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蜘蛛の糸 [随筆日記]

パソコンの画面とニラメッコをしていたら、目の前に、スーーーッ と 小さな点が下りて来た。
その小さな点に焦点を合わせると、とっても小さな一匹のクモが、パソコン上のライトから一筋のクモの糸を頼りに、私の目の前に下りて来たのであった。
そのクモと、フッと視線が合った・・・・・
クモは、「こりゃ失礼!」と言わんばかりに、再びその糸を手繰りながら、上の方へと上がって行った。
どこから迷い込んだのか…、 こんな所では飢え死にしてしまう…。

子供の頃の愛読書、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出した。
あの独特の文調が好きで、冒頭は空で言えるほど何度も何度も読んだものだった。

或日の事でございます。 御釋迦樣は極樂の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。 池の中に咲いてゐる蓮の花は、みんな玉のやうにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云へない好(よ)い匀(にほひ)が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。 極樂は丁度朝なのでございませう。

物語のあらすじは、小学校の道徳の授業で習うので、たいていの人は知っているだろうが・・・・・
ある朝、お釈迦様が極楽の蓮池より、はるか下の地獄で苦しむ幾多の罪人の中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。
生前のカンダタは、様々な悪事を重ねた極悪人であったが、たった一度だけ小さな蜘蛛を踏み殺すのを思いとどまった事があり、お釈迦様はそのことを善行として、地獄のカンダタを救ってやろうと思われた。
そしてお釈迦さまが蓮池より一本の蜘蛛の糸をカンダタの元に下ろしたところ、カンダタは「この糸を頼りに登ってゆけばこの地獄から脱出できるぞ! もしかしたら極楽へ行けるかもしれない?!」と考え、その蜘蛛の糸をたどって上へ上へと登り始めた。
しかし途中でフッと足下を見下ろすと、自分の後より地獄の住人達が次から次へと登ってくるのが見え、このままでは糸が重さに耐えられずに切れてしまうと思ったカンタダが、「この蜘蛛の糸はオレのものだ! お前達は、下りろ!下りろ!」と叫んだ。
その瞬間、カンダタの手元でプツリと蜘蛛の糸は切れ、カンダタは真っ逆さまに再び地獄の底へと堕ちて行った。
お釈迦様は、その一部始終をご覧になった後、悲しそうな顔をされ蓮池から立ち去られた。 
というお話し。

この物語りは、お釈迦様が登場されても、地獄や極楽という言葉が出てきても、仏教とは無関係の道徳的童話であるということを、仏教を聞かせていただくまでは考えもしなかった。
ただ、子供心に、もし悪いことをしちゃっても、たった一つでも良いことをすれば、仏さまはきっと私を助けてくれる… と思って、この物語りをいつも心の片隅に置いてきた。

ところが仏教を聞かせていただくと、「私には何一つ良いことは出来ない」と説かれてある。
「なんで?!」 「どうして?!」 と仏法に反発してみても、よくよく聞かせていただけば、やっぱり 「私には何一つ良いことは出来ず、生きているだけで罪作り」という教えに、言い訳がたたない・・・・・
そんな罪しか造れないこの私が、仏になる教えを “仏教”というのだと、初事で聞かせていただき、「へ~ェ!」と他人事のように傍聴している私をみつけた・・・・・。

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