約束なんて、破るためにあるのでしょ?!
優しさも、怒りも、自分の都合で発散しているだけのことじゃない!
そんなものに依存して、振り回されて、バカみたい!!!

だんだん嬉しくなってきた。 
大切な人に裏切られ、大好きな人から見限られ、愛する人から捨てられるのって、喉もと過ぎれば快感ね!
明日を生きることをあきらめれば、もう、裏切られることもなくなるし、
誰も好きにならなければ、何も期待しなくていいから傷つかずにすむ、
愛なんて求めるから、悲しくて、辛くて、苦しくなるのよ・・・・・・
だったら全部失くしちゃえばいい! すべて消し去ってしまえばいい! その根源である私自身を・・・・・・

あと二つ寝れば、明後日には目的地に着く。  そこには何があるのだろう・・・   

今、私は、とても幸せ・・・・・・・・・

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2009夏 一人旅・回想録 10 ( 仙台駅 → 松島海岸駅 ) [Travel]

仙石線は仙台駅を出発してから10分もしない内に地上へと顔を出し、地下区間は極僅かである。
市街地より住宅街をぬけ、松島海岸駅の手前でほんの少しだけ海を望むことが出来るが、これを越えればまたトンネルと、景観を楽しむにはチョット難がある。

私は松島海岸駅にて途中下車。 そしてこの日の列車旅はこれにて終了。
列車を降りると小雨が振っており、持参した折り畳み傘に活躍の場ができた。
駅を出るとあちこちから遊覧船の呼び込みに声をかけられるが、私は前日に予約をしておいた船会社のチケット売り場に向かって先を急ぐ。
途中、焼き牡蠣のお店からすごくいい香りがして思わず足が向いてしまうが、こんな時間から食べては夕食に差し支える…、グッと我慢の子であった!
駅でもらった松島のパンフレットには、焼き牡蠣の他にも、牡蠣バーガーや 牛タンまんや ずんだもちなど、思わずよだれを心配してしまうような食案内が載っている。

松島といえば日本三景の一つとしてその名はよく知られている。
そもそも日本三景とは、江戸時代に全国を行脚した儒学者の林春斎が、『日本国事跡考』で絶賛した三つの景観であり、ここ「陸前松島」と、「安芸の宮島」と、「丹後の天橋立」を指す。
どこもそれぞれに個性的で確かに美しい。 その美しさをず~っと守ってほしいね!

3134495松島湾遊覧観光船のチケットを購入してから少し時間があったので観瀾亭を外より見学してからフェリーに乗船した。
クルーズは久しぶり。 乗客は私の他に二組の二人連で、たったの五人。 
船が出る頃には雨も上がった。
二十年前振りの松島湾の風景には、正直ちょっとガッカリだ・・・ ここまで海が汚れているとは思わなかった。
確かに曇り空というシチュエーションでは美しさも半減するだろうが、それだけではない…、何かもの足りない感じがどうしても拭えなかった。
遊覧観光は約50分をかけて松島海岸レストハウスから鐘島の脇を抜け、鍋島の辺りでU-turn して港へ帰ってくるコースで、父の故郷・七ヶ浜の断崖も見ることができた。

下船してからは荷物のほとんど入っていないスーツケースをゴロゴロ引きずりながら徒歩にて瑞厳寺・五大堂や福浦橋などを観光した後、すっかりさびれてどこか怪しい雰囲気の遊歩道を独りポチポチ歩きながら松島駅近くにある本日のお宿へと向かう。

3134496夕刻には宿に入り汗を流してから夕食のテーブルにつく。
他にも宿泊客はいる様子だが、食事付きプランは私一人きりとのことで、
レストランは貸し切り状態! 
その上、大きな生牡蠣や 蝦夷黒あわびのお造りまでまで付いた豪華な
海鮮ディナーを私一人の為に仕入れ、作って下さったのかと思うとチョット恐縮してしまう。
そう言えば、御法もそうやって聞かせていただかないとダメなんだよなぁ~、私一人の為のご苦労なんだって・・・・・  いかん、いかん、 また仏法が出てきてしまった!!
それでも、食前の挨拶はちゃんとさせていただいてから、誰に気兼ねすることもなく、一人美味しく夕食をいただいた。

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2009夏 一人旅・回想録 9 ( 郡山駅 → 仙台駅 ) [Travel]

今日、二回目の乗り継ぎ駅である郡山(福島)駅では乗り換え時間に余裕があったので駅構内の散策でもしようかとも思ったが、体力も本調子ではなかったし、冷房の効いた乗り継ぎ列車へ早々に乗り込んだ。
そして頭の中で日本地図を描いて現在地の確認をしながら、そういえば以前、新潟の小出から只見線で福島入りをしようとした時、線路内に雪崩れ込んだ雪の影響で列車がストップしてしまい、結局会津若松まで来ることができなかったことがあったな~ぁと懐かしく思い出す。

列車が動き出した。 
正面のシートに、まだ二歳にも満たない男の子が、時々奇声を上げてはぐずったり、かと思えば目新しいものを見つけては興奮ぎみに喜んだり、その度に母親が叱ったりなだめたりしながら手を尽くしているのを見て、YMさんがおっしゃった、「私らは二歳児の子供と何ら変わらへんで~!」と言われたことをフッと思い出した。

少なくともこの私は、両親に望まれてこの世に生を受けた。
生まれたばかりの私に、父も母も、「健やかに育って欲しい、幸せになって欲しい」と願いをかけて私を慈しんでくれた。
でも、そんなこと私は知らない…。 ほんの少し、それも時々、自分の都合に合わせてそう思うだけのこと…。
この世に出て間もない頃の私は、「お腹が空いた」「オシメが不快だ」「もっと愛して」と、その場限りの一方的な欲の心で泣いたり笑ったり叫んだり…、 そう、ちょっど目の前にいるあの子みたいに…
私は、父や母の、私にかけられた願いなど知る由もなく…、また知る智恵すらなく…、 たとえそれを聞かされたとしても、赤子の私には親の願いなど到底理解出来るはずもない…
仏さまから見られた今現在の私は、あの頃の私…、赤子の時の私と何ら変わりがないのだと、目の前で騒ぐ子供にまざまざと見せ付けられた。
そして私にはその子を見て疎ましく思う心しか持ち合わせていないが、私の親さまは、そんな無慈悲で一方通行の心しかない癇癪持ちの私を一度も疎ましく思うことなく、いつも いつも抱きしめてくださっているのだといつか御法座で聞かせていただいたっけ・・・。

嫌になる・・・・・・!
その御心がチットもわからん自分が嫌になる・・・・・・!!
わからん、わからんと自分を責めて苦しむくらいなら、いっそ誰かのせいにするか、それともそんなことなどすっかり忘れて自分勝手に生きるか・・・
そうだった! そうだった! 私はこれを捨てるために旅に出たのだ! 何をやっているんだ、私は!
さ~ぁ、気分を切り替えよう! 仏法なんてクソくらいだ!!!

郡山から福島駅までは住宅街の中を列車は進む。 そして、福島駅では今日三回目の乗り継ぎをする。
雲行きが怪しくなる中、列車が住宅街を抜けて山里へと入ってゆくと路面が少し濡れていた…、どうやらここら辺りではひと雨降ったようである。

列車内は結構混んでいる。 そんな中にあって、私の心中には小さな苛立ちが頭をもたげ始めている。
神経がかなり過敏になってきている…、 まだ二日目の午前中だというのに、既に疲れが出てきたか…

宮城県に入ると、列車は田園風景の中を軽快に進んでいく。
低く垂れ込めた雲が山の裾野を白く染め、雨上がりの露を乗せた木々や稲の緑と相まって美しいコントラストを描き、まるで一枚の絵を見ているようだ。
そんな景色に少しずつ心のエネルギーを回復させ、今日四回目の乗り継ぎ駅である白石駅にて仙台行きの列車に乗り換えた。

「仙台」・・・、やっぱり懐かしい響きがする。 父の生まれ故郷だ。
おばあちゃんが生きていた頃は毎年お盆休みに帰省して、一年に一度の再会を存分に楽しんだ土地で、数々の夏の想い出がつまっている。
仙台を通り過ぎることは何度かあっても、この街に立ち寄るのは、かれこれ二十年振りになろうか…。

仙台駅に到着。 やはり東北一の都会と言った感じで、駅も人も活気に満ちている。
お腹は空いていなかったが、とりあえず仙台駅にて一番小さな駅弁を購入する。
しかし、落ち着いて食べられる場所もなく…、しかたなく次に乗る予定の地下鉄のホームにてチャチャッと昼食を済ませた。

仙台駅からは石仙線(都心の一部のみ地下鉄)に乗り換えて、今日の目的地である松島へと最後のコマを進める。
そういえば仙台に初めて地下鉄が開通した時、仙台の友達がすごく自慢してたっけ? あの子、今頃ど~してるかな~? な~んて、やはり懐かしい想い出が随所で湧き上がってくる。

仙台駅から乗車後、しばらくの間は今回の旅行で始めての立ち乗車となった。
車内は部活帰りの高校生らでかなりごった返していた。

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2009夏 一人旅・回想録 8 ( 宇都宮駅 → 郡山駅 ) [Travel]

二日目、朝6時起床。 昨夜は睡眠薬を使わずに鎮痛座の服用のみでもグッスリと眠ることができた。
朝食はHOTEL内のレストランにて郷土料理のBuffetをいただく。 
地物野菜や栃木の名物・湯葉などの美味しそうなお料理を目の前にして手を合わせたところで我ながら驚いたのは、今まで自発的に出たことのない食前の言葉がついうっかりと口をついて出た。
合っているのか間違っているのかはわからないが、取り合えず口を閉ざすことなく声に出しながら、でも心中では、「深く御恩を喜ぶことも出来ないし、有り難くいただくこともできないけど、このご馳走にありつけたおかげ様をいただきます!」と変換して朝食をいただいた。
これを見ていた向かいのテーブルで食事中の男性が、あっけに取られてこちらを見ているのがとても可笑しかった。
レストラン内はビジネスマンonlyで観光客とか女性の姿は見当たらない。
一人寂しく食べている人、上司と向かい合わせで居心地悪そうに食べている人、同僚に愚痴をツラツラ並べて食べている人などなど、皆それぞれの朝が始まったんだな~ぁ…、でも…、今日、自分に何が起こるかなんて皆誰もわかっていないんだよな~ぁ…、 この私も・・・・・

朝食後、HOTELの客室にいても落ち着かないので早めに Check Out して駅へと向かう。
朝の8時少し過ぎ、通勤・通学の人波を掻き分けながらホームに立つと真夏の蒸し暑さがジワジワと肌に伝わり、そんな中で新聞を広げてザッと目を通す。

そういえば、昨日・旅の初日にあった先行きの見えない不安というものがすっかり消えている・・・ なぜだろう・・・
私がバカだから…? それもある…。  
ただ何となく、一人で旅をしているような気持ちにはなれない…、という実感もある。
「仏さまとの二人旅?…」 そんな思い付きを慌てて頭で打ち消して新聞記事に意識を戻した。

ホームに電車が入ってきた。 …が、しかし、ドアが開かない…。
私の後ろに並んでいたおばさんが私の横からニョキッと手を伸ばして無言のままドア横のボタンを押す。
おぉぉ~、そうだった! JRの田舎路線ではプッシュ式の自動ドアで乗客自身がドアの開閉をしないといけないということを思い出して、田舎に来た喜びに軽く感動した。

今日も定刻に列車旅はスタートした。 宇都宮の町を抜けると緑の田園風景がどこまでも続く。
那須駅を過ぎて今日一回目の乗り継ぎ駅となる黒磯駅にて乗り換えた列車内で絵描きさんと出会う。
列車の停車時間を利用してスケッチされたその絵は誰もいない黒磯駅のホームの風景で、私は彼のスケッチブックを覗き込みながら一言二言会話を交わした。
目で見たもの…、耳に聞いたこと…、そして心に感じたこと…、 それらを彼は絵に表わして絵に残し、私は文字にしたためて文字に残す。
「どうして残したいのでしょう~ね~・・・?」とつぶやいた私に、「どうしてでしょうね~・・・?」と受け答えた彼はスケッチブックを静かに閉じて、逆に私はノートを広げてその思いを文字にした。

黒磯駅からの東北本線は所々にローカル線の趣を残し、車窓からの風景は、深まる緑と野生的な素朴さで見ていて飽きることがない。
まだ色を残した紫陽花の花や土手に咲く白いユリの花が、まるで季節を巻き戻し過去へと引き返してくれたように、目にも心にも穏やかさを届けてくれた。

しかしこの列車、車内アナウンスが あったり なかったり … もし途中下車を要する旅ならば、ついうっかりと乗り過ごしてしまいそうで気が抜けないな~ぁ …

「なぜ? どうして私は人間なのだろう・・・?」 と、不意に自問する。
こんな思い付きにも気が抜けない・・・ 油断した一瞬に突然湧き出してくる得体の知れない考え…。

  今生で決着をつけねばならないことがあると聞かされた。
  私はそれを知っていながら自身の心に振り回されるままに、
  時には求めるフリをしてみたり…、 
  時にはど~でもいいやと投げ捨ててみたり…、
  それでもこれを忘れ去ることができずにいる私って、
  いったい何がしたいんだろう…、 
  いったい何を望んでいるのだろう…、
  私・・・・・  何をやってんだか・・・・・・

ノートから目を上げて、フッと向かいのガラス窓に映る自分の顔から視線をそらした。 そして、ハッとした。 
私は自分の姿のみならず、自分の心からも視線を背けているのではないだろうか・・・
私は、目に映る自分の姿も、法の鏡に映し出された自分自身も、大嫌いだ! 見たくない!
そう思った時、思わず叫び出しそうになった。 もし、周囲に誰もいなかったら大声で叫んでいたかもしれない。
「うるさい!うるさい!  仏法なんか大っ嫌いって言ってるでしょ! 思い出したくないって言ってるでしょ! とっとと頭から消え去れ~~~っ!!!」  って・・・・・

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