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2009年4月の支部法座 [仏法]

今日は、二ヶ月ぶりの支部法座があった。 
と、言っても、二ヶ月前の支部法座はインドへ旅行中だった為に参加できず、私にとっては四ヶ月ぶりの支部法座であった。

御法話のテーマは、“二種深信”。 講師は大好きなS先生。[るんるん]
なのに、気分はBLUE![バッド(下向き矢印)]
それに、先週の‘真宗の集い’法座から、「何につけても、ありがたい!ありがたい!」な~んて気持ちがここ数日続いていたのに、御法座を前にして、「ありがたい」っていう気持ちが、どっかに行っちゃった!
法座に向かう電車の中でも憂鬱ならば、会場入りしてからでも気分が乗らず…、
「逃げちゃいたい…」って気持ちが、ニョキっと顔を出す。
でも、ま~ぁ、今日の御法座があってもなくても、「ありがたい」なんて気持ちは、一週間と持たないものだな~ぁ…、我ながら呆れるばかり。

でも、御法座の前後に会場を満たすお同行のお念仏は、「有り難いな~」としみじみ思う今日この頃!
なのに、今日はみんな、いつもより短め少なめ、なぜだろう…?

御讃題は、善導大師のお言葉より、
一には決定して、深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこの方、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して、深く、彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受して、疑いなく、慮りなく、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず。

御法話のテーマ “二種深信” については、先月の講習会でG先生からお聞かせいただいたが、あの時は出鼻から置いてきぼりを喰らってしまい、苦手意識が芽生えてしまったので、小さな不安を感じながら法座に臨んだ為、何を聞かれてもなかなか声に出せなかった。
でも、講習会で躓いた“三心”のお話しから丁寧に説いてくださって、御法話はとてもわかりやすく、教学的ではない聞き方、「先生が私に一番仰りたいことは何なのかな~ぁ」という聞き方をしようという余裕があったように思う。

まず、一見、自力のような『観無量寿経』の三心も、『大無量寿経』と同じ他力による三心であり、その三つの心は、深心(信楽)という一つの心に収まるということ、また、口で称えるお念仏こそが大事であるということを、初めて善導様の御苦労であきらかにしてくださったのだと教えていただいた。
その深心の中身を開いて、仏様の御本願に遇った人の、他力廻向の信相(信じる人のすがた)を二つに分けて教えてくださったのが“二種深信”であり、これは、知った・覚えたではなく、自分がこの二種深信の心とピッタ~っと一つになるという体験をするまで仏法は聞かんといかんということをお話し下さって、初めて、やっと、講習会のG先生のお話しと重なった。
それまで“二種深信”は、信後の人しか理解できないお話しなんじゃないかな~と思っていたその間違いに気付き、「この“二種深信”こそがものさしなんや」と言われたことに、コクンと頷けたような気がした。

そして、“二種深信”の内容に部分にお話しが移って、まず胸にドキュンと来たのは、「自身は」 という“機の深信”の主体のところだった。
仏法は、「人間は」とか「衆生は」などと聞いている内はわからへん!
仏法は、世間一般の話しとして聞くんではなく、「自分は」と、この「私」のすがたを聞かなあかん、というところに大きく頷いた。
善導様は、この“二種深信”の中に、「自身(私)」を、三世に分けて説かれたと教えていただき、
現在 = 現に是れ、罪悪生死の凡夫、
(私は、今まさに、罪悪を積み重ね、生き死にを繰返している、煩悩まみれの者柄なんだ。)
過去 = 曠劫よりこの方、常に没し、常に流転して、
(私は、無始よりず~~~っと、常に生死の苦海に沈没し、常に迷いを繰返してきた。)
未来 = 出離の縁、あることなし 
(私には、これから先も永遠に、この生死の苦海、この迷いの世界から離れ出るご因縁のそのカケラすら、あることが絶っっっ対に無い!)

これも、今までは信後の人の心だから…、な~んて他人事で聞いていた時には何も感じなかったけれど、何度も何度も、「私は」と読み返す内に、すごいキツイな~と思った。
これを深く信ずる心を廻向されるだなんて・・・・・・ 
逃げるしかないじゃん!
そんな逃げることしか出来ない私を、救う手がかりのまったく無い私を、どこどこまでも追いかけて、「必ず救い摂るぞ」と言われたって、当の私は、「迷惑じゃ!」、「信じられん!」としか言えん…
それなのに、「ど~にかしてくれ!」とばかりに、「疑いなく、慮りなく」などの美味しい言葉にはしがみ付きたくて手を伸ばす私…
阿弥陀様の御心を聞かせていただいても、ちっともピンとこない自分に嘆いてみたり、それじゃ~ど~したらと計らってみたりと、横に置いといたはずの自分の心の中に、いつの間にかドップリと浸かっている私…
今日の御法話では、そんな私を見せていただいた。
そして、「願力 = 仏様の深い深い願い(人間に生まれてきた本当の意味にめざめてもらいたいという願い)が力となって私に届く御法である」と聞かせていただいて、「あぁ、私の願いなんじゃなく、仏様の願いなんだな~ぁ」と聞かせていただいた。

御法座の後は、楽しい楽しい懇親会[ビール]  これで元気を回復したなっちゃん[黒ハート]
そして今日は、懇親会の後に時間が余っちゃったんで、YuさんとNKさんを誘ってミスド懇親会をした。[手(チョキ)]
これが結構グッときた。
いただいたプリントの“二種深信”の御文を前に、あ~だ、こ~だと雑談をしているうちに、“二種深信”って第十八願そのものじゃん[exclamation] 仏願の生起本末じゃん[exclamation] って所にピントがピッタと合った感覚がした。

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