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キジも鳴かずば撃たれまい [心]

昨日の、「カエルの結婚式」のNewsを見て、もう一つ心に思ったことがある。

インドのみならず、日本でも古来より雨乞いの儀式は各地で執り行われていた。
たとえば山野など何かを焼いたり、芸能を奉納したり、水神の住む湖沼に動物を投げ入れたり、大音量で太鼓を叩いたりと、地域によってスタイルこそ違えども、祈ることで雨は降るものだと信じられていた。
また、雨乞いの儀式の一環として道教呪術儀礼が広まると、家畜を捧げた位ではまだ信仰が足らぬとして、「人身御供」、つまり人間を生贄として供える慣習もかつては存在した。
この「人身御供」は、雨乞い信仰のみに留まらず、橋や土岸工事、また築城に際しても、水害・敵襲によって破壊されぬようにと、神に祈願するその生贄として「人柱(ひとばしら)」、つまり生きながらにしてその建造物近傍に人を埋めるという人身御供もあった。

各地に昔話として伝わる「人柱」となった犠牲者の多くは、まだ若く美しい女性たちであった。
これは、神は男であるという男尊の考えのもとに、美しい女性を差し出して男神のご機嫌をとろうとする、まことに浅ましき人間レベルの浅知恵に他ならない。
「松江城や長浜城の人柱」、また「お糸やお石の人柱伝説」などがそれであるが、まだ小さかった私の心を深く貫いたのは、「お千代のあずきまんま」の物語りであった。
小学生の時に読んだ本で、諺にもなっている石川県に伝わる民話、「キジも鳴かずば撃たれまい」である。

昔々…で始まるこの物語の概要は以下の通りである。
年幼い少女・お千代の母親が洪水の犠牲となって死しんだ翌年の梅雨の頃、お千代は重い病にふせっていた。
父親である弥平は幼いお千代の身を案じて、貧しい暮らしながらもアワ粥などを作って看病するのだが、お千代の食はいっこうに進まない。
そんなある日病床のお千代が、「あずきまんまが食いてぇ」とうわごとのように言った。
「あずきまんま」とは、亡き母が一度だけ作って食べさせてくれたお赤飯のことだが、弥平には、あずきどころか米粒すら買えないほど生活は貧窮していた。
しかし弥平は娘可愛さのあまりに、地主様の倉からほんの一握りの米と僅かばかりのあずきを盗んでしまう。
そのお陰かお千代は次第に元気を取り戻し、庭に出て、「♪おいしいあずきの入ったまんま食うたでな~ぁ♪」と歌いながらマリつきをして遊べるまでになった。
しかし、このお千代のマリつき歌をある村人が聞いていて、「なぜ貧乏な弥平があずきまんまを娘に食わすことが出来ただか…?」と疑念を持たれてしまうのであった。
そしてこの年もまた大雨で村が洪水の危機にさらされ、その対策に村人たちが寄り集まって相談する中、この大雨を鎮めるためには「人身御供」しかあるまい…、という結論に達したのだった。
しかし、誰を人柱にするか…。
この時、お千代のマリつき歌を聞いていた村人が、「弥平は盗みを働くような悪人じゃ! 娘のお千代が歌っておったマリつき歌が何よりの証拠じゃ!」と公言したことで、弥平が人柱として決まってしまった。
そして弥平は生贄として殺され、一人残された娘のお千代は、自分が安易なことを口走ったせいで父親の弥平は生きたまま人柱にされたのだと、何日も何日も後悔の内に泣き暮れたが、ある日泣くことを止めると、その日から一切声を出さなくなってしまい、これ以降、お千代は口のきけぬまま成長していった。
そんなある日、キジ狩の猟師が山に入り一羽のキジを仕留めてその獲物に駆け寄ってみると、そこには猟師の仕留めたキジを胸に抱いたお千代が立っていた。
そしてお千代は一言、声に出してこういった、「キジよ、お前も鳴かなければ撃たれなかったのに…」 と・・・・・。
この一言を最後に、これ以後、お千代の姿を見たものはいないという。

といった物語を読んだのが小学校2,3年生の頃だったが、私はこの昔話に強烈な印象を受け、「しゃべることは罪なのだ…」とハッキリと認識したことを今でも記憶している。

「キジも鳴かずば撃たれまいに…」  この物語が、自分にどれほどの影響を及ぼしたのかは知れないが、小学校3,4年生の頃の私は、とにかく無口で必要最小限度のこと、あいさつ程度のことしか声に出すことが出来ない子であった。
他人と会話をした記憶はほとんどなく、ただ、父親に何かを聞かれる度に、これを答える時、「父は今、私にどんな発言を望んでいるのだろうか…」 と 考えて、考えて、考え出した言葉を一言二言、全身で勇気を振り絞って、やっとの思いで口にすることが精一杯だった…。
自分の心・思いなどを見ている余裕はなく、ただただ相手が、父が期待している言葉を探し出して、それを声にすることで必死だった…。

もちろん、この物語のせいでそうなったのでは決してない。
厳しい父親をもった故に、もともとの性格がひねくれていただけの話だ。
今現在は、人との会話も好きになったし、自分の思いも口に出来るようになったけど、でも時々、子供時代の体験が今でも抜け切れないでいるのだろうな~っと思うことも多々ある。

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