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「私は幸せ」 と 思いたい… [法座・座談]

YTさんが事務所を移転され、新事務所を今後の座談会の場として利用できるようにとアレコレと考えてくださっているということなので、その下見を兼ねて新事務所に集まりましょ~!ということになった。
ところが出席予定者のキャンセルがドタバタと相次ぎ、結果的に参加者は私だけになってしまったので、今宵は 美味しく 楽しく 二人っきりで じっくり ゆっくり 語り合うことになった。
それゆえに、この日のことをBLOGに書こうとすると、とても長くなりそうなので…(^^ゞ、それほど充実していろいろなことを聞かせて・感じさせていただけた時間だったので、今後小出しにしながら、今、思うところをボチボチと書いて行けたらと思う。

YTさんの言葉を聞いていると、聞法を始めて1,2ヶ月頃の私の心・頭とピッタリと重なり合う。
それに、座談会や懇親会では出されたことのないホンの些細な彼の一つ一つの言葉がとても心に響いてきて、その度に私自身を見させていただき、こんな私に仏さまは何ておっしゃっておられるのかと言うことを、あの時、先生や先輩同行方は、いかにして私に伝えてくださったのかということが深く懐かしく思い出された。

この日、一番印象に残った言葉は、「私は幸せ」と言う一言。
前々から聞いてはいたが、その前後の会話と合わせていただくと、彼が思っているままに見えている彼自身と、彼が見ることの出来ていない彼自身が、手に取るように見えてきた。
それはまるで、私自身を鏡で見ているようだった。
過去の話ではない。 私は今も何も変わっていない…。

聞法を始めた頃の私は、自分にどんな過去があろうとも、今現在何を抱えていようとも、「私は幸せ!」 って言い切っていたし、心底そう思っていた。
今だってそう思っている!  だって、そう思ってなきゃ~、やってらんないじゃん・・・・・
誰だって人生皆苦だよ…、 私だけが苦しんでいるわけじゃない… 
そりゃ~ 私だって、「あぁ、生き辛い…、何でこんなに苦しまなくっちゃならないんだろう…」と思うことは多々あるけれど、いつまでもそんな思いに埋没していたら生きて行かれなくなっちゃうじゃん!
だから頭を切り替える! 心の持ち様を変える! そうすることで自分を護りながら生きて来たんだ!
だって、自分しか自分を護ってあげることが出来ないから…、 だから、私が私を護るんだ! って・・・
そうしなきゃ、私は生きて来られなかった・・・ そうしなきゃ~、今ここに、私は存在していない・・・
それなのに、「私は幸せ!」と思うことが、ど~していけないと言うの?! 何で文句をつけられなくっちゃいけないの?!
そんなふうに思っていたから、「自分をさらけ出せ」とか、「自分の足元をじっくり見て本心に問え」とか、「心の蓋を認めろ」とか言われても、「何でよ?!」、「ど~して?」、「ど~したら?」 しか出てこなかった…。

 御法を語っていただいても、私の方は、世間事 ・ 今生事 でしか聞いていなかったから・・・・・

 如来さまの 御心 ・ 願い ・ ご苦労 なんて、まったく頭になかったから・・・・・

 これが迷っている私の姿なんだって知らなかったから・・・・・

 それに、全然私の問題になっていなかった・・・  私一人の問題として向き合えていなかった・・・

今はどうだろう・・・・・・・・・・。
今も、「私は幸せ!」って言えるよ!  それも、「二本の幸せ」があるように思う。
一本は、以前と何ら変わりのない足元のゆるい幸せだけれども、私にとってはすっごく大事な幸せ。
もう一本は、以前 G先生が 「わしら幸せやなぁ~」と言ってくださった時に初めて知った、「あぁ、本当だ!! こんな私に…、 こんな私が…」 と、頭の下がるような幸せ。
この後者の幸せをいただくために 私は 私として 生まれさせていただいたのだと感じた時、やっぱり私は幸せで…、
それなのに、私は いつも いつも いつまでも、前者の幸せばかりを追い求めている…。

ホンに 全然変わってない…。 私は何にも変わってない…。
私の心をかき乱すモノは排除しようと脳は働き、「私は幸せ」と思える心境を作り上げることに精を出す。
泣けちゃうくらいに浅ましく・・・ 御法には背を向けて・・・  はぁ~ ・・・・・

こないだのデートは、とっても有意義で楽しかったです!(*^^*)
それに、美味しい沖縄料理にも大満足で(#^^#)、 はぁ~~~、私って幸せ~[黒ハート]

3501175

ど~もごちそう様でした m(__)mペコリ[揺れるハート]

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喜べない私でよかった! [法座・座談]

先週末の落ち込みからなかなか立ち直ることが出来なくて、心が変な方向へと走ってしまい、それで更に自己嫌悪に陥るという悪循環を自らが作り出している現状に我ながらウンザリする・・・・・。
でも今は、表面上だけでも元気に振舞っていられるので、状態はそれほど悪くない…。

時を同じくして先週のとある日、「君は、ガラスの様に壊れやすい心の持ち主だ」 と ある人を通じて言われた。
私自身、そんなイメージは持っていなかったけれど…、 でもそう言われてみると、私は私の心が壊れてしまわないようにひどく丁寧に取り扱っているなぁと思った。
しかしその反面で、こんな心など叩き割ってしまえ! とばかりに、自らの心に刃を振り上げている自分もいて…、 護ろうとする私と、壊そうとする私が、‘我’の中で、「オレが~!」という自己主張をしながらせめぎ合っているような・・・。
そして、そんな自分を傍観している私もいて・・・・・、 なんだか複雑・・・・・
今日はこんな心持ちだったから、凡夫の苦悩にまみれて、「喜ぶ」という感情から見放された…? いや、自らが拒否したような一日を過ごしてしまった。

そういえば…、 「喜ぶ」という感情をめぐって、自分の中でまだモヤモヤしたものがあったんだった!

先週、福岡のYZさんがお仕事のために名古屋に来るというので、一緒に夕食デートをすることにした。
YZさんとは二ヶ月ほど前から、「喜び」についてお互いの味わいを何度か語り合ってきたのだけれど、私自身のところで何だかスッキリしなくて…、 それで今回も 「きっと二人で話しをしていても、このモヤモヤは解けないだろうな~」 なんて思ったのでYuさんにも同席していただくことにした。

YZさんがいつまででも、どれだけでも喜んでおられることについては、私にとってはど~でもよいことなので、これに何の問題もない。
ただ、私は、私自身の喜びについて、ちゃんと考えてみたいなぁ~って思っただけ…。

なんかね…、 私が自分の力で何かをして、その結果として何かを得たのであれば、それは素直に喜べるだろうけれども…、 私は何もしていないし、何も変わっていない…。
ましてや、私が頑張ったど~のこ~のと言う以前に、そもそも私が望んだことでも、願ったことでもないもの!
だから、周りの人から、「なっちゃん、喜びはったんやね~!」と言われても、「私は喜んでなんかいないよ!」と言うしかなかった。 
でも、「素直に喜びなよ!」と言われてやっと、「それじゃ~、何に喜べるのかを考えてみようと思った。

そ~言えば、以前、MO先生が『巻頭言』に、「私はホンマにアホやなぁ~と、嬉しくなってくる」と書かれ、S先生は、「虚仮不実の私で嬉しくなる」とおっしゃったことを思い出した。
それじゃ~ 私は・・・? 

そんなことが常に頭の片隅にあったここ最近、先日の報恩講さんでは、OG先生とKY先生が、『歎異抄』第九章の寸劇をしてくださり、私はこれをとてもありがたく聞かせていただいた。

「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。 よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。 よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。 ・・・(以下略)」

この寸劇を聞いていた時、「あぁ~、喜べん自分でよかった!」 と 嬉しくなってきた。
よくわからないけど・・・、 如来さまのお心にホンの少し触れさせていただいたとても、その喜びも、切なさも、アッと言う間に消えてしまう・・・・・
私の中には、「オレが~」の心で求めるものしかなく、後生の不安も、往生浄土を願う心も何もない・・・。
そんな私なのに、御法に触れさせていただいた時にこぼれ落ちる涙…、 そして無自覚の喜び…、 あぁ~、私のものじゃなかったんだ!って思った。

何もない…、 「喜ぶ心のない私でよかった!」 って、ほんのちょっぴり喜んでいる私を見つけた。

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報恩講  ~初めての世話人~ [法座・座談]

今年、最初にして最後(?)の大役を、何とか無事に終えることが出来た。
それにしても、今年度はホントに数多くの報恩講さんとのご縁を結んでいただいた年だったなぁ~…
無自覚の喜びに溢れた高山報恩講に始まり、G先生とご一緒させていただき貴重の体験をさせていただいた西光寺さんでの報恩講、そして、はじめて参加した西本願寺本山での報恩講に、今回の初めて世話人として参加させていただいた報恩講さん。

一言で感想を述べるとすれば、 「もったいない…」  ただそれだけである…。

聞法を始めて一年が過ぎた昨年の8月、Knさんから、「今度の報恩講さんで、世話人をやってみない?」とのお話しをいただい時は、お酒の入った席だったし、ついついいつも軽~いノリで、「一年そこそこの私なんかに出来っこないじゃ~ん(^^)」って言いながらもヒョイッと引き受けてしまった。
10月になってあとの二人の世話人も決まり少しずつ実感がわいてくると、いったい世話人って何なんだ?と、具体的な疑問がわいてきた。 それと同時に、周囲からはあまり嬉しくない情報も入ってきた。

実際に世話人としてのお仕事をさせていただく前に、まずは三人しかいない世話人の足並みを揃えなくっちゃ!ってところから始まったわけだけど、これがなかなか難しく…(^.^ゞ 、OYさんからいろいろな悩みを打ち明けられて、ソレはソレで、コレはコレでしょと思いつつも…、 でも、所詮は他人を変えることなど無理なお話しで、それならば私に出来ることは遠慮なくさせていただいちゃおう!との決意と行動につながった。
最初のお仕事は、お世話係りの人員確保! こちらも、「僕がします」との言葉とは裏腹に一人も決まっていなかったので、私の方から率先して依頼さていただいたが、みんな みんな 快く承諾してくださって、まずはここで頭が下がった。

さて、次に世話人としてはどんなお仕事があるのか…
Knさんには、「進行表の通りにやればいいよ」と言われ、 MRさんには、「行事係りに相談するように」と言われ、 OYさんには、「僕は世話人の経験者だから大丈夫」って言われるけど、私自身、何をしたらいいのかサッパリ検討もつかない・・・
そんな時、Yuさんが‘おせっかいメモ’なるものを箇条書きにして送ってくださったことで、なんとなく方向が見えてきて、自分なりのマニュアルを作ってしまおう!と思い立った。
これをMRさんに相談して、AKちゃんやHMさんに助けていただきながらマニュアル作りを進めて行ったことで、自分なりに進行のイメージが出来てきて、また、何度も 何度も 校正を重ねるうちに、文字上ではあるけれど総括的な流れを把握することも出来てきた。

この年末・年始、お世話係りのマニュアル作りや、オリエンテーションのシナリオ作成、参加者名簿の作成などをさせていただいたおかげで、確かに大変ではあったけど、その勢いのままに報恩講さん本番へと突入することができた。
唯一心配だったのは、OYさんからのメールが大会以降プッツリと途絶えてしまい、何を伝えても一方通行のままその日を迎えることになったこと。 でも、当日の事前打ち合わせでは、二年生三人組による世話人のコミュニケーションもとれてきたように思う。

いよいよ報恩講の法要が始まった! と 思ったら、緊張のオリエンテーション! そして御法話の後のおやつタイム! そんで、座談の後には夜のオリエンテーションに、ディナータイムでしょ~!
容赦なくスケジュールが進行していく中で、全般を見ていて一番に思ったのは、「生活係りをはじめとする見えない所でお世話をしてくださる方々の苦労を横に置いて、前面で大きな顔をするな!」ということ。
今回、そのほとんどのメンバーがお世話係り未経験者であったにもかかわらず、大事無くスムーズに勤め上げることができたのは、やはり諸先輩方が造り上げてくださった歴史があったからこそだと思った。
私には、そのご苦労は見えないし、何もわからないけど、でも今回、世話人としてのお仕事をさせていただいて何よりも心に感じたのは、歴々と続く見に見えないご苦労が如何ほどのものであったか… ということ。
今にして思えば、これを教えていただくための、私のための報恩講さんであったと・・・・・。

そして、報恩講の最後に、『報恩講のうた』を歌わせていただいたが、 ホントに…、祖師聖人の御恩徳をはじめ、今、ここの私にまでつながった数々の御恩を、ほんの少しだけでも感じさせていただけたことに、涙なくして歌うことが出来なかった…。
泣きながら歌う私の横で、いつの間にかMO先生も泣き出されて、二人で鼻をじゅるじゅるとさせながら歌わせていただいた『報恩講のうた』が、今回の報恩講さんで一番印象に残った。

でも、一番嬉しかったのは…、 御法でも、御恩徳でもなくって… (*^^*)
G先生に、「いい子だな~、いい子だな~」って肩を抱かれて頭をグチャグチャにされたこと!  それが一等賞に嬉しかった[黒ハート]

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親の名前を知っている [法座・座談]

井上さんとお別れをした後も、頭の中は井上さんからいただいた言葉で溢れかえり、胸の中はワクワクとした温かさで火照っていた。
Yuさんから、「井上さんが会ってくださったということ自体すごいことなのに、それを時間延長までして3時間近くもお話ししてくださるなんてすごい~!」と言われたとおりに、本当に素敵な出遇いをさせていただき、深い 深い時間を過ごさせていただいた。

帰り道、どこをどう歩いたのか…、Yuさんと何をお話ししたのか…、断片的にしか思い出せないくらいに頭も胸もいっぱいで、それを何度も心の中で復唱していた。

今回、母のことを通して思い知らされたと。
本当に私は、親の命の犠牲の上に平然と立っている・・・・・

私を、この世に人間として生まれさせるために、いったいどれほどのご苦労があったのか…、私には、その一欠けらもわからないし…、 感じることすら出来ない…。
でも、こうして人間として生まれさせていただいてからのことなら、ほんの僅かだけ…、ほんの時々…、感じさせていただけるまでにお育てをいただいた。
父と母がいなければ、私はこの世に生を受けることなど出来なかったという事実も、自分が幸せの真っ只中にいる時には感謝できたとしても、苦悩の最中にいる時には、平気で親を恨み殺す・・・・・
ここまで育てていただくのに、どれほどの愛を与えていただき、どれほどの犠牲を強いてきたのかなんて考えることもなく、私はいつだって自分の為だけに生きていた。
そう・・・・・、 人として生きている意味もわからずに、わがまま放題に生きて来た・・・・・

でも、今、何のために人として生まれさせていただいたのか、その意味をハッキリと教えていただき、これをコクンと頷けるまでに育てていただき、その愛に包まれながら生かさせていただいている。

井上さんはおっしゃった。  
私の母は、如来さまの命(めい)によってこの世に生まれ、そして帰って逝ったんだと・・・。
母が、何故に私を愛しんでくれたのか…、 そんな母の人生を何故に私一人が背負い、そして最後を看取らなければならなかったのか…
それはすべて私のためだったと・・・  すべてが、私一人のためだったと・・・・・・
母が、母の一生をかけて、母自らの命をかけて私に教えてくれたこと・・・、 私にはそのほんの一端しかわかってはいないだろう・・・・・。
でも、振り返ってみれば、順縁も、逆縁も、何もかも全てのご縁が、「これ一つ聞いて欲しい」 という 大きな 大きな 願いの元に、この私一人の為に用意して下さった道なのだと言える私がここに居て、これを教えてくださった師や友がいる。
すごいよ・・・  すごいことだよ!

井上さんが、何気なく、それでいて深く言われた一言が、私の胸元にほっこりと浮かんできた。

  「親の名前を知っているって、すごいことだよね!」

そんなすごいことを当たり前のようにしか受けていない私だけれども、私に人間としての生を与えてくださった真の親様の名前を知っているって、やっぱりすごいことなんだよね!
その親の名を呼ばせていただき、その親様から呼んでいただいた声を聞かせていただけるって、とんでもなくすごいことなんだよね!    南無阿弥陀仏

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出遇い 井上さんと 鮨Bar [法座・座談]

井上さんが次に連れて行ってくださったのは、Caféの近くにあったお寿司屋さんで、ここでも井上さんから、「30分だけだよ」 との前置きがあった上で入店した。
そしてお寿司をいただきながら今度はYuさんも交えて三人でいろいろなお話しをした。
聞いているのがもったいなく思える話しもあれば、 へぇ~、そ~なの?! っていう面白い話しもあって、食べ物に目の無い私が、目の前に出されたお寿司を忘れてしまうほどに井上さんのお話しに夢中になった。

お話しをしている中で 強く 強く 感じたのは、‘御法のつながり’ というもの。
以前、S先生が教えてくださった、‘連続無窮のお働き’ というのを思い出した。
この私一人に聞かすため、Yuさんを始め、たっくさんの先輩同行、そして善知識がいてくださって、その善知識や先輩同行を聞かすためにも、やはりたっくさんの善知識や先輩同行がいて・・・
簡単に図形化すれば、私 → Yuさん達 → 井上さん達 → 田中さん達 → 田中お母さん達 → G先生 → KOZEN先生 →→→ 蓮如上人 → 親鸞聖人 → 七高僧 → お釈迦さま と…。
本来なら 決して 決して 一本の線にはなろうはずがないのだけれど、このように、この私一人に、これ一つを聞かすために、いったいどれだけの 長く 広い つながり、ご苦労があったのだろう… ということを、井上さんとYuさんのお話しを聞いていて今までになく具体的に感じさせていただけたように思う。

Yuさんの師匠は井上さん、その井上さんのお師匠さんである田中さんとおっしゃる方のお話しをたくさん聞かせていただいた。
お二人は、田中さんのことを‘閻魔大王’だと言われた。 隠し事など一切できず、すべてを見通されてしまうのだとか・・・σ(^_^;)!  そして、その上で言われる一言が、とってもキツイらいし~(^∧^)
「人を見通せる能力?」  いったいどんな人なのだろう・・・、  とても興味が湧いた。
そして、井上さんご自身も、そんな能力を秘めているのだそうだ。

井上さんとは今回初めてお会いしたわけだけど、先ほどのCafé Barでの、たった1時間足らずの会話の中に、私が自らの言葉で語る以前から、井上さんには私の過去とか、私が抱えている悩み、それに私自身が気付いていない私の問題点などが、サラリッと、何気なく話しの中に織り込まれていた。
井上さんから断定的に言われることなど何一つない。
でも、「どうしてそんなことを知っているの?」と問うよりも、「もしかしなくても、すべてバレてる?」ということを感じるのに不足はなかった。
井上さんとお会いして、始めのうちこそイイ格好氏の私が前衛に立ちはだかっていたものの、「私の根性は見通されている…」 というとろに腹が据わってくると、私の中には開き直りの気持ちが生まれて来た。
「バレる恥ずかしさ」 というものはもちろんある!
でも、それ以上に、私の知らない私までこの人は知っていてくれているんだと思うと、いつも無意識の内に分厚く重ね着をしている‘私’という着ぐるみを脱ぎ捨てて、裸で居られるような心地よさを、私は‘楽’だと感じていた。

でも、この考えは井上さんにもYuさんも否定された。
私には、「すべてを見透かされているという恐さが自覚できていない!」 というのだ。
「う~ん…、 でも、仏さまは、こんな私を隅々まで、全~部お見通しだよ!」 と言うと、「相手は仏さまじゃない! ソレとコレとは違うんだ!」  な~んだって…(^.^;)!

「30分だけね!」 と言われた時間が、アッと言う間に1時間、2時間と過ぎて行く。

井上さんのお話しが所々でわからなくなるのは、「御法の話し」と、「これは御法ではないけれど」という話と、「これは本音の所ね!」という話が、上手く自分の中で処理出来なかったからかもしれない。
とにかく、一つの言葉も聞き逃したらもったいない!なんて思ったから…、 欲張り過ぎたんだよね (^^ゞ
だけど、「忘れたくない! 心に、頭に、留めておきたい!」 と思っても、ものの見事に頭の中からあっけなく消えて行っちゃう・・・・・
でもね、井上さんの言葉って、頭じゃなくて身体の方にしみこんで行く感じがして…、 そして、ほんのちょっこと頭に残っている言葉だけで十分かなって思えた。

「そろそろ帰らなきゃならないけど…」と言われた井上さんから、「コレだけは伝えておきたい」と、最後に背を正して言われたことが、今もずっと私の心を包んでいる。

「自分のことをもっとよく知ってね。
 自分を深く見ていけば、当然嫌悪したくなる自分が見えてくる。
 でも、もっと もっと 深く自分を知ることで、自分を愛してあげることが出来るようになるはずだから。
 そして、自分を愛することが出来るようになったら、人をも愛することが出来るようになり、そうすれば、
 もっと もっと あなたは自由になるはず。 自分を解放してあげられるはず。
 自分を知るということは、自分を愛することになり、それは感謝の気持ちへとつながって行く。
 その感謝の心は、今、あなたが抱えている家族の問題をも解決してくれるだろうし、帰終するは如来
 さまへの感謝の気持ちへとつながっているのだから」
と ・・・・・・・・

井上さんの言葉は、とても不思議な響き方をした。
私は、何も言っていない…、 家族のことも…、 自分を愛せずに傷つけていることも…
私のことを私以上にわかってくれているって、すごく不思議な安心感がある。

一劫もの時間をかけて、この私を見尽くしてくださった如来さまの目には、いったいどんな私が見えているんだろう…、 そして私はどこまで深いんだろう…
これを聞かせていただく。 
それは、私を苦しめるためじゃないんだって事を、教えていただいたように思う。

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出遇い 井上さんと Café Bar [法座・座談]

夕方の4時、新大阪駅からシャトルバスに乗って向かった先は、ゆめっせ新大阪センイシティーという繊維卸問屋街。
Yuさんがお仕事の電話をアチコチヘしている間、一人でセンイシティー内を Window shopping !
新大阪センイシティーは、1号館・2号館には100数十店舗もの繊維を中心とた衣料品や装飾品などのShopが軒を連ねたShopping Mallで、3号館には家電量販店などが入った複合商業施設。
この日はなかなか落ち着いて散策は出来なかったけど、また機会があればゆっくりと歩きたいな♪

さて、Yuさんと再び合流していよいよ井上さんとおっしゃるYuさんのお師匠さまのお店へ! 
Yuさんも少し緊張しているのかな? 口数が少ない。 
私もお店の前に着くと、今までのワクワクとした気持ちから、ドキドキとした緊張感へと一転…!
今にして思えばすごく無駄なことをしていたと思うけど、この時は、第一印象には特に気を付けなくっちゃ! な~んて外見に計らっている自分が居て…、 でもこれが後になってチャンチャラ笑えてくるほど無意味なことだったんだって知らされることになる…。

初めてお目にかかった井上さんは、想像した以上のロマンスグレーでとっても優しそうなおじ様。
店頭で短い挨拶を交わした後、井上さんはお店番の人に、「30分ほど出かけてくるから」と言いおいて、私たちを近くのカフェバーに案内してくださった。
「Yuさんと井上さんは、このたったの30分間にどんなお話しをされるんだろう…」、な~んて思いながらShopの席に着くと、それと同時に井上さんの優しい瞳は私に向けられ、そして井上さんから私への矢継ぎ早の質問が始まった。
正直ビックリした!  私は井上さんとYuさんのお話しを傍らで聞かせていただくだけのつもりでいたから、こんなにも自分が何かを語ることになろうとは、全く予期していなかった…!

最初に聞かれたのは母のことだった。
「なっちゃんにとって、お母さんは何?」  
自分からは、必要に応じて母のこと、また仏法との出遇いのことなどを、話すことはあっても、こんなにもダイレクトに質問されたのは初めてのことだった…。

そして一つ答えれば、すぐにその答えに対する質問が返って来て…、これを答えたら、またその答えに対する質問が返って来る…。 そして、次、次、次 ・・・ と、答える度にその答えに対する問いかけをされて、私はどんどん答えに詰まって行った…。

つまり、私は私のことを何もわかってはいなかった…、私は私のことをちゃんと考えたことなどなかった…、 ということを自身にハッキリと知らされた…。
モノ事の表面だけを剥き取ってわかったつもりになっていただけで…、 また、自分にとって都合の良い答えのところに居座っていただけで…、 自分の深層部の存在を知ってか知らずかわからないけど、これを今まで無視していたんだ…、ということ…
これを教えていただき痛感させられた・・・・・。

母のことに関する自己の掘り下げに詰まってしまった私に投げかけられた次の質問は、今まさに、私の心を強く締め付けていたポイントに直撃だった…。
許せない自分・・・ 
「なっちゃんが嫌悪している自分って具体的にどんな自分?」
次々に繰り出される井上さんからの止めどもない質問によって、私の中の様々な計らい心がポロポロと剥がれ落ちて行き、考能力も停止する。
そして最終的にポツリと残ったものが私の地金の一部…?
本心の蔵につながる鍵穴のようなものが見えたような気がした…。

この時の井上さんのお話しは、私にはわからないことが多かった。 と言うより、区別がつかなかった…、と言った方のが近いのかもしれない…?
ただ…、 井上さんには、きっと私の知らない私がたくさん見えていて、そこのところでお話しをされているんだろうな~って感じた。

当初予定していた時間の30分は当に回っていて、店員さんが、「このあと貸切の予約が入っているので…」と告げると、井上さんは、「それじゃ~、場所を変えて、もう少しお話ししましょうか」 と言ってくださった。
Yuさんは、「これはスゴイことだ!」 と言って妙にはしゃいでいる。
私はただ単に、「LUCKY~♪」 って!  大きくて柔らかな優しさに包まれた感じがした。

でも、席を立ち上がった時に井上さんが言われた一言・・・・・ 
「今までの話しは、全部ウソだから!」
と・・・・・  笑顔で言われたその言葉に、私は何がなんだか訳がわからなくなった?????

そして、カフェバーを出る時に井上さんが付け加えられた最後の一言・・・・・ 
それが、私の小さな心をはみ出して、 大きく 大きく 広がっていった…

「なっちゃんのお母さんは、阿弥陀さまの命(めい)により生まれられ、そして阿弥陀さまの命(めい)によって亡くなられた…、  お母さんは、帰って逝かれたんだよ・・・・・」

と・・・・・・・
この言葉がどんな意味を持つのか・・・、 こんな私にでもほんの少しはわかる・・・。

誰のため?    何もかもがこの私一人のため・・・・・
何のため?    私、こんなにも愛されている…、  私、こんなにも願われている…。 

井上さんから発せられた紫雲のようなものが、私の中に流れ込んで来るような錯覚を覚えた・・・・・

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2010年 修正会 [法座・座談]

昨年に引き続いて今年も修正会に参加させていただく御縁に恵まれた。
朝9時に家を出て、北風冷たいホームにて9時半発の列車を待つが、しかし到着予定時間を過ぎても列車は到着せず、結局この列車は雪の為に運休になってしまったので後続の列車に乗り込んだ。
名古屋駅周辺の積雪は1~2cm。 早めに家を出て来たし、NETでも列車は遅滞なく運行と書いてあったので修正会の開始時刻には十分間に合うだろうと思っていたのだが…、名古屋市内を抜けると車窓からの風景は一気に雪国の様相を呈し、岐阜駅を出る頃には雪も随分と降ってきて、列車は徐行運転となってしまった。 
そして大垣駅の手前では完全に停車してしまい、この後なんとか動き出したものの結局40分遅れで大垣駅に到着した。
大垣駅から乗り換えた列車は前便が運休になったためか満員のぎゅうぎゅう詰めで、人に揉まれながらの立ち乗りはかなりきつかった。 その上、駅を出てから数分の所で積雪の為にポイントの切り替えが出来ずに立ち往生し、やっと動き出したと思ったら今度は信号機トラブル、踏み切りのトラブル、除雪作業等々、雪の為のアクシデントが続いて米原駅には50分遅れで到着!

予定では正午過ぎには京都駅に着くつもりで家を出て来たのに、結局、米原駅を出発出来たのが12時50分すぎで…  これではこの先順調に列車が動いてくれたとしても完全に遅刻である…!
でも、何だか焦る気持ちにはなれず、立ちん坊は辛かったけど、「このまま列車が止まってしまえば御法座に出なくてもすむかしら?!」な~んてことを期待している自分もいて、まぁ~、業に任せて立ち寝をしながら列車旅!

京都駅に着いたのが14時。 
修正会は13時半からなので既に始まっている。 こんな時間ではまさか知った顔はいないだろうなぁ~と思いながらも辺りを見渡すと・・・、 (^^)v いたいた! 
「家を出る時間を間違えた」とおっしゃるMK先生が、偶然にも同じ列車に乗り合わせていた。
仲間が出来ると遅刻するも心強いもので仲良く遅れて会場入り。 
そしてお勤めの終わる直前から参加することができたので、御法話には間に合ってダブルLUCKY~(^-^)v

さっそくG先生の御法話が始まった。
「みなさん、おめでとうございます。 
 元旦や 冥土の旅の 一里塚   めでたくもあり めでたくもなし    
 この歌のお心について、今日は皆さん方とご一緒にお味わいを述べさせていただこうと思います。
 これを、本日の修正会の御法話とさせていただき、簡単ではございますが、これで終わります!」
と・・・・・、 御法話は一分足らずで終了(^-^;   みんな、「冗談でしょ?」と思って誰も席を立とうとしないが、どうやら冗談ではないらしい・・・。 G先生に促されてやっと、のっそ のそと円座を組んだ。

さぁ! 座談会となったが、自主発言ということもあって二、三人の方しか言葉を発せられない。
私も、あと2%位の勇気が足りずに発言することが出来ずにいたが、S先生が促してくださったおかげでとっととしゃべってしまうことができた。

このお歌…、ちょうど十数時間ほど前に自分自身のお味わいをこのBLOGに書いていたので、そのことを少しだけお話しさせていただいた。 
でも、考えれば考えるほど、何か釈然としないものが心に湧いてきた。

MK先生がおっしゃられたように、「めでたくもなし」とは、刻々と自分の命が削られていることに対するもので、「めでたくもあり」とは、往生一定の在り難さ、というのが真宗で言う正解なのかもしれないけど、私は、自身のところでそれを受け取れずにいる感じがあった…。
我が身の後生を理屈の上でしか聞くことができない私は、これを「めでたくない」とは言い切れないし、「救われた!万歳!有り難う~!」と言うのとは逆で、「堕ち身の私…、喜べない私…、感謝の心もない私…」と受けているので、これを「めでたい」とはとても言えない・・・・・
私自身のお味わいは、生まれた時から始まった冥土への旅の中で、元旦とは単なる一つの目安(一里塚)にしか過ぎず、刻々と進み行く刹那無常の中の一つの目安(元旦)を取り上げて、これを めでたい・めでたくない と示唆することが凡夫の計らいなんだとこの時味わっていた。 
でも、何か抜けている気がした・・・  何なんだろう・・・

そして最後にS先生のお話しを聞いていて、何か「あぁ…」って思った。
私はこの歌の詠まれた時代等を無視して、今の自分を基点に判断し、尚且つこれを良しとしているな~って・・・


修正会の帰り道、京都にラチホラと雪が舞い落ちる中、行きと同様にMK先生とご一緒させていただき、米原までは楽しい時間を過ごさせていただいた。
は~ぁぁぁ・・・、 それにしても、 新年早々修正会に参加させていただけるは…、MK先生とゆっくりお話しさせていただけるは…、 私一人の為の至れり尽くせりのお手回しに、如来さまがこの私にかけてくださった願いの強さ・大きさを、ぼんやりお馬鹿な私でも、ほんの少しだけこの身に感じさせていただいた。   南無阿弥陀仏

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西光寺・報恩講  その⑥ [法座・座談]

報恩講三日目にして最後の法要は、導師のG通さんと門徒婦人会コーラス部の方々に合わせて『正信偈』をお歌でいただいた。
現代文に意訳された『正信偈』をメロディーにあわせて読む…、じゃなくて歌うというのは、聞くのも歌うのも初めての体験だったけど、とってもよかった♪
親鸞さまがお書きになられた『正信偈』にどのようなことが書かれてあるのか、その概要の一通りを多少は知っているものの、お勤めのなどで普通に漢文読みにてあげていると、どうしても口に唱えながらも頭の中では全く別のことを考えているということの方が多いが、意訳された現代文を目で追いながら歌っていくとストレートにその言葉が頭の中に入ってくる。  うん(^-^) なかなか気に入っちゃった♪

G先生の御満座の御法話は、昭和57年の常例法話が書かれた紙上法話『疑心よさらば』より抜粋しながら読んでくださった。
一番心に残った言葉は、「最後に残るものは何か?」と言う問いかけであった・・・・・。
(御法話については別途category「仏法」にて後日UPする未定の予定(^.^ゞ)

西光寺さんの報恩講が終わった。 アッという間に終わってしまったような気もするけど、私にとってはとても濃い、また深い意味のある充実した三日間であった。
この御法座はもちろんのこと、西光寺というお寺も、ここに集った人々も、G先生も、「みんな みんな すべてのものが私一人の為でしありました」と思える事が不思議で、「もったいなくもご苦労をおかけします」と思えることもまた不思議なことである感じた。

この後G先生の控え室に伺ってお片づけのお手伝いをした後は、楽しい 楽しい Launch time !
久方ぶりにいただく殺生の味・・・、 やっぱりやめられない! 待っていましたとばかりに食らいつく!
そして食事を始めて間もなくしてお迎えのMRさんが到着されると、私はまるで保育園児がお迎えのママの姿を見つけた時のようにホッとした嬉しい気持ちになった。
そして私の隣で食事をされていたG先生が一言おっしゃった、「あぁ、よかった! 京都までどうやって帰ろうかと心配しとったんや~」 と… (^‐^;)

帰り道、G先生はすぐに眠りに入られた。 さぞお疲れのことと思う。 二日目から辛そうだったもの…。
そんなG先生の迷惑も顧みず、私はMRさんにお話ししたいことがたくさんあって、京都までず~っと二人でおしゃべりをしながら過ごした。
一番聞きたかったのは、「私は善人か、悪人か」という二日目の御法話での問いかけで、G先生がなされなかったお話しの続きが聞きたいと思っていたがG先生はお休み中、 と言うことでMRさんに聞いてみた。

「御法は抜かして、私は「善人」か「悪人」かと問われた時に、MRさんならどちらの席に座りますか?」
「御法を抜かすなら簡単じゃん! わたしは善人の席に座るよ!」と、迷いなく即答され、「なっちゃんはどっちに座ったの?」と聞かれた。

私は、足は「善人の間」に突っ込んだまま、身体は「悪人の間」に置いていた感じ…。
でも橋本さんのように、「善人でも悪人でもどちらでもない」と言うんじゃなくて、「善人とも悪人とも両方だと思う」ということで決めかねていた。
MRさんは改めて、「御法は抜かすんだよ!」と強調されたが、それでも私はどちらか一つに決めることは出来なかった…  あぁ…、私…、ただいま迷いの真っ只中(^_^;)

具体的に、これまで自分のやってきた「善」と思えることと、「悪」と思えることを考えてみたら、「悪いと思うこと」はいくつでも出てくるのに、「善いと思えること」は、そう思った瞬間に自分自身によって否定されちゃう…。
「でも、自分が悪人だと思っていたら生きてられないんとちゃうの?」 とMRさんはおっしゃった。
そ~なのかなぁ~・・・・・ 
「悪」を「悪」とも思えない私がいながら、「善」を「悪」と思ってしまうのは、やっぱり御法のお育てをいただいているからで、これを抜きにしてと言われても抜けないのかなぁ~?
だけど、そもそもMRさんのように、「自分は迷いなく「善人」の席に座る」と言い切れるのも、やっぱり御法の上に立っておられるからなんじゃないかなって思った。

お釈迦さまが、「曾無一善(ぞうむいちぜん)」、「悪道不絶」とお説きくださったからこそ、御法の上に立てば、「私は悪人」の座に迷うことなく座ることが出来るであろう。
しかし、親鸞さまが、「邪見驕慢悪衆生」とお示しくださり、G先生が、「わたしの2つの迷い」、(一つは、「私は死なへん」と思っているという迷いと、もう一つは、「私は善人だ」と思っている迷い) ということを教えてくださったからこそ、MRさんは迷うことなく、「私は善人だ」と言えるのじゃないのかなぁ? やっぱり、御法の上に立てばこそ迷うことなく「私は善人」・「私は悪人」と言えるんじゃないのかなぁ? って思った。

「御法を抜いて」と言われたG先生だけど、そこが一番のミソかもしれない!
御法を抜いたら、私ってグラグラじゃん! って思った。

だって、私が自分を「善人」だと思っても、「悪人」だと思っても、そんな思いなんてコロコロと変わる。
現に、この時私は「悪人だと思う」という方に比重が偏っていたけど、今は「善人だと思っている」という方の比重のが大きくなっている。
その証拠というか・・・、 もし私が自分のことを「悪人」だと思っていたら、自惚れ心とか、驕りの心なんか出てこないんじゃないのかな~って思ったから・・・。
やっぱり私は、「悪人」である自分を無意識のうちに拒絶して、「善人」だと思っているからこそ自惚れたりもするし、それ故に自分をわかってくれない人を憎んだりもするし、偽善も出来るんじゃ~ないのかなぁ~ って思った。

京都までノンストップで車も会話もふる回転!
G先生、しっかり寝息をたてられていたから熟睡されていると思っていたら、車を降りられる時に一言、「あんたらうるさかったなぁ~」って・・・・・ (^.^ゞ  ごめんね、G先生!(#^^#)

この後も、お言葉に甘えてG先生のお家に上がり込み、またまた二時間くらいYK夫人とおしゃべりなんかしちゃって、ホントにすっかりお世話になってしまった…
あぁ・・・・・・ でも、御法ってすごいなぁ~…、 私一人の為にとんでもないご苦労がかかっている…、 っていうのを、ほんのちょみっとだけ、ほんの一瞬だけ、感じさせていただけた三日間であった。

G円さんから送っていただいた写真、使わせていただきま~す\(^o^)/ ありがとうございました[黒ハート]
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西光寺・報恩講  その⑤ [法座・座談]

報恩講法座の二日目が終わって、今夜も懇親会に参加させていただいた。
先の法座のおかげで元気が復活してくるとこれに比例して食欲も復活! おつまみなどをいただきながら、この中の誰よりも元気でハイテンションの橋本さんのお話しに耳を傾ける。
そしてしばらくするとお風呂から上がられたG先生が私の隣に座られて、今夜も笑いを提供してくださった(^◇^)  (今夜はお風呂ネタです!)
そんな楽しく和やかな雰囲気の中にあって、全く楽しめないという方が一人おられた。 
G円さんから、その人の話しを聞いてやってくれと言われたのでお話しを聞くことにした。
彼女はキイさんと言われた。 G先生の御法話中にお腹を抱えて笑っていたその人である。

話し始めた彼女の矢継ぎ早の質問にも驚いたが、それ以上にその質問内容に面食らってしまった。
それでも始めの内は私にもわかる範囲のことでお答えしていたのだが、全くもって噛み合わないのだ…。
例えば、彼女が最初にしてきた質問は、「あんたにとっての阿弥陀さんは誰が対象になっているのか?」というものだった。 
「阿弥陀さまは、誰か特定の人を対象にして自分が思い込むものではないですよ。 でも、もし例えるならば、私にとってはG先生がそのお姿を通して仏さまのお心を説いてくださり、見せてくださっていますね」と言うと、
「それじゃ~、あんたにとってはG先生が阿弥陀さまなのか?!」と返されたので、
「だから、特定の人物ではなく・・・、 広く言えば、ここにおられる皆さん方全員、そしてこの食べ物も、このお寺も畳もみんな、その全てが私の為の仏さまなのだと聞いています」と答えた。

覚えている…、と言うより、彼女の言っていることが聞き取れた範囲で一部をここに列記するならば、
キイさん 「あんたには死んだ人の声が聞こえているのか?」
私 「それは聞えないし、死んだ人云々という話になるとそれは仏法とは違いますよね?!」
キイさん 「あんたの家族に死んだ人はいるか? その先祖の霊に阿弥陀さまはいないのか?」
私 「私の母は四年前に亡くなっていますけど、先祖の霊が仏さまと言うのは間違っていますよ」
キイさん 「あんたは母親が亡くなっているのに母親の声も聞けないのか? 仏と思えないのか!」 
私 「あなたの言っていることは御法とはかけ離れていて、そこで阿弥陀さまのお話しをすることは出来ません!」

などという会話がしばらく続き、彼女から私の家族のことや病歴までも問いただされて、「人には触れられたくないことがある。 それをここで私が話さなければならない義務はないです!」と、さすがに私も冷静ではいられなくなってしまった。
そしてG先生に助け船を求めると、キイさんから、「わたしはあんたに聞いているんだ!」と強い口調で一喝。
それでもG先生が、「あんたさんが何を言っておられるのかわたしにはわからん。 あんたの話しは飛びすぎとる」 と言ってくださると、彼女の鉾先は、私からG先生へと移って行った。
しかし、G先生は何も答えずにただ黙って聞いておられるだけだった。
そしてキイさんがトイレに立たれると、橋本さんが一言口を挟まれた。
「なっちゃんがだんだん怒ってきた」 と・・・  私、それが自分でもとてもショックだった・・・

彼女に、ここだけは間違いなく聞いてほしいと思う自惚れ心と、普通じゃない人とは話したくないと人を見下している傲慢な心と、傷をえぐられた時に現われた怒りの心・・・・・
また 深く 深く 自己嫌悪に落ちて行く私がいた。

時間も深夜の1時近くになって、私はHOTELに帰る為に座を立ち、藤井さんに送ってもらったのだが、同じくキイさん夫婦も同乗されていて…、 でもキイさん、かなり怒り心頭の様子で…、それが私には辛かった・・・・・

HOTELに帰ってからもしばらくは眠れなかった。
私の中から出てくるものは、やっぱりダメダメな自分ばかりで、そんな自分に足元を掬われそうになった時、「我が‘信’いかに?!」という言葉が不意に突いて出た。
そうか…、そうか…、これが私なんだ・・・・・    よくわからないけど、そう思ったら、早く忘れてしまいたいと思った今夜の出来事は忘れちゃダメだって思って、BLOGの代わりにYuさんへのメールにつらつらとありのままに綴って送信ボタンを押す。
それと同時に眠りの世界へと引き込まれ、朝までグッスリと寝てしまった。

翌朝目覚めるとYuさんからメールの返信が届いていた。 それを読みながら、私はしばらくの間大声で泣きながらお念仏をいただいた。

今朝は一人ぼっちで朝食をいただいてからタクシーでお寺へと向かい、そして真っ先にG先生のお部屋に駆け込んで、今の所の私をG先生に聞いていただいた。

昨夜、落ち込んでしまった理由から話し始め、自分の間違いに気付かせていただいたこと。
「キイさんのように、自分の思いばかりを正当化して、そんな自分を当て・頼りにし、仏法なんかさらさら聞く気もないその姿こそ私自身であったと昨夜は気がつかず・・・、 私は、全然自分に返していませんでした。
聞いた、知ったと、高いところからキイさんに伝えようとして、全く恥ずかしい限りです。
私もキイさんのように、先生や先輩お同行にご迷惑・ご苦労をおかけしてここまで来られたのに・・・・・
阿弥陀さまの私にかけられたご苦労を聞かせていただくことが聴聞なんだと自らが口にしながらも、私自身、そのご苦労をふみにじっていました。 間違っていました。
私、報恩講に来させてもらっているのに、御恩徳を全然聞いていなかったです…」

G先生は相づちをうちながら聞いて下さり、そこまで言うと一言、「偉いな~」とおっしゃった。
「はい! 私の阿弥陀さんは偉いんです(^-^)v」 と私が答えると、G先生はとても嬉しそうに笑ってくださった。

3430177「それから先生、来月にある会の報恩講さんで、私、世話人をやらせてもらうんですけど、開会の前のオリエンテーションの時に、‘報恩講’の意味について一言、言いたいなって思います!」

   「それから、それから、G先生、もう一つ!
   私ね、今朝、新発見しちゃったんです!
   『 ごろう 』 先生のお名前に、『 』 をくっつけると、
       『 ごくろう 』 になるんです!! 
   先生、ご苦労おかけしとります!(^.^)ゞ」 と言うと、
   「そんなこと、考えたこともなかった」 と… (^◇^)
   G先生、大きな声で笑ってくださった。

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西光寺・報恩講  その④ [法座・座談]

3428603二日目の夜の法座はお内佛の法要で、お勤めの後は、G先生を中心に半円状に座したスタイルで御法話をいただいた。
この時も自分で座布団を並べながら事前にG先生の真正面の位置を誰よりも先にキープしていたのだが、実際に御法座が始まって会場に戻ってみると特等席の権利を有した橋本さんが、私の真正面でG先生のまん前に座られた為に、残念ながら一番前の席とはいかなかった。
そして他の人たちはと言えば、左右にほぼ均等に座しておられる。
何が均等なのかといえば、お昼の法座でG先生がおっしゃった、「自分は‘善人’と思っているのか、‘悪人’だと思っているかという各々の意見に分かれて、G先生を中心に左の部屋が「善人の部屋(座)」で、右の部屋が「悪人の部屋(座)」というように分かれて座ることになったからだ。
ちなみに私は、体の三分の二を悪人の間に置き、残り三分の一を善人の間に置いて座った。
そして橋本さんは、お昼の法座でG先生の質問に、⑤番目の「自分は善人とも悪人ともわからない」に挙手されたそうで、2つの部屋をまたいだ中央、つまりG先生の真正面に座られることになったという訳。

ところが・・・、 お勤めの後のG先生の御法話は、「無常について」と、「念仏のみぞ真」という尊いお話しはいただいものの、「善人・悪人」のお話しは一切出されなかった。
そして前半の御法話が終わり小休憩を挟んだ後半の質疑応答の場になって、門徒の一人の女性がそのことをG先生に問われ、そして彼女の夫が書いたであろう「善人か悪人かについての意見書」なるものを朗読し始めた。
私は、彼女の(夫の)言われていることは、まったく因果の道理を無視した意見だなぁ~ と聞いていたが、G先生はこれについては否定も肯定もなさらず、「今夜、わたしが話したことをそのままご主人に伝えてあげてください」と言うにとどまった。

そして次に質問をされたのが私の前、そしてG先生の前に座した橋本さんであった。
「自分は今まで善人だと思っていたが、二年前より仏法聴聞を初めてみると悪人の自分が見えてきた。
これではイカンと思い悪人の自分を抑える努力をしてみたら今度はストレスがたまってしょうがない。
これをどうしたらいいでしょうか? どうしたらストレスをためずに生きていかれるでしょう?
そのストレスの解消を求めて仏法聴聞を始めたのだが二年経ってもまだ阿弥陀さんはこれを解消してくだされない…。
どうかわたしにわかるように、端的に、阿弥陀さんの本願を理解してストレスを解消することが出来る一番の近道を説明して下さい!」
と、このような質問であった。 
これに対してもG先生は否定も肯定もなさらず、「説明するのは簡単ですがね…、 極難信です…。  昨日から今の今まで、一番の近道を、わたしはず~っとしゃべり詰めだったんですがねェ…」 と笑顔でお答えになった。
この後も橋本さんは続けてお話しになったが、これを聞いていて私は自分の過去の過ちを暴露されているような気恥ずかしさでいっぱいになった…。
「先生はわたしの中のドロドロとした心の中に阿弥陀さんがいてくださるといわれるが、その中からスプリングを使って、ポンッと阿弥陀さんが飛び出し来てくださるきっかけはどんなものなんでしょうか?」
「先生の言われることはちゃんとわかっているんですが、自分が思い違いをしているとはど~しても思えない!」
「何割の確率で本願がわかるのか? あと何年苦しんで、どれ位のレベルまで行けば本願がわかるのか?」
これらの質問をG先生は御法で丁寧にわかりやすく説いて返していかれるが、橋本さんにはまったく届かない。
そんなやり取りが20分近くも続いた末に黙ってしまわれた橋本さんに、G先生は少し語気を強めて会話を切ってしまわれた。 そして、「他の方で質問はございませんか?」と皆に尋ねられたが誰も皆、口をつぐんでしまったまま目をもそらされている。

そんな中で、ついうっかりと私の口が開いてしまった。 
なんだか言わずにはおれなくなっちゃって…、この二日間でG先生から聞かせていたことが、無意識の内に口からあふれ出して来るみたいな感じに、この私がど~ゆ~わけか片言ながらもしゃべり続けていている…。

そしてとうとう橋本さんの口からお念仏が飛び出すに至った時には、G先生もお念仏を称え初め、これにつられて小さなお念仏があちらこちらからも聞え始めて、会場はいつもの気慣れた座談会のような雰囲気になった。
そのお念仏が少し落ち着いて来た時、G先生が『二河白道』のお話しを始められた。
時折首をかしげる橋本さんに私が後ろから声をかけると、橋本さんはうつむきながらもコクリと頷きながら一生懸命に聞いておられた。
そしてG先生のお話しも後半になってくると再び会場のあちこちからお念仏が湧き立ち、会場はしばらくの間またお念仏に包まれた。
私は、ここに居る一人一人が自身の阿弥陀さまと出会われているんだ! 不思議だな~ と感じていると、G先生が、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、不思議なことやな~」と口にされ、少し驚いてしまった。

この時橋本さんがクルリと私の方を振り向かれ、「なっちゃん、ありがとう」と言われので、「いえ、私は…、阿弥陀さんが…」と小さく口ごもると、G先生が橋本さんに、「阿弥陀さんに御礼をしましょう」と橋本さんを促され、橋本さんはお仏壇の前まで歩まれお念仏をされた。
この時G先生が私の方を見て、「よかったなぁ」と言って下さったことで、嬉しい気持ちのその反面で、ものすごい気恥ずかしさかこみ上げてきた。

御法座の予定終了時刻は当に過ぎていたが、しばらくは皆、今まで以上に大きな声でお念仏をいただいた。

そしてこの御座が終わった後にG円さんから、私が橋本さんの背中に向かって話しかけているその言葉に、G先生が一々大きく頷いておられる姿がとても尊かったとお話しくださって、恥ずかしかったけれど、でも嬉しいと思った。

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西光寺・報恩講  その③ [法座・座談]

西光寺さんでの報恩講法座 二日目の朝は、YZさんと二人、HOTELの喫茶室で朝食をとりながら御法か我法がわからないけど、じっくり、たっぷり、時間を忘れるほどにお話しをすることが出来た。

この時、YZさんのすがたを通して聞かせていただいたのは、「“信”は、私と私の阿弥陀さまとの問題。 それが、今ここに生きている!」 ってこと。
誰かに言われたから ど~の こ~の と言うのではないし、誰かが認めてくれたからOKと言うんでもない。
自分を抜きにして、また如来さまを見ずして、そんなことに振り回されながら私は余所見ばかりをしているのだなぁ~、 と…
それを彼にお伝えすることができる不思議と、しかしこれを伝えたとても見事にスルーされてしまったことに、重ねて自分の都合でしか聞けない私のすがたを観せていただき、同時に如来さまのご苦労を感じさせていただいた。

また、過去の体験とかその時の自分の思いとか…、過ぎて来たご縁にしがみ付いていることの虚しさみたいなものが、彼の言葉を通して私の胸をチクリと刺した。
そして、‘今’ ‘ここで’ 働いてくださっている如来さまのご苦労を聞かせていただかなければ…、という気持ちが私の中をフッと通り過ぎて行った。

HOTELからTAXIで西光寺さんへと向かい、まずはG先生のお部屋に行ってご挨拶!
そして10時より報恩講二日目の朝のお勤めが始まり、引き続いてG先生の御法話をいただく。
御法話は昨夜に引き続きG先生の求道時代のお話しから始まって、次に覚如上人が説かれた「一念帰命」のお話し、そして、誰のために造られた‘南無阿弥陀仏’かという真宗の肝要をお話ししてくださった。 

MRさんもNOさんも昨夜の内に帰られ、今日の御法話中に念仏を口に出す者は、G先生のまん前にドン座った私とYZさんの二人しかいない。
すごく浮いた存在だろう…、 そして門徒の方々にとっては邪魔で鬱陶しい存在だろう…。
それでも、今、この場に座している自分を幸せだと思える私が居て、そんな私の方に視線を向けてくださったG先生が、「幸せやなぁ~」と言って下さったことにコクリと頷きながらお念仏と遇わせていただける私って、やっぱり幸せなんだと思う。
自分の事が イヤで キライで いつも自己嫌悪ばかりしている私だけれど、今、ここの所の私は、嫌いな自分を忘れていたなぁ~ってことに後になって気が付いた…。

御法話って、言葉であって言葉ではないんじゃないかって思った。
先生のお話し(言葉)を心で感じる…。 今までは先生のお話し(心)を私の思いで撥ね返していた…。
う~ん…、 何だかよくわからないけど、 先生の話される言葉の奥にある心を聞かせていただくって、自身の計らい心を通さずに、こ~やって感じさせていただくってことなのかなぁ~って…  う~ん…、よくわからないや…(^^ゞ

午前の法座が終わって今日も昨日と同じお斎をいただく。
昼食後も飽きることなくYZさんとのお話しに花が咲く。 彼がいてくれてホントよかったって思った。

午後のお勤めはこれまた初めて見るスタイル!  ただ経を読むに留まらず立ったり座ったりの動作があったり、蓮の花びらに見立てた色紙を撒いたりと、艶やかで賑やかなものであった。

そしてこの後、午後の御法話の前半では、再びお母様のことを中心にG先生の求道時代のお話しを聞かせていただいたのだが、この時、私とYZさんの斜め前に座布団を持ってきて座られた女性が、G先生の御法話の最中に 何度も 何度も お腹を抱えてクスクスと笑っているのが気になって気になって仕方がなかった。
先生は決して笑うようなお話しをされていた訳ではないので、私とYZさんは眉間にシワを寄せながら目の前のその女性を一瞥しつつ御法話をいただくことになった。

後半は、「一水四見」のお話しをいただいた後にG先生から全員に質問が投げかけられた。
「仏教の上から言わないで、自分の考えから見た‘私’という者は、①善人、②悪人、③どちらかと言えば善人、④どちらかと言えば悪人、⑤わからない のどれに当てはまるかを、目をつむったままで挙手してください」 と…。
この結果については、①自分は善人だと思っている人は1人、②自分は悪人だと思っている人は2人、③自分はどちらかと言えば善人だと思っている人が大多数、その次に多かったのが④自分はどちらかと言えば悪人であると思うと答えた人。 そして⑤自分が悪人か善人かわからないと答えたのは2人だったそうだ。
ちなみに私は、迷いに迷った挙句、④番の「自分はどちらかと言えば悪人である」に挙手した。
いくら御法を抜きにしてと言われても、やっぱり自分は善人であるとはとても言い切れないし、しかし悪人であるとも思っていないのも事実で…、だけどどちらかと問われればやっぱり悪い自分しか思い浮かばないしなぁ~、と言うことでなんとなく④番のどちらかと言えば悪人に挙手したわけだ…。

G先生がこの質問をされた意図は、「信仰の世界には、率直に自分を考えるということが大切である」 ということを伝えたかったのだとおっしゃった。
そしてこの内容については、この後、夜の法座の時に皆さんと一緒に考えていきましょうということで昼の部の御法座は終了となった。

3428605この後YZさんはすぐに福岡へと帰ってしまわれ、私は一人ぼっちになってしまった。
こ~なると食欲すらなくなってしまう…。 その反面、すごくカラ元気が出てくるのだ…。
夜の御法座まで3時間近くもあるフリータイム。 とりあえずG通さんと一緒になって先ほどの法要で撒き散らした蓮の花びらに見立てた色紙を拾い集めたり、片付けもののお手伝いなどをしていたが、これも一段落すると本格的に暇になってしまったので、本堂で一人静かに瞑想に入ることにした。
しかし・・・・・、邪念、雑念ばかりで余計に疲れてしまい…(^.^ゞ  そんなところに総代の片山さんが登場したのでお手伝いを申し出てお内佛法要の準備に参加させていただいた。
けっこうな肉体労働でちょっと疲れちゃったけど、でも暇つぶしにはなってよかった!(^-^)v

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西光寺・報恩講  その② [法座・座談]

3417974西光寺報恩講法座での初日に夜に振舞われた美味しいおうどんをいただいていると、後ろの方に座っておられた方々がお仏飯を食べておられるのが見えた。
「わたしらも もらいに行こ!」と、MR隊長の号令で 私とYZさんもその後に続いて、左手にはカラになったおうどんのどんぶり、そして右手にはお箸を携え、MRさんが狙いを定めたお仏飯めがけて一直線!
MRさんとYZさんはすぐに席に戻られたけど、私はこ~んなに大きなお仏飯を見るのも初めてだったし、もちろんお仏飯を食べることも初体験だったので、チョットばかし興奮しながらその思いを言葉に出すと、近くにおられた御前とG通さんがアレコレお仏飯についてお話ししてくださった。
G通さんは、ほんわかと優しく思い出話しなどをしてくださり、御前は、お勤めをしていた時と同様に背筋をピキッとのばしたままの姿勢で無駄の動き一つせず、よく通る声でとても穏やかに先日のシンポジュームのお話しや稚児行列についての慣わしなどをお話しくださった。

お夜食の後、本堂の片隅で、ご住職のG円さんをはじめとした僧侶の方々との懇親会に出席させていただいた。
MRさんは 「仕事があるから」と京都へとんぼ返り。 ちょっと心細かったけど、みなさんとても良くしてくださって楽しい時間を過ごすことが出来た[黒ハート]
そこへ先に帰られたNOさんから、無事帰宅しましたメールが届き、そこには 「私もぜんざいが食べたかったです~」と書かれてあった。 「あぁ、そ~だ!」
忘れかけていたぜんざいの記憶が私の中で復活して、「ところでぜんざいは?」とG円さんに尋ねると、
「なんでぜんざいなん? 誰も、一言も‘ぜんざい’を出すなんて言うてないのに、Gちゃんがいきなり‘ぜんざい’言うもんだから、こっちもビックリしたよ!」 って・・・
ど~やら、G先生の思い込みだったようだ (^.^ゞ  私の、「ぜんざいが食べた~い!」っていう思いが、G先生に通じちゃったのかも~ぉ σ(^_^;)?!

ここでG先生がお風呂から上がられて懇親会の座にお着きになった。 そして最初の一言が、
「‘ぜんざい’ 出んかったね~。 わたしのためにおうどんに変えてくださったんか?」 と聞かれ、
「誰が‘ぜんざい’ 言うたねん?!」とG円さんが切り返し、また笑わせてもらった(^◇^)

懇親会でも御法話のお味わいなどを話される方はいなかった…。 
「なっちゃんは何歳なの? 彼氏はいるの?」
「さぁ? 自分でも年齢不詳(^◇^)で、ただいま彼氏募集中~(^-^)v だけど、だんな様は一人いるよ\(^o^)/」って感じで…(^.^ゞ、 
でも、久しぶりになんだかとても新鮮な場にお誘いいただき、とても楽しい時間が過ごせた!!
他には、御前がご自身のお寺のお話しや旅のお話しなどをいろいろしてくださったけど…、 私の中ではG先生の‘ぜんざい事件’のインパクトがあまりにも強烈すぎて、他が霞んでしまったよ~(^.^;)

深夜1時近くにG通さんに送っていただき、YZさんと二人でHotelに帰る。
少し疲れたけど、お酒も飲んでいないけど、でもなんだか半分だけいい気分(*^^*)
後の半分は無視することに専念してベッドへと潜り込む…。 一日目が終わった・・・・・
「ぜんざい、食べたかった…  ねっ、 NOさん v(^^*) 」
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西光寺・報恩講  その① [法座・座談]

またまたBLOGの更新が停滞… (^.^ゞ 
こ~ゆ~時は、パソコンは持ち歩けども大抵誰かと外出中で FULL-TIMEに暇無しってことが多いかな?!
それで書き留めておきたいことを頭いっぱいに貯めこんで帰宅するけれど、書く間も無くまた次のスケジュールへと突入~! って、  まぁ~、今回もそんな感じ (^-^;
日にちは前後しちゃうけど、とりあえず今一番記しておきたいことを優先して、今週の頭から二泊三日で参加させていただいたお寺の報恩講法座のことを書いておこうと思う。

341797513日(日)、朝7時に家を出て一先ず待ち合わせ場所の
京都へと向かう。 
そして京都からはG先生に同行させていただき MRさん
の運転で目的地のお寺までドライブを楽しみ♪、
西光寺さんには正午少し前、予定よりも早めに到着!
なんだかなぁ~? 心地よい緊張感…σ(^_^;)?
寺院の報恩講に出させていただくのは 初めての体験
だからワクワクもするし、何がど~なるのかわからなくて
ドキドキもする!
でもせっかくだから楽しんじゃお!って腹を決めたところ
で、まずは腹ごしらえにお斎をいただく。
ご用意いただいたお斎は、素朴ながらもとっても美味しくて、その味、そのお椀ひとつをとってみても 歴史的に由緒のあるお寺の趣が感じられた。

お斎をいただいた後は、早めに本堂へ行っていつものように先生が立たれるだろう位置を予測し、その真正面最前席に腰を下してしばし時間を持て余しているところにYZさんがご到着!
それからしばらくは二人で先日の高山法座での反省会などをして盛り上がっていると、行事鐘が鳴り響きいよいよ報恩講が始まった。

『正信偈』のお勤め。 何よりも驚いたのは、幾人かの僧侶の中で向かって右側一番手前に座しておられる方の声と姿勢で、思わず一目惚れ(*^^*)  キャハ[黒ハート]って感動~!

3417976さてさて、浮ついた気持ちもG先生の登場でスーッと引いて初回の御法話をいただく。
(例によって例の如く、御法話は機会があれば後日UP!)
しかも初回の御座から「第十八願のこころ」をズバッとお話しいただき、「あなたの後生は大丈夫ですか?」と問うていただくと同時に、こんな私にかけられた如来さまの切なる願いとご苦労をお聞かせいただいて、お念仏と出遇わせていただいた。

小休憩はあったものの2時間の御法話は、アッと言う間に終わってしまった。
いつもなら、「さ~ぁ、今から座談だ… 何を話せばいいんだろう~」って頭を悩ませているところだが、今日はお寺での出張法座なので座談会はない。 それが不服と言えば不服な気もする…
座談会は苦手だけれども、無ければ無いでものすごく中途半端な感じがして、何だか吐き出せないものが胸の中に籠もっている感じがする。
それに今回の御法話では、心に引っ掛かった箇所もあるので質問したいこともあったのだが…、
でも、聞ける人が近くに居ない…。 
ここに来て、「一人では聞法は出来ないな~、 座談会は必須なんだ~」って改めて感じさせられた。

夕食も昼食と同じお斎が振舞われ、YZさん、NOさんと共にいただき、少し遅れてMRさんとも合流し、夕食後は近くの喫茶店にてコーヒータイム! ホッと落ち着く(^.^ゞ
とは言っても、なんだか私、ぜんざいが食べたくってメニューを探したのだけど普通の喫茶店だものやっぱりない…。 しかたない…って、コーヒーではなくココアをオーダーしたのだけれど…、なかなか頭から離れてくれないぜんざいの味…(^.^ゞ

って、それはともかくとして・・・  この時せっかくお同行さん4人で集っていたので先の御法話をいただいてのお話しなどをしたかったのだけど、私、気を回し過ぎてしまい、なかなか言葉が出てこない…
「あ~ぁ・・・」 御法のことは、後回し、先延ばしにしている自分に小さく嫌悪した…。

お寺に戻って夜のお勤めでは、門徒さんの一人と仲良くなり御聖教を一緒に見せていただいた。
やはり、僧侶さんが読まれる言葉をただ聞き流しているだけというよりも、文字の一つ一つを一緒になって目で追っていくっていうのはいいもんだ、って思った! おじさん、どうも有り難う(^-^)v

夜の御法話は、G先生の求道時代のお話しを中心に、お母様のこと、源信僧都のこと、伊藤先生のことなどをお話しいただいた。

その小休憩の時にMRさんが私を呼び、そしてイスの上で這いずっている一匹のカメムシを指さして、
「このカメムシさんも聴聞しに来たのね! これをご縁に来世では人間に生まれさせてもらってね!」と言っているのを聞いて、私は一瞬、何だかとても複雑な心境になった。
よくわからないけど・・・、 上手く言えないけど・・・、 私の思いが充満しているソレとは別に、全く違う何かが私の中でうごめいている感じがした・・・ 

さて、休憩の後、御法話が始まる前にG先生がおっしゃった。
「この御座が終わった後にぜんざいが振舞われるそうですから、時間通りに終わろうと思っています」 と…
私は思わずYZさんと顔を見合わせて、「食べたかったぜんざいが食べられる~!」って、ちょっとウルウルした。

そして、今日最後の御法話が始まりしばらくした時のこと、お話しをされているG先生の顔の前を一匹の大きなカメムシが羽音を鳴らしながら横切って行った。
私は今度はMRさんと顔を見合わせて、「さっきの子?」 と、堪え笑いにウルウルとした。

御法に心を打たれてタダ泣くしかないとウルウルしながら、今生事の欲の充たしに嬉しウルウル、笑いウルウル、 はたまた時には、悲しウルウル、悔しウルウル
・・・  つくづく思うよ、 「泣きゃ~ いい ってもんじゃ~ないぜ[exclamation]」って! (^-^;

さ~て! 夜の9時半、 初日の報恩講法座が終わってお夜食が運ばれてきた。
「わ~い\(^o^)/ ぜんざいだ~[るんるん]」って思って待っていた私の前に差し出されたのは、おうどんだった…。
「何で? ぜんざいじゃないの?」 と、おうどんさんに問いかけると、
「ぜんざいだと思って食べれば!」 と、YZさんが答える…。
振舞われたおうどんさんは、とっても、とっても美味しかったけど、ますますぜんざいが恋しくなってしまった私なのだった・・・・・[たらーっ(汗)]

( この謎は、次号にて解明 f(^_^) )    つづく ~ !!

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高山報恩講  Part Ⅱ [法座・座談]

高山支部報恩講法座の二日目、朝は7時前に起床してチャチャッと身支度を整えてから朝ごはんをいただく。 あっ! そ~言えば 今朝はTMおかぁさんお手製の美味しい梅干をいただくのを忘れとりました!

朝食後、YMさんとAKちゃんとHRちゃんと私とで‘あじか’まで Drive して Shopping を楽しむ♪
目的の‘米フォンケーキ’の他にも、メロンパンと高山あんぱんをご購入で、ルンルン ってしていたところに、「私ら、いったい高山に何しに来たんやろか~」とのYMさんの有り難いお言葉が、後頭部を一撃 (^-^)ゞ 

朝のお勤めにはギリギリセーフで間に合って二日目の御法座が始まった。
(例によって御法話については機会があれば後日UPするということで…!)
S先生より午前の御法話をいただいた後の座談会は三部屋に分かれてすることになった。
私は昨夜の内から申し合わせていたKnさんとYMさんの分級に入れていただき、その他には高山のTGさん、それに仲良しのUDさんとインド仲間のYZさんという気心の知れた人たちとの分級で気負うことなく座談会に臨むことができた。
でもやっぱり思っていることを言葉にするのって難しいなぁ~
BLOGのように、見えない相手に一方的に自分の思いを指で打っていくという作業は厭わないのに、面と向かって口で自分の思いを言葉で伝えるというのは、私にとってはものすごく難しい…。
自分の内心を離れたことならば平気でしゃべることが出来るのにね~ェ…、 心の内を声に出そうとすると、大きな山を幾つも越えなくてはならない・・・
でも、この座談会では、自分なりに精一杯頑張って言葉に出来たように思う…
ただ、なにせ初心者だから…、 要点も要領も得ない発言になってしまったけど、少しずつでも話せるようになれればいいなぁ!

さてさて、この座談会ではUDさんを中心に進行していった。
なんだかすごくよくわかるんだ…! UDさんの今の苦しさとか…
それと同時に、私の犯してきた過去のあやまちも…、そして今現在の自分の愚かさも…、 お同行さんを通して、観せてもらい、聞かせてもらえる。
今までもそれは痛いほど感じてきたのに、思い返せば私は自分の苦しさばかりを相手にしていて、そこにかけられた阿弥陀さまのお心をチッとも見ようとはしていなかった…。
あの時、どうして顔が上げられなかったのかわからないし、今、どうして顔を上げていられるのかもわからないけど、ホント、自分の方ばかり見ていたってど~しよ~もないじゃん!ってことだけは、自分に言える。

午前の部が終了すると、Ktuパパから誘われてYZさんと一緒にH家に向かうことになった。
思えば、初めてH家にお世話になった時、「あぁ、実家に帰るって、こ~ゆ~感じなのかなぁ~」って、すごく心温まる気持ちになり、その上、前回の座談会の折にG先生より、「この家は、あんたの為にHさんが買うてくださったんや! あんた一人の為に御用意してくださった家なんやで~!」と強く言われたこともあった。
短時間ではあったけど、思いがけず今回もH家にお邪魔させていただくことが出来て、またYZさんの辛口ジョークもなかなかのもので(^-^;、おもいっきり気分転換をすることが出来た。

午後からの法座には少し遅刻してしまったけど、御法話の前には席に着くことができた。(略:御法話)
御法話の後、午後からの座談会は二部屋に分かれてすることになり、今回もKnさん&YMさんの分級でお世話になった。
この分級では特に誰かが中心になるということはなく、思い思いのところで仏法讃談をする感じで進行し、私も少し照れくさかったけどほんの少しだけ、私の口を通して遇わせていただける‘南無阿弥陀仏’の不思議を語ることができた。
そして御法座の最後には全体で集合し、S先生のお話しで高山支部報恩講法座は幕を閉じた。

3408034御法座の後、F家で皆さんをお見送りしてから、S先生と共にDinnerをご一緒させていただき、Knさんの職場の前のオープンタイプのイタリアンレストランでコース料理をいただいた。

そして食事の後にS先生のお見送りをして、私はYTさんと二人で高速バスに乗車し家路についた。
バスの車内では寝ちゃうかな?って思ったけど、思いの他YTさんとのお話しに花が咲き、名古屋まで楽しいひと時を過ごすことが出来た。

名駅前の高層ビル群が遠くに見え始めたころ、その反対側の車窓からは今までに見たことのないほどの 大きな 大きな お月様が夜空に浮かんでいたので、私が思わず大はしゃぎで、「見て! 見て!」と声を上げると、YTさんも、またバス車内のお客さんも 「おぉぉ・・・」 と言いながら、その月を眺めていた。

「私…、 月を見てる・・・・・・」  そう思った…。
月を指すその指にばかり捕らわれて、月を見ずして自分の手元で幾度となく空想の月をこねくり回している自分の姿が目に浮かんだ。
でも、月はいつだってそんな私を見ていてくれていた。
その月を見上げれたならば、私の目に合わせた優しい光を放ち、その光は私の足元を照らしてくれている。

見上げれば、月なき夜も、月はありけり ・・・・・
私が忘れ通しでも、私が見失っても、いつも月は私を見放すことなく、見続けていてくださっている…。
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高山報恩講  Part Ⅰ [法座・座談]

高山支部報恩講法座の前夜、全然眠れなかった…。 
旅行や試験、何か行事のある前の日になかなか寝付けないと言うのはいつものことだけど…、でもこの夜は、いつも御法座の前に感じる漠然とした緊張感で寝付けないというのではなく、前々からあった一つの疑問に強く心が縛られていて眠れないという感じ…。
結局、一睡も出来ぬままに夜を過ごし、明け方近くには眠ることをあきらめて書斎のデスクに無気力に倒れ掛かりながらメールを打つ…。

   「‘親の愛’って…、どんな愛なんですか…?」

まだ夜も明けぬ早朝だというのに、父のように慕うYuさんからはすぐに返事が届いた。

   「無条件の愛… 何の条件も見返りも望まない 一方的な愛…」

それがどんな愛なのかはわからないけど、ただ涙がこぼれ落ちて、私は声を押し殺しながら泣いた…。

夜が明けて、小雨の降る中、高速バスで高山へと向かう。
いつもと同じ…、 周囲の人たちを必要以上に気にしながら、これに伴って出てくる自身の醜い心から目を背け、自分の世界へと潜り込む・・・
ただ、ここ最近、自分の思いとは全く別のところで、、、、、 何て言うかなぁ~…、温かな幸せに包まれている感じ…?  う~ん…、、、、、、 何て言うかなぁ~…?  ただ、情緒が安定しているだけなのかも…?!
あぁ、そ~言えば最近は薬のお世話になっていないなぁ  な~んてことを考えている内に高山に到着。

3407204高山駅でHRちゃんと待ち合わせをして、今年は二人で高山の古い町並みの散策に出かける。
あいにくの雨模様で思うように食べ歩きが出来なかったのは残念だけど、ランチはいつものお店でいつものメニュー「うっしっし丼」を美味しくいただく。
この後、YMさんと合流して、今度は甘味処で別腹を満たしてからAKちゃんとも合流。
この時既に、Ttuさん、TMさんとの約束の時間を1時間もオーバーしていたので、内心ではすごく焦っていたけど、お二人の優しさに甘えて心の中で「ごめんなさい」と頭を下げながら、F家には3時過ぎに到着した。
案の定、既に準備はすっかり整っており、「なっちゃん、遅~い!」との温かかいお叱りとおいしいヨモギ餅をいただきながら、ぬっくいお部屋で時を過ごす。

今回は、“報恩講”と言うことでいつもより早めに集合して『正信偈』のお勤めの後にお斎をいただく。
これがとても美味しくて、報恩講さんの意義より何よりも、長いお勤めを我慢すれば楽しいお斎が待っている~♪ ってことに気持ちはすっかり奪われてしまう…(^.^ゞ
あ~ぁ… こうして御法座に出させていただいても、御法は二の次、三の次…、 何やってんだか、私…

“報恩講”は、親鸞さまの報恩謝徳のために聖人のご命日(旧暦・11月28日/新暦・1月16日)の前後に営まれる御法要である。
“報恩講”の「講」とは、「あきらかにする」という意味があるのだとS先生に教えていただいた。
つまり、親鸞さまの御恩徳の深いことをあきらかにさせていただき、その御恩徳に報いていくというのが報恩講さまの行事であり、浄土真宗では一番大事な行事なのだとお話しいただいた。

でも、私にはその御恩徳がどのようなものであるのかわからないので教えていただかなくてはならない。
御恩徳を知るということを 「知恩」というのだそうだ。
その御恩を知るにはお聞かせにあずからねば知り得ることは出来ず、聞くことがそのまま御恩徳を知ることになって、これを感じることができる、 これを 「感恩」というのだそうだ。
そして感じることが出来るからこそ報恩謝徳の思いが出てくる。
この順番を間違えると、「どうして私は報謝の念仏が出てこないのか」とか、「どうしたら感じられるようになるか」などと問題を誤って自己問答に陥ってしまう…。
でもそ~じゃなくて、まずは、ど~いう御恩徳があるのかを教えていただく、お聞かせいただかなくてはならない。
私の上にお念仏が届いてくるまでの親鸞さまの様々なご方便・ご教化のあったことを教えていただき、そのご苦労の一端をお聞かせにあずかって、改めて称名念仏をさせていただくというのが報恩講さまの元々の意味であるとお話しいただいた。

3407205しかし…、やはり目の前に美味しそうなものを並べられると、食前の挨拶も口先の裃(かみしも)で、欲を満たすことばかりに心は占領されてしまう愚かな凡夫なのである… (^.^ゞ

さて、お勤め→お斎 と続き、初回の御法話が始まった。 
(御法話については、後日UPすることにして・・・(^-^;)
御法話→全体座談会 の後は、これまた楽しみにしていた懇親会v(^^*)

前回の高山支部法座では裏方の仕事が慌ただしかったことにプラスして、私が人前で自分を出すことの苦手な性分であるが故に、座談会でも懇親会でも、兄と慕うKnさんとは‘今’のところがすれ違ってしまって、私にとってはとても辛い御法座となってしまったが、今回は、ず~~~っとKnさんが私の傍らにいてくださって、たくさんお話しを聞かせていただき、たくさんお話しをすることができたので、とてもリラックスした気持ちで過ごすことが出来た。
そんな訳で、懇親会がお開きになったのは深夜の3時。 またまた最終組みだ!(^.^ゞ
あぁ・・・  昨日もほとんど寝ていないし・・・ 明日(正確には今日だけど…)の法座、ちゃんと起きていられるかなぁ~ σ(^_^;)?

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12月 ・ 浅野屋交流会 [法座・座談]

もう一週間も経ってから書くのも何だけど… 今日は時間もあるし、歯抜けた日記の穴埋めBLOG!

先週末の金曜日、懇親会のために名駅へお出かけ。 
すこぶる晴天に恵まれ、せっかくだからと早めに家を出て、青空の下、大きな銀杏並木の黄色が色鮮やかな桜通をぽちぽちと一人歩く。
何故だろう…、 目に映るものたちが語りかけてくるみたい・・・、 そんな不思議な感覚の中、目から、耳から、ダイレクトに心に響いてくるものがある・・・。
人も、ビルも、街路樹も、私の側から、私の基準で見るのではなく、相手から見た私はどうなのだろう?
それは人目を気にするということではなく、その人を通して自分を見るというか、知るというか・・・
また、ビルや街路樹は、どうしてここにあるの? って…、 その答えに自分を見つけるというか・・・
何だか自分でもよくわからないけど、秋の落ち葉が木枯らしに吹かれて胸の中で舞っているみたいに騒がしくって・・・、 そして、町の雑踏、生活の音、風にざわめく木々の音、それら総てが一つの声に聞えてくる。
小春日和の昼下がり、 今日は何だか不思議な気分… (#^^#)

フッと思った・・・。  空が青くて嬉しいと感じる。  空が青くて嬉しいと思えることがまた嬉しい。
やっぱり幸せなんだなぁ~、 人間として生まれさせていただけたってこと。
当たり前じゃないんだよなぁ~、 人間として生かさせていただけているってこと。
     身はいやしくとも畜生におとらんや、
     家まずしくとも餓鬼にはまさるべし、
     心におもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。
不意に 『横川法語』の一節が頭をよぎった。

嬉しいとか、悲しいとか、喜怒哀楽に自由に動ける心があるのって、幸せなんだよね…、きっと…。
当たり前って思っていることも、本当は当たり前なんかじゃないんだよね…、きっと…。
‘幸せ’と思える心も、‘当たり前’と思っていることも、一寸先の縁に触れれば、簡単に崩れちゃうものだけど、そんなものが大切だって、そんなものにしがみ付いている私に向かって、やっぱり囁きかけてくるものがある。
でも、耳を澄ましても、 ただ待っていても、 心の中を探してみても 何もみつからない・・・

「南無阿弥陀仏」 小さく呟いたその声は、街の騒音に消されるよりも早く、私に耳に届いた…。

徐々に薄暗くなって、街に明かりが灯り始めた。
12月、クリスマス前のこの時期は、夜の街がとても綺麗…  それ故に寂しさがつのる…
夕方、仕事上がりのYuさんと名駅で待ち合わせ! ここだけの話しv(^^*)、意外にもYuさんはスーツ姿の似合う人だった[わーい(嬉しい顔)]

懇親会の会場は浅野屋さん。 
今日のメンバーは、Yuさんと、OG先生と、常連のDr.Fさんと、新顔のYTさん、そして私の五人。
初めの内は、YTさんより先日の大会での感想を聞いていたけど今一つ盛り上がりに欠けたものの、途中からDr.Fさんが登場して一気に盛り上がった!

「私は医学者だから殺生が罪悪だなんていう話など聞きたくないし、絶対にするもんか!」と、御法に対して分厚い拒絶のバリケードを張ったDr.Fさんに、Yuさんと、OG先生が攻撃を開始する。
するとDr.Fさん、「細胞レベルの殺生は? ウイルスを殺すのも罪か?!」などの屁理屈論法を方向も定めずに乱射してきて、今にも席を立って帰ってしまいそうな勢いで反撃をされていた。
「Dr.Fさんの話しには、仏法の‘ぶ’の字もないじゃん! 見事に迷ってる! お目当てそのもの!」と私なんかに言われる始末…
Yuさんからの顔面パンチも、OG先生からの頭なでなでも、まったくそっちのけで、オーダーしたステーキが目の前に運ばれてきたらば、「ウシさん食べま~す♪」と言いながら嬉しそうにほお張っているDr.Fさんのその姿に、仏法音痴な私の姿を観せていただいた。

常に中心に自分(我)があって、それが迷いなんだと観せていただき、罪を罪とも思えない私だから、それが大問題なんだ、一大事なんだと教えていただいた。
私の自性、その一つ一つが如来さまを泣かせている。 だけどそこにこそ本願力がかかっているんだって!  そう聞かされても私は御法にそっぽを向くばかりで・・・、 だから南無阿弥陀仏さまになってくださったんだって! これだけが真実。 
そして、お目当ての当人である私に、如来さまは何も要求されてはいないということ。

帰り道、最後にOG先生とお別れしてから、私は一人雑踏の中をさ迷い続けた。
迷路のような名駅の地下街…。 下を向いたまま歩こうと思ったら一歩も前には進めない…。 だから、まず顔を上げて行き先を定める。
そして指し示された道標を信じて、その方向へと歩き出す。 だって、何も知らない、何もわかっていない私自身を信じたところで、何のあてにもならないもの…
私の行く道には障害物がいっぱいあって、何が どこから どう飛び出てくるのかわからないけれど、それでも私は歩くのを止めない。 だって、ここには道があるから…。 
私が顔を上げて前を見た時、指し示された指の先には道があった。
私が望む以前から既に道は出来ていて、今来た道を振り返ってみても、今歩いているこの足元の道も、何もかもが私の為に用意してくださった道なのだと、今、迷っているからこそフッと気付かされる瞬間がある。

でもね、何よりも嬉しいのは、この道の先、「ただいま~!」と言って帰る場所には、両手を広げて待っていてくださる方がいるということ。

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‘南無阿弥陀仏’は 信じとるで~! [法座・座談]

3380496今日は、去年に引き続いてお友達のお寺へ秋の押しかけ遠足(^^)v
いつものメンバーで集結する予定だったけど、今日はOGさんが体調不良のために欠席で、すごく残念…
彼の体調が回復したら仕切りなおして今度は雪景色中、押しかけ遠足ってのもいいねp(^o^)q
今年は紅葉真っ盛りの Best Day にG願さんのお寺に伺うことができた。
ここは、お庭も お寺も いつ来てもホントにきれいに手入れされていて、とっても落ち着くのだ!
そして今日は年に一度の寺宝のご開帳日で、本堂には山崎辨榮(弁栄)上人の直筆の書や画がいくつも展示されてあった。

3380497弁栄上人(1859―1920/千葉県出身)は、明治・大正
時代の浄土宗の僧侶で、21歳の時に仏門に入られて、
24歳の時に筑波山に籠って念仏三昧の行をされた時に
阿弥陀さまの御光に遇われたのだとか。
35歳の頃にインド・スリランカへ巡礼の旅に出られ、その
帰国後より、大正9年,62歳でお亡くなりになるまで日本
全国を伝道布教され、人々に阿弥陀さまの知恵と慈悲の
光明の中でお念仏を称えて生きていくことを教えられた。

弁栄上人は、横にならずに念仏をしながらそのままお休みになられるなど、ご自身にはとても厳しい行者生活をなされていた反面で、他のすべての生き物の命を尊ぶ、とても魅力的なお人柄のお方であったそうな。
このお寺の頭主もそんな弁栄さまに惹かれて寺を建て、そして弁栄上人に御開山になっていただいたそうだ。

弁栄さまは三河に来られる度にこのお寺に立ち寄られ、そしてその時に書き残された書や画をこうして年に一度広げられるご開帳日が今日というわけ!
境内の紅葉の美しさもさることながら、本堂に掲げられた弁栄さま自筆の書や画も素晴しかった!

お昼少し前にYuさんと待ち合わせてG願さんのお寺に向かうと、既にお勤め(?)を終えられたHMさんがくつろいでおられ、G願さんの用意して下さった美味しい和菓子とお抹茶で早速リラックス!(^^)v
この後はいつものお好み焼き屋さんでKTさんとも合流して Launch time ! 早々に仏法談話で盛り上がる。
みなさんのお話しを聞かせていただきながら、いろいろなことが観えてくる、聞えてくる。
ここには私の席が用意されているっていつも感じられるから、変に気負わなくてもいい分、どっぷりと御法に身を委ねられる感じがする。
でも、時折飛んでくる厳しい言葉に思わず反発してみたくもなるけど、今日はHMさんの元気もまだまだ本調子ではないし、OGさんも欠席だし、いつもより静かな分、KTさんの一発が妙に浮いた感じがした。

一番心に残った言葉は、「お念仏は私のモノじゃないよ。 如来さまのモノに私が手をかけてはイカン!」と言われたYuさんの言葉。
随分前にG願さんとお話しをしている中で、「‘南無阿弥陀仏’の意味について考えてしまう…。 これが日本語だったらダイレクトに心に響くのに…」とおっしゃられたG願さん。
その時 彼から、「‘南無阿弥陀仏’の無量寿・無量光のお力を、‘有り難うございます’ ‘おかげ様です’ という言葉に置き換えてみる…」 というお話しを聞かせていただき、私はこのことを何の気なしにG先生にお話ししたことがあった。
そうしたらG先生、「わしらはな…」 と短くお答えになられた。
そして、「わたしらが称える‘南無阿弥陀仏’は、‘ありがとう’や‘おかげさん’かもしれんが、阿弥陀さんは、‘信じとるで~’ や!」 とお話しくださったことを思い出した。

‘南無阿弥陀仏’は‘南無阿弥陀仏’なのだ! 
阿弥陀さまのお心、阿弥陀さまのお力が、この私一人の為に ‘南無阿弥陀仏’になってくださったのだ!
「信じとるで~! 絶対に堕とさへんで~! 任しとき~!」 という如来さまの勝利宣言に、私らが意味を問うて何になる!?!  そう、改めて聞かせていただいた。

Launchの後はG願さんのお寺に戻って弁栄上人の書・画を鑑賞した後、ぬっくいお部屋で美味しいお茶とお菓子をいただきながら雑談…、というか、しばらくはKTさんの独演会(^.^ゞ
興味の薄い話題や、知らない名前とかいっぱい出てきて、ちょっと退屈気味な私… (^.^;)ゴメンサイ

夕方、KTさんが帰られてからは仏法の話しとなり、G願さんや私の質問に対してYuさんが、いつもに以上に丁寧にお話しをして下さった。 (この時のお話しについては、また別の機会に触れたいと思う)

そしてHMさんも帰られて三人ぼっちになっちゃったけどお話しは途切れることなく…、 でも、お腹が空いてきたので近くの中華料理のお店に出かけて Dinner time ! 
引き続き仏法談話に花を咲かせながら、お腹いっぱい食べちゃった!!

そしてYuさんをお見送りした後は二人でお寺に戻って反省会σ(^_^;)?
ぬっくいお部屋で 座布団の上にふん座ったまま お念仏の一つも称えぬままに 仏徳讃談で盛り上がり(#^^#)  今日は、ドップリと法水に漬けていただいた感じの一日となった。  南無阿弥陀仏

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不思議であって 不思議でない ② [法座・座談]

二次会の居酒屋を出て、一人帰宅の途に着くYuさんのお見送りにみんなで京都駅までそぞろ歩き。
ここで誰が言い出したのか? 「次はカラオケに行こ~♪」という話しになり、改札口でYuさんを見送った後は、駅近くのカラオケBOXにて三次会の幕開け!   それにしても、すごかったぁ…σ(^_^;)
それなりに頑張らなきゃ~、とてもお姉様方には着いて行けず…、 イヤイヤ、頑張っても 頑張っても とても とても 追いつかず…、 God Sister’s の パワーに、ただ ただ 圧倒されるばかりであった(^.^ゞ
一番の ヒット ソング は、「天才バカボンの主題歌」。 まだ、瞼と耳に残っている感じ…(^^)v
カラオケは2時間の予定を30分延長して最後の客となり、HOTELの門限ギリギリに帰る。

その帰り道…、 私は、みんなの優しさに、自分で自分を責めていた・・・・・

HOTELに着いて、シャワーから出てくると、既に四次会が始まっていた…(^^;)、
でも、みなさんもさすがにお疲れのご様子。 MRさんはいつもの感じでス~ッと眠りの世界に入られ、しばらくしゃべり続けていたNOさんはパタンッとMRさんの足元に倒れ掛かったと同時に寝息をたてられ、私とYSさんの二人きりになった。

YSさんとS先生の御法話を振り返りながら ポツリ ポツリと話し始めるうちに、いつの間にか私は自分のことを語っていた。 
Yuさんからも、YSさんからも、「もっと自分を出して!」って言われ続けていたけど、T.P.Oを図りながらアレコレと計らっていた時には全然出せないでいた言葉たちが、ポロリと何かの拍子に計らいの留め具がはずれた瞬間、自然に口から滑り出していた。
そして、そんな流れのゆりかごに、ただゆったりと乗っかっているような感じだった。
それでも私は私を離れきれないし…、 自分の思いにドップリと身を沈めたまま…

この夜、何をどんな風にお話ししたのか、ほとんど覚えていない・・・・・
「私は私を許せない!」 そんなことを何度も口走っていたように思う… そんな私にYSさんが言った、

「ごめんね、 なっちゃんごめんね、 私に力がないばっかりになっちゃんを助けてあげられなくて ごめんね、 ごめんね、 なっちゃんごめんね・・・・・」

それは・・・・・・ 阿弥陀さまの言葉にしか聞えなかった。 
この私が、阿弥陀様を謝らせているんだ…、 この私が阿弥陀様を泣かせてるんだ…、 ずっとずっと、ずっとずっと 待たせている張本人は、この私なんだ!って!!
私は、ただ わんわんと泣くことしか出来なくて… 
そして出たがっているお念仏を喉元で止めていたら、YSさんがおっしゃった、
「‘念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、 すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり’ だよ。
誰かに聞かすためのお念仏じゃないんだから、そんなところにこだわっていなくてもいいよ…」 って。

私の泣き声でMRさんを起こしてしまったみたい…
それからしばらくはMRさんが いっぱい いっぱい お話しして下さったのに、私、何も覚えていない…
私は何もわからない…  私はチッとも変わらない…  私は私を許せない…
「そんなこと、わかっているよ!  そんなことは、要求してないよ!」 そんな声がフッと心に届いた時、私、YSさんにしがみ付きながら小さな声で、「南無阿弥陀仏」と称えてた…

お布団に入ったのは朝の4時を過ぎていた。 
しばらくは、「またみんなに迷惑をかけちゃった…」 と 自分を責めて眠れなかったけど、いつの間にか深い眠りに落ちていた…

朝、誰ともなしに起き出したのは6時半を少し回った頃。 みんな睡眠不足…  「ごめんなさい…」
YSさんたちは昼前の飛行機で帰宅するため8時頃にHOTELを発たれた。
そして、部屋に残ったMRさんとYSさんがうたた寝をしている間、私は一人、騒がしい自身の心の流れをただボンヤリと見つめていた。
「不思議であって、不思議ではない…」 すごいよ… こんな私でも感じるんですもの…
いろんなものが出てくる…、 有り難いもの、有り難くないものも…、 何が正しくて、何が間違っているのか…、
そんなもの、分ける必要ないじゃん! これが全部私なんだから って思った・・・・・
ただ、仏さまを感じている…  ぼんやりと、ゆらりゆらりと、自分の思いの底の方で感じてる…

10時少し前にHOTELを出て、MRさんお薦めの小洒落たお店で、少し遅めのモーニングをいただく。
MRさんもNOさんも疲れているだろうに、京都に残った私の為に時間を費やしてくれるのが心苦しくもあり、有り難くもあり…。

この後は京都観光! 最初に向かったのは、浄土真宗興正寺派の本山。 実は初めの訪問。
この後、龍谷大学の大宮キャンパスを散策してから学食にて おやつ & おしゃべり タイム。
そして、西本願寺では平成の大修復を終えた御影堂をこちらも初参拝し、東本願寺に向かう頃には既に薄暗くなっていた。

夕食はMRさんお薦めのラーメン屋さんでラーメンと餃子をいただく。 メチャ美味しかった~ぁ!!

京都駅まで送っていただき、観光客でごった返した通路に立った時、私一人だけ別の生き物のように思えた。
名付けるなら、‘孤独の我執虫’  見るもおぞましい 害虫でしかない・・・・・
自ら冷たい暗闇の世界に潜り込みながら、暖かい光の世界を求めてる… やってることが滅茶苦茶…
やっぱり不思議だよ…  こんな私に心をかけてくださる方々がいるなんて…
「ありがとう」 「ごめんなさい」 の気持ちが、雨の音にかき消され夜の京都の街に消えてゆく。
そして、何気なく称えた 小さな 小さな お念仏を聞いた時、「不思議じゃないでしょ」 って言われたような気がした。

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不思議であって 不思議でない ① [法座・座談]

予想以上にBlogの更新が滞ってしまったが…(^^ゞ  私、今のところ元気に生きております(*^^*)
でも…、不思議だなぁ~・・・・・  私は健康優良児(大人だぁ)だし、結構、存在感もある方だって言われているのに、見る人によっては、私って今にも消えてしまいそうなんだって…
そう言えば、ちょうど一年前にも別の人から同じようなことを言われたっけ…
「君を見ているといつ死んでも不思議じゃないって思う。 だから放っておけないんだ、言いたくなるだ」 って…
この言葉を、去年はすごく浅いところで受け止めながら、「心配していただけるのって、嬉しいものね♪」 な~んて思っていたけど、今はちょっと違う…
この言葉は、私が “死”の淵で迷走しているのを、とても とても心配してくださっている方からのメッセージなんだって…、 お友達の口を通して私に伝えられたその方のお心なんだって感じたら、嬉しいというよりも 心苦しい気持ちでいっぱいになった。

先週末の土曜日から二泊三日プラス一日で、年間行事の中で一番大きな御法座に参加させていただき、それでBLOGの更新が滞ってしまったわけだが(^^ゞ言い訳)…、 そんな訳で 『スリランカの旅行記』は チョットばかり中断して、今回の御法座のことについて少し記しておこうと思う。

今回の御法座ではお世話係として参加させていただくことが出来た。 担当は書籍係りと聖典貸し出しの係りで、KHパパとご一緒させていただき SPECIAL LUCKY ~ (^^)v
最終的に集計も合致して、楽しく、気持ちよくお手伝いをさせていただけた!
でも、肝心の御法の方はと言えば・・・  知らされたのは、言い訳をしながら…、人のせいにしながら…、ひたすら逃げ回る自分の姿ばかり・・・・・
「何も聞けない」と言う前に、「何も聞きたくなく」… まったく聞く気のない私・・・・・
じゃ~、何で私はここに来たの? どうしてイヤイヤながらもこんな所に座っているの?
不思議…。 不思議としか言いようがなくて…。  でも、MK先生に、「なっちゃんがこの座に居るのは、不思議であって、不思議ではないことなんだよ」と言われ、私なりに考えてみた…。
出てきた答えは、「偶然なんかじゃない…。 私にこれを聞かそうとする不思議な力が働いている…。 すべてがその力によってお膳立てされ、そして今、私はここにいる…」

二泊三日の御法座で講師の先生による御法話は四座あった。
これについては また改めて 一つずつを振り返ってみようと思う。

さて、すべてのスケジュールが滞りなく終了し会場の清掃を済ませた後は、お世話係りの反省会。 
これを一次会とするならば・・・σ(^_^;)? この後は会館を出て夜の街へ二次会へと繰り出す!!
ところが、内心では 「行きたくない…、一人になりたい…」と半ベソをかいている…。
もしも一人っきりで反省会なんかしたならば、深井戸にひたすら穴を掘り続けることしか出来ないくせして、それでも一人っきりで暗闇に腰を据えたいと願っている私がそこに居た…。
だけれども二次会に行こうと思ったのは、幾つもの理由があったから・・・・・

会場の居酒屋まではMRさんの車で移動。 
この時、車内でMRさんと二人っきりになった時、自分に身に付けていた鎧が一枚、音をたてながら崩れ落ちて行くような気がした。
気がつくと、私、いつの間にか泣いていた…  頭で考えるよりも前に、口から言葉が出ていた…
どのくらいお話ししていたのかな? どれくらい泣いていたのかな? 車から降りると、京都タワーのライトアップが目にまぶしくて…、でも その横のお月様は、とってもやさしい光を私に向けてくれていた。

夜の繁華街をMRさんと二人でみんなが待つお店へと向かうと…、 なんと定休日! ありゃりゃ~?!
そこで携帯を取り出して これまたビックリ! Yuさんから立て続けの着信履歴! でも電話をかけても通じない…  それでMRさんが付近のお店を探し歩いて、めでたくみんなと合流することが出来た!
だけど…、 せっかくの宴座なのに、なんだか 食事も お話しも まともに出来ない自分が、とてももどかしかった…
そう言えば、一年前・・・・・

去年も同じ御法座の後に、何故だか理由はわからないけど、Yuさんが誘ってくださった宴席で、初めて YSさんと、NOさんを紹介していただいて、もんのすごい緊張しながらガチガチの状態で同席させていただいたことを思い出した。
あの時は、皆さんの会話が日本語に聞えなくて…、 自分だけ違う次元に取り残されているようで…、 何をしゃべっていいのかわからず…、 私なんかが居てもいいのだろうか? ってことばかり気になりながらも、なんだかスゴイことに巻き込まれているじゃないか…?! ってことを感じていた。
そうそう、この翌日に送ったYuさんへの初メールが、この宴座に誘っていただいたお礼のメールだったっけ!

あれから一年…、 私がこうしてこの場に居られることは、不思議であって不思議ではない…、 「これ一つ聞いて欲しい」と願う如来さまのお手回しなんだって思ったら、“今” を 無駄には出来んな! って思い 腹筋に力が入ってしまい、逆に 食事も 話も 出来んようになってしまった・・・・・

9時を回って そろそろ最終の新幹線の時間が気になり 二次会はお開きに!
この時 YSさんに、「なっちゃん、今夜、私たちのHOTELに泊まっていかない?」って誘っていただき、私は大慌てで頭をフル回転させて悩んだ。
自己嫌悪に縛られて一人背を向けて沈んじゃいたい私と、 用意されたこの道を進んでみたいと思う私と、その他諸々の思いを量りにかけた結果、私の思いよりも如来さまの願いの方のが断然重くて、「私、今夜、京都に残ります!」 って宣言していた。

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日高支部 デビュー! (後編) [法座・座談]

御法話日記はここでは省略。 出来れば近日中に公開したいが・・・  さて、はて、…(^.^;)

日高支部法座の初日は、座談会がかなり遅い時間まで Nonstop で続いた為、途中から次々に退席される方々もいて、もし私がASさんの立場だったら…、と思っただけで辛くなるような条件がいくつもあった。
でも、MRさん・NOさんに護られていたおかげで、Yuさんとの約束通り、自分で自分を追い込んで自身を責めることなく、この御座に座らせていただくことが出来た。
もちろん、痛いところ、胸を押さえたくなるようなことは多々あったけど、以前ように耳垢ばかりを気にして耳の用途を全く果たしていないという自体だけは避けられたように思う。

御法座の後、夜の懇親会参加者は7名だけで、チョット静かな感じであった…
そしてRoさんのお家をお暇した後は、今晩お世話になるNOさんのご自宅へと夜のDrive。
驚いたことに、2,3年前にフラフラっと遊びに来た場所がNOさんのお家のこんなにも近くだったとはビックリだった!
NOさんのお家は、木の香りのする素敵な邸宅! 深夜にお宅に着いたので、すぐに交代でシャワーをお借りしながらも、仕切り直しの懇親会!
ところが最後にシャワーへ行ったMRさんがいつまでたっても戻って来ないのでチラッと様子を見に行くと…、 
MRさん…、 和室のライトを煌々とつけたまんま既にお布団にて熟睡しておられたので、これにて懇親会もお開き(^^;)とし、私もNOさんに用意していただいたお布団に入って日高の一日目を終える。


[晴れ]翌朝もNOさんのご厄介になり、美味しい朝食をいただいてから再びRoさんのお宅へと向かう。
この時、「コウノトリが見たい! コウノトリ! コウノトリ!」と言う私のわがままを誰が叶えてくださったのか、遠くの田んぼに二羽のコウノトリらしき姿を発見した!
騒ぐ私の声にNOさんが車を停めてくださり、みんなで目を凝らしながら遠くのそれを見ると…、 どうひいき目に見てもやっぱりコウノトリに見える!  LUCKY~ (^-^)v と写真を撮ったが…、 小さいね(^.^ゞ
3277343

Roさんのお家に着いてさっそくこの件をみなさんに報告すると、「偶然見られることなんてなかなかないよ」って言われて嬉しさ倍増! 日高に来てよかった~ぁp(^o^)q

32773442日目の朝、御法座の前にMRさんと二人でご近所のお散歩をした。
念仏碑をはじめ、日高のお同行さんのお家をあちこち回っていろいろ説明をしていただいたけれど(^.^;)…、 
なかなか…、とても覚えきれない…

二日目の御法座は、STuさんのお家にてお世話になる。
みなさん、かなりのご高齢でいらっしゃるのにアレコレと気遣ったお世話をやいてくださるので、私もついついジーッとしてはおられずに出しゃばってお手伝いなどさせていただいたが、これでより一層リラックスした気持ちにさせていただくことが出来て、二日目の御法座も、素の私のまま、お座に参加させていただくことができた。

しかし、この日は本当によく泣いた…、 というか…、 まぁ~、 ウン…、 短時間で何度も泣いた…。
日高に着いた時、最初に感じた “気” を、 同じようにこの日も感じた。 譬えるなら タンポポ …かな。
春 、あたたか 、たくさん 、黄色 、明るい 、光 、茎(パイプ) 、花(チューナー) みたいな… σ(^_^;)?
上手く表現できないけど、一つの言葉に込められた「思い」とか、「心」とか…、 それが胸をえぐって突き刺すように入ってきながら、でも私はここに居られる。  何故だろう…
自分のすがたを見せられた時、鷲づかみに握り潰したくなるような狂気な私の心と共に泣いてくださり、誘ったその涙も受けとめてくださっているような感覚を、私自身が信じられないままに寄り掛かっている私がいた。 

御法座の後の昼食会は、まるで馴染みの親族が顔を揃えたような、和やかで気取り不要の Lunch time の中、大勢の前で自分を出すことの苦手な私が、普通にしゃべっていたのも不思議な感じがした。
そんな時、隣に座っていたASさんが突然、「私だけ違う…、私一人だけ…」と言って泣き出された。
ASさんのその言葉は、そのまんま私の言葉だった…。
表面上、どんなに上手く繕っていても、そこのところだけは自分自身をも誤魔化せずにいた。
「私も同じだよ…」と、ASさんに言っても、その声は彼女には届かない…、 それも同じ… 
G先生、MRさん、STuさんが語りかける言葉の全てが、ASさんの耳元で跳ね返されている。
それを見ながら、私はただ、「ごめんなさい」と言うしかなかった・・・・・  でも、それも嘘… 嘘なんだ…

日高での二日間、正味一日は、長いようで短く、短いようでいて長く、とても濃い二日間であった。
こちらに来る前にMRさんから言われた、「お念仏を喜ぶ」というのは、正直 よくわからなかった…。
「いつ死んでもよし! なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と言っているお同行さんたちに、「本心からそう言える?」と心の中で問うてる自分が、ただ恥ずかしいと思った…

私がこの日高支部法座で一番強く感じたのは、「御法も、法縁も、一期一会」 なのだということ。

帰りの車中もG先生やMRさんと、ずっと ず~っと おしゃべりしていて、ちっとも厭きることはなかったけど、どんなに楽しく過ごしていても、どんなに幸せを感じていても、やっぱり、「私は独り」という言葉が頭いっぱいにはびこって、これを誤魔化してなけりゃ~やってらんないよ!という思いを強く感じていた。

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日高支部 デビュー! (前編) [法座・座談]

今日は10月の支部法座!     はぁ~~~・・・・・・  やっぱり 憂鬱・・・・・・
ただ一つ、大好きな人たちと会えることが嬉しくて、楽しいことばかりを思い描きながら会場へと向かう。

それにしても御法座は久しぶり。  そしてBLOGも久しぶり。  
日々、書き留めておかなくっちゃ!ってことは山とあるのに、言い訳ばかりでなかなか書けない…。
前回の御法座のことも、書かないままに半月も過ぎてしまったが、やっぱり書いておきたいので…、「なっちゃんのBLOGは、Time lag がありすぎ!」というご意見通~りに、ちょっとだけ過去に戻って思い出話など語ろう(^.^;)…

9月最後の週末、以前より何度もMRさんからお誘いをいただいていたのに、なかなか思い切りの付かなかった御法座へ、緊張しつつも参加する気になり行って来た。 日高支部デビューだ!

いつものように少し早めに会館に到着して落ち着かない時間を過ごしていた時、泳ぐ視線の先にあった本棚にフッと目が止まって、何気なく手にした本が「地獄」の絵本であった。
実は、絵本で地獄絵を見るのはこれが初めてだった。 
掛け軸などで「絵」だけを見ているよりも、また書物等で「文字」だけからイメージするよりも、「絵」と「文字」によって訴えかけてくる絵本というのは、よりリアルに自分自身がその地獄の中に投影され、今までにないような異様な気持ちになった。
「知りたくもないことを知らせやがって!」と暴言を吐いているその一方で、見たくもないのに何故か目が離せずに何度も何度も読み返している私がいて…
死にたくない! お浄土へ行きたい! なんて言う願いじゃない…、 ただ ただ こんな地獄世界には行きたくない!と言う、強引な私のわがまま。 
だけれど、絵本に書いてあるような地獄行きの条件はしっかりと満たしてるじゃん…、私…

少し気落ちしたままにMRさんの運転する車へと乗り込み日高に向けて出発する。
ここ最近、気持ちを盛り立てようとすればするほど、表面上装った明るさとは裏腹に、逆に暗く孤独に沈んで行く自分というものが見えてしまうのが辛い…。
そんな車内でフッと気付いたことがあった。
MRさんの名前も、G先生の名前も、ISさんの名前も、この車に乗っている私以外の人の名前には、み~んな尊い漢字(例えば、悟るとか、真や誠とか)、お浄土を感じさせる名前であるのに、私一人だけは違う…
私(奈っちゃん)が落ちると書いて‘奈落’。  ‘奈落’とはナラカの語源で‘地獄’を意味する。
「私だけは地獄行き…、私一人だけ地獄…」 そんな声が頭の中で繰り返される中、出かけがけに見た地獄絵本のあの絵が瞼に残像として映し出され、ますます気分はLowになって無口になってしまった私…。

それでも周囲の風景が山間部へと移り変わり、そんなのどか景色に癒されながら徐々に気持ちを立て直す。
そして、いつもはお休みになられながら日高に向かわれるというG先生が、一睡もせずにアレコレと他愛もないおしゃべりに付き合ってくださったり、また、いろんなことをお話し、教えてくださって、いつの間にか私の緊張感もすっかりほぐれて、楽しいままに日高に到着した。

日高では、まず初対面のRoさんのお家にお邪魔して一服させていただいたのだが、到着すると同時に次から次へとお同行さん方がG先生のもとへご挨拶に来られるので、いったいど~すればこんなにも早く、「G先生ご到着」の案内が各地に伝達できるのか? と 不思議に思ったが、後で、皆さんご近所さんなのだと知って、あ~ぁ なるほど! と納得。
しかし、一つの小さな地域にこんなにもたくさんのお同行さん方が集中しておられるというのには驚いた。
それに…、 何て言うか…、 初めて体感する種類の“気” にも、少し驚いた。

日高法座へ誘ってくださったMRさんから、「お念仏を喜んでおられる方々を、なっちゃんも肌で感じてください」と言ってくださったのを思い出しながらも、私の心は、両足を肩幅大に開いて腰を少し落とした状態で、両手は胸の前でガッチリと構え、「よし、来い!」という心持ちにて日高のお同行さん方と初ご挨拶。
でも…、変なんだ・・・・・。  
誰も‘世間一般’と言われるような挨拶をしていない。
「ようこそ!」の後の言葉が、全部に御法になっているというか…、 そう聞えるというか…。
「最後」、「今」、「終わり」、「ここ」、「あかん」、「アホ」、「喜び」 などのすべての単語が、浮遊しながら “無常” という言葉の中に納まっていく感じ…。

その時にはわからなかったけど、今にして思うと、みんな、いつも、“私の後生” という所に立ってお話しをされているからなんだろうな~ぁと思った。

この後は、NOさん・ASさんと合流してMRさんと私の4人で Dinner & Drive にでかけ、そして夜は、Roさんのお宅にて初日の御法座をいただく。

・・・・・・・・・
やっぱり、どんなに短く省略させても、一つの法座の感想日記を一回で完結させるのはとても無理だ…(^.^ゞ
ということで、いつもの如く… (;^-^)ゞ
                                                   (つづく)

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高山法座 ~ 一周年 ・ 後一歩が永遠に・・・ ~ [法座・座談]

真夜中、シャワーを浴びてから布団に入ったのは朝の四時少し前。
二時間ほど睡眠をとって法座二日目の朝を迎え、早朝からTMさんと二人で昨夜の懇親会の後片付けをしながら、今にも泣き出してしまいそうな気持ちを整える。
TMさんをはじめ、Kaさん、ETさんが、私のことをとても心配してくださっているのがヒシと感じられるが、その優しさに甘えきれずに、「私は大丈夫だから! 私は元気だから!」と笑顔で応え、慌ただしく働きながら私は暗い気持ちを紛らわした。

朝食の後、KaさんとSyoちゃんがアレコレと関わってくださったこともあって、午前中の座談会はお二人の分級に参加させていただいた。
座談は、今回が初聴聞となるRyo君を中心に仏法の基本的な知識から真宗のご信心についてKaさんがお話しくださった。
その中で、「どうして生まれてきたのか、なぜ仏法を聞かなければならないのか」というお話しをされた時、私は自分の原点をフッと思い出して、幼い頃のあの辛い記憶に胸の締め付けられる想いがした。

私は眠るのが恐かった・・・・・・。 
保育園のお昼寝の時間にも、三年間、一度も寝たことがないほど…。
夜は毎晩恐い夢にうなされて、泣きながら悲鳴をあげて目を覚ませば、今度は「泣くな!」と父に叱られ、真っ暗闇の納戸の中に閉じ込められて現実の恐怖に泣き叫んだ。
「恐い…、恐い…、 生きているのが恐い…。  死にたい…、死にたい…、 なのにどうして死ねないの?」

小学校三年生の時、一学期の成績が落ちたことで父に酷く叱られた・・・・・
「そんな子に育てた覚えはない、一緒に死のう」と大きなハサミを振り上げられた時…、 私は、「生まれて来てしまって、ごめんなさい」と謝った。

それからず~っと、「私は何の為に生まれてきたの?」、「私の存在は迷惑しにかならないのに、どうして私は生きているの?」、そう自分自身に問い続けていた…、それなのに・・・・・・
その答えが、仏法を求めだした時に出遭った “人身受け難し今已に受く、仏法聞き難し今已に聞く。” の御文に、ここにすべての答えがあると直感したのに・・・・・・
それをすっかり忘れて聴聞している私の姿がここにあった…。
今は、「なぜ、生まれてきたの?」 ではなく、 「どうして信心くれないの?」 の、浅ましい私しかここにはいないと…。

昼食を済ませてからしばらく休ませていただこうと二階に上がったところで、今日は初対面のAMちゃんが、「遊ぼ♪」と顔をのぞかせた。
昔っから何故か子供との縁が深い運命?みたいな性分ゆえに、今日も休憩するのはあきらめてAMちゃんと二人で午後からの御法座が始まるまで一緒に遊ぶ。

この日の御法座はいつものG先生とは違う迫力で、私に向かってカーブなしの直球が飛んできた。
昨夜のG先生の御心と何一つ変わらない祈りにも似た願いが私を揺り動かそうとするが、当の私はピクリともせずに座布団の上でふんぞり返ったまま一歩も前に出ることができない。
「嫌だ! 嫌だ! こんな自分はもう嫌だ!」と駄々をこねることしかできなかった・・・・・

最後の座談会では司会のMK先生が自ら一歩前へ出る私の一言を待っておられたが、結局私は自分から出て行くことが出来ずに、MK先生に手を引かれて渋々と言葉に出してゆく。
私は…、 私は、仏さまを傷つけるのは全然平気なくせに、自分は傷つきたくないと思っていた…
だからETさんから尊い言葉をいただいても、私は昨夜KYさんから言われた「反対側から見る」ということが出来ずに、頭を使ってその心を思案していたのだろう…、全然言葉にならなくなった…。
そして自分を見失い…、 Syoちゃんがそんな私の本心を引きだそうとしてくれたのだが、私はそんなSyoちゃんの心とは逆に自分の世界で自分の仏様と向き合おうと必死になっていた。
またMoさんからは、「なっちゃんが高山に来てからちょうど一年だね、 あの時も今も薄皮あと一枚の同じ場所にいるが、これからもそこに留まっていくつもり?」と言われ、私は永遠に抜け出せないかもしれない… と、思った…。
そんな重っ苦しい空気に全身が硬直し始めた時、今までだまっておられたG先生がスッと両手で私の心をすくいあげてくださって、そして私の口からは自然にお念仏がこぼれ落ちた。
と同時にS先生の、「おがんで助けてもらうんじゃない、むこうからおがまれて思いとられるお救いなんだ」という言葉がフッと聞こえ、「他人が何と言おうと、自分の心がどんなんだろうと、私はいつだってこのお念仏が聞けるじゃない!」 と、 ただ‘南無阿弥陀仏’、 ただのただの‘南無阿弥陀仏’ を 聞かせていただいた。

高山法座も無事終了し、後片付けもおおよその目処がつき、East家での任務を終えた後、先生方のお見送りするお役をいただいた。

そして、G先生、MK先生、Kaさん、KYさんの五人で夕食をいただいたレストランでは、先生方お二人が代わる代わる私の為に御法を説いてくださった。
それは全然難しいお話しでも硬いお話しでもなく、私のやっている日常のアレコレがいかに罪作りなものなのか、これに対して私はどういうモノガラなのかということを具体的に聞かせてくださり、これらを生活の中でどのように観ていけばよいのかということを実践的にやって見せてくださった。
そして、私にこれを観せてくれるこの世のすべてのものが、この私一人の為に御法を説いてくださっているのだと、先生方は言葉ではなく自然なかたちで私に説いて下さった。

夕食の後、駅のホームで電車を待つ間、G先生と夕日を眺めながら日が暮れ行くこと、そして雲が流れて行くことをお話しした。 無常は、無常と・・・・・・

先生方の乗った電車が見えなくなるまで見送って、駅のホームに一人残された頃には、夕焼け雲もすっかり消えて薄暗い夜闇がもうすぐそこまで迫っていた・・・・・・

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高山法座 ~ 私でいっぱい な 空っぽの私 ~ [法座・座談]

翌・法座の初日、朝は5時半起床で、まずは朝食の仕度から始まった。
しっかりと朝食をいただいてからはさっそく夜の宴の準備に取り掛かり、キッチンという戦場で私は畑から届けられた野菜と共にくっ付いてきた虫たちと悪戦苦闘をしながらETさんとのお料理を楽しむ。

10時のおやつTimeにはやっと腰を落ち着けることができ、KaさんとTEさんとRyoくんの四人で、私のお気に入りの和室にて高山の美味しい桃とお菓子をほおばりながら、ボ~~~っと広い庭園を眺めしばしの休息にホッと肩の力も抜ける。
そしてKaさんが、「この家は購入する気もなく手に入った、本当に不思議としか言いようのない因縁で住むことになった家なのだ」ということをあれこれお話しくださった。
ETさんは、「ここが自分の家だとは思えないの…」と言われた。
‘家’と言うよりは‘お屋敷’。 そしてこの日本間から望む日本庭園には、どこか懐かしい安らぎがあって、庭を流れる小滝の音は、とても心を穏やかなものにしてくれる。

おやつの後からは昼食の準備。 そしてお昼前には指揮官のTMさん登場で現場に勢いが増す。
今日のLaunchはRyoくんとの共同作業でとんかつ定食を五人前! 楽しく美味しくいただきました!

昼食後には再び今夜の準備に追われたが、お昼のおやつの時間にはちょっとばかし休憩時間をもらって二階で少し横になる。  が、しかし、5分もしない内にUIちゃんが、「遊ぼ♪」と登場して、結局法座の準備はそっちのけでUIちゃん&UMちゃんとゲームを楽しみ、Taパパさんもお昼寝中だったし、ま~ぁいいか!と、2時間近くも遊んでしまった(^^ゞ

その後は再びキッチンにて夜の宴の準備と夕食の仕度に取り掛かる。
今夜のおかずは鮭の塩焼きをメインにお野菜メニューの数々が食卓に並べられ、Launch同様五人で美味しくいただいた。

そろそろG先生ご一行のご到着!という時間も過ぎたころ、お迎えに出たTaさんから、「先生の乗られた電車が途中でストップしたまま、まだ到着されていない」との連絡が入った。
停車原因不明のままTaさんとの電話でのやり取りが続く中、Dr.Hさんから電話で、「5分後に運転再開」との連絡が入り、先生の乗られた電車は一時間以上も遅れて高山駅に無事到着。 停車原因はブレーキ故障とのことであった。
これで初日の御法座は一時間遅れてのスタートとなった為、全体座談の時間は自己紹介のみにとどまり、そのおかげか懇親会にはほぼ全員が参加されてとても賑やかな宴となった。

しかし深夜12時頃には大半の人が帰られ、残ったのはG先生、Kaさん、KYさん、Syoちゃん、Dr.Hさん、そして私の六人のみ。
場の空気はガラリと変わって、皆の気持ちが私一人に向かっているのがとても痛く感じられた。
逃げたい・・・、 逃げちゃダメ・・・、 逃げられない・・・、 逃げようか・・・、 そんなことに気持ちが偏りながらも、KYさんに、「BLOGのようにもっと自分を出して行かなくっちゃ!」と押されて ポツリ ポツリ と心の内を浮かんできたままを言葉に出していく。
文章になっていない私の言葉のすべてを否定することなく聞いてくださった後、KYさんは、「今のなっちゃんの言葉を全部反対側からみてごらん」と言われた。
私の側からではなく、仏さまの方から・・・・・  そうか、私は全然逆なんだ! と気付く。
でも、気付いたところで、「わからん…」「私はダメだ…」「どうしよう…」と、心はいつもの底なし沼と化するばかり…。
これを切り替えなければ!とすればするほど、「どうすれば?!」「どうにかして!」の悲鳴が飛び出す。
お同行のいろんな言葉に逃げ道を探すかのように、「皆は私に何を望んでいるの?」という方向違いな道へと迷い込んでしまい、ますます訳がわからなくなっていく。
ただ、真横にいてくださったG先生のお心がダイレクトに私の胸に突き刺さり、それがとても苦しくて、私はG先生に諭されるまま両手を合せてお念仏へ逃げ込んだ。
何も変わらなかった・・・・・
いつもは、お念仏を始めると心が空っカラに乾いていくが、この時は重くも軽くもならず、乾きも潤いもなく、ただ、G先生の言葉に相づちを打つようなお念仏だった。
私の称え心なんか関係ない! これしかないんだから! と、心の中で繰り返す内に、「あぁ、そうだ、そうだ! これが私の仏さまだ! 私の口から出てくださったたった一つの真実だ! ‘南無阿弥陀仏’の親さまだ!」と少し嬉しくもなって称えるが、しかし「もっと大きな声で!」などと言われる度に逆に声は小さくなって行き、先生の、お同行の期待に応えるにはど~したら…と表の自分が肩を張る。

そんな中、G先生が、「この家は、Kaさんが、仏さんが、あんた一人の為に購てくださったんやで~」と仰られたその言葉が、Kaさんの、「不思議な因縁で住むことになった家なんだ」と言われた言葉と結びついて、ひどく恐縮しながら複雑な思いになったことだけ覚えている・・・・・

そして、一人、二人と部屋からいなくなり、私はひとりぼっちでお仏壇と向き合った。
「阿弥陀さまが泣いてる・・・・・  私がダメだから・・・・・・  全然ダメだから・・・・・・」

深夜三時。 明日の御法座に差し支えるから少しは寝なきゃ~ と お仏壇を背に振り向くと、一時間も前に寝室へ入られたはずのG先生がヒョッコリ現われて、「まだ休まんのか?」と優しく声をかけて下さった。
その一言が、あの時の私の心にとても深く沁み込んだ。

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高山法座 ~ 夏の高山へ ~ [法座・座談]

前回の高山法座参加のおり、次回の御法座のヘルプを依頼していただき、一も二もなく喜んでお手伝いをさせていただくことになり、今回は御法座の前日より泊り込みで高山法座に参加させていただくことができた。

一ヶ月前、「仏法も聴聞も何もかも捨ててやる~!」と言う状態になった時は、この義理…というか約束だけは果たさねば…と、今回、高山法座のお手伝いをさせていただくことが、私にとっては重い足枷となり、また結果的には私と御法との命綱ともなった。

出発前の一週間はとにかくスケジュールが立て込んでいて、とても腰を据える時間などなく、こんなガチャガチャした気持ちで出かけても大丈夫だろうか…とも思ったが、それがかえって無駄に自分を思案することなくこの法座に向かえる結果となり、いつものような重っ苦しい気持ちからは開放されていた。
逆に、心地よい緊張と初体験のドキドキっとした明るい不安の中、慌ただしく準備を整えて高山へと向かう。

家を出て駅へと向かうバスに乗っている時に、フッと小さなことが気になった。
パソコンの電源はちゃんと切って来たっけ?  そうするとまた、ワンちゃんたちのお水は足りるかしら? などと別の心配が顔を出す…。
こんな時は次から次へと心配が連鎖して大きな不安へと広がってゆく黄色信号が点灯した合図で、あわてて自分の修正にかかった。
しかし電車に乗ってからも、電気は消したか? トイレは流したか? 冷蔵庫は閉まっているか?なんてバカみたいに些細なことまで心配になってきて止めどがなくなった。
薬を飲んだ方がいいかな?と思い立った時に、とんでもないことに気がついた。
「しまった!! 薬を忘れた!!!」 
それまで小さな不安の種火で収まっていたのに、これで頭の中は猛火と化し、半分パニックを起こしながらバッグの中を何度も何度もさばくってみるが、薬のケースはどこにも見当たらない。
当たり前だ…、入れた覚えがないのだから…。  最近は調子が良くて、すっかり気が緩んでいた…。
どうしよう…、どうしよう…、 ここで薬を家へ取りに帰るという行為は、今日の出発をあきらめるということになる…。 それは私にとってこの法座への参加どころか、今後の聴聞をもあきらめる…くらいの大きな不安になっていた・・・
「忘れちゃったんだから今さらクヨクヨしたって仕方がないじゃん!」などといくら軽く考えようとしても、どうしよう~ どうしよう~という不安は消えてくれない…
これを抑える薬だもの…、 それを携帯していないというだけで、不安は益々増幅する・・・
「これがチャンスじゃん! 薬がなくっても私は大丈夫!大丈夫!大丈夫!」と何度も自分に言い聞かせるが、不安と苛立ちの波は交互に押し寄せ止まらない。
たまらずに愛先生へメールを入れると、お仕事中にもかかわらずすぐにお返事をくださった。
その言葉に徐々に心の過呼吸は治まり、次第に落ち着きを取り戻すことができた。

不安の炎が鎮火してくると、やっと他のことが見えてくる。
今まで目にしていながら全然見えていなかったこと、それまで感じていながら全然気がつけなかったことの数々に、我ながら小さく驚く。
不安に支配された心では、何も聞けない・・・  それは仏法に限ったことではない…
いつだって私はそんな自分の心に支配されて、目に見えているもの、耳に聞えてくるもの、身体で感じているもの、それらすべてを無意識の内に排除して、自分自身で頭も心も満タンにしてしまっているのだと思った・・・

完全に不安は取り除けないまでも、少しずつ御法に向かう心の準備を整えながら、車内で御法話テープに耳を傾けるが、聞えるものは自分の心の声ばかり…
結局、私は自分の思いに溺れ苦しんでいるだけではないのか・・・・・

高山の空は雲が多いもののほぼ晴天と言っていいだろう…、 しかし予想以上に蒸し暑い。
高山駅には、TaさんがE-君と共にお迎えに来てくださっていて早速に法座会場であるEast家へ。
そして到着早々から、お掃除に お布団の準備に と大忙しで、初日から早くも汗ダクのクタクタになってしまったが、KaさんとETさんが夕食に連れて行ってくださった中華料理店でお腹いっぱい食事をいただくと元気も復活!!
夜は三人で美味しいコーヒーをいただきながらのミニ座談会に深夜過ぎまでお付き合いくださって、まるで故郷にでも帰って来たかのように、のんびりとしたあたたかい時間を過ごすことができた。

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手を引かれ… 包まれて… [法座・座談]

週末に催された支部法座では、もったいなくもG先生の接待役を仰せつかった。
待ち合わせの一時間近くも前から新幹線ホームにてG先生をお待ち申し上げていたのに、何せ初めてのことで事前準備の要領を得ず、初鼻から猛ダッシュで新幹線より降りられたG先生の元へと駆けつける結果となりトホホなスタートとなった。

名古屋駅で在来線に乗り換える際も、私よりもG先生の方が勝手を知っておられるので、私はG先生の手をとりつつも、あっちこっちと連れて行っていただく感じで、これではどちらが接待役なのか… 

G先生には支部法座へおこしの際、過去二回連続してお怪我をさせてしまっているので、「もし三回目…なんてことになったら支部長と共に切腹ね!」 と Yuさんに脅されながらも、会場入りまでの短い時間ではあったが、G先生とのデートを心いっぱい楽しませていただいた。

御法座のテーマは、「真宗の現世利益について」 ということで、まずは御讃題に、
「金剛の真心(しんしん)を獲得(ぎゃくとく)すれば、横(おう)に五趣(ごしゅ)・八難(はちなん)の道(どう)を超え、かならず現生(げんしょう)に十種の益(やく)を獲。 (以下略)」
という、親鸞聖人のお言葉(『教行信証・信巻末』)をいただき、御法話は、これについて解き開かれて平易な言葉でお話しくださった。

今回は、支部法座のレポーターというお仕事もいただいていたので、私がどう思ったのか…ではなく、先生がおっしゃりたい主体は何なのかな?という観点から御法話を聞かせていただこうという思いでこの座に臨んだ。
いつも、「自分の心は横に置いといて、先生のお言葉を通してそのお心を聞く!」を合言葉にはしているが、結局は一から十まで自分の心遊びで終わってしまう…。
今回はどうだったかと言えば…、やっぱり聞いているのはこの私であり、私が感じたところ、私が引っかかったところを心に留めながら、それでもそんな思いに埋没することなく、今までよりも肩の力の抜けた感覚が後に残った。

そんな中で、一番心に残ったのは、「‘南無阿弥陀仏’は自分では称えられませんよ」と言われたG先生のお言葉・・・・・
私って、表面上ではいつも満足!満足!って満ち足りている風を装っているけど、本当は一度だって余りあるほどの満足を感じたことなんかないんだね、きっと・・・
‘南無阿弥陀仏’が「好きだ」と満足に言えないのはもちろんのこと、でも、「嫌いだ」というのも中途半端で満足に言い切れない。
もっとも、「満足する・しない」なんて、結局はコロコロと常変する心が勝手に言っていることなのだから取るに足る問題ではないのだけど、「‘南無阿弥陀仏’だけで大満足です!」なんて言っている人の心が私にはわからない…
だけど、私がどんなに嫌おうと、信じまいと、私の口から「南無阿弥陀仏」って出て来るんだよな~ぁ…、 
それだけはまぎれもない事実なんだよな~ぁ…。
だからG先生が、「‘南無阿弥陀仏’は自分では称えられませんよ」と言われた時、ただ漠然と、「あぁ、そう!そう!」ってすごく軽いところで即答してから、後で考えてみたら、「それって不思議? すごいことなの?」と思案している自分を見つけた。

今回の支部法座は人手不足で、支部長さんのお手伝いをさせていただきながら楽しいままに御法座を過ごさせていただくことができた。

御法座の後は再びG先生とショートタイムのデートを楽しんで新幹線ホームまでお見送り。
一人ホームに残された時、無事にお勤めを終了したという充足感よりも、「独りぼっちになっちゃった・・・」という寂しさの方のが、大きく 大きく 心に充満した。

その翌朝、法座のレポートを作成しようとデスクについた時、不意に涙がこぼれ落ちた。
「私…、 今、生きている・・・・・
同じ泉の中にいるたくさんの法友に支えられ、G先生をはじめ皆と同じ時間を共有し、昨日はG先生の手をとって一緒に歩かせていただいた…。 それってすごいことだよね!!!」
YuさんからG先生の接待係りをちょうだいした時、Yuさんより、「G先生を通して、如来様のお心を感じとってください」と言われたことを思い出した。
その時はど~ゆ~意味なのだろうと思っていたけど、今、私はそれを感じている!
「なんで私は生まれたの? なんの為に私は生きているの?  私はなぜ法友と出逢えたの? それに、どうして私なんかがG先生の隣にいられるの?」
みんな、みんな、私一人の為のお手回し?  そんなの嘘よ!!
でも、現実に私は今、G先生に手を引かれ、たくさんのお同行さんに背を押されながら、とてつもない大きな愛に包まれているんだ・・・・・
それでも満足できない私の為に、次から次へと届けられる愛は、きっと果てがないのだろうなぁ~

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「太子講」 Part 3 [法座・座談]

「太子講」二日目、この日は午前中ず~っと座談会という長丁場。
出だしはFMさんの「どうすれば…、どうしたら…」から始まったがこれはすぐに消滅・・・
そしてこの後、Morさんonlyで約3時間をかけて座は進行していった。
いつもの如く体当たりで心の内を吐露されながら涙を流されるMorさんであったが、この日はいつもに増して野獣のような雄叫びをあげながら言葉にならない念仏三昧の状態になった。
周囲のお同行から(私にとっては)刃のような言葉の嵐がMorさんに一点集中して止まらない…
「今ここで聞け! 追い込まれた苦しいところでないと聞けない! 早く聞け!」との思いが大きなエネルギーとなって室内に充満し、Morさんの地響きのような悲鳴と相まった空気に私の心は飲み込まれて呼吸があがってしまい動悸がおさまらず、私はたまらずに部屋から飛び出した。
少し離れた廊下で一人膝を抱えてうずくまりながら、以前S先生から 「自分のこととして受けとめると苦しくなるから、あの人はあの人と、自分と離して見ることも大切だよ」と教えていたことを思い出し、少しずつ気持ちと呼吸を整えていった。
戻らなきゃ・・・・・・  でも、あの声を聞くのはイヤだ・・・・・・
そんな自己問答をしていたらMO先生がお勤めから戻られ部屋に入っていかれるのが見えたので、これをきっかけに私も部屋へと戻った。
Morさんの叫びはまだ続いており、MO先生が加わったことで更に勢いが増した。
今、目の前で聞かせてもらっていながら、「聞けん!わからん!」と苦しんでおられるMorさんの姿を見て、いたたまれずに部屋の片隅へと移動して目を背けた。
「今、聞いてるじゃん! こんなにもわかりやすい言葉で届けてもらってるじゃん! なんで聞けないなんて言うの?! ちゃんと聞こえてるじゃん!」 と 私は心の中で叫びながら、やっぱり自分のこととして捉えてしまい耳を塞いだ。
あぁ、私も いつも いっつも 聞かせてもらいながら 「聞けない! 聞きたくない!」と言ってご苦労をかけているんだ! なのに私は 懺悔も、感謝もできない・・・!!
そんな自分が腹立たしくて握り拳を床に叩きつけた。

予定の時間より20分ほどoverして座談会は終わり、昼食をはさんで午後からは「太子講」のお勤めと、G先生の御法話をいただくというスケジュール。

御法話は、『御文章』五帖目五通より、 「信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり。
この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。」 の六字のすがたについてお話しをいただいた。
でも、ちょっと法話の内容が私には難しくって・・・(^.^ゞ
‘南無’は、〔仏因〕で、「信」の三信と、「行」の十念に分かれて
‘阿弥陀仏’は 〔仏果〕で、「往生」の若不生者と、「成仏」の不取正覚で・・・ とか何とか…
とても文章にできない(^.^;)・・・

こんな感じで二日間の「太子講」は終了した。

今回の御法座日記は、いつもどおりの非公開にしようか、それとも公開しちゃおうかとかなり迷ったけど思い切って公開することにした。
これに伴う非難や嫌がらせを有り難いだなんてとても思えないけど、それでも読んでくださったご縁は尊いと思う。   南無阿弥陀仏

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「太子講」 Part 2 [法座・座談]

懇親会の席にてG先生が一人でお酒を召し上がっておられたので、遠慮なく隣に座らせていただいた。
G先生には何度か喝をちょうだいしているので、ちょっと前までは恐くて近寄り難い存在だったけど、ある出来事をきっかけにヘンな緊張もほぐれて近寄り易くなったv(^^*)
そこでG先生に、心のままを聞いていただくことが出来た。

お話しは、私と仏法とのご縁ができた時にまで遡り、その後の聞法態度、今現在の心境に至るまで、酔いに任せて、時折はG先生からの質問に答えながらもペラペラとしゃべり続けた。
そこでG先生からいただいた言葉で一番嬉しかったのは、私の阿弥陀さまとの道は間違っていないよ! と言われたこと。
一人一人 姿や考え方が違うように、私には私に合わせた道を仏さまが用意してくださっている。
「大丈夫! その道を仏さまと一緒に歩いて行こうな。 そうやって聞かせてもらっていこうな。」 と G先生に言っていただいて、ポツリと口から出た‘南無阿弥陀仏’は、すごく軽くて明るいものに感じられた。
私は今までお念仏をすごく重々しく考え、毎度毎回自分に理由をつけながら、その時々の心に振り回されるままに理屈をこねつつ口にしていた。
でもお念仏は、私が理屈をつけるずっと前から、その理屈っぽい私に腹底にあって、折に触れ縁に触れては出てきてくださるのだと聞かせていただいた。
私はお念仏を、自分の力で口から出すものだと考える以前に、まるで自分で作り上げたもののようにさえ考えていたのではないだろうか…
このことをG先生に打ち明けると、「‘南無阿弥陀仏’は他力やで。 そこに私は入っていないよ」 と。

私はG先生に、心から溢れ出るままを言葉にして聞いてもらった。
「私は後生がチッとも心にかからんし、やっぱり今生事の方が大切だと思う。 
私は阿弥陀さまの心なんて全然わからんし、聞かされてもありがた迷惑としか思えん。
何度聞かされても、どれだけ聞かされても、やっぱり私は私の気分でお念仏を塗り変えてしまう。
それでもいいの? このまんまの私でいいの?」
と言うと、G先生は私の肩をそっと抱き寄せてくださり、
「わかるか? 抱きしめられとるのわかるな? あんたが感じんでも、信じられでも、仏さまはこうやっていつも抱きしめてくれとるんやでぇ。 そのまんまのおまえでええでぇ。 あとはワシが引き受けたでぇ と言ってなさる。」
G先生の手も胸も言葉も、とてもあたたかかった。 すごく すごく あたたかかった。
そして、そのまんまの私が阿弥陀さまの正客そのもので、私が信じられんでも、私がどれだけ否定しようとも、「‘私’が証拠で、‘南無阿弥陀仏’が証拠なんだ」 とお話しくださった。

これだけ聞いても、まだ何もわからない私がいた。
でも、ニョキニョキっと出てくる様々な思いを傍観しながら、証拠の‘南無阿弥陀仏’がとても軽やかに口から出て行く。
気が付くと とっても笑顔の私がそこにいて、そんな私に 「阿弥陀さまとの会話はすべて‘南無阿弥陀仏’や」 と G先生は説いてくださり 夜の懇親会はお開きとなった。

この日は疲れているはずなのに全然眠れなかった。
せっかくG先生に聞かせていただいた言葉も、猛スピードで忘れて行ってしまう。
そして‘南無阿弥陀仏’も声にならず・・・・・  孤独な夜が過ぎて行った・・・・・

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「太子講」 Part 1 [法座・座談]

3085684MO先生のお寺 順正寺 さんで催された「太子講」に参詣させていただいた。
参詣者の約半数は顏馴染みのお同行方で、お勤めの後にいただくG先生の御法話と、その後の仏法讃談をお目当てに各地から参詣されていた。

初日の御法話では、「“南無”の心」についてお話しをいただいた。
一番印象に残ったのは、「蓮如上人の書き残された『御文章』は、往生の手鏡である」と言われたところ。
ここのところで御法話中にG先生より話しかけていただき、自ら言葉を発したことで忘れられない一場面となった。
‘手鏡’というのは、自分では見ることのできない自分の姿を映し出すもので、私でありながらも私の知らない私の姿、そして私の後生の一大事というものを見せてくれる・教えてくれるのが『御文章』であると聞かせていただいた。
そして「後生の一大事」とは、この私が地獄に堕ちるという一大事と、仏に成るという一大事で、今生の一大事とはケタ違いな一大事なのだと…。 
しかし、私にとっては今生の一大事、二大事、三大事・・・ の方が重大で、自分の後生も、仏に成るという夢物語にも、全く興味がなく、大事だとはとても思えない。
そんな私に向かって仏さまは、「早く来いよ! 必ず救うてみせる!」と、十劫の間ず~っと 呼びづめ 立ちづめ 招きづめで、阿弥陀さまの方がこの私に手を合わせて、「南無の心をいただいておくれ、 どうか我と同じ仏になっておくれ、 お願いだから聞いておくれ」と、頭を下げておられるのだと聞かせていただいた。
そしてG先生は二度も席を立たれて、ご自身の腹の辺りを何度も拳で叩かれながら、「オレが!オレが!」という死んだことのないこの我執の心に仏さまが飛び込んで来てくださり、その我執の心の中から仏さまが叫んでおられるのがわかってきたら、‘南無阿弥陀仏’と称えずにはおれんようになる。
‘南無阿弥陀仏’と私が口にしたならば、 私が信じる心をいただいたならば、仏さまは 「あぁ~ 嬉しい! よう聞いてくれた!」 と 私にお礼を言ってくださる。
すべてが仏さまからの賜りモノなのだと聞かせていただいた。

御法話の後、初めてMO先生の元での座談会に参加させていただき、最初の内は緊張したけど、とてもわかりやすいお言葉をいただき徐々に緊張もほぐれていった。
しかし、私を中心に場が進行していくと、いつもの如くどんどん身体が硬直してきて御法と向き合うことができなくなってしまった…。
覚えているのは、「南無の心を聞くんだ!」と言われたMO先生の恐い目と、「‘南無阿弥陀仏’と称えよ!」というお同行方の声と、それと、自分の心しか見つめていなかった私のすがた・・・・・

座談会の後、MRさんとお話をする時間をいただいたが、胸中にいやらしくへばり付いているドロドロとしたモヤモヤは、少しも取れないどころか、どんどん増幅して私を締め付けていった・・・・・

夕食の後の座談会では、私と双子姉妹だと称されているYKちゃんを中心に座は進行していった。
初めの内はYKちゃんの焦りとか嘆きのようなものを生きた言葉で聞かせてもらっていたが、だんだん私の中で響きがなくなってきて、そうしたら他のお同行方も同じように感じたようでYKちゃんの話しは打ち切られてしまった。
あぁ、なるほど・・・・・  自分の心だけをみつめていてはダメだけど、自分の心を見失ったまま頭だけで言葉を紡いでも意味がないんだな… と思った。

そして夜の懇親会の席でのこと、HRちゃんから 「なっちゃんはそこまで聞かせていただけているのに、どうして喜べないの?」と言われた。
苦しいばっかりで、どうして喜ぶことなんかできるのだろう… というのが本音で、この時はHRちゃんの言っていることがよくわからなかったけど、この後G先生とお話しさせていただくご縁をいただいて、なんとなく、薄らぼんやりとだけど、どうして喜べないのかということが少し見えてきたような気がした。
つまり、私は私の心ばかりを見ているから…、その泥沼には何も喜ぶ種がないから喜べないんだろうな~ぁ と… 思った。

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