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人間失格 [心]

今日も雨[雨]…      もう三日も降り続いてる。     
だけど、雨でよかった…    ホッとする…
体調不良[バッド(下向き矢印)]も続いてる…
こんな日にニコニコのお日様なんかに照らされたら、余計に気分が滅入りそう…
家族や友達と共有する時間はとても元気でいられるのに、一人になると足が砕けちゃう…
そして気がつけば、いつも逃げ場を探している自分がそこにあった・・・・・

何も手につかない…、何もしていない時間は、罪の意識に押しつぶされそうになる。
「人間失格」     そんな単語が脳裏に浮かんだ。
太宰治の「人間失格」   中学生の時に読んだきりで、内容は薄ら覚え…   
でも、どちらが本当の自分で、どちらが嘘の自分なのかわからなくなっていたあの時…
好きな自分と、嫌いな自分の分別すらも出来なくなっていたあの時…
そんな頃に「人間失格」という本と出合って、その本に自分を重ね、その本の中に何かを隠し置いてきたような気がした…

何をもって「人間失格」と言えるのだろう…
まともに生活できない人が人間失格となるのだろうか?
それじゃ~、「まとも」って何を基準にしているの?
そんな無駄な自問自答に費やす時間すらも疎ましい今日の私・・・・・

不意に 「人身受け難し 今已に受く ・・・」   三帰依文の一節が重くのしかかる。
このまま死んでしまったら、それこそ人間失格なんじゃないの? と自分に問われる。
「・・・・・・・・・・・・・」
言葉にならない自分の思いに、また気が滅入る・・・・・

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久しぶりの二人きり [心]

今日も雨[雨]・・・  今日も朝からたくさん泣いた[もうやだ~(悲しい顔)]・・・

昨日も今日も、自分はけっこう御法に浸っているな~ぁなんて思っていたけど、よくよく自分の心を見てみれば、私が仏さまのことを考えている時間なんて、ほんの数秒程度のこと。
でも、仏さまだけは、ず~っと ず~~っと、いつも いつも、私だけを見ていてくださっている。 

湧き出てくるお念仏も、時間がたてば止まってしまう。
それでもいい。 一度でも、そのお念仏を称えようと思う心を起こしてくれたことが嬉しいんだってやさしく包んでくださる。

たくさんのお友達に囲まれて賑やかに笑いられる時は、確かに幸せっ!て思える。
だけどそれは孤独な私から目を背けていられる間だけのこと。
孤独は怖い・・・  でも、一人で居られる時間は嫌いじゃない…。
何故かなって思った時、「あぁ、私は一人きりじゃなかったんだ!」ってことに気が付いた。
私が一人っきりでいる時間は、阿弥陀さまと二人っきりになれる時間だから…
私は甘えん坊のわがまま娘だから、阿弥陀さまとの二人っきりで過ごせる時間が好きだったんだな~って思った。

時々、死んでしまいたくなることが何度もあった・・・
「私なんか死んでしまえ!」 「私なんか堕ちてしまえばいい!」 と・・・
何をやっても、どんなに楽しくしていても、いつも私の中には得体の知れない罪の念のようなものが沸き起こってくるので、私は自分の心で必死になってそれを覆い隠してきた。
でも、心が手一杯になると、自分で自分を突き落としたくなる。
それで今まで何度泣いて来たのだろう・・・  
悲しくて…、悔しくて…、幾度となく流し続けた涙を、私は自分の涙だと勘違いしていたことに気付かせていただいた。
好き好んで崖っぷちから身を乗り出した私のその涙は、仏さまが流してくださった涙だったんだって・・・

みんな置いてかんならん…
みんな捨ててかんならん…
みんな、みんな、別れんならん…
このまま死んで行くんやで~ という言葉が、今、すごく重たい・・・・・

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半生キャラメル [心]

2769525義母は、自他共に認める思い込みの激し~ぃ頑固者。
その義母が、今日は簡保のバスツアーで、富山の砺波チューリップフェアーへ日帰り旅行に行って来て、夕刻、上機嫌で帰宅した義母が、「お土産だよ~!」 と、お刺身かまぼことキャラメルのお土産を買ってきてくれた。
義母はすごく得意げに、「これね~、今、話題の生キャラメル! ほら、テレビで義剛さんがやってるヤツよ~! 一度食べてみたかったのよね~!」とすごく嬉しそうに手渡してくれたのだが、「富山の義剛さんって?」 と 私…。
喜ぶ義母には言わなくてよかったことなのかもしれないが、間違いを言わずにはおれない性分なので、ついつい…(^.^ゞ
「テレビで人気になった義剛さんの生キャラメルは、北海道の花畑牧場の商品なんだけど…(^_^;)」
と言いながら包装紙を開けてみると…、
確かに、外箱は花畑牧場の生キャラメルと瓜二つなのだが、パッケージのどこにも‘花畑牧場’ の表示は無い。 
しかも、‘生キャラメル’ではなく、‘半生キャラメル’と書いてある。
「あのね、お義母さん…、 これ花畑牧場のじゃないよ!」 と私が言うと、
「チューリップフェアーだもん、花畑じゃん!」 と義母…。
全然ずれてる・・・・・[ふらふら]
「テレビで話題になっているのとは違うけどね(^.^ゞ だって、ここに‘半生’って書いてあるし…」 
と言うと、義母は、「騙された! あぁ、偽物買わされた! あ~ぁ~、また騙された~」 と、落胆する義母。
おいおい、誰も騙してないし、強制して買わせた訳ではなかろうに・・・(^^;)

義母のご機嫌に水を差してしまって申し訳なかったが、我が家ではこれは日常茶飯事のこと。
別に私が取分けて冷静な目を持っているのではなく、義母が飛びぬけて、先入観の早とちりにプラスして頑固なだけなのだが・・・(^^ゞ
義母は、一を聞いてそう思い込んだら、その考えがすべてだと決めつけ、こうなったらもう他の話しは耳に入らない。

私は、私が御法を聞く時、結局は私も義母と同じなのではないかと思った。
自分の考えに捕らわれ、自分の理想を正しいと決めつけ、それ故に真実の言葉が耳に入ってこない。
義母に、「お義母さん、自分でその性格わかっているなら何とかならないの?!」とは言うものの、私自身、御法を聞く上で何ともなっていない。
自分の中で「正しい」と決めるつける根拠も、結局は自分の思いでしかなく、その自分の尺度が正しいのかと問えば、これは日々時々に変化するものであって、まったく当てにはならない。
そうとわかっていながら、常に自身のものさしを頼りにしてしまう我から抜け出せない。
そうか、これが迷っている凡夫の姿というヤツだな、と義母を通して我が身を見せてもらった。

しばらくして夫が仕事から帰宅した。
帰ってくるなり、ダイニングテーブルの上に置いてある、例のキャラメルを見て、
「おっ! 花畑牧場の生キャラメルじゃん!」
と喜ぶその姿に、「親子だね~」と、ため息をついた…[たらーっ(汗)]

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♪ もう恋は。 ♪ [心]

今日は、少し風が強くて寒いけど、青空に新緑の映える晴天。
なのに私は、朝から同じ曲を何度も繰り返し聴きながら、デスクに額をつけたままうつ伏せて、ただボーっと時を過ごしていた…
やらなきゃならないことはたくさんあるのに、なんにも手がつかない…、 動けない…、
焦る心も、不安になる心、泣きたくなる心も、みんなみんな消えてしまえ!!!
だけど…、真っ赤に腫れ上がった心は、とても痛々しくて…
フッと、手のひらに痛みを感じて我に帰ると、ギュッと握りしめた拳の両手のひらに、少し伸びた爪が食い込んで赤く窪み、傷跡がクッキリと描かれていた…

気分転換にどこかへ行こうか…、
でも、やらなきゃならないことがあるから…、
そんな自己問答を繰り返しながら、心ばかりが疲れて行く…
もう…、 午前が終わっちゃった…。   正午を知らせる音が、意識を現実へと引き戻す・・・・・

今朝、不意に思い浮かんだメロディーが頭の中でRefrainされていたので、何となくCDを手にとり、Repeat機能を使って この曲だけを もう1時間以上も聴いている。
でも、何で私はこの曲を聴いているんだろう…  それも朝からず~っと…。
そう思いながら歌詞に耳を傾ける。
曲は、谷村有美の「もう恋は。」 むか~し昔、たまたま買ったCDに入っていた曲。
まったく忘れていたそのメロディーが、何故か今朝から私の頭の中で繰り返されていた。

   肌の熱さが、少しわかりかけている今日は、
   白く冷たいミルクがとてもおいしい。

   好きな言葉をポツリ つぶやいてみたら、
   涙出そうになるけど、それも嬉しい。

   振られないとわかる時だけ、夢中なふりしたよ。
   もう恋は、違う宇宙(そら)を見つけ、揺れているよ。

   手紙と電話だけが、あなたへ続く小径(こみち)
   それは切ないことでも、歩き続けた。

   強いまなざし、そっと見せてくれた瞬間(とき)、
   きっと、わたしの笑顔は、時間を止めたね、

これ、失恋の詩?  それとも、恋に臆病になっている恋心を歌っているの?  
ど~も 私には、この歌詞の意味はピンとこないな~ぁ
そう思いながらも、この曲に何かを感じた、その直感みたいなものが気になって、
「この曲の歌詞、私の気持ちじゃなくて、相手の気持ちだったとしたら…?」 と 思い、視点を変えてこの曲を耳にした瞬間、涙が溢れ出した… 南無阿弥陀仏

   振られたってしかたないし、あなたを責めないよ
   もう恋は愛に変えて、ずっと離さないよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

私は、こみ上げる思いを抑えることが出来ずに、嗚咽した。
こんなに泣いたのは、母を亡くした日、あの日以来だと思った。
さっきまでのボーッとした感覚は、もうそこには無く、言い知れない慈悲の念だけが心に届いて、これを受けきれない私自身は大声を張り上げるしかなかった・・・・・
「私には、もう、届けられている」 
それが、有り難かろうが、有り難くなかろうが、そんなことは関係ない。
私は一人、身体中を震わせながら大声で泣くしかなかった・・・・・

声が嗄れ、喉の痛みを感じながらフッと時計を見ると、もう、1時間以上も泣いていた自分に驚いた。

昨日の、MRさんとHMさんの来訪。 厳しくもあたたかいYuさんからのメール。
そして、この曲を私に届けてくれた仏さま。
「私は何もわかっていない…」、「そしてこれからも私には何もわからない…」
だけど、生きたお働きが私にかけられていることだけは実感した。 南無阿弥陀仏

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夢の後先(独り言) [心]

昨日、我が家に降臨された菩薩方のお言葉をBLOGに書き残そうとしても、実は、その大半を聞き流し、忘れてしまって文字にならない。
すごくもったいないと思うが、昨日は、「今、ここの所の私」、常に感じ、常に動き続ける自分の心を言葉に出していこうと、今までとは違う体験を望み、実践を試みた。

今までは、お同行の言葉から、また生活の中から、自分にピタッと来る御法を探しながら聞いていた為、何か御法的な感じがすると、それを記憶しよう、考えてみようと、心にメモをとるスタイルが板についていた。
でも、それは過去の自分に捕らわれていく姿で、今の自分を無視してはいないか…、と思い、昨日は、過去の思いに捕らわれず、言葉に振りまわれずに、今、私は何を思い、何を感じたているのかを表現してみようと思った。
また、それを可能にしてくれた菩薩方だった。

聞いた言葉ひとつ一つに反応する心や、全く動じない心や、様々な心が交錯する様子を客観的に見ていると、やはり一つとしてとどまることを知らない“無常”というものが実感される。
ただ、御法は、客観的では聞けず、自分という主体を仏様のものさしで見ていかねばならないと教えてもらったのだが、そこのところが、まだコクリと飲み込めていない自分がわかる。

また、HMさんに、「今まで、何 聞いとったん?!」と指摘され、確かに、聞いた、知ったと覚えていただけで、私は何も聞いてなかった…、何もわかってなかったんだな~と知らされた場面もいくつかあった。
これを、人から言われて初めて気付く自分の不甲斐なさに、落ち込んだり、また感動したり…、
刻々と変化する自分の心を見ているのは実にFunnyだが、その中の一点を常に避けている自分に気付き、何だかとても嫌な感じになる…。
MRさんに、「その嫌な所に仏様はおるんやで! そこでしか遇えんのやで!」と言われても、私は好き好んでそこに触れようとは思わない。
蓋をして、無視して、逃げる・・・ という作業を無意識の内に繰り返しながらも、これに反発をしている私も存在している。

聞いて初めて気付かしてもらったことに反応する心は、常に両極端な二つの心に分かれている。
例えば、「自分の思いや考えなどは、チョット横に置いといて聞くんやで!」と言われて、すぐに反応した口からは、「自分の思いを横に避けたら、何にも無い自分になってしまうがな…」と言葉にしながら、一つの心では、「あぁ、そうなんだ! 空っぽにしなきゃ~聞けんというのは、そ~ゆ~ことだったのか!」と肯定する一方で、「それじゃ~ダメだ! そんなことは出来ん!」と否定を繰返すもう一つの心がある。
これに疲れた・・・・・

数日前、法座の集いの時は、「ただ、聞く。 そのまんま聞かせて頂く」 ということが、こんなにも楽で、簡単なことだったのかと知らされたが、昨日はそ~ゆ~聞き方が全く出来ない…
どうしたら? どうやれば? という計らいだらけの汚染心に耳まで占領されていた。

ただハッキリとしたのは、今まで、「なっちゃん、何が欲しいん?」と聞かれても、欲しいモノだらけでちゃんと答えられなかったけど、今は言える。
「私は、確信が欲しいんです!」 と・・・・・
この間違いに捕らわれて身動きの取れなくなっている自分の姿を簡単にイメージすることが出来ても、そこから抜け出すことは難解で、もがき苦しんでいる感じ・・・・・

私は何を言っているんだか・・・・・
まったく文章になっていない・・・・・
今日の私は変だ・・・・・

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菩薩来迎 [心]

今日は、暑がりの私ですら暖房器具をONにするほど寒さを感じた一日だった。

ここしばらく、慌ただしい朝を迎える日が続いたが、今朝は、のんびりと朝のひと時を過ごすことができた。

10時半、家を出て和菓子店と洋菓子店を経由してから待ち合わせ場所の駅へと車で向かう。
変な緊張感で、自爆しそうな感じ・・・・・

待ち合わせ場所の改札口前に見慣れた人影を発見して、自爆寸前でとどまった気持ちに嬉しい感激が走り、無意識の内に駆け出した。
「MRさ~ん[黒ハート]
たった二週間前ぶりに会うMRさんが、ひどく懐かしく感じられた。
それから5分ほどして、「また迷っちゃった~!」と、HT姉さんも到着!
三人そろって歩き出すと、再び変な緊張感がぶり返して、なんだか自分自身に不自然さを感じながら、Launchには少し早めだが、近くのイタリアンレストランへと向かった。

レストランのテーブルについて改めて二人の顔を見ると、Yuさんからのメールが実感されて、何もかもがもったいない気持ちで胸がいっぱいになった。
MRさんは京都から、HMさんは三重からわざわざ私に会いに来てくれて、こ~ゆ~ご縁を作ってくださった大きなお働きがヒシヒシと感じられる一方で、こんな私で申し訳ないと慮る気持ちもムクムクと頭を持ち上げる。

食事をしながらの会話はすべてが仏法で、これ一つでも聞き逃したら申し訳がないという気持ちから肩に力が入りすぎ、それ故に、私の集中を妨げる周囲の雑音の方が気になって、意識は散漫するばかり…

食事の後は場所を自宅に移して、今年2月に旅したインド・ネパールの旅行写真を見ながら思い出話に花が咲いた。
この後、「眠くなってきた、おやすみ~」と、MRさんはお昼寝Time。
しばらくはHMさんと二人でおしゃべりをしていたが、何だかスラスラ言葉が出てくる自分が不思議だった。
今までは、「こんなことは口にすべきじゃない…」とか、「こんなことを話すのは恥ずかしい…」とばかりに、口を閉ざして来た事も、HMさんには素直に話せた。
一時間ほどして、HMさんと二人だけで会話をしていた中に、MRさんが目を閉じたままの状態で会話に入ってこられ、すっかり寝ていたと思ったが、実は今までの会話のほとんどを聞いておられたその姿に、またまたMRさんの超人さを思い知らされた。

夜の8時近くまで仏法三昧で…、
でも、一向にラチのあかない私というヤツ…、

そして今は、心も頭も いっぱい いっぱいという感じ。

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もしも… [心]

27548062754807家の近くにある Wedding House へダンとLaunchに行った。
平日で、Partyのない日にしか営業していないレストランなので、なかなか足を運ぶのが難しく、今回が初めて!
メニューは、7種ある炭焼きグリルのメインディッシュの中から一品選んで、その他のSide Menuは、Buffet Styleで¥1,050! これに、Drink & Dessert Barをつけて、¥1,580と結構お得!
お腹いっぱいいただいた[exclamation]
スタイリッシュに整えられたガーデンでは、結婚写真の前撮りをしているカップルが、とっても幸せそうな笑顔でカメラに向かってあれこれポーズを決めていた。
うふっ[ムード]  チョットだけ懐かしいけど、あの頃に戻りたいとは思わないな~[猫]

以前、物書きを趣味にしていた時に、出版社から「もしも・・・」というテーマでエッセイを書いて欲しいとの依頼があり、原稿を書いたことを思い出した。
企画書籍のかたちで数十名のエッセイストが書いたその本が出版されて手元に届き、それを読み進める内に、編集者が言っていた、「観点の違う個性」という意味がよくわかった。
作品の多くは、「もしもあの時こうしていたら…」とか、「もしも○○だったら…」とか、「もしも○○になれたら」などという内容のものがほとんどで、逆に、私の作品はそれらを頭から否定する内容だったので、アララ…と苦笑しながら読んだものだ。

帰宅してから、さっそくその本を読み返して、また苦笑した。

人は自分の人生において、いったい幾つの分岐点に立つのだろう。
そして私は、今まで歩んできた人生の中で、いったい幾つの分岐点を越えてきたのだろう。
時として人は、「もしも、あの時…」と過去を振り返り、別の道を選んでいたらと後悔することがある。

と、こんな生意気な書き出しで私の作品は始まっている。

私は、自分の人生を振り返った時「もしも、あの時」と、分岐点に立ち戻るような後悔はしたくない。 (中略)
人として過去を振り返ることも大切だけど、今まで自分が選んできた道、自分の歩いて来た道を後悔しても始まらない。 (中略)
もしもあの時、別の道を選んでいたら…、なんていう考えは、今日まで積み重ねてきた人生の、自分否定になってしまう。

当時、自分が文中に書いたその言葉に、今、お釈迦様を思った・・・・・
すべてを捨てられたお釈迦様と、何一つ捨てられず、今生にしがみ付いている私が、過去も、今も、そしてこれからも・・・・・

今まで私が、この道を選んで歩いてきたからこそ出会えた人たちは、まぎれもなく私の人生において、かけがえのない人たち。 (中略)
この人生の中で出会えたたくさんのご縁を感謝できるような生き方がしたい。

な~んて、 ハハハ、 笑っちゃう…
仏法に出会う前の、今から5年ほど前の自分に出会って思うことは、あの時、自信を持って確信していた「これぞ確か」と言っていた私って、いったい何者?
そして今の私も、あの時と同じ・・・・・
間違っていることも、迷っていることも、まったくわかってない・・・・・

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ただ、逃げて、逃げて、逃げる [心]

物心のついた頃…、いや…、まだ物心もつかず、自分の意思で歩くこともできなかった幼い頃から、毎晩同じ夢にうなされ続けた過去がある。

2752841夢の中のまだ幼い私は、祖母の背におぶわれて、自宅横にある寺の境内を抜けてその裏手にある祖母の家(母の実家)へとむかう。
そして、祖母の家の門前の際にタンポポが咲いているのを見つけた私は、祖母の背より、「そのタンポポを取って!」とねだり、
祖母が少し腰をかがめたその時、
視界の開けた私の目の前に、突如、巨大で邪悪な黒い怪物が私めがけて襲いかかってくる、
という場面で悲鳴を上げて、その自分の声で私は夢から覚める。
毎晩、毎晩、全く同じ夢を見て、同じ所で悲鳴を上げて大泣きをする私。
そして、恐怖の夢から覚めた後には、現実の恐怖へと続き…、毎晩大泣きをする私にたまりかねた父によって、私は毎晩、真っ暗な小部屋に一人きりで閉じ込められて、恐怖心をかき消すように泣き叫んだ。

いつ頃からこの夢を見始めたのかは定かではないが、妹が生まれた時には一人部屋を与えられたので、それ以前…   多分、1,2歳の頃から、3,4年間、毎晩、毎晩、まったく同じ夢を見続けてうなされた。

実際の身体の成長と共に、夢の中の私も成長して行った。
4,5歳になった頃、走れるようになった私は、夢の中でも、もう祖母の背におぶわれることはなくなり、いつの間にか、毎晩見続けていた同じシチュエーションのあの夢を見ることはなくなったが、しかし、得体の知れない恐ろしいものから必死で逃げる、という夢に毎晩うなされることには変わりなかった。

考えてみたら、物心つかぬ頃の夢の記憶を持っているのもおかしな話しだが、毎晩見続けたあの夢の光景は、夢に出てきたタンポポの花びらを数えることが出来るくらいに、今でも鮮明に覚えている。

就学前から毎晩見続けていた逃げる夢。
いつも、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げ切れることなく恐怖で夢から覚める。
何に追われているのかわからない…。
何が恐怖なのかもわからない…。
ただ、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、ひたすら逃げて、・・・・・
そんな夢を十数年も毎晩見続けていると、逃げ足だけは速くなり、私は恐怖に慄きながらも早く逃れるコツを覚えて、逃げ上手になって行った。

高校生になったある日、夢の中で私は薄暗い林の中を逃げ惑いながら考えた。
私を追ってくるのは誰なの?! 
この恐怖の正体は何なの?!
私は、ありったけの勇気を振り絞って逃げることを止めた…
そして、恐怖をかき消すように大声を張り上げながら必死の思いで振り返った。
何て叫んだのかは覚えていないけど、あの時の勇気と、振り返った時の光景は今も忘れてはいない。
何も無かったのだ…
私を追ってきた邪悪な黒いものの存在も、振り返ったその景色の中には、誰も、何も無かった…

15年間、毎晩見続けた逃げる夢は、その日を境にピタッと見なくなった。

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♪ 泣きたい日もある ♪ [心]

2750488雨の日って、すごく人恋しくなる。
傷つきやすくなったり…、一人でいることに怯えたり…、
でも、嫌いじゃない…。 雨の日も好き。

昼下がり、久しぶりに万里子と音楽を聴いた。
窓の外は雨…。 私の好きな雨が降っている…。

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   ぼんやりして過ごす午後は 時間も騒音(ノイズ)も消えて
   自分の年 思いながら ほおづえをついた…
   大人になりたい 子供に帰りたい
   いろんなわがままで 出来ているの 私…

遠藤京子さんの‘泣きたい日もある’という歌
思いがけず流れた懐かしいその曲に、心が引き込まれて、フッと会話が止まった。
そしてそのまま、窓をたたく雨をぼんやりと眺めながらそのメロディーに耳を傾ける。

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   手本のないこの道は 時に長くそびえ立ち
   雨上がりは 誰かに導かれるよう
   あなたになりたい あなたを忘れたい
   あふれる願いで 生きているの 私…

思い出に浸るわけではなく、ただその歌が、す~っと 今の私の心に入ってきた。
悲しいかな…、 
こんな曲の中からも仏様は私に語りかけてくる…
歌詞の一つ一つが、御法のように私に溶け込む…
込み上げてきた涙をこらえながら、あわてて自分の心から目をそらす

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   ただ嘘をつかずやっていけたなら それでいいと思う
   願いも わがままも 泣きたい日も あの人も  この世のすべてに 恋してる

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本派三河別院の報恩講&灌仏会 [心]

2735798先日、偶然に立ち寄った本派三河別院の関係者の方に「遊びにおいで」と誘われて、報恩講&灌仏会の行事にヒョッコリ飛び入り参加させていただいた。
こ~ゆ~大きな寺院の法座に出させてもらうのは初めてだった為、ちょっとドキドキしながらも、開始の30分ほど前に三河別院へ到着。
別院では、男性陣が会場の飾り付けに慌ただしく動きまわっているその横で、女性陣は本堂の片隅に設けられた余剰品バザーの物色で賑わっていた。
みんなから、「あんたどなた?」という視線を向けられはするものの、誰も何も声をかけてくれないので、居心地が悪いな~と思いながらも、私は本堂に設けられた一番後ろの椅子席に遠慮がちに腰をおろした。
10時になって鐘が鳴らされ、順次、僧侶の方々が御仏前に座される中、本堂の片隅で受付けが始まった。
そしてお勤めが始まってもなお、受付けに並ぶおばあちゃんたちのおしゃべりは止まらず、これにとっても違和感を感じながらも、初めて耳にする節で『正信偈』のお勤めに参加させてもらった。
お勤めが終わる頃ようやく受付も落ち着いたので、私も受付に行って、「初めて参加させていただくのですが、受付は必要ですか?」と尋ねると、ただ一言「要らんです」と言われて、用意してきた懇志も受け取られなかった。

お勤めの後、開会の宣言がなされて、いよいよ玄好寺・山科知瑞布教師の御法話が始まった。
しかし、「強い信念に生きることが大切」とか、「罪深き女人がどのように子育てに携わるか」など、取り留めの無いお話しにチョット幻滅しながらも、「今、阿弥陀様は、私に何を言っておられるのかな~ぁ」などと考えながら、初めの内はただぼんやりと聞いていたが、しばらくして法話のテーマが一つに定まってきた。 
それは川村官房長官の母で、元々敬虔なクリスチャンであったインテリジェンスな川村とし子さんと、その姑で平凡・無学な農婦の川村ふでさんのお話であった。

嫁いでからもキリスト教一筋のとし子さんであったが、愚痴一つこぼさずいつも穏やかな姑・ふでさんが喜んでおられる浄土真宗の教えとは何ぞやという疑問から、『歎異抄』三章の悪人正機説と出会ったことをきっかけに、やがて改宗されたというストーリーの中から抜粋しながらお話ししてくださった。
布教師さんと私とでは観点が少々ずれてはいたものの、私なりに聞かせていただいたことで一番心に残ったことは、ふでさんが独り言で、「顔も言葉も人に向けるものだから、気をつけないかんの~」と言われたその言葉を、布教師さんは道徳的見地から説かれたが、私は、ふでさんは他者に写る自分の姿を見せてもらっていたんじゃないかな~と聞かせていただいた。
そんなこんなで、すべてが一本違うんじゃないかな~ぁなんて、頭を垂れて聞けんでも、やっぱり自分に届けられている大嫌いの南無阿弥陀仏を称えたくなってきて小さな声で「なまんだぶつ」とつぶやいた。

午前の前半の御法話が終わって、後半の御法話は七高僧の中の源信僧都のお話であった。
源信僧都の略歴や、『往生要集』の概略、横川法語の一節などが記されたプリントを配ってくださったほか、カラーコピーされた数種類の弥陀来迎図や地獄絵図を使った御法話はとても取っ掛かり易くて興味を誘われた。

2735799午前中の行事が終了した後は、図々しくもお斎(おとき)をごちそうになった。
おばさんたちが作ってくれたシンプルな散らし寿司だったが、そのお米の一粒一粒まで、何だかとっても有り難くって、こんな食事は初めてだな~と感じたら、ついうっかり涙が出てきた。[もうやだ~(悲しい顔)]
隣りのおばさんに、「私、初めてなんです~」とだけ短く言い訳をすると、「緊張せんでえ~で~! 誰だって、何だって、始めてはあるもんだでね!」と自分勝手に解釈して慰めてくれた。

お昼休みは、見知らぬおばちゃんやおじちゃんたちと、お釈迦様の花御堂を囲んで甘茶をいただいたが、これがムチャクチャ不味くて、マジに吐きそうになった。 うぅぅ、苦行だ~ぁ!!
その後は世間談義しか耳に入ってこなかったので座を立ち、チラシコーナーで『一味』という小冊子をもらって、一人、席に戻って読みふけっていると、妙好人・庄松さんのお話が載っていたページにさしかかり…
その中に、字の読めない庄松さんが、「『大無量寿経』を読め」 と意地悪を言われたが、ためらうことなく経典を手にして、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよ」 と読まれたというお話しを読んで、知っている逸話であったはずなのに、初めて聞いたようなその一文に、また涙がこぼれてしまい、[もうやだ~(悲しい顔)] 誤魔化すのに一芝居を要すこととなった。

1時半、鐘と音と同時にお勤めが始まったが、大半の人にとっては他人事のようであった。
御法話は午前に引き続いて源信僧都の『往生要集』のお話をいただいた。
そこで阿鼻(無間)地獄のお話しをしながら一枚の地獄絵を見せていただいた中に、「8万4千の蛇と、4匹の銅狗(地獄の犬)が、口や毛穴から火を吹いて・・・」というお話しをいただいて、なぜ我が家の犬が四匹になってしまったのか[犬]が、わったような気がした。

この後も御法話はあっちこっちと散乱しつつも、再び川村ふでさんのお話をされた中で、グッときたのは、ふでさんが孫の建(たけ)ちゃん(官房長官)に、「建ちゃんや。 ばあちゃんは隣の部屋におるで、建ちゃんはこの仏間から襖を隔てたばあちゃんに向かって、こう言ってくれ…」 と、お願いをした。
そして建ちゃんは快くこれを引き受け、ふでさんがまだかまだかと待つ中、こう呼びかけた。
「 ふでや~、 そのまま来いよ~、 待っておるぞ~ 、間違わさんぞ~ 」 と・・・・・
その声は、孫の建ちゃんの声ではなく、阿弥陀様の声だった、と・・・・・
・・・・・ 何だか言葉を失った・・・・・

布教師さんの説かれる言葉の中には、布教師さん自身の様々な不安が見え隠れして、他人事ではない自分自身を見せていただいたような気がした。
そして最後に教えてくださった、「風は見えねど、風の姿はなびく草の上に見ゆ」という言葉に、
「そ~やね~、阿弥陀様の姿は見えんけど、阿弥陀さまのお働きは、時折、風のように感じることは出来る。
でも私はその風を、当たり前の如く受け流すことしか出来ん…[台風] ザルやな~ぁ」と聞かせていただいた。

御法座の最後には恩徳讃を全員で歌ったのだが、今日、三回目の涙が溢れてきた。[もうやだ~(悲しい顔)]
初めての御法座体験であったが、本当に御恩徳というのが感じられた。
でも、自由に泣けへんし[もうやだ~(悲しい顔)]、念仏も遠慮せなあかんのは[ふらふら] 酷やったな~ぁ

おさがりで頂いたフルーツキャンディーも含めて、本当に有り難うございました。[黒ハート]

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Positive thinking と Negative thinking [心]

今にして思えば、幼い頃から徐々に形成されてきた性格に加え、小学生の時に起こったある出来事をきっかけにして自分の心に鍵をかけ、いつの間にかその扉も鍵も見失ってしまった私。
しかし、三十数余年の歳月をかけてその扉を埋めて隠して忘れ去っていた私の前に現れたその人は、「君には開けなければならない扉がある」と言いながら、半年前、私にその扉を開ける鍵を手渡そうとした。
でも私は、怖くて、怖くて、その鍵を受け取ることが出来なかった。
そして今も、鍵はその人の手の中にある。
だけど、私が隠した扉の上に分厚くかけられた砂は、今はきれいに取り払われて、私が開けることの出来ない(開けたくない)扉のその存在だけはハッキリと目にすることが出来る。

先日、私のことを、「なっちゃんは、Positive Thinking(プラス思考)だから羨ましい。 自分はNegative Thinking(マイナス思考)の人間だからとても真似できない…」と言った人があった。
そ~かな~? 確かに、他人からはそう見えるのかもれない。
半年前までは、自分でも自分に騙されて、私はPositive Thinking(プラス思考)なんだって思っていたくらいだものね!
でも本当は私って、Negative Thinking(マイナス思考)の塊なんだって、私の扉の鍵を持っているその人に言われたことで、私自身が気付いちゃったんだ…。

自分の存在否定・・・・・
鍵を持っているその人から見た私は、今にも切れそうな綱の上を歩いているように見えるって言われて、私自身、それを容易に想像することができちゃった・・・・・
私はいつだって死にたがってる…。
私は生きていちゃいけない…、 私が存在すること自体が罪なんだ…
いつだって行き着く答えは「死」だった・・・・・
私は、そんなNegative Thinking(物事を悲観的な方向に傾斜した考え方)を扉のむこうに押し込め、知らん顔してPositive Thinking(物事を肯定的な方向に傾斜した考え方)をサラッと演じながら、これこそが私なんだと思い込もうと必死に生きてきたのかもしれない・・・・・
おかげで無意識の内にNegative Thinkingな私でいられる時間は延びたけど、御法の上ではこれが邪魔物だというのだから厄介だ!

そんな訳で時々鍵を持つその人が意地悪をして私の扉をこじ開けようとするが、私だって負けてはいない、それを楽しみながらも逃げる術は身につけたつもり?だ。
有り難くも逃げさせて頂くのが私のお仕事♪と、やはりPositive Thinkingで幸せを探し求める私なのである。

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今は、ただ感じていたい… [心]

今日は、夫が 「釣りに行くので一緒に海へ行かないか」と誘ってくれたので、久しぶりに同行する。
もっとも私は釣りをするわけではないので、ノートパソコンと読みかけの本を持って車に乗り込んだ。
行き先は未定・・・  こんなことはめったにないが、今日は夫任せで海へと出発[車(RV)]

もともと、海派の夫 VS 山派の私 、 それに、行き当たりバッタリ派の夫 VS キッチリ計画派の私なので、今日のようなお出かけは始めてかもしれない?!

車で1時間ほど走った所で、オープンしたばかりのshopping Centerを見つけて1時間ほど道草をしてから知多半島の先端へと向かった。
こちらに来るのは久しぶりで、前回来た時のことを思い出してチョットブルーな気持ちになった。
最後に来たのは五年前…  今は亡き母が、かろうじて外出できた頃に、「最後になるかもしれないから海が見たい」という母の希望でこの海岸線をドライブした。
今日のように穏やかであたたかな日だった。

私の記憶の中で母の姿はこんなにも鮮明に生きているのに、でも、もう母はいない…
「私にとっての母の死」とは、永遠の別れだった。 
でも、「母にとっての母の死」とは何だったのだろうか…  そして、「私にとって私の死」とはいったい何なのだろう…
そんなことを考えようとして…、でも、考えることはすぐにやめた…
昨日の法座の集いでUMさんが何度も何度も言ってくれた、「でも、死ぬんやで!」という言葉が、また耳元で聞こえたから…。

海辺に着いて車を停め、久しぶりに潮風を浴びながら、来る途中で購入したお弁当を広げてLaunchTime。
その後夫は釣りへ、私は昨日の記憶をパソコンに書き写すなどして午後のひと時を海辺でのんびりと過ごした。

夜、帰宅してすぐに夫はバレーボールの練習に行ってしまったので、私は再びパソコンに向かってメールの整理などをしていると、Yuさんからキツ~イ一言メールが届いた…(^^ゞ
「どこを見ている? 何が欲しい?」って・・・
私は反発する心そのままにメールを返した。
「どこを見ているのか? 何を求めているのか? そんなことを聞かれても、それでひねり出した答えなんて自分自身が作り出した産物でしかない!」と…
自分の見ているもの、自分が求めているものを表現する為の言葉を、自分の中から探し出すことに意味があるのかな~?って思ったから…

眠れずに過ごした法座の集いの夜に、布団の中でこんなことに気が付いた。
「この先どうしたいのか、どうなりたいのかを探し求めたって、まったく意味が無いじゃん! それよりも、今ど~なんかが大切なんだ。 だからMRさんは、「今、ど~なん?」ってよく聞いて下さるんだ!」って。
でもね、それを言葉にしようとすると頭が働いちゃう。
「今、ど~なん?」、「今、何を見ている?」、「今、何を求めている?」、
それらを言葉で表現する為に自分自身に探りを入れるよりも、私はただ感じていたいだけなのに・・・と思った。

でも、Yuさんのメールで、阿弥陀様は私の中にもいてくださるんだな~って感じられて、すっっっごく[黒ハート]有り難かった。
まだまだ全然書き足りないけど、この眠気には勝てない・・・(^_^;)[眠い(睡眠)]

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法城寺で初法座 [心]

2672530今日は、浄土真宗のメッカ・三河国のお寺での御法座に参加させて頂いた。

法城寺は、明治30年開基の尼僧院で、清沢満之(きよさわまんし・浄土真宗の僧であり近代宗教哲学者)の影響を受けつつも、浄土宗・鎮西派の正統派寺院であり、現在は、山崎弁榮(やまざきべんえい・浄土宗の僧)上人を慕う住職(僧侶)がこの寺を守っている。
細部まで手入れの行き届いた法城寺は、とてもオープンで、且つ、とても落ち着けるお寺である。

御法話の内容については、まだ手付かずのジグソーパズルのように頭の中でバラバラに分裂している状態なので後日振り返るとして、今日の第一の感想としては、「楽しかった」・・・かな?!
御法座に出て、御法話を聞かせて頂くということは、浄土真宗ではイコール機様(きざま・“私”の値打ち)の追及、言い換えるならば、見たくない私、知りたくない私の実相を聞かせて頂く訳で、決して楽しいものでも心地良いものでもないはずである…。
しかし、なぜか今日は心が楽になった。

支部長さんに提案されて、自分の心を天気に例えて見ていくと、法座に出る前は、今にも雪の降り出しそうなドンヨリとした冷たい曇り模様だったのが、法座が終わってからは、一晩中雪が降り続いた後の晴れた朝のように、大切なものは雪に覆われて見えなくなっているけれど、それでも晴れ晴れとした気分で朝を迎えたような、そんな空模様に心が変わった。

御法座が始まる前までは確かにいつも通りに憂鬱で、スキあらば逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのに…、
今日は何故だろう…、いつも御同行にされていた質問を、自分で自分に問うていた。
「なっちゃんは、わかってるじゃん!」「なっちゃんに、届いてるじゃん!」
「それなのに、これ以上、何が欲しいの?」 って・・・・・
それからただ漠然と、「私なんだ…、他の誰でもない、煩悩一具の私なんだ…」とも思った・・・・・

御法を聞いた後は、必ず頭の中がグチャグチャになって、何を聞いたかさっぱり覚えていないのだが、不思議なことに時間がたてばたつほど、心にきちんと入ってくる。
なので、今は深く考えずに…、今夜はもう寝よう~[眠い(睡眠)]

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東寺のハトと南無阿弥陀仏 [心]

京都駅から奈良方面の電車に乗っていた時、一緒に乗り合わせた女子高生達の会話に思わず苦笑してしまった。
京都駅を出てすぐの所に、「東寺(とうじ)」という真言宗の寺院があり、車窓からも国宝指定を受けた五重塔を見ることができる。
A子「あっ、 五重の塔だ! 法隆寺じゃない?」
B子「ホントだ~! 法隆寺の五重塔だ~!」
C子「でも法隆寺って奈良じゃなかった? もう奈良に着いたの?」
B子「そんなに早くは着かないでしょ~?!」
A子「法隆寺じゃないなら、京都タワー?」
と、車内でこんな会話を大声でしているので、見かねた乗客の一人が
「あれは東寺の五重の塔ですよ」 と教えてあげたのだが、
A子「へ~ぇ、東大寺にも五重の塔があるんだ~」
B子「えっ? 東大寺?東寺?どっち?」
C子「東寺って言わなかった?!」
A子「あっそ~ぉ、 じゃ~、京都タワーってどこにあるの?」
って …(^.^;)
どこから来て、どこに行くのか知らないけど、とても愉快な女子高生達であった …(^^ゞ

2667598そういえば以前、東寺の境内を歩いていた時のこと…。
歩く私の足元にたくさんのハトが群がり、普段ならばそのまま行き過ぎるところを、その日は一羽のハトに目が止まって思わず立ち止まった。
群がるハトの群れがあちらの方へ飛んで行っても、その一羽のハトだけは私の足元から飛び立とうとはせず、不自由そうに小砂利の中から餌を探しながら私の周りをウロチョロしていた。
そのハトには足首から先の片足が無かった…。
他のハトの食べ残しや、偶然に舞い落ちてくる木の実を貪り食べながら必死で生きているその姿に、私は思わず目を捕らわれてしまった。

哀れだと思った…。
助けてあげたいと思った…。
その時、「南無阿弥陀仏」と口から出てきてハッとした。

「お前が哀れで見ていられない。
どうかこの弥陀にお前を救わせてくれよ」

そう言って阿弥陀様の方から頭を下げて下さってるのだ、と、いつも聞かせてもらっている御法が脳裏によみがえった…
慈悲の大きさは異次元的桁ハズレに違うけれども、私がこのハトを見て、哀れに思い、救ってやりたいとの気持ちを起こして、どうすればよいのかとこれを思案した、この一連の流れこそ「仏願の生起」ではないか・・・・・
私はこのハトと全く同じで、この私にかけられた阿弥陀様の願いなど微塵も知ることなく、今を生きることにただ必死になっている…。
自身を哀れむことがないのは、自身の醜さ、罪深さ、不憫さなどがまるでわかっていないからだ。
私はこの一羽のハトを見て、いつ死ぬともしれない身でありながら、欲望任せに小さな生き甲斐に身を窶している… 
あぁ、かわいそうだ…、聞かせてあげたい…、助けてあげたい…、と思う心そのままが、阿弥陀様の目から見られた私じしんで、このハトと何もかわらないだと思った…
だからと言って何もかわらない…、 わからないものはわからないままに、 ただそう聞かせていただいた。

“嫌い” は、 嫌い [心]

私は、誰も嫌いになりたくない。 
人を恨んだり…、妬んだり…、 そんなことに心を傾けたくはないのだ。
だからと言って誰からも好かれる自分かと言えばそうではなく、そんな私だからこそ、妬まれ、嫉まれ、嫌われることもある。
今までも、そんな人たちからの嫌がらせやイジメで泣いたことだって数知れずあった。
でも、その人たちに対して私自身が恨み心を起こせば、自身の真っ黒の心に己が傷つき、マイナスのエネルギーに疲れ果てると、「私が生きていることが迷惑なんだ…」という極論にたどり着いた挙句に、 “理想の死”に逃げ込みたくなるので、だから私は誰も嫌いになりたくないのだ・・・・・

人の心ほど無常なものはない。
一刹那、一刹那で私の心は次々と変化し、“常(つね)”を保ち続けるということなどあり得ない。
どんなに好きな人でも、その人のしぐさや言葉などから嫌いな(好きな)部分が増えたり減ったり、常に変動するものだ。

その人のすべてが(100%)好きだ!なんてことは夫婦でさえもありえないように、その人のすべてが(100%)嫌いだ!ということなんて無いんじゃないのかな~ぁと気付いた時から、「あの人は好きになれない…」と思っても、その人の中から「1%の好き」な部分を見つけて、そこを取っ掛かりに、嫌いな人・苦手な人意識を転換していく・・・
そうやって自分を守りながら生きてきた。

自分はそれでいい・・・・・
自分自身は、醜い心を抑えて、ただきれいな所にだけタネを蒔いて、「好き」という気持ちの花を咲かせ続けていれば傷つかずに済むかもしれない・・・・・
だけど、相手の心はそうはいかない。
私が、どんなにその人にあこがれ好きだと思っていても、その人から「あんたなんか嫌い」と言われれば、やっぱり傷つき、落ち込んでしまう・・・・・

現に今、それですごく落ち込んでいる・・・・・

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自己愛の発見 [心]

お釈迦様が成道なされた年、コーサラ国(中インドにおいてマガダ国と並ぶ2大強国)の王に即位したのがプラセーナジットであり、後に祇樹給孤独園精舎となる林園を譲ったジェータ太子の父王である。

そのプラセーナジット王の妻・マッリカー王妃は、敬虔な仏教徒であり、お釈迦様の御説法もよく聞いておられ、王はそんな王妃をこよなく愛しておられた。
ある日、プラセーナジット王はマッリカー妃にこんな質問をした。 
「マッリカー妃よ、そなたにとってこの世の中で一番愛しい者は誰か?」 と…。
プラセーナジット王は当然の如く、王妃は、「王様のことを世界で一番愛しています」と答えるだろうと思っていた。  
しかし マッリカー妃は、「この世の中で一番愛しい人は私自身です。 自分以上に愛おしく思える者は他にございません」 と答えた。
プラセーナジット王は、期待はずれの王妃の答えにガックリと肩を落としたが、逆にマッリカー妃に、「王様にとって、この世の中で一番愛しい人は誰でしょうか?」と尋ねられると・・・・・、
「よくよく考えてみれば、私も自分のことが何者よりも一番愛しい…」と答えられたという。
後日、プラセーナジット王とマッリカー妃はそろってお釈迦様のもとを訪れこの話しをしたところ、お釈迦様は、
「人の想いは常に変化すれども、己より愛しいものを他に見出すことはない。 
どんな人も、己はこの上なく愛しい。
されば、己の我愛の強さ深さにおののく者は、他をも害するなかれ」
とお二人に説かれたという。

私の我愛は果てしなく底知れない・・・・・・
私が一番正しい…、 私が一番愛おしい…、 私さえ…、 私、私、私・・・・・・・ と、切がない。
今日、友達とニュースの議論をしていて、そんなことを感じた・・・・・

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“生き物” と “食べ物” [心]

“生き物”と“食べ物”に違いはあるか? こんなテーマで考えてみる。

今日、早朝から海釣りに出かけていた夫が夜遅くに帰ってきて、本日の成果を嬉しそうに報告した。
魚の方は既に死んでいたが、イカはまだかすかに生きていた。
「まだ新鮮だよ♪ どんな料理を作ってくれる?」と、夫はとても楽しそうだが、私の心は複雑だった。
いつも思う・・・  釣りなんて残酷な趣味だわって・・・。

夫の釣ってきたイカは、もう動く力は残っておらず、吸盤もほとんど吸い付くことも出来ないが、イカは最後の力を振り絞って体の色を変化させては敵意を表わしている。
釣られたその場で絞められる(さばかれる)のと、息絶えるまで何時間も苦しい思いをしなければならないのと、イカにとってはどちらの方が不幸なことなのか・・・・・? などと考えさせられた。

人間だって同じである。
私たちは、生きている間のことしかわからないから、病気で苦しんでいる人を目の前にすると、いっそうのこと死んだ方のが楽になれるんじゃないかと思ってしまう。
私もかつてはそう思っていた。
病気の為に、苦しんで苦しんで苦しみぬいた挙句に死んでいった母に、「もう苦しまなくっていいから、ゆっくり休んでね」と、心の底から信じてそう言葉をかけた。
でも、生きている間の母の苦しみは、私の目で見て知っているけれど、死んだ後のことは、単なる私の空想、そして当てのない願いでしかないのだ。

死後の世界を明確に教えているのは仏教しかない。
そのお釈迦様が仰るには、「生あるものがひとたび死ねば、この世の苦しみとは比べものにならないほどの極苦の世界に落ちていかねばならない」と説いておられる。
なぜならば、因果の道理という真理のもとに、因果応報は免れることが出来ないからである。

夫が釣り上げたイカは、いつの世か、夫自身が釣り上げられて、それで業は果たされる。
夫がイカを火で炙ったならば、夫もいつは火で炙られ、夫がイカをまな板の上でさばいたならば、夫もいつかはまな板の上で生きたまま皮をむかれて体に包丁を入れられるのだ。
人ごとでは決してない。 私もそうやって生きている。
それどころか、私のズルさは夫を上回っているかもしれない・・・。
だって、死にそうな状態で苦しんでいるイカを見て、「残酷だ、かわいそうだ」などと言っては目を覆うくせに、皿に盛られた刺身の状態になれば、「美味しい」と言ってそれを口に運ぶ。
いつの間にか、“生き物”から“食べ物”へと呼び名を変えて満足している私・・・。

以前、御法話の中でG先生が、「人間は、“生き物”を、自分の都合で“食べ物”と呼称する」と、お話されたことがあった。
まさに、それだ!
どこまでが“生き物”で、どこからが“食べ物”なのかは、まったく人間の都合で分別しているに過ぎない。

そういえば今日の夕方のニュースで、「動物虐待に反対する団体」がいかに素晴しいかということをニュースソースにしていた。
彼らは、人間がペットと呼ぶ動物に対しては愛護するが、その一方で、家畜として分類した動物に対する愛は全く無い。
「動物虐待に反対! 動物愛護は素晴しい!」と言いながら、牛さんや豚さんや鳥さんを口にしているのだから、チャンチャラおかしな話だ。
“生き物”と呼ぶのも、“食べ物” と呼ぶのも、“ペット” と呼ぶのも、“家畜” と呼ぶのも、全~部人間様のご都合で、何が“悪”で、何が“善”かも、人間様が自分勝手にこしらえた妄想でしかない。

“生き物”と“食べ物” に違いはあるか? という疑問自体が間違っていた。
私が“食べ物”と思っている肉も魚も、みんな“生き物”なのだ。
私は、それら“生き物”の命を犠牲にした上に生きているのだ。
自分の都合で “食べ物”にしてしまった“生き物”たちに、慰霊碑だとか慰霊祭なんかで誤魔化したって、なんの償いにもならない。
私が“食べ物”にした分だけ、私も“食べ物”になるということ。
これを信じられないだとか、生きてく為には当たり前の摂理だなどと、どんな言い訳を並べたところで、因果の道理は変わらない。

実際には、目に見えぬ真実など信じることなんか出来ないけれど、お腹が満たされている時だけは、“生き物”を“食べ物”と呼ぶことに、少しだけ胸が痛む私なのである・・・・・

P.S. コウイカのお刺身は、イカ味噌とダシ醤油を混ぜたもので食べると上手い[わーい(嬉しい顔)]  (懺悔[あせあせ(飛び散る汗)]

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自分の考えが一番上等? [心]

親友のKちゃんに、前々から相談されていたことが、解決したかと思いきや、かえって大きな問題となってしまった。
Kちゃんからの相談は、「家庭法座を開いて、どなたかの先生に御説法をお願いしたいのだけど、どうしたらいい?」というものだった。
私は、家庭法座について、別の親友からある程度の情報を集めてKちゃんに伝えた。
あとは、Kちゃんから直接本部に電話して、こちらの希望を伝えた上で、先生のスケジュールを伺って、それから次の段取りを決めましょうと言うことになった。
しかし、一ヶ月、二ヶ月を過ぎても、Kちゃんはなかなか本部に電話をしない。
なのに毎回、電話や会う度に「家庭法座、家庭法座」と口にする。
どうやら自分の家庭環境と、心の準備が整わないことを理由にしているようだ。
私は、「今から申し込んだって、先生のスケジュールは一年先までギッシリ埋まってるんだから、とっとと電話をしないと予約が取れないよ!」とKちゃんを急かした。
そして先週、やっとKちゃんは本部に家庭法座の相談と希望を伝えたそうだ。

そして今日…
本部からの回答が届かないことにシビレを切らしたKちゃんは、自ら本部へ催促の電話をしたそうだ。
その回答が、「〇月〇日に、会長先生が伺うことになりました」とのことだった。
Kちゃんは大喜びである。
さっそく私に電話をかけてきたKちゃんは、「あこがれの会長先生が我が家に来て御説法して下さることになったの~!」と大はしゃぎであった。
でも、その日は、所属している支部の法座が、別のお寺で開催されることになっていた。
私はKちゃんに、「〇月〇日は支部の法座がある日でしょ?! 本部は知らないかも知れないけど、Kちゃんは知っていながら、何でその日にしちゃったの?」と聞いた。
Kちゃんは、「あっ、忘れたて…」と答えた。
私はKちゃんに、「すぐに、家庭法座の日にちの変更を本部に連絡して相談した方のがいいよ」と提言したのだが、
Kちゃんは、「せっかく会長先生が来てくれることになったのに、もし、日にちの変更の電話をして、会長先生が来てくれなくなったらイヤだもん、絶対に連絡なんかしない!」と言い張った。
私が何を言ってもKちゃんは、「私には、日にち変更の電話なんか出来ない!」の一点張りで、一向に埒が明かないので、私はKちゃんに、「支部長に電話をして、支部長の意見を仰ぐように」と言って電話を切った。

夕方、再びKちゃんから電話があった。
Kちゃんは、「今、支部長さんと連絡がついて、支部長さんも他の人を誘って、我が家の家庭法座に来てくれることになった」と言った。
私は驚いてしまった。
支部を運営して取りまとめるべき立場の支部長が、既に、ずっと以前から予定をしていた支部の月例法座をそっちのけで、会長先生が来ると言う家庭法座の方に自らが出席をするとは・・・・・、 何故? と思った。
Kちゃんが支部長に、どのように伝えたのかは定かでないが、Kちゃんは、会長先生が来てくれることになった家庭法座の日が、支部の月例法座と同日になってしまったことは伏せて(知らないふりをして)、話しをしたと言っていた。
支部長は、とても尊敬できる人、私の理想の、姉のような人である。
その支部長が、自らの支部をかき乱すようなことをするとは思えない・・・
もしかして、〇月〇日の支部の月例法座が、先方のお寺の都合でキャンセルになったのかも…、と思い、その法座の企画・交渉をした前支部長であるKu氏に電話をして確認をしてみた。
しかしKu氏は、「〇月〇日の月例法座は、予定通り〇〇寺で行うし、先方の〇〇寺にも、そのつもり準備をしてもらっている。
支部長もこれを承知しているハズなのにどうして・・・・」と怪訝そうであった。
私はKu氏との電話を切って、すぐにKちゃんに、「〇月〇日の定例法座は、予定通り〇〇寺で行いますので、家庭法座を開かれるのなら、支部とは別でやって下さい」というKu氏の意向を伝えた。

しかしそれでもKちゃんは、「支部のMさんと、Kさんと、Iさんと、Oさんと、・・・・・は、絶対に家に来て欲しいの」という。
Kちゃんが名前を挙げた人は、支部の幹部を担う面々である。
この人たちがゴソッと抜けてしまったら、支部の法座は成り立たなくなってしまう。
そのことを知っていながらKちゃんは、なんやかんやと自分に都合の良い理屈をつけて、自分の希望を一歩も譲ろうとしない。
全くもって、腹の立つ話しである。
私はKちゃんに言った。
「もしも、Kちゃん家の家庭法座の方が先に決まっていたとして、それを間近になっていきなり私が、家でも法座をやるからみんなこっちにおいでと引き連れて行ってしまったら、Kちゃんはどう思う? いい気持ちする?
それに、定例法座か、家庭法座か、どちらかを選べと言われた支部の人たちだって、みんな気持ちよく法座に参加できなくなっちゃうんじゃないの?
第一、恩だとか義理だとか、Kちゃんが言っていることのすべては、どんなにきれいな理由を並べ立てとりつくろったところで、「自分が一番大事」・「自分が一番正しい」・「自分のすることが一番上等」等々、“欲”丸出しの醜い言葉にしか聞こえないよ!」
と言ったのだが、それでもKちゃんは、自分の願望を一つも曲げようとしない。
挙句の果てには、「もっとわかってくれる、別の人に相談する」と言って電話を切ってしまった。

残念であった・・・・・

私にもへそ曲がりの仁義はあるので、〇月〇日、私は定例法座の方に参加するつもりだ。




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建て前より本音の世界 [心]

今日は支部法座に出席[るんるん]
その後の仲間との飲み会は、かなり盛り上がってとても楽しい夜を過ごした。
特に最後のテーマ、“夫婦”についてのトークは、意外な人の意外な発言で、仲間の信密度がかなり深まった。

N村氏は、自分の本音を表に出すことなく、他人と話しを合わせることの得意な人で、世間では人当たりの良い人で通っていた。
しかし法座の席でHiちゃんが、「そんなN村さんでは、御法は聞けんよ!」と指摘したのをきっかけに、みんながN村氏の本心を引き出そうとした。
でも、社会の中で生きている以上、本音は隠して建て前で生きていくのが当たり前の世の中にいて、いきなり本心を語れと言われても、どう表現したらよいのもかと戸惑っていたN村氏だったが、
「本音を言えば人間関係は崩れてしまいます。自分はそれで失敗した経験があるから…」と口を開かれた。
そしてYu氏に、「世間ごとをどんなに取り繕ったとしても、それは所詮無常のもの。
しかし仏法は、そんな見せかけの自分では、誰とも、何も関われないよ」と言われて、少し間をおいてからこんな話しをされた。
「実は、わたしが本音を妻にぶつけてしまったことで、家庭は離婚の危機なんです…」と…。

私はすごいな~と思った。
世間では、夫婦といえども本音で付き合うことは難しいというのに、仏法の場では、本音でなければ付き合えないという現実に、ある意味感動を覚えた。
また、N村氏の離婚話しを聞いて、夫婦問題の仲裁をするアドバイスをする人もいなければ、離婚問題の原因となった出来事に良し悪しをつける人もいないというのも世間とは違う展開だなぁと思った。
法友が口にするのは、「他人の不幸って、聞いてて面白いな~」とか、「人の不幸は蜜の味ってか?!」などと笑いながら話している。
語る方も本音なら、聞いている方も本音を口にする。
これってすごい!って思った。

信の一念を得た人は、常に光明に照らされているから罪悪深重である本当の自分の姿、自分の値打ちというものを知っている。
そんな迷いの世界にいる“人間”というものをわかっているからこそ、この人たちの前ではどんなに取り繕ったとしても無駄、かっこよく演じたとしても道化でしかないのである。
だから一緒にいて楽なのだ。
私は、腹黒く、欲深く、自己中心的で、醜く、汚く、浅ましく、空恐ろしい人間であると既に知られて(聞かせていただいて)いるから、そのまんまの本音で付き合うことができる。
親鸞様が、「この世の臨終を迎えて後は、地獄一定の身でありながら、心は浄土で遊ぶなり」と仰られた世界がここにはあるのだなぁと思った。

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代理ミュンヒハウゼン症候群 [心]

ニュースで、代理ミュンヒハウゼン症候群という名の病気を初めて耳にした。
調べてみると、周囲の関心を自分に引き寄せる為の工作を実際に行動に移してしまう精神的な病気だそうだ。
‘ミュンヒハウゼン症候群’という、自らが虚偽話をしたり、自傷行為に及んだり、病気を装ったりする症例に対して、自分以外の他者を傷害対象として、これに関連させて周囲の関心を自分に引き寄せ、精神的自己満足を得ようとする症例を‘代理ミュンヒハウゼン症候群’というそうである。

今回の事件は、35歳の母親が、五女(1歳10ヶ月)の点滴に腐敗した液体を混入した殺人未遂罪で逮捕され、その取調べの中で、昨年、入院中の四女(生後八ヶ月)に対しても今回と同様の手口で死に至らしめたとされ再逮捕となった悲劇的な事件である。
被疑者である母親は、七年ほど前に死亡した次女(三歳)の看病をした際、周囲から褒められ、認められたことに喜びを覚え、この時の自己満足を満たす優越感が忘れられずに今回の事件を引き起こしたのだと報道された。
私は、彼女(被疑者である母親)のことは何も知らない。
でも、彼女の気持ちはある程度理解できるような気がする。

世間の人は、この事件の残虐性を面白おかしく話題に取り上げては彼女を非難している。
精神学や心理学のおエライさんは、自論で彼女の人物像を固めて偉そうに論じている。
でも、人間は誰でも彼女と同じ心を持っているものだと私は思う。
褒められたい、認められたい、気遣われたい、いい人だと言われたい、尊敬されたい、私の存在を知って欲しい・・・・・
そんな自分の欲望を満たす為に私は生きているのだから・・・・・
この欲望を満たす為の方法を、彼女は自分の子供に手をかけるという道にしか見出せなかった為に悲劇となってしまった。

この事件と、彼女の気持ちを思う時、私はなぜか涙が出てくる。
物心がついた頃から私はず~っと彼女と同じ思いに苦しんでいた。
幼い頃は、両親に注目されたくて大声で泣き叫んだり、おもちゃを投げ捨てたりして言葉にならない感情を丸ごと親にぶつけることが出来た。
少し知恵が付いてくると、親や先生に褒められたいが為に道徳的に良いとされることをしては周囲にアピールするようになった。
学生時代は、周りから除け者にされるのが怖くて自分の本心を隠して生きることを学習しながら、それでいて自分という人間の存在を周囲の人たちの中に確認しながら生きてきた。
社会人になると、会社や組織の中で認められたいが故に頑張る。
表向きは会社の為に業績アップといいつつも、常に自分の立場や周囲から見た自分という者を意識しながら、ただひたすらに自分の為に仕事に精を出す。
私は幼い頃から今現在までず~っと、そしてこれから先もず~っと、独り孤独な生き方はしたくないし、いつだって周囲から認められて生きていきたいと思っている。
その腹底にあるのは、自分が一番可愛いという自己愛の心だ。
私は、この私のプライド高き自己愛の心を傷つける者は許せないし、これを心地よく満たす為に頑張っているのだ。

この事件の彼女も一般人と同様に、人間の本性そのままに自分を愛し、自分の存在をアピールしたかっただけなのだと思う。
専業主婦という仕事を認めて褒めてくれるのは、家族と近所の目しかない。
彼女の心の隙間に、「次女を看病している良き母親」という春風が吹き込んだ時、彼女はどれほどの喜びを覚えたであろうか・・・
彼女がやってしまったことは、決して肯定できることではないし、非難されてしかるべきであろう。
しかし、私も、彼女と同じ行動こそしないものの、一人の人間として、心の中ではいつも、褒めて欲しい、認めて欲しい、気遣って欲しいなどと叫びながらも、本心は隠して常にいい人を演じ、自分の存在をアピールしながら生きているのだということを、この事件を通して教えてもらった。
ミュンヒハウゼン症候群というは、決して特別な疾患などではなく、人間である以上誰もが抱えている心の病ではないのだろうか。

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ニュースの聞き方 [心]

毎週水曜日は陶房に出かけ、陶作作業をする。
今日は、アメリカで世話になった友人に送る、犬の置物を作ってみた。
初めてのトライにしては、なかなかの出来栄えに、自己満足[手(チョキ)]

陶房にはBGMでAMラジオが流れている。
陶作に集中していることもあってラジオ番組に耳を傾けることは少なく、誰もが何気なしに聞き流しているのだが、いつもニュース番組が始まると、そのニュースに対しての意見が誰からともなく述べられて会話が始まる。
これはメンバーの顔ぶれが変わっても同じで、新鮮なニュースに反応するのは人間の習性のようなものなのか…、チョットおもしろいと思った。

今日の話題となったニュースは、
「‘派遣切り’などで住まいを失った失業者らに用意された一時的な宿泊施設が満員となった為、市は、入居出来なかった人たちを門前払いした」 ということを伝えた。
このニュースに対して、陶房ではこんな言葉が飛び交った。
「市も、もうチョット人間らしい温かい対応をしてあげればいいのにね~」
「そもそも、派遣社員に甘んじていた本人の責任なんじゃないの~」
「だけど、ホームレスが増えると治安が悪くなるから、襲われやしないかと心配…」
私は、何も言わなかった。
というより、何も言えなかった…。
私がこの時に思ったことを口に出したなら、陶房の仲間からは白い目で見られること、間違いなしであっただろう・・・・・

例えば、「市も、もうチョット人間らしい温かい対応をしてあげればいいのにね~」
と言った人には、
「それじゃ~あなたが、その“温かい人間らしさ”というやつで、お宅に何人か泊めてさしあげたらよろしいんじゃないの?!」
と言いたかった。
自分だって出来ないことなのに、それを棚に上げておいて、他人も同じように出来ないといって冷たくあしらったからとて、これを攻める資格などないはず。
それに、“人間らしい温かさ”っていったい何なんだ???
私ら人間には、温かな心なんて持ち合わせて無いぞ~!
職の無い経歴不詳の他人を、何の条件もなく無償で養ってあげることの出来る人など、この世のどこにいるというのか…
‘市’といっても、所詮は人間の集合体である。
自分を犠牲にしてまで、他人を思いやるほどの慈悲の心など持ち合わせてはいまい。
たとえ生活に余裕があって、慈善事業が趣味という人であっても、慈悲や厚意を与えたその人から、感謝のかけらも示されずに一生世話をしてくれと言われたら、「ハイ、喜んで!」とは言えないだろう。
一時的な慈善は、結局自己満足を得る為の産物であって、これを偽善と呼ぶのだ。
確かに、その偽善によって救われる人がたくさんいることも事実で、偽善は決して悪いことではない。
ただ、ここで言いたかったのは、自分の立場に置き換えてこのニュースを聞いた場合、一方的に市を悪者と決め付けるような言葉は出てこないのでないかなぁ~と思った。

例えば、「そもそも、派遣社員に甘んじていた本人の責任なんじゃないの~」
と言った人には、
「もし、自分も派遣社員にならざるを得ない運命におかれていたら?
それでも、私が悪うございましたと雪の降る野外で毎夜過ごせる?」
と聞きたかった。
確かに平日の昼間っから、一日中陶房で趣味の陶芸に時間を使える人は、それなりの生活基盤のある運命に恵まれて今を生きている人たちだろう。
だからといって、自分の生活レベル以下の運命の中を生きている人たちを、見下していい権利など無いし、ましてや、いかにも自分の意見が正しいように発言をするお前は何様のつもりじゃ!と言いたかった。
“私”というヤツは、常に自分の考えを標準機軸として物事を見てしまう。
たまたま運よく正社員の立場にいる、また働かなくてもよい運に恵まれている人は、そんな自分の運の良さを当たり前の如く手にして、まるで「私の運がいいのは、私のお陰よ」と言わんばかりである。
そして、現在の自分の立場、もしくは自分の考えを中心にして、自分の考える“負け組”の人たちを、知らず知らずの内に見下しているから「負け組に甘んじている本人の責任でしょ!」なんて言葉が出てくるんだと思う。

例えば、「ホームレスが増えると治安が悪くなるから、襲われやしないかと心配…」
と言った人には、
「襲われる心配はするくせに、襲う心配はしないの?」
と言いたかった。
確かに、深夜の京都駅を歩くとホームレスの数は激増していた。
それに、今までよく見かけた‘浮浪者’と言われるような身なりの人たちではなく、明らかに生活意欲のある身なりの面々が、寒夜をしのぐ為に深夜の京都駅を占領していた。
私自身、そんな人たちの横を通り過ぎる時には、「この人たちの所持金はいくら位なんだろう…、食事はしているのかなぁ…」と心配しつつも、その心配は決してホームレスの人たちに対する同情や哀れみなどではなく、「もしも、この人たちが空腹に耐えられずに襲い掛かってきたらどうしよう」という、自己防衛の心配である。
私だって人にとやかく意見の出来る人間ではないが、陶房で、ホームレスに襲われる心配をしていた友人にはこう言いたかった。
人間は、縁がもよおせば、難なく悪を正当化してしまう魔物であるということを・・・
今現在の私は、家もあり、仕事もあり、生活がしていけれるだけの収入もある。
でも、もし明日にでも会社がつぶれたら…、家が火事で焼け焦げたら…、天災で…、病気に…、家族が…、と、理由は何であれ、家や仕事やお金に困窮する立場になったならば、この自分が生きていく為に、盗みをしたり、人を襲ったりする立場に十分成り得るヤカラなのだ。
だから、みな「襲われる心配」ばかりしているが、「襲う心配」をしなくても大丈夫なのか?と思った。

ニュースの聞き方は、立場を変えることでまったく見方が変わってくる。
でも、人間の本質というのはまったく変わらないと思う。
日常のニュースを聞いて、また、そのニュースを聞いた人たちの言葉によって、私は日々いろいろなことを教えていただいているのだな~と感じる今日この頃である。
しかし、
何やかんやと他人に意見を述べているこの私こそ、自分の考えは正しと言わんばかりに偉ぶって、他人を見下している一番の悪者じゃ~ないか・・・・・!!![パンチ]
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ありのままに、見れない私・聞けない私 [心]

先ほど見ていたテレビ番組で、 “視覚のトリック” というのをやっていた。
私たち人間というのは、これまでの経験で蓄え続けてきた“私の常識” という枠に囚われて、実際に目を通して見ているものを、自分自身の“思い込み”によって、正しく見ることができないという、心理的に非常に興味深いことを教えてもらった。

視覚の錯覚(思い込み)ということを考えた時、テレビ番組で実地されるような実験用のだまし絵などを用いなくても、日常生活の中から実感できることがたくさんある。
例えば、レモンや梅干を視覚でとらえた瞬間に唾液の量が増える。
それが食べられない食品サンプルのレモンであったり、甘い砂糖菓子で出来ていた梅干だと聞いても、レモンはすっぱいという自分の常識や、梅干はすっぱいという自分の思い込みによって、脳から伝達された偽りの情報に身体は反応してしまう。
また、お茶碗で食べるお米は美味しいけど、お皿に盛られたお米は美味しくないだとか、
ラーメンをフォークで食べたり、ケーキをお箸で食べたりすると、まずく感じるなど、私たちは常に自分の常識や思い込みを正しいものとして判断してしまうのだ。

視覚は目で見ているのでなく、脳で認識したものを見ているのだそうだ。
私たちは目を通して、色・形・動き、などの種々の情報を脳に届けて、脳はこれらバラバラの情報を一つに組み立てる作業をする。
この作業工程で、自分の“思い”が侵入してくる。
つまり私たちは、実際に目を通して見ているものの色や形を、真実そのままの状態で受け取ることは出来ずに、常に、自分の脳で組み立てられたものを真実の姿だと思い込んで見ているだけなのだということがわかった。
私には脳の専門的な知識が無いので詳しいことまではわからないが、私が見ているもののすべてが、真実そのままに見えているのではなく、自分の小さな知識の中からはじき出された自分の思い込みによって、常に間違ったものの見方をしているという点で、仏教にも通じるものがあるなぁと思った。

親鸞聖人は『正信偈』中に、邪見驕慢悪衆生 とお示しになっておられる。
私(親鸞)は、驕慢な心で間違ったものの見方しか出来ない悪の衆生であると嘆かれたお言葉であると味あわせてもらった。
自分の考え方は正しいとしか思えないという驕り高ぶった私を、このまま見捨ててはおけんと立ち上がって下さったのが阿弥陀様であられる。
こんなどうしようもない私一人をお目当てに、阿弥陀様は仏の位から降りられて、修行などまるで出来ない私とわかって、私に代わって苦しいご修行をして下さり、こんな私を救うため法を造ってくださったのだという。
でも、当の私は、自分の考えが間違っているとは思えないし…、
まあ~時々は驕慢な心になることもあるけれど、常々のことじゃないし…、
まして、私を救って下さると言う阿弥陀様なんて信じられないし…、
それに何よりも、別に救ってほしいなんて思ってもいない私だし…。

「喝!!!!![爆弾]

その心こそ、まさに自分の考えが正しいと邪見し、驕慢している自分の姿そのものじゃないか!
私が、そう思えるとか、思えないとか、そんなことは関係ない!
お釈迦様が教典に説かれたことを、親鸞様が実体験なされて、「これぞ真実!」と私に届けて下さったご意見が、私の目の前にあるのだ。
でも私は、自分の邪見で驕慢な心ばかりを見て、目の前にある真実を、チッとも見ようとしない!!
どこまでも、どこまでも、どこまでも、邪見で驕慢な私でしかないのだ・・・・・

そんな私のままでいい… と。
邪見驕慢な私のままでいい… と。
だって阿弥陀様は、そんな私がいたから、これを見て不憫に思い、御本願を建てて下さったのだ。
そんなどうしようもない私だったからこそ、頭の下がらん私に向かって、「救わせてくれよ」と、阿弥陀様の方から先に頭を下げて頼んでいなさるのだと聞かせてもらった。
そんな私だと阿弥陀様は重々知っておられるからこそ、ご自身の御名に力を封じ込めた“南無阿弥陀仏”を、ただ受け取らせるだけに仕上げて下さったのだと聞かせてもらった。

阿弥陀様は、すべて何もかも承知してなさる。
いまだ邪見驕慢な自身の心にばかり目を向て、泣くしかないこんな私を・・・・・

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母の命日 [心]

今日は母の命日である。

母の魂は、今どこにいるのだろうかと、時々思うことがある。

私が仏教というものに興味をいだき、縁あって、初めて私に仏教のイロハを教えてくれたM沢氏には、
「人は、この肉体の命が尽きたなら、必ず地獄に堕ちると釈尊は説いておられる。
この一大事を解決できた者のみ、弥陀の本願力で極楽往生できるのだが・・・
残念だが、君のお母さんは仏法も聞いておられなかったし、宿善も積んでこなかったので、この世の自業苦(じごく)からあの世の地獄へと堕ちるしかない身であった」
と言われた。
すごいショックだった・・・・・
日本神話や口伝では、人間死ねば苦しみから解放されて、肉体から抜け出た魂は“仏”と呼称され、あの世で幸せに生きられるのだと幼い頃より聞いて育ち、これに何の根拠がなくとも、そう信じていたからこそ、息絶えた母にむかって、「楽になってよかったね、安らかに、そしてゆっくり休んでね」と声をかけたのに・・・・・
病床で苦しみぬいた挙句にこの世を去った母が、この世の苦しみとは比べものにならない程の大苦の世界に堕ちたのだと聞かされて、私は当然のことながらひどく反発をした。
しかし、何の根拠も無い“常識と言う名の言い伝え”など、M沢氏が引き出しされた『経典』の前に、全く対し得るものではなかった・・・・・

しかし、それから一年の後。 
半年ほど前に、尊いご縁によって出会ったM岡先生は、私に、
「あなたのお母さんは極楽浄土より、還相回向であなたを済度する為にこの世にお出ましになられた方かもしれませんよ。
現にあなたは、あなたのお母さんが自らの命と引き換えに、あなたを仏教へと導かれて、今ここにいるではありませんか。
真実を知りたければ、まず、あなたが仏の身となることが先決ですよ。
それがあなたのお母さんの一番の望みであり、このような尊いお手回しをしてくださった阿弥陀様に対する、唯一のご恩返しなのですから」
と言って下さった。
暗く冷たい氷の部屋に、暖かいろうそくの灯火を差し出されたようだった。

だから私は時々思う。
母は、今、どこで何をしているのだろうと。
時には花となり、時には虫となって、幾度となく姿を変えながら私の前に現れて、「早く聞き開きなさい。早く受け取りなさい」と導いて下さっているのかな?
それとも、弟や妹のもとへ下りて、仏法へと導いて下さっているのかな?
それとも・・・・・ もしかしたら地獄で・・・・・ なんて、

今日は母の命日だというのに、私は墓参りにも行かず、御仏壇にも手を合わせず、今生事に追われながら自分勝手に今日の日を過ごした。
こんな自分を反省することも出来ず、自分に対しての言い訳ばかりを並び立てている、とことん腐っている私・・・・・
こんな私だからこそ、救わずにはおれんのだと言ってくださる阿弥陀様の御心に、そっぽを向くことしかできない私がここにいる。

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義母は善知識 [心]

義母とはよく仏法の話しをする。
義母は浄土真宗の家に生まれて育ち、浄土真宗の家に嫁いで、現在も本家の嫁として浄土真宗という名のもとに先祖を敬っている。
しかし、浄土真宗が何なのか、はたまた仏教とは何なのかは全く知らずにいた。
この点では、仏教のブの字も知らなかった私と何も変わりはない。
私は、私の母親の死をきっかけにして、導かれるように、と言えば聞こえはいいが、ただ成り行きで浄土真宗へとたどり着いた。
元来、中途半端なことが嫌いで、知識欲旺盛な性分ということもあって、それをきっかけに仏教とは何ぞやということに興味を持ち始めて今に至っている。
しかし、仏教と共に過ごしたこの1,2年を振り返っただけでも、数々の御慈悲・ご縁を頂いたことに頭の下がる思いであるが、心底、頭の下がっていないのが本当の私の相(すがた)である、という御意見に遇うまでにお育て頂いたのは実感としてある。

そんな私の影響で、義母も仏教に興味を持つようになった。
ところが義母は、仏教は道徳の教えであって、今生を心豊かに過ごす為の手段であるという捉え方でしか仏教を聞く事が出来ずにいる。

仏教は三世因果を貫く唯一真実の教えであり、今、私が“私”と思っている私自身も、実は無始より迷いに迷ってきた魂の、ホンの一瞬の仮の姿でしかないと私は聞かせてもらっている。
しかし、この世のことしか知らない・信じられない私は、その一瞬の仮の姿こそが自分のすべてであるという錯覚から抜け出ることが出来ずにいる。
だから私はこの肉体を着飾って、きれいに見られたい、少しでも若く見せたい、人から好い人だと言われたい、尊敬されたい、などということに一生懸命になっているのだ。
そう、 この自己満足をいかに充実させ、持続させるかが唯一の使命のように思って生きているのが私の相(すがた)なのである。
義母も、私も、結局は同じであるのだが、少しだけ違うとするならば、
こんな私にむかって、
「人間に生まれさせて頂いた奇跡を喜びなさい。
そして、人間として生きているからこそ獲られる永遠の幸せを、この弥陀より、早く早く受け取って下さい」
と言って下さっている阿弥陀様と、その教え、仏教に出遇わせて頂いたこの奇跡を、偶然と捉えて聞き流すか、必然と捉えて頂戴できるかの、それぞれの都合、思いの違いでしかないと私は思う。

義母は、仏法なんかわざわざ聞きに行くものじゃないと言う。
法座にマメに通い聴聞をしている私を、馬鹿にさえすることもある。
それなのに、法座から帰ってきた私に、「どんなことを聞いて来たの?」と聞きたがる。
だからといって、私の話しを素直に聞ける義母ではない。
義母は、自らが自慢をするほどの超頑固者である。
自分が見たもの、信じたものでなければ決して信じようとしないし、自分の経験した世界だけがこの世のすべてだと思い計らうことしかできないでいる。
なので、どんな話しも、聞きたがる割にはほとんどすべての事柄に反発をする。
そんな義母を、「わからず屋! 話すだけ時間の無駄!」と疎ましくさえ思ったこともあった。
しかしそれは過去のこと。

私は義母に、御法座で聞いてきた御法の受け売りをしながら、こんな自分に気付かせて頂いた。
義母に聴聞してきた内容を話すことで、他人事ではなく、自分のこととして繰り返し御法を確認させて頂けている。
また、義母と仏法談議をすることで、私自身の聴聞の聞き誤りを、義母の言葉を通して聞かせて頂けている。
それに、家庭の中で仏法を語れるというのは、まこと、私は幸せ者である。
そして何よりも義母は、私が知らない私の心を映し出してくれる“法の鏡”のような存在であるということ。

「仏教では、死んだら地獄へ堕ちるという一大事の解決、これ一つを説いているんだよ」と言っても、
義母は、「後生なんてないよ! 人間死んだら終わりなの! 死んでからの話しをしたってしょうがない!」と言う。
また、「誰もが死ぬのは当たり前! みんな一緒に地獄に堕ちるんなら怖くないじゃん!」ともいう。
どうしたって義母の考えを変えることは不可能であった。
その理由を自分なりに考えてみると・・・・・
私も義母と同じであることに気が付いた。
私は、知識や言葉では御文を口にしながら、えらそうに仏法を伝えている気になっているが、この私自身、心の底から死んだら地獄だなんて思えないし、地獄と聞いても、怖いとも思えない、そんな私がここにいる。
私は、義母の頑固さを通して、そんな私自身に気付かせて頂くことができた。
それに、私が何を言っても、どんなに説明しても、自分の考えを変えようとはしない義母に、「どうにかわかってほしい」という思う私の気持ちは、そのまんま、阿弥陀様が、この私に言って下さっている言葉なんだと今は理解している。

私は今まで、義母を導こうと自惚れていたが、実は私が義母に導かれていのだ。
こうして義母の嫁になれたことも、すべては阿弥陀様のお手回しであった。南無阿弥陀仏
私はなんと深いご縁を賜ったものか・・・・・
それなのに、いつまでたっても頭の下がらん私がここにいる・・・・・

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今、まさに堕ちている私 [心]

前日記述した夢の話しを、御同行の一人に報告した。
彼女は優しい言葉で、端的に私の行く道を示して下さる善知識であり、私の憧れの人である。
その御同行から頂いた言葉が、私の心に暖かく突き刺さった。

阿弥陀様は24時間、私に付きっきりで、私と一緒に地獄の果てまでもついて来て下さるという。
阿弥陀様は十劫の昔から、ずっとずっと私一人にめがけて、呼び尽め、叫び尽め。
私が阿弥陀様のことを思う時も、思わん時も、寝ている間でも、ずっとず~っと呼び続けて下さっているというに、私は「知らん」とばかりに全く気付かない。
仏様の目から見た私は、今まさに地獄へと真っ逆さまに堕ち続けているとのご意見。
この世の命、次の一息が吸えずば(吐けずば)、立待ちに地獄の底へと到達する。
私は私が造った業で、いつ、どんな死に方をするかわからないけど、そうなってからでは、もう手遅れなのだ。
だから、「今」「ここで」「私が」聞かせて頂くのだ、自分の口から出てくださる「なまんだぶつ」を!
どうしたらも、こうしたらも、言っておる場合ではない!
どうにも出来ない、何にも出来ない、ただ堕ちてゆくしかない私なのだから。

そんな私の口を通して「なまんだぶつ」が飛び出て下さったんじゃないか!
乾いたお念仏、味気の無いお念仏、心の伴わないお念仏、、、、、
そんなのは全部自分の思い。
お念仏に「いいお念仏」も「悪いお念仏」もない!
「南無阿弥陀仏」のお念仏は、阿弥陀様のものだもの、この私が良し・悪しと沙汰をするものでは決してない!
私がどう思おうと、この私の口から飛び出して下さったお念仏を、この私の耳で聞かせて頂ける身に、既になっているじゃない。
そして、この事実を何よりも阿弥陀様が一番喜んで下さっているじゃないか!
私が満足する為のお念仏じゃない。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀様の願いであり、阿弥陀様の御心そのものなのだから。
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夢の御法 [心]

私はよく夢を見る。
ほとんどの夢は目覚めてすぐに忘れてしまうが、一晩で何種類かの夢を見る。
今朝方の夢も最後の場面しか覚えてはいないが・・・
どんよりと曇った空の下、私は見知らぬ山の中腹にいた。
その山の頂を見上げたその時、山肌が不自然に削りえぐられるように崩落を始めた。
それを見て、あわてて逃げ出そうとする私と、何故に山が崩れてゆくのかと冷静に考えている私と、もうすぐ目が覚めると客観的に見ている私がいた。
どの私も私自身である。
私というヤツは、実にバラエティーに富んでいる。
私が私と思っている私もいれば、私の知らない私もたくさんいる。
そんなたくさんの私が、あ~だ、こ~だと心の中で各々に思いを述べ合って、定まることがないのだから、“私の思い”というヤツは、まったくあてにも頼りにもならない。
心コロコロ♪心コロ♪合わせてコロコロ♪心コロ♪
 
夢と言えば、最近、忘れられない夢を見た。
ひと月ほど前、11月30日に見た夢である。
実家?の母の部屋で、一人、テレビを見ている私。
隣の居間にはアメリカに嫁いだはずの妹がいて、キッチンでは他界したはずの母が夕食の支度をしていた。
私は床に座って何かのテレビ番組を見ていたのだが、その番組の中である言葉を聞いた途端に、
「あ゛ぁぁ、このことだったのか~! そ~だったのか~!」と、かつて無い衝撃を受けた。
と同時に、座っていた座布団や床が砂地獄のように崩れはじめて、私は「ギャー!!!」と叫びながら真っ暗な地底に吸い込まれて行った。
暗黒で冷たい底なしの闇の中を真っ逆さまに堕ちてゆく私の周りで、何かが私と共に堕ちている。
底知れない恐怖の中で、かすかな輝きを放つ、その、私と共に堕ち行くものは何かと目を凝らして見たならば、それはガタガタに削られた、大小さまざまな、「南」・「無」・「阿」・「弥」・「陀」・「仏」 という六つの文字であった。
客観的にこの夢を見ている私は、「今こそ『南無阿弥陀仏』と称えよ!!」と叫ぶのだが、堕ち行く私は、「ギャーーー!」しか言わない。
私の悲鳴を聞いて、妹が隣の部屋から駆け寄り私の名前を何度も呼んだ。
その声に闇は徐々にかき消され、私の意識は元の部屋のテレビの前の私へと戻ったが、それでもまだ目を剥きながら悲鳴は治まらない。
そんな自分の悲鳴で目が覚めた。
まだ真夜中であった。
私は布団にうずくまりながら、今見た夢を思い返してみたが、覚えているのはここまで・・・
どんな言葉をきっかけにして足元が崩れていったのかも思い出せないし、何がわかって「そ~だったのか!」と納得したかも思い出せない。
でも、私は「死んだら堕ち行く身」なのではなく、「まさに今、堕ちている身」なのだということと、
そして、「南無阿弥陀仏」も私と共に堕ちて下さっているのだということは鮮明に覚えている。
それに、南無阿弥陀仏の御いわれを聞かせてもらっていながらも称えられなかったのは、「知った、知った」と知識が知っていただけで、私は何もわかっていなかった・・・・・
「南無阿弥陀仏」を疑って、自力を頼っている私の姿がそこにあった・・・・・
布団の中で、心の添わない乾いたお念仏を称えながら、私は再び眠りに落ちていった。

「いつだって、何をしていたって、阿弥陀様は、この私一人のために24時間かかりっきり。
乾いたお念仏でも、血の通わないお念仏でも、それは私のコロコロ心がそう思っているだけのこと。
南無阿弥陀仏がこの私の口から出ることの奇跡に、自分の思いは関係ないよ。」
と、YM支部長に教えていただきました。
南無阿弥陀仏

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年賀状 [心]

S先生から頂いた年賀状に一言、「急接近という言葉、ピッタリやね」とあった。
?・・・・・ 今日一日考えてみたけど、何が接近してくるのかわからない・・・・・[ふらふら]
仏師というのは実に不思議なもので、私以上に私のことをよくご存知で、また、私が何も言わなくても今の私に沿った御法をお話し下さる。
時にはチンプンカンプンな御法もあるが、それは私の側の問題であって、数日後には自らの体験によって、「あぁ、このことだ! これを先生はお説き下さったのだ」と、後日、明らかにされる御法もある。
阿弥陀様の御声は、寺で聞けるもんじゃない。
この私の、今の生活の中で聞かせて頂くのだということがよくわかる。

私は、御法座でよく泣く。
もともとが泣き虫ということもあるが、泣くまいと思っていても涙があふれる。
“泣く”といえば、嬉し泣き、悔し泣き、悲し泣きなど種々あるが、聴聞によって流す涙は、今生事の涙とは違って、ミックスジュースみたいに一種類に絞れない。
御法座に来させて頂けたご縁に感謝する喜びの涙。
御法を自力の計らいによって素直に受け取ることのできない悔し涙。
何もわからん、何もできん、ど~にもならん自分を哀れむ悲し泣き。
こんな私に御慈悲をかけて下さる阿弥陀様に対するご恩の涙など・・・
そんな色々な思いが一粒の涙となって瞳から、心からあふれ出す。
だから、きち~んと化粧をして出かけても、法座が終わる頃には、ほぼスッピンになってしまう…
由々しき問題である。

そう言えば、年賀状を頂く枚数が、年々に減ってきている。
E-メール年賀が増えているのも事実だが、それでもやはり出した数以上に頂くことはなくなった。
年賀状を出す時、この人は出そうか出すまいかと悩んだ挙句に出すことが多いが、年に一度の年賀状だけの御付き合いという関係もいかがなものか・・・
そんな時には、やはり無常というものを強く感じる。
今、一番の親友といえる人とも、いつまでもこの状態が続くということは決して無い。
もちろんこれは、夫婦にしても親子にしても同じことが言える。
今、私がすがり付いているすべてのものは、いつかは消え去ってしまう。
私が先か、相手が先か、そんなことはわからないが、どんなに愛情を注いでも、金銭を費やしても、この世に永遠というものは存在しない。
これは他人事ではない。
この私自身もである!
私が私のことをどんなに愛したとても、お金をかけて着飾ったとても、心を磨くといって努力慢心したとしても、いつかは私もこの肉体に、そしてこの心に裏切られる時が必ず来るのだ。
何といっても日本は死ねば火葬が義務付けられている。
私もいつかは焼かれて灰になる身だ。
他人の心に私の思い出を植えつけたとしても、その人もいつかは灰になる身だ。
人間として生きた証を残すのだと言って、たとえ名前や子孫をこの世に残せたとしても、私という人間は消えてなくなってしまうのだ。
死んでしまえば、自己満足も喜びもむなしく消滅してしまう。
それなのに、「だから生きている間は精一杯楽しむのだ」と人は言うが、本当にそれで幸せなのだろうか?
一時的な幸せを追い求めては裏切られ、幸せと不幸の追いかけっこをしながら、自分はまだ死なないとたかをくくっていて、現在の欲を満たすことに一生懸命になっているだけで、それがどうして幸せだと言えよう・・・
追い求めるものが間違っている。

S先生は、私が求めているものは、捨てモノだと教えて下さいました。
ではいったい何が急接近なのでしょうか?
うぅぅぅん・・・ まさか信心なんて事は~[パンチ]
[むかっ(怒り)]また自惚れ心が暴発しそうです。

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複雑な年越し [心]

大晦日の夜に、義父と大喧嘩になり、一人帰宅した。
きっかけは、プロレスを視聴したい義父と、紅白を視聴したい義母のテレビのリモコンの奪い合いに、私が義父をとがめた事が発端となった。
大晦日ということで久しぶりに家族が集まって団らんという場面でも、義父はいつも通りに自分中心に事を運ぼうとする。
そして、チョットでも思い通りにならなければ愚痴愚痴と言い出す。

義父は何もしない人である。
仕事も二十歳の頃、義母と結婚をしてすぐに辞めてしまったらしい。
以来、義母は一人で家計を支えるため、兼業農家をしながら町工場を定年まで勤め上げた。
一方、義父の生活は、起床して、朝食を食べて、テレビを見ながら朝寝して、昼食と酒を飲んだら昼寝して、テレビをみながら夕食と晩酌の後に就寝するという、今時まれに見るダメダメオヤジである。
そんな義父との生活に耐えられなかったのか、それとも大姑・小姑との同居に嫌気がさしたのかは定かではないが、専業主婦であった夫の初婚の相手(前妻)は、結婚一ヶ月もたたずに実家に帰ってしまったらしい。
そんな家庭のバツイチ男との結婚に、私の両親がこの結婚に猛反対したのは言うまでもないが、私自身はけっこう楽天的に考えていた。
しかし、やはりそんな義父とは上手くいくはずもなく、目に余る行動を時折注意する以外は、ほとんど無視して過ごすことが多かった。
今夜も無視し続ければよかったのかもしれない・・・・・。

義父は、愚痴しか言わない人である。
今夜も、夕食に出したかき揚げのサイズが大きすぎるとか、鍋から取り分けた牡蠣の数が義母より少ないとか、湯飲みが熱くて持てないなどの、いつも通りの小言には耳をかすこともなかったのだが・・・・・、
プロレスを視聴したい義父がテレビのリモコンを占有していたことを、
義母が、「他のみんなはプロレスなど見たくないと言っているのだから」と言って紅白にチャンネルを変えてしまうと、
義父は、こいつは歌が下手だとか、ブスだ、嫌いだ、気に入らないなどと、グチグチ、愚痴愚痴言い続けたので、私もたまりかねて、
「お義父さん、人の悪口やマイナス面ばかり口に出していると、自分も周りの人も不幸になっちゃうよ」
と言ったのだが、それが義父には気に入らなかった。
「黙れ!お前はそうやっていつもオレをバカにする!」と、顔を真っ赤にしてすごい剣幕で怒り始めたのだ。
私は冷静なまま、隣に座っていた夫に、「私は何もバカになんかしてないよね?!」
と、同意を求めたのだが、夫は、
「ま~ま~、二人とも落ち着いて。 なっちゃんもお父さんを怒らすこと言うなよ!」と言われてしまった。
これには私もブチッときたので、夫に対して一言苦言を呈した。
その一言で義父は、息子(夫)は自分の味方だと思ったらしく、ここぞとばかりに矢継ぎ早に訳のわからない悪態を私に投げつけるのでラチがあかず、私は、「帰る」と言って席を立った。
そして夫は一言、「気をつけて帰れな」と言った。
その一言が、とても とても、何よりも悲しかった・・・・・

夫は本家の長男である為、本来なら私たちも義両親との同居が筋であろうが、この結婚を猛反対した私の両親がこの結婚の為の条件をいくつか出した。
その一つに、私がご近所さんから「後妻さん」などと後ろ指を指されないような場所に新居を建てる為の土地を用意すること(つまり別居が条件)というのがあり、その為私たち夫婦は、夫の実家の五軒隣にマイホームを構えることが出来た。
しかし、近いといっても実家は実家、自宅は自宅である。
妻の私が心を痛めて「帰る」と言っているのに、夫は、自宅よりも実家に残ることを選択し、妻よりも父親を選んだという現実が悔しかった。 いつものことではあるけれど・・・・・ それでも、とても悲しかった・・・・・

いろんな気持ちが交錯する。
あぁ、年が明けた。
2009年が始まったんだ・・・・・。






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こんな年末 [心]

銀行に勤めていた頃は、とにかくよく働いた。
仕事も、家事も、年末は殊に忙しく、元来完璧主義であった為、手抜きなどは考えたこともなかった。
結婚した当初は、仕事納めの30日の業務を終えると、24時間営業のスーパーに立ち寄っておせち料理の食材を購入し、帰宅してからはその下ごしらえを始めて、わずかばかりの仮眠の後、翌31日は早朝から三軒分のおせち料理を作る。 まさに時間との戦いであった。
大晦日の夕刻には、往復三時間をかけて実家で一人暮らしをしている病床の母と、別宅に住む父の元にそれぞれ作ったばかりのおせち料理を届け、帰宅してからは、翌正月からの来客に備えての準備を始める。
床につけるのは元日の深夜二時過ぎであった。
翌朝元日からは、泊まり込みで帰省してくる夫の兄弟家族の世話に明け暮れ、二日、三日と親戚の接待に追われて、休むまもなく一月四日からは銀行業務が始まる。
その殺気立った忙しさから逃げ出そうとは思わなかったし、楽しみながらやっていたところもあった。
でも、今は違う・・・・・
今年は、大掃除にも手を抜き、おせち料理も黒豆や金とんなど出来合いのものを購入した。
なぜ???
このやる気のなさの原因はいったい何なのだろう・・・
仕事を辞めたから? それとも母の死? 違う!違う! それはもう四年も前のこと。
じゃ~、どうしてこんなにも変ってしまったのだろうか?

思い当たる原因はただ一つ。 一ヶ月ほど前の、あの時からだ・・・・・
「自分が自分である為に、自身が無意識の内に作り続けてきた“善人面”という仮面の存在を認て、本当の自分というものと、しっかりと向き合うことが大切」とYu氏は言った。
私は、そんなことは知りたくないし、認める必要もない… と、突っぱねてみたものの、薄々と気付いていた。
私はいつだって、「楽がしたい、ラクした~い」という気持ちを罪と戒めて、そんな心は見ないようにと目をそらして生きてきた。
しかし、よくよく考えてみたならば、今までこうして頑張って来れたのも、結局は「人から良く思われたい」という私自身の欲望を満たす為であり、単なる自己満足に過ぎない。
どんなに仕事を充実させても、どれだけ家事を頑張っても、どれほど自分を磨いても、いったい何になるというのか・・・・・
ドス黒い内面を無視して、外面を嘘で固めることに一生懸命になっている私というヤツの正体は、いったい何なのだろう・・・・・
そんなことを考え始めて一ヶ月。
いくら 頑張って 頑張って自己投資したところで、所詮、私も含めてこの世のものはすべて無常だと聞かせてもらっている・・・・・
そうだ、私自身もいつかは死にゆく身なのだ・・・・・
必ず、間違く、今夜とも知れぬ未来に、私というものの存在はなくなってしまうのだ・・・・・
「精一杯生きることに意味がある」という人があるが、いったいどんな意味があるというのか?
「生きていることがすばらしいんだ」という人があるが、何がどのようにすばらしいというのか?
どれだけきれいな単語を並べようとも、どんな言葉で誤魔化したところで、「一切皆苦」・「諸行無常」の教えの下に太刀打ち出来るものなどないのではないだろうか・・・・・

そう思ったら、まったくヤル気が無くなってしまった・・・・・
言い訳にしかすぎないけど・・・  こんな年末を迎えるのは初体験だ。

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record [心]

ブログの御引越し
年始からにしようとも思ったが、何となく今日からにした。
以前のブログはカッコつけすぎててカッコ悪かったから、ここでは静かに、自分の心を正直に見つめて、それを記録をすることで、“私”というモノを知る手がかりにしたいと思う。
その“心”とは・・・
表面上の心(他人の目を気にしながら、自らが意識的に作り上げた私の心)ではなくて、
内面的な心(決して口外の出来ない醜い心)を真正面から見るつもりで、書き記していきたい。
文字にしながら自分を見つめる・・・
それが、今の私にできる唯一だと思うから・・・
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