SSブログ

今、生きているということ [心]

「 生きているということ  いま生きているということ 」 
という書き出しで始まる、谷川俊太郎氏の 『生きる』 という詩を、数日前に偶然目にした。

そして先週末の支部法座ではOG先生が、「‘生きている実感’というのを表現するとしたら、どのように答えられますか?」と質問をされた時、私はこの詩のことをフッと思い浮かべた。
OG先生は、「五感に触れる感覚を通して‘生きている実感’というのを感じられたとしても、‘生きている’とハッキリと実感できるものはなく、どこかぼんやりとしてしまうのではないだろうか…」 と、話された。
この詩には作者の谷川氏が、「生きている」と実感できた瞬間のいくつかが、「生きているということ いま生きているということ」 という頭出しの繰り返しで、五段に分けて書きつづられている。

  生きているということ  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木漏れ日がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみをすること
  あなたと手をつなぐこと   

というのが一段目。  そして、二段目の〆には、こんな言葉がある。

  すべての美しいものに出会うということ
  そして かくされた悪を注意深くこばむこと

「隠された悪」、これを 「注意深く拒むこと」 。 それが、「今、生きているということ」。
なるほど、なるほど、と 私なりに納得!!
自分にとって都合の良いものだけを求め、都合の悪いものはことごとく拒み、そうして自分自身を守り抜く。
それが、 生きているということ、 いま 生きているということ ・・・
そうしなければこの世を生き抜くことは出来ないし、生きている限りはこの世の幸せを求めたいものね…
でも、それだけでいいの? それが ‘生きている’ということなの? 
何か納得できないものが、私の胸の奥で深く突っかかった・・・・・

  生きているということ  いま生きているということ
  泣けるということ  笑えるということ

云々と、詩はまだ続く。 
そして四段目の最後の一文で、 あぁ、これが引っかかっているのだと感じた…。

  いま  いまが  すぎてゆくこと

今、今、今、今、という “今” の点が継続する途上に、常に動き続ける “今” がある。
一瞬で “過去” の産物になってしまう “今” と、 一瞬で “未来” へと転換する “今” の表裏した “今” が、「過ぎて行ったと自覚できる間」 は、確かに 「今を生きているということ」 になるのかもしれない…。
“今” は、決して掴み取ることができない・・・・・  
大切なのは、未来でも過去でもなく、現在進行の “今の私” を知.ることなのかもしれないと、ただ漠然とそう思った・・・・・
でも私は、自身でPickupした優しく温かい過去の想い出に依存し、美しく輝ける未来を夢見るばかりで、“今” を 生きていないのではないか… と、感じることが多々ある。
フッとした瞬間に、自分自身を必死になって守り抜こうと苦悩している自分の姿を垣間見た時、「私って、何のために生きているの?」って自問自答する・・・・・・

  生きているということ  いま生きているということ

と、再び繰り返されたこの詩の五段目、最後の言葉には、

  人は、愛するということ
  あなたの手のぬくみ  命ということ

という言葉で締めくくられている。 
そうだね・・・・・  愛を求めて生きさまよい続け、それによって悩み苦しんだ挙句、結局はその何もかもを火宅無常のこの世界に捨て置き、この手のぬくみ、この命の灯が消えた時には独り行かねばならない世界がある。
これを身に置かずして、、‘生きている実感’だけを追い求めたとて、果たして‘生きている’意味があるのだろうか・・・・・・
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。