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念ずれば花ひらく (坂村真民) [詩]

あの日の夜、たった一人の親友にだけ、「入院しなきゃならなくなったの・・・」と、半べそをかきながら夜遅くに電話をしました。
その時、とても心配そうに話しを聞いてくれた親友から、退院をする日の朝一に、「体調はどう?」とだけ書かれたメールをいただき、その心遣いにとても癒されました。

押し付けもなく、否定もなく、あるがままの私をあるがままに受け止めてくれる。
それは「気遣い」という言葉で表現されるのとはちょっと違う、その親友の本来持っている優しさが自然に出ているのでしょう・・・、そんな心地良さを感じました。

病院の帰り道に古本屋さんへ寄ってもらい、100円均一コーナーで何冊かの詩集を購入しました。
その中の一冊が、坂村真民(さかむら しんみん)さんの『詩集 念ずれば花ひらく』という本です。
明治42年生まれで、2006年に亡くなられた、自称「仏教詩人」だそうです。
私としては、正直、全体的に焦点が不明確だなぁ~というのがこの本の感想ですが、これが坂村氏の仏教感なのでしょうね。 まずは、詩集の題名となった詩をご紹介します。

          念ずれば花ひらく

       念ずれば
       花ひらく                IMG_3917.JPG
                         
       苦しいとき               
       母がいつも口にしていた        
       このことばを
       わたしはいつのころからか
       となえるようになった
       そしてそのたび
       わたしの花がふしぎと
       ひとつひとつ
       ひらいていった

「念ずれば花ひらく」 とても良い題名だと思います。
ただ、この詩集の中には、一言たりとも何を念ずるのかが書いてありません。
現世利益の祈願であるのならば、とても寂しいことだと思いました・・・・・
南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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シャボン玉(野口雨情) [歌詞]

病室の窓から見える公園では、子供たちが無邪気に遊んでいました。
シャボン玉遊び・・・。
私も小さい頃は大好きで、「シャボン玉マシーンを買って~!」などとおねだりしたこともありました。
フーッと吹き飛ばされたシャボン玉のたちの中へ飛び込んで、七色の世界で踊りだすのですが、シャボン玉は触れるとすぐに弾けて消えてしまいます。
たとえ触れずとも、時と共にアッという間に無くなってしまいます。
ですが、子どもの私にとっては、次から次へと石鹸水を吹けばシャボン玉は新しい命を生みだしてくれますので、チョットは寂しいけど、だからと言ってメゲたことなど一度もありません。
それに消えてなくなってしまったシャボン玉のことなど、気にしたことも、考えたこともありませんでした。

ただ、今、子供たちの飛ばすシャボン玉を見て、心がチクリとしました。
「なんて儚いのだろう・・・・・  シャボン玉と人の一生とは、とてもよく似ているわ・・・・・」 と

           シャボン玉

    シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ
    屋根まで飛んで  こわれて消えた    IMG_0367.JPG

    シャボン玉消えた  飛ばずに消えた
    生れてすぐに  こわれて消えた

    風 風 吹くな  シャボン玉飛ばそ

幼い頃、誰もが一度は耳にしたことのある曲、歌ったことのある曲ではないですか?
野口 雨情 : 作詞   中山 晋平 : 作曲 の 「シャボン玉」という曲です。
※ 写真は、野口雨情の生家です。

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しあわせな錯覚(吉田由美) [詩]

病室で過ごす時間は、個室であっても落ち着くようで、なかなか落ち着きません。
回診や点滴交換、掃除や食事での人の出入りがあったり、廊下での話し声が気になったりと、外界と隔離された四角い空間は、私の居場所でありながらも私の居場所ではなく、落ち着くようでいて落ち着かないものです。

入院中は、親友からのメールが唯一の楽しみです。 あるメールに、
「落ち着く時も落ち着かない時も、楽しい時も苦しい時も、嬉しい時も悲しい時も、いつも いつも お念仏。 “南無阿弥陀仏”を称えなさい」と教えていただきました。
でも、ついつい自分の感情に流されて忘れてしまうのです・・・・・。 本当に、私の身には添わないものだなぁ~と我ながら呆れると同時に、本当に私はお念仏を疎かに、そして粗末にしておるなぁ~ と気付かされます。

でも、そのメールを読みながら、ポロッとこぼれ出たお念仏・・・  「あっ、落としちゃった・・・!」そんな感じのお念仏ですが、あぁ、こっちからじゃなかった! あちら様(お念仏)からくっついてくだそっておった・・・ と知らされる度に、ホンの小さな幸せに包まれるのです。

昨日に引き続いて、吉田由美さんの詞を紹介します。

                    しあわせな錯覚

    なぜ今まで気付かずにいたのだろう。
    なぜ時間は過ぎ去っていくものだということを早くにキャッチしなかったのか。
    夏が永遠に続きそうに感じるのに似て、若いということに甘えきっていたのだ。
    ありのままの自分でいられる時間と場所が
    いつまでも目の前にあると錯覚していたのだ。

病室の窓は空きません。 落ち葉の数が増えて行くごとに季節は着実に進んでいるのだなぁ~ということを知るだけです。
でも、今日はいつもとは違って、「窓」という四角いスクリーンに無声機映像を見るように、風の音…、雨の音…、木々のざわめき… などを目にすることがことが出来ました。
世間さまの多大なる被害状況をまるっきり他人事に、普段はほとんど見ることのないTVにかじりついて、より凄まじい映像を楽しみにしながらチャンネルを次々に変えている自分を、恐ろしいとも思わず・・・・・・
速度を上げて去って行ってしまう台風を惜しみつつ、「あぁ・・・、時間は止まってくれないのだな・・・」ととうことを、改めて知りました。

吉田さんの言われる、「ありのままの自分でいられる時間と場所」というのは、目の前にあらず・・・。
いつも変わらず自分の中に存在しているのではないでしょうか。
それをいかに上手く誤魔化すか・・・、 それが歳をとるということであり、もう若くはないというこということでもあり、そして、いつ、我が身に死が訪れてもおかしくはない、ということなのではないでしょうか。

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ささやかな抵抗(吉田由美) [詩]

なぜこの本を買ったのか・・・、 いつこの本を購入したのか・・・、 まったく記憶にございませんが、書棚から取り出してパラパラっと見てみると なかなか フムフム へ~ェ ということで、入院のお供にカバンに詰め込んでまいりました。
題名は、『ひとり 思いきり 泣ける言葉』 という、吉田由美さんとおっしゃる作詞家の書かれた文庫本です。
まぁ、残念ながら私には、一粒たりとも涙が落ちるどころか、目を潤ますこともありませんでしたが、彼女の押し付けがましくない言葉の表現に共感できるところがいくつもありました。
その中の一つを抜粋しては、点滴の苦しさから気を紛らわすために、「私自身はどうなのだろう?」ということを思案などしていました。

                  ささやかな抵抗

        手に入れて所有してしまうと、
        いつかなくなるのではないかと不安になるものだ。
        だから必要以上のものを手に入れようとする。
        そんな人間の浅ましさが、
        どれほど多くのものを傷つけてきたことだろう。

人間ほど欲の深い生き物は他に例をみないのではないでしょうか?
ある民族は、「今日、その日に家族が食べるモノだけしか狩りはしない。不必要に他の命を奪う権利などわたしたちにはないからね」と、これを長い歴史の中で忠実に守っている民族もこの地球上には存在します。

しかし、この人間社会においては、「文明」という言葉を隠れ蓑にして、常に血生臭さが絶えることが、過去も、現在も、ありませんでした。
自分の命を守るために戦うことは、弱肉強食の世界においては仕方のないことかもしれません・・・。
でも、必要以上の命を奪って、その命を食べ物としたり、それが余れば平気で廃棄処分して、また時には装飾品として生き物を乱獲したり、ただ自己の名誉欲を満たすためだけに人間同士で無駄に殺し合ったり・・・・、 私達は、常に自分の欲に切りなく他の命を所有しようとしてきましたし、これを罪とも思わずに、今なお続けているのです。
自分たちに都合よく、「神様からのお恵みだ!」との名目のもとに、世界中には、豊作祭りだ、豊漁祭りなだと、感謝の心の欠片もないカーニバルが溢れております。 

そうかと言って、この私に何が出来るか・・・・・・   これを責めるどころか、何も出来ないでしょう。
だって、私自身もその内の一人ですから・・・・・・
だからせめて、そんな自分に、「ささやかな抵抗」をするのです。  南無阿弥陀仏

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真宗宗歌 [歌詞]

私は、仏式での結婚式というものを見たことがありません。
もっとも、「仏教」というものを知るまでは、結婚式をするところが神社で、お葬式を執り行うところが寺院だと思い込んでいた程の無知度ですから、神も仏も区別なく、神社か寺院かの違いもほとんどなしに等しいものでした。
ここ最近になって、仏教と出遇わせていただいたのを縁に、やっと一般常識程度くらいの区別まではつけられるようになりましたが、仏さまの前で結婚の儀を執り行うことが出来るということはつい最近までまったく存知ぜず、これを知った時にはとても驚いたものでした。

自分の結婚式に関して言えば、私の場合はただ単純にキリスト教徒でもないのに教会で挙式をすることに抵抗を感じたわけで、日本人ならば当たり前の如く神さまの御前にて永遠の愛を誓うべし! ということで神式にて挙式をしたわけですが・・・、 それは単なる知識不足で、今なら迷わず仏式での挙式を選ぶでしょうね。 

そこで、フッと疑問に思ったことがありましたので調べてみました。
キリスト教系の結婚式には、必ずと言ってよいほど参列者全員で賛美歌を合唱し、これはキリスト教徒でなくても歌えるから不思議・・・  それだけ大衆に浸透しているのでしょうね。
そして神道系では、雅楽が式の流れを厳粛なる空気に変えてゆきます。
では仏教は? 寺院にも式楽は付き物ですが、それよりも普段よりなじみの深い仏教讃歌がいくつもあります。

これは明治時代に西洋文化と共に伝来してきたキリスト教の賛美歌を手本に、仏教でも歌による布教伝道が開花されたことに起因するそうです。
浄土真宗門徒ならほとんどの人が知っている 「真宗宗歌」 や 「恩徳讚」 をはじめ、現在では300曲を超えるほどの仏教讃歌があるとのこです。
その中で私が知っている曲など、十曲にも満たないけれど、私が一番好きなのは、やはり 「真宗宗歌」 ですね。 我が身に迫って旨が熱くなるのを抑えられません。

  1. ふかきみ法(のり)に あいまつる   身の幸(さち)なにに たとうべき
     ひたすら道を ききひらき   まことのみ旨(むね) いただかん

  2. とわの闇より 救われし   身の幸(さち)なにに くらぶべき
     六字のみ名を 称えつつ   世の生業(なりわい)に いそしまん

  3. 海の内外(うちと)の へだてなく   み仏(おや)の徳の 尊さを
     わがはらからに 伝えつつ   浄土(みくに)の旅を ともにせん

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

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水戸黄門 [歌詞]

台風の接近ですっかり忘れていましたが、今日は敬老の日でしたね。
今の私には残念ながら血筋のある祖父母はもうこの世にはおりませんが、敬老の日が来ますと昔の出来事をよく想い出します。

父方の祖父母は遠く仙台におりましたし、祖父は既に亡く、祖母も早くに他界してしまったので、あまり多くの想い出はございませんが、仙台のおばあちゃまは大好きでした。
そして母方の祖父母は近所に住んでいたこともあって、よく私の面倒を見てくれました。

記憶にあるわけではございませんが、私に、仏壇に向かい合掌・礼拝をすることを教えてくれたのも、「南無阿弥陀仏」の六字を教えてくれたのも、その祖母であったのではないかなぁと想像します。

祖母はいろいろな信仰に手を出していました。
母の実家は浄土真宗大谷派なれども、祖母はこれには飽き足らず、他にいくつかの新興宗教にも所属をしていたのですが、祖母がなぜそれほどまでに神仏に対して惹かれていったのかは、今となっては知りようがありません。

今年の敬老の日には、祖母の大好きだったテレビ番組を想い出しました。
私の両親が共働きであったと言うこともあり、幼い頃はその祖母に大変お世話になったのですが、そのおばあちゃまは「水戸黄門」の番組が大好きでして、近々番組が終了してしまうと聞いた時、「おばあちゃま、寂しがるだろうなぁ~」なんて想い出したわけでご゛います。

幼いながらも一緒に歌った水戸黄門のテーマソング。 3番(4番)が、幻の歌詞であったと、今回初めて知りました。

   1. 人生楽ありゃ苦もあるさ  涙の後には虹も出る          江川武村画伯(黄門様).JPG
      歩いてゆくんだしっかりと  自分の道をふみしめて

   2. 人生勇気が必要だ  くじけりゃ誰かが先に行く
      あとから来たのに追い越され  泣くのがいやならさあ歩け

   3. 人生一つのものなのさ  後には戻れぬものなのさ
      明日の日の出をいつの日も  めざしてゆこう顔上げて

   4. 人生涙と笑顔あり  そんなに悪くはないもんだ
      なんにもしないで生きるより  何かを求めて生きようよ

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瞳がほほえむから [歌詞]

今日は結婚記念日。 去年と一昨年は、「人間として生まれさせていただいた目的を!」とのスローガンに固着をしていて、私だけが自分勝手に家を空け、仏法聴聞に奔走していたため、一緒に結婚記念日を過ごすということを、いとも簡単に疎かにしていました。
でも、結婚してからの十数年を振り返ってみれば、今日までこうして生きて来られたのも、Daneと一緒に人生を歩むことが出来たからに他ならないのに・・・。
本当に私と言うヤツは、感謝も心もなければ、本心から謝罪することも出来ない・・・、自分勝手で、わがままで、傲慢で・・・、それでも頭の下がらず、一時肩を落とすだけの最低のヤツだよなぁ~と、あらためて首が前にガックリと倒れます・・・。

しかし今年は、この二年間のツケがしっかり回ってきて、療養を余儀なくする羽目に・・・。 在り難い因果ですね~。 南無阿弥陀仏
結婚記念日ということで今日は一時帰宅が許され、Daneのアパートメントでゆっくり過ごすことが許可されたと同時に、このお部屋から花火鑑賞まで出来て、ホントに特別な結婚記念日となりました。

2011.9.18 結婚記念日の花火?.JPG

夜空に咲く花火を眺めながら私が口ずさんだのは、今井美樹さんの歌う「瞳がほほえむから」

        ねぇ この世に生まれて 最初の朝に 何が見えたの?
        今、その輝きで あなただけを見つめている
        一面に咲いた菜の花の色 ほら拍手のように揺れてる
        迷った 遥かな日々 涙じゃなく力にして
        あふれる 想いを今こそ 果てなく抱きしめて

        ねぇ おぼえてますか めぐり逢いは いたずらだよね
        でも、遠い痛みも いつか愛の強さになる
        歩き出す肩にとまる光が 二人やさしさへみちびく
        感じて あたりまえの ありったけの心の声
        さわって くりかえす明日を 乗り越えてゆくのね

        うれしい あなただけが 私だけを 探していた
        見つめて ふたつの瞳に言葉はいらないの

        ほら、瞳に映る あなたが今ほほえむから

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永遠と言う名の愛 [詩]

須永博士さんの色紙を初めて目にしたのは、結婚前に母からおみやげでもらった「小さな夢の展覧会」と題した色紙でした。

     この愛が永遠につづくために    須永博士.jpg
     お互い思いやりを忘れず 生きて行こう
     お互い他の幸せも気づかい 生きて行こう
     お互いいつわりなく 生きていこう
     この愛がいつまでも幸せであるために
     決して離れず生きて行こう

この色紙は今も寝室に飾ってあるのですが、ここしばらく、洋服に埋もれて見えなくなっていました。

単身赴任による別居生活のため一人暮らしを初めて9ヶ月が経ち、明日、結婚記念日を迎えます。
私たちの場合、十数年間と、長くもなく、短くもない結婚生活ですが、それでも山あり、谷あり、いろいろなことがありました。
でも、今、彼に言いたいのは、「ありがとう」と、「これからもよろしく」の二言かな。

須永さんの詩にあるように、「この愛が永遠につづく」とは私は思っていません。
でも、「思いやり」や「気づかい」は、一方通行ではなく、平行線でもでもなく、二人で築き上げて行くべきものだと思います。 互いに努力すべきことだと思います。 出来るか、出来ないかは別ですけどね・・・

日本の離婚率は、今や年間26万件を超え、結婚した夫婦の3割は離婚に至るそうです。
時間にすると2秒に一組は離婚していると言われています。
寂しいことだとは思いますが、昔々、人類が知恵や感情を与えられた時から、人を恋し、人を恨み、人を愛しては、人を憎む・・・・・ そんな歴史をず~っと繰り返してきたのですね。


        常知らぬ 人の心の 移ろいを   我が身のこととは 思いともせず

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『風』高見 順 [詩]

大型の台風12号が接近しつつあり、いつもよりも強い風が吹いております。
私は、風の音が好きです。 もちろん、自然の脅威は恐ろしいですが、私は風の音が好きです。

昭和の初期に活躍された 高見 順 さんという小説家であり詩人である彼は、波乱万丈の人生を過ごされ、作品にも物質だけでない精神的な苦しさこそ人としての苦しみなのだということが書かれてあります。
私は、彼の「生」を身体いっぱいに感じさせる人間臭さと、それに相反しているような心の線を縫うような繊細さの描かれた作品が好きです。

窓の外の台風風を見ながら、フッと高見さんの詩を思い出しました。

                      高見 順

          風がごうごうとうなっている
          ごうごうのこの音は
          風の音か 木が風に鳴る音か
          君は分からぬというが
          僕は風の苦しみの声だとよく分かる
          風は実に苦しんでいる
          有るということの苦しさは
          生きるということと同じように苦しいのだ
          君 今この寂しい夜に目覚めている灯よ
          君も今にそれを知るのだ

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青葉城恋唄 [歌詞]

先月、夏休みを利用して今年も東北をドライブしてまいりました。
今回の旅行の第一目的は、宮城県にある父の実家へ行くことにあり、震災後、初めての訪問となりました。

旅記については、旅行記専用のBLOG(旅BLOG)にてぼちぼちと書いておりますのでそちらの方で。
こちらのBLOGでは、歌や詩、和歌や俳句、それから心を動かした言葉などを通して感じたことなどを主に書いていこうと思っております。

小学生の頃は、毎年、仙台でお盆を過ごしておりましたので、仙台は私にとっても懐かしい故郷のようなところです。 そして去年も仙台には来たのですが、七夕祭りだけを見て実家には寄りませんでした。
そして今年3月の大地震と大津波・・・・・・

実家のある七ヶ浜の港町も津波に飲まれ、おじは行方知れずに・・・
塩竃港の入江にあった親戚の家は立ち入り禁止地帯に・・・
かれこれ数十年ぶりになる帰省は、重い気持ちを引きずりながらではありましたが、遠い記憶を懐かしんだり、震災の悲惨さを見ては言葉を失ったり、何か大きなものを知らされた旅になりました。

父が故郷を懐かしむようによく聴いていた歌に、さとう宗幸の『青葉城恋唄』という曲という歌があります。 
私も仙台に近づくと、何故か自然にあのメロディーが出てきちゃうんですよね。

           『青葉城恋唄』 

   広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
   早瀬 踊る光に 揺れていた君の瞳
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 流れの岸  IMG_0508.JPG
   瀬音ゆかしき 杜の都  あの人は もういない

   七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
   夜空 輝く星に 願いをこめた君の囁き
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 七夕飾り
   葉ずれさやけき 杜の都  あの人は もういない

   青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
   樹かげ こぼれるともしびに ぬれていた君の頬
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 通りの角
   吹く風やさしき 杜の都  あの人は もういない


七ヶ浜の湾を囲むようになだらかな斜面に建っていた小さな漁村の家々は、実家から三軒下のお寺の石碑を倒した所まで津波に襲われていましたが、角の駄菓子屋さんは、もう営業はしていなかったもののまだ残っていました。
そして、昔、遊んだプライベート海水浴場には、家が建てられており、津波で崩壊していました。

「想い出」は、「想い出」という姿で帰ってきます。
また夏が来て、こうして懐かしき地に立っていると、幼い日の風景が目の中に浮かんできます。

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一応、宣言 [随筆日記]

4月から書き始めようと立ち上げたこちらのBLOGも、半年近く放っておかれてかわいそうに・・・。
書きたいことは毎日、毎日、泡のように湧き出て来るのに書くこが出来ずにいる。

病気の方は、治っているような・・・、悪くなっているような・・・、私にもドクターにもよくわからない。
でも、これら色々な症状も治癒の過程の一つだととらえて、ゆっくりでも、すこしずつでもいいから良くなっていきたいと思う。

今日から9月。
先週に引き続いて病院へはDaneに同行してもらう。 今の私の一番の理解者は、ドクターでもカウンセラーでもなく、Daneだけが頼りである。
どんな戯言でもいい、書けない時は無理せず、書ける日の書ける時に、子のBLOGを書き続けたいと思っています。

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