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2009夏 一人旅・回想録 21 ( 恐山 へ ) [Travel]

下北駅で列車を降りて、ここからはバスで恐山へと向かう。
乗客は10名ほどで、このうち恐山へと向かった観光客は半数ほど。 その中に一組、父娘のペアーがいた。
中学生位にも見えるが、父親が持つ娘の赤いポーチから推測するに小学校高学年といったところか。
なんだか羨ましい…。 父親がアレコレとスケジュールの段取りをしたり、娘の感情にまで気を使いながら手を尽くしているその姿を見て、微笑ましいというより、羨ましいな~と思った。
当の娘は父親のそんな気遣いに気付きもせず、楽しそうに笑ったり、時には我儘を言ってみたり…、 
でも、世間ではそれが普通なのだろうな~ぁ。
御法話の中でも、「子供が親に気を使ったり、遠慮したりはしないでしょ?!」と言われることがあるけれど、私はそこの所でいつも耳を塞いでしまう。
記憶の中の私は、いつも親に 気を使って、 遠慮して、 父は私にどんな言葉を期待しているのだろう…、母が喜ぶにはどんな私でいたらいいのだろう…、迷惑をかけないように…、期待を裏切らないように…、相手の心を読むことだけに神経を集中させていたように思う。
そして、そんな張り詰めた神経を癒してくれるのは自分だけで…、私は他の誰と一緒にいるよりも一人きりでいることの方が好きだった。
もっともこれは子供時代の話で、今は、・・・・・・・・・・  
今は、わからない…、  私は何を望んでいるのだろう…

恐山行きのバスの車内では自動アナウンスによる下北半島の観光案内が始まった。
下北半島は、東に太平洋、西には日本海、南には陸奥湾、そして北には津軽海峡と四つの海にに囲まれた本州最北の地であり、その中心となるのが釜臥山(かまふせやま/標高879m)を最高峰とする恐山山地である。
私もこちらに来てはじめて知ったことだが、「恐山」という名称の山が存在しているのではなく、「恐山」とは、宇曽利湖(うそりこ)を中心とした 釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰の外輪山からなる総称なのだそうだ。
私が目指しているのは恐山菩提寺のある いわゆる霊場恐山であり、高野山、比叡山と並んで日本三大霊場の一つとされている地である。

恐山は、アイヌ語で宇曾利山(うそりやま)とも称され、「ウソリ」とは「湾・入江」の意味をもつとのこと。
「人は死なば、お山さ行ぐだ…」と、下北では、「死ぬ = 山(恐山)へ帰る」と信じられており、現在でも地蔵信仰を背景に死者への供養を目的として東北各地から参拝客が訪れるそうだ…。

バスは、小さなむつの町を後に、青森ヒバの茂った山道をゆっくりと登って行く。
車中では下北、恐山の観光ガイドに続いて、その昔、恐山へ参拝する為に歩いて登った人々がその道中で歌ったとされる民謡が流れている。
現在では、こうしてバスに乗って楽々と行くことができるが、昭和初期までは道なき道を行かねばならない修行にも似た道中だったのだとか…。
車道の際に目をやると 「丁塚」と呼ばれる石柱が点在しているが、これは恐山の一千年祭 (1857~1862年)の時、参拝者の道しるべとして信者によって建立されたもので、田名部から恐山総門まで(約14km)の間に一丁間隔毎に計124基あるそうだ。

そしてバスは街道途中の‘冷水(ひやみず)’というバス停で停車した。

恐山 冷水ここは恐山の湧き水の水呑場となっていて観光名所の一つなのだとか…。 
その案内が可笑しかった。
「この‘冷水’を1杯飲めば10年長生きが出来、2杯飲めば20年長生き出来て、そして3杯飲むと・・・・・
死ぬまで長生きが出来る!」 とのことで…  これを聞いて私は、思わず声を上げて笑ってしまった。
バスの運転士さんより「下車して飲んで来てもいいよ」と言われ、私はいの一番にバスを降りて‘冷水’をいただいた。
手にすくって 一杯、 二杯、 そして 三杯飲んで、「これで私も死ぬまで長生きできるぞ!!」
しかし、四杯、五杯・・・と飲んだ場合は、いったいどんな御利益が…???

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