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西光寺・報恩講  その⑥ [法座・座談]

報恩講三日目にして最後の法要は、導師のG通さんと門徒婦人会コーラス部の方々に合わせて『正信偈』をお歌でいただいた。
現代文に意訳された『正信偈』をメロディーにあわせて読む…、じゃなくて歌うというのは、聞くのも歌うのも初めての体験だったけど、とってもよかった♪
親鸞さまがお書きになられた『正信偈』にどのようなことが書かれてあるのか、その概要の一通りを多少は知っているものの、お勤めのなどで普通に漢文読みにてあげていると、どうしても口に唱えながらも頭の中では全く別のことを考えているということの方が多いが、意訳された現代文を目で追いながら歌っていくとストレートにその言葉が頭の中に入ってくる。  うん(^-^) なかなか気に入っちゃった♪

G先生の御満座の御法話は、昭和57年の常例法話が書かれた紙上法話『疑心よさらば』より抜粋しながら読んでくださった。
一番心に残った言葉は、「最後に残るものは何か?」と言う問いかけであった・・・・・。
(御法話については別途category「仏法」にて後日UPする未定の予定(^.^ゞ)

西光寺さんの報恩講が終わった。 アッという間に終わってしまったような気もするけど、私にとってはとても濃い、また深い意味のある充実した三日間であった。
この御法座はもちろんのこと、西光寺というお寺も、ここに集った人々も、G先生も、「みんな みんな すべてのものが私一人の為でしありました」と思える事が不思議で、「もったいなくもご苦労をおかけします」と思えることもまた不思議なことである感じた。

この後G先生の控え室に伺ってお片づけのお手伝いをした後は、楽しい 楽しい Launch time !
久方ぶりにいただく殺生の味・・・、 やっぱりやめられない! 待っていましたとばかりに食らいつく!
そして食事を始めて間もなくしてお迎えのMRさんが到着されると、私はまるで保育園児がお迎えのママの姿を見つけた時のようにホッとした嬉しい気持ちになった。
そして私の隣で食事をされていたG先生が一言おっしゃった、「あぁ、よかった! 京都までどうやって帰ろうかと心配しとったんや~」 と… (^‐^;)

帰り道、G先生はすぐに眠りに入られた。 さぞお疲れのことと思う。 二日目から辛そうだったもの…。
そんなG先生の迷惑も顧みず、私はMRさんにお話ししたいことがたくさんあって、京都までず~っと二人でおしゃべりをしながら過ごした。
一番聞きたかったのは、「私は善人か、悪人か」という二日目の御法話での問いかけで、G先生がなされなかったお話しの続きが聞きたいと思っていたがG先生はお休み中、 と言うことでMRさんに聞いてみた。

「御法は抜かして、私は「善人」か「悪人」かと問われた時に、MRさんならどちらの席に座りますか?」
「御法を抜かすなら簡単じゃん! わたしは善人の席に座るよ!」と、迷いなく即答され、「なっちゃんはどっちに座ったの?」と聞かれた。

私は、足は「善人の間」に突っ込んだまま、身体は「悪人の間」に置いていた感じ…。
でも橋本さんのように、「善人でも悪人でもどちらでもない」と言うんじゃなくて、「善人とも悪人とも両方だと思う」ということで決めかねていた。
MRさんは改めて、「御法は抜かすんだよ!」と強調されたが、それでも私はどちらか一つに決めることは出来なかった…  あぁ…、私…、ただいま迷いの真っ只中(^_^;)

具体的に、これまで自分のやってきた「善」と思えることと、「悪」と思えることを考えてみたら、「悪いと思うこと」はいくつでも出てくるのに、「善いと思えること」は、そう思った瞬間に自分自身によって否定されちゃう…。
「でも、自分が悪人だと思っていたら生きてられないんとちゃうの?」 とMRさんはおっしゃった。
そ~なのかなぁ~・・・・・ 
「悪」を「悪」とも思えない私がいながら、「善」を「悪」と思ってしまうのは、やっぱり御法のお育てをいただいているからで、これを抜きにしてと言われても抜けないのかなぁ~?
だけど、そもそもMRさんのように、「自分は迷いなく「善人」の席に座る」と言い切れるのも、やっぱり御法の上に立っておられるからなんじゃないかなって思った。

お釈迦さまが、「曾無一善(ぞうむいちぜん)」、「悪道不絶」とお説きくださったからこそ、御法の上に立てば、「私は悪人」の座に迷うことなく座ることが出来るであろう。
しかし、親鸞さまが、「邪見驕慢悪衆生」とお示しくださり、G先生が、「わたしの2つの迷い」、(一つは、「私は死なへん」と思っているという迷いと、もう一つは、「私は善人だ」と思っている迷い) ということを教えてくださったからこそ、MRさんは迷うことなく、「私は善人だ」と言えるのじゃないのかなぁ? やっぱり、御法の上に立てばこそ迷うことなく「私は善人」・「私は悪人」と言えるんじゃないのかなぁ? って思った。

「御法を抜いて」と言われたG先生だけど、そこが一番のミソかもしれない!
御法を抜いたら、私ってグラグラじゃん! って思った。

だって、私が自分を「善人」だと思っても、「悪人」だと思っても、そんな思いなんてコロコロと変わる。
現に、この時私は「悪人だと思う」という方に比重が偏っていたけど、今は「善人だと思っている」という方の比重のが大きくなっている。
その証拠というか・・・、 もし私が自分のことを「悪人」だと思っていたら、自惚れ心とか、驕りの心なんか出てこないんじゃないのかな~って思ったから・・・。
やっぱり私は、「悪人」である自分を無意識のうちに拒絶して、「善人」だと思っているからこそ自惚れたりもするし、それ故に自分をわかってくれない人を憎んだりもするし、偽善も出来るんじゃ~ないのかなぁ~ って思った。

京都までノンストップで車も会話もふる回転!
G先生、しっかり寝息をたてられていたから熟睡されていると思っていたら、車を降りられる時に一言、「あんたらうるさかったなぁ~」って・・・・・ (^.^ゞ  ごめんね、G先生!(#^^#)

この後も、お言葉に甘えてG先生のお家に上がり込み、またまた二時間くらいYK夫人とおしゃべりなんかしちゃって、ホントにすっかりお世話になってしまった…
あぁ・・・・・・ でも、御法ってすごいなぁ~…、 私一人の為にとんでもないご苦労がかかっている…、 っていうのを、ほんのちょみっとだけ、ほんの一瞬だけ、感じさせていただけた三日間であった。

G円さんから送っていただいた写真、使わせていただきま~す\(^o^)/ ありがとうございました[黒ハート]
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