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「古川柳」 寒念仏 [川柳・俳句]

さて、昨日より古川柳を取り上げてお味わいをさせていただいておりますが、他にもいくつか紹介したいものがございましたので、今日も引き続き味あわさせていただきたいと思います。

「 寒念仏 ざらの手からも 心ざし 
「寒念仏」とは、寒の30日間、僧が早朝山野に出て声高に念仏を唱えながら寺院巡りをする修行の一つで、在家者も鉦(かね)をたたきながら念仏を唱え、各家を訪れて報謝を請うこともあったそうです。 また「ざら」とは、無信心者のことをいいますが、そんな信仰のある・なしにかかわらず、寒念仏の声を聞きくと、ついお布施をする気になってしまうという意味の句です。 南無阿弥陀仏

この「寒念仏」を句の中に込めた古川柳はいくつもあります。
しかし残念なことに、江戸時代において寒念仏の風習こそ一部では残っていたものの、人々にとって「念仏」とは、既に如来さまの御名ではなくなっていたのだなぁ~ と痛感いたしました。

たとえば、「 寒念仏 千住の文を ことづかる 
つまり、念仏を唱えて回っている先で、千住という宿場の女郎から、なじみの客への愛文を頼まれたということです。

また、「 白いのに その後あは(会わ)ぬ 寒念仏 」
「白いのに」というのは、丑の刻参りに着用する白衣のことでありますが、寒念仏をしながら寺院に参った時、人の目にふれぬよう、寒夜大樹の幹に怨念のくぎを打つのを目にすることがあるが、帰る頃には、もう姿を見ないということです。

「 寒念仏 世に捨てられた 月をほめ 」  
一見寂し気な、それでいてきれいな句に思いますが、寒夜の托鉢行には、願掛けをする者や、怨念に狂う丑の刻参りの者もいるという意味です。

お念仏は誰のためにあるのでしょうか! 何のためにあるのでしょうか!

江戸時代には、既に堕落した僧侶は数多くいたと文献にはありますが、お念仏の意味も、お念仏の御こころも知ろうともせず、僧も俗も三十日間の寒念仏に、ただ自我の欲を一心に仏頼みをするため寺院周りをするという古川柳しか残っていないのには、とても残念なことだと思いました。

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「川柳」発祥の日 [川柳・俳句]

10月7日は、「川柳(せんりゅう)」発祥の日であります。
川柳とは、五・七・五の音を持つ詩の一種で、スタイル的には俳句のようなものなのですが、俳句のように四季を象徴的に示す語句を読み込まなければならないという決まりはなく、必ず五・七・五の音でなければならないという制限もない、日常会話を使ったキャッチコピーのようなものなので、現代人にも親しまれやすく、「サラリーマン川柳」や、「奥様川柳」などといった公募もあちらこちらでなされています。
とは言いましても私は、やはり季節感のある俳句の方のが好きなので、川柳を作ることはあまりないのですが、人様の作品を詠むのは結構お好きでございまする。

なぜ、今日が「川柳 発祥の日」とされたのか。 それは江戸時代の中期までさかのぼります。
江戸に柄井川柳(からいせんりゅう)さんとおっしゃる連歌や俳諧連歌などの優劣を判定する「前句師」と言われるお仕事をされておられる方がおられまして、その柄井川柳さんが前句附興行の「万句合」、つまり課題の前句を付句して募集をし、応募のあったもの中より選句した作品を、今度は呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)さんという方が改めて選考し、それら作品を掲載した、『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』という句集を刊行されたのです。
それが大変に盛況だったことから、日常の一風景を五・七・五の音で詠む詩句は「川柳」という名で呼ばれるようになって巷に広まり、1757年に柄井川柳さんが「川柳評万句合」を初めてこの日に開催したことから今日が「川柳発祥の日」とされるようになったそうです。
その句集 『誹風柳多留』は、江戸中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていたそうですが、柄井川柳さんが選んだ句の中から呉陵軒可有さんが選出し、柄井川柳さんが編纂にたずさわった1~24巻までのものは、特に高い評価を受けているのだとか。

『誹風柳多留』を全巻読んだわけではございませんが、その中で私の心を動かした川柳がいくつもありますので、その内の2つほど記しておきたいと思います。

「 寝ていても 団扇のうごく親心 」
私が寝ている間も、私の知らない所で、いつでも どこでも 四六時中休む間もなくただ私一人の後生の心配をして、ただ ただ 私の幸せを願ってくださる親様の御こころに 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

「 蚊を焼いてさへ殺生は おもしろし 」
悲しいほど、まさに私の心そのものです・・・。 私は、殺生をせずば生きられぬ身です。
蚊は、私を殺さなくても、わずか血一滴で満足するのに、私はそいつが憎いのです。
「私を不快にさせる」と言う理由一つで、蚊一匹をいたぶり殺すことに喜びを覚える非情なヤツがこの私なのです。 こんな私を・・・、 こんな私だからこそ・・・、 如来さまは心配で心配でたまらず、一時たりとも私から目を離すことがないのです、願わずにはおられないのです。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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