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♪ もう恋は。 ♪ [心]

今日は、少し風が強くて寒いけど、青空に新緑の映える晴天。
なのに私は、朝から同じ曲を何度も繰り返し聴きながら、デスクに額をつけたままうつ伏せて、ただボーっと時を過ごしていた…
やらなきゃならないことはたくさんあるのに、なんにも手がつかない…、 動けない…、
焦る心も、不安になる心、泣きたくなる心も、みんなみんな消えてしまえ!!!
だけど…、真っ赤に腫れ上がった心は、とても痛々しくて…
フッと、手のひらに痛みを感じて我に帰ると、ギュッと握りしめた拳の両手のひらに、少し伸びた爪が食い込んで赤く窪み、傷跡がクッキリと描かれていた…

気分転換にどこかへ行こうか…、
でも、やらなきゃならないことがあるから…、
そんな自己問答を繰り返しながら、心ばかりが疲れて行く…
もう…、 午前が終わっちゃった…。   正午を知らせる音が、意識を現実へと引き戻す・・・・・

今朝、不意に思い浮かんだメロディーが頭の中でRefrainされていたので、何となくCDを手にとり、Repeat機能を使って この曲だけを もう1時間以上も聴いている。
でも、何で私はこの曲を聴いているんだろう…  それも朝からず~っと…。
そう思いながら歌詞に耳を傾ける。
曲は、谷村有美の「もう恋は。」 むか~し昔、たまたま買ったCDに入っていた曲。
まったく忘れていたそのメロディーが、何故か今朝から私の頭の中で繰り返されていた。

   肌の熱さが、少しわかりかけている今日は、
   白く冷たいミルクがとてもおいしい。

   好きな言葉をポツリ つぶやいてみたら、
   涙出そうになるけど、それも嬉しい。

   振られないとわかる時だけ、夢中なふりしたよ。
   もう恋は、違う宇宙(そら)を見つけ、揺れているよ。

   手紙と電話だけが、あなたへ続く小径(こみち)
   それは切ないことでも、歩き続けた。

   強いまなざし、そっと見せてくれた瞬間(とき)、
   きっと、わたしの笑顔は、時間を止めたね、

これ、失恋の詩?  それとも、恋に臆病になっている恋心を歌っているの?  
ど~も 私には、この歌詞の意味はピンとこないな~ぁ
そう思いながらも、この曲に何かを感じた、その直感みたいなものが気になって、
「この曲の歌詞、私の気持ちじゃなくて、相手の気持ちだったとしたら…?」 と 思い、視点を変えてこの曲を耳にした瞬間、涙が溢れ出した… 南無阿弥陀仏

   振られたってしかたないし、あなたを責めないよ
   もう恋は愛に変えて、ずっと離さないよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

私は、こみ上げる思いを抑えることが出来ずに、嗚咽した。
こんなに泣いたのは、母を亡くした日、あの日以来だと思った。
さっきまでのボーッとした感覚は、もうそこには無く、言い知れない慈悲の念だけが心に届いて、これを受けきれない私自身は大声を張り上げるしかなかった・・・・・
「私には、もう、届けられている」 
それが、有り難かろうが、有り難くなかろうが、そんなことは関係ない。
私は一人、身体中を震わせながら大声で泣くしかなかった・・・・・

声が嗄れ、喉の痛みを感じながらフッと時計を見ると、もう、1時間以上も泣いていた自分に驚いた。

昨日の、MRさんとHMさんの来訪。 厳しくもあたたかいYuさんからのメール。
そして、この曲を私に届けてくれた仏さま。
「私は何もわかっていない…」、「そしてこれからも私には何もわからない…」
だけど、生きたお働きが私にかけられていることだけは実感した。 南無阿弥陀仏

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夢の後先(独り言) [心]

昨日、我が家に降臨された菩薩方のお言葉をBLOGに書き残そうとしても、実は、その大半を聞き流し、忘れてしまって文字にならない。
すごくもったいないと思うが、昨日は、「今、ここの所の私」、常に感じ、常に動き続ける自分の心を言葉に出していこうと、今までとは違う体験を望み、実践を試みた。

今までは、お同行の言葉から、また生活の中から、自分にピタッと来る御法を探しながら聞いていた為、何か御法的な感じがすると、それを記憶しよう、考えてみようと、心にメモをとるスタイルが板についていた。
でも、それは過去の自分に捕らわれていく姿で、今の自分を無視してはいないか…、と思い、昨日は、過去の思いに捕らわれず、言葉に振りまわれずに、今、私は何を思い、何を感じたているのかを表現してみようと思った。
また、それを可能にしてくれた菩薩方だった。

聞いた言葉ひとつ一つに反応する心や、全く動じない心や、様々な心が交錯する様子を客観的に見ていると、やはり一つとしてとどまることを知らない“無常”というものが実感される。
ただ、御法は、客観的では聞けず、自分という主体を仏様のものさしで見ていかねばならないと教えてもらったのだが、そこのところが、まだコクリと飲み込めていない自分がわかる。

また、HMさんに、「今まで、何 聞いとったん?!」と指摘され、確かに、聞いた、知ったと覚えていただけで、私は何も聞いてなかった…、何もわかってなかったんだな~と知らされた場面もいくつかあった。
これを、人から言われて初めて気付く自分の不甲斐なさに、落ち込んだり、また感動したり…、
刻々と変化する自分の心を見ているのは実にFunnyだが、その中の一点を常に避けている自分に気付き、何だかとても嫌な感じになる…。
MRさんに、「その嫌な所に仏様はおるんやで! そこでしか遇えんのやで!」と言われても、私は好き好んでそこに触れようとは思わない。
蓋をして、無視して、逃げる・・・ という作業を無意識の内に繰り返しながらも、これに反発をしている私も存在している。

聞いて初めて気付かしてもらったことに反応する心は、常に両極端な二つの心に分かれている。
例えば、「自分の思いや考えなどは、チョット横に置いといて聞くんやで!」と言われて、すぐに反応した口からは、「自分の思いを横に避けたら、何にも無い自分になってしまうがな…」と言葉にしながら、一つの心では、「あぁ、そうなんだ! 空っぽにしなきゃ~聞けんというのは、そ~ゆ~ことだったのか!」と肯定する一方で、「それじゃ~ダメだ! そんなことは出来ん!」と否定を繰返すもう一つの心がある。
これに疲れた・・・・・

数日前、法座の集いの時は、「ただ、聞く。 そのまんま聞かせて頂く」 ということが、こんなにも楽で、簡単なことだったのかと知らされたが、昨日はそ~ゆ~聞き方が全く出来ない…
どうしたら? どうやれば? という計らいだらけの汚染心に耳まで占領されていた。

ただハッキリとしたのは、今まで、「なっちゃん、何が欲しいん?」と聞かれても、欲しいモノだらけでちゃんと答えられなかったけど、今は言える。
「私は、確信が欲しいんです!」 と・・・・・
この間違いに捕らわれて身動きの取れなくなっている自分の姿を簡単にイメージすることが出来ても、そこから抜け出すことは難解で、もがき苦しんでいる感じ・・・・・

私は何を言っているんだか・・・・・
まったく文章になっていない・・・・・
今日の私は変だ・・・・・

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