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2009年2月3日(火) ラージギル ( 霊鷲山 ) [アジア]

A.M.4:30 起床   
寝不足からか、洗顔の途中に鼻血ブ~子になってしまい、化粧ができない。
A.M.5:30 Hotel出発
まだ明けぬ夜闇の中を15分ほどバスで走り、霊鷲山の登山口でバスを降りる。
思ったよりも寒くはないが、なかなか止まらない鼻血を、ティッシュで作った鼻栓で抑える我が姿に、多少なりとも乙女心は傷ついた。[失恋]
登山口には駕籠が一台と痩せた二人の駕籠かきが待機していた。 
昨日、王舎城跡でコケて腰痛を患ってしまったMRさんが、昨日のうちに頼んでおいた、“他力”?による霊鷲山登頂の為の駕籠である。
みんな面白がって写真を撮っているが、当のMRさんはとても恥ずかしそうにしていた。
各自懐中電灯の明かりを頼りに、整備されたレンガ敷きの登山道を、各々のペースで登っていく。
意外にもMRさんを乗せた駕籠のペースは速く、結局ついて行くことが出来なかった。
私はGroupの先頭を、現地の警備隊の二人と共に、牛糞を避けながら登って行った。
2555310少しずつ闇が白んでゆく。
登り始めて15分、東の空が紫色からほんのり赤く色付いてきて、その朝焼け を背に、目指す山頂がくっきりとそのシルエットを浮かび上がらせている。
霊山(りょうぜん)橋を渡ったところで見上げた山頂には、 ‘タルチョ’とよばれ るチベット仏教の旗が、至る所になびいているのが見えた。
そこから更に5.6分、乱れた息を整えるようにゆっくりと歩みを進めて、 “鷲の峰”の由来となった岩峰を右手越しに最後の階段を登り切った所が第三峰とよばれる山頂である。

霊鷲山(りょうじゅせん・グリドラクータ)
別名を耆闍崛山(ぎじゃくっせん)とも言われるその名の由来は、山頂の形状が鷲の頭のような形をしているからとか、あるいは山上に霊鷲が多いなどの説により、ギッジャ(ハゲワシの意)と名づけられた。
『大無量寿経』や『法華経』が説かれた場所として知られ、特に真宗念仏者にとっては、最大の聖地の一つとなっている。

マガタ国のビンビサーラ王が聞法の為に、霊鷲山の尾根より峰にいたるまで、谷を渡し、岩を刻んで階段を作ったその道は、幅約6m、長さ約1,500mを石で敷き詰めた、通称 ビンビサーラ・ロードとよばれている。
また、山頂手前の北面に折り重なった巨石の間にできた二つの洞穴では、お釈迦様のお弟子であられるアーナンダ(阿難陀)尊者とサーリプッタ(舎利弗)尊者が、そして南面の洞穴ではお釈迦様は瞑想されたのだと伝えられている。
霊鷲山の山頂には、お釈迦様の香堂があったとされ、現在は四畳半程のスペースを高さ50cm位のレンガの壁で囲ったその中央奥に、簡素の祭壇が設置されている。
2555318登頂したMemberに次々と、見知らぬインド人より花火のように長い線香が手渡され、近くの蝋燭より香をつけた者から順に、中央の祭壇へと案内された。
しかし、先に参拝を済ませたMemberの数人が何やら不服そうにざわめいている。
どうやら高額の御賽銭を請求されたとのこと。
私もいくら出せばいいのかわからず、身近な人に聞いてみたのだが、「御賽銭だからいくらでもいいよ」と言われて手持ちのルピーを用意した。
しかし祭壇の前まで行くと待ち構えていたインド人に、「ルピーではダメ!五千円、五千円」と言われて、差し出したルピーをつき返されてしまった。
ムッとした。
私は合掌もそこそこに、差し出したルピーをおいたまま座を立った。
そして御参りを済ませたMemberの数人にいくら出したか聞いてみると、言われるままに五千円を出した方もいるし、一万円を請求された方もいた。
ある人は何の苦も無く、「私は日本から準備してきているから」といって、祝儀袋に入れた御賽銭を祭壇に差し出された方もいた。
御賽銭って何なの?  これって商売? 
今日から巡礼する仏跡すべてで、五千円、一万円と請求されるのだろうか…?
私の心は、もう参拝どころではなくなっていた。
五千円を出し渋った卑しい心と、お金を請求されて腹を立てた怒りの心が、体中に毒を巡らせているようで、すごく憂鬱な気分になってしまった。

この後、その祭壇の前に座ってMember全員でお勤めをした。
読経も上の空で、自分の醜い心に囚われて、それ以外、何も考えられなかった。
お勤めが終わる頃、東の空の雲間から赤い太陽がゆっくりとその姿を現し始めた。
きれいだった。
言葉が出ないほど美しいと思った。
でも、私の醜い心はチットも洗われないし、少しも晴れない・・・・・
それがとても悲しかった・・・・・
私は、そんな自分の心に背を向けて、夢中でカメラのシャッターを切ったが、ご来光は、私の心まで届いてはくれなかった・・・・・
2555328

霊鷲山より西に見下ろした雑林が、マガダ国の首都・旧王舎城のあった場所とされている。
旧王舎城は、ここギッジャクータ(霊鷲山)と、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープラ(廣普山)、パンダヴァ(白善山)の五山にかこまれ、その尾根に城壁を張り巡らせて、地形を利用した堅固な城塞都市となっている。
すっかり陽は昇ったが、旧王舎城のあった密林には、まだうっすらと霧が立ち込み静寂な朝の空気に包まれていた。

山頂には1時間ちかく滞在して、再び登って来た道を戻る。
下山途中、朝食の木の実をほおばる野生の猿と遭遇したり、どこから来たのか、山頂を目指してのそりのそりと登っていく数頭の牛たちとすれ違ったり、のどかな朝の光景に心も軽くなった。
しかし、半分ほど下ったところで待ち構えていた物売りの集団にしつこく詰め寄られ、せっかくの気分も害されてしまう。
「いらない!」、「邪魔!」、「どいて!」 などと、口にしたくない言葉で物売りを蹴散らすことが、自己嫌悪となって自分に返ってくるのがイヤで、足早に山を下った。

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