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生きている値打ちのない私 [Poem]

「どうして私は生まれてきたのだろう…」
「なんで私は生きていなくちゃいけないんだろう…」
幼い頃から事あるごとに頻繁に繰り返されてきた自問自答

  人身受け難し今已に受く、  仏法聞き難し今已に聞く。 
  この身今上に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってこの身を度せん。

二年半前、この一文と出遭った時に、そんな私の自問自答にピリオドが打たれた。
そう思っていた・・・・
でも、これは自問自答でのピリオドであって、これを人から言われた時…
「あぁ…、 やっぱり私は生きていちゃいけなかったんだ・・・」 って思ってしまった…

昨日、とてもとても信頼できる人たちと同じ時間を共有する御縁をいただいた。
そこで、今まで口に出来なかった過去の苦悩を打ち明けることが出来た。
それらの記憶を言葉にしていくうちに、自分でも気がつかなかった自分の思いが、
具体的な形となって心の中に現われていくように感じた。
 私は、物心ついた頃から、いつも愛に飢えていたんだ・・・
 そんな心を隠し続け、自分にさえも嘘をつき通しながら生きてきたんだ・・・
そう気が付いたら、何故だか涙が溢れ出してきた。

私のこの命は、私のものであって私のものではない尊いいただきもの
今まで生きてこられたのも、奇跡のような賜りもののおかげ様
でも・・・・・ そう思えたのは、ほんのつかの間のひと時だった・・・・・

どうして人間に生まれさせていただいたのか、
なんで生かさせていただいているのか、
その答えを教えていただいたとても尚、 私の“命”は私の“想い”よりも軽く、
「迷惑だ、 嘘つきだ、 生きている値打ちのないヤツだ」 と言われた途端に、
頭を抱えながら、“死”に幸福の幻影を描いてしまう私がいる。

そんな私を「可哀想だ」と、一緒に涙を流してくださる仏さまの御心も
見ざる・聞かざるの私には、わからない・・・・・
“死”に幸福の花を描く心には、どんな尊い言葉も、剣の刃のように痛いだけ・・・


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天川村  ~ 洞川遊歩道 ~ [Travel]

2952942宿の駐車場に車を預けて、地図を片手に歩き出す。
最初に向かった先は、山上川(さんじょうがわ)を挟んで洞川(どろがわ)の旅館街とは対岸に位置する、大峯山龍泉寺である。
現在ここは真言宗の弥勒信仰の寺院であるが、1300年ほど前、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が泉を発見し、八大龍王尊をお祀りして水行をしたのが起源であると伝承されている。
モミの木の新緑が美しく輝く境内には、その緑を水面に映す人口の池があるが、役行者が発見した頃には、底深く青く澄みきった泉であったと伝えられている。
本堂に入って参拝していると、不自然なほどスムーズに左手のドアがスーッと開いて、薄暗い本堂に外からの光が差し込んだ。
私は誘われるようにしてそのドアより外に出てみると、右手奥・本堂裏手の崖の斜面に、人のよじ登れるそうな石段があることに気付き何気なく近づいて行く。
この時、パタンっという背後の音に振り返ってみると、私が出てきた本堂のドアが自然に閉まっていた。
これを気にすることなく、私は雑草を掻き分けながらその崖の斜面をよじ登って行った。
本堂の屋根が目の前に見えるほどの高さの斜面に立つと少し足が震えたが、視線を崖上の方に移すと、その先の斜面に等身大ほどの祠があることに気がついた。
そこへ行くには、更に足元の悪い斜面を横に移動しなければならず、私は少し考えた後、境内では愛先生が待っているだろうし… と、 迷った挙句にここで引き返すことにした。
崖から下りてくると、何故か再び本堂横手のドアが音もなく開いたので、私は「ご苦労さん!」とばかりにそのドアから本堂へと戻ると、ドアはまた自然に閉じた。
そんな不思議な偶然と発見を楽しんだ龍泉寺を後にして、次に面不動鍾乳洞へと向かった。

洞川八幡宮に立ち寄ってから、トロッコ(有料)で面不動鍾乳洞へと向かうつもりで来たが、残念ながらトロッコは週末のみの営業のようでその日は休業…、 しかたなく、私たちは自力でその坂道を登ることになった。
鍾乳洞の入り口までの急な登り坂を300mほどの上がると、洞川の町並みを一望できる高台に着いた。
景色はまずまず! しかし、熱いし疲れた…。
面不動鍾乳洞は、昭和初期に発掘された延長150mの鍾乳洞で、保存食の保管や蚕種の成育にも利用されていたようだ。  また洞内の温度は快適で、外に出るのを躊躇したほどであった。

2952944面不動鍾乳洞を出てかりがね吊橋へと向かうために、吉野杉の林立する山林へと入って行く。
山道ではあるものの、洞川遊歩道として小径ができているので山に迷い込む心配はないだろうが、部分的には案外厳しい登り坂なども存在するハイキングコースであった。

林の中はとても心地がよかった。
風の音…、 鳥の声…、 そして耳をすませば私の鼓動が聞こえる。
森の風を頬に受けて見上げれば、背の高い杉の枝葉のすきまから宇宙が覗ける。
「あぁ…、 私は 今、 感じてる…、  私は 今、生きている ・・・・・」  そう思えた。

陽が西に傾きかけても、森林の緑は自らの力で輝いていた。 若緑色の光の香りが沸き立っている。
ひと山を登って下った先に、全長120m・高さ50mの、天川村で一番長い吊橋のたもとに出た。
眼下に洞川の家々を見おろすことのできる、かりがね吊橋である。
この先の大原山展望台まで歩いて行く予定であったが、予想以上にのんびりと散策をして来たために時間と体力の余力に不安を感じて、ここでUターンし、再び大峯山龍泉寺に向かって山を下りた。

宿へ戻ってCHECK INを済ませた後、洞川温泉にゆっくりとつかりながら疲れを揉みほぐす。
客室は山上川を見下ろせる川側の角部屋で、とても落ち着いた雰囲気のきれいなお部屋だった。
夕食までのひと時を、読書などをして過ごす。  愛先生は仮眠中。
瀬音のBGMが心地よくて、窓辺にて川の風をみつめながら、フッと出てきた曲を口ずさむ。
「ここに来れてよかった・・・」と、しみじみ思った。

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天川村  ~ 大峯山・女人結界門 ~ [Travel]

「天河大辨財天社」を後にてし、昼食のために洞川(どろがわ)温泉の旅館通りにある郷土料理のお食事処にて一服。
山上川(さんじょうがわ)を見下ろすお座敷でお料理を待つ間、大きく開放された窓からは川のせせらぎと、初夏の風に揺れる対岸の大きな樹木のざわめく音を胸いっぱいに聞く。

昼食の後は、いよいよ大峯山の入り口へ。 そう…、 残念ながら女性は入山できない・・・・・
修験道場としての大峯山というのは、吉野から熊野へと続く山脈全体を指しており、修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂のある山上ヶ岳(金峯山)は、現在でも女人禁制を維持している。
洞川村の集落を抜けて大峯大橋まで車で向かう途中に、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、母・渡都岐(とつき)白専女のために建てた庵・母公堂がある。
大峯の女人禁制は、この母に由来すると伝えられる。
役行者が山深く危険な場所で修行に打ち込んでいることを心配した母が、何度もこの山に訪ね入ろうとするものの山の険しさに行く手を阻まれるが、それでもなお息子の後を追おうとする。
このままでは母の身が危険であるとして、役行者は蛇ケ谷に母の為の庵を構え、自身が時々ここを訪ねることで母も安心するだろうと建てられたのが母公堂である。
そして今後、母が自分の後を追わないようにと、役行者の母を想う心から大峯山の女人入山を禁止して結界門を建てたのが、「大峯女人禁制」の始まりであるとされている。

2951889大峯大橋のたもとに車を止めて橋を渡り、立ち並ぶ修験道者らの石碑を横目に山頂へと向かう道を進むと、すぐに女人結界門はあった。
吉野杉の林立する林の中へと続く一筋の細い道のその手前に、「從是女人結界」と書かれた大きな石柱が立てられ、その後ろに女人結界門が凛と立ちふさがる。
「何のことは無い、ただの門じゃないか…」 そうは思っても、“掟”という言葉が、心に重くのしかかる。
愛先生は、「ここの“気”はよろしくない!」と言って、先に車へ戻ってしまわれたので、私は一人、結界門の前に立ち、山頂へと続くその道の先をみつめた。
フッと気を抜けば、無意識の内にこの門をくぐって、奥へ奥へと駆け出しそうな気持ちになる。
心に何か沸き立つ念(おもい)が出かかったその時…、不意に私の顔前に一匹の虫が飛び始めて、何度手で追い払っても鬱陶しくまとわり付いて来た。
その一匹の羽虫に、心のすべてを持ち去られ、かき乱されて、私はしかたなく女人結界門に背を向けてもと来た道を戻るが、結局車に乗り込むまでその虫は私の顔前を離れようとはしなかった。
正真正銘のおじゃま虫に、気分をすっかり害された思い出が残ってしまった結果に、少々不満ぎみである。

宿へと車を走らせる途中、いくつか寄りたいスポットがあったが、ここら一帯は各箇所ごとにすべて駐車料金を請求されるのでこれが難点、 と言うことで今回は通り過ぎて、今度来た時に歩いて回ることにしよう…。

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天川村  ~ 天河大辨財天社 ~ [Travel]

帰郷、というのは変だけど、私が奈良へ行く時はいつも、しがらみや煩わしさのない故郷へ、ひとり帰るような心持ちになる。
そうは言っても、私の生い立ちに奈良は無関係だし、奈良に住んだという過去もなく、私と奈良との関わりは “私の想い” でしかない。
奈良県と言っても、私が懐かしさを感じるのは吉野・大峯近辺に集中している。

愛先生と一緒に旅行をするようになったのも奈良が縁であった。
記憶も薄らぐ回想録になってしまうが、初めて愛先生と旅行をした時のことを書いておこうと思った。

しばらく遠のいていた南大和の地に縁あって再びを訪れることが出来たのは、桜が散って新芽の芽生えた頃であった。
当初予定にしていた旅行の日が愛先生の都合でキャンセルになった時には、寝込むほどのショックを受けた私だったが、再び旅行日程が決まった時には、もちろん飛び上がるほどに嬉しかった。
しかし…、またダメになったら… 、という不安が拭えずに、愛先生との旅は複雑な心境でスタートした。
でも、このことで奈良に対する思いはますます強くなったようにも思う。

旅のスケジュールはキャンセルになる前の予定とは少し変えて、天川村と吉野村の二箇所を集中して巡ることになった。
しかし私は、「吉野村」には何度か行ったことがあっても、この旅で愛先生から「天川」という地名聞くまでを、「天川村」の存在はまったく知らないでいた。
愛先生との旅の始まりは、その「天川村」という地に引き寄せられるようにして決まったと言っても過言ではないだろう。

天川(てんかわ)村は奈良県中央部のやや南に位置した大峰の山々に囲まれた谷間の村である。
村の約4分の1が吉野熊野国立公園に指定されていて、世界遺産“大峯奥駆道”へのゲートがある。
約1300年前(奈良時代)、修験道の開祖である役行者が霊峰として崇めたのが大峯山であり、その開山以来、大峯は山岳修験道の根本道場として栄えてきた。

名古屋から4時間ほどのドライブで天川村に入り、まずは愛先生が想いを寄せていた「天河大辨財天社」へと向かった。
細い村道を進んでいくと、予想していたよりもはるかに賑やかな場所の、集落の一角に、天河大辨財天社の鳥居を見つけることができた。
天河神社は日本三辨天の一つとして数えられ、音楽や芸能の神様としても有名で、
草創は飛鳥時代にさかのぼり、多門院日記には「天川開山ハ役行者」とあり、霊山大峯の開山である役行者によってなされたことが記されている。

2951506天河大辨財天社の日当たりのよい明るく小じんまりとした境内を抜けたその奥にある本殿へと続く階段は、たかだか五十段にも満たない距離でありながら、一段一段と上がるにつれて、下界の雑音が遠のき、空気の色も変っていくように感じられた。
その階段を上りきったところに横を向いたかたちで神殿があり、その神殿・御神体の正面向かいには、神に奉納するための能の舞台が在していた。
階段下の境内が‘陽’や‘動’とするならば、この上の空間は‘陰’であり‘静’という対照的なイメージで私たちを迎えてくれた。
私たちより先に参拝をしていた二人組みの女性が、神殿に向かって、「おん そらそば ていえい そわか (帰命頂礼弁財天悉地成就)」と繰り返し唱えていた。
これは、辨財天の御真言で、「サラスバティ(弁才天)に帰命し奉る」という意味なのだそうだ。
その声を不思議な音として耳にしながら、私は神殿正面の上部より吊り下げられた鈴を見上げていた。
球体の鈴が四つ横に菱形に並べられた鈴、このような形は見たことが無く、それにこの時疑問に思ったのは、天河大辨財天に古来より伝わる神器は、三つの鈴を三角形に並べた独自の形状をしていたはずだが、どうしてこれは四つで菱形なのだろう… と、そんなことを考えながらその鈴を見上げていた。
天河神社の神器である五十鈴(いすず)は、三つの「むすひ」(霊的な働き)を表わし、
それぞれを「生産霊(いくむすび)」、「足産霊(たるむすび)」、「玉留産霊(たまとめむすび)」と言うのだそうだ。
その五十鈴を実際に目にしたいと思ったが、けっこうな金額を寄した崇敬者に対してのみ授与するものらしく、残念ながらお目にかかることはできなかった。

この神殿と向かい合わせにある能舞台では、毎年春季大祭や例大祭に京都観世界を初め幾多諸流の名士が神事能を奉納する。
これも機会があればぜひ見に来たいと思った。

しかし、神殿前のこの空気はいったい何なのだろう・・・・・
時間が止まってしまったかのように感じられるほど、‘動’の気配がない。
どことなく落ち着きながらも、フッとした瞬間に自分だけが取り残されてしまうような不安にかられる。
天河大辨財天社の神殿前には、そんな不思議な“気”があった。

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眠れぬ夜の独り言 [Poem]

別の世界の出来事が、音もなく私の背後から忍び寄り
まるでトルネードのように、強い力で私を巻き込んでゆく
逃げることも出来ず…、 立ち向かうこともできない…

私は、私の知らない世界で作られた物語の中にいた。
そこで突きつけられた刃を前にして、私は小さく「何故?」と聞いた。
でも…、誰も答えてはくれない・・・・・
この世界にいる人たちはみな、「君は悪くないよ」と慰めてくれるけど、
でもきっと、これは私が蒔いたタネなのだから・・・
だから…、 ごめんなさい… ごめんなさい… ごめんなさい…
でも…、 私は誰に謝っているの?

数日前のほんの数時間、私はすごく落ち着ける所にいた。
私が私でいられる、たった一つの安らかな居場所。
そこで、心の底に眠っていた幼い頃の記憶が一つ、突如蘇えってきた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
泣きじゃくりながらも必死で謝り続ける、まだ幼い頃の私の姿が不意に、
そして鮮明に私の目の前に現われて、私は胸を強く締め付けられた。
でも…、 あの時、私は誰に謝っていのだろうか…
目の前で手を振り上げているその人に…?
?・・・・・・ いえ・・・・・・
私は…、 私に対して、必死で謝っていたのかも知れないと思った・・・・・

何も手につかない・・・・・
なのに、頭だけが慌ただしく働いている。
でもそれは、ただ無意味な思考が空回りをしているだけ・・・・・

窓の外は大雨・・・  雷もなっている・・・  それがありがたい・・・・・・

一人でいるのに、独りになりたいと思った…  
独りで怯えているのに、もっと孤独になりたいと思った…

これを解決するのはすごく簡単なことだよ!!
いつものように、お気に入りの自分を描いた仮面を着ければいい!
いつものように、理想の私を思い描いた殻を被るだけのこと!
そしてポジティブに、心の底から楽しく微笑むだけのこと!
今までも、そうして生きてきたのだから・・・・・

でも…、  私は誰…?    私はどこにいる…?
本当は、何もかも脱ぎ捨てて、ありのままの私になりたい。
それがどんなに辛い結果を招こうとも、私は私でありたい。 なんて・・・・・
そんな・・・、 出来もしないことを・・・・・

何を、どんなに考えたって、この頭から答えなんて出て来やしない。
だって、私には手の届かない、他人が作った世界のお話しだものね…。

でも、もっと もっと 考えて、疲れ果てるまで無い答えを探し続けて、
そして、孤独に押しつぶされてしまえばいい!!!

私、何を言っているんだろう・・・・・   眠れぬ夜の、ただの戯言・・・・・

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キジも鳴かずば撃たれまい [心]

昨日の、「カエルの結婚式」のNewsを見て、もう一つ心に思ったことがある。

インドのみならず、日本でも古来より雨乞いの儀式は各地で執り行われていた。
たとえば山野など何かを焼いたり、芸能を奉納したり、水神の住む湖沼に動物を投げ入れたり、大音量で太鼓を叩いたりと、地域によってスタイルこそ違えども、祈ることで雨は降るものだと信じられていた。
また、雨乞いの儀式の一環として道教呪術儀礼が広まると、家畜を捧げた位ではまだ信仰が足らぬとして、「人身御供」、つまり人間を生贄として供える慣習もかつては存在した。
この「人身御供」は、雨乞い信仰のみに留まらず、橋や土岸工事、また築城に際しても、水害・敵襲によって破壊されぬようにと、神に祈願するその生贄として「人柱(ひとばしら)」、つまり生きながらにしてその建造物近傍に人を埋めるという人身御供もあった。

各地に昔話として伝わる「人柱」となった犠牲者の多くは、まだ若く美しい女性たちであった。
これは、神は男であるという男尊の考えのもとに、美しい女性を差し出して男神のご機嫌をとろうとする、まことに浅ましき人間レベルの浅知恵に他ならない。
「松江城や長浜城の人柱」、また「お糸やお石の人柱伝説」などがそれであるが、まだ小さかった私の心を深く貫いたのは、「お千代のあずきまんま」の物語りであった。
小学生の時に読んだ本で、諺にもなっている石川県に伝わる民話、「キジも鳴かずば撃たれまい」である。

昔々…で始まるこの物語の概要は以下の通りである。
年幼い少女・お千代の母親が洪水の犠牲となって死しんだ翌年の梅雨の頃、お千代は重い病にふせっていた。
父親である弥平は幼いお千代の身を案じて、貧しい暮らしながらもアワ粥などを作って看病するのだが、お千代の食はいっこうに進まない。
そんなある日病床のお千代が、「あずきまんまが食いてぇ」とうわごとのように言った。
「あずきまんま」とは、亡き母が一度だけ作って食べさせてくれたお赤飯のことだが、弥平には、あずきどころか米粒すら買えないほど生活は貧窮していた。
しかし弥平は娘可愛さのあまりに、地主様の倉からほんの一握りの米と僅かばかりのあずきを盗んでしまう。
そのお陰かお千代は次第に元気を取り戻し、庭に出て、「♪おいしいあずきの入ったまんま食うたでな~ぁ♪」と歌いながらマリつきをして遊べるまでになった。
しかし、このお千代のマリつき歌をある村人が聞いていて、「なぜ貧乏な弥平があずきまんまを娘に食わすことが出来ただか…?」と疑念を持たれてしまうのであった。
そしてこの年もまた大雨で村が洪水の危機にさらされ、その対策に村人たちが寄り集まって相談する中、この大雨を鎮めるためには「人身御供」しかあるまい…、という結論に達したのだった。
しかし、誰を人柱にするか…。
この時、お千代のマリつき歌を聞いていた村人が、「弥平は盗みを働くような悪人じゃ! 娘のお千代が歌っておったマリつき歌が何よりの証拠じゃ!」と公言したことで、弥平が人柱として決まってしまった。
そして弥平は生贄として殺され、一人残された娘のお千代は、自分が安易なことを口走ったせいで父親の弥平は生きたまま人柱にされたのだと、何日も何日も後悔の内に泣き暮れたが、ある日泣くことを止めると、その日から一切声を出さなくなってしまい、これ以降、お千代は口のきけぬまま成長していった。
そんなある日、キジ狩の猟師が山に入り一羽のキジを仕留めてその獲物に駆け寄ってみると、そこには猟師の仕留めたキジを胸に抱いたお千代が立っていた。
そしてお千代は一言、声に出してこういった、「キジよ、お前も鳴かなければ撃たれなかったのに…」 と・・・・・。
この一言を最後に、これ以後、お千代の姿を見たものはいないという。

といった物語を読んだのが小学校2,3年生の頃だったが、私はこの昔話に強烈な印象を受け、「しゃべることは罪なのだ…」とハッキリと認識したことを今でも記憶している。

「キジも鳴かずば撃たれまいに…」  この物語が、自分にどれほどの影響を及ぼしたのかは知れないが、小学校3,4年生の頃の私は、とにかく無口で必要最小限度のこと、あいさつ程度のことしか声に出すことが出来ない子であった。
他人と会話をした記憶はほとんどなく、ただ、父親に何かを聞かれる度に、これを答える時、「父は今、私にどんな発言を望んでいるのだろうか…」 と 考えて、考えて、考え出した言葉を一言二言、全身で勇気を振り絞って、やっとの思いで口にすることが精一杯だった…。
自分の心・思いなどを見ている余裕はなく、ただただ相手が、父が期待している言葉を探し出して、それを声にすることで必死だった…。

もちろん、この物語のせいでそうなったのでは決してない。
厳しい父親をもった故に、もともとの性格がひねくれていただけの話だ。
今現在は、人との会話も好きになったし、自分の思いも口に出来るようになったけど、でも時々、子供時代の体験が今でも抜け切れないでいるのだろうな~っと思うことも多々ある。

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カエルの結婚式 [心]

2942772「インド北東部のアッサム州でカエルの結婚式が行われた」 という動画ニュースのトピックをNETで目にして、「インド」と「カエル」というキーワードに興味を惹かれ、さっそく閲覧してみた。
この村では、二ヶ月も雨に恵まれず、付近一帯の干ばつの解決策として、自治体主催で「カエルの結婚式」が執り行われたそうだ。
何故「カエルの結婚式」かと言うと、これはヒンドゥー教の儀式の一つであり、アッサム地域に古くから伝わる信仰で、カエルが結婚式をすると雨神様がお喜びになり雨を降らしてくれるという教えがあるのだとか…。
ヒンドゥー教でカエルは、雨神・バルンディヴァタの使者であるとされ、牧師ならぬ聖職者がヒンドゥー教のしきたり通りに儀式を進行して、参列した多数の村人たちが見守る中、新郎「バルン(風)」と、新婦「ビジューリ(雷)」の二匹のカエルは、目出たくも滞りなく婚儀を終えたのだとか。
結婚式を見守った参列者は、「これで雨が降るはずだ!」とホッと笑顔を見せていた。
カエルの気持ちをまったく無視した人間本位の形だけの結婚式で雨なんか降るわきゃない!と思うのだが、日照が続けば農作物にも多大な影響が出るとあって、村人たちは真剣そのもので、「この土地に雨を降らすにはこの手段しかない!」と言い切っていた。

この人が、どれくらい本気でこの慣わしを信じているのかはわからないけど、あて・頼りにするもののビジョンが明確であって羨ましいな~ぁ、などと思えた。
だって私は、不明確なものは信じることが出来ずに、自分だけは!と自身を信じ、自分ばかりをあて・頼りにして今まで生きてきたように思うから…。
自分だけは決して自分を裏切らないと・・・・・

それが、仏法を聞かせていただいて、私には何の力もない、真実とはまるで逆さまの自分だと聞かされ…
また、一寸先には、信じている自分自身にも裏切られ、見捨て見捨てられて独り落ちて行かねばならない世界があると聞かされ…
大きな恐怖と孤独を感じずにはいられなかった・・・・・
信じられるものは真実の御法だけですよ、 南無阿弥陀仏こそが唯一の真実ですよ、 あて・頼りに出来るのは、これひとつしかないのですよ!
と聞かせていただいても、私には想像も出来ないし、理解も出来ないしと、反発してもがくことしかできない。

私が信じて救われるんじゃない、 阿弥陀さまが信じて、思いとられること。

それが、全然聞けていない私・・・・・   もう、イヤ!!・・・・・

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変り行く過去から未来へ [随筆日記]

朝のひと仕事を終え、午後のスケジュールまで2時間ほど時間の余裕が出来たので、お友達のお寺へ遊びに出かけた。
私が着いた時、彼はちょうど本堂でお勤めをしていたので、私はその後ろに座って、彼の声明をBGMにしばしの間瞑想の世界に浸った。
お寺という空間で座っていると、自分の心の動きというものが鮮明に見えてくる。
浄土宗のお寺ゆえに、ご本尊の阿弥陀仏像は座しておられるのだが、その仏様までの距離とその座するお姿に少々の物足りなさを覚えた私は、「なまんだぶつ」とお念仏を称えて、自分の眼前に立っした阿弥陀さま像を思い描いた。
しかし、見えてくるものは、これを一分と続けることの出来ない散漫とした自身の心のみであった。
4,50分してようやくお勤めを終えた彼が私に気付き、「えっ? 今のお勤め見られちゃった?!」と恥ずかしそうに言うので、「何で?」と聞くと、「普段は人の気配がするとやめちゃうんだけど、なっちゃんは気配がなかった」と言われた。

それから本堂でおしゃべりを始めて、1時間…、2時間…、3時間…
これで午後からのスケジュールはキャンセルとなり、この日は一日中、飲まず食わずのトイレも行かずに夜の8時まで延々と、尽きることのないおしゃべりで一日を明かした。

G願さんとのお話しは、過去世のことから、もちろん現在のことも、そして未来に至るまで、時々は仏法を交えながらいろんなことを二人で語り合った。
もちろん話の本筋には阿弥陀さまの御心を通しての会話だが、確実に変り行くこの世界にいて、常に代わり続けるこの私たちの未来… といったことをあふれるままに語り合っていたら、日が暮れてしまったわけで・・・
話しの続きは来週に持ち越し[手(チョキ)]ということになった。
でも、とっても楽しい一日だった。[黒ハート] 

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睡蓮 [随筆日記]

2934523久しぶりに通勤ラッシュの電車に揺られて、ふらふらっと優さんとお出かけ♪
お任せコースでたどりついた先は、郊外にある名前も知らない睡蓮池。
全~部が真っ白な睡蓮の花で、今日がちょうど見頃とばかりに咲き乱れていた。

まるで、フランス人画家のクロード・モネが描いた「睡蓮の池と日本の橋」のような風景に思わずうっとり[かわいい]

モネは「睡蓮」をモチーフに、200点以上も連作で描いたというのだから、よほどこの花に愛着があったのだろうな~と思いながら、カメラでパシャパシャ[カメラ]

調べてみると、「睡蓮」の語源は、「蓮」の花から来ているようで、睡蓮の花は、昼間に開花して夜は閉じるところから、まるで眠る蓮の花のようだとされ、「睡眠をとる蓮」という意味から「睡蓮」と名付けられたのだそうだ。

「蓮」と言えばお浄土の花である。
来月には各地で開花する蓮の花、 また一緒に見に行こうね、優さん[黒ハート]

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アラフォー [随筆日記]

Around Fourty 、 略して アラフォー。  40歳前後の特に女性層をさす新語である。
昨年放映されたTVドラマによって広く認知された言葉なのだそうだが、私はTVをほとんど見ないので、単語としてのアラフォーしか知らない。
そんな私が考えるアラフォーには二種類の路線があって、それは婚姻の有無に関わらず、一つは子供をもつアラフォーと、もう一つは子供をもたないアラフォーとで、大きく区分されているように感じられる。
なぜなら、このニ路線は、行動パターンもその会話の内容もまったく異なると感じられるからだ。
私を取り巻くアラフォー友達の8割方は子供をもつアラフォーである。
彼女たちの会話のテーマは育児が中心であり、子供や家族を通しての自分や家庭、そして世間といったことを語ることが多い。
一方、子供をもたないアラフォー友達との会話は、仕事や恋愛や趣味に至るまで、間接的ではない自分自身のところをテーマにした会話が多い。
既婚者でありながら子供をもたない私には、子供をもつアラフォー友達の聞き役・相談相手にこそなれても、実感としてのアドバイスはしてあげられないし、自分自身の持っているテーマを口にするのは難しいかな?と感じてしまう。
これに対して子供ないアラフォー友達は、直接的な意見交換もし易いし、自分の為の時間を多く持っているということもあって、どうしても彼女たちとの付き合いの方のが増えてきてしまう。

そんな後者のアラフォー友達の付き添いで、十数年ぶりにエステティックサロンに行ってきた。
とは言っても、私は待合室でしばしの待ちぼうけ…  そして、人間ウォッチング。
その中で強烈に目に焼きついたのは、サロンの受付のお手伝いをしていた新人さんらしき女の子。
すごく可愛いのに、その首筋、手、足は、見るも無残に痩せこけていた。 拒食症か…?
彼女を見て、自分の過去を思い出した…   私も、二十代前半に経験したから…。
食べるという行為に物凄い罪の意識を感じて、食べない自分に自信と安心を見出してしまう心の病。
摂食障害のやっかいなところは、食べなくても死んでしまうとは思えないし、逆に言えば、死ぬことよりも食べることの方が恐いと思ってしまうことかな・・・
私の場合、痩せたいという願望よりも、精神的なストレスによって食欲が消えてしまうということが起因だったのだけれど…、 私はそれをどうやって克服したのだろう…?   
やっぱり転機は結婚したことかな…?

でも、三十代半ばで精神的ストレスを抱えていた時は、拒食症よりも過食症になっちゃったしなぁ~
それが四十代目前にして、つまりアラフォーの一員になって体重もピークを迎えちゃったわけで・・・・・[たらーっ(汗)]
あぁ、いやな話題だ! 書きたかった事とはテーマがそれてしまった。
最後に一言、「もうひと花咲かせたい[かわいい]」 と思うのは、やっぱりアラフォーの証拠?!

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五色園 [随筆日記]

今日のS先生のBLOGにあった ‘五色園’ を、BLOGネタに拝借!
名古屋では、珍スポットとしても有名であるが、桜の名所としても名が知られている。
ただ、私がこの‘五色園’を知るきっかけになったのは、やはり浄土真宗の教えを知ってからである。

‘五色園’を統括している五色山・大安寺は浄土真宗系の単立寺院であるが、墓地は宗派を問わず受け入れているようだ。
園内はけっこう広くて、歩いて回るとかなりいい運動になるが、見所(?)はたくさんあるので、浄土真宗に関心がある人なら楽しいウォーキングが出来るのでは…、と思う。(^^ゞ
敷地内の各所に配された塑像は、コンクリート像作家として知られる浅野祥雲氏が手がけたもので、1934年(昭和9年)に大安寺の初代管主である森夢幻氏が、視聴覚伝導を目的として、『御傳鈔』などで説かれた親鸞聖人の御教えや御旧跡を視覚的に表現してくれている。
なので、そ~ゆ~知識のある人と一緒に行かなければ、面白くないかもしれないが…、所々に、これって親鸞聖人と関係あるの?という塑像も無きにしもあらず…(^^ゞ
でも、一つ一つの場面を聖典と付き合わせながら丁寧に見ていくのも、私は面白いと思った。

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写真は、一昨年の秋に‘五色園’へ紅葉を見に出かけた時のもので、倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』で知られる‘日野左衛門の枕石’の伝承を題材に視覚表現されたもの。
(ちなみに、親鸞聖人の枕石にのっかっているのは家の子で、実際には含まれておりません(^^ゞ)

‘日野左衛門の枕石’は、親鸞聖人が関東での布教をされていた時のお話し。
慈円房と良寛房の両名を伴われて布教の旅をされていた親鸞聖人が、常陸の国(茨城県)に立ち寄られたある吹雪の夜のこと、日野左衛門尉頼秋の家に一夜の宿を乞うたが、すげなく断わられた上に杖まで投げつけられてしまった。
その日野左衛門だが、金貸しを生業にしている前科者で、人も法も信じることが出来ないでいた。
親鸞聖人は、やむなく日野左衛門の門前にあった石を枕に身体を横たえて、お念仏を称えられながら眠りに入られた。
次第に降り積もる雪の深夜、日野左衛門の夢枕に観世音菩薩が現れてこう告げた。
「汝知らずや、門前の阿弥陀如来に早く教化を被らねば、汝の未来は永劫に苦海を漂い、この機を逃すことなかれ」と。
日野左衛門の心に後悔の念が浮び、早々に親鸞聖人らを家に招き入れて平身低頭無礼で詫びると共に、一晩中聖人よりご化導を賜って、仏弟子となられたというお話しである。
日野左衛門の法名は入西房道円。 親鸞聖人の高弟二十四輩のお一人である。

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ゴーギャン展 [随筆日記]

名古屋ボストン美術館で開催されているゴーギャン展に行ってきた。

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン
今回私が美術館を訪れたのは、このゴーギャンの描いた絵そのものに興味をもったわけではなく、ゴーギャンという人物その人に興味が湧いたからである。
彼の描いた代表作の、その題名に惹かれたのだ。
『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』
彼のその問いかけに、彼自身が答えを見つけられたのか…、 それを感じたくて美術館を訪れた。

1848年6月7日にパリで生まれたゴーギャンは、二月革命のあおりを受けて生後すぐに一家共々南米ペルーへと逃れるも、その旅の途中で父が急死。
1歳にも満たないゴーギャンをかかえた母は親戚を頼ってリマに移住し、ここで数年を過ごしたが、7歳の時に祖父の死によってフランスへと帰国をする。
帰国したゴーギャンは神学中学校を卒業したのち水夫となったが、その航海中に母が死亡。 
その後、ゴーギャンは海軍に在籍して普仏戦争にも参加したが、23歳の時に陸に上がり株式仲買人となって成功を収め、この頃より本格的に絵の勉強を始め、25歳の時に結婚する。
この頃は一介の日曜画家であったゴーギャンであったが、フランスの経済恐慌を機に35歳の時、仲買の職を辞して画業に専念するも、生活は苦しくなる一方であった。
40歳の時にはフィンセント・ファン・ゴッホとの共同生活を試みるが、互いの強烈な個性は衝突を繰り返し、どちらが切ったのかは定かではないが、「ゴッホの耳切り事件」をもって2人の共同生活は2ヶ月で終止符を迎えた。
43歳になったゴーギャンは、かねてより憧憬であった楽園タヒチへと旅立ち、タヒチに抱いていた信仰や神秘性や仏教芸術を自らの感性で作品に融合させていったが、健康状態の悪化や経済的困窮のために2年後に一度帰国する。
タヒチで同棲していた女性には逃げられ、一度捨てた妻子の元にも戻れず、47歳になったゴーギャンは再びタヒチに渡ったまま、以後フランス本土に戻ることはなかった。
1897年、ゴーギャン49歳の時、妻からの手紙によって愛娘の死を知り深い悲しみと絶望に襲われ、また自らの病の悪化、そして生活の困窮という数々の苦悩に見舞われ、自身の死に怯える中で、『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』 をはじめとする遺書的な大作の数々を精力的に仕上げていった。
この頃、「自殺を試みるも失敗した」 と、自伝『ノア・ノア』にて告白している。
そして1903年5月8日、心臓発作によってゴーギャンは54年間のその生涯を閉じた。

「人生は苦なり」 と教えられたお釈迦様のお言葉を、ゴーギャンは肌で感じ、肉親の死を通して自らの命の灯をみつめながら生きてきた人なのだなと思った…。

今回のゴーギャン展に展示されてあった作品を年代順に見ていく中で、1889年「ゴッホの耳切り事件」の後に制作された木彫 『恋せよ、さらば幸福ならん』より、ゴーギャンの作風がガラリと変わって私の目を惹き付けた。
この作品に、人の心の根底にはびこった押し留めることのできない欲望や苦悩といった感情が溢れ出ていたように感じた。

この後に油彩で描かれた 『かぐわしき大地』では、禁断の果実ならぬ目の前の花をいとも簡単に手折ろうとする女性のその顔横に、不気味に近づく赤い羽根を持つ黒いトカゲが意味深で、この女性と自分を重ねて、深く考えさせられる絵であった。

タヒチから戻ったゴーギャンがフランスで過ごした2年の間にいくつかの木版画を残しているが、そこに描かれた作品の中に、私は彼の深い哲学を感じずにはいられなかった。
例えば 『ラ・ポ(夜)』では、形のない、ただ漠然とした恐怖に背を向けて横たわる人…、
『テ・アトゥア(神々)』には、生と死についての答え無き、永遠の問いかけ…、
『マルル(感謝)』には、神であっても五欲の満足に対する感謝しかできないという悲しい性(さが)…、
『テ・ファルル(抱擁)』では、常に愛を求め続けることでしか安らぎを見つけられない人間の悲しさ…
そして、再びタヒチに旅立つ前に描かれた 『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』では、ストレートに‘孤独な死’、「独生独死」の恐怖が表現されていると私は受け取った。

そして美術館の最終ホールに展示されていたメインの大作、『 我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか 』 は、予想以上に強いインパクトで私を迎えてくれた。

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(Wikipediaより拝借)

私は芸術家でも評論家でもないので、絵の云々といった説明には興味が無い。
ただ私の感じたところで言うならば、絵の中央で禁断の果実をもぎ取っているのは私…。
そしてゴーギャンが描いたように、老いも若きも男も女も 皆苦悩の中にあって、誰もが口には出せない暗い影を持っている。
なぜゴーギャンが絵の中に何種もの動物を描き込んだのか…、 それは人間のみならず、すべての生きとし生けるものの永遠のテーマ、“死” を表現したかったからではないだろうか…。
『 いったい私はどこからやって来たのだろうか…  私が私と思っている‘私’とはいったい何者なのであろうか…  そしてこの私の命が終えたなら、私はどこへ流されて行くというのか… 』
絵の中で頭をかかえる人々、頬杖をつく人々、何もわからずに生まれてきた赤ん坊、ただ本能のままに果実をほおばる子供、そして、そんな世間の苦悩には感知せず、そ知らぬ顔で立ち尽くす‘神’と呼ばれる偶像。
この絵の背景には、ゴーギャンなりの地獄が描かれているようにも見える。
そして何よりも、この中に描かれた人物の目が空虚に感じられたのは、私だけであろうか・・・・・

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応仁寺 ・ 蓮如上人 と 如光さん [随筆日記]

西三河にある、真水と海水が混じり合う気水湖・油淵(あぶらがふち)は、400年ほど前までは三河湾の入り江であった。

ある日、この海岸に4,5歳の少年が浮き藻に乗って漂着したと伝えられているが、その少年が後に蓮如上人のお弟子となられ、三河の地に浄土真宗を広められた如光上人とよばれるその人である。
少年は、この地の武士であった杉浦四郎左衛門義勝によって育てられたが、成長するにつれ武士ではなく僧侶になりたいと言い出すようになった。
杉浦氏はこの願いを受けて少年を佐々木・上宮寺の住持である如全に預けて、この時より如光と号する。

真宗の教えを請うために京都に上られた如光さんは、蓮如上人のお弟子となられて念仏者としての才を発揮されるが、時は応仁の乱の最中にあって、1465年に京都の大谷本願寺が比叡山の僧兵に襲撃・破壊された時、如光さんが比叡山と本願寺の間に立って三河から取り寄せた大枚で金銭的解決をはかり比叡山の衆徒黙らせた。 
このような時代背景の中、比叡山による圧迫を避けるために如光さんは蓮如上人を三河の国にてかくまうこと提起し、1468年に蓮如上人がこの地を訪れることになった。
三河に移られた蓮如上人は、如光さんの実家である杉浦の屋敷を拠点に浄土真宗の布教をなされ、ここ油淵より船で川を上っては三河の国で100もの道場を開かれた。
この地に浄土真宗の教えが根付いたのも、三河の真宗寺院を拡大・統率なされた如光さんのお働きがあったからこそである。

この時より杉浦の屋敷は、唯願寺(栄願寺)と名付け、一宇を建立して「松光山・応仁寺」と称した。
油淵園地に立てられている‘油淵の碑’ には、「人々は、この池に龍燈を捧げて蓮如上人を守り、その龍燈のもとに人々は集まって、応仁寺は念仏読経のたえることがなかったので、ここを油淵と呼ぶようになった。」と記されている。

三河の地で三年ほどの布教をなされた蓮如上人が、松光山・応仁寺をあとに京都へ戻られる時、「またいつの日にか戻ってくるだろう…」、と言い残されたことから、以来、この寺は住職を置かずに、蓮如上人が戻られるその日を待ち続け、現在も地元の門徒衆によって大切に護持されている、無住職・無檀家のお寺である。

昭和20年の三河地震で本堂は倒壊したものの、三河門徒らによって戦後に再建された建物は、随所に傷みは見られるが、浄土真宗を守ってきた門徒の心の歴史を感じられる、心あたたまるお寺であった。

ただ、無住職の寺ゆえに、本堂の扉が開かれることは年に数回しかないが、油淵遊園で花菖蒲祭りが開催されている週末は、本堂を開放し、門徒らが交代で案内をしてくれる。

2916126油淵遊園の駐車場西の階段を上がったところにある応仁寺の本堂内には、市有形文化財に指定された蓮如上人寿像があり、また、境内の本堂に向かって右手にある小さくて無機質な建物の中には、地元の門徒である岩月藤ヱ門氏が紙材で制作し寄贈された‘お釈迦さまの五劫思惟の像’がある。

地元ではこの寺を「応仁寺」と呼称する人は少なく、この寺を「蓮如さん」と呼んで親しんでいるところにも、何かとてもあたたかいものを感じた。

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油淵の花菖蒲 と 出会い [随筆日記]

2915583今朝、起き抜けに思い立って、サッとシャワーを浴び身支度を整えると、助手席にカメラを乗せて車を走らせた。
向かった先は、油淵(あぶらがふち)園地。
十数年ほど前に始めてここを訪れた時は、父と母と一緒に小雨にぬれた花菖蒲を眺めながら、花好きな両親の会話に耳を傾けていた私。

二回目に訪れたのは6年前、発病した母の車椅子を押しながら、夫と三人で来園をした。
あの日は晴れていて、母が「食べたい」と言って指さした露天のタイ焼きをほおばりながら、穏やかな午後のひと時を、ただのんびりと花菖蒲の園の中で過ごしていた。
あの時、母の胸の内にあったものは、過去への思いか…、それとも未来への不安か…。

その翌年にも母はこの園地に来たがったが、身体的にその願いを叶えてあげことが出来なかった…。
そして、母にとっては、それが最後の6月であった・・・・・

母がこの世を去った年、私は、母の願いの数々を叶えてあげられなかった自分の不甲斐なさ、そんな後悔の念から心を病んだ時期があったが、その翌年、母との思い出を探すように、花菖蒲の咲くこの季節に、一人、この園地を再び訪れた。
毎年変らないように見える風景の中で、私だけが常に変り続けているように感じられた・・・。

そんな三年前、一人でベンチに腰掛けながら、食べるでもないタイ焼きを手にして、ただボ~ッと花菖蒲の中で母との思い出に浸っていると、やっぱり涙がこぼれて…
そんな私に声をかけてきた人がいた。
「ねえ君、ちょっとこっちに来てファインダーをのぞいてごらん」
その見知らぬ中年の男性に誘われるままに、私は三脚にセットされた彼のカメラのファインダーに目をあてた。
そこには、色鮮やかにくっきりと、一輪の花菖蒲が凛と咲き誇っていた。
私がカメラから目を離してその男性の方に視線を移すと、彼に、「このカメラが、どの一輪をとらえているか当ててごらん」と言われて、角度や構成を考えながらいくつか指さして答えたが、そのどれもがことごとくハズレであった。
彼は、私が予想していたよりもはるかに遠い所を指さしながら、「カメラの世界は、ともすれば現実よりも美しく、そしてクリアーにものを見ることができるからね」と言いながら正解の花を教えてくれた。
その後も彼は私に何を聞くでも無しに、撮影旅行の話しなどを語ってくれて、私は母との思い出に涙する間もなく半日が過ぎていった。

その翌年、去年もまた花菖蒲の咲く頃にこの園地を一人で訪れた。
しかし、母との思い出にひたっても、もう、私の瞳から涙がこぼれ落ちることはなかった…。 
ムシムシっとする曇り空の下で写真撮影をしてから帰ろうと思った時に、また見知らぬ中年の男性から、「今日は、上の蓮如さんも開けてあるから時間があったら寄って行って下さい」と声をかけられた。
初めは何のことかわからなかったが、この頃、真宗の教えを聞いていたので、‘蓮如さん’という言葉に惹かれて、「蓮如さんの何かがあるんですか?」と聞き返すと、親切にも彼が案内してくれるという。
油淵園地隣の階段上に、応仁寺という真宗のお寺があって、このお寺を通称‘蓮如さん’と言うのだそうだ。
このお寺には住職が存せず、村の門徒たちだけで管理している蓮如上人の御旧跡であり、お寺の由来や蓮如上人とこの地の関わりなど、彼は興味深げに聞く私にあれこれと語ってくれて、とても有意義な時間を過ごすことができた。

そんな出会いが二年続いたので、今年は…、と思いながら、今朝一年ぶりにこの園地を訪れた。
早朝、まだ6時前だったので来園客の姿はほとんど見受けられず、花の手入れをする市の関係者らがチラホラと目に付く程度であった。
今年は花の付きが悪く、例年の綺麗さにはかけるが、独り占めのような園地での撮影は楽しかった。
私が夢中で写真を撮っていると、「いい写真は撮れましたか?」と男性の声。 
顔を上げると、スポーツウェアーに身を包んだ見知らぬ中年の男性が笑顔で話しかけてきた。
彼は、花菖蒲の咲くこの時期の週末には、自宅から園地までウォーキングをするのが日課で、カメラを趣味にしていると言うが、年に二度は個展を開くほどの腕前らしい。
そんな彼とカメラの話しや旅の話し、中でもヒマラヤの話しなどを楽しくおしゃべりをしていたらすっかり時間が過ぎてしまって、「お腹が空いたね!」と、そこでお別れ。

今年も、母との思い出の地で楽しい時間を過ごすことができた。  ありがとう、お母さん。

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雨、だから・・・ [心]

今日、出かける前に書斎の本棚から本を抜き出す際、その端に飾ってあった写真たてを床に落としそうになって、あわててキャッチした。
ホコリまるけになった写真たて…
毎日視界に入っていたはずなのに、全然目にしていなくて、すっかり忘れ去られていたその写真…
写真に積もったホコリを掃って、久しぶりにその一枚の写真と、ちゃんと向き合う。
私と、母と、そして祖母の三人で旅行をした時に写したその写真。
写真の中の三人は、止まったままの時間の中で微笑んでいて・・・、
でも、今、動いた時間の中に存在しているのは、私一人だけ・・・・・・
四年前に母が逝き…、 二年前には祖母が逝った…。

この時…、 この写真を撮った時には、“死” なんてことなど、全然考えたこともなかった…。
ただ漠然と、そして当たり前のように、まず祖母が逝き、そして母が逝き、いつかは自分もこの世を去るのだと…、 それが筋の通った話しだとして、何の疑問も持たずにいた。
でも…、
病に倒れた母が最初に逝き、その事実に堪えかねたように祖母は自身の死を認識できぬままにこの世を去った…。

そして、次は私の番だ・・・・・

母と祖母がそうであった様に、今度は私が独りで逝かねばならない・・・・・
それがいつなのか…、どのような状態でなのか…、 それは誰にもわからないが、
ただ確かなことは、次は私なのだという事実・・・・・  これに間違いはない・・・・・・

訳もわからず涙がこぼれた…

なぜ…、なぜ仏さまは、こんなに辛い事実を私に突きつけるのか…

あぁ、涙がとまらない・・・・・

今夜の雨のように、独り、静かに泣くことしかできない・・・・・

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“暇”な一日の終焉は… [随筆日記]

今月初頭、月間のスケジュールを夫と打ち合わせていた時に、今週末は二人とも何の予定も入っていなかったので、「久しぶりに二人でどこか出かけようか?」と夫を誘ってみたが、彼は少し考えた後、「その翌週に試験があるから、この週末は資料を見直しておかないと…」と、あっけなく振られてしまった。
まぁ、お互いの意見と自由を尊重し合うというスタイルをとっているので、この時は何も気にはならなかったのだが…

今朝、夫から、「今週末の金・土曜日に一泊で出かけてくるね!」と言われて、
「あら? 今週末は、試験前の資料整理をするんじゃなかったの?」と尋ねると、
「あぁ、そうだった! でも、もう約束しちゃったし…。 この埋め合わせは、またちゃんとするからゴメンね!」と言い残して仕事に出かけて行った。
いつものことだけど、負けた感じの寂しさで、私の今日がスタートした。

朝から寂しい気持ちにもなったし、今朝は目覚めの夢もすご~く悪くて睡眠不足だし、おまけに今日の天気はどんよりとした曇り空! 
なのに何故か元気でご機嫌モードな私v(^^*)   ただいま故障中って感じかな?!

こんな感じの時は文筆がはかどるものだ!
と言うことで、朝からお気に入りの曲を聴きながら、久しぶりにペンを走らせる。
しかし・・・・・ 
残念なことに、世間では通用しない思いがアレコレと出てきてしまって、なかなか構想がまとまらない。
例えば、「無常」だとか、「虚仮」だとか、「後生」だとか ・・・・・
ここ一年で、しっかりと仏法くささが染みついてしまった頭から出てくるものは、世間話しをどこか冷めた目で傍観してしまって、まったくお話しにならない…。
うぅぅぅん・・・  これでは仕事にならないな~ぁ・・・・・。  
お小遣い稼ぎをしようと思ったのに…、 トホホである。

お昼過ぎに、お友達のだんなさまが社長に昇格したとのニュースが入って、さっそく電話をしてみる。
いやはや! 言葉で謙遜しながらも喜びを隠せない彼女の腹底と、美辞麗句を並べている私の腹底と、交互に眺めては笑いをかみ殺しながらの会話を楽しんだ。

電話の後は、メールをしたり、読書をしたり・・・  今日は、とても時間がゆっくりと流れているように感じられる一日だったが、今日という日を無駄に過ごしてしまったことへの後悔と反省の夜を迎えた。

さ~ぁ、シンデレラタイムまでの三時間は有意義に過ごそう!!!

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さくらんぼ [Poem]

今生事で、「すごく幸せ!」って思えることって、
ホンの一瞬のピークで始まって、後は下降線をたどるのみ・・・・
悲しいね…。
でも、そんな儚い幸せを必死で追い求めながら生きているのが私・・・・・。

ここ一ヶ月、心が天と地を行ったり来たりで、一時として安定を保てない。
でも、心なんて所詮そんなものだと…  
幸せと悲しみ、ポジティブとネガティブ、温かさと冷たさ・・・・・
そんな逆さまな思いが、次から次へと止めどもなく溢れてくる…
流れる河のように常に変化をしながら、決して留まることを知らず…、
そして、二度と後に戻ることが無い。

いちばん好きな花は サクラ。
その花から生まれた サクランボ。
二つの実が手と手を取り合って、赤く色付きながら熟してゆく様は、まるで恋人同士。

私の とっても大切な宝物…、  それは、真っ赤なさくらんぼのブローチ。

この、さくらんぼのブローチを一日中みつめながら、自分の心の動きを見ていたら…、
私の心って、なんて頼りのないものなんだろう~ って思った。
ひとつも、あてになる思いなど出て来やしない…。
それに気付きながらも、私は自分の心に依存して、そして、そんな心に振り回されて…
そんなことを繰り返している自分に嫌気がさす…

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初夏の青木ヶ原樹海 [Travel]

旅行前夜にきちんと眠れたためしがなく、一昨日は1,2時間ほどしか眠れなかった。
そして旅行中は眠ってしまう時間がもったいなくって、これまたしっかりと眠ったためしがなく、昨夜も3,4時間ほどの睡眠をとっただけで夜明けを迎えた。
愛先生はまだしっかりと就寝中。 
一人で白々と空け行く湖畔の朝をぼんやりと眺めながら、今朝もまだ姿を見せぬ富士のお山を、分厚い雨雲の上に頭の中で描いてみる…。

「私は、いったい何を探しているのだろう…。 いったいどこを探せばいいのだろうか…。 
何もわからない…。 何も知らない私・・・・・・」

無常に過ぎ行く時間の中で、ゆっくりとした朝のひと時を過ごして宿を発ち、私達は西湖へと向かった。

そして、私は一人で雨上がりの青木ヶ原樹海へと足を踏み入れた。
遊歩道を離れて、道無き道を奥へ奥へと進む・・・。
まるで森の緑に引き込まれ、木漏れ日に光る苔に吸い込まれるように・・・・・
人の声の届かない場所まで来て、グルリと辺りを一周見渡すと、森の精霊たちが優しく微笑みながら「おかえり」と迎え入れてくれたようで、まるで森の懐に抱かれているように感じられた。
風の音もしない…、 ただ時折、鳥たちが歌う以外は、自分の鼓動が聞こえてくるような静かな世界。
森の精霊たちが、「さぁ、もっと奥へといらっしゃい」と言わんばかりに南西の方角を指さす。
もし、この地に一人っきりで来ていたならば、私はそれに従っていたかもしれない・・・・・
でもこの時、二、三歩進んだところで、フッと待たせている愛先生の声が心に響いて立ち止まった。
二者一択… 
私は、「また来るね!」と森の精霊たちとの別れを名残惜しみつつも、もと来た道を引き返した。
人間の気配に侵された領域に近づくにつれ、再び森の中へと引き返したくなったが、遠くに愛先生の姿をみつけて、私は樹海を背にしてまっすぐに愛先生のもとへとかけ戻った。

樹海の中には “生” があった。
これに対して、人間の生きるこの領域は、死臭に包まれている・・・・・・

青木ヶ原の樹海に後ろ髪を引かれつつも、雨上がり森林浴と木漏れ日の中、富士湖畔のドライブを楽しむ。
精進湖から本栖湖に向かう途中で、富士山七合目辺りから山頂上空にかけての雲がパックリと割れて、残雪を身に纏った美しい富士の山を望むことが出来た。
「見えた!!!」

目の前にありながも、全く見ることのできなかったものを、今はこんなにもハッキリと見ることができた。

それは、私が望んで叶ったのではなく、 また、私の力で達せられたものでも決してない。
私には、願う知恵もなければ、それを果たす力もないのだ。 
そう気付かせていただいても、溢れ出てくる我執の計らい心は止むことを知らず…
そんな自分の心にポッと咲いた‘なまんだぶつ’の御念仏の花。
こんなところにあったとは・・・・・・・

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雨の富士へ [Travel]

雨降りの早朝、愛先生を待っている私の前に一台の黒塗りの車が止まった。
スモークのかかったウィンドーが下りて運転手が顔を出す。 見知らぬ車、見知らぬ男。
「一人? 何してるの? 友達の車を探してるんだけど、一緒に探してくれない?!」
あきらかにナンパ男…。  
あまりにも安易な手口に会話をするのも億劫だったが、「彼を待っているの」と男性との待ち合わせを匂わせてみたが、それでもしつこくナンパ男が話しかけてくるので、私は無言のままにバッグより携帯を取り出して電話をかけるしぐさをすると、ナンパ男は愛想よく去って行った。
本当はすごく怖かった・・・
しばらくして愛先生の車が遠くに見えた時、ホッとひと安心。

愛先生とのドライブ小旅行。
以前、「富士山が見たい!」と言った愛先生の言葉を思い出して、行き先は富士山に決定。
それ故に、「こんな天気では富士山が見られない…」と、雨降りのお天気を愛先生はすごく残念がっていたが、私は雨でも晴れでも全然かまわなかった。
個性的だけど優しくって素敵な愛先生と一緒に、おしゃべりをしながら時間を共有できることが、私には何よりも嬉しかった。

まずは高速を下りて芦ノ湖スカイラインへと向かう。 
しかし、峠は雨雲の中。 
時折雲の切れ間から見え隠れする峠道や高原の風景と眼下には芦ノ湖を眺めながらのドライブ。
こんな日に来たのは初めてだったので、私はそれなりに新鮮で、しっとりとした静かなスカイラインでのドライブを楽しむことができた。

この後、山中湖に着く頃には、さらに雨あしも強くなり、湖岸を一周した後に早めのランチタイム。
小さなイタリアンレストランでピザとハンドメイドのケーキを美味しくいただく。
ランチの後は、忍野村を通って河口湖を周り、その湖畔にある小さな温泉旅館にCheck In。
愛先生との小旅行では、いつも私が宿さがし担当。
常に新規開拓の精神で宿を選ぶが、今回のお宿もかなりの高得点で、愛先生もご満悦! よかった~!!

ただ、本来なら客室から河口湖越しに富士山が真正面に見えるはず!なのだが、しっかり分厚い雨雲しか望めず、チョット残念だったかな?!
そんな雲に覆われた窓からの風景を眺めながら、ここで一人短連歌をひとつ。

   目の前に  あると知りつつ  富士の山   「見えぬ」と愚痴るは  ただ愚かなり  

   目の前に  あると聞きつつ  本願も   「見えぬ」と疑い  見ようともせず

   目の前に  あると信じて  探すれど   迷いの心を  見るばかりなり

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徒然なるままに… [Travel]

ドライブ中に、たまたまカーラジオから流れた、「自分探しの旅に行って来ました・・・」というパーソナリティーの言葉に、「‘自分探しの旅’って何?それ…?、 どんな旅? いったい自分の何を探すの?」って、愛先生がひっかかった。
私は、「愛先生は、自分を見失うことってないのですか? 私は旅に出なくとも、いつも自分を探しちゃっていますけど…」と、その時に受け答えた。

  徒然なるままに、日暮らし、硯にむかひて、
  心にうつりゆくよしなし事を、  そこはかとなく書きつくれば、
  あやしうこそものぐるほしけれ ・ ・ ・ ・ ・ 

言わずと知れた、兼好法師の随筆 『徒然草』 冒頭の一節である。

「徒然(つれづれ)」とは、「何かしなければ!と思って心は急くのだけれど、することがみつからずに、ただ心ばかりが虚しくて…」という意味に解され、兼好法師の「自分探し、生き方を探し」の作品であるとされている。

私のBLOG自体が、私の『徒然草』である。
『徒然草』の冒頭を自分事として訳すならば、「何かしたい!、どうにかしたい! とは思うのだけど、自分自身がわからないままに虚しくて、無常の時の流れに心ばかりが急いて落ち着くことがないので、ただ漫然とパソコンに向かって、自分の心に浮ぶままの執りとめのない思いを、ただなんとなく文字にしながら書き綴ってみると、ただ漠然と考えていた時には気が付かなかった心がアレコレと知れてきて、何とも不思議な…、時折、自分ではない何者かが書いているような言葉に教えられることするある」。

「いつも自分探しをしちゃっています…」
それがここ最近、なぜか出来ない・・・・・  と、言う訳で、BLOGの方も言葉にならず・・・・・

気分転換に旅へ出たくなった。 
行き先はどこでもよかった。
ただ、愛先生と一緒に旅がしたくて、週末の高速を東に向かって雨の中を行く。

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レーヴ・ロマンティック [随筆日記]

ダメ・・・・・・  すごく酔っているかも・・・・・[バー]
お気に入りのワインを見つけた。  レーヴ・ロマンテック(Japan)の赤。

今夜は、すっっっごく夜風が気持ち良い。
独りバルコニーで、お気に入りのワイングラスにお気に入りのワインをついで、お気に入りのカマンベールチーズをつまみに、初夏の夜に乾杯。

どうして最近BLOGの更新が無いのかって?・・・・・・・
それは、言葉を見失っちゃったから…
どんな言葉も虚しくて・・・・・・
逃げてるの…、   わ・た・し…
でも、逃げられない・・・・・・
でも、逃げることしか出来ない私・・・・・・
全然ダメ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バカみたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうそう、ワインのおつまみは、チーズとカルパッチョ、 それだけでいい!
やっぱりおバカな私・・・

何を言っているんだか… 



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アミリヤ [随筆日記]

今日、アメリカに住む妹から久しぶりにメールが届いた。
いつもと同じに、「全然メールくれないけど、どうしてる?」という書き出しで…

妹は、肉親もあきれるほどの変わり者として名を馳せていた(?)
母親となった今も、それは健在だ。
どこが?・・・ ということを語れば悪口になってしまいそうなので言わないが、良く言えば、彼女は自分自身にすごく正直に生きている人である。
好きな人に対しては、どんなことをしてでも手に入れたいと行動するし、嫌いな人に対しては徹底的に拒絶する。
愛情に関しても際限がなく、両親がどんなに彼女のことを愛しても、彼女はいつも愛情をかけられていないと嘆き、だから自分は親を愛せないのだと豪語していた。
妹とは正反対の性格である私はどうかと言えば、両親からの愛情を心いっぱいに受けて私は幸せ者だなぁと思いながらも、心の底にはいつも孤独を感じていた。
今にして思えば、妹も私も表現方法はお互いに違えども、心の底にある孤独という闇の中で生きてきたように思う。

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妹の子供、私の姪っ子にあたるアミリヤは2歳半になった。
アメリカと日本という距離の遠さに、実際には一度も会ったことはないが、写真で見るアミリヤの成長に、とても喜ばしい気持ちに包まれる。
私達夫婦には子供がいないので、血縁のたった一人の子供に対して、他ならぬ愛おしさがある。
そして、妹のメールから育児の大変さを伝えられる度に、私もそうやって親に苦労をかけてきたのだと知らされ、今こうして元気で生きていられることに感謝の念が湧き上がる。




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