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僕がそばにいるよ [歌詞]

昨夜、長い間かかった大きなお仕事が一つ終わりました。
そして今日、前々から検案だった面倒な仕事が一歩前進し、今は、期末テストが終わった時のようなホッとした楽な気持ちでいます。
あぁ~、やっと春が来たのかな? 春を楽しめる気持ちに、チョッとだけ近づいて来た感じです。

この冬は、私にとって寒く厳く辛い冬でありました。 去年と同じくらい・・・? いいえ、それ以上に・・・
今も寒さは残っていますが、たくさんの人のあたたかさに包まれながら、少しずつ春を迎えています。
ほら! 桜の花も咲き始めました。 まだ、チラホラとですが、確かに春は来ているのですね。

3.11 なばなの里・桜.JPG

桜を歌詞に用いた曲で、今、とても想い出深いのは、河口恭吾さんが作詞・作曲された『桜』です。

           僕がそばにいるよ 君を笑わせるから
           桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう

           僕がそばにいるよ 君を笑わせるから
           空のない街抜け出し 虹を探しに行こう
        
           いつもそばにいるよ 君を笑わせるから
           やわらかな風に吹かれ 
           君と歩いていこう 君と歩いていこう

           君がいる 君がいる いつもそばにいるよ

結局、ず~っとそばにもいてもらうだなんてことは出来ないし、いつも笑わせてもらえることなんて不可能な話なのですが、それでも、「いつも一緒にいよう、僕が君のそばにいるよ」、「君の笑顔が僕の幸せなんだ」、「僕がそばにいるから、二人で歩いて行こう」、なんて・・・・・・
そう言ってもらえた時は、たとえそれが儚い夢のようなものだと知りつつも、それでも嬉しかったです。
でも、夢は覚めちゃうんですよね・・・・・・
私はまだ夢の中に居たかったのに・・・・・・


ただいま [随筆日記]

生きるって、難しいです。

人は、自分にとって大切な人であればあるほど、
自分の思い通りにしようとします。

人のBLOGなどを読んで、愚痴をボロボロと言ってくるのも、
その人を大切に思っているから・・・?
私は、そうは思いません・・・。 思えません・・・。

BLOGを読んだ感想をお聞かせいただけるのは、とても嬉しいことです。
それが、肯定であれ、否定であれ、また、時には厳しいご指導であっても、
それはそれなりに有り難いことであります。

だけど、BLOGにこう書いてあるから、君の思いはこうなんだと決めつけられ、
その意見を受け入れないから君はダメなんだと人格も否定され、
完全否定されるのが当然の君だとまで言われ・・・

でも・・・、それを、「ハイ」と受けられるほど、
私は強くはありません。

BLOGの引っ越し先

久しぶりにこちらのBLOGに来てみましたが、 なんか・・・、ありがとうございますm(__)mです[揺れるハート]

BLOGの引っ越し先をCLOSEにしている意味がなくなっちゃいましてね[たらーっ(汗)] それでご連絡です。

今は、[かわいい] 蓮華の薫るこの庭で [かわいい] というBLOGをメインに書いておりますので、興味のございます方は、ぜひ覗いてやってくださいませ[わーい(嬉しい顔)]
                http://aa-mujyou.blog.so-net.ne.jp/

Dreaming of home and mother <旅愁(りょしゅう)> [歌詞]

    1  更け行く秋の夜 旅の空の
       わびしき思いに 一人悩む
       こいしや故郷(ふるさと) 懐かし父母(ちちはは)
       夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
       更け行く秋の夜 旅の空の
       わびしき思いに 一人悩む

    2  窓うつ嵐に 夢も破れ
       遥(はる)けき彼方に こころ迷う
       こいしや故郷 懐かし父母
       思いに浮かぶは 杜(もり)の梢(こずえ)
       窓うつ嵐に 夢も破れ
       遥けき彼方に こころ迷う

アメリカの音楽家 ジョン・P・オードウェイが作った曲を 日本の詩人 犬童球渓が訳詞をした唱歌です。

故郷が現在の自宅という人も多々あるでしょう。
帰りたくても帰れずに故郷を恋しく思っている人もいることでしょう。
また、故郷などない! 思い出したくもない! と 思っている人もいると思います。
どんな人であれ、故郷を心に描いた時、その絵の中に両親の姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

作者は、恋しい故郷の中にあたたかな父と母の姿を思い描き、わびしく孤独な現実から逃避するが如くに故郷を心の拠り所としているのでしょうね・・・
私にとって故郷とは、決してきれいなモノではありません。 触れたくもない辛い想い出がぎっしりと詰まったパンドラの箱のようなものです。
その箱を地中深くに埋めた上で土砂を押し流し盛り固めたところで視界から外して今を生きているのですが、それでもその土から芽生えた小さな花の一輪や二輪はあるものです。

故郷って、現存する場所なのではなく、今の私の心に映った、記憶と夢が交差した情景の一ページなのでしょうね。
そこには、自信に満ち溢れた父の顔があって、元気で優しい母の顔があって、兄弟たちの笑い声が溢れていて、不安も孤独も存在しないような時間が流れていて、そんな理想郷なのかもしれません。

秋の夜、今夜はちょっとだけ心の故郷に帰って、懐かしき父と母との想い出に花を一輪添えましょう。

Morning Show [随筆日記]

一昨日の夜は、また眠ることが出来なくて・・・  でも外はものすごい悪天候で、雨・風とにかなり荒れていたため、そんな音を聴きながら退屈することなくベッドの中で眠れぬ夜を過ごしました。
明け方になって外が白んでくると、強風は日の光に押し込められたかのように勢いを失い…、雨も朝日に諭されたかのようやんで、真夜中の嵐がまるで嘘だったかような静かな朝を迎えました。

このあと、ベッドから出て書斎でパソコンに向かっていたのですが、外の風景が不気味な色に変化していくことに気付いてバルコニーに出てみると・・・、 東の空は朝日でキラキラとしているのに、 北西の空からはまるで墨のような暗雲が湧きあがり、 それがものすごい勢いで朝日を食ってかかろうと不気味な動きを見せる中、空気の色がホワイトからオレンジへ…、そしてイエローからグレーへと急速に変化していく様を、落ち着かない気持ちで眺めていました。

でも、もっと空が大きく見える場所に行きたいと思ったので、車を走らせて近くの田園まで行ってきました。 そこで撮った写真がこれです。

4.28  Morning show.JPG

北西から湧きあがった雲は、アッという間に東の空まで到達して、今にも朝日をスッポリと飲み込もうとしているのですが・・・・・・
でも・・・、 朝日は光を失いませんでした。  暗雲は・・・、朝日を飲み込むことができませんでした。
周囲は、まるで朝だとは思えないほどの鈍い暗さに丸飲みされてしまったのに、東の地平線部分だけが朝日で真っ白にキラキラと輝きながら、神々しいまでの光で、この暗闇の朝を照らしているのです。

日の光は、いつだって輝いていてくれるんですよね・・・。
たとえ、それが終わってしまう日が来たとしても、 今、太陽は光を放ってくれているのですよね・・・。

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元気を出して [歌詞]

今日は、雨[雨]。  まるっと一日中、しっかりと雨のお天気というのもいいものです。
桜の花は終わってしまったけれど、今は、藤に、つつじに、チューリップ!  それに、シャクナゲや、牡丹の花も咲き始めて、これから初夏に向けてお花の[かわいい]ラッシュアワーです!!  嬉しいな (*^^*)
この雨が上がったら、新しいお洋服を着て、気分一新、幸せ探しの外出をしてみようかな!

そうそう~  ストレス解消に、新しいお洋服を いっっっぱい NET Shopping しちゃったんです!
だから、どこかへお出かけしなきゃ~!!

       涙など見せない強気なあなたを  そんなに悲しませた人は誰なの?

       終りを告げた恋に すがるのはやめにして   
       ふりだしから また始めればいい

       幸せになりたい 気持ちがあるなら  明日を見つけることは とても簡単

恋 かぁ~、  恋に 年齢制限ってあるのかなぁ~?
今日は、竹内まりやさんの 「元気をだして」 という曲を、懐かしく思い出しました。
そ~言えば 昔、 藤の花の季節に・・・・・・  とっとっとっ・・・、 このお話しは胸にしまっておこっと[黒ハート]

       少しやせたそのからだに 似合う服を探して
       街へ飛び出せば ほら みんな振り返える

       チャンスは何度でも訪れてくれるはず  彼だけが男じゃないことに気付いて

人を、好きになるのと、嫌いになるのとでは、どっちが難しいと思う?
私は、人を嫌いになることの方のが難しいなぁ~・・・。 ちょっと苦手だなぁ~っていう人は時々いるけど、でも、一度 好きになった人を嫌いになることって、私にとってはすごく難しいこと・・・。
恋人であっても、友達や同僚であっても、やっぱり嫌いになることなんて、私には出来ないと思う・・・。

       あなたの小さな mistake いつか想い出に変わる
       大人への階段を ひとつ上ったの

       人生はあなたが思うほど悪くない  早く元気だしてあの笑顔を見せて

「なっちゃんは いつも笑っていて、苦労知らずでいいよね~!」 って、よく言われる。
だからそれで、 損をしているとも、得をしているとも、よく言われる。
どっちにしても、これが私だから・・・・・
私が笑顔でいることを憎々しく思っている人もいるけれど・・・、 でも、これが私だから・・・・・

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Unchained Melody (アンチェインド・メロディ) [歌詞]

映画 『ゴースト ニューヨークの幻』 の テーマソング “ Unchained Melody ” 。
すご~~~く昔に、「この映画、メチャ泣けるから一緒に見ようよ!」 と、 当時お付き合いしていた彼に勧められて、彼の部屋で絵画鑑賞をすることになったのですが、人前で泣くことは恥ずかしいことだと思っていましたし・・・、 まだお付き合いを始めて間もない恋人の前で涙なんて厳禁!な~んて思っていましたので、「絶対に 絶対に 泣くものか!!」 と 意気込んでテレビの前に座ったことを覚えています。
そんなことに力を入れていたので内容の方はあやふやで・・・、 ましてや、泣けちゃいそうなシーンでは、ぜんぜん違うことを考えていたりしたため、ストーリーのクライマックスにかけてはほとんど覚えていないのですが、でも、このテーマソングはとても耳に残っています。
今日、たまたまこの曲を耳にして、何となく時代をさかのぼって昔のことを思い出しました・・・。

           Oh, my love, my darling
           I‘ve hungered for your touch
           A long, lonely time
           And time goes by so slowly
           And time can do so much
           Are you still mine?
           I need your love, I need your love
           God speed your love to me

            あぁ、僕の愛い人よ
            君に触れたくてたまらない
            逢えなくて、孤独な時間は長くて
            時がゆっくりと過ぎてゆく
            そんな時間がたまらないんだ・・・
            ねぇ、君はまだ僕のことを愛してる?
            僕には君が、 君の愛が必要なんだ
            神様お願い、彼女の愛を僕に届けて                     (私訳)

ある事件に巻き込まれて死した彼氏が、ゴーストとなって必死で彼女を守ろうとする純愛ストーリです。

彼の“愛”が、彼女に届かないもどかしさ・・・・・
目には見えない“愛”は、こんなにも溢れて彼女を包んでいるのに、 “愛”という実体がないから信じることが出来なくて・・・・・  現実(五感で感じられるもの)だけを信じ、 非現実を受け入れることのできない苦しさ・・・・・。

「彼は、もう死んだの・・・。 逢いたくても、もう逢えないの!」 愛しい人に伝えることのできない“愛”は、自分自身を苦しめるだけ・・・・・   切なくて・・・ 悲しくて・・・ 辛いだけなの・・・・・。
“愛” って、 どんな色? どんな形? どんな香り? そして、どうしたら触れることが出来るの? 
どうかお願い! 僕に彼女を触れさせて!
どうかお願い! 彼の声を私に聞かせて!

どうしてこの映画のことが不意に思いだされたのかな・・・?
泣きたいわけじゃないけど、なんだかもう一度、ちゃんとこの映画を見てみたくなりました。

あぁ・・・、 結局、泣き上戸の私ですが、彼の前では泣かずに映画を見終わることが出来て、でも彼には、「なんで泣かないの?」って、すごく不服そうに不信がられました。
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君は君でいたいのに [歌詞]

     もう泣かなくてもいいよ  苦手ならそれでいいよ
     まわりに囚われすぎていたのは  きっと僕のほうだね

徳永英明さんの 「君は君でいたいのに」 という曲の冒頭の詞です。
周囲の人の態度や言葉に囚われ・・・、 また、自分の思いに囚われて・・・、 そんなものに振り回されながら、一喜一憂している私・・・・・。
相手に、すぐ 求めてしまうんですよね・・・、 「私」をわかってほしいって・・・・・・
でも、そんな傲慢な自分に気付くこともなく、 いつだって 「私は正しい!」という思いで相手を非難しながら、 自分本位に生きている私・・・・・。

     愛する人よ 僕はただ  君を理解できないでいたよ
     僕が君に期待するほどに 君は笑顔 なくすから

笑顔だけが取り柄でした・・・  でも、笑えなくなっちゃった・・・ 笑うよりも、泣き顔ばかりになっていった・・・・・・
また、親身になってくださる方々の期待に応えようと必死でした・・・、 自分を見失うほどに・・・・・。
でも本当は、いつも笑っていたかった・・・・・  涙で今を嘆くより、 この瞬間を笑顔で過ごしていたかった・・・・・

     何度か君と話しあった  互いに解り合えたと思っていた
     君は 押しつけに僕の声を  聞いていただけ?

「自分が正しい」との思いは過ちだと教えられて、 それならば、相手が望む私にならなければ… と頑張ってきたから・・・・・
それに、私自身も、相手が求める理想の私になりたいって思ってしまったから・・・・・
だから今さら、「人の話しは聞いても、それに流されるな」 って 言われても・・・・・
 
     過ちは正せと言った  なぜ僕は 君の心、よそに
     いけない事だと決めつけたのか  君は君でいたいのに

でも本当は・・・、 私は私でいたかった・・・・・・   私のままでいたかった・・・・・・
「君の心なんて関係ない!」って、全否定の連続だったけど、 「そのままの君でいいんだよ」って言ってほしくて・・・ 声に出せない叫びを ずっと ず~っと押さえつけて来た・・・・・・
だけど・・・、 本当は・・・、 私は、私のままでありたかった・・・・・・
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 [Poem]

               

     旅の記念にと 女将からいただいた二つの鈴
     「二人で一つずつ持っていようね」って言ったのに
     あなたは受け取らなかった・・・

     部屋のボードに さくらんぼみたに掛けておいた二つの鈴
     そんなことすら忘れてしまって 月日は流れ
     今朝・・・・・・
     床に落ちていた鈴をみつけた・・・

     ひとつ・・・  リボンが切れて・・・  床に 落ちていた・・・

     拾い上げて 鈴を鳴らす
     ちりん と・・・
     にぶく 哀しい音がした ・・・・・・・
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 [歌詞]

今日も、EXILE さんの曲を聴いていて、なんとなく呟きたくなりました。

      この道で 君と出会い  春が僕らを包んでた
      愛と優しさ 教えてくれたね  泣かないで歩こう

「道」 と言っても、いろいろありますよね。
一般的にところでは道路が「道」だけれど、 人生も「道」だし、 「道」を極めるとか、 求道も「道」だよね!
この「道」・・・・・   どの「道」も、 一人っきりでは歩いて行かれない・・・・・

      「動き出した 最後の時間」  君に伝えたい言葉
      涙 邪魔して 空を見上げたら  春の音 聞こえた

「春」・・・・・・  想い出がいっぱいつまっている季節。
春って、「道」の起点みたいなイメージがあるよね。  入学とか、入社とか・・・、 迎春とか!
この「道」を歩き出して、一年とちょっと・・・、  私にとって この春は、「起点」ではなく、「終点」かもしれない・・・・・・。   いえ・・・、 「途中下車」かな・・・・・?

      道、 君と歩いた今日まで  特別な時間をありがとう
      「心」 「勇気」 「友」 「笑顔」  嬉しすぎて  溢れ出した 涙が とまらない

「ありがとう」 って・・・・・・  「道」の終わりには、笑顔で、嬉し涙が溢れたらいいよね・・・!
「さようなら」ではなく、 「ありがとう」。  そう言って旅立てたら、きっと幸せだよね!
一瞬 一瞬が、私にとっては特別の時間でした。  悲しい時も・・・、 楽しい時も・・・、 一瞬たりとも無駄な時間なんてありませんでした。
ありがとう。 この「道」を一緒に歩いてくれて、ありがとう。 笑顔で、そう言えたらいいね・・・!

      ゆっくりと歩き出そう  この道 未来へ続く
      さよなら  泣かないで  忘れないよ   離れても 愛しています

ゆっくりと、 もう無理はせず、 私は私の「道」を歩いて行こう。
「さようなら」 と 「ありがとう」・・・、 そして、今まで 「ごめんなさい」・・・  この言葉を残して、私は私の道を、ゆっくりと歩き出そう。
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ただ 逢いたくて… [歌詞]

今日は、EXILE さんの曲を聴いて静かに過ごしました。

     ただ 逢いたくて…  もう 逢えなくて
     過ごした時間だけがまた 一人にさせる。

あなたが、 今、 一番 逢いたい人は誰ですか?

私は・・・・・・・、  秘密です。 
でも、逢いたくても 逢えなくて・・・・・  逢っているのに 逢えなくて・・・・・

あなたを、 今、 一番 愛してくれているのは誰ですか?

私は・・・・・・・、  それは たぶん・・・・・・・・
私が私を一番に愛していて・・・、 でも、そんな私を愛で包んでくださる方がいて・・・・・

     悲しい過去も 若すぎた日々の過ちさえ  
     キミに出会えて 深い海に沈められたのに

     あの頃の僕と言えば 愛し方さえも知らず… ただ…
     不器用にキミを傷つけて 優しさを忘れていた。

     ただ 逢いたくて… もう逢えなくて  
     くちびるかみしめて 泣いてた。
     今 逢いたくて… 忘れられないまま  
     過ごした時間だけがまた 一人にさせる。

この曲の歌詞にある、「 もう戻らない時間だけを悔やんでしまうのは… 何故? 」 というところ・・・
とても切ないです・・・・・・・

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BLOG 引っ越しました

長らくお留守にいたしておりましたこちらのBLOGですが、密かに… 三ヶ月ほど前より別サイトの方へとお引越しをいたしました。
今のところの予定では、こちらをメイン・サイトとして帰ってくることはないだろあなぁ~と思っております。
(サブ・サイトとして呟くことくらいはあると思いますが・・・(^.^[たらーっ(汗)]
今までご愛読くださった方々、応援してくださった方々には、どうも申し訳ございませんでした。
そして、心配をしてくださった皆様には、どうもありがとうございました。
新しいBLOGの方も、いつまで続けられるのか・・・ 明日にでもやめてしまうかも知れませんが…、ご連絡をくださった方々には引っ越し先のURLをお伝えしております。

では では、 今まで、本当にありがとうございました。 m(__)m

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‘メール’という手段の会話 [随筆日記]

メールというは、相手とつながっているようでいて、実はぜんぜんそうではないと思うのです。
言葉にしても同様、会話をしていればお互いの気持ちが通じ合っているかといえば、やはりそうではなくて…。

例えば、電話をかけた時、相手が電話口に出なければ、「留守なのかな? きっと、今は電話に出られる状態ではないのだな」との予見が出来ますが、メールでは、それすらも出来ません。
何時間も、何日も、相手から返事が来なければ、「どうして返事をしてくれないのだろう・・・・・」 と、自分の不安ばかりを思案して、相手の状況よりも、相手の気持ちを勘ぐってしまいます・・・・・・。
お互いがそうだと思うのです。
でも、自分のことは棚にあげて、相手の心持ちばかりを勝手に思案して、勝手に結論付けて…、 そして自分の考えは確かとばかりに、腹をたてたり、泣いたりと…、 露骨に迷っている私というものを見せられますね…。

直接会って会話をすれば、心の中まで覗くことが出来ないにしろ、相手の状況は見た目で判断が出来ますので、お互いにある程度は言葉を選んで話すことが出来るでしょう…。
でも、電話での会話では、相手の状況を知り得るのは、これを直接本人に尋ねるか、相手の声の調子から判断するしかありません。  それでも、メールよりはちゃんと会話になりますよね。
メールは、常に一方通行です。
相手に状況を尋ねたとしても、これに返事がなければこちら勝手に思案するしかありません…。
メールというものは、BLOGや掲示板とは違って、やはり会話の一手段として使うものなので、相手からの返事がなければ会話としては成り立ちません。
でも、たとえ返事があったとしても、それをお互いがお互いにどこまで深く読み取ることが出来るでしょうか…。

親しい間柄でのメールは、用件だけではなくどうしても自分の気持ちをその内容に含めてしまいますし、自分の思いを伝えるのが会話だと思うのです。 
ところが最近、それをとがめられたことで、メールで語ることが出来なくなってしまいました。
でも本当は、伝えなければ伝わらないんですよね、いつまでたっても・・・・・

「言葉」というのは、メールに限らず、受け取る側の都合によって種々に変化をしていきます。
本来ならば、直接会って話すことを「会話」というのでしょう。
その会話を電話でする場合は、お互いが発するその言葉だけではなく、声の調子からもお互いがお互いに、自分の思いを伝え合い、読み取り合うことが出来るでしょう。
それすらも出来ないメールでは、本来ならば事細かに自分の思いを文字(言葉)に代えて相手に伝えるということが大切なのではないでしょうか…。
たとえば、「○○ だよ」 という言葉尻ひとつをとっても、 「○○ だよ(^^)v」 「○○ だよ!(・へ・)」 「○○ だよ~(T_T)」 「○○ だよ♪(^◇^)」 「○○ だよ!(;一_一)」 という感覚は、文字では伝えにくいものです。

会話と言うのは、一人では成り立ちません。
メールを会話の一手段として使う場合は、直接言葉を交わす以上にお互いがお互いを配慮することが大切なのではないでしょうか。
発する側も、受け取る側も、お互いが生身の人間なのです。 
その人間同士のコミュニケーションの手段として会話というものが存在するのですから!
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「私は幸せ」 と 思いたい… [法座・座談]

YTさんが事務所を移転され、新事務所を今後の座談会の場として利用できるようにとアレコレと考えてくださっているということなので、その下見を兼ねて新事務所に集まりましょ~!ということになった。
ところが出席予定者のキャンセルがドタバタと相次ぎ、結果的に参加者は私だけになってしまったので、今宵は 美味しく 楽しく 二人っきりで じっくり ゆっくり 語り合うことになった。
それゆえに、この日のことをBLOGに書こうとすると、とても長くなりそうなので…(^^ゞ、それほど充実していろいろなことを聞かせて・感じさせていただけた時間だったので、今後小出しにしながら、今、思うところをボチボチと書いて行けたらと思う。

YTさんの言葉を聞いていると、聞法を始めて1,2ヶ月頃の私の心・頭とピッタリと重なり合う。
それに、座談会や懇親会では出されたことのないホンの些細な彼の一つ一つの言葉がとても心に響いてきて、その度に私自身を見させていただき、こんな私に仏さまは何ておっしゃっておられるのかと言うことを、あの時、先生や先輩同行方は、いかにして私に伝えてくださったのかということが深く懐かしく思い出された。

この日、一番印象に残った言葉は、「私は幸せ」と言う一言。
前々から聞いてはいたが、その前後の会話と合わせていただくと、彼が思っているままに見えている彼自身と、彼が見ることの出来ていない彼自身が、手に取るように見えてきた。
それはまるで、私自身を鏡で見ているようだった。
過去の話ではない。 私は今も何も変わっていない…。

聞法を始めた頃の私は、自分にどんな過去があろうとも、今現在何を抱えていようとも、「私は幸せ!」 って言い切っていたし、心底そう思っていた。
今だってそう思っている!  だって、そう思ってなきゃ~、やってらんないじゃん・・・・・
誰だって人生皆苦だよ…、 私だけが苦しんでいるわけじゃない… 
そりゃ~ 私だって、「あぁ、生き辛い…、何でこんなに苦しまなくっちゃならないんだろう…」と思うことは多々あるけれど、いつまでもそんな思いに埋没していたら生きて行かれなくなっちゃうじゃん!
だから頭を切り替える! 心の持ち様を変える! そうすることで自分を護りながら生きて来たんだ!
だって、自分しか自分を護ってあげることが出来ないから…、 だから、私が私を護るんだ! って・・・
そうしなきゃ、私は生きて来られなかった・・・ そうしなきゃ~、今ここに、私は存在していない・・・
それなのに、「私は幸せ!」と思うことが、ど~していけないと言うの?! 何で文句をつけられなくっちゃいけないの?!
そんなふうに思っていたから、「自分をさらけ出せ」とか、「自分の足元をじっくり見て本心に問え」とか、「心の蓋を認めろ」とか言われても、「何でよ?!」、「ど~して?」、「ど~したら?」 しか出てこなかった…。

 御法を語っていただいても、私の方は、世間事 ・ 今生事 でしか聞いていなかったから・・・・・

 如来さまの 御心 ・ 願い ・ ご苦労 なんて、まったく頭になかったから・・・・・

 これが迷っている私の姿なんだって知らなかったから・・・・・

 それに、全然私の問題になっていなかった・・・  私一人の問題として向き合えていなかった・・・

今はどうだろう・・・・・・・・・・。
今も、「私は幸せ!」って言えるよ!  それも、「二本の幸せ」があるように思う。
一本は、以前と何ら変わりのない足元のゆるい幸せだけれども、私にとってはすっごく大事な幸せ。
もう一本は、以前 G先生が 「わしら幸せやなぁ~」と言ってくださった時に初めて知った、「あぁ、本当だ!! こんな私に…、 こんな私が…」 と、頭の下がるような幸せ。
この後者の幸せをいただくために 私は 私として 生まれさせていただいたのだと感じた時、やっぱり私は幸せで…、
それなのに、私は いつも いつも いつまでも、前者の幸せばかりを追い求めている…。

ホンに 全然変わってない…。 私は何にも変わってない…。
私の心をかき乱すモノは排除しようと脳は働き、「私は幸せ」と思える心境を作り上げることに精を出す。
泣けちゃうくらいに浅ましく・・・ 御法には背を向けて・・・  はぁ~ ・・・・・

こないだのデートは、とっても有意義で楽しかったです!(*^^*)
それに、美味しい沖縄料理にも大満足で(#^^#)、 はぁ~~~、私って幸せ~[黒ハート]

3501175

ど~もごちそう様でした m(__)mペコリ[揺れるハート]

濁河温泉 雪見の露天風呂 [Travel]

先週末、珍しく二人ともOFFな週末。 
夫から 「久しぶりにドライブにでも行く?」と誘われてお出かけ決定!!
どこへ行こうかと考えた時、第一条件に「雪が見たい!」、第二条件は「美味しいものが食べたい!」、そして第三条件に「温泉に入りたい!」 と言うことで、地図を広げてNETで積雪情報などを収集する。
そして決定したのが、「濁河(にごりご)温泉 雪見の露天風呂 日帰り温泉ツアー」

濁河温泉は、長野県と岐阜県にまたがる御嶽山の7合目付近(標高1,800m)にある温泉街で、名古屋から車で片道4時間弱の距離にある。
濁河温泉かぁ~、名前は聞いたことがあったけど、御嶽山の北西斜面にあったとは知らなんだ。
冬場もスタットレスタイヤを装着していればマイカーで行くことも可能だが、公営浴場(露天風呂)は11月~4月頃まで冬季休業しているため、入浴は温泉街にある旅館の日帰り入浴プランを利用することになる。
しかし、日帰り入浴をやっている旅館は2,3軒しかないので選ぶほどもないのだが…、その中で ‘旅館御岳’にお邪魔することにした。

3500438
朝8時ごろに家を出て、カーナビが指示するままに中央道に入り中津川ICからはR19号を上って、途中、元橋より県道20号を行き西野川沿いの雪景色を楽しみながら北上する。
お天気はすこぶる上々で、青いお空の下、真っ白な雪がキラキラと輝き、御嶽山もハッキリ クッキリ とってもきれいに見える。

そしてしばらく走ったところでカーナビが、「岐阜県に入りました」とアナウンスし、道路標識には「高山市」の文字・・・  「えっ?\(◎o◎)/! 山道を一本間違えた?」とビックリした!
何せ私は、御嶽山は長野県にあるものだと思い込んでいたので、目的地を通り越して高山市まで来ちゃったのか?!と、そりゃ驚いたが、今回のドライブで私の知識が訂正されて よかった! よかった!
実際、濁河温泉は岐阜県下呂市にある。 とは言っても、下呂温泉とはまったくの別物だ。

さて、濁河温泉街のGateをくぐり一段と雪深くなった道を上って行くが、その途中にある温泉宿の大半が廃業してしまったのか…、はたまた休業中なのか…、玄関ごと雪に埋もれたままになっていて、なんだか嫌な予感がする。
旅館御岳の日帰り入浴は事前に確認をとっておいたので問題はなかったのだが・・・、 案の定、食事の出来るお店が一軒も営業していない…、 というよりも、お食事処自体がないような 小さな温泉街であった。
ど~しよう…、 旅館御岳のレストランも休業中で、このままでは昼食抜きか?! と 若旦那に相談すると、近所の旅館に手当たり次第電話をかけてくださって、やっと一軒、「うどん か そばでよかったら作ってあげますよ!」という旅館が見つかった! LUCKY♪ 感謝! 感謝!

旅館御岳から車で1,2分上がった先にある 旅館朝日荘さんで あたたかいおそばを作っていただくことになったが、急な話で、しかも無理を言っての昼食だったので何の期待もしていなかったのだが、これが予想に反したお味で、おツユのダシがとっても美味しくってペロッと完食!
ホンに、尊いお恵みにより美味しくいただきました。 おかげでごちそう様でした。

昼食後、旅館御岳に戻ると、昼の1時から解禁される日帰り入浴の客が2,3組ロビーで待っていたが、私たちは猪一番に申し込みを済ませて露天風呂へと直行した。
何せここの名物は、川沿いにある混浴露天風呂! 
先に男性客が入ってしまえば私が入りにくくなるし、女性客が入ってしまえば彼が入りづらくなる。
ということで、皆よりお先に混浴露天風呂へと向かったわけだが、さすが秘湯と言われるだけあってその道のりは長かった…(^^ゞ

3500439

川沿いの崖に作られた階段をひたすら下りて行き、吹きっさらしの凍った細い通路を下って、コンクリートに囲われた薄暗い階段を下りた先にある小屋(脱衣所)の扉のその奥に、褐色の湯色をした露天風呂があった。
源泉付近は熱めだが、周囲の気温と雪によって冷まされた露天風呂の湯は全体的にぬるめなので、ゆっくりと雪見の露天風呂を楽しむことが出来る。

3500440途中、一組のカップルと女性客が覗きに来たが、入ってくるかなぁ~ と思いきや…、入っては来なかった。
確かに私たちが先に入っているので入りにくいとは思うけど、ここまでの道のりを考えると…、露天風呂に入らずして戻って行く方こそ勇気がいると思うのだけど・・・。

結局、1時間ほど貸し切り状態のまま露天風呂を楽しんで湯から上ったのだけど…、夫が脱衣所からなかなか出て来ない…。
「どうしたの?」と尋ねると、「ちょっとのぼせた…」とのこと・・・。
確かに…、私は何度か岩の上に腰掛けて自分の脈と相談しながら入浴をしていたけれど、彼は源泉に近いところでずっと湯船に沈んだまんま…。 のぼせて当然かもしれない…(^.^;)。

行きに下ってきた道を今度は上って行かねばならない。
途中まで一緒上って来たのだが、残り3分の1地点で夫がギブアップ! 「先に行ってなさい」 と言われたので、私は彼を放って一人女湯に行き、のんびり ゆったり 濁河温泉を堪能した(^^)v

そして1時間ほど楽しんだ後、湯から上ってロビーに行くと、暖炉の前で夫がのびていて…(^^ゞ  「ど~も、湯あたりしたらしい…、 動けない…」 とのこと…
ど~しよう… ( ̄▽ ̄;)  「泊まってく?」と聞いたが、「帰る…」と言う。
しかし、私は雪道の運転どころか、彼の車のハンドルを握ったことすら一度もないので、一応、「ど~やって帰るの?」と聞くと、「自分で運転して帰る」と言う。
それから1時間ほど彼は暖炉の前で熟睡し、私はパソコンでピコピコ書き物…。
何とか体力を持ち直して帰路についたが、ぼ~っとしながら運転しているせいかカーナビのアナウンスを聞き逃し遠回りをして帰るハメに… (^.^ゞアチャ~
途中、何度も休憩をしながら帰ってきたので、帰宅時間はかなり遅くなってしまったけれど、それでも、「雪見」・「美食」・「温泉」 の三条件をクリアーした 1 Day Trip は、存分に楽しめた(*^^*)
ダーリンさん、ご苦労様でございましたm(__)m

笑顔の裏まで まるのまんま [心]

人は、愛しい人にはいつも笑顔でいてほしいと願う。
もし、愛する人が悲しみ・苦しんでいたら、何とかしてその愛おしい人の笑顔を取り戻そうと心するだろう。
時に…、愛する人の笑顔を自分の因で奪ってしまったとしたら、私は自身をひどく責めるだろう。
時に…、愛する人の笑顔を自分の因で取り戻せたとしたら、私は自身の自惚れに溺れるだろう。
私は、愛する人の笑顔を保ち続けることに自身の愛情の深さをはかったり、その笑顔を保ち続けることを生き甲斐に感じたりすることもあるが、それはすべて、私自身が笑顔でいる為に、愛する人にはいつも笑顔でいてほしいと願う、自分本位の欲望でしかないのだろうね…。
だって、私はいつだって笑顔でいたいもの…、 私は幸せに微笑んでいたいもの… 

でも、仏さまはどうだろう・・・
仏さまは、私にいつも笑顔でいてほしいと望んでおられるだろうか。 私が笑顔でいれば、仏さまはそれで満足されるのだろうか。 
い~や、そんなことは望んでおられない。 仏さまは、私が笑顔でいればそれでヨシ だなんて…、 私がこの世を、この一生を笑顔で過ごせることを願っておられるわけじゃない。
私が望んでいる自身の幸せと、仏さまが私にかけてくださっている願い、私に与えてくださる幸せとは、 ‘モノ’が全然違うのだ。

私はいつだって自身の幸せしか望んでいない…。
人の幸せの為に… と言ったって、結局は自分に見返ってくる自分の幸せの為にしか動けない。
だから、自分が望んだものとは違うものが返って来れば、幻滅もするし、腹を立てたりもする。
例えば、良かれと思ってやった行いに、「あぁ、自分は善いことをした」なんて自惚れていれば、当然 「ありがとう」、「感心な人ね」との言葉を期待するだろう。
そんなところに、「余計なことをするな!」、「出しゃばりやがって!」などの言葉が返ってきたら ど~だろう…。
ほら! 笑顔なんて直ぐに消えちゃう・・・・・

そんなヤツ、こんな私に、仏さまはどんな幸せをくださるというのだろう…
これは、考えたってわからない。 いくら思案したって正解など出て来やしないし、その幸せがどんなモノなのか理解せよとは誰も言っておられない。
それなのに、このおバカな頭は一生懸命考えようとしてしまう…。
もしくは、考えたってわからないのだから何も考えずこの件には触れずにおこうと見切ってしまう…。
どちらにしたって、このこと自体すぐに忘れて、気がつけばいつの間にか自身が望む幸せばかりを追い求めている私がいる。

それでもいいのだ。 こんな私が今に始まったわけじゃない…。
今生のみならず、過去世から ず~~~っと、私は自身の幸せばかりを欲するがままに追い求めて来た。 そうやって迷い続けてきた。 今更これをやめられないし、やめようとも思っていない私だ…。
こんな、自身の幸せしか追い求めることの出来ない私を、ただ一方的に愛し、愛し続けて、私の幸せだけをただひたすらに願い続けていてくださったのが私の阿弥陀さま。
迷いを迷いとも知らずに迷い続けてきた私一人の為に建ててくださった御誓が、阿弥陀さまの御本願。
自我の欲望のまま、自身の幸せだけを追い求めるしか能のない私がお目当てなのだよと抱き獲ってくださったのが‘南無阿弥陀仏’。
それは、こう聞かせていただいても何も感じない、信じることも出来ない、聞こうともしない私が居たから…
そんな私の一寸先を常に心配して、そこに願いをかけてくださっている。

笑顔の裏で自分の作り出した不安と戦いながら悪戦苦闘している私を、まるのまんま包み込んでくださっている‘なんまつだぶつ’に、今日も私は生かさせていただいている。

常念仏のお働き [随筆日記]

法友とメール交換をし合う中で、私は本当にたくさんのことを教えていただけているなぁ~と実感している今日この頃。
特にここ数日、また病状が悪化しそうな不安定な状態にあって、SZさんとのメール交換で私は随分と救われている。
それは何も優しい言葉をかけられたとか言うのではなく、SZさんと向き合うことによって、‘南無阿弥陀仏’と出遭わせていただけるからだと思う。

本当は、何一つ手につかない…、 何もせずにただ引きこもっていたい…、 目が回って椅子に座っていることもままならない…、 そんな状態にありながら、ただ義務的に 「メールの返事を返さねば…」との思いだけで1,2行書き始めると、不思議とどこからか湧き出てくるものがあって、これを文字にしていく内に自分が聞かせていただいているのだと言うことに気付く。

そもそもSZさんからいただくメールは、儀礼的な文面で、一見すると御法との取っ掛かりなど何もないのだが、そう思っている私の思いとは別のところから出て来たものに、思わず‘なまんだぶつ’も私の口を突いて出て来てくださる不思議。

すごいな~ぁ・・・  私がどれだけ御法に背を向けて世間事に溺れていようとも、自身の心に囚われてその思いに振り回されっぱなしでいても、すべて如来さまが御縁を整え、私にわかりやすいようにして「ど~ぞ」と差し出してくだされる。 ホンに、至れり尽くせり。

今日、SZさんに送ったメールでは、こんなことを教えていただいた。

「また、次回の御法座では、よろしくお願いします」 という言葉が、どれほど御法を謗っているのかということ。
御法は、「法座」という 時間 ・ 場所 だけに限ったものではないし、「次回」というのはありえない。
ましてや、私に「よろしくお願い」されても、私はただの煩悩ダルマでしかない…。

確かに、御法座に出て仏さまのお心を教えていただき、座談会に出て仏さまのお言葉を伝えていただくことは、決して抜きにすることはできないが、御法は「耳で聞く」だけではなく、日々の営みの中で「身で聞かせていただく」もの。
私にしてみたら、御法座に出ている間のたかだか数時間、また、座談会に座しているほんのわずかな時間をもって聴聞したなどと臆面もなく言っているが、しかしそうではない。
法友と語り合ったり、仏書を読んでいる時のみならず、家事の最中であっても、食事中であっても、またテレビを見ている最中でも、御法は聞かせていただけるのだ。

なぜならば、この私は常に仏法を忘れ通しでも、仏さまは常念仏のお働きで、常に 常に この私に向かって呼びかけてくださっているから。
私が寝ている間も、欲を貪っている間も、一人孤独に泣いている時も、如来さまは、いつも いつも この私に寄り添いながら、この私一人にむかって叫び続けていてくださる。
これを、自身の身を通して、具体的に聞かせていただくのが聴聞なのだと私は教えられ、これに、大きくコクンと頷ける。

「具代的に聞く」…、 「身を通して聞く」…、 何のこっちゃ?! と 最初は思った。
例えば、食事をしている時、他の命を平然と食らいながらも愚痴をこぼしている浅ましい私…、
例えば、前方を走る車が遅いとイライラする自己中心的な私…、
例えば、石につまずいて転べば、石が悪いと他因自果にしている私…、
こんな私に向かって、如来さまは何とおっしゃっておられるのだろうと聞く。
そんな私にかけられた如来さまの願い、お心・ご苦労を聞かせていただくのが 「聞く」 ということなのだと教えていただき、如来さまは、ホンに 一つ一つの私の(身・口・意の)業の中におってくださるんだなぁ~ と、首がうな垂れる…。

私はSZさんに、「御法座に出てどんなんだったか、メールでその感想を聞かせてね」とお願いした。
でもSZさんは、「何も書くことがなくて…」 と 答えられた。 
それでいいんだと思う。
そんな自分とちゃんと向き合った時、「なぜ、何も書けないんだろうか?」、「本当に何も書くことがないのだろうか?」 などの疑問を元に、自己を掘り下げて本当の自分を見ていくきっかけになれば… と思う。
そして、そんな私に向かって如来さまは何とおっしゃっておられるのかを聞かせていただく。

これはそのまんま私に言われているのだな、と いただいた。
病気の不安、人間関係の悩み、等々、今生事のところに留まりながら右往左往している自分自身に聞いていくのではなく、常にお念仏に聞いていく。
‘南無阿弥陀仏’に聞いていく。

清水寺界隈 から 祇園・八坂神社 へ [Travel]

上鴨神社 ・ 下鴨神社 と まわった後はお楽しみの Launch time !
あてずっぽうに入ったお店は、観光客がほとんど通らないような路地裏のとても小さな一軒小料理屋さんで、素朴な京の味を楽しむことが出来た。

この近くの駐車場に車を止めたまま、今度はタクシーにて清水寺界隈へと向かう。
経書堂の交差点で車を降りて清水坂を行くが、しかし…、ここはいつ来ても人でごった返している…。
それでも何だか好きな場所であるので、機会がある度にちょくちょくと訪れているのだが、その楽しみの一つに‘食べ歩き’というのがある。
ところが今回は、「夕食に差し支える!」との理由で食べ歩き禁止令が出され(/_ ;)‏、指をくわえたまま 「食べたいなぁ~♪ 美味しそうだなぁ~♪」との言葉を連発しながら、人波をかき分け かき分け 清水坂を上がって行く。

3494523この道の突き当たりが云わずと知れた京都三大観光スポットの一つ、清水寺である。
清水寺は奈良時代末頃の開創と伝えられ、現在では法相宗より独立し、北法相宗として単立の一寺一宗を名乗っている寺院である。
今回は、清水寺の参拝を目的としてここへ来たわけではなく、この後 祇園の八坂神社へ初詣に行くお散歩コースとして立ち寄っただけなので、仁王門の前で写真撮影を しただけで清水寺には入場することなく 今 上がってきた清水坂を引き返す。

そして経書堂から右に折れて産寧坂(三年坂)を下る。 ここには着物姿の女性が多くて、「私も着物で来ればよかった…」と、ちょっと羨みながら、今度は二年坂(二寧坂)へと下りて行く。
途中、数軒のお店に立ち寄りながらぶらりぶらりと散歩道。 ただ歩いているだけで楽しい(#^^#)
一年坂からねねの道に入り、今回は初めて石塀小路を歩くことにした。
細い石畳敷きの小路の両脇には旅館や小料理屋など建ち並び、観光客さえいなければとても静かで、舞子さんや芸子さんの下駄の音の似合う情緒ある小路であろうが、何せ今日は Weakend !  
狭い通りには、ニセモノ舞子(仮装…、じゃなくてレンタル衣装・舞子変身プランの観光客)らが忙しく記念撮影などをしているために通行止めの渋滞状態で、風情のある小径と言うにはちょっと無理があったが、それでも京都らしさは十分に味わえた。

3494524石塀小路を抜けて右に行くとすぐに八坂神社の南楼門に出る。
平安初期に創建された八坂神社は、‘祇園さん’の名で呼ばれ親しまれている京都を代表する神社の一つである。
正月七日も薹に明けたというのに境内はたくさんの参拝客で溢れかえっている。
驚いたのは、「これ、なんの行列?」と思ったら、本殿に参拝する人たちの行列で、通りを塞ぐほどの大渋滞になっている。 「WaO~! エライこっちゃ!」 と言う感じ…(^.^;)
とてもゆっくりと歩いていられる状態ではなかったので、結局、早々に退散することになった。

最後の初詣場所は不発に終わってしまった感じではあったが、この人混みこそ初詣の醍醐味なのかもしれないね! 
しかし、まぁ~、何を祈願するわけでもなく・・・、 いったい何をもって「初詣」と言えるのだろうねぇ…(^.^ゞ
あれ~?! 「初詣」って新年に初めて寺院などに参拝することを言うんだよね~?!
それだったら、今年はもう既に済ませているし、今回の「初詣もどきツアー」っていったい何だったんだろうね~σ(^_^;)?  ま~ぁ、「楽しけりゃ~ それでヨシ!」って いつものパターンだねo(^^)o

このあと、四条通から花見小路に入って鴨川までぶらりぶらりと京の裏町を散策すると、寺院などの観光地ばかりがクローズアップされている京都とは一味違う京都を垣間見ることが出来て、それもまた楽しかった。

まだまだ書きたいこと い~っぱいの 京都1day初詣もどきツアー だったけど、この辺でやめておこう…

3489143さてさて、食べ歩きを我慢した末の京都Dinnerは、地元の人しか来ないような小さな小料理屋に入って、お薦め
メニューをあれこれオーダー。
どれもこれも美味しかったけど、お腹いっぱいに食べ過ぎて苦しかった~ぁ( ̄▽ ̄;)
あ~ぁ…、 欲望も度が過ぎて満たされれば愚痴になる…  頭の中も、腹の中も、常に‘我’で満タン状態の
私だ・・・・・・

     こんな私が 誰に向かって 何を申すか 初詣                       (おわり)

上鴨神社 と 下鴨神社 [Travel]

今回の初詣によって、上鴨神社 ・ 下鴨神社 というのは通称であり、正式名称が別にあるということを始めて知った。
両神社とも賀茂氏の氏神を祀る神社として7世紀頃に創建され、当初は両社ともに賀茂神社(賀茂社)と総称されていたそうだが、8世紀の半ば頃より上社と下社に分社されたのだそうだ。
この二社が、「上鴨」と「下鴨」の名で呼称されるようになった由来は、京の都の中心を流れる鴨川のその下流に祀られているお社というところから「下鴨」と呼ばれるようになり、これに対して上にあるお社ということで「上鴨」と呼ばれるようになったのだとか…

最初に訪問したのは上賀茂神社の方で、こちらの正式名称は、「賀茂別雷(かもわけいかずち)神社」と言って舌を噛みそうな名前である。

駐車場の関係上、一の鳥居も二の鳥居も通ることなく、第三の鳥居(?)をくぐって桜門の横に出る。
その朱塗りの門を通り抜けた高倉殿との間のすぐ左手に、この場には不釣合いなビニールテントが張ってあり、そこにこんなもの(参照・右側の写真)が置いてあった。
これはヒノキの皮で、「ここに願い事を書いて奉納しておくれ~! あんたの行いが良けりゃ~、その願いは神さんが叶えてくれるでぇ~!」 という上賀茂神社のオリジナルグッズ(?)のひとつのようで…(^.^ゞ、 この桧皮奉納は一枚一願につき2,000円な~り~!
そして、高倉殿の脇には、鈴などのお守りグッズと並んでこんなもの(参照・左側の写真)もあった。
これは卯杖(うづえ)と言って正月ならではの縁起ものなのだそうで、これを購入(?)して自宅に持ち帰り祀っておくと次第に枯れてくる…、で、「卯杖が枯れてきたならば、それはあんたのお家の邪気が祓われたという証じゃ!」 ってことらしいが… (;^-^)ゞ マジかい?!  こちらのお値段、一束3,000円な~り~!

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その高倉殿をくぐると、向かって左手には「権殿」、右側には「本殿」が建ち並んでいる。
そこに一枚の張り紙が・・・  「ご祈祷、お一人様2,000円な~り~\(^o^)/」 ・・・
お安いでございますね~ぇ! これで願いが叶っちゃうのならば!
そして本殿前を順路に従って通り抜けた所にはお決まりの御守り売り場があって、願成就や厄除けグッズがワンサカと陳列してあり、この前を通り抜けると今度は絵馬や護摩の祈願所があり、ご親切なことに 「‘願いごと’参考記入例」 の見本まで置いてある。 さすが、サービス業・・・!
商人顔負けの商売っぷりにはいささか驚いた! 神社ってスゴイな~ぁ!!

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さてさて、参拝…ならぬ見学を済ませて再び桜門の前まで戻ったところで、今度は朱塗りの「玉橋」(通行禁止)を右手に見ながら、か細い御物忌(みものいみ)川を渡った。
その橋の袂、左手にある小さな社が、縁結びで有名な片岡社なのだとか!
そこに、とても真剣そうに長い時間をかけて祈願をしていた同年代位の女性がいたので何だか話しかけてみたくなったけど、今日は一人旅ではないのでやめておいた。(^^ゞ 

この後、御手洗川を越えて細殿の南側を抜けると、上賀茂神社の見どころスポットとて名高い(?) 立砂があったのだが…、しかし、それよりもはるかに目立っていたのが 上賀茂神社特製のおみくじツリー5本立て! 
いや はや (;^-^)ゞ あはは~♪


上賀茂神社を見学したのだから、もう一方も見ておかなければ片手落ちになっちゃう! と いうことで、今度は下賀茂神社へと向かった。
こちらの正式名称は、「賀茂御祖(かもみおや)神社」と言って、上賀茂神社の正式名称と同様にやっぱり聞きなれない名前だ。

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こちらの神社でも駐車場の関係上、正面からは入らずに本殿脇の通路より入場…。
思い返してみるれば・・・、 真正面から神社に入ることって…、ほとんどないなぁ~σ(^_^;)?

下賀茂神社は、上賀茂神社よりも少しは落ち着いた感じだったけれど、やっぱり同系列だよなぁ~、という感は拭えない。
中門をくぐりぬけるとその両サイドに賑やかく干支のお社(言社)が建ち並んでいる。
そして中門の正面には幣殿があるのだが、ここに半透明のビニールシートのカーテンが張られてあるのでこれより奥をのぞき見ることが出来なくなっていた。
「もしこの奥を見たくば、所定の祈祷料を支払ってから入場しろや~」というシステムになっている。
もちろん(*^^*)、 私たちは入場することなく引き返してきたが、この幣殿の奥に続く祝詞舎の先には、右手には東本殿、左手には西本殿があるのだそうだ。

ここ下賀茂神社には、「鴨の七不思議」なるものがあるのだと、いただいパンフレットに書いてあったが、興味をそそられたのは 「みたらし川の水あわ」というもの。
その注釈はと言うと、境内の東側にある‘みたらし池’は、夏の土用に清水に足をひたして無病息災を祈るところだそうで、その池から湧く水のアワを形どったものが‘みたらし団子’の原型になったのだとか!
つまり、ここ下賀茂神社は、みたらし団子発祥の地だと言うこと!(^0^)!

あ゛ぁ゛・・・・・ これが、嘘であっても、本当であっても、ここでみたらし団子を食べずして帰ったことが、今、とても悔やまれてならない… (T_T)
                                                     (つづく)

今宮神社 と あぶり餅 [Travel]

毎日変わる、その時々で変化し続けている気分そのままに、フッと書きたくなったこと、心に思い浮かんだことをこうして文字にして行く 「私スタイルのBLOG」であるが故に、一連性がまるで無く…、なおかつ時間的にもかなり不規則なこのBLOG…(^.^ゞ。
今、唐突に、初詣について書きたくなった(^^♪

今年、お正月も薹の昔σ(^_^;)?に過ぎたとある日、誘われるまま 流されるままに、ただ ふらふら~っと 初詣に出かけることになった。
別に、「願成就の祈祷に行こう\(^o^)/」って訳じゃなく(^.^;)、単なる観光! 社会見学の為に向かった先は、やっぱり京都 (^^ゞ 初詣の定番よね! 
京都に来ていながら先生やMRさんに会いに行かれないっていうのは寂しいけれど、でも でも ドライブデートは大~好き♪ とっても楽しかった♪

思い返してみれば、京都へ聴聞に来るようになった最初の2,3ヶ月間は、一石二鳥とばかりに必ずと言ってよいほど御法座と京都観光をセットにして京都に訪れていたよなぁ…
全くふざけた聞法姿勢であったなぁ~ なんて…、 鼻先でちょっとだけ思いながら、 でも、今でこそ京都観光はしなくなったものの、真剣に聞き求めようという態度で京都入りしたことなど一度も無く、ここのところは以前と何ら変わりがない、相も変わらず如来さま泣かせの私である… と 知らされるばかり…。
しかしながら、京都観光と言っても私が訪れる先は、親鸞聖人の御旧跡か、花の名所に限られており、この条件に値しないところに行くことは滅多になかった。
なので、今回、初詣の為に訪問した神社は、私にとっては未知の領域! 「へ~ぇ、これ、世界遺産だったの?!」 と言うことすら無知のまま訪問することになった。

最初に連れて行ってくださったのは、今宮神社。
実は、名前を聞くのも始めての神社であったが、「‘あぶり餅’が有名だよ!」 と聞いて、「おぉ~、それならば何時ぞやテレビで拝して、ぜひに ぜひに 食してみたいと思うておぉた銘菓ではないか(^◇^)!」 と、急に興味が湧いてきた!

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神社に詣でるよりも先に、まずは甘味処へと直行! 
あぶり餅のお店は、神社東門に向かって、右手に創業1,000年の元祖正本家を名乗る「一和」さん、左手には創業400年で本家根元を名乗る「かざりや」さんの二軒がある。
見た目にはどちらも差異のないあぶり餅を店頭にて焼いているが、後々調べたところによると、昔ながらの味を守り続けている「かざりや」さんの方が美味しくて人気なのだとか!
そんな事前情報など私は何も知らなかったけれど、客の入りも良く、呼び込みの元気な「かざりや」さんの店先にて一服。
あぶり餅は、きな粉をまぶした一口大のお餅を竹串に刺してあぶり焼きをしたものに、甘い白味噌のタレをつけていただく和菓子。 その素朴な味が何ともいい~(^^)v 「美味しかった♪」

さて、思いがけず念願叶って美味しいものをいただいて、今度は何を願うか?初詣!
今宮神社の起源については、平安建都以前より疫病の神とされるスサノオを祀る社がここにあったということしかわかっていないようだ。

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しかし・・・、 ここは、ジョークの許されている神社のようである。
東門から境内に入ってすぐの左手に神馬舎があるのだが…、普通は本物の馬がいる所に、とてもユーモラスなというか、あきらかにふざけた表情の馬の置物が飾ってあり、また境内中央の拝殿には、巫女に扮した少女のマネキン人形がいくつも立ち並んでいるという、なんだか奇妙な神社であった。 愉快でいいけど(*^-^*)!

(つづく)

私スタイル BLOGで聴聞 [心]

書きたい…  書いておかなきゃ!…  なぜ書いているんだろう?…  何の為に書くんだろう?…
今、そんなことを考えてみたいと思った・・・・・。

BLOGというものを始めたきっかけは、ただ何となく話しのタネにBLOGと言うものの機能を知っておきたいという興味本位の知識欲で始めたに過ぎなかった。
そして、元々書くことが好き!ということもあって、気の向いた時にアレコレと書き綴ることをただ楽しんでいただけだったが、BLOGを始めて2,3ヶ月が経った頃だったかな、あることに気が付いた。
最初の頃はホントに単なる日記文でしかなかったBLOGであったが、それが徐々に自分の思いを外に向けて発信する随筆文へと変わって行って、いつしか自分の為の記録ではなく、不特定多数の誰かの為、何かに向けてのメッセージを書いているふうになってきてしまった。
これにBLOGとして書くことへの違和感を覚え、次第に書く頻度が減って行ったのだが…、 ちょうどその頃 ‘仏教’と出合ったことで、新しく学んだことや、自ら調べたことなどを書き留めておきたいという気持ちが起こってきた。

そこで以前とは別のサイトにて新たにHP風のBLOGを始め、当初は恥ずかし気もなく独自の仏教理論なるものを展開して行った訳だが…、 ところがその一年後、今の会と出遇ったことによって本当の‘仏教’に触れさせていただくと、今度は、今まで自分が語ってきたこととは180℃違う正反対なことを書かねばならなくなり、また、今までとはあきらかに要点がズレてきたことから、これまでの延長線で書き続けることが出来なくなってしまった。
ましてや、教学や史学などではなく、自分の心を問題にしていかなくてはならないと教えられ、そんなことはとてもBLOGに書けるはずがないと…、 その結果 BLOGとの縁が遠退いてしまった…

仏法聴聞を始めて半年ほど過ぎた ちょうど一年前の年末、 何故だかわからないけれど、「書きたい!」という気持ちが一気に膨らんで来て、再びサイトを新調して始めたのがこのBLOGである。
この時は、ただ心に浮かんでくる自分の思いを自由気ままに書き綴っていただけだったが、去年のインド旅行をきっかけにして、このBLOGをS先生が読んでくださることになった。
私としては予想外のこの展開に始めの内こそ少々戸惑いはしたものの、次第にその心地よい緊張感にも慣れてきて、書くことを楽しみながらBLOGに綴って行くことに変わりはなかった。

しかし、そんな頃にYuさんとメール交換をし合うようになり、噂を聞きつけたYuさんにも私のBLOGの存在があきらかになると、Yuさんから一々BLOGの内容に突っ込まれて叱られたり、ケチ(;^-^)ゞを付けられたりするようになった為、一時はなかなか自分が思うそのままをBLOGに書き綴ることが出来なくなってしまったこともあった…。
そして、私の知らないところでこのBLOGの存在がどんどんとOPENになって行ったことにも小さく畏怖し、また、「なっちゃんのBLOGを読んで嫉妬心が燃え上がった」だとか、「BLOGで有り難いことを書けても声に出さなきゃ嘘」だとかいう声が耳にはいってくると、書くということ自体に恐怖を覚えBLOGなど止めてしまおうと思ったこともあった…。

それでも何とかこうして書き続けて来られたのは、このBLOGを応援してくれた人たちの温かい励ましの声によって、「私は、私自身の為にこれを書いているんだ!」と言うところにどっしりと腰を据えることが出来て来たからだと思う。

いつの間にか‘仏法’中心の生活環境が整えられて来ると、自ずとBLOGに書くことも‘仏法’もどきの ‘我法’が主だったテーマとなってきた。
これによって、「仏教カブレ」、「新興宗教オタク」と言って去っていた友達も少なくはない。
それに、たくさんの嫌がらせを受けることにもなった。
でも、「人生、コレ一つ!」と言うところに コクン と頷けた去年の夏頃からは、誰に何を言われようとも、どう思われようとも、私はこの道を進んで行くんだという決意も生まれた。

今、誰の為に私はBLOGを書いているのだろうと考えた時、それは、100%自分の為なんだと言える。
そして、何の為に書いているのかと考えた時、これが私の聞法のスタイルなんだと思った。
だから書かなくっちゃいけない!って気持ちにさせられるのかもしれない…。

私は、人と話しをする時に、無意識の内に相手の気持ちに自分を合わせようとしてしまう。 自分の思いよりも、相手の望む言葉を詮索してしまうことで、本当の自分を見失ってしまうのだ…。
でも、BLOGを書いている時は、誰に波長を合わせる必要もなく、‘私’というモノを見つめていられる。

そして私にとって、‘書く’と言う行為は、その‘私’というモノを知るための手段なんだと思う。
頭の中でただ思考を流して行くだけではなく、こうして文字にして行くことで新たに発見できることがたくさんある。
例えば、御法座にしても、その時リアルタイムで感じさせていただいたことのみならず、これを振り返ってBLOGに書き綴っている‘今’また新たに気付かせていただけることがたくさんある。
例えば、旅行記にしても、単なる日記を書いている時でも、その時には気付かなかったことが、BLOGに書き綴ることによって、‘今’ ‘ここで’ 新たに気付かせていただける。

そして何よりも、こうして自分自身をさらけ出すことで、間違いを指摘して叱ってくださる方々がいる。
先日の 「喜べない私」 ということを思案したBLOGでは、ご自身のところで優しく説いてくださったYSさん、厳しく叱咤してくださったYuさん、そんな先輩同行にBLOGを通してお育ていただけている私は本当に贅沢者、幸せ者だなぁと思う。

先生方、御同行方、どうぞこれからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。
そして、こんな私のBLOGではあるけれど、少しでも何かを感じてくださる方があれば、私は とても とても嬉しく思います。

喜べない私でよかった! [法座・座談]

先週末の落ち込みからなかなか立ち直ることが出来なくて、心が変な方向へと走ってしまい、それで更に自己嫌悪に陥るという悪循環を自らが作り出している現状に我ながらウンザリする・・・・・。
でも今は、表面上だけでも元気に振舞っていられるので、状態はそれほど悪くない…。

時を同じくして先週のとある日、「君は、ガラスの様に壊れやすい心の持ち主だ」 と ある人を通じて言われた。
私自身、そんなイメージは持っていなかったけれど…、 でもそう言われてみると、私は私の心が壊れてしまわないようにひどく丁寧に取り扱っているなぁと思った。
しかしその反面で、こんな心など叩き割ってしまえ! とばかりに、自らの心に刃を振り上げている自分もいて…、 護ろうとする私と、壊そうとする私が、‘我’の中で、「オレが~!」という自己主張をしながらせめぎ合っているような・・・。
そして、そんな自分を傍観している私もいて・・・・・、 なんだか複雑・・・・・
今日はこんな心持ちだったから、凡夫の苦悩にまみれて、「喜ぶ」という感情から見放された…? いや、自らが拒否したような一日を過ごしてしまった。

そういえば…、 「喜ぶ」という感情をめぐって、自分の中でまだモヤモヤしたものがあったんだった!

先週、福岡のYZさんがお仕事のために名古屋に来るというので、一緒に夕食デートをすることにした。
YZさんとは二ヶ月ほど前から、「喜び」についてお互いの味わいを何度か語り合ってきたのだけれど、私自身のところで何だかスッキリしなくて…、 それで今回も 「きっと二人で話しをしていても、このモヤモヤは解けないだろうな~」 なんて思ったのでYuさんにも同席していただくことにした。

YZさんがいつまででも、どれだけでも喜んでおられることについては、私にとってはど~でもよいことなので、これに何の問題もない。
ただ、私は、私自身の喜びについて、ちゃんと考えてみたいなぁ~って思っただけ…。

なんかね…、 私が自分の力で何かをして、その結果として何かを得たのであれば、それは素直に喜べるだろうけれども…、 私は何もしていないし、何も変わっていない…。
ましてや、私が頑張ったど~のこ~のと言う以前に、そもそも私が望んだことでも、願ったことでもないもの!
だから、周りの人から、「なっちゃん、喜びはったんやね~!」と言われても、「私は喜んでなんかいないよ!」と言うしかなかった。 
でも、「素直に喜びなよ!」と言われてやっと、「それじゃ~、何に喜べるのかを考えてみようと思った。

そ~言えば、以前、MO先生が『巻頭言』に、「私はホンマにアホやなぁ~と、嬉しくなってくる」と書かれ、S先生は、「虚仮不実の私で嬉しくなる」とおっしゃったことを思い出した。
それじゃ~ 私は・・・? 

そんなことが常に頭の片隅にあったここ最近、先日の報恩講さんでは、OG先生とKY先生が、『歎異抄』第九章の寸劇をしてくださり、私はこれをとてもありがたく聞かせていただいた。

「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。 よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。 よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。 ・・・(以下略)」

この寸劇を聞いていた時、「あぁ~、喜べん自分でよかった!」 と 嬉しくなってきた。
よくわからないけど・・・、 如来さまのお心にホンの少し触れさせていただいたとても、その喜びも、切なさも、アッと言う間に消えてしまう・・・・・
私の中には、「オレが~」の心で求めるものしかなく、後生の不安も、往生浄土を願う心も何もない・・・。
そんな私なのに、御法に触れさせていただいた時にこぼれ落ちる涙…、 そして無自覚の喜び…、 あぁ~、私のものじゃなかったんだ!って思った。

何もない…、 「喜ぶ心のない私でよかった!」 って、ほんのちょっぴり喜んでいる私を見つけた。

報恩講法座 の (前) と (後) [随筆日記]

今日もたくさんの御法縁に恵まれて書きたいことは山とあるが、まぁ~、追々とUPしていくことにして…、ちょっと昔(1週間ほど前)の出来事を振り返ってみる。 本当は昨日書きたかったんだけどね…(^.^ゞ

昨日 1月16日は、親鸞聖人の御命日(新暦換算)であり、西本願寺の本山では、一週間に渡って営まれた「御正忌報恩講」の結願(最終日)の法要が催された。
15日の夕刻より16日の朝方にかけて夜通しの通夜布教と、16日の晨朝であげられる真譜での『正信偈』のお勤めには一度参加してみたいなぁ~ とは思ったけれども、別件でのスケジュールが入っていたので京都まで行くことが出来ずに残念!
しかし今年は初めて西本願寺本山での報恩講初日の法要には参加させていただくことができた。

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1月9日のお昼過ぎ、修復を終えたばかりの御影堂へ行くと既に千人近くの門徒が座していて歯抜けてはいるけれどほぼ満座に近い状態。
そんな中、中央後方部の一角がポッカリと大きく空いていたので、「あら♪ 私の席が用意されているわ!(^^)v」 とばかりにその特等席を陣取って御親開(御真影が安置されている厨子の開扉)の時を待つ。
そして、二時少し前に御門主により厨子の扉が開かれ、いよいよ逮夜法要が始まった。
雅楽の大合奏は随分とギコチのないもので質よりも数で勝負(?)といった感じ(^.^;)だったけど、この後、たくさんの僧侶であげた『念仏正信偈』の大合唱はすごく心地がよくって、私も一緒に声をあげておつとめをさせていただいた。 が、しかし…、ほとんどの門徒さんたちはまるで他人事…! 
「よそ事を考えながらボ~ッと聞き流しているだけではもったいないじゃない!」 といらぬおせっかいを焼きながら、「たとえ意味がわからなくてもおつとめに参加している私は偉い!」なんて自惚れて、親鸞さまの御心ここにあらず…なれどもおつとめに参加をさせていただいた。

この後、改悔批判、御絵伝解説、常例布教と続いていくのだが、体調が思わしくなかったので大事をとってHOTELへ引き上げることにした。 う゛ぅ゛… ついてない…!
ここ4,5日前からほとんど眠れていなかったので身体が変な不調を訴えていたし、翌日からの報恩講さんで世話人の私がダウンするわけにはいかない!と思って、Knさんたちが誘ってくださった飲み会にも泣く泣く不参加を表明し、一人ベッドへと潜り込んだ。  
本当は、メチャメチャ行きたかったのに…(^∧^) 残念…無念…であった…

でも、その甲斐あってか、このあと二日間に渡った会の報恩講さんは、元気に乗り切ることが出来たかなo(^^)o

そして、なんとか無事に終えることの出来た報恩講法座の帰り道のこと。
UDさん、YTさんと共に近鉄の駅に向かうと、数分前にバイバイってしたFHさんとOIさんがホームにいて、一緒にアメリカから参加されたKSさんもホームにおられた。
どうやら今まで事務所のMKさんと話しこんでいてこの時間の帰宅となり、偶然にも同じ列車に乗り合わせることになったようで、KSさんとは法座では一度もお話しをする機会がなかったのだが、ここで二言三言お話しをさせていただくご縁をいただいた。

そこでビックリしたのは、KSさんから、「なっちゃんって、BLOGのなっちゃんですよね!」って言われたこと。
「へっ ヽ(@o@;)ノ なんで???」  
私のBLOGを読んでいること自体大きな驚きなのに、何でBLOGのなっちゃんと私とが結びついたの?! って、すっごく ビックリした!!!
そしてこの時、この路線ではいまだかつて経験したことのない事態が起こった。
乗車した列車が動き出したと思ったら、次の駅に着く手前で止まってしまったのだ。
それも 2,3分の話しではない。 停車理由もわからないまま 2,30分も止まったまんま車内に缶詰となり…(^.^ゞ しかし、このおかげて本来ならば5分ほどしかお話しできなかったところを、随分と長い間お話しをさせていただける結果となった。

この間、いろいろと聞かせていただいたこともとても楽しかったけど、後にKSさんよりいただいたメールで、「前の会を辞めてこちらへ来ようとしたものの、どうしてもこの会への不審がぬぐえずにあと一歩が踏み出せないでいた時、偶然見つけたなっちゃんのBLOGを読んで、まじめに自分と向き合い仏法を求める姿に、この会に対する不審も溶けて今回参加することができた」と言ってくださり…、 
私は、こんな恥さらしの自分のせいでこの会に迷惑がかかってはいけないと思って今まで一度も会の名前を出したことはなかったし、それに、なっちゃんなんて名前、ありふれているし、ホントに ホントに 今回の不思議な出会いにはビックリしたけど、でも、とても嬉しく思った。
しかし…(^.^ゞ、 仏法を求めているとは とても とても 言い難い、ただ醜態をさらしているだけのBLOGなので、とっても恥ずかしいとも思った…(;^-^)ゞ

京都駅でKSさんとはお別れをして、残りの五人でJR線に乗り換える。
そして、OIさんが最初に下車され、次にFHさんが列車を降りられ、乗り継ぎの駅ではUDさんともバイバイをして、最後にYTさんを見送ると、残るは私一人になった。
「あぁ・・・ 一人ぼっちや・・・」 と、小さく呟きながら様々な思いを 独り かみしめた。
この寂しさが悲しくもあり…、 また嬉しくもあり…、   

‘タダ’ で ‘得’して ‘幸せ’~ ! [随筆日記]

ず~~~っと 落っこちないように頑張って保ち続けてきた心の元気が途切れ…、また体調不良とも重なって、ちょっと憂鬱気味な心持ちで迎えたWeekend…
これ以上落ちてしまわぬよう…、自分を 騙し騙ししながら物事の一つ一つを丁寧に釈してゆく。

「本当は頑張りたくなんかない!…」 っていう気持ちを覆い隠すように、「また旅にでも出ようかなぁ…」 な~んて思いで心を奮い立たせて、無理に身体を動かし外出することにした。
行き先は、明日、お迎えの待ち合わせ場所に指定された名鉄三河線の‘三河高浜’と言う駅。
行ったことがないので下調べのつもりでドライブに出かけることにした。

カーナビーに従って三河高浜駅は難なく発見することができたが…、 さて…、どうしようか…?
せっかく高浜市までやって来たのだから、このままどこにも寄らずに帰るのも何だか寂しい気がする…
そうかと言って思いつきで無理に出かけて来たので、他の予定は何にも考えていなかった…、ということに気付いて、ど~したものかと考えていると…、 青いお空に一つのバルーンが浮かんでいるのを発見した!
「おぉ~o(^^)o  きっと、何かのイベントをしているぞ~♪」 って思い、バルーンに向かって車を走らせると、DoCoMoショップの新店舗オープニングイベントをやっていた。
ちょうどDoCoMoショップには用事があったのでこれ幸いと寄ることにして、幹線道路沿いのGateに立つおじさんに招かれるまま駐車場に IN !

店内は来客でごった返していて、これでは用を足すのは無理かな?とも思ったが、番号札を受け取ってしばらく新機種などを見ながら過ごしていると15分ほどで番号を呼ばれた。
DoCoMoは、二年以上同機種を使い続けると無料で新しいバッテリーをくれるのでそれをいただきに来ただけだったが、LUCKYなことに来場記念のトイレットペーパーまでいただけることになった(^^)v  
やはり、‘タダ’は‘得’した気分になって、私を‘幸せ’にしてくれる (*^-^*)
それにプラスして、店外に出ると駐車場でポップコーンの無料配布もしていた!

しかし、しかし p(^o^)q  何よりも 何よりも 嬉しかったのは、「東海地区でここだけ!」 と言うフレーズの‘爆弾焼き’まで無料で! タダで! いただけたこと\(^o^)/

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‘爆弾焼き’とは、いわゆる ‘ジャンボ海鮮たこ焼き’ のことで、通常のたこ焼き8個分の量を1個で作った大きなたこ焼き! そして、タコの他にはイカやエビ、うずら卵などの具が入っていて、ソースは、通常のたこ焼きソースの他に、しょうゆソースや照り焼きソースから選ぶことが出来る。
これが実に美味いのだ!! 
ソースたっぷりで、海鮮ダシがきいていて、しかもとてもクリーミーで、ホントに美味しかった!!!

3481412ホクホクっとした タダで 美味しい 幸せに恵まれて、心の元気もチョコッと回復 (#^^#)
そんな私の目に止まったのは、DoCoMoショップの斜め向かいにあった‘五平餅の品の字’という看板。
お土産に五平餅でも買って帰ろうかな!って思い、「営業中」の札を頼りに中へ入ると、10畳ほどの店内には中央にテーブル一つと椅子五つ、そして壁際二辺に小さなカウンター席があるだけの薄暗く小じんまりとした店内で、火の気もなく誰もいない…。
ホントにやっているのかな?と思いながらも、「こんにちは~!」と声をかけると、気の良さそうなおばさんがヒョコッと現われて、いきなりお天気の話しをされた。 おぉ~! この展開、なんかイイ感じだ!(^^♪
そして私が五平餅を注文すると、「今から焼くから、席に座って待っててね~」と言いながらストーブに火を入れてくれた。 何だか、知り合いのおばさん家に訪れたようであったかな感じがした。

オーダーしたのは、(写真・左から) えごまの五平餅・くるみの五平餅・黒ゴマの五平餅!

3481411しばらくすると蕎麦茶までふるまってくれて、それだけでも嬉しいなぁ~と思っていたら、おばさん今度は、「待たせちゃってゴメンね~、これでも食べてもうちょっとまっててね!」と言いながら、売り物の鬼まんじゅうを焼いて持ってきてくださった。
それが、メチャメチャに美味しくて、メチャメチャに嬉しくて、メチャメチャにあったかくて、そして、メチャメチャに感動した!
「おばさん~、商売にならないんじゃないの?」 と言うと、「そ~だね~」 と言いながらケラケラと笑うおばさん。
なんだか心が泣きそうになった・・・・・  こ~ゆ~の…、久しぶりだ・・・・・・

今日は、無理にでも外出して、ホントによかった。  
お腹も心も大満足だ! 凡夫の喜び、真っ盛り \(^o^)/

報恩講  ~初めての世話人~ [法座・座談]

今年、最初にして最後(?)の大役を、何とか無事に終えることが出来た。
それにしても、今年度はホントに数多くの報恩講さんとのご縁を結んでいただいた年だったなぁ~…
無自覚の喜びに溢れた高山報恩講に始まり、G先生とご一緒させていただき貴重の体験をさせていただいた西光寺さんでの報恩講、そして、はじめて参加した西本願寺本山での報恩講に、今回の初めて世話人として参加させていただいた報恩講さん。

一言で感想を述べるとすれば、 「もったいない…」  ただそれだけである…。

聞法を始めて一年が過ぎた昨年の8月、Knさんから、「今度の報恩講さんで、世話人をやってみない?」とのお話しをいただい時は、お酒の入った席だったし、ついついいつも軽~いノリで、「一年そこそこの私なんかに出来っこないじゃ~ん(^^)」って言いながらもヒョイッと引き受けてしまった。
10月になってあとの二人の世話人も決まり少しずつ実感がわいてくると、いったい世話人って何なんだ?と、具体的な疑問がわいてきた。 それと同時に、周囲からはあまり嬉しくない情報も入ってきた。

実際に世話人としてのお仕事をさせていただく前に、まずは三人しかいない世話人の足並みを揃えなくっちゃ!ってところから始まったわけだけど、これがなかなか難しく…(^.^ゞ 、OYさんからいろいろな悩みを打ち明けられて、ソレはソレで、コレはコレでしょと思いつつも…、 でも、所詮は他人を変えることなど無理なお話しで、それならば私に出来ることは遠慮なくさせていただいちゃおう!との決意と行動につながった。
最初のお仕事は、お世話係りの人員確保! こちらも、「僕がします」との言葉とは裏腹に一人も決まっていなかったので、私の方から率先して依頼さていただいたが、みんな みんな 快く承諾してくださって、まずはここで頭が下がった。

さて、次に世話人としてはどんなお仕事があるのか…
Knさんには、「進行表の通りにやればいいよ」と言われ、 MRさんには、「行事係りに相談するように」と言われ、 OYさんには、「僕は世話人の経験者だから大丈夫」って言われるけど、私自身、何をしたらいいのかサッパリ検討もつかない・・・
そんな時、Yuさんが‘おせっかいメモ’なるものを箇条書きにして送ってくださったことで、なんとなく方向が見えてきて、自分なりのマニュアルを作ってしまおう!と思い立った。
これをMRさんに相談して、AKちゃんやHMさんに助けていただきながらマニュアル作りを進めて行ったことで、自分なりに進行のイメージが出来てきて、また、何度も 何度も 校正を重ねるうちに、文字上ではあるけれど総括的な流れを把握することも出来てきた。

この年末・年始、お世話係りのマニュアル作りや、オリエンテーションのシナリオ作成、参加者名簿の作成などをさせていただいたおかげで、確かに大変ではあったけど、その勢いのままに報恩講さん本番へと突入することができた。
唯一心配だったのは、OYさんからのメールが大会以降プッツリと途絶えてしまい、何を伝えても一方通行のままその日を迎えることになったこと。 でも、当日の事前打ち合わせでは、二年生三人組による世話人のコミュニケーションもとれてきたように思う。

いよいよ報恩講の法要が始まった! と 思ったら、緊張のオリエンテーション! そして御法話の後のおやつタイム! そんで、座談の後には夜のオリエンテーションに、ディナータイムでしょ~!
容赦なくスケジュールが進行していく中で、全般を見ていて一番に思ったのは、「生活係りをはじめとする見えない所でお世話をしてくださる方々の苦労を横に置いて、前面で大きな顔をするな!」ということ。
今回、そのほとんどのメンバーがお世話係り未経験者であったにもかかわらず、大事無くスムーズに勤め上げることができたのは、やはり諸先輩方が造り上げてくださった歴史があったからこそだと思った。
私には、そのご苦労は見えないし、何もわからないけど、でも今回、世話人としてのお仕事をさせていただいて何よりも心に感じたのは、歴々と続く見に見えないご苦労が如何ほどのものであったか… ということ。
今にして思えば、これを教えていただくための、私のための報恩講さんであったと・・・・・。

そして、報恩講の最後に、『報恩講のうた』を歌わせていただいたが、 ホントに…、祖師聖人の御恩徳をはじめ、今、ここの私にまでつながった数々の御恩を、ほんの少しだけでも感じさせていただけたことに、涙なくして歌うことが出来なかった…。
泣きながら歌う私の横で、いつの間にかMO先生も泣き出されて、二人で鼻をじゅるじゅるとさせながら歌わせていただいた『報恩講のうた』が、今回の報恩講さんで一番印象に残った。

でも、一番嬉しかったのは…、 御法でも、御恩徳でもなくって… (*^^*)
G先生に、「いい子だな~、いい子だな~」って肩を抱かれて頭をグチャグチャにされたこと!  それが一等賞に嬉しかった[黒ハート]

親の名前を知っている [法座・座談]

井上さんとお別れをした後も、頭の中は井上さんからいただいた言葉で溢れかえり、胸の中はワクワクとした温かさで火照っていた。
Yuさんから、「井上さんが会ってくださったということ自体すごいことなのに、それを時間延長までして3時間近くもお話ししてくださるなんてすごい~!」と言われたとおりに、本当に素敵な出遇いをさせていただき、深い 深い時間を過ごさせていただいた。

帰り道、どこをどう歩いたのか…、Yuさんと何をお話ししたのか…、断片的にしか思い出せないくらいに頭も胸もいっぱいで、それを何度も心の中で復唱していた。

今回、母のことを通して思い知らされたと。
本当に私は、親の命の犠牲の上に平然と立っている・・・・・

私を、この世に人間として生まれさせるために、いったいどれほどのご苦労があったのか…、私には、その一欠けらもわからないし…、 感じることすら出来ない…。
でも、こうして人間として生まれさせていただいてからのことなら、ほんの僅かだけ…、ほんの時々…、感じさせていただけるまでにお育てをいただいた。
父と母がいなければ、私はこの世に生を受けることなど出来なかったという事実も、自分が幸せの真っ只中にいる時には感謝できたとしても、苦悩の最中にいる時には、平気で親を恨み殺す・・・・・
ここまで育てていただくのに、どれほどの愛を与えていただき、どれほどの犠牲を強いてきたのかなんて考えることもなく、私はいつだって自分の為だけに生きていた。
そう・・・・・、 人として生きている意味もわからずに、わがまま放題に生きて来た・・・・・

でも、今、何のために人として生まれさせていただいたのか、その意味をハッキリと教えていただき、これをコクンと頷けるまでに育てていただき、その愛に包まれながら生かさせていただいている。

井上さんはおっしゃった。  
私の母は、如来さまの命(めい)によってこの世に生まれ、そして帰って逝ったんだと・・・。
母が、何故に私を愛しんでくれたのか…、 そんな母の人生を何故に私一人が背負い、そして最後を看取らなければならなかったのか…
それはすべて私のためだったと・・・  すべてが、私一人のためだったと・・・・・・
母が、母の一生をかけて、母自らの命をかけて私に教えてくれたこと・・・、 私にはそのほんの一端しかわかってはいないだろう・・・・・。
でも、振り返ってみれば、順縁も、逆縁も、何もかも全てのご縁が、「これ一つ聞いて欲しい」 という 大きな 大きな 願いの元に、この私一人の為に用意して下さった道なのだと言える私がここに居て、これを教えてくださった師や友がいる。
すごいよ・・・  すごいことだよ!

井上さんが、何気なく、それでいて深く言われた一言が、私の胸元にほっこりと浮かんできた。

  「親の名前を知っているって、すごいことだよね!」

そんなすごいことを当たり前のようにしか受けていない私だけれども、私に人間としての生を与えてくださった真の親様の名前を知っているって、やっぱりすごいことなんだよね!
その親の名を呼ばせていただき、その親様から呼んでいただいた声を聞かせていただけるって、とんでもなくすごいことなんだよね!    南無阿弥陀仏

出遇い 井上さんと 鮨Bar [法座・座談]

井上さんが次に連れて行ってくださったのは、Caféの近くにあったお寿司屋さんで、ここでも井上さんから、「30分だけだよ」 との前置きがあった上で入店した。
そしてお寿司をいただきながら今度はYuさんも交えて三人でいろいろなお話しをした。
聞いているのがもったいなく思える話しもあれば、 へぇ~、そ~なの?! っていう面白い話しもあって、食べ物に目の無い私が、目の前に出されたお寿司を忘れてしまうほどに井上さんのお話しに夢中になった。

お話しをしている中で 強く 強く 感じたのは、‘御法のつながり’ というもの。
以前、S先生が教えてくださった、‘連続無窮のお働き’ というのを思い出した。
この私一人に聞かすため、Yuさんを始め、たっくさんの先輩同行、そして善知識がいてくださって、その善知識や先輩同行を聞かすためにも、やはりたっくさんの善知識や先輩同行がいて・・・
簡単に図形化すれば、私 → Yuさん達 → 井上さん達 → 田中さん達 → 田中お母さん達 → G先生 → KOZEN先生 →→→ 蓮如上人 → 親鸞聖人 → 七高僧 → お釈迦さま と…。
本来なら 決して 決して 一本の線にはなろうはずがないのだけれど、このように、この私一人に、これ一つを聞かすために、いったいどれだけの 長く 広い つながり、ご苦労があったのだろう… ということを、井上さんとYuさんのお話しを聞いていて今までになく具体的に感じさせていただけたように思う。

Yuさんの師匠は井上さん、その井上さんのお師匠さんである田中さんとおっしゃる方のお話しをたくさん聞かせていただいた。
お二人は、田中さんのことを‘閻魔大王’だと言われた。 隠し事など一切できず、すべてを見通されてしまうのだとか・・・σ(^_^;)!  そして、その上で言われる一言が、とってもキツイらいし~(^∧^)
「人を見通せる能力?」  いったいどんな人なのだろう・・・、  とても興味が湧いた。
そして、井上さんご自身も、そんな能力を秘めているのだそうだ。

井上さんとは今回初めてお会いしたわけだけど、先ほどのCafé Barでの、たった1時間足らずの会話の中に、私が自らの言葉で語る以前から、井上さんには私の過去とか、私が抱えている悩み、それに私自身が気付いていない私の問題点などが、サラリッと、何気なく話しの中に織り込まれていた。
井上さんから断定的に言われることなど何一つない。
でも、「どうしてそんなことを知っているの?」と問うよりも、「もしかしなくても、すべてバレてる?」ということを感じるのに不足はなかった。
井上さんとお会いして、始めのうちこそイイ格好氏の私が前衛に立ちはだかっていたものの、「私の根性は見通されている…」 というとろに腹が据わってくると、私の中には開き直りの気持ちが生まれて来た。
「バレる恥ずかしさ」 というものはもちろんある!
でも、それ以上に、私の知らない私までこの人は知っていてくれているんだと思うと、いつも無意識の内に分厚く重ね着をしている‘私’という着ぐるみを脱ぎ捨てて、裸で居られるような心地よさを、私は‘楽’だと感じていた。

でも、この考えは井上さんにもYuさんも否定された。
私には、「すべてを見透かされているという恐さが自覚できていない!」 というのだ。
「う~ん…、 でも、仏さまは、こんな私を隅々まで、全~部お見通しだよ!」 と言うと、「相手は仏さまじゃない! ソレとコレとは違うんだ!」  な~んだって…(^.^;)!

「30分だけね!」 と言われた時間が、アッと言う間に1時間、2時間と過ぎて行く。

井上さんのお話しが所々でわからなくなるのは、「御法の話し」と、「これは御法ではないけれど」という話と、「これは本音の所ね!」という話が、上手く自分の中で処理出来なかったからかもしれない。
とにかく、一つの言葉も聞き逃したらもったいない!なんて思ったから…、 欲張り過ぎたんだよね (^^ゞ
だけど、「忘れたくない! 心に、頭に、留めておきたい!」 と思っても、ものの見事に頭の中からあっけなく消えて行っちゃう・・・・・
でもね、井上さんの言葉って、頭じゃなくて身体の方にしみこんで行く感じがして…、 そして、ほんのちょっこと頭に残っている言葉だけで十分かなって思えた。

「そろそろ帰らなきゃならないけど…」と言われた井上さんから、「コレだけは伝えておきたい」と、最後に背を正して言われたことが、今もずっと私の心を包んでいる。

「自分のことをもっとよく知ってね。
 自分を深く見ていけば、当然嫌悪したくなる自分が見えてくる。
 でも、もっと もっと 深く自分を知ることで、自分を愛してあげることが出来るようになるはずだから。
 そして、自分を愛することが出来るようになったら、人をも愛することが出来るようになり、そうすれば、
 もっと もっと あなたは自由になるはず。 自分を解放してあげられるはず。
 自分を知るということは、自分を愛することになり、それは感謝の気持ちへとつながって行く。
 その感謝の心は、今、あなたが抱えている家族の問題をも解決してくれるだろうし、帰終するは如来
 さまへの感謝の気持ちへとつながっているのだから」
と ・・・・・・・・

井上さんの言葉は、とても不思議な響き方をした。
私は、何も言っていない…、 家族のことも…、 自分を愛せずに傷つけていることも…
私のことを私以上にわかってくれているって、すごく不思議な安心感がある。

一劫もの時間をかけて、この私を見尽くしてくださった如来さまの目には、いったいどんな私が見えているんだろう…、 そして私はどこまで深いんだろう…
これを聞かせていただく。 
それは、私を苦しめるためじゃないんだって事を、教えていただいたように思う。

出遇い 井上さんと Café Bar [法座・座談]

夕方の4時、新大阪駅からシャトルバスに乗って向かった先は、ゆめっせ新大阪センイシティーという繊維卸問屋街。
Yuさんがお仕事の電話をアチコチヘしている間、一人でセンイシティー内を Window shopping !
新大阪センイシティーは、1号館・2号館には100数十店舗もの繊維を中心とた衣料品や装飾品などのShopが軒を連ねたShopping Mallで、3号館には家電量販店などが入った複合商業施設。
この日はなかなか落ち着いて散策は出来なかったけど、また機会があればゆっくりと歩きたいな♪

さて、Yuさんと再び合流していよいよ井上さんとおっしゃるYuさんのお師匠さまのお店へ! 
Yuさんも少し緊張しているのかな? 口数が少ない。 
私もお店の前に着くと、今までのワクワクとした気持ちから、ドキドキとした緊張感へと一転…!
今にして思えばすごく無駄なことをしていたと思うけど、この時は、第一印象には特に気を付けなくっちゃ! な~んて外見に計らっている自分が居て…、 でもこれが後になってチャンチャラ笑えてくるほど無意味なことだったんだって知らされることになる…。

初めてお目にかかった井上さんは、想像した以上のロマンスグレーでとっても優しそうなおじ様。
店頭で短い挨拶を交わした後、井上さんはお店番の人に、「30分ほど出かけてくるから」と言いおいて、私たちを近くのカフェバーに案内してくださった。
「Yuさんと井上さんは、このたったの30分間にどんなお話しをされるんだろう…」、な~んて思いながらShopの席に着くと、それと同時に井上さんの優しい瞳は私に向けられ、そして井上さんから私への矢継ぎ早の質問が始まった。
正直ビックリした!  私は井上さんとYuさんのお話しを傍らで聞かせていただくだけのつもりでいたから、こんなにも自分が何かを語ることになろうとは、全く予期していなかった…!

最初に聞かれたのは母のことだった。
「なっちゃんにとって、お母さんは何?」  
自分からは、必要に応じて母のこと、また仏法との出遇いのことなどを、話すことはあっても、こんなにもダイレクトに質問されたのは初めてのことだった…。

そして一つ答えれば、すぐにその答えに対する質問が返って来て…、これを答えたら、またその答えに対する質問が返って来る…。 そして、次、次、次 ・・・ と、答える度にその答えに対する問いかけをされて、私はどんどん答えに詰まって行った…。

つまり、私は私のことを何もわかってはいなかった…、私は私のことをちゃんと考えたことなどなかった…、 ということを自身にハッキリと知らされた…。
モノ事の表面だけを剥き取ってわかったつもりになっていただけで…、 また、自分にとって都合の良い答えのところに居座っていただけで…、 自分の深層部の存在を知ってか知らずかわからないけど、これを今まで無視していたんだ…、ということ…
これを教えていただき痛感させられた・・・・・。

母のことに関する自己の掘り下げに詰まってしまった私に投げかけられた次の質問は、今まさに、私の心を強く締め付けていたポイントに直撃だった…。
許せない自分・・・ 
「なっちゃんが嫌悪している自分って具体的にどんな自分?」
次々に繰り出される井上さんからの止めどもない質問によって、私の中の様々な計らい心がポロポロと剥がれ落ちて行き、考能力も停止する。
そして最終的にポツリと残ったものが私の地金の一部…?
本心の蔵につながる鍵穴のようなものが見えたような気がした…。

この時の井上さんのお話しは、私にはわからないことが多かった。 と言うより、区別がつかなかった…、と言った方のが近いのかもしれない…?
ただ…、 井上さんには、きっと私の知らない私がたくさん見えていて、そこのところでお話しをされているんだろうな~って感じた。

当初予定していた時間の30分は当に回っていて、店員さんが、「このあと貸切の予約が入っているので…」と告げると、井上さんは、「それじゃ~、場所を変えて、もう少しお話ししましょうか」 と言ってくださった。
Yuさんは、「これはスゴイことだ!」 と言って妙にはしゃいでいる。
私はただ単に、「LUCKY~♪」 って!  大きくて柔らかな優しさに包まれた感じがした。

でも、席を立ち上がった時に井上さんが言われた一言・・・・・ 
「今までの話しは、全部ウソだから!」
と・・・・・  笑顔で言われたその言葉に、私は何がなんだか訳がわからなくなった?????

そして、カフェバーを出る時に井上さんが付け加えられた最後の一言・・・・・ 
それが、私の小さな心をはみ出して、 大きく 大きく 広がっていった…

「なっちゃんのお母さんは、阿弥陀さまの命(めい)により生まれられ、そして阿弥陀さまの命(めい)によって亡くなられた…、  お母さんは、帰って逝かれたんだよ・・・・・」

と・・・・・・・
この言葉がどんな意味を持つのか・・・、 こんな私にでもほんの少しはわかる・・・。

誰のため?    何もかもがこの私一人のため・・・・・
何のため?    私、こんなにも愛されている…、  私、こんなにも願われている…。 

井上さんから発せられた紫雲のようなものが、私の中に流れ込んで来るような錯覚を覚えた・・・・・

新世界 ・ 通天閣 [Travel]

今回の一人旅は、ここでおしまい! お昼過ぎには大阪城を出て一旦難波へと戻る。 

この旅のきっかけとなったのはこれより三日前のこと…、 Yuさんからメールで、
「今週末の金曜日、仕事で大阪出張することになって、その後に僕は僕の師匠と会うことになったんだけど、君も会ってみたい?」って聞かれて、
「もっちろん(*^-^*) ぜひ、ぜひ、会いた~い\(^o^)/」って即答!
そして、Yuさんの師匠から私も同席していいとの許可をいただいたので今回の大阪行きが決定した。
で、せっかく大阪まで行くのだから!と言うことで、ついでに大阪観光などしちゃった訳だけど、この後は、お仕事の終わったYuさんと待ち合わせをして、ここからは大阪二人旅(^^)v

「大阪には仕事でよく来るし会社が難波にあるんだ」ということで、ここら近辺に詳しいYuさんの案内で連れて行ってくださったのは、「新世界」といわれる歓楽街!

3465578これが・・・・・・  実に楽しい場所で、見るもの、見るもの、興味津々! かつ、新鮮な驚きp(^o^)q
ガード下の通路に広げられた、偽ぶらんど(?)品や、売れそうもない(?)余剰品を並べた露天商。
その先の狭いアーケード ストリートは、ジャンジャン横丁(南陽通商店街)と言うのだそうだが、潰れた店もチラホラとあるけど、その一つ一つのお店は個性的で面白くって、ついつい覗き込んだり、体験したくなってくる。
串かつ屋さんに並ぶ行列、立ち呑みの居酒屋さんでホントに立ち飲みをしている人たち、カレーうどんしかないお店、それに囲碁や将棋を指すお店なんて始めて見た!
お店だけではなく、街角のあちらこちらには意味不明のものもたくさん目に付いて面白い!
アーケードが途切れたところからは、「これは、大阪人しか着ないよねσ(^_^;)?」というような洋服屋さんが並び、その先の新世界公園本通商店街に出ると今度は、各お店の派手な外観とその装飾物に驚いた!
それに、真昼間っから居酒屋がOPENしている上に、店頭には何人もの店員が呼び込みをしている光景を見るのも初めてだ!
また、この通りは、アンティークなゲームセンターや、クラッシックなパチンコ屋さんもあって、何だかお祭りに来たような雰囲気が楽しめて、気分はかなりHighなる!

3465580え゛っ?! Launchに居酒屋f(^_^;? って思ったけど、その中の一軒に入ることになった。
オーダーしたのは、串かつ や もつ鍋などの大阪名物!  
へ~ぇ、大阪名物って、粉もんだけじゃ~なかったんだね~ って、一つお勉強になった(^^)v
串かつは、アボカド揚げやにんにく揚げ、それにたこ焼き揚げなんていう変りダネもいろいろあって面白美味しかったよ。 また、大阪流のソースの付け方なるものも知った(^.^;)
もつ鍋は、しょうゆベースなのか、みそベースなのかわからなかったけど、こちらも最後に底をさらうほど美味しくいただいた!
それに、真昼間からいただくカクテルのお味も最高~だね(*^-^*)

3465579Launchの後は再び新世界公園本通りから、今度は通天閣南本通商店街に出ると、その真正面に、「安心と信頼の日立グループ」と書かれたプラカードを貼っ付けた通天閣がど~~~んと聳え立っていた。
おぉ~・・・・・ 今まで、ちゃんと見ることなんてなかったけど、ここ新世界から見る通天閣はいいもんだね!

さてさて、すっかり遊んでしまったが時刻は夕刻になり、そろそろYuさんのお師匠さんとの待ち合わせ時間が迫ってきたので新大阪の駅へと戻る。

何だろう・・・ この胸の高鳴りは? いつものドキドキや、いつものワクワクとは、チョット違った感じ!
う~ン・・・ なんなんだろう?!   
あっ! もしかして… お見合いの前にはこんな気持ちになるのかも?! (^^;) 何のこっちゃ?!

大阪城 (石山本願寺) [Travel]

大阪旅二日目の朝、真冬の清々しい空のもと、大阪城へと向かった。
昨日よりも風が弱まったおかけで、今日は寒いなりにもお散歩日和(^^)v

大阪城公園駅から寝屋川沿いを歩いて青屋門へと向かう途中に桜の花を見つけた。
この桜、‘十月桜’という名の四季桜だ。 
その根元にはタンポポの花まで咲いて、何だか春先の小路を散歩しているみたいで楽しい~(*^^*)

大阪城に訪れるのは三回目かな? 
若かりし日は、ナンパなどをされて嫌な思いもしたけれど、今となればそれも懐かしい~な~f(^_^)
この歳になってしまったら、もぉ~誰も声なんてかけてはくれない?・・・ などと極楽橋の上からキラキラと朝日に照らされた内濠の水面を眺めながら、一人想い出にひたっていたところに、背後からそっと忍び寄る人の気配…!
「今日は一段と寒いですね~」 と声をかけられて振り向くと、そこには60歳台前半のおじさんがニコニコとしながら立っていた。
「そうね。 でも、風がないからいいわ!」 なんて言葉を返したものだから、この後天気予報の話から徐々にエスカレートして、「一人旅ですか?」などの会話が始まってしまった・・・(^.^ゞ。

そして、このおじさん、それは それは 親切な方で、こちらが頼んでもいないのにくっついてきてアレコレと観光ガイドをし始める。 f(^_^;
そりゃ~ね、何も知らないままに、ただ一人でトポトポと歩いているよりは、いろいろと教えてもらえてるっていうはありがたいけど・・・、
でも 私、正直言って、大阪城そのものには、まるで興味が無いのよね~ (^-^;)
だから、ちょっと退屈しながらもおじさんの話に付き合って、適当に相づちを打ちながらおじさんと一緒に歩く。
ただLUCKYだったのは、このおじさん、大阪城の歴史や周辺地理に詳しいだけじゃなくって、首から一眼レフのカメラをかけている通りに、お城の撮影ポインについてもかなり詳しい。
「いい所に連れて行ってあげる」、「秘密の場所を教えてあげる」、な~んて言う危険極まりない台詞を平気で連呼できちゃうこのおじさんって・・・、一体何者?(;^-^)ゞ

3463970そして、おじさんお奨めの撮影ポイントで私が一番気に入ったのは、日本庭園の池越しに見る天守閣。
無風の日には、この池の水面に天守閣が鏡のように映って、とっても美しく不思議な写真が出来るんだって、おじさん、自分の撮った写真を何枚も見せてくれたけど、ホントにきれいだった。
残念ながら今日は無風とはいかないけど、出来た写真はこんな感じ (*^-^*)→

3463971この後、おじさんとはバイバイして、公園内のお食事処で遅めの朝食に「あんかけうどん」なるものをいただいた。 うん(^^)v けっこういけてる! 美味しかったよ!!
お腹も落ち着き一人旅に戻ったところで、今回大阪城に訪れた最大の目的の場所を目指して歩き始める。

先のBLOGでも記した通り、豊臣秀吉がこの地に大阪城を建てる前、ここには蓮如上人が建てられた石山本願寺があった。
「ここにあった」ということが、一部出土品からわかっているだけで、寺としての実態は、ほとんどが未解明のままである。
なぜならば、ここ大阪城が国の特別史跡に指定されているが故に発掘調査ができないのだそうだ。
蓮如さまが御法の発信地として築かれた石山本願寺が、一人の人間の私利私欲の為に潰された だなんて・・・、 なんだか、考えさせられちゃうなぁ~

3458063桜門から出て右手 「多聞櫓」に向かって歩いて行った道の左手脇に、「石山本願寺推定地」と刻まれた小さな石碑がある。 それだけである。

もう一ヶ所、ここから東に戻って梅林の方へと向かうと、そこには蓮如さまの「六字名号の碑」がある。
そしてその裏手には、どんな意味があるのかわからないけど、「蓮如上人袈裟懸の松」とされる木の根っこが大事そうに囲われている。

今回、大阪城を訪問したのは、何となく昔が見たかったから・・・。 あくまで想像のみの世界だけどね!
でも、町全体が御法に溢れているってどんなんだろう~
毎日御説法を聞いて、家族とも、友達とも、ご近所さんとも、また道行く人とも法を語り合えるってどんな世界なんだろうな~ って思い描いていたら、みんな笑っている情景が脳裏に浮かんだ・・・・・
自分の内を見たならば、ドロドロの真っ黒けだけど、 でも、ひとたび御法を仰げば…!ってところで、 「所詮は今生ごと!」、 「わしら凡夫のやることは…」、 「仏さんのお心は~」、 な~んて、笑いながら‘南無阿弥陀仏’を口に称える人たちの笑顔が浮かんできた。

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