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過去 [歌詞]

過去からの脱皮宣言 [exclamation]  と行きたいところだけど、なかなか難しいものですね~ [たらーっ(汗)]

でもまぁ~、記憶が薄れていくように、ぼちぼちとですが過去を消していきたいな… な~んて・・・

    過去  作詞:笹川美和

   消したい過去が出来てたあたし
   思い出しても愚かなあたし
   消したい過去が奥にあるの

    引っ掻いてもとれないの
    潰しても潰れないの
    千切っても千切れないの
    引き裂いても破れないの
    捻っても捻れないの
    溶かそうとも溶けないの

   腐敗すればいいのに
   そうしたら涙で剥がせるのに
   それでも涙さえ流れないの

みんな、みんな、辛い過去から逃れたくて、忘れたくて、頑張ってる・・・、
みんな、みんな、光り輝いた過去にしがみつきながら生きているんですねぇ~。
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「古川柳」 寒念仏 [川柳・俳句]

さて、昨日より古川柳を取り上げてお味わいをさせていただいておりますが、他にもいくつか紹介したいものがございましたので、今日も引き続き味あわさせていただきたいと思います。

「 寒念仏 ざらの手からも 心ざし 
「寒念仏」とは、寒の30日間、僧が早朝山野に出て声高に念仏を唱えながら寺院巡りをする修行の一つで、在家者も鉦(かね)をたたきながら念仏を唱え、各家を訪れて報謝を請うこともあったそうです。 また「ざら」とは、無信心者のことをいいますが、そんな信仰のある・なしにかかわらず、寒念仏の声を聞きくと、ついお布施をする気になってしまうという意味の句です。 南無阿弥陀仏

この「寒念仏」を句の中に込めた古川柳はいくつもあります。
しかし残念なことに、江戸時代において寒念仏の風習こそ一部では残っていたものの、人々にとって「念仏」とは、既に如来さまの御名ではなくなっていたのだなぁ~ と痛感いたしました。

たとえば、「 寒念仏 千住の文を ことづかる 
つまり、念仏を唱えて回っている先で、千住という宿場の女郎から、なじみの客への愛文を頼まれたということです。

また、「 白いのに その後あは(会わ)ぬ 寒念仏 」
「白いのに」というのは、丑の刻参りに着用する白衣のことでありますが、寒念仏をしながら寺院に参った時、人の目にふれぬよう、寒夜大樹の幹に怨念のくぎを打つのを目にすることがあるが、帰る頃には、もう姿を見ないということです。

「 寒念仏 世に捨てられた 月をほめ 」  
一見寂し気な、それでいてきれいな句に思いますが、寒夜の托鉢行には、願掛けをする者や、怨念に狂う丑の刻参りの者もいるという意味です。

お念仏は誰のためにあるのでしょうか! 何のためにあるのでしょうか!

江戸時代には、既に堕落した僧侶は数多くいたと文献にはありますが、お念仏の意味も、お念仏の御こころも知ろうともせず、僧も俗も三十日間の寒念仏に、ただ自我の欲を一心に仏頼みをするため寺院周りをするという古川柳しか残っていないのには、とても残念なことだと思いました。

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「川柳」発祥の日 [川柳・俳句]

10月7日は、「川柳(せんりゅう)」発祥の日であります。
川柳とは、五・七・五の音を持つ詩の一種で、スタイル的には俳句のようなものなのですが、俳句のように四季を象徴的に示す語句を読み込まなければならないという決まりはなく、必ず五・七・五の音でなければならないという制限もない、日常会話を使ったキャッチコピーのようなものなので、現代人にも親しまれやすく、「サラリーマン川柳」や、「奥様川柳」などといった公募もあちらこちらでなされています。
とは言いましても私は、やはり季節感のある俳句の方のが好きなので、川柳を作ることはあまりないのですが、人様の作品を詠むのは結構お好きでございまする。

なぜ、今日が「川柳 発祥の日」とされたのか。 それは江戸時代の中期までさかのぼります。
江戸に柄井川柳(からいせんりゅう)さんとおっしゃる連歌や俳諧連歌などの優劣を判定する「前句師」と言われるお仕事をされておられる方がおられまして、その柄井川柳さんが前句附興行の「万句合」、つまり課題の前句を付句して募集をし、応募のあったもの中より選句した作品を、今度は呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)さんという方が改めて選考し、それら作品を掲載した、『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』という句集を刊行されたのです。
それが大変に盛況だったことから、日常の一風景を五・七・五の音で詠む詩句は「川柳」という名で呼ばれるようになって巷に広まり、1757年に柄井川柳さんが「川柳評万句合」を初めてこの日に開催したことから今日が「川柳発祥の日」とされるようになったそうです。
その句集 『誹風柳多留』は、江戸中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていたそうですが、柄井川柳さんが選んだ句の中から呉陵軒可有さんが選出し、柄井川柳さんが編纂にたずさわった1~24巻までのものは、特に高い評価を受けているのだとか。

『誹風柳多留』を全巻読んだわけではございませんが、その中で私の心を動かした川柳がいくつもありますので、その内の2つほど記しておきたいと思います。

「 寝ていても 団扇のうごく親心 」
私が寝ている間も、私の知らない所で、いつでも どこでも 四六時中休む間もなくただ私一人の後生の心配をして、ただ ただ 私の幸せを願ってくださる親様の御こころに 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

「 蚊を焼いてさへ殺生は おもしろし 」
悲しいほど、まさに私の心そのものです・・・。 私は、殺生をせずば生きられぬ身です。
蚊は、私を殺さなくても、わずか血一滴で満足するのに、私はそいつが憎いのです。
「私を不快にさせる」と言う理由一つで、蚊一匹をいたぶり殺すことに喜びを覚える非情なヤツがこの私なのです。 こんな私を・・・、 こんな私だからこそ・・・、 如来さまは心配で心配でたまらず、一時たりとも私から目を離すことがないのです、願わずにはおられないのです。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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秋唄(大江千里) [歌詞]

お気に入りの秋の歌は何かないかしら?と探していたら、結構たくさん見つけることが出来ました。
その一つが、1998年の「NHKみんなのうた」で放送されていた、大江千里さんの「秋唄」という曲です。 ちなみに、今日10月6日は、千里さんのお誕生日だそうでして、そんな訳で今日はこの曲を味わってみたいと思います。

             「秋唄」   大江千里

       秋よ 秋の秋みだれし日 きみは夏を胸に抱いて
       秋の空の鱗雲だね きみの目に光るさざ波よ

       蚊帳をとった日 裏庭に出て 真似をして指笛吹いた
       プールにバタアシで 最後の蝉の声聞いた
       手紙を書こう 一度会った友達に
       あいかわらず忙しく 同じ自分を生きてます

何気ない日常に秋の気配が一行ずつ書かれていて、最後の「あいかわらず、同じ自分を生きてます」っていうのが、いいな。
季節は日々移ろいゆくけれど、私は相変わらずだもの・・・  でも、一日一日が同じ時間で過ぎて行き、夏から秋へ、そして秋から冬へと移り変わっていくのよね・・・、何も変わらない私を追い立てるように。

       秋よ 秋の陽は短くて ペタルこげば風が冷たい
       線路沿いを何処まで行けば 誰かにばったり会えるかな

       今年は柿の実が大きいと 洗濯する手をふと止めて
       乾かないシーツ越しに 物干し台の母が言った
       バイトをぬけて 時間がぽっかりあいた
       ちょっと人恋しくて ため息なんかついちゃって

どうして秋って人恋しくなるんだろうね?
昔々の恋物語なんか思い出しちゃったり、何気ない友達に意識しちゃったり、可笑しいね。
でも、秋のすがすがしいお天気とは裏腹に、なぜか人恋しくて、空を見上げながらため息なんかついちゃって・・・

       (中略)
       「白線までお下がりください」 知らない声に胸が躍る
       空が急に赤くなったら せつなさが前より募ります
       少しだけ何かが変わります

       秋よ 秋の秋みだれし日 きみは夏を胸に抱いて
       秋の空の鱗雲だね きみの目に光るさざ波よ
       きみの目に秋がみだれし日

秋の夕焼けって本当にきれいです。 でも、その移り変わりの早さには驚いてしまいます。
人の心もそうなんですよね・・・・・・  あっという間に「今」とは違うことを「今」思い描いている・・・。
秋・・・・・・・   波うつ鱗雲は、少しずつ 少しずつ 何かが変わります。
秋・・・・・・・   乱れし心が迷い込む先には、何が待っているのでしょうか。

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秋の日の夕暮れ(岡村孝子) [歌詞]

ここしばらく童謡・唱歌が続いてしまったので、ちょっとタイムワープします。
秋の歌といえば・・・、 私がパッと思い浮かぶものといえば、松田聖子さんの「風は秋色」とか? 長渕剛さんの「とんぼ」とか? (アラフォーなので_(^^;)ゞ)・・・
でもNETで 「秋に聴きたい曲ランキング」とか、「カラオケ秋曲ランキング」などを見ておりますと・・・、 たっくさんございますね~!!  う~~~ん・・・、でも、知らない曲が多いです。(((^^;)アセアセ

でも、ここ近年の詞(詩)って、深みのない曲が多いように感じるのですが・・・。
私は、抒情詩のような、詩人の感性や思想を文字に表現したり、心奪われる風景に自身の内面からを表現したようなものが好きで、作詞家と読み手が共感出来るような詞(詩)出来たら素敵だなぁ~と思うのですが、最近では、目にしたありのままの出来事を文章にしただけとか、作詞家の想いを押しつけるような詞であったりとか・・・、それに、そのほとんどが恋愛感情的な作品構成で、それをドンッと前に突き出したようなものが多いように感じられるのですが・・・、私だけかな? 

そんな中でも、岡村孝子さんの詞は好きで、秋の曲を一曲選んでみました。

        「秋の日の夕暮れ」  歌手:岡村孝子

   テラスにおりた 夕陽の影が  あなたの肩に揺れている
   頬杖ついた 私を見つめ  少し寂しく笑った
   あなたを感じた あの日の午後の風を 今も忘れないわ
   あなたを愛してほんとに良かった いつか夢が覚めても

私も、人並みに幾つもの恋をしました。 でも、後悔するような恋はしてこなかったつもりです。
負け惜しみかもしれないけれど、その時自分が感じたままにその人を好きになって良かったって、そう言えるなぁ~。

   見つめ合ってる 瞳の奥に  知らない誰かが映った
   私はずっと 気付かないから  心配せずにいてね
   夜空をうずめて 広がる星の数の  めぐり合いの中で
   あなたと出会って 本当に良かった いつか夢が覚めても

   二人が残した あの日の夢のかけら  きっと忘れないわ
   あなたを愛して 本当に良かったいつか愛が冷めても

夢が覚めても、愛が覚めても、今の私なら「それは当たり前のこと」として受け流すことはできるけれど、本当は、「永遠」って言葉を信じ切れたら、どんなにか幸せだろうにね・・・・・・

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旅愁(犬童玉渓) [歌詞]

旅愁   作詞:犬童玉渓 ・ 原曲:ジョン・P・オードウェイ

     一, 更けゆく秋の夜 旅の空の
        わびしき思ひに ひとりなやむ
        恋しやふるさと なつかし父母
        夢にもたどるは 故郷(さと)の家路
        更けゆく秋の夜 旅の空の
        わびしき思ひに ひとりなやむ

     二, 窓うつ嵐に 夢もやぶれ
        遥けき彼方に こころ迷ふ
        恋しやふるさと なつかし父母
        思ひに浮かぶは 杜(もり)の梢(こずえ)
        窓うつ嵐に 夢もやぶれ
        遥けき彼方に こころ迷ふ

私、童謡とか唱歌が好きなんです。
物心もつかぬ頃より母の歌声で育ち、三歳の時には東京子ども音楽クラブより毎月送られて来るレコードで幾つもの歌を覚えて、ピアノのレッスンと、お琴のレッスンを始めた頃には、洋楽から和楽までいろいろな曲と出会う環境に恵まれていました。

何か秋の歌を思い出そうかなぁ~として、フッと鼻で歌い始めたのがこの曲でした。
でも私は・・・、「なつかし父」のところがどうしても引っかかってしまい、この歌を好きにはなれないのです。
それに、秋の空をわびしいとは思わないし、故郷の家路を恋しいとも思いません。

ただ、時空を越えた父母の懐を恋しく思う気持ちは、痛いほどに切なくて…、悩ましく…、わびしき思いに一人孤独に苦悩したり、遥か彼方に寄せる想いに心の迷う毎日です。  南無阿弥陀仏

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ちいさい秋みつけた (サトウハチロー) [歌詞]

急に寒くなったと思ったら、いつの間にか10月になっていたのですね・・・。
秋の深まるこの季節は、寂しく、もの悲しい気持ちになりがちですが、秋の気配を見つけるたびに、幼い頃によく歌った童謡が、フッと口をついて出てまいります。

たおやかな秋の日に、ちいさな秋を探しに出かけました。
色づいてきた柿の実、咲き始めたススキや萩の花、まだ青い栗の実、稲刈り作業、咲き始めたばかりのコスモスや菊の花、週末になると賑わう秋祭りや運動会に文化祭、風に舞い落ちる落ち葉、そして人恋しくてたまらなくなるひとりぼっちの夜・・・・・

小さな秋をたくさん見つけても、大きな秋にはならないけれど、私が見つけた秋は、小さいながらも生きていました。 頑張って 頑張って 活きていました。

     「ちいさい秋みつけた」  サトウハチロー:作詞 ・ 中田喜直:作曲

   誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   めかくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた
   よんでる口笛 もずの声 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

   誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク
   わずかなすきから 秋の風 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

   誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   むかしの むかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

この詞は、サトウハチローさんが体調の悪い日に自宅の布団の中で書かれた詞だそうです。
曇りガラス越しに、西日に照らされたハゼの木を見て、それが彼にとっての小さな秋の発見だったのでしょうね。

詞(詩)を書く時って、五感の全てが動き出してイメージを描き出し、第六感が言葉となって出て行く・・・、そんな不思議な現象に包まれることがあります。
それは、時に空想だったり…、時に想い出だったり…、色々ですが、サトウハチローさんの見つけた小さい秋に、同じ色の孤独を感じるのは私だけでしょうか・・・・・

「誰かさん」が見つけた「小さい秋」は、その誰かさんにしか気が付かないような何気ないものだからこそ、「小さい秋」なのだと私は思います。 南無阿弥陀仏

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星条旗(アメリカ合衆国国歌) [歌詞]

アメリカ合衆国歌の歌詞は、1814年に詩人であり弁護士でもあったフランシス・スコット・キー(当時35歳)によって書かれたものだそうです。
「星条旗(The Star-Spangled Banner)」 と題されたこの詩は、米英戦争(1812年6月~1814年12月)に、イギリスとその植民地であったカナダとイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族 VS アメリカ合衆国との間でおこった北米植民地戦争であり、インディアン戦争であります。)のさなかに、ボルティモア(メリーランド州)のマクヘンリー砦で、フランシス・スコット・キーは、捕虜として捕えられた友人の釈放交渉をするため、英国の軍艦に乗り込みました。
英国側の司令官は、最終的にはキーとその友人を解放することに同意しましたが、機密保持のために、英国艦隊が砦を砲撃する間、二人は軍艦内で抑留される事となり、激しい夜間砲撃の後に夜明けを迎えた後、キーらは、砦の上に星条旗(当時は星15個と縞15本)を目にしました。
キーは、その自らの体験を元にして、すぐに「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書き、この詩は後に、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされて歌い継がれ、1931年3月3日に、キー作詞の「星条旗」は法制化され国歌となったそうです。

アメリカに住んでいた時は、スポーツ観戦などの前とかに、必ず全観客起立して国歌斉唱があったので必死で覚えて歌っていたのですが、意味への興味は全くありませんでした。
でも、自国の国歌を胸を張って歌う国民の姿には、いつも心を打たれました。
訳詞については、数多くのものがありましたが、ここではWIKISOURCEのものを参考にさせていただきました。

  【星条旗(The Star-Spangled Banner)アメリカ合衆国国歌】

Oh, say can you see, by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming,
Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched, were so gallantly streaming?
And the Rockets' red glare, the Bmbs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there;

Oh, say does that star-spangled Bnner yet wave,
O'er the Lnd of the free and the home of the brave?

おお、見えるだろうか 夕明けの淡き光を受け
先の夕暮れ 陽が落ちる時 我等が歓呼したもの
其は太き縞と輝く星条旗を我々は目にした 危き戦の間
城壁の上に見た 勇壮に翻りし 彼の旗,
狼煙の赤き炎立ち 砲弾が空中で爆発する中、耐え抜き 旗は翻っていた

おお、星散りばめたる旗は いまだ猶棚引いているのか
自由なる大地 勇者の大地の上に

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主人は冷たい土の中に(フォスター) [歌詞]

今朝、アメリカの友人から電話があって、久しぶりに使ったつたない英語のおかげで、頭が疲れ果ててしまい、電話の後は気を失うようにデスクにうつ伏せたままお昼まで眠ってしまいましたが、その夢の中でぼんやりとアメリカ南部の懐かしい風景が思い出され、American Sing が聞きたくなり、古いCDを引っぱりだしてきました。
私が好きなのは、アメリカ民謡の父と呼ばれたスティーブン・フォスターの曲で、日本でもお馴染みですよね。

懐かしきケンタッキーの我が家 , 夢見る人(夢路より) , 故郷の人々(スワニー河) , すべては終わりぬ(厳しい時代はもうやって来ない) , 主人は冷たい土の中に , ラプソディー(オールド・ブラック・ジョー) など、フォスターは、20年間に約200曲を作曲し、その多くは白人にしては珍しく、黒人奴隷の苦しさや明るさに共感した黒人霊歌風と言われるものを数多く作曲されています。

その中でも、私がついつい口ずさんでしまうのが、「主人(あるじ)は冷たい土の中に(Massa's in De Cold Ground)」という曲です。 学校では、「静かに眠れ」という題名で教えていただいた記憶がありますが、この曲の背景を知ることなく歌っていたことに、小さな恥ずかしさを覚えました。

この曲は、フォスターが南部に旅行した時に書かれたものです。
プランテーション(農場)で働かされていた黒人奴隷達が、優しかった主人を偲んで歌った内容で、いろいろな方が訳詞をされていますが、これは黒人英語で書かれてあるためで、少しずつ違った意味の歌詞となってしまっています。

       「主人は冷たい土の中に」  武井君子:訳詞

 一,  青く晴れた空 白い雲  そよ風優しく 昔を語る
     思い出す あの笑顔  眠れよ静かに 静かに眠れ

 二,  呼んでも還らぬ 遠い日よ  春夏秋冬 月日は巡る
     思い出す あの笑顔  眠れよ静かに 静かに眠れ


         「主人は冷たい土の中に」  勝承夫:訳詞

 一,   思い出さそうよ 吹く風も  帰らぬ主(あるじ)の あと追うように
      今もなお 目に浮かぶ  姿よ眠れよ 大地は静か

 二,   小鳥はさえずり 野はみのり  寂しく春秋 いつしか過ぎて
      今もなお 目に浮かぶ  姿よ夕べに はるかにしのぶ

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念ずれば花ひらく (坂村真民) [詩]

あの日の夜、たった一人の親友にだけ、「入院しなきゃならなくなったの・・・」と、半べそをかきながら夜遅くに電話をしました。
その時、とても心配そうに話しを聞いてくれた親友から、退院をする日の朝一に、「体調はどう?」とだけ書かれたメールをいただき、その心遣いにとても癒されました。

押し付けもなく、否定もなく、あるがままの私をあるがままに受け止めてくれる。
それは「気遣い」という言葉で表現されるのとはちょっと違う、その親友の本来持っている優しさが自然に出ているのでしょう・・・、そんな心地良さを感じました。

病院の帰り道に古本屋さんへ寄ってもらい、100円均一コーナーで何冊かの詩集を購入しました。
その中の一冊が、坂村真民(さかむら しんみん)さんの『詩集 念ずれば花ひらく』という本です。
明治42年生まれで、2006年に亡くなられた、自称「仏教詩人」だそうです。
私としては、正直、全体的に焦点が不明確だなぁ~というのがこの本の感想ですが、これが坂村氏の仏教感なのでしょうね。 まずは、詩集の題名となった詩をご紹介します。

          念ずれば花ひらく

       念ずれば
       花ひらく                IMG_3917.JPG
                         
       苦しいとき               
       母がいつも口にしていた        
       このことばを
       わたしはいつのころからか
       となえるようになった
       そしてそのたび
       わたしの花がふしぎと
       ひとつひとつ
       ひらいていった

「念ずれば花ひらく」 とても良い題名だと思います。
ただ、この詩集の中には、一言たりとも何を念ずるのかが書いてありません。
現世利益の祈願であるのならば、とても寂しいことだと思いました・・・・・
南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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シャボン玉(野口雨情) [歌詞]

病室の窓から見える公園では、子供たちが無邪気に遊んでいました。
シャボン玉遊び・・・。
私も小さい頃は大好きで、「シャボン玉マシーンを買って~!」などとおねだりしたこともありました。
フーッと吹き飛ばされたシャボン玉のたちの中へ飛び込んで、七色の世界で踊りだすのですが、シャボン玉は触れるとすぐに弾けて消えてしまいます。
たとえ触れずとも、時と共にアッという間に無くなってしまいます。
ですが、子どもの私にとっては、次から次へと石鹸水を吹けばシャボン玉は新しい命を生みだしてくれますので、チョットは寂しいけど、だからと言ってメゲたことなど一度もありません。
それに消えてなくなってしまったシャボン玉のことなど、気にしたことも、考えたこともありませんでした。

ただ、今、子供たちの飛ばすシャボン玉を見て、心がチクリとしました。
「なんて儚いのだろう・・・・・  シャボン玉と人の一生とは、とてもよく似ているわ・・・・・」 と

           シャボン玉

    シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ
    屋根まで飛んで  こわれて消えた    IMG_0367.JPG

    シャボン玉消えた  飛ばずに消えた
    生れてすぐに  こわれて消えた

    風 風 吹くな  シャボン玉飛ばそ

幼い頃、誰もが一度は耳にしたことのある曲、歌ったことのある曲ではないですか?
野口 雨情 : 作詞   中山 晋平 : 作曲 の 「シャボン玉」という曲です。
※ 写真は、野口雨情の生家です。

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しあわせな錯覚(吉田由美) [詩]

病室で過ごす時間は、個室であっても落ち着くようで、なかなか落ち着きません。
回診や点滴交換、掃除や食事での人の出入りがあったり、廊下での話し声が気になったりと、外界と隔離された四角い空間は、私の居場所でありながらも私の居場所ではなく、落ち着くようでいて落ち着かないものです。

入院中は、親友からのメールが唯一の楽しみです。 あるメールに、
「落ち着く時も落ち着かない時も、楽しい時も苦しい時も、嬉しい時も悲しい時も、いつも いつも お念仏。 “南無阿弥陀仏”を称えなさい」と教えていただきました。
でも、ついつい自分の感情に流されて忘れてしまうのです・・・・・。 本当に、私の身には添わないものだなぁ~と我ながら呆れると同時に、本当に私はお念仏を疎かに、そして粗末にしておるなぁ~ と気付かされます。

でも、そのメールを読みながら、ポロッとこぼれ出たお念仏・・・  「あっ、落としちゃった・・・!」そんな感じのお念仏ですが、あぁ、こっちからじゃなかった! あちら様(お念仏)からくっついてくだそっておった・・・ と知らされる度に、ホンの小さな幸せに包まれるのです。

昨日に引き続いて、吉田由美さんの詞を紹介します。

                    しあわせな錯覚

    なぜ今まで気付かずにいたのだろう。
    なぜ時間は過ぎ去っていくものだということを早くにキャッチしなかったのか。
    夏が永遠に続きそうに感じるのに似て、若いということに甘えきっていたのだ。
    ありのままの自分でいられる時間と場所が
    いつまでも目の前にあると錯覚していたのだ。

病室の窓は空きません。 落ち葉の数が増えて行くごとに季節は着実に進んでいるのだなぁ~ということを知るだけです。
でも、今日はいつもとは違って、「窓」という四角いスクリーンに無声機映像を見るように、風の音…、雨の音…、木々のざわめき… などを目にすることがことが出来ました。
世間さまの多大なる被害状況をまるっきり他人事に、普段はほとんど見ることのないTVにかじりついて、より凄まじい映像を楽しみにしながらチャンネルを次々に変えている自分を、恐ろしいとも思わず・・・・・・
速度を上げて去って行ってしまう台風を惜しみつつ、「あぁ・・・、時間は止まってくれないのだな・・・」ととうことを、改めて知りました。

吉田さんの言われる、「ありのままの自分でいられる時間と場所」というのは、目の前にあらず・・・。
いつも変わらず自分の中に存在しているのではないでしょうか。
それをいかに上手く誤魔化すか・・・、 それが歳をとるということであり、もう若くはないというこということでもあり、そして、いつ、我が身に死が訪れてもおかしくはない、ということなのではないでしょうか。

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ささやかな抵抗(吉田由美) [詩]

なぜこの本を買ったのか・・・、 いつこの本を購入したのか・・・、 まったく記憶にございませんが、書棚から取り出してパラパラっと見てみると なかなか フムフム へ~ェ ということで、入院のお供にカバンに詰め込んでまいりました。
題名は、『ひとり 思いきり 泣ける言葉』 という、吉田由美さんとおっしゃる作詞家の書かれた文庫本です。
まぁ、残念ながら私には、一粒たりとも涙が落ちるどころか、目を潤ますこともありませんでしたが、彼女の押し付けがましくない言葉の表現に共感できるところがいくつもありました。
その中の一つを抜粋しては、点滴の苦しさから気を紛らわすために、「私自身はどうなのだろう?」ということを思案などしていました。

                  ささやかな抵抗

        手に入れて所有してしまうと、
        いつかなくなるのではないかと不安になるものだ。
        だから必要以上のものを手に入れようとする。
        そんな人間の浅ましさが、
        どれほど多くのものを傷つけてきたことだろう。

人間ほど欲の深い生き物は他に例をみないのではないでしょうか?
ある民族は、「今日、その日に家族が食べるモノだけしか狩りはしない。不必要に他の命を奪う権利などわたしたちにはないからね」と、これを長い歴史の中で忠実に守っている民族もこの地球上には存在します。

しかし、この人間社会においては、「文明」という言葉を隠れ蓑にして、常に血生臭さが絶えることが、過去も、現在も、ありませんでした。
自分の命を守るために戦うことは、弱肉強食の世界においては仕方のないことかもしれません・・・。
でも、必要以上の命を奪って、その命を食べ物としたり、それが余れば平気で廃棄処分して、また時には装飾品として生き物を乱獲したり、ただ自己の名誉欲を満たすためだけに人間同士で無駄に殺し合ったり・・・・、 私達は、常に自分の欲に切りなく他の命を所有しようとしてきましたし、これを罪とも思わずに、今なお続けているのです。
自分たちに都合よく、「神様からのお恵みだ!」との名目のもとに、世界中には、豊作祭りだ、豊漁祭りなだと、感謝の心の欠片もないカーニバルが溢れております。 

そうかと言って、この私に何が出来るか・・・・・・   これを責めるどころか、何も出来ないでしょう。
だって、私自身もその内の一人ですから・・・・・・
だからせめて、そんな自分に、「ささやかな抵抗」をするのです。  南無阿弥陀仏

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真宗宗歌 [歌詞]

私は、仏式での結婚式というものを見たことがありません。
もっとも、「仏教」というものを知るまでは、結婚式をするところが神社で、お葬式を執り行うところが寺院だと思い込んでいた程の無知度ですから、神も仏も区別なく、神社か寺院かの違いもほとんどなしに等しいものでした。
ここ最近になって、仏教と出遇わせていただいたのを縁に、やっと一般常識程度くらいの区別まではつけられるようになりましたが、仏さまの前で結婚の儀を執り行うことが出来るということはつい最近までまったく存知ぜず、これを知った時にはとても驚いたものでした。

自分の結婚式に関して言えば、私の場合はただ単純にキリスト教徒でもないのに教会で挙式をすることに抵抗を感じたわけで、日本人ならば当たり前の如く神さまの御前にて永遠の愛を誓うべし! ということで神式にて挙式をしたわけですが・・・、 それは単なる知識不足で、今なら迷わず仏式での挙式を選ぶでしょうね。 

そこで、フッと疑問に思ったことがありましたので調べてみました。
キリスト教系の結婚式には、必ずと言ってよいほど参列者全員で賛美歌を合唱し、これはキリスト教徒でなくても歌えるから不思議・・・  それだけ大衆に浸透しているのでしょうね。
そして神道系では、雅楽が式の流れを厳粛なる空気に変えてゆきます。
では仏教は? 寺院にも式楽は付き物ですが、それよりも普段よりなじみの深い仏教讃歌がいくつもあります。

これは明治時代に西洋文化と共に伝来してきたキリスト教の賛美歌を手本に、仏教でも歌による布教伝道が開花されたことに起因するそうです。
浄土真宗門徒ならほとんどの人が知っている 「真宗宗歌」 や 「恩徳讚」 をはじめ、現在では300曲を超えるほどの仏教讃歌があるとのこです。
その中で私が知っている曲など、十曲にも満たないけれど、私が一番好きなのは、やはり 「真宗宗歌」 ですね。 我が身に迫って旨が熱くなるのを抑えられません。

  1. ふかきみ法(のり)に あいまつる   身の幸(さち)なにに たとうべき
     ひたすら道を ききひらき   まことのみ旨(むね) いただかん

  2. とわの闇より 救われし   身の幸(さち)なにに くらぶべき
     六字のみ名を 称えつつ   世の生業(なりわい)に いそしまん

  3. 海の内外(うちと)の へだてなく   み仏(おや)の徳の 尊さを
     わがはらからに 伝えつつ   浄土(みくに)の旅を ともにせん

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

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水戸黄門 [歌詞]

台風の接近ですっかり忘れていましたが、今日は敬老の日でしたね。
今の私には残念ながら血筋のある祖父母はもうこの世にはおりませんが、敬老の日が来ますと昔の出来事をよく想い出します。

父方の祖父母は遠く仙台におりましたし、祖父は既に亡く、祖母も早くに他界してしまったので、あまり多くの想い出はございませんが、仙台のおばあちゃまは大好きでした。
そして母方の祖父母は近所に住んでいたこともあって、よく私の面倒を見てくれました。

記憶にあるわけではございませんが、私に、仏壇に向かい合掌・礼拝をすることを教えてくれたのも、「南無阿弥陀仏」の六字を教えてくれたのも、その祖母であったのではないかなぁと想像します。

祖母はいろいろな信仰に手を出していました。
母の実家は浄土真宗大谷派なれども、祖母はこれには飽き足らず、他にいくつかの新興宗教にも所属をしていたのですが、祖母がなぜそれほどまでに神仏に対して惹かれていったのかは、今となっては知りようがありません。

今年の敬老の日には、祖母の大好きだったテレビ番組を想い出しました。
私の両親が共働きであったと言うこともあり、幼い頃はその祖母に大変お世話になったのですが、そのおばあちゃまは「水戸黄門」の番組が大好きでして、近々番組が終了してしまうと聞いた時、「おばあちゃま、寂しがるだろうなぁ~」なんて想い出したわけでご゛います。

幼いながらも一緒に歌った水戸黄門のテーマソング。 3番(4番)が、幻の歌詞であったと、今回初めて知りました。

   1. 人生楽ありゃ苦もあるさ  涙の後には虹も出る          江川武村画伯(黄門様).JPG
      歩いてゆくんだしっかりと  自分の道をふみしめて

   2. 人生勇気が必要だ  くじけりゃ誰かが先に行く
      あとから来たのに追い越され  泣くのがいやならさあ歩け

   3. 人生一つのものなのさ  後には戻れぬものなのさ
      明日の日の出をいつの日も  めざしてゆこう顔上げて

   4. 人生涙と笑顔あり  そんなに悪くはないもんだ
      なんにもしないで生きるより  何かを求めて生きようよ

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瞳がほほえむから [歌詞]

今日は結婚記念日。 去年と一昨年は、「人間として生まれさせていただいた目的を!」とのスローガンに固着をしていて、私だけが自分勝手に家を空け、仏法聴聞に奔走していたため、一緒に結婚記念日を過ごすということを、いとも簡単に疎かにしていました。
でも、結婚してからの十数年を振り返ってみれば、今日までこうして生きて来られたのも、Daneと一緒に人生を歩むことが出来たからに他ならないのに・・・。
本当に私と言うヤツは、感謝も心もなければ、本心から謝罪することも出来ない・・・、自分勝手で、わがままで、傲慢で・・・、それでも頭の下がらず、一時肩を落とすだけの最低のヤツだよなぁ~と、あらためて首が前にガックリと倒れます・・・。

しかし今年は、この二年間のツケがしっかり回ってきて、療養を余儀なくする羽目に・・・。 在り難い因果ですね~。 南無阿弥陀仏
結婚記念日ということで今日は一時帰宅が許され、Daneのアパートメントでゆっくり過ごすことが許可されたと同時に、このお部屋から花火鑑賞まで出来て、ホントに特別な結婚記念日となりました。

2011.9.18 結婚記念日の花火?.JPG

夜空に咲く花火を眺めながら私が口ずさんだのは、今井美樹さんの歌う「瞳がほほえむから」

        ねぇ この世に生まれて 最初の朝に 何が見えたの?
        今、その輝きで あなただけを見つめている
        一面に咲いた菜の花の色 ほら拍手のように揺れてる
        迷った 遥かな日々 涙じゃなく力にして
        あふれる 想いを今こそ 果てなく抱きしめて

        ねぇ おぼえてますか めぐり逢いは いたずらだよね
        でも、遠い痛みも いつか愛の強さになる
        歩き出す肩にとまる光が 二人やさしさへみちびく
        感じて あたりまえの ありったけの心の声
        さわって くりかえす明日を 乗り越えてゆくのね

        うれしい あなただけが 私だけを 探していた
        見つめて ふたつの瞳に言葉はいらないの

        ほら、瞳に映る あなたが今ほほえむから

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永遠と言う名の愛 [詩]

須永博士さんの色紙を初めて目にしたのは、結婚前に母からおみやげでもらった「小さな夢の展覧会」と題した色紙でした。

     この愛が永遠につづくために    須永博士.jpg
     お互い思いやりを忘れず 生きて行こう
     お互い他の幸せも気づかい 生きて行こう
     お互いいつわりなく 生きていこう
     この愛がいつまでも幸せであるために
     決して離れず生きて行こう

この色紙は今も寝室に飾ってあるのですが、ここしばらく、洋服に埋もれて見えなくなっていました。

単身赴任による別居生活のため一人暮らしを初めて9ヶ月が経ち、明日、結婚記念日を迎えます。
私たちの場合、十数年間と、長くもなく、短くもない結婚生活ですが、それでも山あり、谷あり、いろいろなことがありました。
でも、今、彼に言いたいのは、「ありがとう」と、「これからもよろしく」の二言かな。

須永さんの詩にあるように、「この愛が永遠につづく」とは私は思っていません。
でも、「思いやり」や「気づかい」は、一方通行ではなく、平行線でもでもなく、二人で築き上げて行くべきものだと思います。 互いに努力すべきことだと思います。 出来るか、出来ないかは別ですけどね・・・

日本の離婚率は、今や年間26万件を超え、結婚した夫婦の3割は離婚に至るそうです。
時間にすると2秒に一組は離婚していると言われています。
寂しいことだとは思いますが、昔々、人類が知恵や感情を与えられた時から、人を恋し、人を恨み、人を愛しては、人を憎む・・・・・ そんな歴史をず~っと繰り返してきたのですね。


        常知らぬ 人の心の 移ろいを   我が身のこととは 思いともせず

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『風』高見 順 [詩]

大型の台風12号が接近しつつあり、いつもよりも強い風が吹いております。
私は、風の音が好きです。 もちろん、自然の脅威は恐ろしいですが、私は風の音が好きです。

昭和の初期に活躍された 高見 順 さんという小説家であり詩人である彼は、波乱万丈の人生を過ごされ、作品にも物質だけでない精神的な苦しさこそ人としての苦しみなのだということが書かれてあります。
私は、彼の「生」を身体いっぱいに感じさせる人間臭さと、それに相反しているような心の線を縫うような繊細さの描かれた作品が好きです。

窓の外の台風風を見ながら、フッと高見さんの詩を思い出しました。

                      高見 順

          風がごうごうとうなっている
          ごうごうのこの音は
          風の音か 木が風に鳴る音か
          君は分からぬというが
          僕は風の苦しみの声だとよく分かる
          風は実に苦しんでいる
          有るということの苦しさは
          生きるということと同じように苦しいのだ
          君 今この寂しい夜に目覚めている灯よ
          君も今にそれを知るのだ

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青葉城恋唄 [歌詞]

先月、夏休みを利用して今年も東北をドライブしてまいりました。
今回の旅行の第一目的は、宮城県にある父の実家へ行くことにあり、震災後、初めての訪問となりました。

旅記については、旅行記専用のBLOG(旅BLOG)にてぼちぼちと書いておりますのでそちらの方で。
こちらのBLOGでは、歌や詩、和歌や俳句、それから心を動かした言葉などを通して感じたことなどを主に書いていこうと思っております。

小学生の頃は、毎年、仙台でお盆を過ごしておりましたので、仙台は私にとっても懐かしい故郷のようなところです。 そして去年も仙台には来たのですが、七夕祭りだけを見て実家には寄りませんでした。
そして今年3月の大地震と大津波・・・・・・

実家のある七ヶ浜の港町も津波に飲まれ、おじは行方知れずに・・・
塩竃港の入江にあった親戚の家は立ち入り禁止地帯に・・・
かれこれ数十年ぶりになる帰省は、重い気持ちを引きずりながらではありましたが、遠い記憶を懐かしんだり、震災の悲惨さを見ては言葉を失ったり、何か大きなものを知らされた旅になりました。

父が故郷を懐かしむようによく聴いていた歌に、さとう宗幸の『青葉城恋唄』という曲という歌があります。 
私も仙台に近づくと、何故か自然にあのメロディーが出てきちゃうんですよね。

           『青葉城恋唄』 

   広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
   早瀬 踊る光に 揺れていた君の瞳
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 流れの岸  IMG_0508.JPG
   瀬音ゆかしき 杜の都  あの人は もういない

   七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
   夜空 輝く星に 願いをこめた君の囁き
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 七夕飾り
   葉ずれさやけき 杜の都  あの人は もういない

   青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
   樹かげ こぼれるともしびに ぬれていた君の頬
   時はめぐり また夏が来て  あの日と同じ 通りの角
   吹く風やさしき 杜の都  あの人は もういない


七ヶ浜の湾を囲むようになだらかな斜面に建っていた小さな漁村の家々は、実家から三軒下のお寺の石碑を倒した所まで津波に襲われていましたが、角の駄菓子屋さんは、もう営業はしていなかったもののまだ残っていました。
そして、昔、遊んだプライベート海水浴場には、家が建てられており、津波で崩壊していました。

「想い出」は、「想い出」という姿で帰ってきます。
また夏が来て、こうして懐かしき地に立っていると、幼い日の風景が目の中に浮かんできます。

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一応、宣言 [随筆日記]

4月から書き始めようと立ち上げたこちらのBLOGも、半年近く放っておかれてかわいそうに・・・。
書きたいことは毎日、毎日、泡のように湧き出て来るのに書くこが出来ずにいる。

病気の方は、治っているような・・・、悪くなっているような・・・、私にもドクターにもよくわからない。
でも、これら色々な症状も治癒の過程の一つだととらえて、ゆっくりでも、すこしずつでもいいから良くなっていきたいと思う。

今日から9月。
先週に引き続いて病院へはDaneに同行してもらう。 今の私の一番の理解者は、ドクターでもカウンセラーでもなく、Daneだけが頼りである。
どんな戯言でもいい、書けない時は無理せず、書ける日の書ける時に、子のBLOGを書き続けたいと思っています。

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アイタクテ・・・ [歌詞]

なぜか、NETで偶然に出会ってしまった曲を、何回も聞いていたら、逢いたい人たちの顔が何人も浮かんできました。
もうこの世にいない人から、消息不明な人、また、会おうと思えば逢えるのに逢えない人まで・・・

解説では、ECHO OF PEACH という三人組の男性グループが、風見しんごさんに贈るために作った曲だそうです。

http://tube.idx.co.il/UWGxG1w0L44/-.html

     アイタクテ・・・   ECHO OF PEACH

     いつかまた 君と巡り逢えると信じ 季節を重ねる
     夕闇が今 僕の影を踏む まだ動けなくて
     心の鍵は 君の元  預けたまま 胸を焦がす
     冬の空 白く染まれば

          アイタクテ アイタクテ ただ、 この胸はり裂けるほど
          痛みを残して 響くよ 心に・・・


歌詞の途中ではありますが、「生れて来た」ということは、間違いなく「死んで行く」と言うことです。
そして、「出会う」ということの先には、「別れ」が必ずやってきます。
あちらから来なくても、こちら、私の方から「別れ」や「死」に向って歩んでいるのです。

私は、「生れる」ことも、「死ぬ」ことも、また「出会う」ことも、「別れる」ことも、同じくらい辛いことだと思うのです。
そう・・・、 「幸せ」の裏側が「不幸」であるように・・・・・


     君と過ごしたわずかな日々が 静かに横たわってる
     開いたページがそのままにまだ 色を変えない
     愛する意味を 当たり前の 時間の中で  みつけられた
     君がほら 微笑むだけで

          アイタクテ アイタクテ ただ、 あの日の出来事だけが、
          嘘だと言ってほしいだけ 今でも

     広げた両手に笑顔で 駆けてくる君がいる
     記憶の中だけ 生きてく 夜空の星 見えないまま

          今・・・
          アイタクテ アイタクテ ただ、 この胸はり裂けるほど
          痛みを残して 響くよ 心に・・・
          アイタクテ アイタクテ ただ  君を想って流す
          涙は 枯れることはない  永遠に・・・

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霜をば經とも 色はかはらじ [和歌]

先のBLOGの続きになりますが、佐布里公園の崖の中腹に、椿の花を見つけました。
崖をよじ登り写真を撮るのには少々苦労を要しましたが、手を負傷しながらも撮影してまいりました。

3.14 佐布里公園・椿.JPG

さて、引き続きまして 『新古今和歌集』からですが、椿の花を詠んだお歌は、『古今和歌集』(平安時代初期)から『新古今和歌集』(鎌倉時代初期)にかけて、たったの1首しかございませんでした。

       とやかへる たかの尾山の 玉椿   霜をば經とも 色はかはらじ

前中納言匡房さんの詠まれたお歌であります。
公釈的には、「とやかへる」というのは、「鳥屋返る」ということで、「鷹の尾山」にかかる枕詞になっているそうでして、つまり、鷹の尾山に咲く玉椿の花は、いくたびもの霜を受けつつも、色鮮やかに美しい、ということなのだそうですが・・・、 私釈的には府に落ちないのです・・・。

まず、「經(経)」というのを、どのように解したらよいのか・・・?
また、「鳥屋返る」という詞にも、深い想いを感じるのです・・・。

前権中納言匡房(大江匡房)さんというのは、平安時代後期の公卿で、儒学者であり、そして歌人でもあられます。 また新古今和歌集の選者でもあったのですが、その完成を待たずに70歳で亡くなられました。
曽祖父から続く学者の家系に生まれ育ち、大宰権帥を経て、大蔵卿に任ぜられるほどの碩学で、その学才は菅原道真と比較される程であったと伝えられています。
そのような方が詠まれたお歌を解することなど、無学無知の私には不可能でしょうが、歌は芸術、絵と同じ…。 私なりに感じたところを書いてみようと思います。

「たか(鷹)の尾山」とは、近江国にある山なのだそうですが、近江の山と言えば天台の宗総本山である比叡山があり、この山は「日本仏教の母」とも言われた仏教信仰の中心的なお山でございました。
そして、私が思いに、「鷹の山」と言うのは「鷲の山」のことであり(生物学上「鷹」と「鷲」は、明確に区別をされておらず)、比叡山を「鷲の山」として読んだ時、インドの霊鷲山のことが思い出されました。 
霊鷲山(耆闍崛山)というのは、お釈迦さまのお弟子さま方が御修行をなされたり、お釈迦さまがご説法をされた仏教の聖地であり、阿弥陀さまの御本願が説かれた『大無量寿経』が説かれたお山でもあります。

こう結び付くと、下の句の「經」が生きて来るのでございます。
このお歌は晩年に詠まれた歌と聞いております。
【私釈(お味わい)】
南無阿弥陀仏の御心が説かれたインドの霊鷲山も、この鷹の尾山のような山なのだろうか。
鷹の尾山には多くの玉椿の花が咲いているが、冬の霜を身に受けながらも色美しく咲き誇っているが、同様に、お釈迦さまの御教え(経)も、多々の争いを余所に色あせることはない。
でも、やがては落ちるであろうこの椿の花と同じく、もし私の命が尽きたならば、あの鷹の尾山、仏さまのおられるところへ帰りたいものだ・・・ 南無阿弥陀仏


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常ならぬ世に よそへてぞ見る [和歌]

古い話ではございますが、三月も後半に入って木蓮の花が咲き始め、梅の花もそろそろ終わりを迎える頃、梅まつりの終わった佐布里公園の梅園へと再び行ってまいりました。
ちょうど月曜日ということもあって、市の施設なので駐車場も閉まっていていたのですが・・・_(^^;)ゞ、
ありがたいことに、どなたかが悪さをしてくださったようで・・・(^.^ゞ、駐車場入口のポールを一本下ろしてあったので、車一台分が通れるほどのスペースあり、それに便乗させていただいて…(((^^;)、そちらから侵入いたしまし、梅の花も終わりかけの少しもの寂しい園内を、のんびりとお散歩させていただくことができました。

3.14  佐布里公園の梅園.JPG

梅の花というのは、古来より日本人に愛され続きてきた花でございます。
『新古今和歌集』の中には、梅の花を詠んだお歌が32首ございますが、その中より一句。

      色香をば 思ひも入れず 梅の花   常ならぬ世に よそへてぞ見る

これは、花山院の詠まれたお歌にございます。
【私釈】 美しき色、かぐわしい香り、これらに思いを寄せることなく梅の花を見ようとしても、やがて散りゆくものだとの無常を余所において見ることなどできるものではない・・・。

花というのは不思議なもので、人の心を癒してくれます。
そして花は人に教えてくれます。 必ず、必ず、散り逝く運命なのだよと・・・。
私は、お花って仏さまだと思うのです。
この地球上には、たくさんの花が咲いています。 たくさんの仏さまが、心を和ませ、癒すために咲いてくださっています。 でも同時に、「死んで行く…、ということを外してはならないのだよ」 との厳しさも教えてくださっています。 その花ではなく、この私がです・・・・・。

園内に咲く梅の花の半分ほどが既に散り落ちて、風任せに流れ飛ばされ土に帰って行きます。
縁あれば、いつかはそこから新芽が芽生えるかもしれませんが、でも、一旦死した花は、決して生き返ることはありません。 それが生まれさせていただいものの定めなのです。

さあ・・・、私の番はいつかしら? 今も無常の嵐は吹いています。 その風にさらされながらも生き耐えてはいますけれど、ポロリ…と枝から散り落ちたその瞬間から・・・、 それが今生との縁が尽きる時にございます。


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あの頃 (高村光太郎) [詩]

ただ何気なく、高村光太郎さんの詩集 『智恵子抄』を書棚から久しぶりに手にとりました。

光太郎さんは、明治から昭和にかけて活躍された画家・彫刻家であり詩人でもあります。
「こうたろう」と言う読み方はペンネーだそうで、本名は、「みつたろう」と読むのだそうです。
光太郎さんのお父様は有名な彫刻師・高村光雲さんで、上野公園の西郷隆盛像を作られた方です。

智恵子さんは福島の造り酒屋の長女として生れ、東京の大学を出られてからも東京に留まり油絵の勉強をされていました。 そして25歳の時に光太郎さんと知り合って28歳でご結婚。
しかし結婚生活は金銭的に苦しく、実家の破産と言うこともあって窮乏し、45歳の時に統合失調症を発病して翌年には自殺未遂・・・。 そして52歳の時、肺結核のため死去されました。

『智恵子抄』は、光太郎さんが智恵子さんへの30年間の想いを綴った詩集で、詩29篇、短歌6首、散文3篇が収録されています。

その中から一つ、私の一番好きな、『あの頃』 と言う詞を記しておきましょう。 (現代語訳済)

           あ の 頃

      人を信じることは人を救う。
      かなり不良性のあったわたくしを
      智恵子は頭から信じてかかった。
      いきなり内懐(うちふところ)に飛び込まれて
      わたくしは自分の不良性を失った。
      わたくし自身も知らない何ものかが
      こんな自分の中になることを知らされて
      わたくしはたじろいた。
      少しめんくらって立ちなおり、
      智恵子のまじめ純粋な
      息をもつかない肉薄に
      或日はっと気がついた。
      わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
      わたくしはあらためて智恵子に向った。
      智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
      その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
      わたくしはその甘美に酔って一切を忘れた。
      わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
      この天の族なる一女性の不可思議力に
      無頼のわたくしは初めて自己の位置を知った。   (S24.10)

私はこの詩を読んでいて、とても広く大きな世界を感じました。 南無阿弥陀仏

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吉野山 [和歌]

1594年の4月17日は、豊臣秀吉が、徳川家康、前田利家、伊達政宗ら武将をはじめとして、茶人や歌人ら総勢五千人を引き連れて吉野山へ入山し、吉水神社を本陣として盛大な桜見物催した日であると記録されております。 その花見の宴の絢爛豪華な様子は、吉水神社の「豊太閤吉野花見図屏風」に描かれているそうです。 (吉水神社公式HPより写真をお借りしました。)

吉水神社公式HPより『豊太閤吉野花見図屏風』.jpg

この時、主な武将らが詠んだお歌です。

   とし月を 心にかけし吉野山  花の盛りを 今日見つるかな  (豊臣秀吉)

   いつかはと 思ひ入りにし み吉野の  吉野の花を 今日こそは見れ  (豊臣秀次)

   君が代は 千年の春も 吉野山  花にちぎりの 限りあらじな  (徳川家康)

   千早振る 神の恵みに かなひてぞ  今日み吉野の 花を見るかな  (前田利家)

   君がため 吉野の山の まきの葉の  常磐に花も 色やそはまし  (伊達政宗)

私は吉野山がとても好きで、大学の頃より毎年一度は通うようにして行っておりました。
桜の花は大好きですが、吉野へ行くのは桜の季節に限定したことではありません。
ただ、懐かしく想う時にフッと行きたくなるのです。 そして引き込まれるようにお山の中へ入って行くのですが、何故かいつも事情というものが発生して、なかなか奥山まで分け入って行くことが出来ないのです。
でも今年も、この桜の季節が終わり、人気の少なくなった頃にまた行きたいと思います。

近年は、奈良までは時々行くのですが、吉野山にはなかなか寄ることが出来ませんでした。
でも、二年前には、散り桜の季節に行くことが出来、去年は新緑の頃に行くことが出来ました。
とても楽しかったです。 懐かしい想い出と言うより、つい先日のことのように想い出されます。

            故郷に 呼ばれ懐かし 吉野山  何を探して 我はさ迷う

2009.4  吉野・下千本.JPG


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ごあいさつ

前BLOGについて。
ご支持くださった方々にも、ご忠告くださった方々にも、お騒がせして申し訳ございませんでした。
誤解、ご迷惑をおかけた方々にはこの場を借りてお詫び申しいたします。
また、応援くださった方々には、そのお心を有り難く有り難く頂戴した上で、今後も前向きに頑張って行こうと思っておりすので、どうぞよろしくお願いいたします。

ただ、今後、こちらのBLOGについては詩や和歌などを中心に書いていくことにいたしました。
と言いましても、私の物ではなく、本などを読んでその時の私が感じたものを感じたままに・・・
私が私であるがままではなく、もともとあるものをあるがままに記録していこうと思っています。

その他、御法的なお味わいや日々の雑感、旅行記などにについては、もう少し気持ちの整理が付いてから別のサイトにて再会する予定です、今後ともよろしくお願いいたします。

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さびしいとき (金子 みすゞ) [詩]

金子みすゞ さんは、明治36年に下関にて出生。 20歳の頃から童謡を書き始め、23歳の時に結婚して一女をもうけるも、夫の浮気や病気を感染させられるなどの問題に加え、夫から作詩活動を制限されたり友人との手紙のやり取りを禁じられたりしたことに耐え切れず離婚を申し出ました。 その後、娘の親権問題に悩んだ挙句、26歳の若さで服毒自殺・・・。 なんとも悲しい生涯でした。
でも、彼女は生きることへの苦悩を我が身で知り、人は孤独であるということも知り、そして仏さまの存在を知っていました。
私は、なんとなく彼女の気持ちがわかるような気がします。
物書きをする者にとって、書くことを禁じられる辛さ、寄り処としたい友との交流を規制されることの苦しさ、病気と闘っていかねばならないという過酷さ、自分を愛してくれる人がいないという悲しさ、たった一人で死んで行くことへの恐ろしさ・・・・・  彼女はそれらを自身の内に秘めたまま詩を書き続けました。
でも、彼女の心にもいつも仏さまはついていてくださったのですね。


             さびしいとき

           私がさびしいときに、
           よその人は知らないの。
4.11 金子みすゞ..jpg
           私がさびしいときに、
           お友だちは笑うの。

           私がさびしいときに、
           お母さんはやさしいの。

           私がさびしいときに、  
           仏さまはさびしいの。             金子 みすゞ
   
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花のたましい (金子 みすゞ) [詩]

4月11日は、童謡詩人である 金子みすゞ さんのお誕生日です。
十数年前に親友と二人で青春18きっぷを使って山口県の方までグル~ッと周遊してきた時に、初めて彼女のことを知り、初めて彼女の詩を読みました。
でもその時は、リズミカルなきれいな詩を詠む人だなぁ~ 程度にしか思いませんでしたが、数年前にテレビCMで放映されていた 「花のたましい」 という彼女の詩を耳にした時、それがなんだかすごく心地よくて、それから彼女の詩が好きになりました。


          花のたましい

       散ったお花のたましいは、
       み佛さまの花ぞのに、
       ひとつ残らずうまれるの。
DSC02164.JPG
       だって、お花はやさしくて、
       おてんとさまが呼ぶときに、
       ぱっとひらいて、ほほえんで、
       蝶々にあまい蜜をやり、
       人にゃ匂いをみなくれて、

       風がおいでとよぶときに、
       やはりすなおについてゆき、

       なきがらさえも、ままごとの
       御飯になってくれるから。             金子みすゞ

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SAKURA [随筆日記]

お出かけついでに通りがかりのまつりの会場に寄ってみました。
まだ、朝早かったので、お散歩をしている人としか出会いませんでしたが、公園内には、「オレ様の場所だ!」と言わんばかり、所々にブルーシートが敷かれてあり、昨夜の宴会の残骸が、ゴミ籠付近に山のように溢れかえっていて、せっかくの桜の名所も最悪の景観となっていました。
みんな、自分さえよければいいんですね。
みんな、誰かがやってくれるだろう…、なんですね。
なんだか、腹が立つよりも悲しくなってきました・・・・・。

しかし、桜はなんとまぁ早く散ってしまうのでしょうか。
先週は、まだほとんど咲いていなかったのに、ちょっとお家で縮こまっている間に、散り始めていて、これもまた悲しいことであります。

なんだか最近、何につけても悲しい気持ちが湧いてきます。
そうかと言って泣き暮らしているわけではありませんが、すぐに悲しくなっちゃうんです。

      知らぬ間に 時過ぎ去りし 桜花(さくらばな)  昔を問えば 虚しかりけり

4.10.JPG

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決~めた!

とりあえずご報告! やっと、BLOGの分割化の方針が固まってまいりました。
ここ【namoamita】では、日常のアレコレを気がねなく書いたり、時には愚痴を吐き出したり、自由気ままに、今あるがままの私を書いて行こうかなって思います。 いわゆる日記というヤツですね (^o^)v

メインBLOGにしていた【蓮華の薫るこの庭で】の方には、当たり障りのない御法的なお味わいに絞って書いていくことにします。 その方のが人の嫉妬心をあおったりもしないでしょうし、他人様につける傷も軽傷ですむでしょうから・・・。

旅行記やその他諸々の交友・雑感などについては、一人でひっそりとやって行くことにいたします。

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