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「楽しい」の対語は? [心]

昨日、今日と、実に豊かな感情の嵐が吹き荒れた。
そんな中でただ何気なく、感情を表す言葉を思い浮かべてみた時、フッと、「楽しい」の対語って何だっけ?って思った…。
「悲しい」「辛い」「苦しい」「悔しい」「憎々しい」「腹立たしい」「寂しい」「虚しい」・・・・
プラスの感情を表現する言葉がおおざっぱであるのに対して、マイナスの感情を指し示す言葉は、実に事細かに現されているのだなぁ~と感じた。

しかし、実際の感情というヤツは、こんな言葉では表現しきれないほど多岐に渡り、しかもとても繊細なもので、それでいて絶対的な力を有してこの私を掻き動かしているのだ。

「感情」というか、「情動」というか、私はこんなモノに常に振り回されっぱなしで、自分にとって都合の良い、例えば「楽しい」という思いに関しては、自己満足の世界にドップリと浸かっていられるが、逆に「悲しい」とか「苦しい」だとかいう思いに見舞われると、自分勝手に落ち込んでみたり、逆にHighになって心のやり場を探してみたり…、要は、自分にとって不都合な感情が湧き立っている時には、自己責任というものは棚の上に置いて、当たり前の如く自分以外のモノに責任を転嫁している。

つまり、「快情動」は自分のおかげで、「不快情動」は他者・他物のせいであると位置づけているのだ。

これは、生きていくために必要な心(脳)のシステムなのかもしれないけれど、少し冷静になった時そんな自分を見せられる度に、「私、いったい何やってんだろう? 私って何様?」と考えさせられる。
まぁ~、考えてわかるものではないし…、 理屈をこねても意味のないことだから…、 「あ~ぁ… また、馬鹿が馬鹿をやって迷ってる…」とスリムに解して通り抜けている・・・。

もう少し言えば、「オレが~」の心を見せられても、また、因果の道理を少しもわかっていない自分を知らされても しらけた心しか私にはなくて、そんな私の中からは、「ごめんなさい」の言葉も出て来なければ、「如来さまのご苦労に感謝します」と頭の下がることもない。
ただ単に、「これが無明に迷っている私の姿なんだ。 だからご苦労をおかけしているんだ」と、聞いたままを復唱するだけ・・・
こんな私だから堕ちる! そしてこれを否定できるだけの手駒は一切持ち合わせていない・・・!
しかし、こんな私を「救う」と誓ってくださるお方がいて、そのお力でいつも私を包んでくださっているなんて…、摩訶不思議な話しだよな~

あれ? 何を書こうと思ったんだかわからなくなってきちゃった (^.^ゞ ・・・ なんだっけ???
まぁ~いいか!(^_^;)

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