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12月 ・ 浅野屋交流会 [法座・座談]

もう一週間も経ってから書くのも何だけど… 今日は時間もあるし、歯抜けた日記の穴埋めBLOG!

先週末の金曜日、懇親会のために名駅へお出かけ。 
すこぶる晴天に恵まれ、せっかくだからと早めに家を出て、青空の下、大きな銀杏並木の黄色が色鮮やかな桜通をぽちぽちと一人歩く。
何故だろう…、 目に映るものたちが語りかけてくるみたい・・・、 そんな不思議な感覚の中、目から、耳から、ダイレクトに心に響いてくるものがある・・・。
人も、ビルも、街路樹も、私の側から、私の基準で見るのではなく、相手から見た私はどうなのだろう?
それは人目を気にするということではなく、その人を通して自分を見るというか、知るというか・・・
また、ビルや街路樹は、どうしてここにあるの? って…、 その答えに自分を見つけるというか・・・
何だか自分でもよくわからないけど、秋の落ち葉が木枯らしに吹かれて胸の中で舞っているみたいに騒がしくって・・・、 そして、町の雑踏、生活の音、風にざわめく木々の音、それら総てが一つの声に聞えてくる。
小春日和の昼下がり、 今日は何だか不思議な気分… (#^^#)

フッと思った・・・。  空が青くて嬉しいと感じる。  空が青くて嬉しいと思えることがまた嬉しい。
やっぱり幸せなんだなぁ~、 人間として生まれさせていただけたってこと。
当たり前じゃないんだよなぁ~、 人間として生かさせていただけているってこと。
     身はいやしくとも畜生におとらんや、
     家まずしくとも餓鬼にはまさるべし、
     心におもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。
不意に 『横川法語』の一節が頭をよぎった。

嬉しいとか、悲しいとか、喜怒哀楽に自由に動ける心があるのって、幸せなんだよね…、きっと…。
当たり前って思っていることも、本当は当たり前なんかじゃないんだよね…、きっと…。
‘幸せ’と思える心も、‘当たり前’と思っていることも、一寸先の縁に触れれば、簡単に崩れちゃうものだけど、そんなものが大切だって、そんなものにしがみ付いている私に向かって、やっぱり囁きかけてくるものがある。
でも、耳を澄ましても、 ただ待っていても、 心の中を探してみても 何もみつからない・・・

「南無阿弥陀仏」 小さく呟いたその声は、街の騒音に消されるよりも早く、私に耳に届いた…。

徐々に薄暗くなって、街に明かりが灯り始めた。
12月、クリスマス前のこの時期は、夜の街がとても綺麗…  それ故に寂しさがつのる…
夕方、仕事上がりのYuさんと名駅で待ち合わせ! ここだけの話しv(^^*)、意外にもYuさんはスーツ姿の似合う人だった[わーい(嬉しい顔)]

懇親会の会場は浅野屋さん。 
今日のメンバーは、Yuさんと、OG先生と、常連のDr.Fさんと、新顔のYTさん、そして私の五人。
初めの内は、YTさんより先日の大会での感想を聞いていたけど今一つ盛り上がりに欠けたものの、途中からDr.Fさんが登場して一気に盛り上がった!

「私は医学者だから殺生が罪悪だなんていう話など聞きたくないし、絶対にするもんか!」と、御法に対して分厚い拒絶のバリケードを張ったDr.Fさんに、Yuさんと、OG先生が攻撃を開始する。
するとDr.Fさん、「細胞レベルの殺生は? ウイルスを殺すのも罪か?!」などの屁理屈論法を方向も定めずに乱射してきて、今にも席を立って帰ってしまいそうな勢いで反撃をされていた。
「Dr.Fさんの話しには、仏法の‘ぶ’の字もないじゃん! 見事に迷ってる! お目当てそのもの!」と私なんかに言われる始末…
Yuさんからの顔面パンチも、OG先生からの頭なでなでも、まったくそっちのけで、オーダーしたステーキが目の前に運ばれてきたらば、「ウシさん食べま~す♪」と言いながら嬉しそうにほお張っているDr.Fさんのその姿に、仏法音痴な私の姿を観せていただいた。

常に中心に自分(我)があって、それが迷いなんだと観せていただき、罪を罪とも思えない私だから、それが大問題なんだ、一大事なんだと教えていただいた。
私の自性、その一つ一つが如来さまを泣かせている。 だけどそこにこそ本願力がかかっているんだって!  そう聞かされても私は御法にそっぽを向くばかりで・・・、 だから南無阿弥陀仏さまになってくださったんだって! これだけが真実。 
そして、お目当ての当人である私に、如来さまは何も要求されてはいないということ。

帰り道、最後にOG先生とお別れしてから、私は一人雑踏の中をさ迷い続けた。
迷路のような名駅の地下街…。 下を向いたまま歩こうと思ったら一歩も前には進めない…。 だから、まず顔を上げて行き先を定める。
そして指し示された道標を信じて、その方向へと歩き出す。 だって、何も知らない、何もわかっていない私自身を信じたところで、何のあてにもならないもの…
私の行く道には障害物がいっぱいあって、何が どこから どう飛び出てくるのかわからないけれど、それでも私は歩くのを止めない。 だって、ここには道があるから…。 
私が顔を上げて前を見た時、指し示された指の先には道があった。
私が望む以前から既に道は出来ていて、今来た道を振り返ってみても、今歩いているこの足元の道も、何もかもが私の為に用意してくださった道なのだと、今、迷っているからこそフッと気付かされる瞬間がある。

でもね、何よりも嬉しいのは、この道の先、「ただいま~!」と言って帰る場所には、両手を広げて待っていてくださる方がいるということ。

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