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プライベートな聞法ドライブ (^^)v [随筆日記]

今年のお正月より、本家の長男の嫁業務からチョットだけ解放されて、お盆前の忙しいこの時期に御法座へ参加させていただくご縁をいただいた。
「仏法なんか大嫌い! 仏法なんか忘れてやる~!」 と意気がる私に、この御法座への参加を強く勧めてくださったKKさん、会場まで車で送迎をしてくださったYuさん、そして何よりもこの御法座を主催してくださったMO先生と、ご高齢にもかかわらず遠路はるばる足をお運びくださり出張法話をしてくださったG先生。
如来さまの手を変え品を変えの様々なお働きと、先生やご同行方の御苦労によってこのようなご縁を結んでいただきながらも、知らされるのは感謝も感動も出来ない貧しい心と、相変わらず御法なんか聞きたくないなどと法を謗る心ばかり・・・・・

最近は、御法座が終わって帰宅すると、すこぶるご機嫌斜めな自分に出会う。
何なんだろう…、このイライラ感は・・・・・  
別段、誰かに当たるわけではないが、自分の中に自己を卑下する思いというか…、後悔というか…、自己否定するような心がフッと湧いては通り過ぎてゆく・・・・・

御法座の感想を書く前に、おまけの日記をメモしておこう!

当日は朝6時前に家を出て電車にギリギリSafeで乗り込んだ上に、車内では前夜の寝不足からうつらうつらとしてしまい つい うっかりと下車駅を降り過ごしそうになった。   まるで緊張感がない…。
待ち合わせ駅のロータリーには既にYuさんが待っていてくださり、ドキドキしながら車へと乗り込む。
優しいのか冷たいのかわからないYuさんの隣で、今度は緊張感が高血圧の状態になって眠気はすっかり吹っ飛んだ。

3081375行きの車内ではどんな会話をしたのかまるで記憶にないが、11時少し前に寄り道先の目的地、妙好人MRさんのご実家に到着。
残念ながらMRさんは既に家を出られた後であったが、お寺の本堂にてお参りをさせていただいた後、MRさんのお母様とちょっとだけだけどお話ができて大満足!!
そしてこの後少しだけ時間に余裕が出来たことでYuさんがとんでもない提案をし、とある宗教団体の会館を見学させていただくことになった。
第一印象は、立派な箱物やな~ぁ… というもの。
第二印象は、展示品や事業規模の説明ばかりで、御法が全く軽く扱われていることを残念に思った。
でも、思いがけない社会見学が出来たおかげで、御法座に向かう緊張がかなりほぐれた。

(御法座の感想はすっ飛ばし!)

御法座の帰り道、行きの緊張感とは全然種類の違った緊張感の中、Yuさんの車に乗せていただく。
御法座の後は、いつも いっつも ケチョンケチョンに言葉の飛び蹴りをされて、ガタガタに切り崩されて、ボロボロになったところで突き飛ばされるので、「うぅ・・・・・(>_<)、この長距離ドライブをどう乗りきればよいのだろうか・・・・・<(`^´)>」 な~んて心配で初めの内は心臓がバクバクしていたけど、今回はすごく静かに話を聞いてくださって丁寧に答えてくださったので、とてもわかりやすく聞かせていただくことが出来た。
しかし同時に、
私は自分の中で探しモノをするばかりで阿弥陀さまの方をちっとも見ていないなぁ…、 
私の中には一欠けらも無いモノだから聞かせていただくしかないんだな…、 
あぁ また腰掛けを探している私がいる…、 
私はチッとも後生が気にかけられない…、
私が嫌っている私自身が仏さまの正客で、且つ そんな私を愛してくれるだなんて、仏さまってヘンだ!
なんだか淋しい・・・・・   私だけおいてけぼりだ・・・・・
などと…、 一行詩のような様々な思いが心中でトルネードのように渦巻きながら次々に形を変えて行くのがハッキリと見えながらも、それらを何一つ言葉に出来ない私であった。 
「聞いて欲しい事はこんなにもたくさんあるのに、何てもどかしいんだろう・・・」
あっ・・・・・
「たった一つだけ聞いて欲しい」と願っておられる阿弥陀さまは、もどかしがらずに、今か今かと待ってくださっている・・・・・

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お盆の前に墓掃除! [随筆日記]

物理や化学の法則と言うのは、発見される以前から既にこの世に存在しうるもので、不変的な法則のもとに存在していると考えられる。
これに対して、哲学や心理学といったものには恒常的な法則はなく、その学説・倫理には発見者や学者、末は心理士に至るまで、その人個人の生活史・気質・心理状態などによって常に進化し発展してきた。
つまり、相互が生身の人間であるが故に、時(時代)や空間(国)によってそれらは常に移り変わる現在進行形の道半ばにあり、それは普遍的でありながら必ずしも法則にあてはまるものではないといえるのではないだろうか。

じゃ~仏教は?
学問的知識・研究対象としての仏教であるとか、宗教的商売としての仏教ではなく、普遍妥当性(時・空間を超えた絶対的真理)を有した仏教のこと。
これは、常識的に唯一真実の絶対的不変性を有しながら、これ自体が非常識的なものであるという真逆の二面性が… と、と、と、・・・・・

なぜ、こんな山奥にまで来て、私の頭はこんなにも小難しく働いているのだろう…

母のお墓参りを済ませ、そのついでの家族旅行(私プラス夫ひとりと四つ足のこどもふたり)で、今日は三河の山奥に来ている。
宿にした温泉旅館は矢作川上流の川岸に建ち、客室からはその川の流れを目で楽しみ、せせらぎを心地よく堪能できる Nice place 。
対岸の山並みは夏の緑をたたえ、その森のいずこから聞こえる鳥のさえずりが谷間に反響し、まぶし過ぎる夏の日差しを受けた木々たちは大きく深呼吸をしているみたいだ。

そんな景色をエアコンのきいた客室から眺めながらも、私の頭はひねり飴。

こんな時の気分転換には、誰かと他愛もない会話をするだけで頭の凝りも解れると思うのだけど、残念ながら夫もワン仔たちもお昼寝中で、私はひとり退屈な時間を自分相手に頭の中で捏ね繰り回しながら窓の外を見つめた。

仏教って何・・・・・?
な~んてことを変に理屈っぽく考えてしまうのも、「お盆」という風習と、これに関連してお墓参りなどしたせいだ…。
仏法を聞かせていただくようになってからは、トンとご無沙汰になってしまったお墓参り…。
それでも年末とお盆の前にはお墓の掃除と形式的なお墓参りを毎年の定例行事にしているが、それも人目だとか世間体といったものに後押しされての行動である。
そんな心持ちでのお墓参りなので、母の墓石の前に立てば殊更に醜くイヤらしい心が炙り出されて、まったく手を合わせる気にもなれない自分が知らされるばかり…。
そんな自分にとって都合の悪い自分を見せられたから、哲学的な屁理屈で自分の心を覆い隠そうとしているのかもしれない・・・・・   な~んて自己分析をしている自分も、やっぱりお馬鹿な屁理屈オタクじゃ~ないか(^.^ゞ・・・・・

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七夕まつり in 安城 [随筆日記]

日本三大七夕祭りの一つに数えられる‘安城七夕まつり’、と言っても、仙台七夕祭と平塚七夕まつりは文句ナシの Big 2 であるが、三番目については、安城の他に一宮や清水なども第三位を主張している。 しかし規模から考えると一宮や清水よりも安城七夕まつりの方が大きく、人出も盛大だ。

3063858安城七夕まつりの歴史は、昭和29年に国鉄(JR)安城駅前商店街が中心となって開催したことに始まり、昭和34年には安城七夕まつり協賛会が発足、そして昭和53年に日本商工会議所100周年記念のイベント「全国郷土祭」にて披露したことで、仙台・平塚と並び「日本三大七夕」と称されるようになったとの事である。

安城七夕の特徴は、竹飾りに飾り付けをする古風なもの故に一見地味にも見えるが、♪竹の葉サラサラ♪と、なかなかの趣がある。
七夕の飾り付けはJR安城駅前を中心に南東西に総延長3.5km、
約1,000本の竹飾りが街並みを彩る。
今年(2009年)の開催は8月7~9日の三日間で、私は二日目の日中にふらふらっと放浪してきた。
昼間のイベントは、随所に設けられたステージでの各種コンサート、大通りでは地元の子供たちによるパレードなどの出し物で賑わうが、夜は客足も増えて観光客で大賑わいだ。

そして、安城七夕まつりの今年のテーマは、「願いごと、日本一」
会場のいたるところに願いごとの書かれた短冊が竹笹の葉と共に風に揺れていた。
その大半は、「お金持ちになれますように」、「恋愛が成就しますように」などの願いを各々の言葉で綴ったものが多かった。
他には、「家族が病気をしませんように」、「孫ができますように」など、自分ではどうにも努力のしようのないものや、「幸せになりたい!」などの漠然とした叫びから、事細かに願望を幾つも重ねたストーリー的な願い事の書かれたものもチラホラと見受けられた。
中には、「できれば・・・・・をしたいと思うのですが…」と、一見控えめな願い方だなぁと思うが、「だったらやればいいじゃん!」と言いたくなるようなものや、人生相談めいた願いを書いたもの、個人的に特定の人物に対する願いを書いたものなど、読んでいてなかなか面白かった。

さ~て、私なら何て書こうか・・・           やっぱり、‘南無阿弥陀仏’ かな?!

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言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国 [随筆日記]

志貴島の 倭(やまと)の國は 言霊(ことだま)の 佑(さき)はふ國ぞ 福(さき)く  
ありとぞ 

『萬葉集』にある 柿本人麻呂の歌である。
意訳) 島々からなるこの日本国の言葉には魂が宿っており、その霊力によって幸福がもたらされる。

神代より 云伝(いひつ)てけらく 虚(そら)見つ 倭(やまと)の國は 皇神(すめ がみ)の 嚴(いつ)くしき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今 の世の 人もことごと 目の嚴(いつ)駆使前に 見たり知りたり

こちらも同じく『萬葉集』より 山上憶良が詠んだものである。
意訳) 神代の頃より言い伝えられてきたように、天の神々から見てもこの国の言葉には嚴(おごそ)かな魂が宿っており、その霊力によって幸溢れる国であると語り継がれている。 今の世の人もこれを心しながら日本の言葉を使えよと…。

古来より、日本の言葉には 「魂・命」が宿っていて、その言葉自体が有する神霊的の働きや霊妙な力によって、表現したことを実現させる助力になる、またその言葉以上の想いを伝えられると信じられてきた。
悪い言葉には不吉な言霊が宿っているので、悪い言葉を発すると凶事を招くよ!
逆に、良い言葉には幸福の言霊が宿っているので、良い言葉を使いましょうね~!
という、一見聖教的な教えではあるが、この慣習は極々身近に私たちの生活の中に浸透している。
例えば、「事故にあうかもしれない…」なんて口にすると、ホントに事故っちゃうかもしれないから、「絶対に大丈夫!」って言っておこう! とか…?!
気持ちの持ち方ひとつだと言われればそれまでだけど、一旦口から出した言葉(日本語)には、現在と未来に影響を及ぼす神秘的な力を有しているのだと、私たちは無意識の内に伝え教えられてきた。

だからこそ、‘南無阿弥陀仏’という教えが、今の世に、日本にだけ残ったのではないかと思った。

インドで生まれた仏教が、国を越えて時を越えて世界中に広まったにもかかわらず、今の世に ‘南無阿弥陀仏’の教えは日本にしか生きていないのが現状である。
もちろん仏さまの御働きが前提にあるも、日本の言葉を “言霊” として大切にしてきたこの国の文化が、‘南無阿弥陀仏’ というはかり知れない大きな功徳を秘めた言葉を守り続けて下さった。
一見、仏法とは無関係なようでありながら、言葉の一つ一つに宿る大きな力を “言霊”として敬ってきたこの国のご先祖さまによって、‘南無阿弥陀仏’ という言葉が、今、ここの私に所に届けられたのは事実であり、この不思議な御力・御働きを考えた時、すべてのモノ、すべての事が、‘仏さまとの縁続き’ であるような気がした。

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広島 原爆の日 [随筆日記]

今日は、フッとした瞬間に胸の詰まるような…、こみ上げてくる思いが何度かあった。

私は戦争を知らない…。 それ故に、戦争というものを悲惨な夢物語としてしか捉えることができない…。
しかし64年前の今日、戦争という名の元に、一瞬にしてたくさんの命がこの世から消し去られたという事実が存在している。
この日、この広島だけが戦争を物語る史実というわけではないが、何故かはわからないけど、この日だけは戦争という言葉が私の胸に突き刺さる。

8月6日の午前8時15分、やはり戦争を知らない母であったが、なぜか毎年この日のこの時間には必ずテレビをつけて、原爆記念式典の鐘の音に合わせて一分間の黙祷をすることを私に勧めた。
私は、ただ母に言われるままにテレビに向かって手を合わせて、心静かに黙祷を捧げた。

幼い頃、祖母から聞かされた戦争の話は、いわゆる生活苦の思い出話にしか聞こえなかった。
祖父が語る外地での実戦の話からも、人の死というものはまったく感じられなかった。
でも、「人は死ぬのだ」ということを初めて教えてくれたのは、それまで自分とは全く無関係だと思っていた“戦争”という事実だった。

それは小学校四年生の時に、学校の図書館で見つけた一冊の本との出合いがきっかけとなった。
『壁に消える少年』という題名の本で、広島に投下されたピカドンによって一瞬のうちに壁面に影となって焼きついてしまった少年が幻想の中で蘇えり、現代に生きる少年と少女に原爆の悲惨さを物語るお話しであった。
この本を読んで、初めて原爆というもの、戦争というもの、そして人は死ぬのだということを知った。
もう、何度読んだか知れない。 何十回も読み返し、毎日毎日飽きもせずこの本を読み続けた。
私がひたすらこの本を借り続けるので学校から親に苦情の電話が入ったほどだった。
そこで母がその本と、他にも何冊かの戦争文学系の本を買ってきてくれた。
『ガラスのうさぎ』 『あかりのない夜』 『八月がくるたびに』 『黒い雨』 『原爆の子』 『ひめゆりの塔』 『はだしのゲン』 など。

この頃、私は母に 「広島へ行きたい」と申し出たが願いは叶えられず、大人になってから自分で、仕事の休暇を利用して初めて広島の地を訪れ、原爆ドームを訪問した。
ところが、トラベルツアーでの広島訪問だったので、遠く橋のたもとから、たった15分間だけの見学…。
あっけなく…、 そして、不満が募っただけに終わってしまった。

3058111そして三年前、再び原爆ドームを訪問することが出来た。 が・・・・・
一緒に行った友達に、「私は近づきたくないから駅で待っている!」 と言われて、やはり心落ち着ける暇のない訪問となってしまった。
でも、この時思ったのは…、 原爆ドームの前で楽しげに記念撮影をする観光客、 また、原爆ドームには見向きもしない通勤・通学の人たち、 そして私の友人のようにまるで心霊スポットのように思っている人も・・・・・・
戦争も、原爆も、確実に風化してしまっている… と感じた。
じゃ~、私はなぜこの地を訪れたのだろう… と考えた時、やはり興味本位の部外者意識しかなかったのではないだろうか・・・・・・

所詮、“私”というヤツは、嫌いなもの、汚いものには自分をイメージの中に参加させることが出来ない輩だ。
つまり、宝くじが当たって億万長者になった自分の姿をイメージすることは出来ても、殺人犯となって絞首台に上る自分の姿はイメージできない…。 思考が拒否してしまう。
だから、戦争を知らない私たちに、戦争や原爆の悲惨さを風化させるな!と言っても、それは無理があるだろう。
ただ、原爆ドームはその悲惨な戦争や原爆の事実を後世に伝えるものであって、決して面白おかしい観光スポットでもなければ、心霊スポットでもないし、ましてや無視して通り過ぎていいような場所でもないと私は思う。

そんなことを考えながら、フッと自分を、1945年8月6日午前8時15分の広島県産業奨励館(原爆ドーム)の横に立たせてみた。
「私は、死ぬその瞬間が来ても、‘自分は、まだ死なない…’と思いながら、そして死んでいくのだろうな…」と思った。

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ユリの園 in ダイナランド  [随筆日記]

岐阜奥美濃にある関西・中京地区最大といわれるダイナランドのユリ園に連れて行ってもらった。
冬はスキー場となる山の斜面が、夏は360万本のユリの花畑に変身する。

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「ユリ祭り」開催期間は7月25日~8月9日で、今年は前半戦の長雨の影響から来園客は後半戦の週末に集中しそう感じであるが、ゆり園自体は8月いっぱいまで営業しているので、お盆頃までは楽しめると思う。
8月4日現在の開花状況は、早咲きの品種・リフト乗り場周辺の下の方の花壇はもうそろそろ終わりを向かえる頃で、ちょっと淋しい感じであったが、中腹辺りまで来ると今が満開!、ちょうど見頃で一面のユリの園になっている。
リフトを降りてから上の方のユリもそろそろ満開となり、ここ一週間が見頃だろう。

3054893

しかし、とにかく暑かった!! 
山と言えども無風の中30℃を越える気温で、山の斜面ゆえに日陰はほとんど無い!
飲食物の持ち込みは一切禁止なので、日焼け対策を施した後、万全の体調で臨まれるのがよろしいかと… (^.^ゞ
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阿弥陀さまからのお手紙 [随筆日記]

3032589今日、阿弥陀さまから、お手紙をいただきました。

どんな薬も私の不安を打ち消すことが出来なかったのに、
その 不思議な 不思議な お手紙で、
私は 私を 取り戻すことが出来ました。
そうしたら、見えなかったものが見えてきて…、
今、それを思い出すととても恥ずかしく、そして申し訳なく、
別の意味の不安が湧いてきます。

実は私、自律神経失調症と診断され現在通院しています。
お薬に頼らざるを得ない日が、ここしばらく続いていました。
心理療法は…、残念ながら効果を得ず、(原因は私にある)
チョット行き詰まっていたところでした。

心も身体も元気じゃないと仏法は聞かれないって、
こういうことだったんだな、って わかりました。

あと、聞法は、私と阿弥陀さまとの問題だっていうことも…

今日の涙は、お馬鹿な私の落し物です…
阿弥陀さま、お手紙どうも有り難うございました。 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・

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伊賀八幡宮の蓮 と 八丁味噌のカクキュー [随筆日記]

  曇天の 池一ぱいに 蓮の葉立ち  揺れもこそせね 紅のはちす  <島木赤彦>

3020769天気予報は晴れだったのに、いきなりの雨…  
でも、朝早かったので何とか花見は楽しめた。
今週末で終盤を迎える蓮の花をもう一度見たくて、自力で行かれる蓮の名所を調べて行ってきた。
岡崎の伊賀八幡宮である。 残念ながら花の盛りは過ぎてしまっていたが、まだ幾つかは蕾も残っている。

伊賀八幡宮は、1470年に松平氏四代当主・親忠が、松平(徳川)家の子孫繁栄の守護神(氏神)として創建された神社で、後に徳川家康によって社殿の改築が行われ、更に三代将軍家光が社殿を拡張して、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた神社である。
本殿・随身門・石橋は、国の重要文化財に指定されていて、その石橋のかかる宮前の池に花蓮が群生している。  規模は小さいが、蓮の花越に見る神社は、なかなかの美しさである!

せっかく岡崎まで来たので寄り道がしたくて、八丁味噌の蔵元へ行くことにした。
八丁味噌の蔵元は、(自称)本家・カクキュー と (自称)元祖・まるや の二社が矢作川沿いに隣接しているが、私が訪問したのはカクキューの方で、こちらは、江戸幕府三代目将軍家光の時代・1645年に創業した八丁味噌の老舗である。
NHKの連続テレビ小説「純情きらり」の舞台となったことでも有名(?)なのだそうだ。

駐車場には観光バスが2台とまっていたが、一般車両はゼロ。
売店に入ると案の定ツアー客でごった返していたが、しかしそのおかげで人目をはばかることなくアレコレと試食が出来たのでLUCKYだった ♪
入り口の看板に工場見学(無料)の案内があったので店員さんに尋ねてみると、一人でもOKとのことだったのでさっそく申し込んで、30分毎に出発する見学ツアーに参加することが出来た。
団体客とは時間がずれていたし他にお客さんもいなかったので、見学ツアーは、ホントに「私一人の為」にガイドさんがついて案内をしてくれることになった。 (こんなことは滅多にないのだとか…(^.^ゞ)

3020770工場敷地内には、古くは江戸時代に建てられた味噌蔵が現存するほか、明治時代に建てられた味噌蔵などが、国の登録文化財に指定された状態で資料館や本社事務所として現在も活用されている。
敷地内は昭和初期の面影を残しており、とても工場といった感じではないが、大豆を蒸す香ばしい香りや、醸造中のなんともいえない良い香りが漂ってきてお腹がなってしまいそうだった。
資料館で一通りの説明を受けた後、いよいよ熟成蔵へ!
味噌を仕込む巨大な木桶は直径2mもあり、この中に6トンの味噌を仕込んだ上に、3トンの石を山形に積み上げ、二夏二冬以上かけてじっくりと醸造させる。
八丁味噌の大きな特徴は、豆から生成されるということと、使用する水分が非常に少ないというここと、年月をかけて天然醸造されるということなのだそうだ。
辛味の割には塩分は控えめとのことで、健康食・美容食としても注目されているとの宣伝を受けて見学は終了!
ツアーの最後にはお味噌汁や味噌田楽の試食コーナーもあり、アンケートに答えれば赤だし味噌のおみやげまでもらえちゃうという至れり尽くせりの社会見学が出来た。

3020771この後、ランチタイムにはかなり早い時間だったけど、工場内にある御食事処で味噌田楽定食と味噌ソフトクリームパフェをいただいた。
← こちら、勇気のある方はぜひ試してみよう~[exclamation] 
味噌ソフトクリームをベースに、味噌カステラも入っていて、横に挿してあるのは味噌プリッツで、トロリとかかっているのは田楽味噌[手(チョキ)]
みそみそ尽くしの甘辛さでお口の中はかなり騒がしいけど、きっと良い思い出になるでしょう[わーい(嬉しい顔)]
ちなみにお値段は¥400です[るんるん]

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皆既日食 [随筆日記]

ここ日本では46年ぶりに皆既日食が見られるとあって、メディアも世間もこの話題で賑わっている。
さほど興味のなかった私であったが、今日のA.M.11:00に待ち合わせの為に、たまたま外出先にいたので何気なく曇り空を見上げてみたら、雲の切れ間から三日月状に欠けた部分日食の太陽を見ることができた。
そうなると嬉しさがこみ上げてきて、ついつい近くにいる人に教えたくなり、通りがかりの見知らぬおばさんをつかまえて、「見て、見て! 部分日食が始まったよ!!」と声をかけた。
おばさんには、「何、こいつ? 何、言ってんの?」と言わんばかりに迷惑そうな視線を向けられたが、私が指さす空を見上げると、「あっ、ホントだ! 太陽が欠けてる…」と、柔らかな表情で空を見上げていた。
「ほら見て、日食しているよ!」と近くにいたお兄さんにも声をかけると、周りにいた人たちも皆一様に無言で空を見上げた。
それが面白くて、そしてなんだか嬉しかった。

日本で見られる次回の皆既日食は、26年後の2035年9月2日なのだそうだ。
さてはて、 この命… もつだろうか・・・・・?

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実世界で知る 仏さまのお働き [随筆日記]

会館デビュー・一周年を記念する一泊二日の宿泊法座が終わった。
この御法座について今は何も触れたくはない… というのが正直な心境であるが、今日はこの法座のこと以外に何も思い浮かばないので、しかたなく今現在の心境を日記として少しだけ触れることにする。
いつもなら非公開にする御法座日記をちょっとだけUPする気になったのは、今回の御法座では御座以外の場所、例えば休憩時間や懇親会などの席上で、けっこう自分の本音を出せたからかもしれない・・・

いつも、毎度、御法座で思うこと…、
私の傍らには常に寄り添ってくださる諸先輩方おられ、私に一時も自分の世界へと入り込む隙を与えてはくださらない。
トイレに行く暇もないほどの仏法三昧で、「阿弥陀さまは四六時中、この私に付きっ切りで御働きくださっている」 という教えを、実世界にて肌で感じさせていただける。
Yuさんの言葉を借りるなら、「諸先輩方を総動員させている稀なヤツ」が私・・・・・
裏を返せば、「諸先輩方を総動員させて助力しなければ何ともならない程の超問題児なヤツ」が私・・・・・
これを、時には有り難がってみたり、時には腹いっぱいと拒んでみたりと、自分の都合でそれら御縁をことごとく切りつけていく私というモノが、今回は今までになく深く知らされた…。

この御法座の前夜、極度の緊張状態から心身ともにバランスを崩してしまい、これを半分ほどひきずったままで今回の御法座に臨んでしまった為、初日の御法座はとても仏法どころではなかった。
体調不良をかばうこと、 心を法に集中させること、 いつ・どのような理由で逃げ出そうかということ、そんなことばかりに気をとられていたが、初日の座談会の最後に、このことを告白できたことで少しは楽になれた。
それでも夜の懇親会は欠席させてもらおうと心に決めていたものの、相変わらず緒先輩方が次から次へと関わってくださる。
「帰ります!」と宣言しても、「お風呂から帰ってくるまで待ってて」、「車で送ってあげるからもうちょっと待ってて」などとサラリッとかわされてしまう。
そんなこんなで帰る機会を失いながらズルズルと時間は流れ、途中からいつもすごく親身になってくださっているYMさんとHMさんに両脇を支え(固め)られて、特にYM姉さんから 「なっちゃん、何してんねん!」 バシッ☆!!っと 腕に一発食らった時点で、「帰る」という気持ちはすっかり叩かれ ふき飛ばされてしまった。

この夜は、いつもはあまり表に出さない愚痴などの内面を言葉にすることが出来て、YMさんもHMさんもこれに親身に耳を傾けてくださり一つ一つ御法を説いてくださった。
それで完全に頭がぐちゃぐちゃにかき乱されると、次々に悪虫の私が登場して、こうなったら 「やっぱり、も~帰る!」と逃げの体制!!
帰り道は、今日初めてお会いしながら意気投合して仲良くしていただいたRKさんが車で送ってくださり、真夜中にもかかわらず玄関前にて路上駐車でやっぱり御法をいただき、阿弥陀さまの執念を肌で感じながらこの日は眠りについた。

二日目は、身心の調子は取り戻したものの、法に対してすごく冷めた私がいた。
座談会では、「ありがた屋ではない、今感じている正直な自分を出せ」と教えられたままに、「しらけた自分、法に対して冷めた私は、先生の口を通して聞かせていただく仏さまのお心に、まったく動じませんでした…」と発言すると、ある人に「仏さまを斬り付ける様な恐ろしいことよく言えるな!」と叱られ、「やっぱり言わなければよかった…」と口をつぐんだまま何も言えなくなってしまった。

「自分を出せない、 何も聞けない、 感謝もできないし、 反省もできない…、 法に向くことすら出来ない・・・・・」
最後に、そんなようなことだけを言葉にして今回の法座を終えた。

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聖  ~ 夜の街で見つけた歌 ~  [随筆日記]

仲間と過ごした楽しい夜のひと時。  宴は終わり、皆それぞれの家路へと急ぐ。
一人が嫌いなわけじゃないのに、楽しい時間の後の一人ぼっちは殊更にこたえる・・・・・
空を見上げても街のネオンが視界を遮り星ひとつ見えず、車の行き交う街角には風の音さえ耳に届かない…。
周囲にはこんなにたくさんの人たちがいるのに孤独感は深まるばかりで、立ち止まったならば私の時間だけが止まってしまったように、一人取り残されたような気持ちになる…。
一人きりで歩く夜の街。 一人が寂しいくせに声をかけてくる人たちは疎ましく感じる。
私の帰る場所は一つだけ…、 そこへ帰りたくないわけじゃないのに、何故だか足が重い…。

駅へ近づくにつれ人波は増し、自分のペースで歩くことさえままならない。
そんな都会の夜の街でフッと顔を上げて、すれ違う人たちに視線を向けると、一人疲れた顔をしている人も、仲間と楽しそうにはしゃいでいる人たちも、また仲睦まじそうに腕を組んで歩く恋人たちでさえ、何故か皆、独りぼっち…、孤独に見えてしまう・・・・・
心が寂しい時には、寂しいメガネでしか世界を見られないのかもしれないね…

駅のあるビルへ入る最後の交差点で信号を待っていた時、この都会の夜には不似合いなメロディが聞こえてきた。
それは、優しく包み込むようなピアノのメロディと、空に澄み渡るようなボーイボーカル。
どこだろう…、と辺りを見渡すと、交差点の先、駅ビルの前に幾人かの人集りができていた。
信号が青に変わって、私はそのメロディに引き寄せられるようにその人集りの輪の中で足を止めた。

ピアノで弾き語るその曲は恋の歌だった…。  
メロディに乗せてその曲の歌詞が私の乾いた心にスーっと沁みこむようだった…
なんだか とても懐かしい…
「恋なんて鬱陶しいだけ! 面倒くさいじゃん!」 なんて、結構長~~~い間 思っていたから、恋の経験は希薄だけど、何だか いいな~ぁ、なんてフッと思った。 今さら遅いけどネ?!

「人の一生なんて、アッと言う間ね!」 …って、 最近とてもそう思う。
昨日、厚生労働省が発表した「2008年簡易生命表」による日本女性の平均寿命は86.05歳。 
もし 私が86歳まで生きることが出来たとして、まだ折り返し地点にも来ていないが、気持ちはもうラストスパートみたいな感覚…
今まで私は何をしてきたのだろう・・・
そしてこれから何の為に生きていくのだろう・・・

考えてみたら、死に物狂いで勉強したことも働いたこともないし、命をかけてのめり込んだものもない…
せいぜい心狂わすほどに真剣になったのは「恋」をした時くらいなもので、それでもたった2,3年のこと…。 
私の人生、 いつもただ生きることだけに一生懸命だったような気がする…。
人生86年間を前提として残り半分以上もある私の人生…、 やっぱりどこまで行ってもただ生きるだけ?
それじゃ~、受け難い人身をいただいた意味がないじゃん・・・・・・!

路上ライブが終わった。
人だかりはアッと言う間にバラけて、人々は足早に家路へと先を急ぐ。
私は歌っていた彼に声をかけた、 「今日は素敵な歌をありがとう!」 と。
すると彼はとても嬉しそうに、「握手をしてもいいですか?」と言って私の右手を両手で包んだ。
そして彼が自分の曲を吹き込んだという名前も何も書いていない真更なCDを購入して彼と別れ、私はまた独り、駅へと歩き出した。

こうやって “時” も “思い” も、私の中を刻々と通り過ぎて行く。
人生86年なんて、アッという間に終わってしまう。 
このまま、ただ生きているだけでいいのか?!  私は、それでは満足できない・・・・・

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My Birthday dinner [随筆日記]

今日は、私のお誕生日[バースデー]   お父さん、お母さん、どうも有り難うございます[黒ハート]

記念日には、いつもコース料理を作る。 もちろん自分の誕生日も例外ではなく、自分で作る。

[かわいい]今日のMENU[かわいい]

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前菜   ホタテと海老の冷製オードブル・レモンソース
スープ  イエローパンプキンの冷製スープ
魚料理  スズキのパイ包み焼き・バジルソース/トマトサラダのゼリー寄せ/サラダ
肉料理  三河牛のステーキ&フォアグラ・赤ワインソース/キャロットグラッセ/スピナッチソテー
       /ベイクドエッグプラント
主食    きのこ&チーズのリゾット
デザート 白桃/ロールケーキ/ピーチティー

せっかく作ったけど、体調不良でぜんぜん食べられなかった私・・・・・
残念である・・・[もうやだ~(悲しい顔)]

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辛口!! 西別院 常例布教 [随筆日記]

It’s my BIRTHDAY tomorrow [バースデー]   Congratulations [プレゼント]    Thank You [かわいい]
ということで、今週初頭から Message card や Gift などが届き始めた。
そして今日は、親友等にお祝いをされてのお誕生日会  Thank you so much[exclamation×2]

お出かけついでの午前中にちょっと寄り道して、名古屋西別院で常例布教の御法話をお聞かせいただいた。
テーマは「阿弥陀経について」、講師は奈良の鳥見氏。
頭出しは「愛別離苦」について、お西の広報誌より、子息を失った父親(ご住職)の心境を語った記事についてのお話しから始まった。
愛する人との別れに際して、葬儀・法要などで阿弥陀仏と共に歩ませていただく人生… 云々 とのお話しの中で、私がとっても驚いてしまったのは、お寺のご住職でありながら、「死ねば 皆 必ず、お浄土にて死別した人たちと再会できるのです!」と公言されたことだった。
ここは、仏法を全く知らぬ人が集う葬儀や法要の場ではない。 仮にも、定例御法話の一座である。
信仰の厚い聴聞者を前にして「それはないだろう~」と思った。
お話しは続いた。
「愛おしい人が先立った時、現在生きている私たちは、お念仏を称えることによって死んだ人と会わせてもらえるのです、 ありがたいですね~ぇ」 と・・・・・
経典も、親鸞聖人の御心も、まったく無視したただのお話し会だ。 間違っても御法話とは言えまい。
せっかく来たのに残念だ・・・。 でも、お寺の実態を垣間見れたことは、ある意味有意義であった。
だって、今、私が出遭わせていただいた真宗の御法がいかに尊いものか、そしてその真実の御法を聞かせていただけているという深い御縁に、私の阿弥陀さまのお働き・ご苦労を感じ得ずにはおられない思いであった。

「私の称えるお念仏は、死んだ人と会うためのお念仏ではありません。
私の後生を救ってくださるという阿弥陀さまが、‘南無阿弥陀仏’となって私の口から飛び出てくださるお念仏です。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 ・・・・・」

3002651名古屋西別院を後にして、お誕生日会のLaunch会場へ。
あ~ぁ、とうとう○○歳も今日で最後・・・・・・  何とも言えん(^.^ゞ  すごく複雑な心境のBirthday前日・・・・・
でも、大好きなオイスターをはじめ、お料理はどれもこれも美味しくって、おまけにBirthdayCakeのサプライズには、とっても感動!! 
100点満点、 幸せいっぱいの一日だった。
ホントに[黒ハート]、ホントに[黒ハート]、心をこめて有り難うございました。[わーい(嬉しい顔)]

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蜘蛛の糸 [随筆日記]

パソコンの画面とニラメッコをしていたら、目の前に、スーーーッ と 小さな点が下りて来た。
その小さな点に焦点を合わせると、とっても小さな一匹のクモが、パソコン上のライトから一筋のクモの糸を頼りに、私の目の前に下りて来たのであった。
そのクモと、フッと視線が合った・・・・・
クモは、「こりゃ失礼!」と言わんばかりに、再びその糸を手繰りながら、上の方へと上がって行った。
どこから迷い込んだのか…、 こんな所では飢え死にしてしまう…。

子供の頃の愛読書、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出した。
あの独特の文調が好きで、冒頭は空で言えるほど何度も何度も読んだものだった。

或日の事でございます。 御釋迦樣は極樂の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。 池の中に咲いてゐる蓮の花は、みんな玉のやうにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云へない好(よ)い匀(にほひ)が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。 極樂は丁度朝なのでございませう。

物語のあらすじは、小学校の道徳の授業で習うので、たいていの人は知っているだろうが・・・・・
ある朝、お釈迦様が極楽の蓮池より、はるか下の地獄で苦しむ幾多の罪人の中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。
生前のカンダタは、様々な悪事を重ねた極悪人であったが、たった一度だけ小さな蜘蛛を踏み殺すのを思いとどまった事があり、お釈迦様はそのことを善行として、地獄のカンダタを救ってやろうと思われた。
そしてお釈迦さまが蓮池より一本の蜘蛛の糸をカンダタの元に下ろしたところ、カンダタは「この糸を頼りに登ってゆけばこの地獄から脱出できるぞ! もしかしたら極楽へ行けるかもしれない?!」と考え、その蜘蛛の糸をたどって上へ上へと登り始めた。
しかし途中でフッと足下を見下ろすと、自分の後より地獄の住人達が次から次へと登ってくるのが見え、このままでは糸が重さに耐えられずに切れてしまうと思ったカンタダが、「この蜘蛛の糸はオレのものだ! お前達は、下りろ!下りろ!」と叫んだ。
その瞬間、カンダタの手元でプツリと蜘蛛の糸は切れ、カンダタは真っ逆さまに再び地獄の底へと堕ちて行った。
お釈迦様は、その一部始終をご覧になった後、悲しそうな顔をされ蓮池から立ち去られた。 
というお話し。

この物語りは、お釈迦様が登場されても、地獄や極楽という言葉が出てきても、仏教とは無関係の道徳的童話であるということを、仏教を聞かせていただくまでは考えもしなかった。
ただ、子供心に、もし悪いことをしちゃっても、たった一つでも良いことをすれば、仏さまはきっと私を助けてくれる… と思って、この物語りをいつも心の片隅に置いてきた。

ところが仏教を聞かせていただくと、「私には何一つ良いことは出来ない」と説かれてある。
「なんで?!」 「どうして?!」 と仏法に反発してみても、よくよく聞かせていただけば、やっぱり 「私には何一つ良いことは出来ず、生きているだけで罪作り」という教えに、言い訳がたたない・・・・・
そんな罪しか造れないこの私が、仏になる教えを “仏教”というのだと、初事で聞かせていただき、「へ~ェ!」と他人事のように傍聴している私をみつけた・・・・・。

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とりあえず、超 戯言的 寝言 [随筆日記]

先週末の金曜日から、三日間連続で法水にドップリと浸からせていただく御縁に恵まれた。
少し疲れた感じはあるけど、体力的にも精神的にも初日の金曜日よりは確実に元気になっている感じ!
この三日間の感想を日々毎に書き留めておきたいけど、そこまでの元気は残っていないので、後日ボチボチと気持ちが残留していたら書くことにしよう(^.^ゞ

この三日間全体を通して、日々時々に変わって行くな~というのが、一番の感想。
何が?   この私が!
漠然としているというか…、 言葉にしようがないというか…、 よくわからないけど…、「コロコロ変わる心」と言う意味の日々時々の変化ということではなく、少しづつ氷が解けていくような感じ?!
でも、氷が解けたら物体は何も残らないよね・・・・・  解けた水もいつかは消えるし・・・・・
そんな感じの日々時々の変化。 自分でもよくわかっていないから、誰にも伝えられないけど・・・・・・

二番目の感想は、平坦ではない奥行きの無限な立体?みたいな感覚。
こちらも、漠然としているというか…、 言葉にしようがないというか…、 よくわからないのだが…
「法(仏法の教え)」 も 「機(私自身)」 も、一本線や平面・表面ではない、超無限大の立体で…、
でも、私にはそれがわからなくて…、 聞いてもわからなくて…、 結局何にもわからなくて…、  うぅぅん・・・・・・

これではまったく文章にならない!  やっぱり今日、書くのはムリだな・・・・・
と、言い訳をつけて、明日へ次へと先延ばしにする私であった・・・・・  

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“ 愛 と 感謝 ” の 連鎖 [随筆日記]

ジョー君から教えてもらった、‘水の結晶’の不思議なお話し。
先日、久しぶりに会った時に借りた本の一冊で、江本勝氏の『自分が変る水の奇跡』というのを読んだ。
江本氏が著した『水からの伝言』という本は、30ヶ国語に翻訳されベストセラーになっているのだとか。
この本をはじめ江本氏は、「水に言葉をかけたり見せたりすることで、水の結晶の形状はその言葉が持つ波動を受けて様々に変化する」ということを彼独自の哲学で語っている。
この実験結果については賛否両論あるようだが、非化学だ非物理学だ云々と論じるよりも、教育的心理学の側面から受けとめれば、あぁ、なるほど! と頷ける点もいくつかある。

著者は水に 「夢」・「絶望」・「真理」・「バカ」・「合掌」などなど、各々に言葉が持っている波動を与えて、そこで出来上がったその水の結晶を写真に収めている。
実験結果として、例えば「好き」という言葉を受けた水は、淡く美しい結晶を作るが、「嫌い」という言葉を受けた水は、はじけたような空洞をもつ不規則な結晶となったり、例えば「よくできたね」という言葉を受けた水は、輝くようなきれいな結晶を作るが、「ダメだよ」という言葉を受けた水は、うまく結晶にならなかったりと…。
その中で著者が一番美しいと思った結晶が、「愛と感謝」という言葉の波動を送った水の結晶だという。
著者は、「愛」と「感謝」は、一対のものであると説く。
“愛” は、人に与えるエネルギーであり、 “感謝” は、人から受け取るエネルギーであると。
この二つがバランス良く揃うことで、最も美しい世界ができるのだとプロローグで述べている。

著者いわく、私たちの身体は70%が水分であるが故に、言葉の波動を非常に受けやすく、「バカ」「醜い」「嫌い」といったマイナスの言葉の波動を受けている人からは、「愛と感謝」のエネルギーは生まれない。
逆に、「きれい」「おかげさま」「ありがとう」といったプラスの言葉の波動を受けている人は、やはり心身ともに活性化され、「愛と感謝」のエネルギーを展開していく力になるのだと説く。
こうして、「愛」というエネルギーを人に与えることで、「感謝」というエネルギーをかえしてもらう、その連鎖がより良い社会をつくるのだと訴えている。

うん、なるほど! 一理ある!!
水の結晶の真偽云々よりも実際問題として、マイナスの言葉で育てられた子供は、やはり負のエネルギーを多く背負ってしまい、プラスの言葉で育てられた子供は、より易く正のエネルギーを発信できているのではないかなと思う。
子供のみならず、大人だって同じである。
「恋する女は美しい」というけれど、好きな人から 「きれいだね」・「愛してるよ」と言われれば、内側からの輝きも増すだろうし、「病は気から」と言っても、ドクターから「大丈夫!一緒に頑張りましょう!」と言われれば、俄然元気にもなるだろう。
逆に、夫から愛を囁かれなくなった妻が内面から枯れていくのも致し方のないことで…、 ドクターから「あんたはモ~ダメじゃ」などと言われた患者は生きる気力も失うだろう…。

この本のテーマとはずれてしまったかもしれないが、言葉ひとつですべてが変ってしまうことだってある。
著者が言うように、言葉によって「愛」というエネルギーを与え、「感謝」というエネルギーを返していく、その連鎖を広げることで夢のような世界が人間の手でもし出来るのであれば、仏さまにこれだけのご苦労をかけさせずにすんだのにね~~~ ナンテネ

2985159ちなみに、この本の中にある水の結晶の中で、私が一番美しいと思ったのは、やはり「南無阿弥陀仏」という言葉の波動を与えた水の結晶であった。
本誌より [カメラ] 「南無阿弥陀仏」 の水の結晶をお借りしました。

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自律神経機能異常症 [随筆日記]

「楽」という字は、「樂」の省略形で、「糸」の字を二本並べたその形体は弦楽器からきており、「音楽」という意味と、これを聴いて「楽しむ」という意味と、「愛好する」という意味を持つ。
この「楽」という字に草冠を乗せると「薬」という字になる。
草冠は、「艸」をもとに出来ており、多くの草が伸び生えている様を表わしている。
その昔、薬といえば薬草であり、自然界のものを利用して治癒することが常識であった。
「薬」は、病んだ身体や心を元気で楽しい状態に戻すために、本来人間が持ち備えている治癒力に助力してくれるものである。
文字通り、自然界の中で楽しく生きることが「薬」であるならば、現代の私たちは、自らの手で自らの身体と心を切り刻んでいると言えるのではないだろうか・・・・・

どんなことが原因であっても、自身が受けた疾患を人のせいにすることは無意味である。
かと言って、「自分のせいだ」 などと自身を追い詰めたところで何も解決はしない。
いつでも、どこでも、何でも、因果の理法に従えば、自分の「業」だとしてあきらめざるを得ない。
その方が「楽」だと感じ始めて、この考えを「薬」にしようと、今朝は少し気分も前向き!

昨日、思い切って病院へ行って来た。
ここ二ヶ月近く ず~っと微熱が続いていて、数週間前からは目眩や立ち眩みが頻発し、その他にも気になる症状がいくつかあったので、気分転換のつもりで受診した。
自覚症状はいろいろとあるものの元気がないわけではないし、病院にかかるのは一年ぶりだったので少し緊張したが、簡単な検査を受けただけで何だかとても疲れてしまって気分は病人…、 「来るんじゃなかった…」と早くも後悔…

でも、一番後悔したのは受診結果・・・・・・  
「やっぱりか~ぁ・・・・・」 ということで…、 まぁ~、一応 安心は出来たものの・・・・・・
軽い不整脈と赤血球の数値が少し低い程度で、身体的な大きな異常は特にナシ。 
自律神経機能異常症 という診断であった。
セルフコントロールと対症療法で気長に付き合っていくしかない。
過去にも何度か経験しているし、今回の原因もハッキリしているので、これ以上悪化させないように気をつけながらマイペースで治していこう!!!

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「ザクロ(石榴)」 は 血の味 ? [随筆日記]

今日、病院の帰り道に、たまたま立ち寄ったお寺の境内でザクロの樹を見つけて、小さい頃、母の実家にあったザクロのことを思い出した。
大人たちは面倒くさがってあまり食べないので、私は遠慮することなくザクロの実をよく食べた。
種ばかりで食べられるところは少ないけれど、その水々しい独特の甘酸っぱさが好きで、私は、ザクロの実がパカッと割れて食べ頃になる日を楽しみに待ったものだった。

2978478ある日、おばあちゃんの家の庭先でザクロをほお張っていた時のこと、誰かは忘れたが、「ザクロは人間の血の味がするよ」 と言われたことがあった。

あれから数十年の月日を経て、仏跡を求めてインドを訪問する機会に恵まれた私は、これに関連して読んでいた本の中より、『訶梨帝母(かりていも)』の話を知り、「あぁ… そういえば、子供の頃、これを教えてくれた人がいたなぁ…」と不意に思い出した。

ザクロ(石榴)の原産地は、東イランから北インド・ヒマラヤ山地。
『訶梨帝母』のお話しは、お釈迦様がおみえになった2,500年前の北インドでの仏教説話である。

武将・般闍迦(はんじゃか・パンチーカ)の妻である訶梨帝母(かりていも・ハーリティー)は、五百人あるいは一万人ともいわれる子供を持ち、我が子を育てるために他人の子供を捕えては喰らう鬼母であったそうだ。
これに困り果てた村人たちがお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は訶梨帝母が最も愛していた末子の愛奴児(あいぬる・ピンガーラ)を隠してしまわれた。
そしてお釈迦様は、最愛の末子を失って嘆き悲しむ訶梨帝母に、子供を失った母親の苦しみを諭し、訶梨帝母に吉祥果(ザクロ)の実を与えて、人肉を食べないようにと約束させて仏教に帰依させたそうだ。
以後、訶梨帝母は子供を守る神・鬼子母神(きしもじん)となった、という説話である。

このお話しを知ってか知らずか、「ザクロは人の血の味がする」と教えてくれた誰かさんの言葉を思い出しながら、今年は、久しぶりにザクロを食べようかな?と思った。
また、ザクロの実がパカッと割れて食べ頃になる日を楽しみに待つことにしよう。

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初蝉の 声に聞くや 弥陀の慈悲 [随筆日記]

昨日、7月に入った初日の夕刻、雨の降り出す少し前に、初蝉の声を聞いた。
そして今朝、雨上がりの庭先で、また一匹のニイニイゼミが不器用に声をあげた。 昨日と同じ子かな?
しかし、夕暮れが近づくにつれて、また一匹、あちらでもまた一匹と、新たな蝉の鳴き声が、夏本番の訪れを知らせてくれた。

幼い頃、母に、「セミはね、生まれてから一週間しか生きられないのよ」 と教えられたことを思い出した。
正確に言えば間違った情報だけれども、これを聞いて子供心に、「かわいそうに…」 と思った。

「セミ」と分類される種は、実に世界で3千種を数えるらしい。 日本に生息するものだけでも35種存在する。
「セミ」を研究する生物学者はいないようで、その生態についてはまだ謎の部分が多いようだ。
わかっているのは、夏に、枯れ枝や樹皮などに産み付けられた卵は、年を越して翌年の梅雨の頃(ニイニイゼミは同年の秋)に孵化する。
卵から孵った幼虫は、枯れ木の表面で最初の脱皮を行った後、木から下り、地中へと潜り込んで、木の根元で長い地下生活に入る。
その地中生活の期間は種によって異なるものの、3年から 長いもので17年もの月日を、土の中で樹液を糧としながら脱皮を繰り返して成長し過ごすのだそうだ。
終齢幼虫になると皮下に成虫の体と複眼が出来て、この頃には土の中より地上の様子を窺うようになる。
そして夏の晴れた日の夕方、地上に出てきて周囲の樹などに登り、辺りが夜闇に包まれる頃、最後の脱皮をして成虫(羽化)となる。
一晩をかけて外界の空気を体いっぱいに取り込んで、夜が明ける頃には外骨格が固まり、朝日の中で初飛行にTRYする!
が、しかし、初めのうちは上手く飛べないし、すぐに鳴けるわけではない。
ちなみに、セミが鳴くのはオスがメスを呼び寄せるため、すなわち繁殖のためであって、メスは鳴かないのだそうだ。
成虫となったセミの寿命は、残り二週間前後。  この期間に、恋をして、子供をつくる。

実際、卵から孵って成虫になるまでの期間を考えると、セミの寿命は昆虫の中ではかなり長いといえる。
でも、そうは思えないのは何故だろう・・・・・?
ただ土の中にいて、木の養分を本能のままに吸い取っているだけでは、「生きている」とは言えないのではないか…、と思ってしまうからだろう。
じゃ~、人間は…、私はどうなんだろう・・・・・?
煩悩の赴くままに五欲に任せて行動しているだけで、「生きている」って本当に言えるの?
「何のために生きているの?」 = 「生きるために生きているの!」 
これではセミと変らない・・・・・
「何のために人間に生まれさせてもらったの?」  
この答えを求めてこそ、「人として生きている」って言えるんじゃないかな~ぁ

母から、「セミの寿命が一週間しかない」って聞かされた時、「かわいそうだなぁ」と思ったのは、人間に比べてセミの寿命が余りにも短すぎると感じたからだ。
寿命無量の仏さまから見た私も、たかだか7,80年の短すぎる寿命を憐れに思われたのだろう。
煩悩を満たすことだけに四苦八苦して、罪を造るだけ造り、あっという間に地獄へと堕ちて行かねばならない私を見かねて、立ち上がらずにおられなかったのだと聞かせていただいている。
これを聞かずして、人間に生まれさせていただいた喜びなど、語れることあることなしと…。

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形原温泉 あじさいの里 [随筆日記]

先週は、かなり気持ちの滅入ることが続いて、BLOGの更新が出来なかった。
そんな中、気分転換にと西浦さんが、形原温泉のあじさいまつりに連れて行ってくださった。
形原温泉あじさいの里へは、2,3年前に一度だけ来たことがあったが、その時は日の光を浴びた紫陽花を観賞したのみで、今回のようにライトアップされた夜の紫陽花を見るのは初めてであった。
早めの夕食を済ませて、すっかり日の落ちた頃に形原温泉へと向かう。
あじさいの里に着くと、駐車場にはまだ余裕もあって、人の入りはさほど多くはなかった。

2967914車から降りると早々に、梅雨真っ盛りの湿気に包まれて、気持ちの良いものではなかったが、園内に入るとすぐに色艶やかな紫陽花の花々に迎えられて、気持ちも高揚してきた。

補陀ヶ池を時計回りに歩いて行くと、池の周囲に電飾されたライトの灯りが水面に映って、幻想的な夜の世界を作り出していて、とても美しいと思った。

形原温泉あじさいの里には、五万株のあじさいが植えられており、これは東海地区随一の規模なのだそうだ。
手入れが行き届いているかと問えばそうとは言えないが、地形を利用した園内は、それなりに楽しめる。

私たちが行ったのは六月の最終週ということもあって、紫陽花の花も既に盛りを越えて色香を失っていたが、夜闇の中でライトアップという化粧をほどこされた紫陽花たちは、それなりに美しく妖艶であった。

途中、私が写真撮影に夢中になってしまった為、西浦さんとはぐれて一人になってしまった時、数日来の睡眠不足が祟ったのか、軽いめまいを感じて座り込んでしまった。
水面に揺れる明かりを見ながら、なんだかすごく切なかった。 「私、何やってるんだろう・・・」
しばらく休んでから再び歩き出して、ゲートの近くで西浦さんの姿を見つけた時は、何故だか必要以上にホッとした。

     紫陽花も 光を受けて 闇に浮く   闇ありてこそ 光も見ゆる
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変り行く過去から未来へ [随筆日記]

朝のひと仕事を終え、午後のスケジュールまで2時間ほど時間の余裕が出来たので、お友達のお寺へ遊びに出かけた。
私が着いた時、彼はちょうど本堂でお勤めをしていたので、私はその後ろに座って、彼の声明をBGMにしばしの間瞑想の世界に浸った。
お寺という空間で座っていると、自分の心の動きというものが鮮明に見えてくる。
浄土宗のお寺ゆえに、ご本尊の阿弥陀仏像は座しておられるのだが、その仏様までの距離とその座するお姿に少々の物足りなさを覚えた私は、「なまんだぶつ」とお念仏を称えて、自分の眼前に立っした阿弥陀さま像を思い描いた。
しかし、見えてくるものは、これを一分と続けることの出来ない散漫とした自身の心のみであった。
4,50分してようやくお勤めを終えた彼が私に気付き、「えっ? 今のお勤め見られちゃった?!」と恥ずかしそうに言うので、「何で?」と聞くと、「普段は人の気配がするとやめちゃうんだけど、なっちゃんは気配がなかった」と言われた。

それから本堂でおしゃべりを始めて、1時間…、2時間…、3時間…
これで午後からのスケジュールはキャンセルとなり、この日は一日中、飲まず食わずのトイレも行かずに夜の8時まで延々と、尽きることのないおしゃべりで一日を明かした。

G願さんとのお話しは、過去世のことから、もちろん現在のことも、そして未来に至るまで、時々は仏法を交えながらいろんなことを二人で語り合った。
もちろん話の本筋には阿弥陀さまの御心を通しての会話だが、確実に変り行くこの世界にいて、常に代わり続けるこの私たちの未来… といったことをあふれるままに語り合っていたら、日が暮れてしまったわけで・・・
話しの続きは来週に持ち越し[手(チョキ)]ということになった。
でも、とっても楽しい一日だった。[黒ハート] 

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睡蓮 [随筆日記]

2934523久しぶりに通勤ラッシュの電車に揺られて、ふらふらっと優さんとお出かけ♪
お任せコースでたどりついた先は、郊外にある名前も知らない睡蓮池。
全~部が真っ白な睡蓮の花で、今日がちょうど見頃とばかりに咲き乱れていた。

まるで、フランス人画家のクロード・モネが描いた「睡蓮の池と日本の橋」のような風景に思わずうっとり[かわいい]

モネは「睡蓮」をモチーフに、200点以上も連作で描いたというのだから、よほどこの花に愛着があったのだろうな~と思いながら、カメラでパシャパシャ[カメラ]

調べてみると、「睡蓮」の語源は、「蓮」の花から来ているようで、睡蓮の花は、昼間に開花して夜は閉じるところから、まるで眠る蓮の花のようだとされ、「睡眠をとる蓮」という意味から「睡蓮」と名付けられたのだそうだ。

「蓮」と言えばお浄土の花である。
来月には各地で開花する蓮の花、 また一緒に見に行こうね、優さん[黒ハート]

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アラフォー [随筆日記]

Around Fourty 、 略して アラフォー。  40歳前後の特に女性層をさす新語である。
昨年放映されたTVドラマによって広く認知された言葉なのだそうだが、私はTVをほとんど見ないので、単語としてのアラフォーしか知らない。
そんな私が考えるアラフォーには二種類の路線があって、それは婚姻の有無に関わらず、一つは子供をもつアラフォーと、もう一つは子供をもたないアラフォーとで、大きく区分されているように感じられる。
なぜなら、このニ路線は、行動パターンもその会話の内容もまったく異なると感じられるからだ。
私を取り巻くアラフォー友達の8割方は子供をもつアラフォーである。
彼女たちの会話のテーマは育児が中心であり、子供や家族を通しての自分や家庭、そして世間といったことを語ることが多い。
一方、子供をもたないアラフォー友達との会話は、仕事や恋愛や趣味に至るまで、間接的ではない自分自身のところをテーマにした会話が多い。
既婚者でありながら子供をもたない私には、子供をもつアラフォー友達の聞き役・相談相手にこそなれても、実感としてのアドバイスはしてあげられないし、自分自身の持っているテーマを口にするのは難しいかな?と感じてしまう。
これに対して子供ないアラフォー友達は、直接的な意見交換もし易いし、自分の為の時間を多く持っているということもあって、どうしても彼女たちとの付き合いの方のが増えてきてしまう。

そんな後者のアラフォー友達の付き添いで、十数年ぶりにエステティックサロンに行ってきた。
とは言っても、私は待合室でしばしの待ちぼうけ…  そして、人間ウォッチング。
その中で強烈に目に焼きついたのは、サロンの受付のお手伝いをしていた新人さんらしき女の子。
すごく可愛いのに、その首筋、手、足は、見るも無残に痩せこけていた。 拒食症か…?
彼女を見て、自分の過去を思い出した…   私も、二十代前半に経験したから…。
食べるという行為に物凄い罪の意識を感じて、食べない自分に自信と安心を見出してしまう心の病。
摂食障害のやっかいなところは、食べなくても死んでしまうとは思えないし、逆に言えば、死ぬことよりも食べることの方が恐いと思ってしまうことかな・・・
私の場合、痩せたいという願望よりも、精神的なストレスによって食欲が消えてしまうということが起因だったのだけれど…、 私はそれをどうやって克服したのだろう…?   
やっぱり転機は結婚したことかな…?

でも、三十代半ばで精神的ストレスを抱えていた時は、拒食症よりも過食症になっちゃったしなぁ~
それが四十代目前にして、つまりアラフォーの一員になって体重もピークを迎えちゃったわけで・・・・・[たらーっ(汗)]
あぁ、いやな話題だ! 書きたかった事とはテーマがそれてしまった。
最後に一言、「もうひと花咲かせたい[かわいい]」 と思うのは、やっぱりアラフォーの証拠?!

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五色園 [随筆日記]

今日のS先生のBLOGにあった ‘五色園’ を、BLOGネタに拝借!
名古屋では、珍スポットとしても有名であるが、桜の名所としても名が知られている。
ただ、私がこの‘五色園’を知るきっかけになったのは、やはり浄土真宗の教えを知ってからである。

‘五色園’を統括している五色山・大安寺は浄土真宗系の単立寺院であるが、墓地は宗派を問わず受け入れているようだ。
園内はけっこう広くて、歩いて回るとかなりいい運動になるが、見所(?)はたくさんあるので、浄土真宗に関心がある人なら楽しいウォーキングが出来るのでは…、と思う。(^^ゞ
敷地内の各所に配された塑像は、コンクリート像作家として知られる浅野祥雲氏が手がけたもので、1934年(昭和9年)に大安寺の初代管主である森夢幻氏が、視聴覚伝導を目的として、『御傳鈔』などで説かれた親鸞聖人の御教えや御旧跡を視覚的に表現してくれている。
なので、そ~ゆ~知識のある人と一緒に行かなければ、面白くないかもしれないが…、所々に、これって親鸞聖人と関係あるの?という塑像も無きにしもあらず…(^^ゞ
でも、一つ一つの場面を聖典と付き合わせながら丁寧に見ていくのも、私は面白いと思った。

2919027
写真は、一昨年の秋に‘五色園’へ紅葉を見に出かけた時のもので、倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』で知られる‘日野左衛門の枕石’の伝承を題材に視覚表現されたもの。
(ちなみに、親鸞聖人の枕石にのっかっているのは家の子で、実際には含まれておりません(^^ゞ)

‘日野左衛門の枕石’は、親鸞聖人が関東での布教をされていた時のお話し。
慈円房と良寛房の両名を伴われて布教の旅をされていた親鸞聖人が、常陸の国(茨城県)に立ち寄られたある吹雪の夜のこと、日野左衛門尉頼秋の家に一夜の宿を乞うたが、すげなく断わられた上に杖まで投げつけられてしまった。
その日野左衛門だが、金貸しを生業にしている前科者で、人も法も信じることが出来ないでいた。
親鸞聖人は、やむなく日野左衛門の門前にあった石を枕に身体を横たえて、お念仏を称えられながら眠りに入られた。
次第に降り積もる雪の深夜、日野左衛門の夢枕に観世音菩薩が現れてこう告げた。
「汝知らずや、門前の阿弥陀如来に早く教化を被らねば、汝の未来は永劫に苦海を漂い、この機を逃すことなかれ」と。
日野左衛門の心に後悔の念が浮び、早々に親鸞聖人らを家に招き入れて平身低頭無礼で詫びると共に、一晩中聖人よりご化導を賜って、仏弟子となられたというお話しである。
日野左衛門の法名は入西房道円。 親鸞聖人の高弟二十四輩のお一人である。

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ゴーギャン展 [随筆日記]

名古屋ボストン美術館で開催されているゴーギャン展に行ってきた。

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン
今回私が美術館を訪れたのは、このゴーギャンの描いた絵そのものに興味をもったわけではなく、ゴーギャンという人物その人に興味が湧いたからである。
彼の描いた代表作の、その題名に惹かれたのだ。
『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』
彼のその問いかけに、彼自身が答えを見つけられたのか…、 それを感じたくて美術館を訪れた。

1848年6月7日にパリで生まれたゴーギャンは、二月革命のあおりを受けて生後すぐに一家共々南米ペルーへと逃れるも、その旅の途中で父が急死。
1歳にも満たないゴーギャンをかかえた母は親戚を頼ってリマに移住し、ここで数年を過ごしたが、7歳の時に祖父の死によってフランスへと帰国をする。
帰国したゴーギャンは神学中学校を卒業したのち水夫となったが、その航海中に母が死亡。 
その後、ゴーギャンは海軍に在籍して普仏戦争にも参加したが、23歳の時に陸に上がり株式仲買人となって成功を収め、この頃より本格的に絵の勉強を始め、25歳の時に結婚する。
この頃は一介の日曜画家であったゴーギャンであったが、フランスの経済恐慌を機に35歳の時、仲買の職を辞して画業に専念するも、生活は苦しくなる一方であった。
40歳の時にはフィンセント・ファン・ゴッホとの共同生活を試みるが、互いの強烈な個性は衝突を繰り返し、どちらが切ったのかは定かではないが、「ゴッホの耳切り事件」をもって2人の共同生活は2ヶ月で終止符を迎えた。
43歳になったゴーギャンは、かねてより憧憬であった楽園タヒチへと旅立ち、タヒチに抱いていた信仰や神秘性や仏教芸術を自らの感性で作品に融合させていったが、健康状態の悪化や経済的困窮のために2年後に一度帰国する。
タヒチで同棲していた女性には逃げられ、一度捨てた妻子の元にも戻れず、47歳になったゴーギャンは再びタヒチに渡ったまま、以後フランス本土に戻ることはなかった。
1897年、ゴーギャン49歳の時、妻からの手紙によって愛娘の死を知り深い悲しみと絶望に襲われ、また自らの病の悪化、そして生活の困窮という数々の苦悩に見舞われ、自身の死に怯える中で、『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』 をはじめとする遺書的な大作の数々を精力的に仕上げていった。
この頃、「自殺を試みるも失敗した」 と、自伝『ノア・ノア』にて告白している。
そして1903年5月8日、心臓発作によってゴーギャンは54年間のその生涯を閉じた。

「人生は苦なり」 と教えられたお釈迦様のお言葉を、ゴーギャンは肌で感じ、肉親の死を通して自らの命の灯をみつめながら生きてきた人なのだなと思った…。

今回のゴーギャン展に展示されてあった作品を年代順に見ていく中で、1889年「ゴッホの耳切り事件」の後に制作された木彫 『恋せよ、さらば幸福ならん』より、ゴーギャンの作風がガラリと変わって私の目を惹き付けた。
この作品に、人の心の根底にはびこった押し留めることのできない欲望や苦悩といった感情が溢れ出ていたように感じた。

この後に油彩で描かれた 『かぐわしき大地』では、禁断の果実ならぬ目の前の花をいとも簡単に手折ろうとする女性のその顔横に、不気味に近づく赤い羽根を持つ黒いトカゲが意味深で、この女性と自分を重ねて、深く考えさせられる絵であった。

タヒチから戻ったゴーギャンがフランスで過ごした2年の間にいくつかの木版画を残しているが、そこに描かれた作品の中に、私は彼の深い哲学を感じずにはいられなかった。
例えば 『ラ・ポ(夜)』では、形のない、ただ漠然とした恐怖に背を向けて横たわる人…、
『テ・アトゥア(神々)』には、生と死についての答え無き、永遠の問いかけ…、
『マルル(感謝)』には、神であっても五欲の満足に対する感謝しかできないという悲しい性(さが)…、
『テ・ファルル(抱擁)』では、常に愛を求め続けることでしか安らぎを見つけられない人間の悲しさ…
そして、再びタヒチに旅立つ前に描かれた 『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』では、ストレートに‘孤独な死’、「独生独死」の恐怖が表現されていると私は受け取った。

そして美術館の最終ホールに展示されていたメインの大作、『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』 は、予想以上に強いインパクトで私を迎えてくれた。

2918553
(Wikipediaより拝借)

私は芸術家でも評論家でもないので、絵の云々といった説明には興味が無い。
ただ私の感じたところで言うならば、絵の中央で禁断の果実をもぎ取っているのは私…。
そしてゴーギャンが描いたように、老いも若きも男も女も 皆苦悩の中にあって、誰もが口には出せない暗い影を持っている。
なぜゴーギャンが絵の中に何種もの動物を描き込んだのか…、 それは人間のみならず、すべての生きとし生けるものの永遠のテーマ、“死” を表現したかったからではないだろうか…。
『 いったい私はどこからやって来たのだろうか…  私が私と思っている‘私’とはいったい何者なのであろうか…  そしてこの私の命が終えたなら、私はどこへ流されて行くというのか… 』
絵の中で頭をかかえる人々、頬杖をつく人々、何もわからずに生まれてきた赤ん坊、ただ本能のままに果実をほおばる子供、そして、そんな世間の苦悩には感知せず、そ知らぬ顔で立ち尽くす‘神’と呼ばれる偶像。
この絵の背景には、ゴーギャンなりの地獄が描かれているようにも見える。
そして何よりも、この中に描かれた人物の目が空虚に感じられたのは、私だけであろうか・・・・・

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応仁寺 ・ 蓮如上人 と 如光さん [随筆日記]

西三河にある、真水と海水が混じり合う気水湖・油淵(あぶらがふち)は、400年ほど前までは三河湾の入り江であった。

ある日、この海岸に4,5歳の少年が浮き藻に乗って漂着したと伝えられているが、その少年が後に蓮如上人のお弟子となられ、三河の地に浄土真宗を広められた如光上人とよばれるその人である。
少年は、この地の武士であった杉浦四郎左衛門義勝によって育てられたが、成長するにつれ武士ではなく僧侶になりたいと言い出すようになった。
杉浦氏はこの願いを受けて少年を佐々木・上宮寺の住持である如全に預けて、この時より如光と号する。

真宗の教えを請うために京都に上られた如光さんは、蓮如上人のお弟子となられて念仏者としての才を発揮されるが、時は応仁の乱の最中にあって、1465年に京都の大谷本願寺が比叡山の僧兵に襲撃・破壊された時、如光さんが比叡山と本願寺の間に立って三河から取り寄せた大枚で金銭的解決をはかり比叡山の衆徒黙らせた。 
このような時代背景の中、比叡山による圧迫を避けるために如光さんは蓮如上人を三河の国にてかくまうこと提起し、1468年に蓮如上人がこの地を訪れることになった。
三河に移られた蓮如上人は、如光さんの実家である杉浦の屋敷を拠点に浄土真宗の布教をなされ、ここ油淵より船で川を上っては三河の国で100もの道場を開かれた。
この地に浄土真宗の教えが根付いたのも、三河の真宗寺院を拡大・統率なされた如光さんのお働きがあったからこそである。

この時より杉浦の屋敷は、唯願寺(栄願寺)と名付け、一宇を建立して「松光山・応仁寺」と称した。
油淵園地に立てられている‘油淵の碑’ には、「人々は、この池に龍燈を捧げて蓮如上人を守り、その龍燈のもとに人々は集まって、応仁寺は念仏読経のたえることがなかったので、ここを油淵と呼ぶようになった。」と記されている。

三河の地で三年ほどの布教をなされた蓮如上人が、松光山・応仁寺をあとに京都へ戻られる時、「またいつの日にか戻ってくるだろう…」、と言い残されたことから、以来、この寺は住職を置かずに、蓮如上人が戻られるその日を待ち続け、現在も地元の門徒衆によって大切に護持されている、無住職・無檀家のお寺である。

昭和20年の三河地震で本堂は倒壊したものの、三河門徒らによって戦後に再建された建物は、随所に傷みは見られるが、浄土真宗を守ってきた門徒の心の歴史を感じられる、心あたたまるお寺であった。

ただ、無住職の寺ゆえに、本堂の扉が開かれることは年に数回しかないが、油淵遊園で花菖蒲祭りが開催されている週末は、本堂を開放し、門徒らが交代で案内をしてくれる。

2916126油淵遊園の駐車場西の階段を上がったところにある応仁寺の本堂内には、市有形文化財に指定された蓮如上人寿像があり、また、境内の本堂に向かって右手にある小さくて無機質な建物の中には、地元の門徒である岩月藤ヱ門氏が紙材で制作し寄贈された‘お釈迦さまの五劫思惟の像’がある。

地元ではこの寺を「応仁寺」と呼称する人は少なく、この寺を「蓮如さん」と呼んで親しんでいるところにも、何かとてもあたたかいものを感じた。

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油淵の花菖蒲 と 出会い [随筆日記]

2915583今朝、起き抜けに思い立って、サッとシャワーを浴び身支度を整えると、助手席にカメラを乗せて車を走らせた。
向かった先は、油淵(あぶらがふち)園地。
十数年ほど前に始めてここを訪れた時は、父と母と一緒に小雨にぬれた花菖蒲を眺めながら、花好きな両親の会話に耳を傾けていた私。

二回目に訪れたのは6年前、発病した母の車椅子を押しながら、夫と三人で来園をした。
あの日は晴れていて、母が「食べたい」と言って指さした露天のタイ焼きをほおばりながら、穏やかな午後のひと時を、ただのんびりと花菖蒲の園の中で過ごしていた。
あの時、母の胸の内にあったものは、過去への思いか…、それとも未来への不安か…。

その翌年にも母はこの園地に来たがったが、身体的にその願いを叶えてあげことが出来なかった…。
そして、母にとっては、それが最後の6月であった・・・・・

母がこの世を去った年、私は、母の願いの数々を叶えてあげられなかった自分の不甲斐なさ、そんな後悔の念から心を病んだ時期があったが、その翌年、母との思い出を探すように、花菖蒲の咲くこの季節に、一人、この園地を再び訪れた。
毎年変らないように見える風景の中で、私だけが常に変り続けているように感じられた・・・。

そんな三年前、一人でベンチに腰掛けながら、食べるでもないタイ焼きを手にして、ただボ~ッと花菖蒲の中で母との思い出に浸っていると、やっぱり涙がこぼれて…
そんな私に声をかけてきた人がいた。
「ねえ君、ちょっとこっちに来てファインダーをのぞいてごらん」
その見知らぬ中年の男性に誘われるままに、私は三脚にセットされた彼のカメラのファインダーに目をあてた。
そこには、色鮮やかにくっきりと、一輪の花菖蒲が凛と咲き誇っていた。
私がカメラから目を離してその男性の方に視線を移すと、彼に、「このカメラが、どの一輪をとらえているか当ててごらん」と言われて、角度や構成を考えながらいくつか指さして答えたが、そのどれもがことごとくハズレであった。
彼は、私が予想していたよりもはるかに遠い所を指さしながら、「カメラの世界は、ともすれば現実よりも美しく、そしてクリアーにものを見ることができるからね」と言いながら正解の花を教えてくれた。
その後も彼は私に何を聞くでも無しに、撮影旅行の話しなどを語ってくれて、私は母との思い出に涙する間もなく半日が過ぎていった。

その翌年、去年もまた花菖蒲の咲く頃にこの園地を一人で訪れた。
しかし、母との思い出にひたっても、もう、私の瞳から涙がこぼれ落ちることはなかった…。 
ムシムシっとする曇り空の下で写真撮影をしてから帰ろうと思った時に、また見知らぬ中年の男性から、「今日は、上の蓮如さんも開けてあるから時間があったら寄って行って下さい」と声をかけられた。
初めは何のことかわからなかったが、この頃、真宗の教えを聞いていたので、‘蓮如さん’という言葉に惹かれて、「蓮如さんの何かがあるんですか?」と聞き返すと、親切にも彼が案内してくれるという。
油淵園地隣の階段上に、応仁寺という真宗のお寺があって、このお寺を通称‘蓮如さん’と言うのだそうだ。
このお寺には住職が存せず、村の門徒たちだけで管理している蓮如上人の御旧跡であり、お寺の由来や蓮如上人とこの地の関わりなど、彼は興味深げに聞く私にあれこれと語ってくれて、とても有意義な時間を過ごすことができた。

そんな出会いが二年続いたので、今年は…、と思いながら、今朝一年ぶりにこの園地を訪れた。
早朝、まだ6時前だったので来園客の姿はほとんど見受けられず、花の手入れをする市の関係者らがチラホラと目に付く程度であった。
今年は花の付きが悪く、例年の綺麗さにはかけるが、独り占めのような園地での撮影は楽しかった。
私が夢中で写真を撮っていると、「いい写真は撮れましたか?」と男性の声。 
顔を上げると、スポーツウェアーに身を包んだ見知らぬ中年の男性が笑顔で話しかけてきた。
彼は、花菖蒲の咲くこの時期の週末には、自宅から園地までウォーキングをするのが日課で、カメラを趣味にしていると言うが、年に二度は個展を開くほどの腕前らしい。
そんな彼とカメラの話しや旅の話し、中でもヒマラヤの話しなどを楽しくおしゃべりをしていたらすっかり時間が過ぎてしまって、「お腹が空いたね!」と、そこでお別れ。

今年も、母との思い出の地で楽しい時間を過ごすことができた。  ありがとう、お母さん。

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“暇”な一日の終焉は… [随筆日記]

今月初頭、月間のスケジュールを夫と打ち合わせていた時に、今週末は二人とも何の予定も入っていなかったので、「久しぶりに二人でどこか出かけようか?」と夫を誘ってみたが、彼は少し考えた後、「その翌週に試験があるから、この週末は資料を見直しておかないと…」と、あっけなく振られてしまった。
まぁ、お互いの意見と自由を尊重し合うというスタイルをとっているので、この時は何も気にはならなかったのだが…

今朝、夫から、「今週末の金・土曜日に一泊で出かけてくるね!」と言われて、
「あら? 今週末は、試験前の資料整理をするんじゃなかったの?」と尋ねると、
「あぁ、そうだった! でも、もう約束しちゃったし…。 この埋め合わせは、またちゃんとするからゴメンね!」と言い残して仕事に出かけて行った。
いつものことだけど、負けた感じの寂しさで、私の今日がスタートした。

朝から寂しい気持ちにもなったし、今朝は目覚めの夢もすご~く悪くて睡眠不足だし、おまけに今日の天気はどんよりとした曇り空! 
なのに何故か元気でご機嫌モードな私v(^^*)   ただいま故障中って感じかな?!

こんな感じの時は文筆がはかどるものだ!
と言うことで、朝からお気に入りの曲を聴きながら、久しぶりにペンを走らせる。
しかし・・・・・ 
残念なことに、世間では通用しない思いがアレコレと出てきてしまって、なかなか構想がまとまらない。
例えば、「無常」だとか、「虚仮」だとか、「後生」だとか ・・・・・
ここ一年で、しっかりと仏法くささが染みついてしまった頭から出てくるものは、世間話しをどこか冷めた目で傍観してしまって、まったくお話しにならない…。
うぅぅぅん・・・  これでは仕事にならないな~ぁ・・・・・。  
お小遣い稼ぎをしようと思ったのに…、 トホホである。

お昼過ぎに、お友達のだんなさまが社長に昇格したとのニュースが入って、さっそく電話をしてみる。
いやはや! 言葉で謙遜しながらも喜びを隠せない彼女の腹底と、美辞麗句を並べている私の腹底と、交互に眺めては笑いをかみ殺しながらの会話を楽しんだ。

電話の後は、メールをしたり、読書をしたり・・・  今日は、とても時間がゆっくりと流れているように感じられる一日だったが、今日という日を無駄に過ごしてしまったことへの後悔と反省の夜を迎えた。

さ~ぁ、シンデレラタイムまでの三時間は有意義に過ごそう!!!

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レーヴ・ロマンティック [随筆日記]

ダメ・・・・・・  すごく酔っているかも・・・・・[バー]
お気に入りのワインを見つけた。  レーヴ・ロマンテック(Japan)の赤。

今夜は、すっっっごく夜風が気持ち良い。
独りバルコニーで、お気に入りのワイングラスにお気に入りのワインをついで、お気に入りのカマンベールチーズをつまみに、初夏の夜に乾杯。

どうして最近BLOGの更新が無いのかって?・・・・・・・
それは、言葉を見失っちゃったから…
どんな言葉も虚しくて・・・・・・
逃げてるの…、   わ・た・し…
でも、逃げられない・・・・・・
でも、逃げることしか出来ない私・・・・・・
全然ダメ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バカみたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうそう、ワインのおつまみは、チーズとカルパッチョ、 それだけでいい!
やっぱりおバカな私・・・

何を言っているんだか… 



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アミリヤ [随筆日記]

今日、アメリカに住む妹から久しぶりにメールが届いた。
いつもと同じに、「全然メールくれないけど、どうしてる?」という書き出しで…

妹は、肉親もあきれるほどの変わり者として名を馳せていた(?)
母親となった今も、それは健在だ。
どこが?・・・ ということを語れば悪口になってしまいそうなので言わないが、良く言えば、彼女は自分自身にすごく正直に生きている人である。
好きな人に対しては、どんなことをしてでも手に入れたいと行動するし、嫌いな人に対しては徹底的に拒絶する。
愛情に関しても際限がなく、両親がどんなに彼女のことを愛しても、彼女はいつも愛情をかけられていないと嘆き、だから自分は親を愛せないのだと豪語していた。
妹とは正反対の性格である私はどうかと言えば、両親からの愛情を心いっぱいに受けて私は幸せ者だなぁと思いながらも、心の底にはいつも孤独を感じていた。
今にして思えば、妹も私も表現方法はお互いに違えども、心の底にある孤独という闇の中で生きてきたように思う。

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妹の子供、私の姪っ子にあたるアミリヤは2歳半になった。
アメリカと日本という距離の遠さに、実際には一度も会ったことはないが、写真で見るアミリヤの成長に、とても喜ばしい気持ちに包まれる。
私達夫婦には子供がいないので、血縁のたった一人の子供に対して、他ならぬ愛おしさがある。
そして、妹のメールから育児の大変さを伝えられる度に、私もそうやって親に苦労をかけてきたのだと知らされ、今こうして元気で生きていられることに感謝の念が湧き上がる。




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