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高山法座 ~ 一周年 ・ 後一歩が永遠に・・・ ~ [法座・座談]

真夜中、シャワーを浴びてから布団に入ったのは朝の四時少し前。
二時間ほど睡眠をとって法座二日目の朝を迎え、早朝からTMさんと二人で昨夜の懇親会の後片付けをしながら、今にも泣き出してしまいそうな気持ちを整える。
TMさんをはじめ、Kaさん、ETさんが、私のことをとても心配してくださっているのがヒシと感じられるが、その優しさに甘えきれずに、「私は大丈夫だから! 私は元気だから!」と笑顔で応え、慌ただしく働きながら私は暗い気持ちを紛らわした。

朝食の後、KaさんとSyoちゃんがアレコレと関わってくださったこともあって、午前中の座談会はお二人の分級に参加させていただいた。
座談は、今回が初聴聞となるRyo君を中心に仏法の基本的な知識から真宗のご信心についてKaさんがお話しくださった。
その中で、「どうして生まれてきたのか、なぜ仏法を聞かなければならないのか」というお話しをされた時、私は自分の原点をフッと思い出して、幼い頃のあの辛い記憶に胸の締め付けられる想いがした。

私は眠るのが恐かった・・・・・・。 
保育園のお昼寝の時間にも、三年間、一度も寝たことがないほど…。
夜は毎晩恐い夢にうなされて、泣きながら悲鳴をあげて目を覚ませば、今度は「泣くな!」と父に叱られ、真っ暗闇の納戸の中に閉じ込められて現実の恐怖に泣き叫んだ。
「恐い…、恐い…、 生きているのが恐い…。  死にたい…、死にたい…、 なのにどうして死ねないの?」

小学校三年生の時、一学期の成績が落ちたことで父に酷く叱られた・・・・・
「そんな子に育てた覚えはない、一緒に死のう」と大きなハサミを振り上げられた時…、 私は、「生まれて来てしまって、ごめんなさい」と謝った。

それからず~っと、「私は何の為に生まれてきたの?」、「私の存在は迷惑しにかならないのに、どうして私は生きているの?」、そう自分自身に問い続けていた…、それなのに・・・・・・
その答えが、仏法を求めだした時に出遭った “人身受け難し今已に受く、仏法聞き難し今已に聞く。” の御文に、ここにすべての答えがあると直感したのに・・・・・・
それをすっかり忘れて聴聞している私の姿がここにあった…。
今は、「なぜ、生まれてきたの?」 ではなく、 「どうして信心くれないの?」 の、浅ましい私しかここにはいないと…。

昼食を済ませてからしばらく休ませていただこうと二階に上がったところで、今日は初対面のAMちゃんが、「遊ぼ♪」と顔をのぞかせた。
昔っから何故か子供との縁が深い運命?みたいな性分ゆえに、今日も休憩するのはあきらめてAMちゃんと二人で午後からの御法座が始まるまで一緒に遊ぶ。

この日の御法座はいつものG先生とは違う迫力で、私に向かってカーブなしの直球が飛んできた。
昨夜のG先生の御心と何一つ変わらない祈りにも似た願いが私を揺り動かそうとするが、当の私はピクリともせずに座布団の上でふんぞり返ったまま一歩も前に出ることができない。
「嫌だ! 嫌だ! こんな自分はもう嫌だ!」と駄々をこねることしかできなかった・・・・・

最後の座談会では司会のMK先生が自ら一歩前へ出る私の一言を待っておられたが、結局私は自分から出て行くことが出来ずに、MK先生に手を引かれて渋々と言葉に出してゆく。
私は…、 私は、仏さまを傷つけるのは全然平気なくせに、自分は傷つきたくないと思っていた…
だからETさんから尊い言葉をいただいても、私は昨夜KYさんから言われた「反対側から見る」ということが出来ずに、頭を使ってその心を思案していたのだろう…、全然言葉にならなくなった…。
そして自分を見失い…、 Syoちゃんがそんな私の本心を引きだそうとしてくれたのだが、私はそんなSyoちゃんの心とは逆に自分の世界で自分の仏様と向き合おうと必死になっていた。
またMoさんからは、「なっちゃんが高山に来てからちょうど一年だね、 あの時も今も薄皮あと一枚の同じ場所にいるが、これからもそこに留まっていくつもり?」と言われ、私は永遠に抜け出せないかもしれない… と、思った…。
そんな重っ苦しい空気に全身が硬直し始めた時、今までだまっておられたG先生がスッと両手で私の心をすくいあげてくださって、そして私の口からは自然にお念仏がこぼれ落ちた。
と同時にS先生の、「おがんで助けてもらうんじゃない、むこうからおがまれて思いとられるお救いなんだ」という言葉がフッと聞こえ、「他人が何と言おうと、自分の心がどんなんだろうと、私はいつだってこのお念仏が聞けるじゃない!」 と、 ただ‘南無阿弥陀仏’、 ただのただの‘南無阿弥陀仏’ を 聞かせていただいた。

高山法座も無事終了し、後片付けもおおよその目処がつき、East家での任務を終えた後、先生方のお見送りするお役をいただいた。

そして、G先生、MK先生、Kaさん、KYさんの五人で夕食をいただいたレストランでは、先生方お二人が代わる代わる私の為に御法を説いてくださった。
それは全然難しいお話しでも硬いお話しでもなく、私のやっている日常のアレコレがいかに罪作りなものなのか、これに対して私はどういうモノガラなのかということを具体的に聞かせてくださり、これらを生活の中でどのように観ていけばよいのかということを実践的にやって見せてくださった。
そして、私にこれを観せてくれるこの世のすべてのものが、この私一人の為に御法を説いてくださっているのだと、先生方は言葉ではなく自然なかたちで私に説いて下さった。

夕食の後、駅のホームで電車を待つ間、G先生と夕日を眺めながら日が暮れ行くこと、そして雲が流れて行くことをお話しした。 無常は、無常と・・・・・・

先生方の乗った電車が見えなくなるまで見送って、駅のホームに一人残された頃には、夕焼け雲もすっかり消えて薄暗い夜闇がもうすぐそこまで迫っていた・・・・・・

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