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初蝉の 声に聞くや 弥陀の慈悲 [随筆日記]

昨日、7月に入った初日の夕刻、雨の降り出す少し前に、初蝉の声を聞いた。
そして今朝、雨上がりの庭先で、また一匹のニイニイゼミが不器用に声をあげた。 昨日と同じ子かな?
しかし、夕暮れが近づくにつれて、また一匹、あちらでもまた一匹と、新たな蝉の鳴き声が、夏本番の訪れを知らせてくれた。

幼い頃、母に、「セミはね、生まれてから一週間しか生きられないのよ」 と教えられたことを思い出した。
正確に言えば間違った情報だけれども、これを聞いて子供心に、「かわいそうに…」 と思った。

「セミ」と分類される種は、実に世界で3千種を数えるらしい。 日本に生息するものだけでも35種存在する。
「セミ」を研究する生物学者はいないようで、その生態についてはまだ謎の部分が多いようだ。
わかっているのは、夏に、枯れ枝や樹皮などに産み付けられた卵は、年を越して翌年の梅雨の頃(ニイニイゼミは同年の秋)に孵化する。
卵から孵った幼虫は、枯れ木の表面で最初の脱皮を行った後、木から下り、地中へと潜り込んで、木の根元で長い地下生活に入る。
その地中生活の期間は種によって異なるものの、3年から 長いもので17年もの月日を、土の中で樹液を糧としながら脱皮を繰り返して成長し過ごすのだそうだ。
終齢幼虫になると皮下に成虫の体と複眼が出来て、この頃には土の中より地上の様子を窺うようになる。
そして夏の晴れた日の夕方、地上に出てきて周囲の樹などに登り、辺りが夜闇に包まれる頃、最後の脱皮をして成虫(羽化)となる。
一晩をかけて外界の空気を体いっぱいに取り込んで、夜が明ける頃には外骨格が固まり、朝日の中で初飛行にTRYする!
が、しかし、初めのうちは上手く飛べないし、すぐに鳴けるわけではない。
ちなみに、セミが鳴くのはオスがメスを呼び寄せるため、すなわち繁殖のためであって、メスは鳴かないのだそうだ。
成虫となったセミの寿命は、残り二週間前後。  この期間に、恋をして、子供をつくる。

実際、卵から孵って成虫になるまでの期間を考えると、セミの寿命は昆虫の中ではかなり長いといえる。
でも、そうは思えないのは何故だろう・・・・・?
ただ土の中にいて、木の養分を本能のままに吸い取っているだけでは、「生きている」とは言えないのではないか…、と思ってしまうからだろう。
じゃ~、人間は…、私はどうなんだろう・・・・・?
煩悩の赴くままに五欲に任せて行動しているだけで、「生きている」って本当に言えるの?
「何のために生きているの?」 = 「生きるために生きているの!」 
これではセミと変らない・・・・・
「何のために人間に生まれさせてもらったの?」  
この答えを求めてこそ、「人として生きている」って言えるんじゃないかな~ぁ

母から、「セミの寿命が一週間しかない」って聞かされた時、「かわいそうだなぁ」と思ったのは、人間に比べてセミの寿命が余りにも短すぎると感じたからだ。
寿命無量の仏さまから見た私も、たかだか7,80年の短すぎる寿命を憐れに思われたのだろう。
煩悩を満たすことだけに四苦八苦して、罪を造るだけ造り、あっという間に地獄へと堕ちて行かねばならない私を見かねて、立ち上がらずにおられなかったのだと聞かせていただいている。
これを聞かずして、人間に生まれさせていただいた喜びなど、語れることあることなしと…。

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