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油淵の花菖蒲 と 出会い [随筆日記]

2915583今朝、起き抜けに思い立って、サッとシャワーを浴び身支度を整えると、助手席にカメラを乗せて車を走らせた。
向かった先は、油淵(あぶらがふち)園地。
十数年ほど前に始めてここを訪れた時は、父と母と一緒に小雨にぬれた花菖蒲を眺めながら、花好きな両親の会話に耳を傾けていた私。

二回目に訪れたのは6年前、発病した母の車椅子を押しながら、夫と三人で来園をした。
あの日は晴れていて、母が「食べたい」と言って指さした露天のタイ焼きをほおばりながら、穏やかな午後のひと時を、ただのんびりと花菖蒲の園の中で過ごしていた。
あの時、母の胸の内にあったものは、過去への思いか…、それとも未来への不安か…。

その翌年にも母はこの園地に来たがったが、身体的にその願いを叶えてあげことが出来なかった…。
そして、母にとっては、それが最後の6月であった・・・・・

母がこの世を去った年、私は、母の願いの数々を叶えてあげられなかった自分の不甲斐なさ、そんな後悔の念から心を病んだ時期があったが、その翌年、母との思い出を探すように、花菖蒲の咲くこの季節に、一人、この園地を再び訪れた。
毎年変らないように見える風景の中で、私だけが常に変り続けているように感じられた・・・。

そんな三年前、一人でベンチに腰掛けながら、食べるでもないタイ焼きを手にして、ただボ~ッと花菖蒲の中で母との思い出に浸っていると、やっぱり涙がこぼれて…
そんな私に声をかけてきた人がいた。
「ねえ君、ちょっとこっちに来てファインダーをのぞいてごらん」
その見知らぬ中年の男性に誘われるままに、私は三脚にセットされた彼のカメラのファインダーに目をあてた。
そこには、色鮮やかにくっきりと、一輪の花菖蒲が凛と咲き誇っていた。
私がカメラから目を離してその男性の方に視線を移すと、彼に、「このカメラが、どの一輪をとらえているか当ててごらん」と言われて、角度や構成を考えながらいくつか指さして答えたが、そのどれもがことごとくハズレであった。
彼は、私が予想していたよりもはるかに遠い所を指さしながら、「カメラの世界は、ともすれば現実よりも美しく、そしてクリアーにものを見ることができるからね」と言いながら正解の花を教えてくれた。
その後も彼は私に何を聞くでも無しに、撮影旅行の話しなどを語ってくれて、私は母との思い出に涙する間もなく半日が過ぎていった。

その翌年、去年もまた花菖蒲の咲く頃にこの園地を一人で訪れた。
しかし、母との思い出にひたっても、もう、私の瞳から涙がこぼれ落ちることはなかった…。 
ムシムシっとする曇り空の下で写真撮影をしてから帰ろうと思った時に、また見知らぬ中年の男性から、「今日は、上の蓮如さんも開けてあるから時間があったら寄って行って下さい」と声をかけられた。
初めは何のことかわからなかったが、この頃、真宗の教えを聞いていたので、‘蓮如さん’という言葉に惹かれて、「蓮如さんの何かがあるんですか?」と聞き返すと、親切にも彼が案内してくれるという。
油淵園地隣の階段上に、応仁寺という真宗のお寺があって、このお寺を通称‘蓮如さん’と言うのだそうだ。
このお寺には住職が存せず、村の門徒たちだけで管理している蓮如上人の御旧跡であり、お寺の由来や蓮如上人とこの地の関わりなど、彼は興味深げに聞く私にあれこれと語ってくれて、とても有意義な時間を過ごすことができた。

そんな出会いが二年続いたので、今年は…、と思いながら、今朝一年ぶりにこの園地を訪れた。
早朝、まだ6時前だったので来園客の姿はほとんど見受けられず、花の手入れをする市の関係者らがチラホラと目に付く程度であった。
今年は花の付きが悪く、例年の綺麗さにはかけるが、独り占めのような園地での撮影は楽しかった。
私が夢中で写真を撮っていると、「いい写真は撮れましたか?」と男性の声。 
顔を上げると、スポーツウェアーに身を包んだ見知らぬ中年の男性が笑顔で話しかけてきた。
彼は、花菖蒲の咲くこの時期の週末には、自宅から園地までウォーキングをするのが日課で、カメラを趣味にしていると言うが、年に二度は個展を開くほどの腕前らしい。
そんな彼とカメラの話しや旅の話し、中でもヒマラヤの話しなどを楽しくおしゃべりをしていたらすっかり時間が過ぎてしまって、「お腹が空いたね!」と、そこでお別れ。

今年も、母との思い出の地で楽しい時間を過ごすことができた。  ありがとう、お母さん。

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