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2009年2月9日(月) カトマンズ ( ダルバール広場 Ⅱ) [アジア]

「パサンタブル広場」から「ダルバール広場」に戻って「ナラヤン寺院」へ。
「トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院」は、1690年に建てられた5段の基壇の上に建つ3層の寺院で、北隣の「シヴァ寺院」にそっくりな弟分のような寺院であるが、こちらはヴィシュヌ神(様々なものに変化する神)を祀っているヒンドゥー寺院である。
Mainとなるのは建物の西正面にある石像で、寺院に向かって両手を合わせながら跪いた姿の「ガルーダ像」である。
「ガルーダ」とは、インド神話に登場する神鳥だが、ヒンドゥー教では神の乗り物となる半人半鳥の神様で、ネパール紙幣にもガルーダに乗ったヴィシュヌ神の石像が描かれている。

2630167「ダルバール広場(旧王宮広場)」は生活居住区の中にあるので、観光客以外にもたくさんの現地人や行き交う車などで賑わっていて、仕事中の人、ただボーっとする人、仲むつまじい恋人たち、学校帰りの子供たちなども、「ダルバール広場」の風景の一部を担っている。

「シヴァ寺院」の基壇の最下段(一段目)には、寺院の神々にそなえるたくさんの花が売られていたが、花と言っても大半は[かわいい]マリーゴールドで、 でもこの量・・・、いったいどこで栽培されているのだろうか?
その他にも、御供え物を乗せる器を作っている人や、野菜や木の実などを売っている人、また裏の通りでは基壇を飯台にして炊事をしている人もいた。
また世界遺産になっている宿坊跡の中にもお店が点在していて、民芸品や燻製魚などが売られていた。

2630168ここを15分で見学しろという方が間違い[exclamation] 絶対無謀[exclamation×2] スゴイ酷[exclamation×2][exclamation]
アッという間にTime OUTとなり、集合場所である、「ガディ・バイカ」の前に向かう。
「クマリの館」の正面にあるヨーロッパ様式の白く大きな建物「ガディ・バイカ」は、1908年に王宮の一部として造られた建物であり、周囲の建造物とはまったく違うアクセントになっている。
集合場所にはMemberの他に、「サドゥ」と呼ばれるいで立ちのおじさんもいて、「写真を撮れ」と無言でジェスチャーをしてくる。(一緒に撮ったらスゴイ金額を請求されると聞いて、隠し撮りに成功)
「サドゥ」には、「出家修行者」、「遊行僧」、「乞食行者」、「観光サドゥ」など幅広くいるが、このサドゥはどう見ても「観光サドゥ」だな[演劇]

「ダルバール広場」の北、旧王宮への入り口付近にも大小多数の寺院がある。
Memberはそちらの方に移動して、この内の2,3ヶ所のみについて説明を受けた。

1563年に建てられた「ジャガンナート寺院」は、この広場最古の建物である。
屋根を支える柱の一本一本に異なった女神の彫刻が施され、その足元をよ~くみると、実にリアルな男女の[ムード]チョメチョメが彫られていた。
これら「ミトゥナ(男女交合)像」は、ヒンドゥー教の「タントリズム(神との一体化)」を表現した宗教的偶像で、男性原理と女性原理の2種が交わることで神の力を得ることができる」という9~12世紀のインド哲学からきている。

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「ジャガンナート寺院」近くに「ハヌマン・ドカ(旧王宮)」への入場Gateがあるが、今回は見学叶わず・・・
「ハヌマン・ドカ(旧王宮)」は、1672年にジャヤ・プラタプ・マッラ王が建立した王宮で、1886年まで王家が居住していたが、2008年5月に王政が廃止されて以降利用目的がなくなり、ただ見学のみの場となった。
旧王宮の扉はゴールドに塗られ、その淵にはブルーの下地にヒンドゥー教の神々やブッダの目などが色彩豊かに描かれていてはいるものの、王宮の正門にしては質素なだなぁと思った。
扉の前、左右両脇にはヴィシュヌの化身である2頭のライオン像・・・、とは聞いても、とてもライオンには見えず、どう見てもブタ犬ちゃんと言った感じの像が入り口を守っている。
その入り口の衛兵の脇からチラリと中をのぞくと、中庭を囲んだ「チョーク(ロの字型に建つ建物)」と呼ばれる建物の一部が見えた。

そして門(ドガ)に向かって左脇には、「ハヌマン・ドカ」と呼ばれる由来となった「ハヌマーン(猿神)」が鎮座している。
この真っ赤な衣装をまとったハヌマーン像は、1672年にマッラ王朝のプラタップ・マッラ王によって作られものであり、「ハヌマーン」とはヒンドゥー教の猿の神様、「ドカ」とはネパ-ル語で「門」のことをいい、「ハヌマーン像のある門」というの意味で、この王宮付近を「ハヌマン・ドカ」と呼ぶようになったそうだ。
もともと「ハヌマーン」とは、ヒンドゥー教の聖典ともなっている叙事詩『ラーマーヤナ』の英雄で戦闘の神として崇められたヴァナラ(猿族)の1人であり、これが中国に伝わって、『西遊記』の孫悟空のモデルになったとの説もある。
個人的に、飛騨に伝わる「さるぼぼ」も、ここが起源かも・・・、な~んて思った。

「ハヌマン・ドカ(旧王宮)」に隣接して「タレジュ寺院」が聳えている。
「タレジュ寺院」は、1549年にマヘンドラ・マッラ王によって建てられ、12段ある基壇の上に建つ3層構造(高さが36.6m)の典型的なネワール様式寺院で、マッラ朝王家の守り神である「タレジュー女神(ドゥルガ)」が祀られている。

御本尊であるタレジュー女神の部屋には王族しか入れず、一般のヒンズー教徒に開放されるのは年に1度の「ダサイン祭り」の当日限りなのだそうだ。

また、「シヴァ・パールバティ寺院」の裏には、1797年にラナ・バハドゥール王によって作られた「タレジュ・ベル」の大釣鐘があり、この鐘の音は悪霊を取り払うと伝えられ、「タレジュ寺院」でのセレモニーがある時に鳴らされるそうだ。

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