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2009年2月3日(火) ラージギル ( 王舎城の悲劇 / 七重の牢獄跡 ) [アジア]

2558131ジーヴァカの住居・果樹園跡の西に、ビンビサーラ(頻婆娑羅・びんばしゃら)王が、息子のアジャータシャトル(阿闍世・アジャセ)によって幽閉された、七重の牢獄跡がある。
現在は約70m四方の低い土壁が残っているのみである。

15歳にして父王ボーディサの跡を継いでマガダ国の王となったビンビサーラ王は、首都ラージャグリハ(王舎城)の造営と国内改革を推し進めて国力を強大化させ、八万の村落を支配し、東インドに強力な勢力を形成したと伝えられる。
そのマガタ国と競合関係にあったコーサラ国によって征服されていた釈迦族の王(お釈迦様の父王)浄飯王(じょうぼんのう)より、「ゴータマ・シッダルタ王子(お釈迦様)に、カピラ城へ帰城するように勧めてくれ」と依頼されたビンビサーラ王は、コーサラ国の内部撹乱を目的としてお釈迦様に出家を思いとどまるよう説得したものの、お釈迦様はこの申し出を拒絶された。
お釈迦様の強い決意にビンビサーラ王もこれをあきらめ、代わりに「お釈迦様が成道して仏と成られた暁には、必ず私を導いて下さい」との約束を交わし、この後ビンビサーラ王はお釈迦様に深く帰依し、お釈迦様もこの約束を果たされたと伝えられる。

このビンビサーラ王が後に、息子のアジャータシャトルによって餓死させられたというお話しは、『王舎城の悲劇』といわれ数々の仏典に説かれているが、浄土真宗では『仏説無量寿経』によって深く浸透している。
また、善導大師の書かれた『観無量寿経疏』にも『王舎城の悲劇』が記されている。

『王舎城の悲劇』
『観経疏』には、マガダ国のビンビサーラ王とその妃ヴァイデーヒー(韋提希・いだいけ)には長く子供に恵まれず、年老いた王夫妻が占師より、「毘富羅山(ヴィプラ)に住む仙人が死んでから三年後に夫人は王子をみごもるであろう」との言葉を受けて、その三年を待ちきれなかった王夫妻が仙人を殺害した後に身ごもったのが、アジャータシャトル王子であったと説かれている。
そしてその仙人が死ぬ間際に、「呪ってやる~」と言い残したという記述もあるが、実際には、『涅槃経』以外の経典に仙人殺害の記述はない。

『観無量寿経』には、以下のように説かれてある。
マガダ国のビンビサーラ王とその妃ヴァイデーヒーとの間に生まれたアジャータシャトル王子は、デーヴァダッタ(提婆達多・だいばだった)という悪友にそそのかされ、父ビンビサーラ王を捕えて七重の牢獄に閉じこめ、誰一人としてそこに近づくことを許さなかった。
しかし、ヴァイデーヒー王妃は夫ビンビサーラ王を気遣って、自らの身体に小麦粉に酥蜜をまぜたものを塗り、胸飾りにはぶどうの汁を詰めて、密かに王のもとへと運び、ビンビサーラ王はこれを食べ、水で口をすすぐと、耆闍崛山の方に向かって合掌をし、「 どうか親友の目連尊者をお遣わしになり、八斎戒(仏教の八つの戒律)をお授け下さい」と、お釈迦様に願った。
これを受けた目連尊者は、神通力によってビンビサーラ王のもとへ行き、毎日のように王に八斎戒を授け、またお釈迦様は、富楼那尊者を遣わして、王のために説法をさせた。
そして三週間が過ぎた頃、アジャータシャトルが牢獄の門番に「父王はまだ生きているか」と尋ねた。
門番は、「母妃が差し入れる食べ物によって王様はまだ生きておられます。
また、目連尊者や富楼那尊者が神通力により空から来て、王様に説法をしております」と答えた。
アジャータシャトルはこれを聞いて母妃に怒り、「 母は罪人だ。 また術を使って悪王に味方をする仏弟子も悪人だ」と言って剣をとり、母妃ヴァイデーヒーを殺害しようとした。
この時、月光大臣とジーヴァカ(耆婆)がアジャータシャトルに言った。
「『毘陀論経』には、父王を殺害して王位に就いた者は一万八千人にも及ぶが、母を殺害するという非道な行いをするなど前代未聞。
今、アジャータシャトル王が母妃を殺害なさるは王族の恥であり、我らもこの職を辞退します」と。
これを聞いたアジャータシャトルは剣を捨て、母妃を殺害することは思いとどまり、母妃を王宮深くに閉じこめて、一歩も外へ出られぬようにした。
悲しみに憔悴しきったヴァイデーヒー妃は、遠く耆闍崛山に向かって、お釈迦様に申し上げた。
「お釈迦様、どうか目連尊者と阿難尊者をわたしのもとへお遣わし下さい」と。
(この時、お釈迦様は霊鷲山にて一万二千人の前で『法華経』を説いておられたが、ヴァイデーヒー妃の声を聞き、これを中断されて座を立たれた。)
ヴァイデーヒー妃が涙ながらに遠く耆闍崛山におられるお釈迦様に向かって礼拝すると、まだその頭を上げないうちにお釈迦様は目連尊者と阿難尊者を王宮に向かわせ、お釈迦様自身も耆闍崛山から姿を消し、王宮にお出ましになったのである。
ヴァイデーヒー妃が頭を上げた時、そこにはお釈迦様のお姿があり、そのお姿を仰ぎ見たヴァイデーヒー妃は、お釈迦様の足もとに身を投げ、声をあげて泣きくずれた。
そしてお釈迦様に、「わたしは何の罪でこのような悪い子を生んだのしょうか。 お釈迦様もどういった因縁で、わが子をそそのかしたデーヴァダッタなどと親族であられるのでしょうか」と詰め寄った。
ヴァイデーヒー妃が、「どうかお釈迦様、このわたしに清らかな世界をお見せください」
と願うと、お釈迦様は眉間の白毫から光を放たれ、ヴァイデーヒー妃に、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至の二菩薩を観想する13の観法“十三観”と、極楽世界に往生する者を「上品上生」から「下品下生」の“九品” に分けて説かれていった。
ヴァイデーヒー妃は五百人の侍女とともにその教えを聞いて、たちまち極楽世界の広長な光景見てこれを心から喜び、これまでにはない尊さに悟りを求める心を起して、その国に生れたいと願った。
そして最後にお釈迦様は阿難尊者に向って、「無量寿仏の御名を、常に心にとどめ続けよ。」と説かれたのである。

これが、『仏説観無量寿経』に説かれた『王舎城の悲劇』のあらすじである。
ここに登場するデーヴァダッタ(提婆達多・だいばだった)についてもふれておきたい。

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