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通夜 [随筆日記]

知人の葬儀の通夜式が、葬祭センターで執り行われた。
中小企業の会長さんである故人の子息・社長さんより、通夜・葬儀のお手伝い依頼されたので、社葬ではないが、会社の人たちと共に受付係りをさせていただくことになった。
受付係りは、親族担当者が2人、会社関係の担当が3人、そして一番弔問客の多かった一般客の受付を、私1人がすべて任されていたので、思いがけずバリバリと働かせていただけたが、通夜式に参列された数百人の弔問客をさばくのに、何が一番大変だったかと言えば、
「故人の遺志により、ご香典等の儀は、一切お断りしておりますので、お気持ちだけありがたく頂戴いたします。」
と、数百回も繰り返し言い伝えなければならなかったので、さすがの私も喉が嗄れた。

通夜式の始まる二時間ほど前に葬祭センターに到着し、まず祭壇に安置された故人にごあいさつ…  
と言っても、形だけの焼香をする。
祭壇を見た時の第一印象は、「お仏壇がない!…」 だった。
故人の写真を中心にして、大きなキャンパスに白い花で美しく描かれたような祭壇には、お仏壇がなかった。
浄土宗だからだろうか? それとも、故人・遺族の意向なのだろうか? 
その真意は定かではないが、私が自分の母を見送った時は、お寺の本堂のお仏壇の前に故人を安置したし、今まで葬祭センターで執り行われた知人の葬儀に出席した時も、お仏壇ではないにしろ白木の御殿の前に故人を安置していたという記憶があったので、今回は何となく不自然に感じた…。 
とは言っても、葬儀のことはよくわからないので、深くは考えなかった。

通夜式の一時間ほど前からチラホラと弔問客が訪れ、式が始まっても尚かなり忙しかった。
式場内で僧侶の方があげられている『阿弥陀経』の声が、スピーカーを通じて会場の外にある受付の席でも聞くことが出来た。
その『阿弥陀経』だが、漢読みではなく、読み下しであげて下さっていたので、受付で接待をしながらではあったが、とても有り難く聞かせていただくことが出来た。
『阿弥陀経』が終わった後、引き続いて‘南無阿弥陀仏’のお念仏をひたすらに称えられていた僧侶の方々の声に合わせて、私も小さな声でお念仏を称えさせていただいた。
しかし、ブツクサとお念仏を称えている私に、怪しげな視線を向ける周囲の人たちの心の動きが気になったので、私は声を殺て心の中でお念仏を称え、「念仏申さんと思いたつ心の起こる時」という“今”を、有り難く味合わせていただいた。

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