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2009夏 一人旅・回想録 7 ( 一日目の終りに… ) [Travel]

私は、いつだって死にたがっている… 
そんな自分と出会うのが恐ろしくて、いつも目をそらし、耳を塞いぎながら、背を向けて生きて来た…
でも、私は仏法と出遇ってしまった・・・・・。 

そいつは真正面から “孤独”だとか、“死”だとかを私に突きつけてきた・・・・・。
初めの内は私も、まるで冗談という名の球をもてあそぶかのように上手くかわすことが出来ていたから、それ自体が楽しくもあった。
しかし、次第にその球を避けきれなくなってきて、一つ、二つと当てられ…、 自分が劣勢に立たされると、その遊び自体も面白くなくなってきて、「いち抜けた!」と言わんばかりに逃げ腰の体制になった。

「逃げ?・・・・・」  私は逃げているの?

  >> 君は、久遠の過去世から今日まで阿弥陀如来のお救いから逃げ続けて来た。
  >> しかし、君がどこへ逃げようとも阿弥陀如来は追いかけて来てくださる。
  >> 阿弥陀如来には、今生にて君の迷いを打ち止めにするという強い願いがあるから。

宇都宮のHOTELに着いてから部屋でNETをつなげた時、そのTopに入ってきたmailの冒頭にそのように書かれてあった。 
予期せぬ人から届いたそのMailに、正直、驚きよりも喜びの方が大きくて、Mailの内容云々よりも、今の私をそのまんま文字にしてすぐさま返信した。
そうしている内に、いつの間にかすっかり御法の中に浸かっている自分に気がついた。

「仏法との縁は断ち切るんだ!」 と 決めて旅立ったはずだった…。
仏法に振り回される生き方を否定し、仏法と出遇う前の自分に時間を戻して、一秒でも早く仏法のことなんか忘れてやるんだ! と家を出たはずだった…。
その為に新しい何かを見つけようと思って旅に出たのか…、それともこの命もろともに断ち切ってしまおうと思って旅に出たのか…、あの時も、今も、それはわからない…。
生きたいのか… 死にたいのか…、 そんなこと考える余裕も無かったから・・・
でも、生き方も、死に方も、そんなもの ど~でもよかったのかもしれない。 
あの時の私にとっては、仏法を捨てて生き行くことも、死んで地獄に堕ち行くことも、両方とも幸せへの第一歩だと思っていたから・・・
ただ、今現在の苦しみから逃れることが夢であり、この悲しみから抜け出ることを望み、孤独な自分を忘れ去ることが願いだった・・・
ただ、手で受け取れる幸せ、目に見える幸せが欲しくて、そんな幸せを肌で感じ、心いっぱいに満たしたかった・・・

「阿弥陀如来にこの身を包まれようとも、この身が法の泉に沈んだとても、私は決して法とは向き合わぬ!」 と 決めて旅立ったのだ!
それなのになんだって法は私の頭の中に介入してくるのか! なんだって私の時間に法は割り込んでくるのか! なんだって私の生活を法で染めようとするのか!
鬱陶しい!  鬱陶しい!!  ああ、鬱陶しい!!! 

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