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笑顔の裏まで まるのまんま [心]

人は、愛しい人にはいつも笑顔でいてほしいと願う。
もし、愛する人が悲しみ・苦しんでいたら、何とかしてその愛おしい人の笑顔を取り戻そうと心するだろう。
時に…、愛する人の笑顔を自分の因で奪ってしまったとしたら、私は自身をひどく責めるだろう。
時に…、愛する人の笑顔を自分の因で取り戻せたとしたら、私は自身の自惚れに溺れるだろう。
私は、愛する人の笑顔を保ち続けることに自身の愛情の深さをはかったり、その笑顔を保ち続けることを生き甲斐に感じたりすることもあるが、それはすべて、私自身が笑顔でいる為に、愛する人にはいつも笑顔でいてほしいと願う、自分本位の欲望でしかないのだろうね…。
だって、私はいつだって笑顔でいたいもの…、 私は幸せに微笑んでいたいもの… 

でも、仏さまはどうだろう・・・
仏さまは、私にいつも笑顔でいてほしいと望んでおられるだろうか。 私が笑顔でいれば、仏さまはそれで満足されるのだろうか。 
い~や、そんなことは望んでおられない。 仏さまは、私が笑顔でいればそれでヨシ だなんて…、 私がこの世を、この一生を笑顔で過ごせることを願っておられるわけじゃない。
私が望んでいる自身の幸せと、仏さまが私にかけてくださっている願い、私に与えてくださる幸せとは、 ‘モノ’が全然違うのだ。

私はいつだって自身の幸せしか望んでいない…。
人の幸せの為に… と言ったって、結局は自分に見返ってくる自分の幸せの為にしか動けない。
だから、自分が望んだものとは違うものが返って来れば、幻滅もするし、腹を立てたりもする。
例えば、良かれと思ってやった行いに、「あぁ、自分は善いことをした」なんて自惚れていれば、当然 「ありがとう」、「感心な人ね」との言葉を期待するだろう。
そんなところに、「余計なことをするな!」、「出しゃばりやがって!」などの言葉が返ってきたら ど~だろう…。
ほら! 笑顔なんて直ぐに消えちゃう・・・・・

そんなヤツ、こんな私に、仏さまはどんな幸せをくださるというのだろう…
これは、考えたってわからない。 いくら思案したって正解など出て来やしないし、その幸せがどんなモノなのか理解せよとは誰も言っておられない。
それなのに、このおバカな頭は一生懸命考えようとしてしまう…。
もしくは、考えたってわからないのだから何も考えずこの件には触れずにおこうと見切ってしまう…。
どちらにしたって、このこと自体すぐに忘れて、気がつけばいつの間にか自身が望む幸せばかりを追い求めている私がいる。

それでもいいのだ。 こんな私が今に始まったわけじゃない…。
今生のみならず、過去世から ず~~~っと、私は自身の幸せばかりを欲するがままに追い求めて来た。 そうやって迷い続けてきた。 今更これをやめられないし、やめようとも思っていない私だ…。
こんな、自身の幸せしか追い求めることの出来ない私を、ただ一方的に愛し、愛し続けて、私の幸せだけをただひたすらに願い続けていてくださったのが私の阿弥陀さま。
迷いを迷いとも知らずに迷い続けてきた私一人の為に建ててくださった御誓が、阿弥陀さまの御本願。
自我の欲望のまま、自身の幸せだけを追い求めるしか能のない私がお目当てなのだよと抱き獲ってくださったのが‘南無阿弥陀仏’。
それは、こう聞かせていただいても何も感じない、信じることも出来ない、聞こうともしない私が居たから…
そんな私の一寸先を常に心配して、そこに願いをかけてくださっている。

笑顔の裏で自分の作り出した不安と戦いながら悪戦苦闘している私を、まるのまんま包み込んでくださっている‘なんまつだぶつ’に、今日も私は生かさせていただいている。

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