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世間虚仮 唯仏是真 [随筆日記]

今日はお家で飲み会があった。
午前中はお掃除して、久しぶりに盛り花を生けて部屋が賑やかになった。
午後からは買い物に出かけて、帰宅後はお料理に専念!

いろいろたくさん作り過ぎちゃって、明日も残り物整理で太っちゃいそう…  う゛ぅ゛・・・

そういえば最近は食が不規則で、お通夜のあった日は昼と夜の二食で、一昨日は朝と昼に加えて、夕方におさいをいただいた後に、夜の飲み会でTotal四食!
そして昨日は、胸いっぱい心いっぱいで、朝食の一食だけ。 
で、今日はといえば、朝と夜の二食。 それも夜は暴飲暴食(^.^ゞ…
ヘルスメーターに乗りたくない・・・・・  

それはさておき、今夜の飲み会でこんな話しが出た。
「○○さんの家が災難続きなのは、先祖の霊を敬っていないからだよ!
あのお宅、仏壇を年に一度も開けないんだってよ!」
と・・・・・。
まぁ~、私は背中を向けてお料理を作っていたので、その会話には参加しなかったが、その意見に皆同意こそすれ、反論を唱える人はいなかった。

一昨日の葬儀の席でも似たような会話が幾つもなれていた。
「こんな穏やかな表情をされているから、きっと極楽で楽しんでいらっしゃいますね」
「ホトケさん(故人)の為に、せいぜい良いお経さんをあげていただきましょう」
「こんなにたくさんの弔問客に、故人もさぞ喜んでいることでしょうな~」
などなど・・・・・・
こんなオベンチャラを言ってど~なる? いったい、どこにそんな根拠が?
と思いながら…、
そこには、仏法を聞いた・知ったと言いながら、上から目線で相手を見下している私がいた。

世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん) の教えからすれば、上から目線で否定している私自身も虚仮なのに・・・。
これに気付かずに、自分の‘ものさし’こそ正しいと、「我法」を振りかざしているのが私なのだと教えていただいた。

世間虚仮(世間は虚仮にして)  唯仏是真(唯だ仏のみ是れ真なり)
仏さまの御教えのみが、唯一の真実であり、その基本は、“因果の道理”。
私の上に起きた不幸は、私自身が作った業によってもたらされるのであるという教え。
これを忘れちゃならないよ!!! と教えてくれた世間話しの中の御法に、上から目線で見下すことしか出来なかった私・・・・・
「チョットだけ反省」 と言いながら、ペロッと舌を出しているのが私・・・・・。

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葬式・告別式・初七日の法要 [随筆日記]

故人が亡くなられたのは、月曜日の早朝で、その日の夜に喪主である社長さんから葬儀のお手伝いを依頼された。
翌・火曜日には仮通夜が執り行われるということで、ご自宅の方へお邪魔して、葬儀の打ち合わせと仮通夜式に参加させていただく。
通常なら、その翌日が本通夜、そして本葬という運びになるのだろうが、その水曜日が“友引”であるので葬儀は出来ない、というのが日本に古くからある慣わしである。
従って中一日空けて、木曜日に本通夜、その翌日・金曜日に葬式・告別式・初七日の法要と執り行われることになった。 長丁場である。

そもそも“友引”とは、暦注(暦に記載される日時・方位などの吉凶や運勢)の一つで、六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)の中の、大安に次ぐ吉日である。
もともと六曜は14世紀頃に中国から伝来し、その後、日本的に様々なアレンジが加えられて19世紀頃に現在の形に落ち着いたとされている。
言うてみれば、固定的・非現実的な占いの一種である。
現代社会の中においても、行政をはじめ、暦注は根拠のない迷信であると指導しているが、占い好きな日本人は、なかなかこれを手放そうとはしない。

仏教を説かれたお釈迦さま自身も占いを禁じられているのに、「仏さまの入滅をあらわす“仏滅”は六曜の中でも最悪の日だ」なんて、仏さまもとんだトバッチリをくらったものだ。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人さまは御和讃にて、
かなしきかなや道俗の 良時吉日をえらばしめ   天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす
と、迷信・俗信を否定されている。
それを仏事である葬儀に用いて、火葬場も葬祭センターも“友引”は休業日だなんて…。

ちなみに、“友引”のルーツは、中国語の「留引(ゆういん)」を訓読みで「ともびき」と読み違えた日本人が、勝手に「友引」という漢字を当てはめたものであり、「友を引く」という意味では全くない。

前日の通夜式同様に、葬儀の二時間ほど前に会場入りをして受付係りの勤めをこなす。
昨夜とほぼ同等数の弔問客を出迎えて、本葬の式が静かに始まった。
ここは神社か?と思わせるような雅楽士による生演奏で、6名の僧侶方が式典に入場された。
読経が始まり、受付の席から弔問客を見ていた時に、「なんてすごいんだろう!」と思った。
弔問客の一人ひとりが、仏さまに見えた。
正確に言うならば、皆それぞれが、それぞれの仏さまのお働きによって、今、この葬儀会場に立ち、仏縁にふれさせていただいているのだなぁ~ と思ったら、涙腺が少し緩んだ。
でも、「じゃ~、私の仏さまは?」と思った時、また捨てモノである自分の心の中を探してしまった。
後にこれをYuさんに聞いてもらうと、「弔問客が仏さまに見えたこと自体が、なっちゃんの仏さまが生きて働いておられる証である」と教えていただき、再び涙が頬をつたった。
この涙も、仏さまが流してくださっているものなのだな~ぁと味合わせていただく。

葬式・告別式と滞りなく進み、出棺の時を迎えて再びビックリ新発見!
既に台車に乗ったままの故人のお棺を、葬祭センターの職員二人が駐車場まで運び出すという光景は今までに見たことがなく、「あれ~? 普通は身内や縁者がお棺を担いで運ぶのではないの?」と…。
近代化・合理化の波と、迷信を信じ続ける葬儀のアンバランスさに、フッと鼻で笑ってしまった。

今回の葬儀は、お香典等を辞退したおかげで会計のお仕事が不必要となり、故人と親族が火葬場に行ってしまってからは、しばらく時間が空いたので持参した本を読みながら時を過ごした。
そして予想通り、友引の後の火葬場は渋滞状態だったらしく、少し遅れて初七日の法要が始まった。
僧侶の方の顔ぶれも葬儀の時とは変わって、友人のG願さんの登場に心がワクワクした。
お仕事をしているG願さんの姿を見るのは初めてだったが、普段と全然変らないところが、また嬉しくもあった。
法要の終盤に導師さんが御説法をしてくださると言うので、楽しみに身を乗り出して聞いていたが、故人の戒名の説明を10分ほどしただけで終わってしまった…
「・・・・・ これで御説法?」
そして最後に導師さんが、「皆さんで十回お念仏を称えましょう」と言われたので、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・」と嬉しく称えさせていただいたが、他には誰の声も聞こえてこなかった。
世間一般で考えられている‘南無阿弥陀仏’って、すごく異質で特別なものなのだなぁ~と、改めて感じた。

法要の後、おさいをいただいてから帰ろうとした時、バッタリとG願さんと出くわして声をかけていただき、思いがけず話しをすることが出来た。
5分ほど立ち話をしていたら、周囲の下世話なおやじ様方から「元彼?」とか聞かれて、「オッチャン、頭こってんな~ぁ」 な~んて言ってやりたかったけど、「やだぁ、違いますよ~」とかわいらし~くかわす私って、なんだか嫌な感じ・・・・・

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通夜 [随筆日記]

知人の葬儀の通夜式が、葬祭センターで執り行われた。
中小企業の会長さんである故人の子息・社長さんより、通夜・葬儀のお手伝い依頼されたので、社葬ではないが、会社の人たちと共に受付係りをさせていただくことになった。
受付係りは、親族担当者が2人、会社関係の担当が3人、そして一番弔問客の多かった一般客の受付を、私1人がすべて任されていたので、思いがけずバリバリと働かせていただけたが、通夜式に参列された数百人の弔問客をさばくのに、何が一番大変だったかと言えば、
「故人の遺志により、ご香典等の儀は、一切お断りしておりますので、お気持ちだけありがたく頂戴いたします。」
と、数百回も繰り返し言い伝えなければならなかったので、さすがの私も喉が嗄れた。

通夜式の始まる二時間ほど前に葬祭センターに到着し、まず祭壇に安置された故人にごあいさつ…  
と言っても、形だけの焼香をする。
祭壇を見た時の第一印象は、「お仏壇がない!…」 だった。
故人の写真を中心にして、大きなキャンパスに白い花で美しく描かれたような祭壇には、お仏壇がなかった。
浄土宗だからだろうか? それとも、故人・遺族の意向なのだろうか? 
その真意は定かではないが、私が自分の母を見送った時は、お寺の本堂のお仏壇の前に故人を安置したし、今まで葬祭センターで執り行われた知人の葬儀に出席した時も、お仏壇ではないにしろ白木の御殿の前に故人を安置していたという記憶があったので、今回は何となく不自然に感じた…。 
とは言っても、葬儀のことはよくわからないので、深くは考えなかった。

通夜式の一時間ほど前からチラホラと弔問客が訪れ、式が始まっても尚かなり忙しかった。
式場内で僧侶の方があげられている『阿弥陀経』の声が、スピーカーを通じて会場の外にある受付の席でも聞くことが出来た。
その『阿弥陀経』だが、漢読みではなく、読み下しであげて下さっていたので、受付で接待をしながらではあったが、とても有り難く聞かせていただくことが出来た。
『阿弥陀経』が終わった後、引き続いて‘南無阿弥陀仏’のお念仏をひたすらに称えられていた僧侶の方々の声に合わせて、私も小さな声でお念仏を称えさせていただいた。
しかし、ブツクサとお念仏を称えている私に、怪しげな視線を向ける周囲の人たちの心の動きが気になったので、私は声を殺て心の中でお念仏を称え、「念仏申さんと思いたつ心の起こる時」という“今”を、有り難く味合わせていただいた。

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「無常」の先の「後生」 [随筆日記]

先日、若かりし日の思い出話しをする機会があって、なんとなく昔のアルバムを開く気になった。
15年前の私。
こんな写真を見ていると、「やっぱり若いっていいな~ぁ」、なんて、ババくさいことをツイツイ、口にしてしまう。

最近では、写真は撮る一方で、被写体になることはめったにないが、結婚する前にお付き合いをしていた彼がカメラを趣味にしていたので、あの頃の週末デートはカメラを車に乗せてあちらこちらへ連れて行ってもらっては被写体となっていた。
思い出の写真。 懐かしいな~ぁ。

フッと思う。
15年先の私は、どうなっているのかな~ぁ…、と。
生きていればもちろん老けたおばさんになっているだろうけど、死んでいたら・・・・・

仏法と出遇うまでは、それなりに老後の私を思い描くことも出来たが、最近では一年先の未来も薄暗い感じが漂う。
しかし仏法では、「一息、一息が後生(死)と触れ合っていて、一寸先は闇」と教えられる。
残念ながら、そうは思えない・・・・・
少なくとも、明日の私は生きていると安易に想像ができる。
明日になれば、また明日の生きている私を思い描き、結局、想像の世界では、きり無く生き続ける私…
頭では、次の瞬間に心臓発作で死ぬかもしれない! 大地震が起きて死ぬかもしれない! な~んて想像しても、やっぱり本心が伴わない…

それが肝心!
なのに、それが欠けている私…。

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仮通夜 [随筆日記]

我が家から三軒ほど隣の道向にある会社の会長さんが亡くなられた。
一年ほど前、余命2ヶ月と宣告され抗ガン剤治療を続けていた会長夫人よりも早く、元気だった会長さんの方が同じく癌で先に亡くなられるとは予想していなかった。
まさに、死は時を選ばず…

日頃、会長夫人や社長と懇意にしていることから、この度葬儀のお手伝いを依頼されて、今夜さっそくご自宅の方へご挨拶にうかがった。
外から見てもかなり大きなお屋敷で、ドデッカイ岩を敷き詰めたエントランスから、車が5,6台は収まっているだろうガレージの前を通って、その先にある立派な門をくぐると、まずは大きな洋館がある。
その玄関だけでも15,6畳はあり、チョットした応接間のようになっていて、ここまでは以前にも入ったことがあったが、今日は、その洋館の横手から中庭を抜けたところにある、これまたすごく立派な日本庭園を抜けて、敷地の一番奥にある日本家屋へと通された。
玄関を入ると、数々の美術品が所狭しと置かれ、品の良い骨董品店のような趣であった。
お金持ちと言うのは、こんなふうにお金を使うんだな~と、勉強にならない学習をする。

故人は奥の仏間に安置され、その前で会長夫人や社長とお話しをしていると間もなく仮通夜が始まった。
宗教は浄土宗で、私が仏教と出遇ってからは初体験となる他宗での葬儀である。
浄土真宗と同じなのは、「南無阿弥陀仏」というお念仏だけで、見たことのない浄土宗ならではの儀式に興味の虫がうずいた。
仮通夜が終わってから簡単な打ち合わせを済ませて帰宅をする際、なんとなくお念仏が口からこぼれた。 
なまんだぶつ、 なまんだぶつ、 ・ ・ ・ ・ ・
こんなご縁でもなければ出てこぬお念仏に、「人の死を縁として、法を頂く」という教えを有り難く受け取る。
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カエルの置物Collection [随筆日記]

昨日、民主党の新代表に鳩山氏が選ばれた。 
それについてのコメントがあるわけではない。(^.^ゞ

私の興味を引いたのは、昨日、民主党代表選挙を取り上げたあるテレビ番組の中で、鳩山さんと岡田さんの人物比較を特集していて、その中で、‘岡田さんの趣味’が、「カエルの置物コレクター」となっていたことだ!
いったい、どんなん? と、興味津々!!
だってね、実は私も、かつておこづかいに余裕があった頃に、カエルの置物をコレクションしていた。
集めた数は、ゆうに50体をはるかに超える。
私の場合、キャラクター系のカエルたちをコレクションしていたが、岡田さんはどんなカエルの置物をコレクションしているんだろう~? と、岡田さんにとても親近感を覚えた。

ただそれだけの日々雑感[わーい(嬉しい顔)]2839869


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曇りのち雨、法座前 [随筆日記]

今朝は、今にも雨が降り出しそうな雲行きで、どんよりと重たい雲に覆われた朝[曇り]
私の心も、かなり重っ苦しく、胃もシクシクと曇り空・・・

昨夜は、あまり眠れなかった・・・
翌日の予定が、楽しいことでも、辛いことでも、お出かけ前はいつも決まって安眠できない。

今日から二日間の日程で催される御法座に出させていただく。
いろいろな心配が頭をよぎって、心細く不安な感じ・・・
そんな自分の心そのまんなに聞かせていただけばよいのだと教えていただく。

午前中に、お買い物と夫の夕食の支度を整えると、もうお昼。
雨も降り出してきた。

さぁ、でかけよう!!

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ミカンの花 [随筆日記]

2825902朝日をあびて、一段と歓喜な香りを放ち始める、庭先のミカンの花。
その、飾り気の無い小さな白い花から放たれた芳香は、庭全体を包み込み、家の中にまで初夏の香りを届けてくれる。

雨上がりの朝、ミカンの花の香りに誘われて、四本足の子供たちとお庭で日向ぼっこ。[かわいい]

ミカンの原種は、今から約3,000万年も前に、インド東北部のアッサム地方で発祥され、その後、ミャンマー、タイ、中国などへ、様々な種に分化しながら広まったとされている。
まるで、仏教の伝承そのものの経路[exclamation]

日本に柑橘類が上陸した年代については定かでないが、『古事記』や『日本書紀』に、「非時香菓(ときじくのかくのみ)の実」として、橘(たちばな)orダイダイとして登場している。
ただし、この頃は観賞用、もしくは薬用として用いられたようである。

ミカンとして日本に広まるようになったのは、約800年前、そう、ちょうど親鸞聖人がご在世の頃に、中国原産の小ミカンが肥後国(熊本県)に伝わったのが元とされ、紀州(和歌山県)で食用のミカンが栽培されるようになったそうな。

ミカン と 仏教・・・  
一見、無関係のようだけど、強引に結び付けてしまう私の頭って、やっぱり変かな…?! [目]

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人生の最優先事項って? [随筆日記]

今日はこいのぼりも[雨]雨の中を泳いでる。

昨夜から、心身ともに体調不良で少し辛い・・・・・  

夫が今年の暇なGW中に、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣 最優先事項』という本を読んでいて、いい本だからと勧めてくれた。
「いい本か・・・・・」 とつぶやいて ため息をつく私・・・・・
迷っている凡夫が決める「良し」・「悪し」の判断・・・  そんな御法が胸中で、モヤモヤと騒いだ。

別の本を読む予定にしていたけど、夫の本をパラパラっと流し読みをする。
確かにすごくいい?![ふらふら] 
だって、今まで本を読んでて、こんなに反感を持った本ない!!!

いったい、どのようにすればバランスの取れた生活を送ることができるのか。
どのようにすれば私たちの最も大切なことを優先させ、意義のある満足した人生を送ることが出来るのか。
時間を有効に使い、仕事と私生活のバランスを良くして、ストレスを感じないように毎日を過ごし、社会的信頼関係築きたい、等々の指南本である。

これを書いた著者も可笑しければ、これを人生の教本とする読者も面白い!
でも、一番変なのは、この私だろう[わーい(嬉しい顔)]
自分の考え・意見こそ「良し」とし、反対論を見下す私…。
自分の枠にとれわれた読み方しか出来ない私…。
著者の気持ちを、そのまんま受け取ることの難しさは、御法に限ったことではないのだと知らされる。

あぁ~・・・ また、ため息・・・ [バッド(下向き矢印)]






 


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胸、そして背中 [随筆日記]

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地と天の極・・・ [随筆日記]

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憂鬱・・・ [随筆日記]

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嫌な予感… [随筆日記]

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なんじゃもんじゃ [随筆日記]

今日から花のGW[かわいい]
と言いたいところだが、今年はいつものGWとは違って、とっても静か
例年だと、GWの前半戦には四泊五日の国内旅行を楽しんで、後半戦にはHome Partyを催し、あれこれ友達を招いて賑やかに過ごすのだが、何せ今年はこの景気!
旅行に出かけるどころか、日々の生活も切り詰めてゲームのような毎日を過ごしているのだもの、金銭的な余裕もないし、後半戦には私が御法座の予定を入れてしまったので、友達を招いている時間的余裕もなくなってしまった。[たらーっ(汗)]
それでも 1 Day Drive くらいはしようねって言っていたのに、今日は夫にドタキャンされて、何だか気持ちがとっても暇になってしまったので、プチ家出をしたくなった。[るんるん]

夫は友達と買い物に行くらしい…
私は、デジカメとガイドブック、それにお気に入りのMusic CDと、S先生からお借りした本を持って車に乗り込んだ。

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最初にむかったのは、大府の大倉公園。
先週末でツツジ祭りは終わってしまったが、まだ多少は咲いているはず、と期待して行ってみると、ツツジはちょうど満開を終えたばかりで、まだまだ十分に楽しめた。
大倉公園は、ノリタケカンパニーリミテドの初代社長が大正時代に別邸として使っていたその跡地を、昭和50年に市が買い取って公園化したもので、2,800本のツツジをはじめ、サクラやアジサイなどの花の名所になっている。
そして何と言ってもここ大倉公園には、ナンジャモンジャの樹(正式名称・ヒトツバタゴ)があって、ちょうど見頃をむかえていた。
ヒトツバタゴはモクセイ科の落葉樹で、枝先に円錐形についた集散花序で、花冠は4裂に深く長く切れ込み、純白の花を樹冠いっぱいにつける。
ヒトツバタゴ (Chionanthos) という名の通り、Chion(雪)のような、Anthos(花)である。
日本では、対馬と、岐阜・愛知に隔離分布しているだけの貴重な樹木で、現在では絶滅危惧II類にも指定されている。
“ナンジャモンジャ”として広く知られるようになったその名の由来は、昔、明治神宮外苑にあったこの木の名前がわからずに、「何と言うもんじゃろか?」と言ったことに端を発し、これが“ナンジャモンジャの樹”として、広く伝わったのだとか…。

園内の竹林や紅葉の木陰はとても居心地がよくって、ここでのんびりと読書でも楽しみたかったのだが、ブ~~~ンと羽音をさせて飛ぶ虫と、二足歩行のオヤジ虫たちが鬱陶しくって落ち着けず、お腹も空いてきたので大倉公園を後にした。

2772080Launch[レストラン]は、以前に一度だけ入ったことのあるネパール料理のレストランに入った。
この店の店員(ネパール人)の愛想の無さに居心地が悪くて、もう二度と来ることはないだろうと思っていたが、実際にネパールに旅行してみて、「なるほど、愛想の無いのはネパールの国民性! ネパールでは笑顔も無料(ただ)じゃないんだな!」というのがわかったので、なんとなくもう一度入店する気になった。

お店に入ると、さすがにGW! ファミリーが目立つ。
店員は相変わらずそっけなく、「少しくらいは笑って見せてよ!」とお願いしたくなるような愛想の無さだが、逆にネパールっぽくっていいかも?!とさえ思った。
メニューを見て、「今日はGWだし!」と自分なりの理由で、おすすめデラックスランチを注文した。
(↑ 写真) これで一人前! 
お味の方は、かなり日本風にアレンジしてあるのでチョット物足りない気もするが、なかなか美味しくいただきました。

2772037この後は、碧南の広藤園にむかう。
駐車場スペースも広く、園内には多くのベンチが置かれ、観光協会さん、がんばってる~って感じ!
ここの藤は、「ひろの長藤」といって、よく目にするノダ藤よりも花房が長く、説明書きによると、1.5mにもなるのだというが、そんなに長いものは探しても見つからなかった。
園内では、シンセサイザーの演奏や次々と入れ替わる見物客でなかなか落ち着かない感じだったので、早々に次の目的地へ向かうことにした。

この後行ったのは、安城市の城藤園。 
ここも藤の名所だとガイドブックには書かれてあるが、とてもチンケなもので、観光協会の提灯はかかっているものの、小じんまりとした敷地には雑草が伸び放題・枯れ放題で、藤の樹の手入れも全くされていない荒地に花の状態だった。
したがって、虫の数も半端ではなく、逆に、見物客は誰一人としていなかった。
藤棚の横の、こんもりと盛られた小山の上に、子安観音と書かれた旗が何本も立てられていた。
そこは木陰に木漏れ日が心地よく、今日の気候と相まってとてもい~感じだったので、ここで読書でもしようかな?!と思ったが・・・
おっと! どこから湧いて出たのか、またオヤジ虫に話しかけられてしまった[わーい(嬉しい顔)]・・・
人気もなく、チョット怖かったのでまたまた早々に退散[exclamation]
なかなか落ち着ける場所ってないもんだ…

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春の検診(動物病院編) [随筆日記]

2760668今日は春の健康診断。
と、言っても、私ではなく、我が家の四本足の子供たちのこと[犬]
今年6歳になるパパ犬を筆頭に、5歳半のママ犬と、その子供で、4歳になる長女と、2歳の長男の、計4匹のトイプードルである。

(左から、Merci,Fleur,Ange,Carine)

パパ犬のAngeは、気弱で、甘えん坊で、イジケ虫だけど、家族思いの優しい性格の子。
ただし、奥さんのFleurには頭が上がらず、いつも彼女の視線にビクビクしている、チョット情けないパパ犬。
ママ犬のFleurは、少々メタボな肝っ玉母ちゃんで、子育て上手だけど、子供のしつけにはチョット厳しい(^.^ゞ、大黒柱的な存在。
夫であるAngeを完全に尻に敷き、「あたしが大将!」と自負しながらも、飼い主にはとても忠実なおりこうさん。
娘犬のCarineは、手のつけられないほどのおてんば娘で、高い所も、水の中も、全然へっちゃら!
究極のひがみ症で、High temperなやんちゃ娘だけど、ママ犬のFleurだけは、ど~にも怖いよ~で、とってもビクビクしてる。 その半面、パパ犬のAngeには無視を決め込み、完全に見下している様子。
息子犬のMerciは、素直で、明るくて、とっても元気な男の子。 ママ犬やパパ犬と遊ぶことも好きだけど、お姉ちゃん犬のCarineと一緒に遊ぶのが一番大好き!

そんな4匹家族を連れて、動物病院へ行って来た。
検査内容は、体重測定はもちろんのこと、目・耳・肛門のCheckや、関節炎の検査、それに検便や血液検査という具合に、人とあまり変わりはない検査を、春と秋の年に二回行う。
春の検診はこれにプラスして、予防接種とフェラリアのお薬を一年分いただくので、家計は大打撃である[爆弾]
でも、わが子だから・・・・・    でも、苦しい~   うぅぅ[ふらふら]

検査結果は、ママ犬以外は全員合格[かわいい]
ママ犬のFleurは、去年の夏ごろから膠原病の疑いがあって、やっぱり今回も花丸な結果はいただけず、再び通院生活が始まった。 かわいそうに・・・・・

動物病院の待合室は、満員電車のように人とペットであふれかえっていた。(予約制のはずなのに…)
怪我、骨折、皮膚病、心臓病、癌、などなど、畜生界も過酷である…

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6年半ぶりの再会 HUGH [随筆日記]

朝8時、駅前のHOTELで待ち合わせ。
予定よりも30分早くに着いてしまった。 
ドキドキする…   何を話そうか…  それよりちゃんと話せるかな~?  ドキドキ!

HUGHとの再会に、ワクワクとした緊張感を楽しみながら時間を過ごす。
アメリカに住んでいた間、二年間ず~っと私の Private Lesson をしてくれていたESLのTeacher、
HUGH ROBERTSON
日曜日に来日して、翌月曜日に成田から福岡へ。 
そして再び東京に戻る前に途中下車して、私と会う時間を作ってくれた。 すごく嬉しい[るんるん]

遠くから両手を広げて駆け寄るHUGHとの6年半ぶりの再会。
Hugした身体は、私とは対照的に以前よりも少しやせていたけど、あたたかな笑顔は全然変わっていない。
離れていた年数を感じさせたのは、Trademarkのあごひげ。
以前よりも随分伸びて、Bronze Color だったのが、すっかり White Color になっていた。

会話の出だしは、やっぱり英語のこと…(^.^ゞ
「HUGHに教えてもらった英語、すっかり全~部忘れちゃった! だから今日は、HUGHが頑張って日本語で話してね!!」 って言ったら、真面目なHUGHは、ホントに必死で日本語を駆使しながらお話ししてくれた。

何せ私はESL-Schoolの落ちこぼれ…
私の通っていた語学学校は、半年ごとのサイクルで進級するのだが、私はLEVEL1からLEVEL2に進級できず見事に落第して、一年目はしっかり一年間、一年生のままだった。
二年目には、LEVEL2からLEVEL3へ進級できたが、もともと苦手で嫌いな英語を学ぶだなんて面白くもなんともなく、次第に学校へは行かなくなってしまった。
でも、毎週一回、HUGHが家庭教師をしてくれる英語の授業は大好きで、これは帰国する直前まで続けた。

HUGHは現在五十歳台後半のイギリス系アメリカ人で、職業は自称MUSICIAN。
オーケストラのフルート奏者でありながら、CDデビューしているバンドのサックスフォン奏者でもあり、その傍らでESL-Teacheもしている。
でも、純粋な音楽家といえば、そうではなく…、 昔は、ミシガン大学で人類学の研究をしていたという経歴を持つ変わり者、 つまり、私好みの人種 (^^)v

HUGHのWifeは日本人で、去年のリーマンショックのおりに彼女だけが日本へ帰国してしまい、現在アメリカと日本での遠距離結婚生活中!
そんな訳で、Wifeに会う為に来日することになったHUGHと、そのおこぼれにあずかって私まで再会させていただき、超LUCKY[手(チョキ)]

2756334すっかり英語の話せなくなった私との会話に苦戦したHUGHであったが、時間はアッという間に過ぎ去り、別れの時が近づく…
二人で駐車場に向かい、私の車の中で待つMerciの元へ!
以前、HUGHに送った手紙に我が家の愛犬の写真を同封したところ、犬好きなHUGHより、「ぜひ会いたい」と言われたので、今日は愛犬の末息子Merciを連れて来て車内に待たせてあった。
感激するHUGHに抱かれたMerciは、見たことのないHUGHのひげに頬ずりされて、かなりビビッていたけど、HUGHはとっても嬉しそうだった。

「また、必ず会おうね!」と、別れのHugをした後、Merciと二人でHUGHを見送った。

「楽しみ~!」 が、 「楽しかった…」 に 変わる瞬間が嫌い・・・・・

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ガーデニング [随筆日記]

2739866今日は、行く予定にしていた法座にはやっぱり行かず…(^.^ゞ、久しぶりにガーデニングに勤しんだ!

今年は財布の中身も寂しくて、なかなか園芸費にまで手が回らないとあきらめていたが、思いがけず夫から¥3,000のおこづかいをもらったので、これを足しにして隣町の大きな農園へ行き、花の苗をたくさん買い込んだ。
セット売りのまとめ買いでペチュニアやマリーゴールドなどを100株ほど購入して、自宅の花壇に絵を描くように植えていくと、やっと我が家のガーデンも春らしい装いになった!

今日はのどかだな~ぁ[かわいい]

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お花見2009 奈良吉野村の千本桜 [随筆日記]

今年最後(?)… いや… 今生最後(?)となるかもしれないお花見に行ってきた。
行き先は、奈良県吉野村の千本桜。
半月ほど前 Dear BOSSに、「私をDriveに連れてって[車(セダン)]」な~んて、何かのタイトルのような台詞を口にしたらその希望を叶えてくれて今回の 1 day trip が実現した。
行き先は、桜が大好きな私に合わせてDear BOSSが “吉野の千本桜” に決めてくれたのだが、これには何だか不思議な縁(えにし)を感じた・・・・・

2735365 お互い気楽な旅にしよ~ぉと言うことで、初めての日帰りBus tourに申し込み、吉野までのんびりとしたバスの旅を楽しむことになった。
早朝5時起床の6時出発と、ちょっとハードな朝になったが、バスに乗ってしまえば気楽なもので、おしゃべり三昧をする内にアッという間に吉野に着いてしまった。
でも、時間は正午近くになっており、吉野での滞在時間はたったの3時間と限定されて、私たちは足早に上千本へと急いだ。

吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場で修行道大峯奥駈道の北の入口となっている。
そして桜の名所として名高い吉野の桜は、7世紀頃、修験道の開祖・役行者(役小角:えんのおづぬ)が、仏様が権(かり)の姿で現れた神(化身)としての金剛蔵王権現(釈迦・観音・弥勒の三尊合体の権現)を造像した時、その姿を吉野のヤマザクラの木で刻みお祀りしたことに始まって、以来、花見のためにではなく、蔵王権現や役行者を信仰する証として、信者らの献木により植え続けられた結果、現在の花の吉野となったのだと言われている。
その吉野山には、シロヤマザクラを中心に、約200種、30,000万本の桜が尾根から谷へと山全体を埋め尽くし、下千本 → 中千本 → 上千本 → 奧千本 へと、約1ヶ月をかけて咲き上がっていく為、約一ヶ月にわたって桜の花見を楽しむことが出来る。

2735366私たちが出かけたのは4月16日、 既に下千本の桜は青葉に変わり、中千本では八重桜が満開をむかえていたが、上千本では散り際のヤマザクラが見られるということで、せっかくだから行ける所まで行こうと目標を奧千本に定めて歩き始めた。
吉野山観光駐車場でバスを降ろされ、早々に歩みを進めて竹林院近くのバス停まで30分ほどで到着したが、ここから上千本の金峰神社までは、急な上り坂を3km(1時間~1時間半)も登り続けねばならないということで、上り坂の苦手な私は先行きに不安を感じて、文明の力・ケーブルバスを利用することにした。
しかし、ピストン輸送のケーブルバスも1時間20分待ちであるとのこと…、 
これでは集合時間に間に合わないのであきらめざるを得ず、再び、「行ける所まで歩こう!」ということになって歩き出したのであったが…
なにせ相手は急勾配の上り坂… 後ろへ、後ろへと身体が引き戻され、なかなか前へと進めない(^.^ゞ
足にマメが出来始めたのか足裏にプクッとした痛みも出てきて、「も~ダメ…!」とGroggy out !(^_^;)!
残念だが、急ぎ足で駆け登ってきた道を、のんびり、ゆっくり、ふらりふらりと戻ることにした。

所々で桜の花や軒を連ねた店々をカメラに収めながら金峯山寺(きんぷせんじ)まで戻る。
結婚前までは毎年訪れていたこの場所に十数年ぶりに立った。
以前感じていた「人恋しさ」や「空虚」といった感覚は今は無く、ただ懐かしさだけがあたたく迎えてくれた。

中学の時、歴史の授業で飛鳥時代を学んでから、私の中では日本史の授業は飛鳥・奈良時代で完全にSTOPしてしまった位にこの時代へ惹き込まれていった。
その頃読んだ歴史本の中で、特に興味を持ったのが役小角で、周りの友達がテレビタレントやアイドルを夢に見る中、私の夢の中には見たことも会ったことも無いが、役小角が現れた。(なぜかそう確信しているだけなのだが…)

高校生になっても奈良への憧れは止まず、ますます興味を持って歴史・文学書を読みあさり、大学への進学が早くに決まっていた為、暇な高3の冬にとうとう初めての一人旅を決行した。
行き先は奈良・飛鳥の里。 宿は母が民宿を予約してくれて前金で精算済みという、親の手を借りた一人旅だったが、この時から一人旅、そして奈良の虜となってしまった私は、その数ヵ月後の春には二度目の一人旅に旅立ち、再び奈良を訪れることになって、この時訪問したのが、ここ吉野山の金峯山寺であった。

この他にも、自分の名の由来となった土地である等々の諸々の縁・繋がりを奈良には感じていたので、今回、久しぶりに訪れることになった奈良行きの1 day tripには、とても感慨深いものを感じた。
なので、山を覆うような桜の花々は見られずとも、この日は私にとって、とっても大切な一日となり、心には満開の桜が咲きっぱなしの一日であった。

早めにU-ターンをしてしまった為、集合時間まではまだ間があったので、見晴らしのよいCaféでCoffee Time。
このまま時間が止まってくれたならば…、と思うほど、切なく穏やかなひと時は無常にも過ぎ去り、帰りのバスに乗る。
バスに乗ると青かった空は厚い雲で覆われ、どんよりとした重っ苦しい雲行きになったが、車中でのおしゃべりはとても楽しく、帰路は4時間近く絶えることのない会話の花のお花見でENJOY![かわいい]

Tourを終え、夕食にはチーズフォンデュとイタリアンをいただいたが、私としたことが何だか胸いっぱいであまりたくさんは食べられなかった。
でも、それくらい楽しい一日であった[黒ハート]   THANK YOU SO MUCH[ぴかぴか(新しい)]

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ダブルブッキング [随筆日記]

先週の金曜日から、三日間の日程で催された陶房の作品展 “一器一会” も今日が最終日。
今日は片付け仕事の後、ご苦労様会もあったが、私は昨日・今日とこの作品展に参加することができず、残念でもあり、メンバーには負担をかけることとなり申し訳なかった。
今年は例年よりも盛況だったとのことだが、景気悪化のあおりを受けて、値下げをしても財布の紐はきつかった…、とのメールをもらった。

たまたま予定が重なって、昨日・今日の二日間は、浄土真宗の法座の集いが催されていて、自分の中でこれを欠かすことは絶対に出来ないので、陶房の先生には頭を下げて法座の方へ参加させていただく身となった。

この二日間の聞法は、私にとって実に身のあるものだったが、これは後日記載しよう…
昨夜は全く眠れなかったので、今は目が開けていられない状態なので・・・・・
ふわ~~~ぁ

明日から陶芸作品展 [随筆日記]

昨日の昼間に、明日から始まる陶芸作品展で販売用に出品する作品の写真撮りをして、昨夜パソコンにデータをおとしたら、デジカメのバッテリー交換をしたより前の写真がすべて消えていた…[がく~(落胆した顔)]
「嘘でしょ?!?!?! なんで?!?!?! こんなことってある?!?!?!」
・・・・・  ただ呆然とするばかり…   ガックリである… [もうやだ~(悲しい顔)]
とりあえず、写真撮りの完了した作品だけは昨夜の内に値札を付けて梱包したが、今朝は早朝から再び写真撮りをして、値をつけ、梱包してと、チョット慌ただしかった。

展示用の作品もほぼ決まり、昼過ぎになってようやく一息ついた。

午後からは陶房へ行き先生のお手伝いをして、このあと、車いっぱいに作品を詰め込んで運搬、搬入、会場の設営と大忙しで、アッという間に今日という日が過ぎ去り、帰宅したのは夜の9時を過ぎていた。

出展作品は迷いに迷った挙句、今回は小さな作品をいくつか出品することにした。
何のことはない…、結局最後の窯開けが間に合わなかったのである…

今となっては、展示用の作品よりも、販売用の作品が一つでも多く売れることを願うばかりであるが、昨夜・今朝と二日がかりで付けた値段が安すぎるとの指摘を受けて、結局、今日、会場で全部値段を付け直すハメに・・・[ふらふら]
値段を上げて僅かばかりの売り上げを伸ばすよりも、値段を下げて一つでも多くの作品を売りたいと私は思っているのだが、陶房として開催する以上は、個人プレーはご法度とのこと… 
納得はするけど、トホホ…である。

今日はもう一つ、トホホ…な出来事があった。
作品展の準備をする際、女性陣が作品の搬入や会場のセッティングなどの力仕事で奮闘しているその傍らで、男性陣がおしゃべりに熱中していたことが、ず~~~っと気になっていて、手も足もたりなくなってしまった時についつい口が出てしまい、[ちっ(怒った顔)]「男の人も展示台の運搬、手伝って下さい!」とイライラの直球ボールを投げてしまった。
みんな素直にやってくれたけど、自分としてはトホホ…な発言であった・・・

27094522709453


灌仏会 (花まつり) [随筆日記]

旧暦の4月8日は、お釈迦様がお生まれになられた日であると伝えられている。

お釈迦様の御誕生を祝う行事が灌仏会(かんぶつえ)であり、通称、花祭り(はなまつり)として知られ、この他にも、降誕会(ごうたんえ)、龍華会(りゅうげえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、などの別名もある。

2706009左の写真は、ネパール・ルンビニのお釈迦様がお生まれになった場所に建てられた遺跡である。
(詳細は、 http://namuamidabutsu.blog.so-net.ne.jp/2009-03-02 )

お釈迦様がルンビニ園の花園でお生まれになられた時、その御誕生を喜ばれた龍王が天から飛来して甘露・香湯(ソーマ、アムリタ)の雨を降り灌ぎ、これを産湯とされたという故事にちなんで伝えられた行事が灌仏会であり、日本では推古天皇の時代(606年頃)に始まったとされている。

子供の頃、私はこの花まつりの行事が好きだった。
但し、仏教的な意味ではなく、ただ単にお菓子がもらえるからという理由からである。

母方の曾おじいちゃんがお寺の出身だということもあって、何故かは知らないが、当時羽振りのよかったおじいちゃんが、自宅の横にお寺を建ててしまったそうな…。
でも、お寺と言っても住職がいるわけではなく、特に宗派には囚われず、地域の集会場のような感覚で建てたそうで、町内の寄り合いや、子ども会の行事、葬式など、多種多様に町内の人たちに開放していた。
祖父亡き今は、町内の人が交代で管理をしており、古くはなったが今も現役の庵である。

私の実家は、その庵の境内の一角をおじいちゃんから譲り受けて両親が家を建てた訳で、庵の境内に家があるのか、家の庭に庵があるのか、といったところだ。

その庵で、毎年花まつりの行事が催され、本堂の中央には花御堂(はなみどう)が設置され、その色とりどりの花々で飾り付けられた花御堂の中に灌仏桶を置いて、甘露の代わりに甘茶を注ぎ、その中央に安置したお釈迦様の像に柄杓で甘茶をかけてお釈迦様の御誕生を祝う。
当時の私は、花まつりの意味も、お釈迦様も、何も知らずに参加していたが、ただ仏様の行事であることだけは何となくわかっていた。
なぜならば、花まつりの日は、町内の仏壇のある家々を訪問して、その家の仏壇に向かって合掌するとお菓子をいただけるので、この日ばかりはお仏壇が有り難く感じられたものだ。
穏やかな春の日差しの下で、袋いっぱいに詰め込んだお菓子をほおばりながら、花々で彩られた花御堂を眺めていたあの頃の光景が、今も鮮明に思い出される。

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浄土真宗 三河別院 [随筆日記]

先週末、岡崎さくら祭り見物の前と後に、浄土真宗の三河別院へ参拝した。

お花見に行く前に訪れたのは、大谷派三河別院(お東)。
国道一号線より2本北に別院通りと呼ばれる道があり、その通りに面して建つ大谷派三河別院は、この近辺で一番の面積を誇るのではないだろうか…? とても立派な本門が視界に入った。

実は今回、計画的に別院へお参りに来た訳ではない。
ネタをバラせば、トイレを探してウロチョロしていた訳でして… (^^ゞ  
しかし見渡せどもコンビニエンスは見当たらず…
この時目に付いたのが寺院らしき立派な塀と鐘楼だった。
お寺ならトイレがあるぞ!と入り口まで行くと、正門前にそそり立った石柱に、「真宗大谷派 三河別院」と彫られた文字を見て、「へ~ぇ、ここが!」 ということでその門をくぐって、…トイレへ行ったわけである。

2705494境内に設置された立派なトイレを拝借してスッキリしたところで、「せっかくだから阿弥陀様にご挨拶でもして行こう!」と思い立って本堂へと上がった。

誰もいない、ひっそりと静まり返った本堂で、少し遠慮気味に「なまんだぶつ、なまんだぶつ…」と称えると、二つの心が湧いてきた。
「阿弥陀さんはすごいな~、ホントに私を引っ張って、引き寄せて、付きまとっておられるんだなぁ~。
今日、ここで、‘なまんだぶつ’が出てくるなんて予想もしてなかった…、有り難いなぁ~」 という心と、
「自分の口から出てくる念仏が、ど~しても好きになれん…
‘この汚い口から飛び出す念仏が私に耳に届くなんて、何て有り難い!’ な~んて、思えへん…
だからブツブツっとしか‘なまんだぶつ’が言えんの…」 という心。
相反する自分の心と、目の前の阿弥陀様の像をただボーっと眺めていたら、事務所の方からおじいちゃんが出て来て、「寒かろ~でストーブ付けたるわな~ぁ」と言って石油ストーブに火を入れてくれた。
そんなに寒くはなかったけど、ストーブの近くに行っておじいちゃんと言葉をかわす。
「御本尊の阿弥陀様像は随分古そうだけど、いつ頃のものなの?」
「さ~ぁ、ワシではよ~わからんでの~ぉ。 これにおおよそのことは書いてあると思うが、ワシは読んだことがない」 と言いながらこの別院のチラシを一枚手渡してくれた。
そのチラシに目を通しながら確認形式でおじいちゃんとの会話をまとめると以下のようになった。
1889年(明治22年)に第21世本願寺法主・嚴如上人が三河国に訪れ、赤羽別院(幡豆郡一色)と暮戸会所(岡崎)を統廃合して三河別院にするという通達を出したが、地元門徒から撤廃の反対を受けた為、代わりに翌1890年(明治23年)に丹後峯山別院の御本尊を移して新たに建てられたのがここ三河別院の起源とされている。

しかし、1945年(昭和20年)の太平洋戦争の時に、岡崎地区一帯は空襲によって焼け野原となり、この時伽藍も焼失してしまったが、御本尊は門前の門徒さんたちの機転によって守られたとのことであった。
つまり私が質問した御本尊の阿弥陀様像は、丹後峯山別院の起源まで遡らなければわからないほど古いものだということはわかった。

そして戦後20年を経て1965年(昭和40年)から復興工事が始まり、5年の歳月をかけて現在のかたちに再建されたとのことであった。

この後おじいちゃんに、奥の書院や庭園などを案内していただいた。
しかし、チョット驚いちゃったのは、
「こちらには何人くらいの僧侶の方がお勤めをされているんですか?」と聞いたところ
「今は10人の門跡さんが朝晩修行されていますよ」と聞いて、「門跡」? 「修行」? とビックリした!(◎o◎)! が、聞き流すことにした(^.^ゞ

そして、お花見の後に参拝したのが、本派三河別院(お西)

2705493こちらも計画的にお参りに来た訳ではなく、ネタをバラせば、花見を終えて駐車場まで戻ってきた時に、たまたま駐車場の目の前にあった不思議な形状をした建物が気になって門前の石柱を見てみたら、「本派 三河別院」と彫られてあったので、「へ~ぇ、ここが!」 という訳でその門をくぐった次第である。
そこで、「せっかくだから阿弥陀様にご挨拶を!」と思って本堂に入ろうとしたが、鍵がかかっていて中に入れない…

「浄土真宗のお寺は、どなた様でもお参りが出来るように、門には敷居などの段差を設けず、日中はお堂の錠も外して、誰でも阿弥陀さんを拝めるようにしてあるんですよ」
と、以前、浄土真宗の僧侶から聞いていたので、浄土真宗のお寺を見つける度に本堂へ上がらせて頂く習性になっていたが、時々、進入禁止のお寺もある。
しかし、ここは別院だし、「そりゃないよ~ぉ」と大きな声で愚痴ったら、本堂の隣りの建物から、「今、開けま~す」との声がした。
そして中から出てきた初老のおばあちゃんに本堂の鍵を開けてもらって、阿弥陀様の前に座し、またボソボソっと「なまんだぶつ」を称えさせて頂く。
そしてまた、おばあちゃんに2,3質問をしたけれど、やっぱり、「さ~ぁ、わたしじゃわからんね~」と予想通りの返事をもらう。

おばあちゃんの話しと頂戴したここのチラシをまとめると、本願寺三河別院は、1886年(明治19年)に岡崎説教所として設立されたのが起源で、本派三河別院に昇格したのは1918年(大正7年)のこと。
その後、やはり1945年(昭和20年)の岡崎空襲の際に建物は全焼してしまい、バラック小屋の仮本堂を建てて、そこに戦火で家を失った門徒らが共同生活していたそうで、話しをしてくれたおばあちゃんも3年間下宿されたそうだ。
1953年(昭和28年)にようやく本堂が再建されるも、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風によって再び本堂は大破し、現在の建物は、翌1960年(昭和35年)に再建されたものだそうだ。
その本堂の形状がお寺らしからぬ外観で、チラシによるとインド風の建物ということだが、一見、さびれた新興宗教の建物の様にも見え、なぜインド風なのかはおばあちゃんにもわからないとのことだった。
本派三河別院には僧侶の方はおらず、行事がある時だけ近くの本派の寺から僧侶が出張されるのだとか。
大谷派三河別院との格差は歴然で、おばあちゃんは痛くこのことを気にしておられた。

思いがけず両派三河別院を参詣することができて、ただ「南無阿弥陀仏」・・・・・

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お花見2009 東谷山フルーツパーク [随筆日記]

2702085昨日は、三河地方のお花見処を散策したので、今日は、尾張地方のお花見処として、東谷山フルーツパークへお出かけ。
東谷山(ひがしたにやま)と読んでいたが、実は東谷山(とうごくさん)と読むのだと知った!
東谷山(とうごくさん)は、愛知県名古屋市の東北端(守山区)と瀬戸市との境界にある山で、名古屋市内の山としては最も高い山なのだそうだが、標高198mしかない。

東谷山の南西山麓にある東谷山フルーツパークは、農業公園として1980年に開園。
桃、梨、林檎、柿、みかんなどの馴染みのフルーツ畑や、芝生広場、日本庭園、果樹温室などある。

2702084今回、ここ東谷山フルーツパークを訪れたのは、NETで「シダレザクラまつり」のPRを見たのがきっかけで初めて足を運んだわけだが、予想以上によかった
園内には約1,000本のシダレザクラが咲き、こちらはまだ五分咲き程度であったが、シダレザクラ以外にも、ソメイヨシノやヤマザクラなど数種類の桜や、桃類やアーモンドなどの果樹の花も見頃を迎えており、春爛漫の花の世界が広がっていた。
シダレザクラのピークは今週末辺りだと予想される。

そもそも「サクラ」という名の由来は、一般説として「咲く」に複数を表わす「ら」を付け加えたものであると言われているが、春になると里に降りて来る稲(サ)の神が憑依する座(クラ)ということで「サクラ」と言われるようになったという説もある。
「サクラ」とは、バラ科サクラ亜属植物の総称であり、日本では600種以上の品種が自生している。
日本で最もPopularなサクラは江戸末期に自然種のオオシマザクラ(大島桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の混合種として改良されたソメイヨシノ(染井吉野)で、現在ではサクラの代名詞となっている。
ちなみに、ソメイヨシノ(染井吉野)の「染井」とは、江戸時代の江戸染井村(豊島区)という地名からきている。

サクラは日本の春を象徴する花であり、また日本人に最も馴染みの深い花もあり、平安時代以後の日本において、単に「花」といえばサクラのことを指すそうだ。(平安時代以前の「花」は、梅を指す。)

2702086『万葉集』の中にも数々のサクラを詠んだ和歌は多いが、やはり私にとっては、親鸞聖人が、

  明日ありと 思う心の 仇桜
        夜半に嵐の 吹かぬものかは
と、無常をお示しくださったこの歌が、サクラを見る度に思い起こされる。
私は、ど~にも こ~にも 無常を感じられへんな~ぁ…   と…

東谷山フルーツパークの帰り道に、愛知県森林公園に立ち寄った。
全国森林浴100選の森に選ばれているこの森林公園は、428haの広大な園内に約4,000本のサクラが植えられており、数種のサクラを除いてほぼ満開の状態だった。
春休みの最終日とあって園内の芝生広場は親子連れで混み合い、四方に注意を向けながら歩かないと、どこからボールが飛んでくるかわからないほど賑わいをみせていた。

2702087第一駐車場近くの池の周りに人だかりができていたので除いてみたら、そこにはカピバラの姿が!!
日本名は、オニテンジクネズミ(鬼天竺鼠)。
体長1m・体重50kgほどで、ネズミの仲間では最大の大きさを誇る。
草食性だが歯はけっこう鋭く、ネズミと言われればそう見えないこともないが、泳ぐ姿はビーバーにも見えるし、両手で食べ物を持って食べるその姿はとっても愛らしかった!
ここ森林公園では檻の中で飼っているわけではないので、自由に触ることも出来る。

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お花見2009 家康行列 と 岡崎城・桜まつり [随筆日記]

2695798三河国・岡崎城の春の風物詩「桜まつり」のMain Eventとして開催される戦国祭り「家康行列」は、戦乱の世を鎮めて天下を統一した徳川家康公の遺徳をしのぶとともに、三河武士の事績をたたえるため、江戸時代より龍城(たつき)神社の祭礼として伝わる伝統的な行事である。
岡崎城天守閣の横にある龍城神社は、徳川家康を祭神とした岡崎東照宮と、徳川四天王の一人・平八郎忠勝(本多忠勝)を祭神とした映世大明神を合祀し祭った神社で、江戸時代より毎年4月に大名行列の古札を持って神輿で町を練歩くという祭礼があり、これを起源として毎年1,000余名の武者等が、伊賀八幡宮を起点に岡崎城までの3kmを2時間かけて練歩くという時代絵巻「家康行列」が、市の主催で開催されている。

1542年に徳川家康公が誕生した岡崎城は、1455年に三河守護代の西郷弾正左衛門稠頼が築城し、これを1524年に松平清康(家康の祖父)が攻め落として松平家の居城とした城で、別名を龍城ともいう。
竹千代(家康)8歳の時、松平広忠(家康の父)が家臣の謀反によって殺害されたことで岡崎城は今川家の支城として城代が置かれたが、松平元康(家康)19歳の時に、桶狭間の合戦で織田信長によって今川義元が敗死したことで、岡崎城を取り戻して今川家から独立した。
その後、家康が本拠を浜松城に移した為、岡崎城には長男の松平信康が入ったが、信康は謀反の疑いをかけられて自刃させられ、徳川幕府を開いてからは、徳川家譜代大名等が居住するようになった。

1873年(明治6年)の廃城令によって岡崎城は破壊され、現在は本丸と周辺の曲輪や石垣、堀などの遺構を残すのみとなったが、しかし1959(昭和34年)、市民の要望によって天守閣が復元され、その敷地は岡崎公園として整備されて、日本の歴史公園100選、桜の名所100選、日本の都市公園100選に選ばれている。
特に桜の名所として知られ、天守閣を中心に約1,700本の桜が咲き誇り、毎年桜の季節は、多くの人々で賑わう。

以前、岡崎支店に二年間の勤務経験があり、その時 駅から支店まで 岡崎公園内が通勤コースの一部であったため、私にとって岡崎城はとても思い出深い場所である。
しかし、祭り=人混み が苦手であるが故に、「家康行列」は見物したことが無かったが、今年は何となく祭りに行く気になって、何となく岡崎「家康行列」に決めた。
最終候補まで残った静岡「大御所花見行列」は昨日行く予定だったが、その気にならなかったので、来年、機会と気持ちがあれば行こうと思う…。

岡崎市内は大渋滞で予定より遅れて到着したが、会場から遠く離れた岡崎市役所の駐車場所はまだガラ空き状態で、予定通りに駐車することが出来た。
A.M.10:15 さっそくウォーキングを開始!
先ずは大谷派三河別院を訪問して阿弥陀様にご挨拶 (これについては近日中に報告)

2695806市役所から北に1.5kmほど歩いて伊賀川の畔に到着。
伊賀川は昨年8月のゲリラ豪雨によって死者を出してしまったが、普段は水位も低く両川畔には2kmに渡って桜並木が続く静かな小川である。
一方、岡崎公園の南を流れる乙川は言わずと知れた桜の名所であるが、ここ伊賀川の方は隠れた桜の名所であるとの友人情報を頼りに今回初めて訪れた。
700本のソメイヨシノが作る桜のトンネルの中を静かに流れる川面には、いたずら好きな小鳥たちが落とした桜の花がゆらゆらと流れ行き、桜の木々花々の隙間をぬって差し込んだ木漏れ日の中を歩くと、この川の流れのように時間がゆっくりと流れているように感じられる。
ここには露店もないし、人出も少なく、友人の情報通り、とっておきの穴場であった。

桜のトンネルの中でお弁当を食べていると、ボチャン! という大きな音と共に目の前に落ちてきたものは・・・・・  ヒヨドリの運…、ではなくウンチっち  これには要注意[どんっ(衝撃)]

食後に向かった先は伊賀八幡宮である。
ここ伊賀八幡宮、1470年、松平四代親忠が松平家(徳川将軍家の祖)の氏神として家運長久・子孫繁栄を祈願する為、三重県伊賀国から社を移したのが始まりと伝えられる神宮で、「家康行列」の出陣式がとり行われる行列のスタート地点である。
境内は既に数百人の行列体と見物客でごった返しており、人波をかき分けながら奥に進むと、拝殿前には徳川家康をはじめ徳川四天王等が現代式のセレモニーに参加していた。
面白いのは、境内にたむろしていた三河武士たちで、タバコをふかしたり、携帯電話をしたりと、身形が甲冑を身につけた武士姿であるだけに、そのアンバランスさには苦笑した[わーい(嬉しい顔)]

2695797鉄砲隊のPerformanceで出陣式は幕を閉じ、「家康行列」がいよいよSTARTした。
ParadeのCourseが3kmもあるので、観客は道の両サイドに散らばって、沿道から余裕で見物できるのが嬉しい。
「家康行列」の先頭は、江戸より伝わる慣わしにより、神輿と宮司の隊列から始まって、続く時代絵巻隊は、“竹千代”(家康の幼年期)と少年武者列を先頭に、大型車の荷台に乗車したお姫様方が後に続く。
先ずは、“於大の方”(14歳で岡崎城主松平広忠に嫁いだ家康の生母) の車を先頭に、次の車には、“築山御前”(今川義元の姪(瀬名姫or鶴姫)で、家康の正室。
後に信長の命により家康に処刑される) と “亀姫”(家康と築山御前との間に生まれた長女)。
その後には、“千姫”(家康の孫娘。家康の三男・徳川秀忠と正室・江の長女) と “珠姫”(家康の孫娘。家康の三男・徳川秀忠と正室・江の次女) が乗る車が続く。

そしていよいよ三河武士の隊列が登場するが、その先頭は、“水野勝成”(家康の破天荒な従兄弟)。
次に、“岡崎三郎信康”(家康と正室・築山の長男で、織田信長の娘の徳姫と結婚したが、母・築山の嫁イビリに端を発し、信長の命により、父・家康によって処断された)。

この後、徳川四天王を前後に二人づつ配した、主役の徳川家康が登場した。
まず、“井伊直政”(徳川四天王・徳川氏きっての政治家・外交官)。
次に、“本多忠勝”(徳川四天王・本能寺の変の後、堺に滞在していた家康に伊賀越えを行わせた名将)。
この後にメインである “徳川家康” が登場!
そして、“榊原康政”(徳川四天王・幼くして松平元康(家康)に見出され小姓となり、「康」の字は家康より武功を賞されてを与えられたもの)。
最後に、“酒井忠次”(徳川四天王・家康の父・松平広忠に仕え、家康が今川の人質となった時、最高齢者として同行) の一隊が通過して行った。

2695807私たちはゆっくりと行進する「家康行列」を追い越しながら沿道を岡崎城へと向かった。
こちらはやはりすごい人手で、ビックリ仰天である! 思うようになかなか前へ進めない・・・
取り合えず人波をかきわけながら公園を一周して早々に退散し、乙川河川敷に腰をおろした。
乙川の、殿橋より西は露店や人が溢れてまったく落ち着けないが、殿橋より東側では、思いがけずのんびりとお花見を楽しめることができた!
特に明代橋を越えてからは花見客もまばらで、しかも桜の木が古いのでとても見応えがあり、こちらも穴場スポットである。
桜の木の下には黄色い菜の花と鮮やかな緑の草地が広がり、空には青空! 最高のお花見日和であった。
桜は8~10部咲きで、もうしばらくは楽しめそうだ。

お花見ウォーキングの締めくくりは本派の三河別院で阿弥陀様にご挨拶をしてから帰路についた。

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ウォーキングの後遺症 [随筆日記]

昨日は晴天[晴れ]、今日は雨[雨]
昨日は元気[わーい(嬉しい顔)]、今日はチョットだけ筋肉痛…[ふらふら]

昨日は、ウォーキング友達のZenさんと五条川の川畔をお花見しながら散策して、その後は桜咲く名古屋城を散策して、そのままぷらっと栄まで歩き、セントラルパークを散策しながら、チョットだけズルしてタクシーに乗って大須観音へと向かった。
一日の終わりは[ビール]ビールと焼肉で心もお腹も大満足[るんるん]  とっても楽しかった[exclamation×2]
しかし、久しぶりのウォーキングだったので、今日は筋肉さんがピキッて言ってる…[たらーっ(汗)]

一人っきりの週末・・・
お花見にでもでかけよ~かな~と思ったけど、雨だし…、筋肉痛だし…、
友達に連絡するのも億劫な感じ…、 ということで、お家でおとなしく読書にふける・・・

明日は夫を誘って[かわいい]お花見にでも行こうかな~
ど~か、青空さんとめぐりあえますよ~に[exclamation]
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お花見2009 名古屋城 [随筆日記]

考えてみたら…  名古屋城を訪れるのは18年ぶりか…?
地下鉄を浅間町で下車して、乾いた喉を潤す為にZenさんと[ファーストフード]McDonaldでおやつTime、 久しぶりにシェイクとアップルパイをいただいてから、いよいよ名古屋城へ。

まず、最初に向かった先は、名古屋城の南西にある名古屋能楽堂で、その入り口には名古屋城と能楽堂をBackに、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正の銅像が聳えていた。
尾張の鍛冶屋の子として生まれた加藤清正は豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川氏の家臣となるが、生涯豊臣家に忠義を尽くした武将・大名である。
また名将・加藤清正は、同時に築城の名手として知られ、この名古屋城の構築にも携わったと伝えられている。

2688998能楽堂の西側に、とってもりっぱな桜の木を発見[るんるん]
かなりの古木で、その根元から四方に幹を伸ばしたその姿は、この地にしっかりと肝を据えた大名然とした風格であった。
家族連れやカメラマン、それに結婚式の写真の前撮りをしている人たちがいたが、人出は少なく、ここは落ち着いてお花見の出来る穴場である[exclamation]

この後、12年前に建てられたという名古屋能楽堂を見学。
残念ながら今日は何の催しもなかったが、館内には「能」や「狂言」の小道具や写真等が展示されており、自由に見学が出来るようになっていて、それらを見ていたら「能」にとても興味がわいた。
以前から「薪能」の幽玄的な世界には興味があったが、能楽堂で「能」を観た経験はなく、近いうちにぜひ観覧したいと思った。

2688999能楽堂を後にして名古屋城へと向かい、名古屋城正門から入場([有料]¥500/1人)する。
城内に入るのは初めてである。

名古屋城は、織田信秀(織田信長の父)の居城であった今川氏・織田氏の那古野(なごや)城跡地に、徳川家康が天下統一の最後の布石とし九男義直のために築いた城であると伝えられる。
また名古屋城は、大坂城、熊本城とともに日本三名城に称され、「尾張名古屋は城で持つ」とも歌われ、大天守の屋根に輝く金の鯱は、名古屋の象徴にもなっている。
しかし、太平洋戦争時、1945年(昭和20年)の名古屋空襲により、本丸御殿や金鯱をはじめ、そのほとんどがアメリカ軍による焼夷弾の直撃を受けて焼失し、戦後から現在に至るまで、修復・改修工事が続けられている。

昭和34年に修復されたとう正門をくぐって南面石垣に上がると、その石垣からお堀に流れ込むように枝を伸ばす松と桜の連なった美しい風景を見ることができる。

本丸御殿を囲う堀には芝がはられ、鹿たちが美味しそうに草をほおばっていて、私たちはその上に架かる表二之門から中へ入った。
大変残念なことに今年の1月から本丸御殿の復元工事が始まっており、本丸御殿址の大半は工事用フェンスの高い壁に覆われ、とっても雰囲気が悪かった。
いつも思うことだが、歴史的建造物に修復工事は必要不可欠だと思う。
でも、工事中も工事前後の入場料金と同額というのは納得しがたい…。
去年、京都の銀閣寺に入場した際、銀閣寺しか見学するもののない銀閣寺そのものがビニールシートに覆われて、工事中だと知らなかった私たちは定額の入場料を支払ってビニールシートの見学のみとなり憤慨した。
今回の名古屋城は、本丸御殿以外にも見所があるのでまだ良いが、やっぱり損をした気分はぬぐえない…。

気を取り直して天守閣へ向かう。
地階からエレベーターで一気に5階まで上がり、そこからは7階の展望室まで階段を登ると、名古屋の街が東西南北一望できる。
西には御深井丸越しにキャッスルHotel、南側からは遠く名古屋の中心市街地の高層ビルを望み、東面からは緑豊かな二之丸庭園と愛知県体育館、北方向には水を湛えたお堀越しに名城公園を望むことが出来た。
帰路は階段を使って、各階の展示物を見学しながら地階に戻り、不明門より出て、提燈に灯りの灯った御深井丸を散歩しながら夜桜ならぬ、夕桜を見物して正門まで戻った。

桜はまだ7,8部咲き程度であったが、初めての名古屋城にはチョット感動[ぴかぴか(新しい)]
本丸御殿の復元工事が完了したら、またぜひ来てみたい[揺れるハート]

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お花見2009 岩倉の五条川 [随筆日記]

2688012今日は、親友のZenさんとお花見デート[かわいい]
昼過ぎに名駅で待ち合わせて、十数年ぶりに名鉄電車に乗って岩倉駅で下車。
駅から東へ徒歩2,3分の所にある神明生田神社の境内を抜けるとすぐに五条川の川畔に出る、とても交通の便が良い花見の名所だ。

山内一豊公の誕生碑がある神明生田神社の境内には山車の蔵があって、その庫の大きさ(高さ)から察するに、さぞ大きな山車であるろうと推測されるが、残念ながら山車巡行は翌日の4/4(土曜日)だと言う事で、その姿を見ることはできなかった。
この山車は年に二回、「桜まつり」と「宵まつり」の時に蔵から出され、下本町神明生田神社、中本町神明大一社、大上市場新溝神社の3台の山車が岩倉街道を巡行するそうで、山車に備えられたからくり人形の実演が見ものなのだとか…。
機会があれば見てみたいが、人混みは苦手だな~ぁ…

山内一豊は、2006年の大河ドラマ「功名が辻」で世に名を知られた、戦国時代・安土桃山時代・江戸時代を生き抜いた武将・大名で、ここ岩倉の地が一豊誕生の地とされているそうだ。
一豊は15歳の時に父盛豊が織田信長に討たれて流寓の身となるが、「内助の功」として名高い見性院(千代orまつ)と結婚した頃より織田信長に仕えるようになり、信長没後は豊臣秀吉に仕えて、数々の功績を得ながら出世していった。
そして秀吉の死後は徳川家康に忠誠を示して、関ヶ原の合戦にて家康を勝利に導いた政治的功績により、家康より四国土佐で20万2千600石の領主となり高知城を築城した土佐藩の初代藩主である。

そんな史実とこの桜とは無関係で、今年初のお花見は、日本のさくら名所百選にも選ばれた岩倉市・五条川(農業用水)の桜並木を散策する。
尾張地方での桜見物は私にとって初体験であったが、こんなに立派な桜の名所を知らなかったとは…、不覚であった…。
岩倉駅を中心に、北は石仏駅・南は大山寺駅の東に流れる五条川の川畔約8kmに渡って、その両岸をソメイヨシノなどの桜が1,600本植えられている。

桜はまだ7~8部咲きというところだが、平日の晴天とあって、人出はかなり多い。
しかし明日には、山車巡行や「のんぼり洗い(鯉のぼりの川洗い)」が催されるそうなので、きっと身動きが取れないほどの混雑振りだろう~…。

私たちは神明生田神社から北に向かって歩きながら、他愛も無い思い出話しに花を咲かせながら桜並木をのんびりと進み、明治橋でU-ターンした。
桜もすごいけど、出店もすごい(^.^;)…
でも、ブルーシートはほとんど見られないし、露店も桜の花の隙間から見え隠れする程度などで、景観的には悪くない。
所々に渡された橋から眺める五条川は、両川畔から伸びた桜の枝が交差して、桜のトンネルを作り出し、これはかなり見ごたえがあってお勧め
時間があれば、散り際の桜の花びらが川面を流れる頃に、もう一度来てみたいと思った。

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桃の花 [随筆日記]

2684005お隣さんの敷地から可憐な枝を伸ばし、今年も我が家の庭に春を彩った隣人の桃の花が満開を迎えた。
今日は風が強いものの晴天に恵まれて、お花見にでも行こうかな~とも思ったが、寒さに負けて自宅にて桃の花見を楽しむ。

春の訪れというのは、同時に私の大好きな冬の終わりを告げることになるので、あまり好きではないが、「春」という季節自体は好きだ。
でも、春の先にある「夏」を思うと、やはり「春」は憂鬱になる… (夏が嫌い…)
でも春の花は大好き[るんるん]
特に桜の花が一等に好き[黒ハート]

私が生まれた時、父が私の誕生樹として庭に紅白一対の梅の樹を植えた。
紅梅は上に伸び、白梅は横に広がって、現在では両樹共かなり立派に成長している。
だから私は梅の花にも特別の愛着はあるけれど、それでもやっぱり桜の花には敵わないかな?!

子供の頃、近所の駅に大きな桜の樹があって、毎日のように登って遊び、桜が満開になる頃には、その花の一部となって桜の樹の上で夢想に耽りながら過ごすひと時が大好きだった。
大人になって、様々な桜の名所に出かけるようにはなったが、やっぱり子供時代を一緒に過ごしてくれたあの桜の花が一番好きだ。

今年の桜の開花宣言からすでに二週間が過ぎようとしているのに、近所の桜はまだ五分咲き…
今週末はお花見のスケジュールが目白押しだが、どうやら満開になるのは来週以降になりそうだ。
まっ、こればっかりは仕方ないね!!

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陶芸展の準備 [随筆日記]

来週末に催される陶芸作品展の制作が大詰めを迎え、今日は陶房で最後の作品の作陶作業や打ち合わせ等に追われてかなり忙しかった。
最終的に出品する作品をまだ決めていないし、その他諸々の仔細もこれから詰めていくので、来週いっぱいまでなかなか落ち着けそうにない。
作品展は、来週の4月10日から三日間の日程で市民会館にて催される。
毎年恒例となっているので一年かけて準備をしているのだが、やはり間際にならないと諸事が運ばす、いつも最後の窯に願いをかける自体となってしまう。
今年も8日の午後に最後の窯出しを予定しており、翌9日には展示会場の設営に取りかかり、10日からの開催にMemberは大童である。

昨日焼き上がった作品では、たったの一個しかHITしなかったので、次回の窯にもあまり期待は出来ず、たぶんほとんどが売却品として出品されることになるだろう・・・
なかなか期待通りにはいかないが、それもまた面白い。

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明日は来るか…? [随筆日記]

今日は午前中に予定していたことが中止になってしまったので、この為、後のスケジュールの全てが済し崩しに影響して、不本意な一日となってしまった。
これも「ボタンの掛け違い」と言うのだろうか・・・

卓上の月別カレンダーを一枚めくって「4月」のページを開き、PCの予定表より詳細を転記しながら来月のスケジュールを確認する。
今月ほどではないが、来月のカレンダーもなかなか忙しそうな色合いに染まった。

カレンダーに予定を書き込みながらいつも思うことがある・・・
私の「明日」は必ず存在する。 「来週」も、「来月」も、「来年」も必ず来ると・・・
この根拠の無い自信は、いったいどこから湧いて来るのだろうか・・・
言葉を裏を返せばストレートに、「私は絶対死なない!」というこの自信・・・。
何故だろう~、何なのだろう~、と思いつつも、これを深く考えたことはない。

だって、私の頭の中には、常に理想の未来が描かれているから・・・。


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