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お花見2009 名古屋城 [随筆日記]

考えてみたら…  名古屋城を訪れるのは18年ぶりか…?
地下鉄を浅間町で下車して、乾いた喉を潤す為にZenさんと[ファーストフード]McDonaldでおやつTime、 久しぶりにシェイクとアップルパイをいただいてから、いよいよ名古屋城へ。

まず、最初に向かった先は、名古屋城の南西にある名古屋能楽堂で、その入り口には名古屋城と能楽堂をBackに、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正の銅像が聳えていた。
尾張の鍛冶屋の子として生まれた加藤清正は豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川氏の家臣となるが、生涯豊臣家に忠義を尽くした武将・大名である。
また名将・加藤清正は、同時に築城の名手として知られ、この名古屋城の構築にも携わったと伝えられている。

2688998能楽堂の西側に、とってもりっぱな桜の木を発見[るんるん]
かなりの古木で、その根元から四方に幹を伸ばしたその姿は、この地にしっかりと肝を据えた大名然とした風格であった。
家族連れやカメラマン、それに結婚式の写真の前撮りをしている人たちがいたが、人出は少なく、ここは落ち着いてお花見の出来る穴場である[exclamation]

この後、12年前に建てられたという名古屋能楽堂を見学。
残念ながら今日は何の催しもなかったが、館内には「能」や「狂言」の小道具や写真等が展示されており、自由に見学が出来るようになっていて、それらを見ていたら「能」にとても興味がわいた。
以前から「薪能」の幽玄的な世界には興味があったが、能楽堂で「能」を観た経験はなく、近いうちにぜひ観覧したいと思った。

2688999能楽堂を後にして名古屋城へと向かい、名古屋城正門から入場([有料]¥500/1人)する。
城内に入るのは初めてである。

名古屋城は、織田信秀(織田信長の父)の居城であった今川氏・織田氏の那古野(なごや)城跡地に、徳川家康が天下統一の最後の布石とし九男義直のために築いた城であると伝えられる。
また名古屋城は、大坂城、熊本城とともに日本三名城に称され、「尾張名古屋は城で持つ」とも歌われ、大天守の屋根に輝く金の鯱は、名古屋の象徴にもなっている。
しかし、太平洋戦争時、1945年(昭和20年)の名古屋空襲により、本丸御殿や金鯱をはじめ、そのほとんどがアメリカ軍による焼夷弾の直撃を受けて焼失し、戦後から現在に至るまで、修復・改修工事が続けられている。

昭和34年に修復されたとう正門をくぐって南面石垣に上がると、その石垣からお堀に流れ込むように枝を伸ばす松と桜の連なった美しい風景を見ることができる。

本丸御殿を囲う堀には芝がはられ、鹿たちが美味しそうに草をほおばっていて、私たちはその上に架かる表二之門から中へ入った。
大変残念なことに今年の1月から本丸御殿の復元工事が始まっており、本丸御殿址の大半は工事用フェンスの高い壁に覆われ、とっても雰囲気が悪かった。
いつも思うことだが、歴史的建造物に修復工事は必要不可欠だと思う。
でも、工事中も工事前後の入場料金と同額というのは納得しがたい…。
去年、京都の銀閣寺に入場した際、銀閣寺しか見学するもののない銀閣寺そのものがビニールシートに覆われて、工事中だと知らなかった私たちは定額の入場料を支払ってビニールシートの見学のみとなり憤慨した。
今回の名古屋城は、本丸御殿以外にも見所があるのでまだ良いが、やっぱり損をした気分はぬぐえない…。

気を取り直して天守閣へ向かう。
地階からエレベーターで一気に5階まで上がり、そこからは7階の展望室まで階段を登ると、名古屋の街が東西南北一望できる。
西には御深井丸越しにキャッスルHotel、南側からは遠く名古屋の中心市街地の高層ビルを望み、東面からは緑豊かな二之丸庭園と愛知県体育館、北方向には水を湛えたお堀越しに名城公園を望むことが出来た。
帰路は階段を使って、各階の展示物を見学しながら地階に戻り、不明門より出て、提燈に灯りの灯った御深井丸を散歩しながら夜桜ならぬ、夕桜を見物して正門まで戻った。

桜はまだ7,8部咲き程度であったが、初めての名古屋城にはチョット感動[ぴかぴか(新しい)]
本丸御殿の復元工事が完了したら、またぜひ来てみたい[揺れるハート]

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