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しあわせな錯覚(吉田由美) [詩]

病室で過ごす時間は、個室であっても落ち着くようで、なかなか落ち着きません。
回診や点滴交換、掃除や食事での人の出入りがあったり、廊下での話し声が気になったりと、外界と隔離された四角い空間は、私の居場所でありながらも私の居場所ではなく、落ち着くようでいて落ち着かないものです。

入院中は、親友からのメールが唯一の楽しみです。 あるメールに、
「落ち着く時も落ち着かない時も、楽しい時も苦しい時も、嬉しい時も悲しい時も、いつも いつも お念仏。 “南無阿弥陀仏”を称えなさい」と教えていただきました。
でも、ついつい自分の感情に流されて忘れてしまうのです・・・・・。 本当に、私の身には添わないものだなぁ~と我ながら呆れると同時に、本当に私はお念仏を疎かに、そして粗末にしておるなぁ~ と気付かされます。

でも、そのメールを読みながら、ポロッとこぼれ出たお念仏・・・  「あっ、落としちゃった・・・!」そんな感じのお念仏ですが、あぁ、こっちからじゃなかった! あちら様(お念仏)からくっついてくだそっておった・・・ と知らされる度に、ホンの小さな幸せに包まれるのです。

昨日に引き続いて、吉田由美さんの詞を紹介します。

                    しあわせな錯覚

    なぜ今まで気付かずにいたのだろう。
    なぜ時間は過ぎ去っていくものだということを早くにキャッチしなかったのか。
    夏が永遠に続きそうに感じるのに似て、若いということに甘えきっていたのだ。
    ありのままの自分でいられる時間と場所が
    いつまでも目の前にあると錯覚していたのだ。

病室の窓は空きません。 落ち葉の数が増えて行くごとに季節は着実に進んでいるのだなぁ~ということを知るだけです。
でも、今日はいつもとは違って、「窓」という四角いスクリーンに無声機映像を見るように、風の音…、雨の音…、木々のざわめき… などを目にすることがことが出来ました。
世間さまの多大なる被害状況をまるっきり他人事に、普段はほとんど見ることのないTVにかじりついて、より凄まじい映像を楽しみにしながらチャンネルを次々に変えている自分を、恐ろしいとも思わず・・・・・・
速度を上げて去って行ってしまう台風を惜しみつつ、「あぁ・・・、時間は止まってくれないのだな・・・」ととうことを、改めて知りました。

吉田さんの言われる、「ありのままの自分でいられる時間と場所」というのは、目の前にあらず・・・。
いつも変わらず自分の中に存在しているのではないでしょうか。
それをいかに上手く誤魔化すか・・・、 それが歳をとるということであり、もう若くはないというこということでもあり、そして、いつ、我が身に死が訪れてもおかしくはない、ということなのではないでしょうか。

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