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私スタイル BLOGで聴聞 [心]

書きたい…  書いておかなきゃ!…  なぜ書いているんだろう?…  何の為に書くんだろう?…
今、そんなことを考えてみたいと思った・・・・・。

BLOGというものを始めたきっかけは、ただ何となく話しのタネにBLOGと言うものの機能を知っておきたいという興味本位の知識欲で始めたに過ぎなかった。
そして、元々書くことが好き!ということもあって、気の向いた時にアレコレと書き綴ることをただ楽しんでいただけだったが、BLOGを始めて2,3ヶ月が経った頃だったかな、あることに気が付いた。
最初の頃はホントに単なる日記文でしかなかったBLOGであったが、それが徐々に自分の思いを外に向けて発信する随筆文へと変わって行って、いつしか自分の為の記録ではなく、不特定多数の誰かの為、何かに向けてのメッセージを書いているふうになってきてしまった。
これにBLOGとして書くことへの違和感を覚え、次第に書く頻度が減って行ったのだが…、 ちょうどその頃 ‘仏教’と出合ったことで、新しく学んだことや、自ら調べたことなどを書き留めておきたいという気持ちが起こってきた。

そこで以前とは別のサイトにて新たにHP風のBLOGを始め、当初は恥ずかし気もなく独自の仏教理論なるものを展開して行った訳だが…、 ところがその一年後、今の会と出遇ったことによって本当の‘仏教’に触れさせていただくと、今度は、今まで自分が語ってきたこととは180℃違う正反対なことを書かねばならなくなり、また、今までとはあきらかに要点がズレてきたことから、これまでの延長線で書き続けることが出来なくなってしまった。
ましてや、教学や史学などではなく、自分の心を問題にしていかなくてはならないと教えられ、そんなことはとてもBLOGに書けるはずがないと…、 その結果 BLOGとの縁が遠退いてしまった…

仏法聴聞を始めて半年ほど過ぎた ちょうど一年前の年末、 何故だかわからないけれど、「書きたい!」という気持ちが一気に膨らんで来て、再びサイトを新調して始めたのがこのBLOGである。
この時は、ただ心に浮かんでくる自分の思いを自由気ままに書き綴っていただけだったが、去年のインド旅行をきっかけにして、このBLOGをS先生が読んでくださることになった。
私としては予想外のこの展開に始めの内こそ少々戸惑いはしたものの、次第にその心地よい緊張感にも慣れてきて、書くことを楽しみながらBLOGに綴って行くことに変わりはなかった。

しかし、そんな頃にYuさんとメール交換をし合うようになり、噂を聞きつけたYuさんにも私のBLOGの存在があきらかになると、Yuさんから一々BLOGの内容に突っ込まれて叱られたり、ケチ(;^-^)ゞを付けられたりするようになった為、一時はなかなか自分が思うそのままをBLOGに書き綴ることが出来なくなってしまったこともあった…。
そして、私の知らないところでこのBLOGの存在がどんどんとOPENになって行ったことにも小さく畏怖し、また、「なっちゃんのBLOGを読んで嫉妬心が燃え上がった」だとか、「BLOGで有り難いことを書けても声に出さなきゃ嘘」だとかいう声が耳にはいってくると、書くということ自体に恐怖を覚えBLOGなど止めてしまおうと思ったこともあった…。

それでも何とかこうして書き続けて来られたのは、このBLOGを応援してくれた人たちの温かい励ましの声によって、「私は、私自身の為にこれを書いているんだ!」と言うところにどっしりと腰を据えることが出来て来たからだと思う。

いつの間にか‘仏法’中心の生活環境が整えられて来ると、自ずとBLOGに書くことも‘仏法’もどきの ‘我法’が主だったテーマとなってきた。
これによって、「仏教カブレ」、「新興宗教オタク」と言って去っていた友達も少なくはない。
それに、たくさんの嫌がらせを受けることにもなった。
でも、「人生、コレ一つ!」と言うところに コクン と頷けた去年の夏頃からは、誰に何を言われようとも、どう思われようとも、私はこの道を進んで行くんだという決意も生まれた。

今、誰の為に私はBLOGを書いているのだろうと考えた時、それは、100%自分の為なんだと言える。
そして、何の為に書いているのかと考えた時、これが私の聞法のスタイルなんだと思った。
だから書かなくっちゃいけない!って気持ちにさせられるのかもしれない…。

私は、人と話しをする時に、無意識の内に相手の気持ちに自分を合わせようとしてしまう。 自分の思いよりも、相手の望む言葉を詮索してしまうことで、本当の自分を見失ってしまうのだ…。
でも、BLOGを書いている時は、誰に波長を合わせる必要もなく、‘私’というモノを見つめていられる。

そして私にとって、‘書く’と言う行為は、その‘私’というモノを知るための手段なんだと思う。
頭の中でただ思考を流して行くだけではなく、こうして文字にして行くことで新たに発見できることがたくさんある。
例えば、御法座にしても、その時リアルタイムで感じさせていただいたことのみならず、これを振り返ってBLOGに書き綴っている‘今’また新たに気付かせていただけることがたくさんある。
例えば、旅行記にしても、単なる日記を書いている時でも、その時には気付かなかったことが、BLOGに書き綴ることによって、‘今’ ‘ここで’ 新たに気付かせていただける。

そして何よりも、こうして自分自身をさらけ出すことで、間違いを指摘して叱ってくださる方々がいる。
先日の 「喜べない私」 ということを思案したBLOGでは、ご自身のところで優しく説いてくださったYSさん、厳しく叱咤してくださったYuさん、そんな先輩同行にBLOGを通してお育ていただけている私は本当に贅沢者、幸せ者だなぁと思う。

先生方、御同行方、どうぞこれからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。
そして、こんな私のBLOGではあるけれど、少しでも何かを感じてくださる方があれば、私は とても とても嬉しく思います。

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