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西光寺・報恩講  その⑤ [法座・座談]

報恩講法座の二日目が終わって、今夜も懇親会に参加させていただいた。
先の法座のおかげで元気が復活してくるとこれに比例して食欲も復活! おつまみなどをいただきながら、この中の誰よりも元気でハイテンションの橋本さんのお話しに耳を傾ける。
そしてしばらくするとお風呂から上がられたG先生が私の隣に座られて、今夜も笑いを提供してくださった(^◇^)  (今夜はお風呂ネタです!)
そんな楽しく和やかな雰囲気の中にあって、全く楽しめないという方が一人おられた。 
G円さんから、その人の話しを聞いてやってくれと言われたのでお話しを聞くことにした。
彼女はキイさんと言われた。 G先生の御法話中にお腹を抱えて笑っていたその人である。

話し始めた彼女の矢継ぎ早の質問にも驚いたが、それ以上にその質問内容に面食らってしまった。
それでも始めの内は私にもわかる範囲のことでお答えしていたのだが、全くもって噛み合わないのだ…。
例えば、彼女が最初にしてきた質問は、「あんたにとっての阿弥陀さんは誰が対象になっているのか?」というものだった。 
「阿弥陀さまは、誰か特定の人を対象にして自分が思い込むものではないですよ。 でも、もし例えるならば、私にとってはG先生がそのお姿を通して仏さまのお心を説いてくださり、見せてくださっていますね」と言うと、
「それじゃ~、あんたにとってはG先生が阿弥陀さまなのか?!」と返されたので、
「だから、特定の人物ではなく・・・、 広く言えば、ここにおられる皆さん方全員、そしてこの食べ物も、このお寺も畳もみんな、その全てが私の為の仏さまなのだと聞いています」と答えた。

覚えている…、と言うより、彼女の言っていることが聞き取れた範囲で一部をここに列記するならば、
キイさん 「あんたには死んだ人の声が聞こえているのか?」
私 「それは聞えないし、死んだ人云々という話になるとそれは仏法とは違いますよね?!」
キイさん 「あんたの家族に死んだ人はいるか? その先祖の霊に阿弥陀さまはいないのか?」
私 「私の母は四年前に亡くなっていますけど、先祖の霊が仏さまと言うのは間違っていますよ」
キイさん 「あんたは母親が亡くなっているのに母親の声も聞けないのか? 仏と思えないのか!」 
私 「あなたの言っていることは御法とはかけ離れていて、そこで阿弥陀さまのお話しをすることは出来ません!」

などという会話がしばらく続き、彼女から私の家族のことや病歴までも問いただされて、「人には触れられたくないことがある。 それをここで私が話さなければならない義務はないです!」と、さすがに私も冷静ではいられなくなってしまった。
そしてG先生に助け船を求めると、キイさんから、「わたしはあんたに聞いているんだ!」と強い口調で一喝。
それでもG先生が、「あんたさんが何を言っておられるのかわたしにはわからん。 あんたの話しは飛びすぎとる」 と言ってくださると、彼女の鉾先は、私からG先生へと移って行った。
しかし、G先生は何も答えずにただ黙って聞いておられるだけだった。
そしてキイさんがトイレに立たれると、橋本さんが一言口を挟まれた。
「なっちゃんがだんだん怒ってきた」 と・・・  私、それが自分でもとてもショックだった・・・

彼女に、ここだけは間違いなく聞いてほしいと思う自惚れ心と、普通じゃない人とは話したくないと人を見下している傲慢な心と、傷をえぐられた時に現われた怒りの心・・・・・
また 深く 深く 自己嫌悪に落ちて行く私がいた。

時間も深夜の1時近くになって、私はHOTELに帰る為に座を立ち、藤井さんに送ってもらったのだが、同じくキイさん夫婦も同乗されていて…、 でもキイさん、かなり怒り心頭の様子で…、それが私には辛かった・・・・・

HOTELに帰ってからもしばらくは眠れなかった。
私の中から出てくるものは、やっぱりダメダメな自分ばかりで、そんな自分に足元を掬われそうになった時、「我が‘信’いかに?!」という言葉が不意に突いて出た。
そうか…、そうか…、これが私なんだ・・・・・    よくわからないけど、そう思ったら、早く忘れてしまいたいと思った今夜の出来事は忘れちゃダメだって思って、BLOGの代わりにYuさんへのメールにつらつらとありのままに綴って送信ボタンを押す。
それと同時に眠りの世界へと引き込まれ、朝までグッスリと寝てしまった。

翌朝目覚めるとYuさんからメールの返信が届いていた。 それを読みながら、私はしばらくの間大声で泣きながらお念仏をいただいた。

今朝は一人ぼっちで朝食をいただいてからタクシーでお寺へと向かい、そして真っ先にG先生のお部屋に駆け込んで、今の所の私をG先生に聞いていただいた。

昨夜、落ち込んでしまった理由から話し始め、自分の間違いに気付かせていただいたこと。
「キイさんのように、自分の思いばかりを正当化して、そんな自分を当て・頼りにし、仏法なんかさらさら聞く気もないその姿こそ私自身であったと昨夜は気がつかず・・・、 私は、全然自分に返していませんでした。
聞いた、知ったと、高いところからキイさんに伝えようとして、全く恥ずかしい限りです。
私もキイさんのように、先生や先輩お同行にご迷惑・ご苦労をおかけしてここまで来られたのに・・・・・
阿弥陀さまの私にかけられたご苦労を聞かせていただくことが聴聞なんだと自らが口にしながらも、私自身、そのご苦労をふみにじっていました。 間違っていました。
私、報恩講に来させてもらっているのに、御恩徳を全然聞いていなかったです…」

G先生は相づちをうちながら聞いて下さり、そこまで言うと一言、「偉いな~」とおっしゃった。
「はい! 私の阿弥陀さんは偉いんです(^-^)v」 と私が答えると、G先生はとても嬉しそうに笑ってくださった。

3430177「それから先生、来月にある会の報恩講さんで、私、世話人をやらせてもらうんですけど、開会の前のオリエンテーションの時に、‘報恩講’の意味について一言、言いたいなって思います!」

   「それから、それから、G先生、もう一つ!
   私ね、今朝、新発見しちゃったんです!
   『 ごろう 』 先生のお名前に、『 』 をくっつけると、
       『 ごくろう 』 になるんです!! 
   先生、ご苦労おかけしとります!(^.^)ゞ」 と言うと、
   「そんなこと、考えたこともなかった」 と… (^◇^)
   G先生、大きな声で笑ってくださった。

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