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「水」は万物の根源なり [心]

インドではお釈迦様がお生まれになった頃、約2,500年前の古代ギリシアでは、“神話”が歴史であり、科学でもあり、倫理・法律でもあった時代に、この神話的摂理に異論を唱えた人が、「最古の哲学者」といわれるタレスであった。
この世のすべてのものは神によって創造されたのだ、と信じて疑わなかった世界観の中にあって、タレスは、物質を構成する基本的要素を合理的に説明しようと試みた最初の人であった。
そのタレスが導き出したものは、「万物の根元は「水」であり、存在する全てのものは「水」から生成され、そして水に帰り消滅していくのだ」という考えである。

地球生命の誕生を考えた時、この星・地球に水が存在したからこそ命が芽生えたのだということは、現在ではごく当たり前の常識として周知されている。
すべての地球生命体の起源をたどれば水中生物であると考えられているのが定説であり、この意味でタレスが唱えた、「「水」は万物の根源なり」という説は、肯定するにあたうであろう。

でも、なぜかそれでは満足できない私がいる。

「私という肉体」を考えた時、これは生物化学での定説や、タレスの哲学に異論を唱える術はない。
しかし、「私は私であると思っている心」、言い換えるなら「肉体を抜けた魂」ということを考えた時、生物学でも哲学でも医学でもその答えは見つけられない。

不思議なもので、この私の肉体の寿命が尽きた後、死後の世界があると考える人も、死んだら皆無であると考える人も、現在の自分にとって都合のよい答えにとどまることで満足してしまっている。
必ず死に行く自分なのだと知りながら、「今日、私が死ぬとは思えない…」と、毎日毎日、自分の死を先へ先へと追いやって…、 必ず迎える我が身の死については、真剣に考えることが出来ずに、今を生きることだけに一点集中をしている。
つまり、自分の死後の世界に恐怖を抱いている人は、稀有な人であるといえる。

そう言っている私とて、仏教を聞かせていただいても、地獄に堕ちると聞かされても、馬の耳に念仏・・・・・
これを恐怖に思う心も無く、「いつまでたっても信じられん! との一点張りの自分だな~ぁ」と、自分の思いに耽ることしか出来ずにいる。
「それがどうした!?」とばかりに、その先へと進めない・・・・・

「一息切れた(死んだ)ならば、この肉体はもちろんのこと、愛する人も、大切に守ってきたものも、この心さえも切り離されて、裸一貫で行かねばならない先がある」。
そう聞かされた時、これに恐怖するどころか、これに憧れを抱いてしまうような私なのだ・・・・・

あぁ・・・・・  水になりたい・・・・・
落ちるまま…、 流されるまま…、 消えるまま…  の、 水になりたい・・・・・

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