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‘メール’という手段の会話 [随筆日記]

メールというは、相手とつながっているようでいて、実はぜんぜんそうではないと思うのです。
言葉にしても同様、会話をしていればお互いの気持ちが通じ合っているかといえば、やはりそうではなくて…。

例えば、電話をかけた時、相手が電話口に出なければ、「留守なのかな? きっと、今は電話に出られる状態ではないのだな」との予見が出来ますが、メールでは、それすらも出来ません。
何時間も、何日も、相手から返事が来なければ、「どうして返事をしてくれないのだろう・・・・・」 と、自分の不安ばかりを思案して、相手の状況よりも、相手の気持ちを勘ぐってしまいます・・・・・・。
お互いがそうだと思うのです。
でも、自分のことは棚にあげて、相手の心持ちばかりを勝手に思案して、勝手に結論付けて…、 そして自分の考えは確かとばかりに、腹をたてたり、泣いたりと…、 露骨に迷っている私というものを見せられますね…。

直接会って会話をすれば、心の中まで覗くことが出来ないにしろ、相手の状況は見た目で判断が出来ますので、お互いにある程度は言葉を選んで話すことが出来るでしょう…。
でも、電話での会話では、相手の状況を知り得るのは、これを直接本人に尋ねるか、相手の声の調子から判断するしかありません。  それでも、メールよりはちゃんと会話になりますよね。
メールは、常に一方通行です。
相手に状況を尋ねたとしても、これに返事がなければこちら勝手に思案するしかありません…。
メールというものは、BLOGや掲示板とは違って、やはり会話の一手段として使うものなので、相手からの返事がなければ会話としては成り立ちません。
でも、たとえ返事があったとしても、それをお互いがお互いにどこまで深く読み取ることが出来るでしょうか…。

親しい間柄でのメールは、用件だけではなくどうしても自分の気持ちをその内容に含めてしまいますし、自分の思いを伝えるのが会話だと思うのです。 
ところが最近、それをとがめられたことで、メールで語ることが出来なくなってしまいました。
でも本当は、伝えなければ伝わらないんですよね、いつまでたっても・・・・・

「言葉」というのは、メールに限らず、受け取る側の都合によって種々に変化をしていきます。
本来ならば、直接会って話すことを「会話」というのでしょう。
その会話を電話でする場合は、お互いが発するその言葉だけではなく、声の調子からもお互いがお互いに、自分の思いを伝え合い、読み取り合うことが出来るでしょう。
それすらも出来ないメールでは、本来ならば事細かに自分の思いを文字(言葉)に代えて相手に伝えるということが大切なのではないでしょうか…。
たとえば、「○○ だよ」 という言葉尻ひとつをとっても、 「○○ だよ(^^)v」 「○○ だよ!(・へ・)」 「○○ だよ~(T_T)」 「○○ だよ♪(^◇^)」 「○○ だよ!(;一_一)」 という感覚は、文字では伝えにくいものです。

会話と言うのは、一人では成り立ちません。
メールを会話の一手段として使う場合は、直接言葉を交わす以上にお互いがお互いを配慮することが大切なのではないでしょうか。
発する側も、受け取る側も、お互いが生身の人間なのです。 
その人間同士のコミュニケーションの手段として会話というものが存在するのですから!
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