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初夏の青木ヶ原樹海 [Travel]

旅行前夜にきちんと眠れたためしがなく、一昨日は1,2時間ほどしか眠れなかった。
そして旅行中は眠ってしまう時間がもったいなくって、これまたしっかりと眠ったためしがなく、昨夜も3,4時間ほどの睡眠をとっただけで夜明けを迎えた。
愛先生はまだしっかりと就寝中。 
一人で白々と空け行く湖畔の朝をぼんやりと眺めながら、今朝もまだ姿を見せぬ富士のお山を、分厚い雨雲の上に頭の中で描いてみる…。

「私は、いったい何を探しているのだろう…。 いったいどこを探せばいいのだろうか…。 
何もわからない…。 何も知らない私・・・・・・」

無常に過ぎ行く時間の中で、ゆっくりとした朝のひと時を過ごして宿を発ち、私達は西湖へと向かった。

そして、私は一人で雨上がりの青木ヶ原樹海へと足を踏み入れた。
遊歩道を離れて、道無き道を奥へ奥へと進む・・・。
まるで森の緑に引き込まれ、木漏れ日に光る苔に吸い込まれるように・・・・・
人の声の届かない場所まで来て、グルリと辺りを一周見渡すと、森の精霊たちが優しく微笑みながら「おかえり」と迎え入れてくれたようで、まるで森の懐に抱かれているように感じられた。
風の音もしない…、 ただ時折、鳥たちが歌う以外は、自分の鼓動が聞こえてくるような静かな世界。
森の精霊たちが、「さぁ、もっと奥へといらっしゃい」と言わんばかりに南西の方角を指さす。
もし、この地に一人っきりで来ていたならば、私はそれに従っていたかもしれない・・・・・
でもこの時、二、三歩進んだところで、フッと待たせている愛先生の声が心に響いて立ち止まった。
二者一択… 
私は、「また来るね!」と森の精霊たちとの別れを名残惜しみつつも、もと来た道を引き返した。
人間の気配に侵された領域に近づくにつれ、再び森の中へと引き返したくなったが、遠くに愛先生の姿をみつけて、私は樹海を背にしてまっすぐに愛先生のもとへとかけ戻った。

樹海の中には “生” があった。
これに対して、人間の生きるこの領域は、死臭に包まれている・・・・・・

青木ヶ原の樹海に後ろ髪を引かれつつも、雨上がり森林浴と木漏れ日の中、富士湖畔のドライブを楽しむ。
精進湖から本栖湖に向かう途中で、富士山七合目辺りから山頂上空にかけての雲がパックリと割れて、残雪を身に纏った美しい富士の山を望むことが出来た。
「見えた!!!」

目の前にありながも、全く見ることのできなかったものを、今はこんなにもハッキリと見ることができた。

それは、私が望んで叶ったのではなく、 また、私の力で達せられたものでも決してない。
私には、願う知恵もなければ、それを果たす力もないのだ。 
そう気付かせていただいても、溢れ出てくる我執の計らい心は止むことを知らず…
そんな自分の心にポッと咲いた‘なまんだぶつ’の御念仏の花。
こんなところにあったとは・・・・・・・

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