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2009夏 一人旅・回想録 22 ( 霊場恐山 1 ) [Travel]

バスの窓を開け、生い茂った青森ヒバの原始林の中を吹き抜けてきた恐山の風を頬いっぱいに浴びながら霊場恐山へと向かう。
車内では再び民謡が流され、私はそれを空耳のように聞きながら・・・、 
そのメロディーのせいだろうか…? 歌詞もわからないままに、なんだか悲しくなってきた…。

民謡の後は再び観光案内が始まって、それは恐山の随所に見られる‘積み石’にまつわる物語であった。
親よりも先にあの世へ逝った幼子が、その罪を償うために‘賽(さい)の河原’と呼ばれるあの世とこの世の境界で、父や母に詫ながら救いを求めて石を積んでいくのだが、しかし毎夜毎夜地獄の鬼が現われて、無残にもそれを崩し壊されてしまう。
その積み石の塔を崩され苛められて嘆き悲しむ幼子に、地蔵菩薩が救いの手を差し伸べるというお話であった。
そしてこの地を訪れた父母は、我が子の責め苦を少しでも軽くしてやろうと丁寧に石を積み上げていくのだとか…。

これは『地蔵和讃』を元にした仏教とは全く無関係な物語であるが、多くの人がこれを信仰している。
「 これはこの世の事ならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなる
 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬ幼児が 賽の河原に集まりて 父恋 母恋 恋し恋しと泣く声は
 この世の声と事変わり 悲しさ骨身に達すなり かのみどり児の所作として 河原の石を取り集め  
 一重(ひとつ)積んでは父のため 二重(ふたつ)積んでは母のため  
 三重積んでは故里の兄弟我が身と廻向(えこう)して
 昼は一人で遊べども 日も入あいのその頃に 地獄の鬼が現れ やれ汝ら何をする」

バスは、鬱蒼としたヒバの原始林の中からいきなり飛び出したかのように一転して日差しを遮るもののない湖畔沿いの道へと出た。
目の前には青い夏の空と、碧く澄み切った宇曽利湖(うそりこ)、その奥には外輪山の山並みが見渡せる。
そして左手前方に見えてきたのが正津川、通称・三途の川にかかる太鼓橋で、その朱色が風景にアクセントをもたらして良い感じ! だけどこの橋、悪人には針の山に見えて渡れないのだとか…。
良かった♪ 私には針の山じゃなく、美しいお浄土への入口にかかった橋に見えるわ!(;^-^)ゞ

とうとう着いた・・・・・   恐山まで来てしまった・・・・・

バスを降りてまっすぐに入口へと向かう。
まずは入山料(¥500)を支払って、受付所にてスーツケースを特別に預かってもらう。
そして総門の前に立ち止まり空を仰いだ。
日差しがキツイ・・・・・    それ以外のことは何も思わなかった。

恐山菩提寺恐山菩提寺の本坊はむつ市にある円通寺で曹洞宗のお寺である。 本尊は延命地蔵菩薩。
開山は約1200年前の862年に、天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられ、円仁が中国での修行中に見た夢のお告げによって導かれこの地に辿り着いたのだとか…。
当時は天台宗の修験道場として栄えたものの、1457年には廃寺となり、1530年に再興されている。
恐山が霊場として全国に知られるようになったのは戦後のことで、当時のマスコミが「死霊の山」といったイメージで宣伝したことによって注目を集めるようになったわけだが、元々は、下北地方に昔から伝わる大漁、五穀豊穣、無病息災といった現世利益を願う「地蔵講」という習わしによって地元民の地蔵信仰の対象となった寺にすぎない。

しかし・・・・・、  なぜ私は恐山まで来たのだろう・・・・・・?

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