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夏旅 2009  ~ プロローグ ~ [Travel]

夫に家出の許可をもらって、今朝早くに家を出た。
久しぶりの一人旅
この夏は、南西の方角・山陰方面に行きたいと思っていたが、今、私は、北東の方角に向かう列車に乗っている。
まるで間逆…  それが、今のありのままの私なのかもしれない・・・・・・

そろそろ通勤ラッシュの時間を迎える快速電車の中、何とか座席を確保が出来たので束の間の安堵の中、持参したノートパソコンを開いた。
しかし、列車での旅は久しぶり。  二年ぶりくらいかな?
それに、青春18きっぷを利用しての一人旅は、実に今回が初挑戦、初体験となる。

「どこか遠くへ行きたい…  こうしてジッとしていたら、私はどんどん腐敗してしまう…」  
そんな思いが、おととい日曜日の夜明け前に爆発して、今回の家出となった。
そして行き先を考えた時、たった一つだけ行きたい場所が脳裏に浮かんだ。

一昨日早朝、ベッドから起き抜け早々、丸一日かけて旅の構想を練り、今、いよいよ旅のプログラムが実行に移された。
旅の始まりはいつも不思議なオーラに包まれるが、一人旅の時はそれが格別の色合いをかもし出す。
不安 、希望 、孤独 、出会い 、勇気 、恐れ 、緊張 、喜び 、発見 、感動 ・ ・ ・ ・ ・
私にとって “旅” とは何だろう?   
“運命の1ページ” …  かな?    私の“業”に遵って、たくさんの物語が生まれる。
そういえば、前回は二人旅だったけど、それは私に‘別れ’という運命を与えてくれた。
だから今回の旅では、素敵な‘出会い’という運命にめぐり合えるといいな~ぁ…。
なんてネ!

思い切って出かけてみてよかった…  少なくとも今はそう思っている。
こう見えても、やっぱり唐突の家出だったし、ほぼ無計画な決断だったので、けっこう勇気を要したのである。

モバイルエリアやバッテリー等の条件が許す限り、BLOGでスケジュールの更新くらいは出来たらいいなって思う。

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琵琶湖 ~ 烏丸半島 の 花蓮群生地 ~ [Travel]

     ひとたびも 南無阿弥陀仏と いふ人の  蓮の上に のぼらぬはなし

3019711『拾遺和歌集』 にある 空也上人 の御歌である。

滋賀県草津市の最北、琵琶湖に突き出した烏丸半島東側の赤野井湾に日本でも有数の野生の花蓮が自生している。
草津市立水生植物公園に隣接したその花蓮群生地は、13.6haの広さを持ち、一面の蓮華は、夢物語に聞くお浄土の風景を感じさせてくれる。

今年こそはぜひ見に行きたいと思いつつも、なかなかスケジュールを立てることが出来ずにいたが、今週になって唐突にその願いが叶った。
心身ともに疲れ果てていた私を見兼ねてか、御自身の体調が優れないのにもかかわらず早朝から私を連れ出してくださった優さんに、感謝と申し訳のない気持ちでいっぱいであったが、琵琶湖畔のドライブは、開け放たれた窓から吹き込む朝の風がとても気持ちよくて、少しずつ心に元気が戻ってくるようであった。

朝の6時半頃、草津市立水生植物公園に到着。 既に駐車場には多くの車がとまっていた。
蓮の花は朝6時頃に満開を迎え、昼に向かって花を閉じてしまうので、写真目的の人らは、朝の5時半頃から花見に訪れる。
駐車場から植物園の脇を抜けて琵琶湖畔へ出ると、一面の蓮の花に圧倒される。

3019710

ここの蓮は、半島の地名より烏丸産(唐洲間産・カラスマサン)と呼ばれ、1,200年程前に比叡山の高僧最澄が蓮花の名勝地であった琵琶湖岸の蓮海寺に蓮を植えられた際、近くの芦浦観音寺にも立ち寄られて堀に植えたものが、ここ烏丸半島に流れ着き群生化したのだと言い伝えられている。

数多くのカメラマンの合間を縫うように、しばらくの間私も写真撮影に没頭したが、小さなカメラしか持ってこなかったのが悔やまれた。
出来ることならまた来たい、毎年もぜひ来たいと思うほど素敵な場所だった。

   梅雨空の 晴れぬ心を 唐紅(とうべに)   染める蓮(はちす) 愛しき薫り

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天川村  ~ 洞川遊歩道 ~ [Travel]

2952942宿の駐車場に車を預けて、地図を片手に歩き出す。
最初に向かった先は、山上川(さんじょうがわ)を挟んで洞川(どろがわ)の旅館街とは対岸に位置する、大峯山龍泉寺である。
現在ここは真言宗の弥勒信仰の寺院であるが、1300年ほど前、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が泉を発見し、八大龍王尊をお祀りして水行をしたのが起源であると伝承されている。
モミの木の新緑が美しく輝く境内には、その緑を水面に映す人口の池があるが、役行者が発見した頃には、底深く青く澄みきった泉であったと伝えられている。
本堂に入って参拝していると、不自然なほどスムーズに左手のドアがスーッと開いて、薄暗い本堂に外からの光が差し込んだ。
私は誘われるようにしてそのドアより外に出てみると、右手奥・本堂裏手の崖の斜面に、人のよじ登れるそうな石段があることに気付き何気なく近づいて行く。
この時、パタンっという背後の音に振り返ってみると、私が出てきた本堂のドアが自然に閉まっていた。
これを気にすることなく、私は雑草を掻き分けながらその崖の斜面をよじ登って行った。
本堂の屋根が目の前に見えるほどの高さの斜面に立つと少し足が震えたが、視線を崖上の方に移すと、その先の斜面に等身大ほどの祠があることに気がついた。
そこへ行くには、更に足元の悪い斜面を横に移動しなければならず、私は少し考えた後、境内では愛先生が待っているだろうし… と、 迷った挙句にここで引き返すことにした。
崖から下りてくると、何故か再び本堂横手のドアが音もなく開いたので、私は「ご苦労さん!」とばかりにそのドアから本堂へと戻ると、ドアはまた自然に閉じた。
そんな不思議な偶然と発見を楽しんだ龍泉寺を後にして、次に面不動鍾乳洞へと向かった。

洞川八幡宮に立ち寄ってから、トロッコ(有料)で面不動鍾乳洞へと向かうつもりで来たが、残念ながらトロッコは週末のみの営業のようでその日は休業…、 しかたなく、私たちは自力でその坂道を登ることになった。
鍾乳洞の入り口までの急な登り坂を300mほどの上がると、洞川の町並みを一望できる高台に着いた。
景色はまずまず! しかし、熱いし疲れた…。
面不動鍾乳洞は、昭和初期に発掘された延長150mの鍾乳洞で、保存食の保管や蚕種の成育にも利用されていたようだ。  また洞内の温度は快適で、外に出るのを躊躇したほどであった。

2952944面不動鍾乳洞を出てかりがね吊橋へと向かうために、吉野杉の林立する山林へと入って行く。
山道ではあるものの、洞川遊歩道として小径ができているので山に迷い込む心配はないだろうが、部分的には案外厳しい登り坂なども存在するハイキングコースであった。

林の中はとても心地がよかった。
風の音…、 鳥の声…、 そして耳をすませば私の鼓動が聞こえる。
森の風を頬に受けて見上げれば、背の高い杉の枝葉のすきまから宇宙が覗ける。
「あぁ…、 私は 今、 感じてる…、  私は 今、生きている ・・・・・」  そう思えた。

陽が西に傾きかけても、森林の緑は自らの力で輝いていた。 若緑色の光の香りが沸き立っている。
ひと山を登って下った先に、全長120m・高さ50mの、天川村で一番長い吊橋のたもとに出た。
眼下に洞川の家々を見おろすことのできる、かりがね吊橋である。
この先の大原山展望台まで歩いて行く予定であったが、予想以上にのんびりと散策をして来たために時間と体力の余力に不安を感じて、ここでUターンし、再び大峯山龍泉寺に向かって山を下りた。

宿へ戻ってCHECK INを済ませた後、洞川温泉にゆっくりとつかりながら疲れを揉みほぐす。
客室は山上川を見下ろせる川側の角部屋で、とても落ち着いた雰囲気のきれいなお部屋だった。
夕食までのひと時を、読書などをして過ごす。  愛先生は仮眠中。
瀬音のBGMが心地よくて、窓辺にて川の風をみつめながら、フッと出てきた曲を口ずさむ。
「ここに来れてよかった・・・」と、しみじみ思った。

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天川村  ~ 大峯山・女人結界門 ~ [Travel]

「天河大辨財天社」を後にてし、昼食のために洞川(どろがわ)温泉の旅館通りにある郷土料理のお食事処にて一服。
山上川(さんじょうがわ)を見下ろすお座敷でお料理を待つ間、大きく開放された窓からは川のせせらぎと、初夏の風に揺れる対岸の大きな樹木のざわめく音を胸いっぱいに聞く。

昼食の後は、いよいよ大峯山の入り口へ。 そう…、 残念ながら女性は入山できない・・・・・
修験道場としての大峯山というのは、吉野から熊野へと続く山脈全体を指しており、修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂のある山上ヶ岳(金峯山)は、現在でも女人禁制を維持している。
洞川村の集落を抜けて大峯大橋まで車で向かう途中に、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、母・渡都岐(とつき)白専女のために建てた庵・母公堂がある。
大峯の女人禁制は、この母に由来すると伝えられる。
役行者が山深く危険な場所で修行に打ち込んでいることを心配した母が、何度もこの山に訪ね入ろうとするものの山の険しさに行く手を阻まれるが、それでもなお息子の後を追おうとする。
このままでは母の身が危険であるとして、役行者は蛇ケ谷に母の為の庵を構え、自身が時々ここを訪ねることで母も安心するだろうと建てられたのが母公堂である。
そして今後、母が自分の後を追わないようにと、役行者の母を想う心から大峯山の女人入山を禁止して結界門を建てたのが、「大峯女人禁制」の始まりであるとされている。

2951889大峯大橋のたもとに車を止めて橋を渡り、立ち並ぶ修験道者らの石碑を横目に山頂へと向かう道を進むと、すぐに女人結界門はあった。
吉野杉の林立する林の中へと続く一筋の細い道のその手前に、「從是女人結界」と書かれた大きな石柱が立てられ、その後ろに女人結界門が凛と立ちふさがる。
「何のことは無い、ただの門じゃないか…」 そうは思っても、“掟”という言葉が、心に重くのしかかる。
愛先生は、「ここの“気”はよろしくない!」と言って、先に車へ戻ってしまわれたので、私は一人、結界門の前に立ち、山頂へと続くその道の先をみつめた。
フッと気を抜けば、無意識の内にこの門をくぐって、奥へ奥へと駆け出しそうな気持ちになる。
心に何か沸き立つ念(おもい)が出かかったその時…、不意に私の顔前に一匹の虫が飛び始めて、何度手で追い払っても鬱陶しくまとわり付いて来た。
その一匹の羽虫に、心のすべてを持ち去られ、かき乱されて、私はしかたなく女人結界門に背を向けてもと来た道を戻るが、結局車に乗り込むまでその虫は私の顔前を離れようとはしなかった。
正真正銘のおじゃま虫に、気分をすっかり害された思い出が残ってしまった結果に、少々不満ぎみである。

宿へと車を走らせる途中、いくつか寄りたいスポットがあったが、ここら一帯は各箇所ごとにすべて駐車料金を請求されるのでこれが難点、 と言うことで今回は通り過ぎて、今度来た時に歩いて回ることにしよう…。

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天川村  ~ 天河大辨財天社 ~ [Travel]

帰郷、というのは変だけど、私が奈良へ行く時はいつも、しがらみや煩わしさのない故郷へ、ひとり帰るような心持ちになる。
そうは言っても、私の生い立ちに奈良は無関係だし、奈良に住んだという過去もなく、私と奈良との関わりは “私の想い” でしかない。
奈良県と言っても、私が懐かしさを感じるのは吉野・大峯近辺に集中している。

愛先生と一緒に旅行をするようになったのも奈良が縁であった。
記憶も薄らぐ回想録になってしまうが、初めて愛先生と旅行をした時のことを書いておこうと思った。

しばらく遠のいていた南大和の地に縁あって再びを訪れることが出来たのは、桜が散って新芽の芽生えた頃であった。
当初予定にしていた旅行の日が愛先生の都合でキャンセルになった時には、寝込むほどのショックを受けた私だったが、再び旅行日程が決まった時には、もちろん飛び上がるほどに嬉しかった。
しかし…、またダメになったら… 、という不安が拭えずに、愛先生との旅は複雑な心境でスタートした。
でも、このことで奈良に対する思いはますます強くなったようにも思う。

旅のスケジュールはキャンセルになる前の予定とは少し変えて、天川村と吉野村の二箇所を集中して巡ることになった。
しかし私は、「吉野村」には何度か行ったことがあっても、この旅で愛先生から「天川」という地名聞くまでを、「天川村」の存在はまったく知らないでいた。
愛先生との旅の始まりは、その「天川村」という地に引き寄せられるようにして決まったと言っても過言ではないだろう。

天川(てんかわ)村は奈良県中央部のやや南に位置した大峰の山々に囲まれた谷間の村である。
村の約4分の1が吉野熊野国立公園に指定されていて、世界遺産“大峯奥駆道”へのゲートがある。
約1300年前(奈良時代)、修験道の開祖である役行者が霊峰として崇めたのが大峯山であり、その開山以来、大峯は山岳修験道の根本道場として栄えてきた。

名古屋から4時間ほどのドライブで天川村に入り、まずは愛先生が想いを寄せていた「天河大辨財天社」へと向かった。
細い村道を進んでいくと、予想していたよりもはるかに賑やかな場所の、集落の一角に、天河大辨財天社の鳥居を見つけることができた。
天河神社は日本三辨天の一つとして数えられ、音楽や芸能の神様としても有名で、
草創は飛鳥時代にさかのぼり、多門院日記には「天川開山ハ役行者」とあり、霊山大峯の開山である役行者によってなされたことが記されている。

2951506天河大辨財天社の日当たりのよい明るく小じんまりとした境内を抜けたその奥にある本殿へと続く階段は、たかだか五十段にも満たない距離でありながら、一段一段と上がるにつれて、下界の雑音が遠のき、空気の色も変っていくように感じられた。
その階段を上りきったところに横を向いたかたちで神殿があり、その神殿・御神体の正面向かいには、神に奉納するための能の舞台が在していた。
階段下の境内が‘陽’や‘動’とするならば、この上の空間は‘陰’であり‘静’という対照的なイメージで私たちを迎えてくれた。
私たちより先に参拝をしていた二人組みの女性が、神殿に向かって、「おん そらそば ていえい そわか (帰命頂礼弁財天悉地成就)」と繰り返し唱えていた。
これは、辨財天の御真言で、「サラスバティ(弁才天)に帰命し奉る」という意味なのだそうだ。
その声を不思議な音として耳にしながら、私は神殿正面の上部より吊り下げられた鈴を見上げていた。
球体の鈴が四つ横に菱形に並べられた鈴、このような形は見たことが無く、それにこの時疑問に思ったのは、天河大辨財天に古来より伝わる神器は、三つの鈴を三角形に並べた独自の形状をしていたはずだが、どうしてこれは四つで菱形なのだろう… と、そんなことを考えながらその鈴を見上げていた。
天河神社の神器である五十鈴(いすず)は、三つの「むすひ」(霊的な働き)を表わし、
それぞれを「生産霊(いくむすび)」、「足産霊(たるむすび)」、「玉留産霊(たまとめむすび)」と言うのだそうだ。
その五十鈴を実際に目にしたいと思ったが、けっこうな金額を寄した崇敬者に対してのみ授与するものらしく、残念ながらお目にかかることはできなかった。

この神殿と向かい合わせにある能舞台では、毎年春季大祭や例大祭に京都観世界を初め幾多諸流の名士が神事能を奉納する。
これも機会があればぜひ見に来たいと思った。

しかし、神殿前のこの空気はいったい何なのだろう・・・・・
時間が止まってしまったかのように感じられるほど、‘動’の気配がない。
どことなく落ち着きながらも、フッとした瞬間に自分だけが取り残されてしまうような不安にかられる。
天河大辨財天社の神殿前には、そんな不思議な“気”があった。

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初夏の青木ヶ原樹海 [Travel]

旅行前夜にきちんと眠れたためしがなく、一昨日は1,2時間ほどしか眠れなかった。
そして旅行中は眠ってしまう時間がもったいなくって、これまたしっかりと眠ったためしがなく、昨夜も3,4時間ほどの睡眠をとっただけで夜明けを迎えた。
愛先生はまだしっかりと就寝中。 
一人で白々と空け行く湖畔の朝をぼんやりと眺めながら、今朝もまだ姿を見せぬ富士のお山を、分厚い雨雲の上に頭の中で描いてみる…。

「私は、いったい何を探しているのだろう…。 いったいどこを探せばいいのだろうか…。 
何もわからない…。 何も知らない私・・・・・・」

無常に過ぎ行く時間の中で、ゆっくりとした朝のひと時を過ごして宿を発ち、私達は西湖へと向かった。

そして、私は一人で雨上がりの青木ヶ原樹海へと足を踏み入れた。
遊歩道を離れて、道無き道を奥へ奥へと進む・・・。
まるで森の緑に引き込まれ、木漏れ日に光る苔に吸い込まれるように・・・・・
人の声の届かない場所まで来て、グルリと辺りを一周見渡すと、森の精霊たちが優しく微笑みながら「おかえり」と迎え入れてくれたようで、まるで森の懐に抱かれているように感じられた。
風の音もしない…、 ただ時折、鳥たちが歌う以外は、自分の鼓動が聞こえてくるような静かな世界。
森の精霊たちが、「さぁ、もっと奥へといらっしゃい」と言わんばかりに南西の方角を指さす。
もし、この地に一人っきりで来ていたならば、私はそれに従っていたかもしれない・・・・・
でもこの時、二、三歩進んだところで、フッと待たせている愛先生の声が心に響いて立ち止まった。
二者一択… 
私は、「また来るね!」と森の精霊たちとの別れを名残惜しみつつも、もと来た道を引き返した。
人間の気配に侵された領域に近づくにつれ、再び森の中へと引き返したくなったが、遠くに愛先生の姿をみつけて、私は樹海を背にしてまっすぐに愛先生のもとへとかけ戻った。

樹海の中には “生” があった。
これに対して、人間の生きるこの領域は、死臭に包まれている・・・・・・

青木ヶ原の樹海に後ろ髪を引かれつつも、雨上がり森林浴と木漏れ日の中、富士湖畔のドライブを楽しむ。
精進湖から本栖湖に向かう途中で、富士山七合目辺りから山頂上空にかけての雲がパックリと割れて、残雪を身に纏った美しい富士の山を望むことが出来た。
「見えた!!!」

目の前にありながも、全く見ることのできなかったものを、今はこんなにもハッキリと見ることができた。

それは、私が望んで叶ったのではなく、 また、私の力で達せられたものでも決してない。
私には、願う知恵もなければ、それを果たす力もないのだ。 
そう気付かせていただいても、溢れ出てくる我執の計らい心は止むことを知らず…
そんな自分の心にポッと咲いた‘なまんだぶつ’の御念仏の花。
こんなところにあったとは・・・・・・・

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雨の富士へ [Travel]

雨降りの早朝、愛先生を待っている私の前に一台の黒塗りの車が止まった。
スモークのかかったウィンドーが下りて運転手が顔を出す。 見知らぬ車、見知らぬ男。
「一人? 何してるの? 友達の車を探してるんだけど、一緒に探してくれない?!」
あきらかにナンパ男…。  
あまりにも安易な手口に会話をするのも億劫だったが、「彼を待っているの」と男性との待ち合わせを匂わせてみたが、それでもしつこくナンパ男が話しかけてくるので、私は無言のままにバッグより携帯を取り出して電話をかけるしぐさをすると、ナンパ男は愛想よく去って行った。
本当はすごく怖かった・・・
しばらくして愛先生の車が遠くに見えた時、ホッとひと安心。

愛先生とのドライブ小旅行。
以前、「富士山が見たい!」と言った愛先生の言葉を思い出して、行き先は富士山に決定。
それ故に、「こんな天気では富士山が見られない…」と、雨降りのお天気を愛先生はすごく残念がっていたが、私は雨でも晴れでも全然かまわなかった。
個性的だけど優しくって素敵な愛先生と一緒に、おしゃべりをしながら時間を共有できることが、私には何よりも嬉しかった。

まずは高速を下りて芦ノ湖スカイラインへと向かう。 
しかし、峠は雨雲の中。 
時折雲の切れ間から見え隠れする峠道や高原の風景と眼下には芦ノ湖を眺めながらのドライブ。
こんな日に来たのは初めてだったので、私はそれなりに新鮮で、しっとりとした静かなスカイラインでのドライブを楽しむことができた。

この後、山中湖に着く頃には、さらに雨あしも強くなり、湖岸を一周した後に早めのランチタイム。
小さなイタリアンレストランでピザとハンドメイドのケーキを美味しくいただく。
ランチの後は、忍野村を通って河口湖を周り、その湖畔にある小さな温泉旅館にCheck In。
愛先生との小旅行では、いつも私が宿さがし担当。
常に新規開拓の精神で宿を選ぶが、今回のお宿もかなりの高得点で、愛先生もご満悦! よかった~!!

ただ、本来なら客室から河口湖越しに富士山が真正面に見えるはず!なのだが、しっかり分厚い雨雲しか望めず、チョット残念だったかな?!
そんな雲に覆われた窓からの風景を眺めながら、ここで一人短連歌をひとつ。

   目の前に  あると知りつつ  富士の山   「見えぬ」と愚痴るは  ただ愚かなり  

   目の前に  あると聞きつつ  本願も   「見えぬ」と疑い  見ようともせず

   目の前に  あると信じて  探すれど   迷いの心を  見るばかりなり

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徒然なるままに… [Travel]

ドライブ中に、たまたまカーラジオから流れた、「自分探しの旅に行って来ました・・・」というパーソナリティーの言葉に、「‘自分探しの旅’って何?それ…?、 どんな旅? いったい自分の何を探すの?」って、愛先生がひっかかった。
私は、「愛先生は、自分を見失うことってないのですか? 私は旅に出なくとも、いつも自分を探しちゃっていますけど…」と、その時に受け答えた。

  徒然なるままに、日暮らし、硯にむかひて、
  心にうつりゆくよしなし事を、  そこはかとなく書きつくれば、
  あやしうこそものぐるほしけれ ・ ・ ・ ・ ・ 

言わずと知れた、兼好法師の随筆 『徒然草』 冒頭の一節である。

「徒然(つれづれ)」とは、「何かしなければ!と思って心は急くのだけれど、することがみつからずに、ただ心ばかりが虚しくて…」という意味に解され、兼好法師の「自分探し、生き方を探し」の作品であるとされている。

私のBLOG自体が、私の『徒然草』である。
『徒然草』の冒頭を自分事として訳すならば、「何かしたい!、どうにかしたい! とは思うのだけど、自分自身がわからないままに虚しくて、無常の時の流れに心ばかりが急いて落ち着くことがないので、ただ漫然とパソコンに向かって、自分の心に浮ぶままの執りとめのない思いを、ただなんとなく文字にしながら書き綴ってみると、ただ漠然と考えていた時には気が付かなかった心がアレコレと知れてきて、何とも不思議な…、時折、自分ではない何者かが書いているような言葉に教えられることするある」。

「いつも自分探しをしちゃっています…」
それがここ最近、なぜか出来ない・・・・・  と、言う訳で、BLOGの方も言葉にならず・・・・・

気分転換に旅へ出たくなった。 
行き先はどこでもよかった。
ただ、愛先生と一緒に旅がしたくて、週末の高速を東に向かって雨の中を行く。

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長谷寺の牡丹 ・ 室生寺の石楠花 [Travel]

GW初日、約束をスッポかした夫が少しは後ろめたかったのか、「どこへ行きたいの?」と聞いてきた。
心の思うままに、「奈良が好き!」と答えたのだが、「夜に用事があるから、あまり遠くへは行けない」と即答で却下され、少し不機嫌になる私。
そこで、「県外脱出」という条件で、隣県を記したあみだくじを作り、静岡、山梨、長野、岐阜、滋賀、京都、奈良、三重と書き込んで、あてずっぽうに一点を決め、その線の先をたどっていくとぉ~…、
結局、行き先は “奈良” に決定[exclamation]
奈良へは行きたい私なのだが、その決定に少し躊躇しながらも、でも、その理由を言い出せず…、「運命なんて・・・![あせあせ(飛び散る汗)]」と口にしながら、奈良 1 Day Drive の計画を進めた。
行き先は、長谷寺と室生寺の二箇所。 早朝に出れば、夕刻には十分帰って来られる距離だ。

2777330翌朝(4/30)、朝の6時半少し過ぎに家を出て、9時に長谷寺に到着。 天気は快晴[晴れ]
今回の目的は、期間限定の‘長谷寺ぼたん祭り’と、特別法話への参加。

[メモ]長谷寺は、真言宗豊山(ぶざん)派の総本山の寺院で、ご本尊は十一面観音。
686年、道明上人が天武天皇のために 「銅板法華説相図」を安置したことにはじまり、727年に、徳道上人が聖武天皇の勅願によって、ご本尊十一面観世音菩薩を祀られたのが起源と口伝されている。
GW頃に咲く、150種類以上で7,000株を超えると言われる牡丹が特に有名だが、春の桜や、秋の紅葉も大変に美しい寺院である。

早朝の為か平日の為か、観光客の数は まだ まばらだが、駐車場から入山受付へのアプローチにもボタンの花が咲き乱れており、カメラを構えつつ進むので、なかなか前へと進めない。
チケット¥500を購入して仁王門をくぐると、ゆるやかに伸びる登廊の両脇に、色とりどりの牡丹の花が出迎えてくれた。
ちょうど満開の盛りを越えたくらい(4/30現在)なので、ギリギリ いい感じである。
時間を忘れて、あっちもこっちもと牡丹の花をカメラに収め、やはり期間限定の長谷寺特別寺宝展(別途¥100)を見学していたら、アッという間に10時 五分前!
10時から催される 真言宗の特別法話に遅刻してしまう! と、長い回廊を一気に駆け上がる。
でも、階段は399段。 
そんなに生易しいものではなく、息を切らせながら歩みを進めて、法話会場へと向かう最後の坂道をヘトヘトになりながらも上りきると、そこでお坊さんに声をかけられた。
「まことに残念ではございますが…、」と、そのお坊さんに切り出されて、
「えっ? ご法話、今日は無いの? それても、もういっぱい?」と、早とちりで聞き返すと、
「いえいえ、まことに残念ではございますが…、こちらが頂上となりますので、お名残り惜しいかとは思いますが、もう上り坂はございません。 では、ご法話会場へどうぞ!」
と、すごく紛らわしい挨拶をされた。

法話会場は、普段は入場禁止となっている 弘法大師御影堂の中で開催されていて、既にご法話は始まっていた。
公聴客は七名しかおらず、解放的なお堂の中で、環境的には申し分が無かったのだが、やはり内容が・・・・・(^.^ゞ

一座目は、東京在住の自称・季節派遣労働僧のお坊さんで、お話は、「長谷の観音 振袖着せて 奈良の大仏 婿にとる」という川柳から、観音様は、男か女か? 長谷寺のご本尊(十一面観音)に振袖を着せるとしたら反物は何本必要か? などの質問形式でお話しは進められ、その結論として、女性が男性におねだりする時は、あごを少し引いて、上目遣いでお願いするといいということと、お化粧は書きにくい方から仕上げていくと上手くいくということ。
そして夫は、妻からのお願いを三回に一度はきいてあげること! これが幸せの秘訣で、腹を立てずに、時をのんびりと過ごして、心健やかに暮らしましょ~、とのお話だった。
「・・・・・ どこに御法が説かれていたんだろう???」 そんな感じ?!?!?!

二座目は、埼玉からの期間遣労働僧で、そのお話は、ご自身の経歴を長く話された後、長谷寺のご本尊である観音様は‘慈悲’をあらわし、この慈悲の心は一方通行であるとお話された。
そして、最近は慈悲の心の無い親によって子供が不幸になるという考えられない事件が多発しているが、人間は、怒りの心を抑えることで幸せになれる。
相手がどう思おうが、自分の方から一方通行に慈悲の心を向けることが幸せの秘訣であるとまとめられた。

夫はこれらの話しをいたく感動しながらフムフムと聞いていたが、私は愚痴しか出てこなかったので、これ以上は聞くまい! と、ご法話会場を後にした。
そして再び別ルートで仁王門近くまで戻って、再び別ルートで本堂まで上がり、もちろん別ルートで下山して、牡丹の長谷寺を楽しんだ。  
お昼過ぎまで長谷寺に滞在し、この後、途中でLaunch Time をとってから次は室生寺へと向かった。

2777331[メモ]室生山は、太古より神山として修行の地と崇められ、奈良時代末期に山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願の際、この聖なる山中で祈祷をしたことによって卓効が認められた為、勅命により国家の為に建立されたと伝えられている。
室生寺は、真言宗室生寺派大本山の寺院で、ご本尊は釈迦如来。
古くから女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣を許した寺として「女人高野」の別名をもつ。

1時半頃の到着となったが、シャクナゲ祭りをしている割に客は少ない。
入山料¥600を支払って境内に入ると、光り輝く新緑の紅葉の下に、3,000本の石楠花の花が、ちょうど満開を過ぎてプラス1日(4/30現在)といったところで、やさしく鮮やかな色彩を添えていた。

五重塔付近までは、ゆっくりのんびりと写真撮影をしながら歩いていたが、ここから奥の院までは、チョットばかしの覚悟が必要![たらーっ(汗)]
階段の数は、長谷寺の倍以上の720段もあり、けっこう急勾配なのだが、ここまで来て上らない手はないので頑張って歩みを進める。
休み休みしながら奥の院まで上りきると、若者はおらずほとんどが年配者で、一番疲れを見せていたのは、他でもない最年少の私だった。 まことに恐れ入ります(^.^ゞ
見晴らしが特によい訳でもないが、ここへ辿り着くまでのアプローチが美しい。

下山後、奈良に来た時は恒例の草もちを買って帰路に着く。
帰宅後は、身体も頭も疲れちゃってグータラしたい気分だったけど、夫は元気にバレーボールの練習に出かけて行った。 タフな人だ…

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