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高山報恩講  Part Ⅱ [法座・座談]

高山支部報恩講法座の二日目、朝は7時前に起床してチャチャッと身支度を整えてから朝ごはんをいただく。 あっ! そ~言えば 今朝はTMおかぁさんお手製の美味しい梅干をいただくのを忘れとりました!

朝食後、YMさんとAKちゃんとHRちゃんと私とで‘あじか’まで Drive して Shopping を楽しむ♪
目的の‘米フォンケーキ’の他にも、メロンパンと高山あんぱんをご購入で、ルンルン ってしていたところに、「私ら、いったい高山に何しに来たんやろか~」とのYMさんの有り難いお言葉が、後頭部を一撃 (^-^)ゞ 

朝のお勤めにはギリギリセーフで間に合って二日目の御法座が始まった。
(例によって御法話については機会があれば後日UPするということで…!)
S先生より午前の御法話をいただいた後の座談会は三部屋に分かれてすることになった。
私は昨夜の内から申し合わせていたKnさんとYMさんの分級に入れていただき、その他には高山のTGさん、それに仲良しのUDさんとインド仲間のYZさんという気心の知れた人たちとの分級で気負うことなく座談会に臨むことができた。
でもやっぱり思っていることを言葉にするのって難しいなぁ~
BLOGのように、見えない相手に一方的に自分の思いを指で打っていくという作業は厭わないのに、面と向かって口で自分の思いを言葉で伝えるというのは、私にとってはものすごく難しい…。
自分の内心を離れたことならば平気でしゃべることが出来るのにね~ェ…、 心の内を声に出そうとすると、大きな山を幾つも越えなくてはならない・・・
でも、この座談会では、自分なりに精一杯頑張って言葉に出来たように思う…
ただ、なにせ初心者だから…、 要点も要領も得ない発言になってしまったけど、少しずつでも話せるようになれればいいなぁ!

さてさて、この座談会ではUDさんを中心に進行していった。
なんだかすごくよくわかるんだ…! UDさんの今の苦しさとか…
それと同時に、私の犯してきた過去のあやまちも…、そして今現在の自分の愚かさも…、 お同行さんを通して、観せてもらい、聞かせてもらえる。
今までもそれは痛いほど感じてきたのに、思い返せば私は自分の苦しさばかりを相手にしていて、そこにかけられた阿弥陀さまのお心をチッとも見ようとはしていなかった…。
あの時、どうして顔が上げられなかったのかわからないし、今、どうして顔を上げていられるのかもわからないけど、ホント、自分の方ばかり見ていたってど~しよ~もないじゃん!ってことだけは、自分に言える。

午前の部が終了すると、Ktuパパから誘われてYZさんと一緒にH家に向かうことになった。
思えば、初めてH家にお世話になった時、「あぁ、実家に帰るって、こ~ゆ~感じなのかなぁ~」って、すごく心温まる気持ちになり、その上、前回の座談会の折にG先生より、「この家は、あんたの為にHさんが買うてくださったんや! あんた一人の為に御用意してくださった家なんやで~!」と強く言われたこともあった。
短時間ではあったけど、思いがけず今回もH家にお邪魔させていただくことが出来て、またYZさんの辛口ジョークもなかなかのもので(^-^;、おもいっきり気分転換をすることが出来た。

午後からの法座には少し遅刻してしまったけど、御法話の前には席に着くことができた。(略:御法話)
御法話の後、午後からの座談会は二部屋に分かれてすることになり、今回もKnさん&YMさんの分級でお世話になった。
この分級では特に誰かが中心になるということはなく、思い思いのところで仏法讃談をする感じで進行し、私も少し照れくさかったけどほんの少しだけ、私の口を通して遇わせていただける‘南無阿弥陀仏’の不思議を語ることができた。
そして御法座の最後には全体で集合し、S先生のお話しで高山支部報恩講法座は幕を閉じた。

3408034御法座の後、F家で皆さんをお見送りしてから、S先生と共にDinnerをご一緒させていただき、Knさんの職場の前のオープンタイプのイタリアンレストランでコース料理をいただいた。

そして食事の後にS先生のお見送りをして、私はYTさんと二人で高速バスに乗車し家路についた。
バスの車内では寝ちゃうかな?って思ったけど、思いの他YTさんとのお話しに花が咲き、名古屋まで楽しいひと時を過ごすことが出来た。

名駅前の高層ビル群が遠くに見え始めたころ、その反対側の車窓からは今までに見たことのないほどの 大きな 大きな お月様が夜空に浮かんでいたので、私が思わず大はしゃぎで、「見て! 見て!」と声を上げると、YTさんも、またバス車内のお客さんも 「おぉぉ・・・」 と言いながら、その月を眺めていた。

「私…、 月を見てる・・・・・・」  そう思った…。
月を指すその指にばかり捕らわれて、月を見ずして自分の手元で幾度となく空想の月をこねくり回している自分の姿が目に浮かんだ。
でも、月はいつだってそんな私を見ていてくれていた。
その月を見上げれたならば、私の目に合わせた優しい光を放ち、その光は私の足元を照らしてくれている。

見上げれば、月なき夜も、月はありけり ・・・・・
私が忘れ通しでも、私が見失っても、いつも月は私を見放すことなく、見続けていてくださっている…。
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