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2009年2月5日(木) ヴァーラーナスィ ( ガンジス河 ① ) [アジア]

A.M.4:30起床、 手早くシャワーを浴びて身支度を整える。
A.M.5:30出発、 今日は楽しみにしていたガンジス河からのご来光だ。

「ガンジス」は日本語読みであり、正式には、「ガンガー・Gangā」といい、ヒンドゥー教に伝わる女神の名からきているそうだ。
また仏典では、恒河(こうが)と記し、ガンジス川の砂という意味の“恒河沙(ごうがしゃ)”というは、数の単位の一つになっている。
ガンガー河は、ヒマラヤ山脈の南麓ガンゴートリー氷河を水源とし、ベンガル湾へと流れ込む全長2,506kmの大河である。
ここヴァーラーナスィを流れるガンガー河は、インド全人口の約80%を占めるといわれるヒンドゥー教徒が、一生に一度は訪れたいと願う聖地である。
なぜヴァーラーナスィなのか?
それは、インドの北から南へと流れているガンガー河が、ここヴァーラーナスィでは唯一、南から北へと河の流れが向くそうで、下から上、つまり“天へ昇る”という意味から聖地として崇められるようになったのだそうだ。
その為、毎年100万人を超えるヒンドゥー教徒が転生を信じて巡礼に訪れ、来世での幸せを願い、現世の罪を聖なる河ガンガーで洗い流す為に沐浴をするのだという。
また、聖なるガンガーの河畔で火葬に付し、その灰を母なる河ガンガーに流すことは、死者に対する最大の敬意とされる為、生者も死者も、ここを訪れる者は後を絶たないのだという。

2570843Hotelからバスで15分ほどの、ガンガー河畔に近い街の中でバスを降りた。
まだ辺りは暗く、人もそれほど多くはないが、バスを降りるとすぐに仏花売りが近寄って来てさっそく商売を始めた。
夜明け前の街角には牛達もまだ就寝中で、そんな都会の牛たちを横目で見ながらガンガー河へと向かって歩いていくと、OPENしている店も増えだし、徐々に賑わいの中へと入っていった。
10分程歩いた所でチャイをいただく店先のベンチに座る。
その店の青年なのか、それとも客なのかわからないが、誘われるままにその店の中へと入っていくと、チャイを作っているのを見せてくれた。
大きな七輪のような火鉢に炭を焚いて、その上に使い古されたナベを地下に乗っけて、ミルクを温め砂糖やシナモンなどのスパイスを適当に加え、最後に茶葉を放り込み、それを網でこしたものをヤカンに入れてから、素焼きのカップに注いで配ってくれた。
温かくて、とても美味しかった。
チャイを飲んでいると、今度は隣りの店のお客に声をかけられてヒョコヒョコとついて行くと、生ゴミのような葉っぱに缶詰のDogfoodのようなものを巻いて、それを食べて見せてくれた。
「それって食べ物?」 と聞くと、 「美味しいよ!」 って笑顔でジェスチャーをされた。
でも・・・・・ 私は絶対に食べたくない!

Guideのジャマールさんに促されて、私たちが再びガンガー河へと歩き出すと、先ほどチャイを飲んだお店で声をかけてくれた二人の青年も一緒について来た。
「何で一緒に来るの?」って聞いたら、「かわいいね」って言われて、英語が通じないのかな~と思ったら、この二人、私たちの乗る船の船頭さんだった。

暗闇の中にガンガー河が見えた。
ガンガーのガート(河岸沿いにある階段状になった石段)の一部のような階段を下ると、その中央の手すりの脇には物もらいたちが上から下へと一列に並んで座っていた。
この人たちは、来世の幸せを願って沐浴をする余裕すらもなく、今を生き延びることに必死なのだと思うと、まっすぐに見ることができなかった。

2570844ガンガー河よりヒンドゥー教徒の沐浴と日の出を見るために、私たちは一艘のBoatでガンガー河の沖に出た。
辺りはまだ暗く、岸の明かりがとても美しく輝いていた。
そういえば、ここヴァーラーナスィはお釈迦様の時代、「カーシー」という名で呼ばれ、「光の都」という意味だと本に書いてあったことを思い出して、なるほど、光り煌めく水の都だな~と思った。

乗船した時に手渡された灯篭、乾した葉っぱで作られた直径10~15cmほどの小さな皿の上に花びらを敷き、小さなロウソクを載せたものをガンガーへと流した。
死者への弔いかな~ぁ・・・・・   きれいだったけど、何となく切なかった・・・

船上ではまだ薄暗い中、Guideのジャマールさんが何やら説明をしているが、ガンガーの雰囲気に圧倒され、興奮している私にはその声は届かない。
次第に薄れゆく闇と、徐々にそのすがたを表わし始めたガンガー河から見るヴァーラーナスィの街に、時は一刻として留まることはないのだということをハッキリと知らされる。

2570848

ガンガー河の西岸に建ち並ぶ屋敷は、かつての王族や富豪の別荘だったというが、私が昨日まで目にしてきたインドの風景とはあきらかに異なり、ここインドの歴史的文明の一端を垣間見ることが出来た。
その西岸にのびたガートでは、沐浴をする者、洗濯をする者、ヨーガをする者、散歩をする者、瞑想にふける者、皆それぞに、それぞの朝を迎えた街がそこにあった。

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