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言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国 [随筆日記]

志貴島の 倭(やまと)の國は 言霊(ことだま)の 佑(さき)はふ國ぞ 福(さき)く  
ありとぞ 

『萬葉集』にある 柿本人麻呂の歌である。
意訳) 島々からなるこの日本国の言葉には魂が宿っており、その霊力によって幸福がもたらされる。

神代より 云伝(いひつ)てけらく 虚(そら)見つ 倭(やまと)の國は 皇神(すめ がみ)の 嚴(いつ)くしき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今 の世の 人もことごと 目の嚴(いつ)駆使前に 見たり知りたり

こちらも同じく『萬葉集』より 山上憶良が詠んだものである。
意訳) 神代の頃より言い伝えられてきたように、天の神々から見てもこの国の言葉には嚴(おごそ)かな魂が宿っており、その霊力によって幸溢れる国であると語り継がれている。 今の世の人もこれを心しながら日本の言葉を使えよと…。

古来より、日本の言葉には 「魂・命」が宿っていて、その言葉自体が有する神霊的の働きや霊妙な力によって、表現したことを実現させる助力になる、またその言葉以上の想いを伝えられると信じられてきた。
悪い言葉には不吉な言霊が宿っているので、悪い言葉を発すると凶事を招くよ!
逆に、良い言葉には幸福の言霊が宿っているので、良い言葉を使いましょうね~!
という、一見聖教的な教えではあるが、この慣習は極々身近に私たちの生活の中に浸透している。
例えば、「事故にあうかもしれない…」なんて口にすると、ホントに事故っちゃうかもしれないから、「絶対に大丈夫!」って言っておこう! とか…?!
気持ちの持ち方ひとつだと言われればそれまでだけど、一旦口から出した言葉(日本語)には、現在と未来に影響を及ぼす神秘的な力を有しているのだと、私たちは無意識の内に伝え教えられてきた。

だからこそ、‘南無阿弥陀仏’という教えが、今の世に、日本にだけ残ったのではないかと思った。

インドで生まれた仏教が、国を越えて時を越えて世界中に広まったにもかかわらず、今の世に ‘南無阿弥陀仏’の教えは日本にしか生きていないのが現状である。
もちろん仏さまの御働きが前提にあるも、日本の言葉を “言霊” として大切にしてきたこの国の文化が、‘南無阿弥陀仏’ というはかり知れない大きな功徳を秘めた言葉を守り続けて下さった。
一見、仏法とは無関係なようでありながら、言葉の一つ一つに宿る大きな力を “言霊”として敬ってきたこの国のご先祖さまによって、‘南無阿弥陀仏’ という言葉が、今、ここの私に所に届けられたのは事実であり、この不思議な御力・御働きを考えた時、すべてのモノ、すべての事が、‘仏さまとの縁続き’ であるような気がした。

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