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広島 原爆の日 [随筆日記]

今日は、フッとした瞬間に胸の詰まるような…、こみ上げてくる思いが何度かあった。

私は戦争を知らない…。 それ故に、戦争というものを悲惨な夢物語としてしか捉えることができない…。
しかし64年前の今日、戦争という名の元に、一瞬にしてたくさんの命がこの世から消し去られたという事実が存在している。
この日、この広島だけが戦争を物語る史実というわけではないが、何故かはわからないけど、この日だけは戦争という言葉が私の胸に突き刺さる。

8月6日の午前8時15分、やはり戦争を知らない母であったが、なぜか毎年この日のこの時間には必ずテレビをつけて、原爆記念式典の鐘の音に合わせて一分間の黙祷をすることを私に勧めた。
私は、ただ母に言われるままにテレビに向かって手を合わせて、心静かに黙祷を捧げた。

幼い頃、祖母から聞かされた戦争の話は、いわゆる生活苦の思い出話にしか聞こえなかった。
祖父が語る外地での実戦の話からも、人の死というものはまったく感じられなかった。
でも、「人は死ぬのだ」ということを初めて教えてくれたのは、それまで自分とは全く無関係だと思っていた“戦争”という事実だった。

それは小学校四年生の時に、学校の図書館で見つけた一冊の本との出合いがきっかけとなった。
『壁に消える少年』という題名の本で、広島に投下されたピカドンによって一瞬のうちに壁面に影となって焼きついてしまった少年が幻想の中で蘇えり、現代に生きる少年と少女に原爆の悲惨さを物語るお話しであった。
この本を読んで、初めて原爆というもの、戦争というもの、そして人は死ぬのだということを知った。
もう、何度読んだか知れない。 何十回も読み返し、毎日毎日飽きもせずこの本を読み続けた。
私がひたすらこの本を借り続けるので学校から親に苦情の電話が入ったほどだった。
そこで母がその本と、他にも何冊かの戦争文学系の本を買ってきてくれた。
『ガラスのうさぎ』 『あかりのない夜』 『八月がくるたびに』 『黒い雨』 『原爆の子』 『ひめゆりの塔』 『はだしのゲン』 など。

この頃、私は母に 「広島へ行きたい」と申し出たが願いは叶えられず、大人になってから自分で、仕事の休暇を利用して初めて広島の地を訪れ、原爆ドームを訪問した。
ところが、トラベルツアーでの広島訪問だったので、遠く橋のたもとから、たった15分間だけの見学…。
あっけなく…、 そして、不満が募っただけに終わってしまった。

3058111そして三年前、再び原爆ドームを訪問することが出来た。 が・・・・・
一緒に行った友達に、「私は近づきたくないから駅で待っている!」 と言われて、やはり心落ち着ける暇のない訪問となってしまった。
でも、この時思ったのは…、 原爆ドームの前で楽しげに記念撮影をする観光客、 また、原爆ドームには見向きもしない通勤・通学の人たち、 そして私の友人のようにまるで心霊スポットのように思っている人も・・・・・・
戦争も、原爆も、確実に風化してしまっている… と感じた。
じゃ~、私はなぜこの地を訪れたのだろう… と考えた時、やはり興味本位の部外者意識しかなかったのではないだろうか・・・・・・

所詮、“私”というヤツは、嫌いなもの、汚いものには自分をイメージの中に参加させることが出来ない輩だ。
つまり、宝くじが当たって億万長者になった自分の姿をイメージすることは出来ても、殺人犯となって絞首台に上る自分の姿はイメージできない…。 思考が拒否してしまう。
だから、戦争を知らない私たちに、戦争や原爆の悲惨さを風化させるな!と言っても、それは無理があるだろう。
ただ、原爆ドームはその悲惨な戦争や原爆の事実を後世に伝えるものであって、決して面白おかしい観光スポットでもなければ、心霊スポットでもないし、ましてや無視して通り過ぎていいような場所でもないと私は思う。

そんなことを考えながら、フッと自分を、1945年8月6日午前8時15分の広島県産業奨励館(原爆ドーム)の横に立たせてみた。
「私は、死ぬその瞬間が来ても、‘自分は、まだ死なない…’と思いながら、そして死んでいくのだろうな…」と思った。

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satoshi

原爆の子の像のモデルとして、世界中で知られる佐々木禎子さんの甥にあたる、佐々木祐滋という歌手がいます。
記憶を風化させないように歌を通じて様々な活動をしているようですので、是非一度聞いてみてください。

www.yujisasaki.com
by satoshi (2009-09-25 17:24) 

Fleur

satoshiさん、情報ありがとうございます。
祐滋さんの歌、聞かせて頂きました。 とてもやさしい、いい曲ですね♪
折鶴・・・ 原爆の子・・・ すっかり記憶から消えていました・・・ 想い出させてくださってありがとう。

by Fleur (2009-09-25 17:59) 

つくい

はじめまして。
私も『壁に消える少年』を,ちょうど小学校3~4年生頃に学校の図書室で読み,大きな衝撃を受けて,はじめて原爆の問題を知ったひとりです。
もう一度読みたいと思って探したのですが,見当たらず,ネットでこちらのブログに行き着きました。
今でも,広島というと,その絵が浮かびます(少年らが空を飛んだり,瞳のない男達が追い掛けてくるのを怖く感じたりします。)
by つくい (2015-06-20 08:55) 

おなつ

つくいさん、こんにちは、はじめまして。
『壁に消える少年』の本、私も探しているのですが、見つからないです。
広島の原爆資料館にも問い合わせたのですが、「わからない」とのお返事でした。
もう一度読みたいですね~。
by おなつ (2015-06-20 09:11) 

みやのこ

はじめまして、
私は埼玉県下に住んでるみやのこと申します。
「かべに消える少年」(漢字の壁ではなく、平仮名のかべだったと記憶してます)は、私が小学生の頃に初めて読んだ事がありますけど、生まれて初めて原子爆弾というのが、安芸の国・広島市に落とされ、甚大なる犠牲を出した内容を知りましたが、主人公の北条希子の父・昭と、久保田洋一(白いかげの少年)が紙一重の生死を分けた建物の強制疎開(そのため昭は爆心地から少し離れた皆実町へ引っ越しした為に助かったものの、洋一は強制疎開の線引きに免れた為、爆心地に近い場所=今の平和記念公園あたりの中島地区か?=で被爆し、爆風で吹き飛ばされて即死)というのが、大きくなった私が内容を知るなり、「かべに消える少年」の事を思い出した記憶があります。

最近、私は広島市内を走る広島電鉄と、地元放送局の中国放送の共同企画による被爆電車特別運行プロジェクトに参加し、メイン路線である広島駅〜広電西広島間を往復しましたけど、被爆電車ゆえココまで生きながられた電車ゆえ、ふと私は「かべに消える少年」のことを、再度思い出してしまいました。
因みに私は、高校の修学旅行のさいに初めて広島を訪問して以来、今回で6回目(2回目は平和記念式典にも出席しました)でしたけど、こんどはじっくりと、安芸の国・広島を訪問してみたいなと考えてます。
それでは、私はこの辺にて失礼します。
by みやのこ (2015-06-26 15:35) 

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