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世間虚仮 唯仏是真 [随筆日記]

今日はお家で飲み会があった。
午前中はお掃除して、久しぶりに盛り花を生けて部屋が賑やかになった。
午後からは買い物に出かけて、帰宅後はお料理に専念!

いろいろたくさん作り過ぎちゃって、明日も残り物整理で太っちゃいそう…  う゛ぅ゛・・・

そういえば最近は食が不規則で、お通夜のあった日は昼と夜の二食で、一昨日は朝と昼に加えて、夕方におさいをいただいた後に、夜の飲み会でTotal四食!
そして昨日は、胸いっぱい心いっぱいで、朝食の一食だけ。 
で、今日はといえば、朝と夜の二食。 それも夜は暴飲暴食(^.^ゞ…
ヘルスメーターに乗りたくない・・・・・  

それはさておき、今夜の飲み会でこんな話しが出た。
「○○さんの家が災難続きなのは、先祖の霊を敬っていないからだよ!
あのお宅、仏壇を年に一度も開けないんだってよ!」
と・・・・・。
まぁ~、私は背中を向けてお料理を作っていたので、その会話には参加しなかったが、その意見に皆同意こそすれ、反論を唱える人はいなかった。

一昨日の葬儀の席でも似たような会話が幾つもなれていた。
「こんな穏やかな表情をされているから、きっと極楽で楽しんでいらっしゃいますね」
「ホトケさん(故人)の為に、せいぜい良いお経さんをあげていただきましょう」
「こんなにたくさんの弔問客に、故人もさぞ喜んでいることでしょうな~」
などなど・・・・・・
こんなオベンチャラを言ってど~なる? いったい、どこにそんな根拠が?
と思いながら…、
そこには、仏法を聞いた・知ったと言いながら、上から目線で相手を見下している私がいた。

世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん) の教えからすれば、上から目線で否定している私自身も虚仮なのに・・・。
これに気付かずに、自分の‘ものさし’こそ正しいと、「我法」を振りかざしているのが私なのだと教えていただいた。

世間虚仮(世間は虚仮にして)  唯仏是真(唯だ仏のみ是れ真なり)
仏さまの御教えのみが、唯一の真実であり、その基本は、“因果の道理”。
私の上に起きた不幸は、私自身が作った業によってもたらされるのであるという教え。
これを忘れちゃならないよ!!! と教えてくれた世間話しの中の御法に、上から目線で見下すことしか出来なかった私・・・・・
「チョットだけ反省」 と言いながら、ペロッと舌を出しているのが私・・・・・。

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葬式・告別式・初七日の法要 [随筆日記]

故人が亡くなられたのは、月曜日の早朝で、その日の夜に喪主である社長さんから葬儀のお手伝いを依頼された。
翌・火曜日には仮通夜が執り行われるということで、ご自宅の方へお邪魔して、葬儀の打ち合わせと仮通夜式に参加させていただく。
通常なら、その翌日が本通夜、そして本葬という運びになるのだろうが、その水曜日が“友引”であるので葬儀は出来ない、というのが日本に古くからある慣わしである。
従って中一日空けて、木曜日に本通夜、その翌日・金曜日に葬式・告別式・初七日の法要と執り行われることになった。 長丁場である。

そもそも“友引”とは、暦注(暦に記載される日時・方位などの吉凶や運勢)の一つで、六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)の中の、大安に次ぐ吉日である。
もともと六曜は14世紀頃に中国から伝来し、その後、日本的に様々なアレンジが加えられて19世紀頃に現在の形に落ち着いたとされている。
言うてみれば、固定的・非現実的な占いの一種である。
現代社会の中においても、行政をはじめ、暦注は根拠のない迷信であると指導しているが、占い好きな日本人は、なかなかこれを手放そうとはしない。

仏教を説かれたお釈迦さま自身も占いを禁じられているのに、「仏さまの入滅をあらわす“仏滅”は六曜の中でも最悪の日だ」なんて、仏さまもとんだトバッチリをくらったものだ。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人さまは御和讃にて、
かなしきかなや道俗の 良時吉日をえらばしめ   天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす
と、迷信・俗信を否定されている。
それを仏事である葬儀に用いて、火葬場も葬祭センターも“友引”は休業日だなんて…。

ちなみに、“友引”のルーツは、中国語の「留引(ゆういん)」を訓読みで「ともびき」と読み違えた日本人が、勝手に「友引」という漢字を当てはめたものであり、「友を引く」という意味では全くない。

前日の通夜式同様に、葬儀の二時間ほど前に会場入りをして受付係りの勤めをこなす。
昨夜とほぼ同等数の弔問客を出迎えて、本葬の式が静かに始まった。
ここは神社か?と思わせるような雅楽士による生演奏で、6名の僧侶方が式典に入場された。
読経が始まり、受付の席から弔問客を見ていた時に、「なんてすごいんだろう!」と思った。
弔問客の一人ひとりが、仏さまに見えた。
正確に言うならば、皆それぞれが、それぞれの仏さまのお働きによって、今、この葬儀会場に立ち、仏縁にふれさせていただいているのだなぁ~ と思ったら、涙腺が少し緩んだ。
でも、「じゃ~、私の仏さまは?」と思った時、また捨てモノである自分の心の中を探してしまった。
後にこれをYuさんに聞いてもらうと、「弔問客が仏さまに見えたこと自体が、なっちゃんの仏さまが生きて働いておられる証である」と教えていただき、再び涙が頬をつたった。
この涙も、仏さまが流してくださっているものなのだな~ぁと味合わせていただく。

葬式・告別式と滞りなく進み、出棺の時を迎えて再びビックリ新発見!
既に台車に乗ったままの故人のお棺を、葬祭センターの職員二人が駐車場まで運び出すという光景は今までに見たことがなく、「あれ~? 普通は身内や縁者がお棺を担いで運ぶのではないの?」と…。
近代化・合理化の波と、迷信を信じ続ける葬儀のアンバランスさに、フッと鼻で笑ってしまった。

今回の葬儀は、お香典等を辞退したおかげで会計のお仕事が不必要となり、故人と親族が火葬場に行ってしまってからは、しばらく時間が空いたので持参した本を読みながら時を過ごした。
そして予想通り、友引の後の火葬場は渋滞状態だったらしく、少し遅れて初七日の法要が始まった。
僧侶の方の顔ぶれも葬儀の時とは変わって、友人のG願さんの登場に心がワクワクした。
お仕事をしているG願さんの姿を見るのは初めてだったが、普段と全然変らないところが、また嬉しくもあった。
法要の終盤に導師さんが御説法をしてくださると言うので、楽しみに身を乗り出して聞いていたが、故人の戒名の説明を10分ほどしただけで終わってしまった…
「・・・・・ これで御説法?」
そして最後に導師さんが、「皆さんで十回お念仏を称えましょう」と言われたので、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・」と嬉しく称えさせていただいたが、他には誰の声も聞こえてこなかった。
世間一般で考えられている‘南無阿弥陀仏’って、すごく異質で特別なものなのだなぁ~と、改めて感じた。

法要の後、おさいをいただいてから帰ろうとした時、バッタリとG願さんと出くわして声をかけていただき、思いがけず話しをすることが出来た。
5分ほど立ち話をしていたら、周囲の下世話なおやじ様方から「元彼?」とか聞かれて、「オッチャン、頭こってんな~ぁ」 な~んて言ってやりたかったけど、「やだぁ、違いますよ~」とかわいらし~くかわす私って、なんだか嫌な感じ・・・・・

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通夜 [随筆日記]

知人の葬儀の通夜式が、葬祭センターで執り行われた。
中小企業の会長さんである故人の子息・社長さんより、通夜・葬儀のお手伝い依頼されたので、社葬ではないが、会社の人たちと共に受付係りをさせていただくことになった。
受付係りは、親族担当者が2人、会社関係の担当が3人、そして一番弔問客の多かった一般客の受付を、私1人がすべて任されていたので、思いがけずバリバリと働かせていただけたが、通夜式に参列された数百人の弔問客をさばくのに、何が一番大変だったかと言えば、
「故人の遺志により、ご香典等の儀は、一切お断りしておりますので、お気持ちだけありがたく頂戴いたします。」
と、数百回も繰り返し言い伝えなければならなかったので、さすがの私も喉が嗄れた。

通夜式の始まる二時間ほど前に葬祭センターに到着し、まず祭壇に安置された故人にごあいさつ…  
と言っても、形だけの焼香をする。
祭壇を見た時の第一印象は、「お仏壇がない!…」 だった。
故人の写真を中心にして、大きなキャンパスに白い花で美しく描かれたような祭壇には、お仏壇がなかった。
浄土宗だからだろうか? それとも、故人・遺族の意向なのだろうか? 
その真意は定かではないが、私が自分の母を見送った時は、お寺の本堂のお仏壇の前に故人を安置したし、今まで葬祭センターで執り行われた知人の葬儀に出席した時も、お仏壇ではないにしろ白木の御殿の前に故人を安置していたという記憶があったので、今回は何となく不自然に感じた…。 
とは言っても、葬儀のことはよくわからないので、深くは考えなかった。

通夜式の一時間ほど前からチラホラと弔問客が訪れ、式が始まっても尚かなり忙しかった。
式場内で僧侶の方があげられている『阿弥陀経』の声が、スピーカーを通じて会場の外にある受付の席でも聞くことが出来た。
その『阿弥陀経』だが、漢読みではなく、読み下しであげて下さっていたので、受付で接待をしながらではあったが、とても有り難く聞かせていただくことが出来た。
『阿弥陀経』が終わった後、引き続いて‘南無阿弥陀仏’のお念仏をひたすらに称えられていた僧侶の方々の声に合わせて、私も小さな声でお念仏を称えさせていただいた。
しかし、ブツクサとお念仏を称えている私に、怪しげな視線を向ける周囲の人たちの心の動きが気になったので、私は声を殺て心の中でお念仏を称え、「念仏申さんと思いたつ心の起こる時」という“今”を、有り難く味合わせていただいた。

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「無常」の先の「後生」 [随筆日記]

先日、若かりし日の思い出話しをする機会があって、なんとなく昔のアルバムを開く気になった。
15年前の私。
こんな写真を見ていると、「やっぱり若いっていいな~ぁ」、なんて、ババくさいことをツイツイ、口にしてしまう。

最近では、写真は撮る一方で、被写体になることはめったにないが、結婚する前にお付き合いをしていた彼がカメラを趣味にしていたので、あの頃の週末デートはカメラを車に乗せてあちらこちらへ連れて行ってもらっては被写体となっていた。
思い出の写真。 懐かしいな~ぁ。

フッと思う。
15年先の私は、どうなっているのかな~ぁ…、と。
生きていればもちろん老けたおばさんになっているだろうけど、死んでいたら・・・・・

仏法と出遇うまでは、それなりに老後の私を思い描くことも出来たが、最近では一年先の未来も薄暗い感じが漂う。
しかし仏法では、「一息、一息が後生(死)と触れ合っていて、一寸先は闇」と教えられる。
残念ながら、そうは思えない・・・・・
少なくとも、明日の私は生きていると安易に想像ができる。
明日になれば、また明日の生きている私を思い描き、結局、想像の世界では、きり無く生き続ける私…
頭では、次の瞬間に心臓発作で死ぬかもしれない! 大地震が起きて死ぬかもしれない! な~んて想像しても、やっぱり本心が伴わない…

それが肝心!
なのに、それが欠けている私…。

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仮通夜 [随筆日記]

我が家から三軒ほど隣の道向にある会社の会長さんが亡くなられた。
一年ほど前、余命2ヶ月と宣告され抗ガン剤治療を続けていた会長夫人よりも早く、元気だった会長さんの方が同じく癌で先に亡くなられるとは予想していなかった。
まさに、死は時を選ばず…

日頃、会長夫人や社長と懇意にしていることから、この度葬儀のお手伝いを依頼されて、今夜さっそくご自宅の方へご挨拶にうかがった。
外から見てもかなり大きなお屋敷で、ドデッカイ岩を敷き詰めたエントランスから、車が5,6台は収まっているだろうガレージの前を通って、その先にある立派な門をくぐると、まずは大きな洋館がある。
その玄関だけでも15,6畳はあり、チョットした応接間のようになっていて、ここまでは以前にも入ったことがあったが、今日は、その洋館の横手から中庭を抜けたところにある、これまたすごく立派な日本庭園を抜けて、敷地の一番奥にある日本家屋へと通された。
玄関を入ると、数々の美術品が所狭しと置かれ、品の良い骨董品店のような趣であった。
お金持ちと言うのは、こんなふうにお金を使うんだな~と、勉強にならない学習をする。

故人は奥の仏間に安置され、その前で会長夫人や社長とお話しをしていると間もなく仮通夜が始まった。
宗教は浄土宗で、私が仏教と出遇ってからは初体験となる他宗での葬儀である。
浄土真宗と同じなのは、「南無阿弥陀仏」というお念仏だけで、見たことのない浄土宗ならではの儀式に興味の虫がうずいた。
仮通夜が終わってから簡単な打ち合わせを済ませて帰宅をする際、なんとなくお念仏が口からこぼれた。 
なまんだぶつ、 なまんだぶつ、 ・ ・ ・ ・ ・
こんなご縁でもなければ出てこぬお念仏に、「人の死を縁として、法を頂く」という教えを有り難く受け取る。
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晴れのち、曇りのち、晴れのち、雨のち・・・ [心]

「今、この瞬間の自分の心の動きを見ていくことが肝心」 とYuさんに教えていただき、
私は、まずそれを、頭で考えてしまった。
私の心って?  どれが本当の私?  本心って何なの?
私は、自分の本音の所在すらわからない・・・・・  自分のことなのに・・・・・
内なる心の四方八方を手探りしながら私の本心を探すという無意味な作業を繰り返す。
その結果、BLOGを書いては消して、書いては消してと迷いにハマって、更新が出来なくなって、一週間・・・・・
でも、これも私が作った言い訳にしか過ぎない。
私の本心は?
私が私の本心だと思っている本当の心は、やっぱり本心とは違うんだろうな…
そんな自問自答を繰り返すばかりの毎日・・・・・

先日、そのわからない私の本心というものを、Yuさんがとても丁寧に教えてくださった。
そして昨日の支部本座では、OG先生やIKさんが、「今、動いている私の本心を見ていくことが必要」と教えてくださった。
また今日は、HMさんからも同じ教えをいただいた。
多分、私にかけている、とても大切なところを見抜いて、諸先達方が重ね重ね説いてくださる、その仏さまのお手回しに、ほんの少しだけ本心が見えてきた。

いつも独りで泣いている心を、表の笑顔で隠し続けて生きてきたから、そこには無理も苦労も無い。
だけども本当は、いつも独りが寂しくて、泣きながら駄々をこねている我儘ばかりの私がいて、
その自分中心の我欲の心を軸にして、些細な出来事や、相手の言葉に一喜一憂する心が存在する。
それは頭で考えるよりも早く出てくる私の思い・・・ それが私の本心・・・

晴れていたと思ったら、次の瞬間には曇りだし、また晴れ出したら次は雨・・・・・
そいつは、予想を超えた速さで変化し、掴み取った瞬間に過去の遺物となって腐り果てる。

それが嫌、 それが嫌い、   でも、それが私なのだと言う。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、・・・・・・・・・・

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カエルの置物Collection [随筆日記]

昨日、民主党の新代表に鳩山氏が選ばれた。 
それについてのコメントがあるわけではない。(^.^ゞ

私の興味を引いたのは、昨日、民主党代表選挙を取り上げたあるテレビ番組の中で、鳩山さんと岡田さんの人物比較を特集していて、その中で、‘岡田さんの趣味’が、「カエルの置物コレクター」となっていたことだ!
いったい、どんなん? と、興味津々!!
だってね、実は私も、かつておこづかいに余裕があった頃に、カエルの置物をコレクションしていた。
集めた数は、ゆうに50体をはるかに超える。
私の場合、キャラクター系のカエルたちをコレクションしていたが、岡田さんはどんなカエルの置物をコレクションしているんだろう~? と、岡田さんにとても親近感を覚えた。

ただそれだけの日々雑感[わーい(嬉しい顔)]2839869


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曇りのち雨、法座前 [随筆日記]

今朝は、今にも雨が降り出しそうな雲行きで、どんよりと重たい雲に覆われた朝[曇り]
私の心も、かなり重っ苦しく、胃もシクシクと曇り空・・・

昨夜は、あまり眠れなかった・・・
翌日の予定が、楽しいことでも、辛いことでも、お出かけ前はいつも決まって安眠できない。

今日から二日間の日程で催される御法座に出させていただく。
いろいろな心配が頭をよぎって、心細く不安な感じ・・・
そんな自分の心そのまんなに聞かせていただけばよいのだと教えていただく。

午前中に、お買い物と夫の夕食の支度を整えると、もうお昼。
雨も降り出してきた。

さぁ、でかけよう!!

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蓮華の香りの贈り物 [心]

ここしばらく、元気指数のアベレージが下の方でくすぶっていたが、今日、本をいただいて元気指数も右肩上がり。[グッド(上向き矢印)]
お浄土の蓮華の香りのする本を前に、外出も家事も忘れて、ず~っと読みふけりたい気分[るんるん]

ただ、せっかくの御本を、頭で読んでしまう自分自身にガッカリ…、と言うのが正直なところ…。
自分にとって都合のよい読み方しかできないんじゃないかという不安もある…。

そういえば、中学生の時だったか…、現代文の授業で先生と論争したことがあったっけ…
テストなどで、「作者の気持ちを答えなさい」などの質問の解答に、何故かいつも減点をつける先生がいて、「お味わいは人によって様々だ!」との異議を申し立てたことを思い出した。

[ひらめき]ああ、そうか!!! 
考えてみたら、「自分の意見が正しい!」と主張し始めたのは、生まれた時からず~っとなんだ!
「お腹が空いたよ」、「寒いよ、暑いよ」、「愛情くれよ」と泣き叫び、このわがままを満たしてくれたとて、御礼を言わず、御恩も感じず、「もう十分だ!」、「まだ足りない!」などと自己中心的なわがままを更に積み重ねて、いつだって己可愛いの心のままに周囲の人・物のせいにして生きてきた。

「嫌なもの(汚い自分)を見ちゃったな・・・・・・[ふらふら]
そう自己嫌悪したとたんに、目をつむり、耳をふさいで、泥悪な心を隠しながら反省することなく、愛おしい自分のためにまたわがままの上塗りをして罪を重ねる。

だめだ~ぁ、 またパワーレベルが下降しそう・・・・・・[バッド(下向き矢印)]

今夜は、たくさんの本を眺めながら、ホクホクしよっと[黒ハート]

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小さな私の大宇宙 [仏法]

今夜は風が冷たくて少し寒い…
だけど、夜風に包まれるのが好きだから、今夜もバルコニーに一人立ち、五感を全開にして風を受ける。
見上げた空に輝く星が、風にそよいで揺れているように見える。
目の錯覚・・・・・
私が、今、こうして目にしているあの星の光も、もう、はるか昔に放たれた輝きだなんて、ホント信じられないな~ぁ …
宇宙の中の、太陽系の中の、地球の中の、ほんの小さな小さな私。
でも、私にとっての自己というヤツは、‘我’ という地軸を芯にして、俺が・私がと、自画自賛の小宇宙を形成してるんだ!

先日の御法座ではKY先生が、「一」について御法話くださり、KY先生にとっての「一」とは、only one (唯一)の一大事が、「後生の一大事」であるとお話し下さった。
そしてこの後 G先生がお話くださって、G先生にとって「一」とは、「己、可愛いの心」であり、これは信前信後に関わらずに貫いていると説いてくださった。
この「己、可愛いの心」が、仏法を聞かさないようにしていて、これは信後もなくならないのだと…。
KY先生の説かれた、「後生の一大事」=「地獄一定」の前に、まず「己、可愛いの心」があるから「地獄一定」なんだと教えて下さり、「汝自身を知れ!」という教えの通りに、「自己」というものを見ずして仏法は聞けず、「己、可愛いの心」の一本軸を持っているのが私(自己)であると見せていただくことが先であると説いて下さった。

こうして、星を見上げながらも、私の心は星よりもはるか上空から星云々と大宇宙を論理的に見下して、それどころか仏さまよりも偉そうに御法だ何だとぬかしながら、「私が一番!」と自惚れた自己を可愛がって行くんだな~ぁ、これからも・・・ 
と、思いながら、今夜も夜風に包まれた。

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ミカンの花 [随筆日記]

2825902朝日をあびて、一段と歓喜な香りを放ち始める、庭先のミカンの花。
その、飾り気の無い小さな白い花から放たれた芳香は、庭全体を包み込み、家の中にまで初夏の香りを届けてくれる。

雨上がりの朝、ミカンの花の香りに誘われて、四本足の子供たちとお庭で日向ぼっこ。[かわいい]

ミカンの原種は、今から約3,000万年も前に、インド東北部のアッサム地方で発祥され、その後、ミャンマー、タイ、中国などへ、様々な種に分化しながら広まったとされている。
まるで、仏教の伝承そのものの経路[exclamation]

日本に柑橘類が上陸した年代については定かでないが、『古事記』や『日本書紀』に、「非時香菓(ときじくのかくのみ)の実」として、橘(たちばな)orダイダイとして登場している。
ただし、この頃は観賞用、もしくは薬用として用いられたようである。

ミカンとして日本に広まるようになったのは、約800年前、そう、ちょうど親鸞聖人がご在世の頃に、中国原産の小ミカンが肥後国(熊本県)に伝わったのが元とされ、紀州(和歌山県)で食用のミカンが栽培されるようになったそうな。

ミカン と 仏教・・・  
一見、無関係のようだけど、強引に結び付けてしまう私の頭って、やっぱり変かな…?! [目]

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『肩ぐるま』 [仏法]

今日、MRさんから、数枚のお手紙と分厚い本の贈り物が届いた。
お手紙から伝わる、MRさんの大きな優しさに、ホッと心があたたかくなった。
いただいた本の一ページ目に添えられていたしおりには、‘南無阿弥陀仏’の文字。
計らうことなく、差出されたそのまんまに「有り難う」と頂くことの、容易さと、難しさを知らされたような気がした。
「開いたページから読めばいいよ」とのMRさんの言葉通りに、パラパラっとページをめくって読み始める。
気負うことなく、何気なしに読み進めるも、数行ほど読んだ所で涙が溢れ出し、嗚咽し、私は両手で顔を覆って泣いた。
閉じられた本・・・  どこの何を読んでいたのかさえ思い出せない・・・
なのに私は何で泣いているんだろう・・・
以前、インドを巡拝している時にも、一度だけ、訳もわからずに涙が溢れ出したことがあった。
MK先生から、「それは、なっちゃんの涙ではないよ、仏さまが流されている涙だよ」と教えていただいた。
その時と同じ涙だと思った。
何もわからない私を、そっと包み込むような不思議な涙だった。

少し落ち着いて、最初のページに目を通す。
そこには、『肩ぐるま』という題名の、著者の詩が載っていた。

   南無阿弥陀仏をよくみると、 
   親の上に、子がいるよ、  阿弥陀様の南無の子が。

書き出しの、その三行の心すら わからん、わからんと、自分の方ばかり見ている私でも、一行一行読み進める内に、この御文の深さに引き込まれていった。

   南無阿弥陀仏は親子の名乗り。 
   必ず救うと、聞いてはいたが、  無明のまなこじゃ見えもせず。
   疑い深く、欲ふかく、  信心欲しいと逃げまわり、
   追われ、追われて、追いつめられて、  とうとう逃げ場を失って、・・・・・

私のことだ…
また溢れ出した涙で、次の言葉が読めなくなった。

   後生だ、罪だ、信心だのと、  難しいことはわからんけれど、
   知ってる親がついている。

この詩のままに、幼い頃を思い出す。

生まれたことも、死に行くこともわからん私…、
産声を上げることしかできなかった私…、
そんな何もわからん私にかわって、親は手を尽くし、心を尽くして育ててくださった。
お互い人間だもの…、親子と言えどもいろいろあったけど、絶対に私一人では生きては来られなかったという事実が存在する。
それなのに、一時の親孝行をしたつもりでいい気になって自惚れるばかりの私って・・・
感謝の気持ちより、愚痴の気持ちが口先にまとわりつくばかり・・・  でも、それが本心・・・

‘南無阿弥陀仏’の親様は、そんな私のままでいいと仰る。
そんなの信じられへん…、 そんなこと言われてもわからへん…、 と、
私から出てくるものは疑念ばかり・・・
だから、そんな何もわからん私だから、すべてを知ってくださっている親様がついていてくださるんだって…、
そんな疑うことしか出来ん私だから、まるまる信じてくださる親様がついていてくださるんだって…、
そう読ませていただいたら、また涙が溢れてきた。

MRさん、本当に本当に有り難うございます。

でもこの本、こんなに泣いてたら、きっと何十年かかっても読み尽くせないや~[たらーっ(汗)]

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億劫(おっくう)と兆載永劫(ちょうさいようごう) [仏法]

今朝、Yuさんからいただいたメールに、「眼鏡が壊れて、億劫だ」と書いてあった。
「億劫」を「おっくう」と読めても、改めて漢字を目にして、私はひどく感動した。
「億劫(おっくう)」って、「億(おく)劫(こう)」って書くんだ~! すご~い!!
ということで、早速その語源を調べてみた。

「億劫(おっくう)」という言葉は、もともと仏教用語から来ており、極めて長い宇宙論的な時間を表わしたものである。
「劫(こう)」というのはサンスクリット語の「Kalpa」の音写文字「劫波」を省略したもので、古代インドでは最長の時間を表わす単位として使われていた。
では、「一劫」の長さはどれ位かというと、Wikipediaには、循環宇宙論の中で、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの期間と言われるとある。
ヒンドゥー教では、1劫の長さを、43億2000万年であると定めているが、仏教では具体的な長さについて特に決めてはいない。

先日の御法座ではG先生が、この「一劫」の長さについて、「磐石劫(ばんじゃくこう)」の喩えでもって次のように教えてくださった。
天女が舞い降りて、1辺40里(20km)四方の大岩を、3年に1度、その羽衣でサラッと撫でて、その岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間が「一劫」であると。 
また他にも、「芥子劫(けしこう)」の譬喩もあり、1由旬(20km・諸説あり)立方の城に芥子の実を満たし、これ100年ごとに一粒ずつ取り出して、そのすべての芥子の実がなくなっても一劫には満たないと喩えられている。

阿弥陀さまは、この私を救う為に仏の位から下りられて四十八の願を建てられ、その仏さまの願いを実現する為に、阿弥陀さまは兆載永劫という果てしなく永い永い永い間、この私の為にご修行をしてくださり、そしてこの私を救う方法を完成させてくださった。
「兆載永劫(ちょうさいようごう)」です!
「億(劫)」どころではありません!!
私といえば、怠け者で、言い訳と愚痴ばかり…、そのくせ自惚れ強く、欲深く…、
このように我が身の実相を聞かされたとても、素直にコクンと頷くことも出来ない私の為に、易しい方法を兆載永劫をかけて阿弥陀さまは考え造って下さった。
それが‘南無阿弥陀仏’なのだとG先生は教えてくださった。

「億劫(おっくう)だ、億劫だ」と、「面倒くさい」という意味で、私たちは簡単に「億劫」と口にするけれど、仏教で教えられた「一劫」の一億倍が「億劫」なのだから、チョットやソットの面倒くささで、容易く「億劫」という言葉を使うことに、少し抵抗を感じるな~と思った。
[ペン]今朝の雑感です

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最も愛おしいもの [仏法]

『相応部経典』の中に、こんなお話しがある。

お釈迦様が成道なされた年、インド2大強国の一つであるコーサラ国の王に即位なされたプラセーナジット王は、ある日、宮殿の高楼で第一王妃であるマッリカー夫人とこんな会話をなされた。

「マッリカーよ、 この世にそなた自身よりも愛しいと思えるものはあるか?」 
「王さま、 わたくしはこの世で自分よりも愛しいと思えるもなどないと考えております。
王さまにはご自身よりも愛おしいものがおありですか?」
「マッリカーよ、 わたしも自分よりも更に愛しいものなど存在しない」

二人とも同じ考えではあったが、それで良いのかどうか… 不安であった為、祇園精舎におられるお釈迦様を訪ねて、その心を打ち明けられた。
お釈迦様は、「この世に自分より愛しいものはない」という二人の考えを聞いた後、このように説かれた。

「人の思いは果てしなく、縦横無尽に転がり続ける。
しかし、どちらの方向に行こうとも、常に自分が一番愛おしいという思いだけは変わらない。
心のどこを探してみても、己よりも更に愛おしいものなど見つけることは出来ない。
だから相手も同様に、みなそれぞれ自分が最も愛おしいと思っているのだから、自己を愛するものは、他のものも害してはならないのです」
と。

この教えに、屁理屈をつけようと思えば、なんぼでも付けることが出来るだろう。
でも、ここ一つ、「私が最も愛おしい」の心こそ私の自性なんだという事実だけは、変えがたい真実の教えであると実感する。

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一歩、そして一歩 [Poem]

冷たく暗~い海の底でうずくまっていた私の肩を揺り起こす人がいた。
「起きなきゃ~…」とは思いつつも、「起きちゃダメ!」という心に躊躇してしまう私。
夢は、手に入れるよりも見ている方のが幸せなんだと、誰かが言っていたよね…
私も、このまま冷たい波に揺られながら、ここで夢を見続けていられたら… とも思う。
でも、肩に触れたあたたかいその手のぬくもりに、心が小さくふるえた。

ひざを抱えて小さくうずくまっていても、ひと所にとどまることを知らない私の心…
巡り巡って同じ所に戻ってきても、やっぱりそれは同じではない、別のもの…
「私はいったい、どうしたらいいんだろう?」 と、何度も繰り返されたこの問いかけも、
「私は、いったいどうしたいの?」 という問いかけに変わって行った。

2819410答えは、いつも自分の胸の中にある。
きっと、もう、私はその答えを知っている。
ただ、決心がつかぬまま、時間だけが過ぎてゆく。
私はいつも、この私の心に支配され続け、
そしてどこまでも迷っていくんだ…
止まっていても、歩き出しても、
結局は迷うことしか出来ないのなら、
一歩、 そしてまた一歩、  
自分のペースで前に進んでみよう…
差出されたその手のぬくもりを信じて・・・・・

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願わくば… [Poem]

2831797忘れなきゃならないことがある
        それはやさしい想い出

捨てなきゃいけないものがある
        それは未完成の約束

聞いてはいけない言葉がある
        それは「またね」という台詞

求めちゃいけない  
だって、私の願いはいつも方向違いだもの
捨て去ることのできない心に縛られて
永遠に叶うことのない願いに跪く

求める心も、 願う心も、 私の心もすべて消し去って
今はただ、誰もいない世界に一人孤独に沈みたい…

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二匹のトラと二人の私 [心]

夢を見た・・・・・  何匹もの大きなトラに追われる夢。

何故そうなったのかは覚えていない…
ただ、トラたち追っ手から逃れる為に、私たち十数人の仲間は、行き先の無い、ただ逃げるという目的の旅に出た。
いつ、トラたちが襲ってくるかわからない…
どこで見つかってしまうかわからない…   極度の緊張感の連続…
見つかればたちどころに捕らえられ、食い殺されてしまう。

見知らぬ土地を、一時の油断もなく、周囲の様子を慎重に窺いながら旅を続ける私たち。
もう、半数近くの仲間がトラによって命を奪われてしまった…
私たちは、時には仲間を助けることもあったが…、 時には仲間を見殺しにしながら、それでも自分の命を守る為に旅を続けた。
仲間に頼りたい…、 頼りたいのに、でも… 結局自分しか信用のできない私…

白い砂煙の立ち上る乾いた村にさしかかった時、その村の人々が私たちを遠目に見ながらヒソヒソ話しをしているのが気になったが、私たち仲間は、その村にある一軒の干草の納屋の中に身を隠すことになった。
その納屋の入り口はとても小さくて、人一人がやっとの思いで通り抜けれるかどうかといったおおきさであった。
そして一人目の男性がその納屋の入り口の穴に身を突っ込んで、上半身だけを何とか潜り込ませたところで、「どうして入れないんだ! 通り抜けできないぞ! これじゃ~戻ることも出来ない!!」 と、大声でもがいていた時、フッと後方に視線を感じた私が村の広場の方を振り返って見ると、その目に、冷たい視線を向ける幾人かの村人の姿と、二匹の大きなトラの鋭い視線が飛び込んできた。
仲間は大声で叫びながら四方八方に散らばって逃げ惑う!  
あぁ、また一人仲間が犠牲になった…  あぁ、あちらでもまた一人やられてしまった…
そして私は・・・・・・
   
その夢の中には、二人の私がいた。
一人の私は、一番初めに干草の納屋に潜り込もうとして、でも潜り込めずに今も必死でもがいている男性その人が私自身であり、自分の背後で如何なる惨事が起こっているのかは全くわからずとも、迫り来る恐怖をヒシヒシと肌で感じ、その恐ろしさに胸が押し潰されそうになっている…、
誰よりも早く安全な場所に逃げ込みたい、死にたくない、助けてくれと必死で泣き叫んでいるその人自身が私であると感じた。
そしてもう一人の私は、その男の傍らに立って、振り返ったその面前で繰り広げられる人々の裏切りや、仲間の死という無残な光景を目にしながらも、ただただ傍観しつつ、「自分だけは大丈夫」とタカをくくっているその人も、私自身に違いないと感じた。

その二人の私が、いよいよトラの視線と絡み合ったその瞬間、私はその恐怖で気を失いかけた。
その時、「すべて夢ですよ」 というやさしい言葉が届いた。

その声に、トラも、納屋も、その光景のすべてが一切消え去って、私は一通の手紙を読んでいた。
お会いしたことも、お聞きしたことも無いし、そのお名前すら知らないが、その手紙は、MRさんのお母様からのものであった。

「起きている時(人として生きている間)は、欲にまみれ、それ故に苦しみ、後悔することばかりの私です。
でもそれは、眠っている(人として生きている)からこそ見ていられる夢を、今、見続けているだけなのです。
でも、いつかは目覚め、その夢も終わるでしょう・・・・・・・・」

手紙にはまだまだ続きの言葉が綴られていたが、それを読む前に、窓から差し込んだ朝日によって、私は夢から目覚めてしまった…
「起きている時も、眠っている時も、夢?・・・・・  今はまだ、私は夢の途中?・・・・・
どうしてトラ?  なぜ、MRさんのお母様?  手紙の続きにはいったい何が・・・・・」 
そんな疑問を布団の中で問うたとて、答えなど何も出て来やしないことはわかっている…

いつも見ている夢とは違うなぁと感じたので、ここに、覚えている限りを記録しておこう[パスワード]










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満月 [心]

今夜は満月
穏やかな夜風が、少し酔った頬に心地いい

ただ月を眺めながら、ぼんやりとした時を過ごす

この月明かりに照らされた、私の目にしているものすべてが、
そして、この私自身も、
そのすべてが、私の後生のためにあるなんて・・・・・・

私は、私の道を遮るすべてのものが煩わしかった・・・・・・
音も、光も、言葉も、心も、   そして愛する人も…


TKさんと二人で、夜遅くまで飲み明かした。
話せることが嬉しかった。
聞いてもらえることが嬉しかった。
話してくれることも嬉しかった。
それを聞けることも嬉しかった。
TKさんの笑い声につられて、消えてしまった私の笑顔も戻ってきた。

話しはすべて、同じところに辿り着き、そしてまた迷っていく・・・
まるでメビウスの輪のよう
結局、私の力ではどうにもならない…
何のタネも手立てもない…
ここに辿り着くと次に出てくるのが、「じゃ~どうすれば?」の自力心
迷いの泥濘から、空想の光の世界に手を伸ばすことも、もうできない…

帰り道、二人で見上げた満月がやさしく感じた。
TKさん、どうもありがとう
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真如一実 [心]

[雨]雨、どんどん強くなる…   夕方からは、[雷]雷さんも応援に駆けつけて…
ピカッて光った夜空、 きれい
止まない雨音、 優しい

HMさんに電話でお話しを聞いてもらえて、不安な気持ちを言葉に出来て、思いっきり泣いて、とても気持ちが楽になった。
「そのまんまの私を見せていただくんだよ」と教えていただき、その言葉に、すごく救われた。

私だけかな~ぁ?
マイナスの感情って、際限が無くて、どんどん広がって落ちて行っちゃうんだよね~
でも、プラスの感情には限界があって、一山越えるとしぼんでしまう・・・
いかに自分が暗く底深いかを垣間見た気がする。

NOさんから言われた通り、メールじゃ本当の気持ちなんて伝わらないんだって実感した…。
声に出してみることで、逆に知らされることがたくさんある。
あぁ、 これをSK先生は教えてくださったんだな~と、改めて聞かせていただく。

だけども逆に、ここ数日で、いかに人間の言葉が当てにならないかということも、手痛く知らされた。
縁によってコロコロと変わる心。
そのコロコロ転々の心によって生み出された言葉なんて、不実そのもの。
そんな言葉に一喜一憂して、信じたあげくに裏切られて、傷ついて・・・・・
虚仮不実・・・。   それが人間なんだ・・・    これが私なんだ・・・

だけど、そんな私に届けられた、真如一実の‘南無阿弥陀仏’だけは、変わらないんだな~
と聞かせていただく。

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人間失格 [心]

今日も雨[雨]…      もう三日も降り続いてる。     
だけど、雨でよかった…    ホッとする…
体調不良[バッド(下向き矢印)]も続いてる…
こんな日にニコニコのお日様なんかに照らされたら、余計に気分が滅入りそう…
家族や友達と共有する時間はとても元気でいられるのに、一人になると足が砕けちゃう…
そして気がつけば、いつも逃げ場を探している自分がそこにあった・・・・・

何も手につかない…、何もしていない時間は、罪の意識に押しつぶされそうになる。
「人間失格」     そんな単語が脳裏に浮かんだ。
太宰治の「人間失格」   中学生の時に読んだきりで、内容は薄ら覚え…   
でも、どちらが本当の自分で、どちらが嘘の自分なのかわからなくなっていたあの時…
好きな自分と、嫌いな自分の分別すらも出来なくなっていたあの時…
そんな頃に「人間失格」という本と出合って、その本に自分を重ね、その本の中に何かを隠し置いてきたような気がした…

何をもって「人間失格」と言えるのだろう…
まともに生活できない人が人間失格となるのだろうか?
それじゃ~、「まとも」って何を基準にしているの?
そんな無駄な自問自答に費やす時間すらも疎ましい今日の私・・・・・

不意に 「人身受け難し 今已に受く ・・・」   三帰依文の一節が重くのしかかる。
このまま死んでしまったら、それこそ人間失格なんじゃないの? と自分に問われる。
「・・・・・・・・・・・・・」
言葉にならない自分の思いに、また気が滅入る・・・・・

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久しぶりの二人きり [心]

今日も雨[雨]・・・  今日も朝からたくさん泣いた[もうやだ~(悲しい顔)]・・・

昨日も今日も、自分はけっこう御法に浸っているな~ぁなんて思っていたけど、よくよく自分の心を見てみれば、私が仏さまのことを考えている時間なんて、ほんの数秒程度のこと。
でも、仏さまだけは、ず~っと ず~~っと、いつも いつも、私だけを見ていてくださっている。 

湧き出てくるお念仏も、時間がたてば止まってしまう。
それでもいい。 一度でも、そのお念仏を称えようと思う心を起こしてくれたことが嬉しいんだってやさしく包んでくださる。

たくさんのお友達に囲まれて賑やかに笑いられる時は、確かに幸せっ!て思える。
だけどそれは孤独な私から目を背けていられる間だけのこと。
孤独は怖い・・・  でも、一人で居られる時間は嫌いじゃない…。
何故かなって思った時、「あぁ、私は一人きりじゃなかったんだ!」ってことに気が付いた。
私が一人っきりでいる時間は、阿弥陀さまと二人っきりになれる時間だから…
私は甘えん坊のわがまま娘だから、阿弥陀さまとの二人っきりで過ごせる時間が好きだったんだな~って思った。

時々、死んでしまいたくなることが何度もあった・・・
「私なんか死んでしまえ!」 「私なんか堕ちてしまえばいい!」 と・・・
何をやっても、どんなに楽しくしていても、いつも私の中には得体の知れない罪の念のようなものが沸き起こってくるので、私は自分の心で必死になってそれを覆い隠してきた。
でも、心が手一杯になると、自分で自分を突き落としたくなる。
それで今まで何度泣いて来たのだろう・・・  
悲しくて…、悔しくて…、幾度となく流し続けた涙を、私は自分の涙だと勘違いしていたことに気付かせていただいた。
好き好んで崖っぷちから身を乗り出した私のその涙は、仏さまが流してくださった涙だったんだって・・・

みんな置いてかんならん…
みんな捨ててかんならん…
みんな、みんな、別れんならん…
このまま死んで行くんやで~ という言葉が、今、すごく重たい・・・・・

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人生の最優先事項って? [随筆日記]

今日はこいのぼりも[雨]雨の中を泳いでる。

昨夜から、心身ともに体調不良で少し辛い・・・・・  

夫が今年の暇なGW中に、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣 最優先事項』という本を読んでいて、いい本だからと勧めてくれた。
「いい本か・・・・・」 とつぶやいて ため息をつく私・・・・・
迷っている凡夫が決める「良し」・「悪し」の判断・・・  そんな御法が胸中で、モヤモヤと騒いだ。

別の本を読む予定にしていたけど、夫の本をパラパラっと流し読みをする。
確かにすごくいい?![ふらふら] 
だって、今まで本を読んでて、こんなに反感を持った本ない!!!

いったい、どのようにすればバランスの取れた生活を送ることができるのか。
どのようにすれば私たちの最も大切なことを優先させ、意義のある満足した人生を送ることが出来るのか。
時間を有効に使い、仕事と私生活のバランスを良くして、ストレスを感じないように毎日を過ごし、社会的信頼関係築きたい、等々の指南本である。

これを書いた著者も可笑しければ、これを人生の教本とする読者も面白い!
でも、一番変なのは、この私だろう[わーい(嬉しい顔)]
自分の考え・意見こそ「良し」とし、反対論を見下す私…。
自分の枠にとれわれた読み方しか出来ない私…。
著者の気持ちを、そのまんま受け取ることの難しさは、御法に限ったことではないのだと知らされる。

あぁ~・・・ また、ため息・・・ [バッド(下向き矢印)]






 


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胸、そして背中 [随筆日記]

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地と天の極・・・ [随筆日記]

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憂鬱・・・ [随筆日記]

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嫌な予感… [随筆日記]

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