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五色園 [随筆日記]

今日のS先生のBLOGにあった ‘五色園’ を、BLOGネタに拝借!
名古屋では、珍スポットとしても有名であるが、桜の名所としても名が知られている。
ただ、私がこの‘五色園’を知るきっかけになったのは、やはり浄土真宗の教えを知ってからである。

‘五色園’を統括している五色山・大安寺は浄土真宗系の単立寺院であるが、墓地は宗派を問わず受け入れているようだ。
園内はけっこう広くて、歩いて回るとかなりいい運動になるが、見所(?)はたくさんあるので、浄土真宗に関心がある人なら楽しいウォーキングが出来るのでは…、と思う。(^^ゞ
敷地内の各所に配された塑像は、コンクリート像作家として知られる浅野祥雲氏が手がけたもので、1934年(昭和9年)に大安寺の初代管主である森夢幻氏が、視聴覚伝導を目的として、『御傳鈔』などで説かれた親鸞聖人の御教えや御旧跡を視覚的に表現してくれている。
なので、そ~ゆ~知識のある人と一緒に行かなければ、面白くないかもしれないが…、所々に、これって親鸞聖人と関係あるの?という塑像も無きにしもあらず…(^^ゞ
でも、一つ一つの場面を聖典と付き合わせながら丁寧に見ていくのも、私は面白いと思った。

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写真は、一昨年の秋に‘五色園’へ紅葉を見に出かけた時のもので、倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』で知られる‘日野左衛門の枕石’の伝承を題材に視覚表現されたもの。
(ちなみに、親鸞聖人の枕石にのっかっているのは家の子で、実際には含まれておりません(^^ゞ)

‘日野左衛門の枕石’は、親鸞聖人が関東での布教をされていた時のお話し。
慈円房と良寛房の両名を伴われて布教の旅をされていた親鸞聖人が、常陸の国(茨城県)に立ち寄られたある吹雪の夜のこと、日野左衛門尉頼秋の家に一夜の宿を乞うたが、すげなく断わられた上に杖まで投げつけられてしまった。
その日野左衛門だが、金貸しを生業にしている前科者で、人も法も信じることが出来ないでいた。
親鸞聖人は、やむなく日野左衛門の門前にあった石を枕に身体を横たえて、お念仏を称えられながら眠りに入られた。
次第に降り積もる雪の深夜、日野左衛門の夢枕に観世音菩薩が現れてこう告げた。
「汝知らずや、門前の阿弥陀如来に早く教化を被らねば、汝の未来は永劫に苦海を漂い、この機を逃すことなかれ」と。
日野左衛門の心に後悔の念が浮び、早々に親鸞聖人らを家に招き入れて平身低頭無礼で詫びると共に、一晩中聖人よりご化導を賜って、仏弟子となられたというお話しである。
日野左衛門の法名は入西房道円。 親鸞聖人の高弟二十四輩のお一人である。

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