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2009紅葉狩り⑥ 赤尾の道宗・行徳寺 [Travel]

井波別院・瑞泉寺からR156をsouthに、荘川沿いを五箇山に向けてドライブ。
紅葉の見頃は始まったばかりというところ。 後一週間もすればピークを迎えるんじゃ~ないかな? 
でも、悔やまれるのはこの曇り空! 青空の晴天だったら、きっとメチャメチャ感動できただろうな~ぁ

3294685到着したのは、五箇山の合掌造集落… ではなく、 
行徳寺 という小さなお寺。

行徳寺は、蓮如上人のお弟子であられた弥七郎さんが、室町時代後期に浄土真宗の宣揚を目的に開かれた道場に由来したお寺である。
弥七郎さんと言うのは、赤尾の道宗さんのこと。 真宗でひと際立った妙好人である。

築300年といわれる茅葺きの山門と、聴聞や信心の沙汰をするのに程よい大きさの本堂、その横には、市指定文化財である合掌切妻作りの庫裡と、道宗さんの遺品などが展示されている赤尾道宗遺徳館が、小じんまりと佇んだお寺である。

赤尾の道宗さんと言えば、『道宗・二十一箇条覚書』
蓮如さまが亡くなられた三年後、“後生の一大事”のために命をかけられた道宗さんが40歳の時に、真宗念仏者として自らを戒めらた心得を書かれたものである。
その第一条が、「後生の一大事、命のあらんかぎり、油断あるまじき事」 というものから始まる。
この覚書を読んでみて、意味とか、お心とか、私にはよくわからないけど、ただ…、ただ、 道宗さんは、「この命ある限り、後生の一大事を心にかけよ!」とお示しくださった蓮如さまの教えの上に生きて行かれた方なのだなぁ、ということを感じた。

“後生の一大事”…。   私は、“後生”のことなんて微塵も大事とは思えない…。
「死ねば、地獄一定という一大事があるぞ!」と、何度も 何度も お聞かせいただいていても、私にとっては今生事こそが一大事…。 “後生を心にかける” だなんて、とても出来ない…
もしかして、赤尾の道宗さんも私と同じ? だから覚書に記されて、自らを戒められたのかな? な~んて都合よく解釈する。

最後の第二十一条では、「あさましのわが心や…」 から始まって、自らの心に 何度も 何度も 語りかけておられる。
「あさましき我が心よ…」 我が‘後生の一大事’を解決する為に、中国やインドへ行って法を求めて来いと言われたならば、この命 投げ捨ててでも赴く覚悟は出来ているのに、真宗の教えではそうは仰られない。
ただ真実の法を聞けよと言われるだけ。 なんと容易い! 何ともったいないことよ!
「返す返す、我が心よ…」 一生は短し。 今生は尽きるもの。
いつ飢え死のうと、いつ凍え死のうとも、そんなことは問題ではない…。
しかしだ、“後生の一大事” だけは、一寸の油断もしてくれるなよ。
「我が心へ…」 返す返す、この覚書に申したことを間違わずに心して 我が身を律せよ。
そして真宗の御掟や法度を遵守し、しかも心の内には、他力の信心による頼もしさ、有り難さを保ち、しかし外見的には慎み深さを申せよ。 「(わかったかね、)我が心よ…」 と…  (勝手な私釈だけど…)

“後生の一大事” を心にかけることの出来ない私だから、「後生を心にかけよ」と善知識はお示しくださり、これをすぐに忘れてしまう私だから、「後生は大丈夫か」と問うてくださるお同行がいる。
すべては阿弥陀さまのお手回し。 すべてが阿弥陀さまのお働き。 

道宗さんにまつわる逸話で有名なのが、‘道宗の臥像’と言われるもの。
道宗さんは、阿弥陀さまのご苦労を胸に、四十八願になぞって並べられた四十八本の割木の上にて毎夜眠られたのだそうだ。
如来さまが、私のためにご苦労をしてくださり誓われた、私一人のためのご本願。 
如来さまは、私が寝ている間であっても、いつも ずっと 私の‘後生の一大事’を心にかけてくださっている。  道宗さんは、そんな如来さまのお心を寝所に表わされたのかな… って思った。

3295233さてさて、行徳寺に着いた時間が遅かったため、ほとんど見学らしい見学はできなかったけど、これで 次回 訪れた時の楽しみも出来たわけだし、ま~いぃかっ!
それから、道宗さんが、赤尾の「行徳寺」から 井波の「瑞泉寺」まで、雪深い山の中を歩いて聴聞に通われたという‘道宗の道’(山道で32km/国道で40km)を、いつかは、‘後生の一大事’を心にかけながら歩いてみたいもんだ! なんちゃって~!!

帰り道、五箇山ICから東海北陸道に乗った道路脇の紅葉がとてもきれいだった。
でも、それ以上に美しかったのは、あんなに曇っていた空の色がみるみると染まっていった夕焼け雲だった。
「この私の‘孤独感’ も、燃やしておくれ…」 そう願いながら空を見つめた・・・・・

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2009紅葉狩り⑤ 井波別院 瑞泉寺 [Travel]

お昼過ぎに山中温泉を出発し、途中、加賀温泉駅近くのお寿司屋さんにて Launch time ! 美味しかった~(^^)v
この後、北陸道で富山入りして瑞泉寺に向かう。 名前だけはよく耳にするけど訪問するのは始めて。 

3294683井波別院・瑞泉寺は、真宗大谷派の別院。
瑞泉寺に向かう県道沿いには幾つもの灯籠が立ち並び、寺院の大きさを感じさせられる。
門前の参道は情緒ある建物で統一され、数多くの井波彫刻の店や作業場が軒を連ねている。
その突き当たりにある井波別院・瑞泉寺の周囲は、城壁のような石垣で囲われており、他の別院とは違う趣があるのと同時に、真宗の時代背景というか、歴史を物語っているようにも見えた。

井波別院・瑞泉寺は、1390年に本願寺五代・綽如(しゃくにょ)上人によって開山。
北陸の浄土真宗信仰の中心として大きな勢力を誇っていたが、1581年、織田信長の北陸方面軍・佐々成政の軍勢に攻め入られて焼き討ちに遭い堂宇を消失。
その後、兵火を逃れて城端北野に一時移ったが、再び井波へ戻って現在の場所に再建。
瑞泉寺を囲う堅牢な石垣は、戦国時代における越中一向一揆の拠点となった寺の歴史を今に残すもので、苔むしたその石の一つ一つに、「寺は…、門徒は…、いったい何を守ろうとしたのか…」 と 問いかけたくなるような、そんな思いに駆られた…。

現在の本堂は、1885(M18)年に再建されたもので、真宗木造建築の寺院としては、北陸随一の大きさを誇る。 また本堂横に凛と建ち並ぶ太子堂は、1918(T7)年に再建されたもので、両建物に施された彫刻は、木彫刻工業が盛んな南砺・井波の職人によって飾られたもの。
それぞれに全部違った彫刻が施され、しかも繊細。 その一つ一つが、彫刻師の作品である。

3294684現在、本堂は修復工事中で、景観はすこぶる悪い。
しかも、別院でありながら入場料が必要というのも初耳。
だけど、畳を剥がされた本堂と言うのは、こんな時にしか見ることができない。
ってことで、チョットだけLUCKY~!(^^)v

でもね、宝物殿といわれる小さな建物に行ってみると、入口にいた女性に「せっかくだから見てって!」と呼び込みをされた上に別に入場料を請求され、「御懇志で!」と言われたそのテーブルの上には、まるで売り物のように千円札が扇状に幾つも飾られていた…。 悪趣味だな~ぁ!

私たちが訪問したのは24日、 ちょうど月の定例法座の日。 
少しだけ太子堂の外で聴聞させていただいたが、蓮如上人の『御文(章)』を元に、蓮如さまのお心をお話しくださっていた。 「あぁ、こ~ゆ~お話しをしてくださるお寺さんもいるのだ」と、ちょっとだけ嬉しくなった。

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