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長谷寺の牡丹 ・ 室生寺の石楠花 [Travel]

GW初日、約束をスッポかした夫が少しは後ろめたかったのか、「どこへ行きたいの?」と聞いてきた。
心の思うままに、「奈良が好き!」と答えたのだが、「夜に用事があるから、あまり遠くへは行けない」と即答で却下され、少し不機嫌になる私。
そこで、「県外脱出」という条件で、隣県を記したあみだくじを作り、静岡、山梨、長野、岐阜、滋賀、京都、奈良、三重と書き込んで、あてずっぽうに一点を決め、その線の先をたどっていくとぉ~…、
結局、行き先は “奈良” に決定[exclamation]
奈良へは行きたい私なのだが、その決定に少し躊躇しながらも、でも、その理由を言い出せず…、「運命なんて・・・![あせあせ(飛び散る汗)]」と口にしながら、奈良 1 Day Drive の計画を進めた。
行き先は、長谷寺と室生寺の二箇所。 早朝に出れば、夕刻には十分帰って来られる距離だ。

2777330翌朝(4/30)、朝の6時半少し過ぎに家を出て、9時に長谷寺に到着。 天気は快晴[晴れ]
今回の目的は、期間限定の‘長谷寺ぼたん祭り’と、特別法話への参加。

[メモ]長谷寺は、真言宗豊山(ぶざん)派の総本山の寺院で、ご本尊は十一面観音。
686年、道明上人が天武天皇のために 「銅板法華説相図」を安置したことにはじまり、727年に、徳道上人が聖武天皇の勅願によって、ご本尊十一面観世音菩薩を祀られたのが起源と口伝されている。
GW頃に咲く、150種類以上で7,000株を超えると言われる牡丹が特に有名だが、春の桜や、秋の紅葉も大変に美しい寺院である。

早朝の為か平日の為か、観光客の数は まだ まばらだが、駐車場から入山受付へのアプローチにもボタンの花が咲き乱れており、カメラを構えつつ進むので、なかなか前へと進めない。
チケット¥500を購入して仁王門をくぐると、ゆるやかに伸びる登廊の両脇に、色とりどりの牡丹の花が出迎えてくれた。
ちょうど満開の盛りを越えたくらい(4/30現在)なので、ギリギリ いい感じである。
時間を忘れて、あっちもこっちもと牡丹の花をカメラに収め、やはり期間限定の長谷寺特別寺宝展(別途¥100)を見学していたら、アッという間に10時 五分前!
10時から催される 真言宗の特別法話に遅刻してしまう! と、長い回廊を一気に駆け上がる。
でも、階段は399段。 
そんなに生易しいものではなく、息を切らせながら歩みを進めて、法話会場へと向かう最後の坂道をヘトヘトになりながらも上りきると、そこでお坊さんに声をかけられた。
「まことに残念ではございますが…、」と、そのお坊さんに切り出されて、
「えっ? ご法話、今日は無いの? それても、もういっぱい?」と、早とちりで聞き返すと、
「いえいえ、まことに残念ではございますが…、こちらが頂上となりますので、お名残り惜しいかとは思いますが、もう上り坂はございません。 では、ご法話会場へどうぞ!」
と、すごく紛らわしい挨拶をされた。

法話会場は、普段は入場禁止となっている 弘法大師御影堂の中で開催されていて、既にご法話は始まっていた。
公聴客は七名しかおらず、解放的なお堂の中で、環境的には申し分が無かったのだが、やはり内容が・・・・・(^.^ゞ

一座目は、東京在住の自称・季節派遣労働僧のお坊さんで、お話は、「長谷の観音 振袖着せて 奈良の大仏 婿にとる」という川柳から、観音様は、男か女か? 長谷寺のご本尊(十一面観音)に振袖を着せるとしたら反物は何本必要か? などの質問形式でお話しは進められ、その結論として、女性が男性におねだりする時は、あごを少し引いて、上目遣いでお願いするといいということと、お化粧は書きにくい方から仕上げていくと上手くいくということ。
そして夫は、妻からのお願いを三回に一度はきいてあげること! これが幸せの秘訣で、腹を立てずに、時をのんびりと過ごして、心健やかに暮らしましょ~、とのお話だった。
「・・・・・ どこに御法が説かれていたんだろう???」 そんな感じ?!?!?!

二座目は、埼玉からの期間遣労働僧で、そのお話は、ご自身の経歴を長く話された後、長谷寺のご本尊である観音様は‘慈悲’をあらわし、この慈悲の心は一方通行であるとお話された。
そして、最近は慈悲の心の無い親によって子供が不幸になるという考えられない事件が多発しているが、人間は、怒りの心を抑えることで幸せになれる。
相手がどう思おうが、自分の方から一方通行に慈悲の心を向けることが幸せの秘訣であるとまとめられた。

夫はこれらの話しをいたく感動しながらフムフムと聞いていたが、私は愚痴しか出てこなかったので、これ以上は聞くまい! と、ご法話会場を後にした。
そして再び別ルートで仁王門近くまで戻って、再び別ルートで本堂まで上がり、もちろん別ルートで下山して、牡丹の長谷寺を楽しんだ。  
お昼過ぎまで長谷寺に滞在し、この後、途中でLaunch Time をとってから次は室生寺へと向かった。

2777331[メモ]室生山は、太古より神山として修行の地と崇められ、奈良時代末期に山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願の際、この聖なる山中で祈祷をしたことによって卓効が認められた為、勅命により国家の為に建立されたと伝えられている。
室生寺は、真言宗室生寺派大本山の寺院で、ご本尊は釈迦如来。
古くから女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣を許した寺として「女人高野」の別名をもつ。

1時半頃の到着となったが、シャクナゲ祭りをしている割に客は少ない。
入山料¥600を支払って境内に入ると、光り輝く新緑の紅葉の下に、3,000本の石楠花の花が、ちょうど満開を過ぎてプラス1日(4/30現在)といったところで、やさしく鮮やかな色彩を添えていた。

五重塔付近までは、ゆっくりのんびりと写真撮影をしながら歩いていたが、ここから奥の院までは、チョットばかしの覚悟が必要![たらーっ(汗)]
階段の数は、長谷寺の倍以上の720段もあり、けっこう急勾配なのだが、ここまで来て上らない手はないので頑張って歩みを進める。
休み休みしながら奥の院まで上りきると、若者はおらずほとんどが年配者で、一番疲れを見せていたのは、他でもない最年少の私だった。 まことに恐れ入ります(^.^ゞ
見晴らしが特によい訳でもないが、ここへ辿り着くまでのアプローチが美しい。

下山後、奈良に来た時は恒例の草もちを買って帰路に着く。
帰宅後は、身体も頭も疲れちゃってグータラしたい気分だったけど、夫は元気にバレーボールの練習に出かけて行った。 タフな人だ…

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なんじゃもんじゃ [随筆日記]

今日から花のGW[かわいい]
と言いたいところだが、今年はいつものGWとは違って、とっても静か
例年だと、GWの前半戦には四泊五日の国内旅行を楽しんで、後半戦にはHome Partyを催し、あれこれ友達を招いて賑やかに過ごすのだが、何せ今年はこの景気!
旅行に出かけるどころか、日々の生活も切り詰めてゲームのような毎日を過ごしているのだもの、金銭的な余裕もないし、後半戦には私が御法座の予定を入れてしまったので、友達を招いている時間的余裕もなくなってしまった。[たらーっ(汗)]
それでも 1 Day Drive くらいはしようねって言っていたのに、今日は夫にドタキャンされて、何だか気持ちがとっても暇になってしまったので、プチ家出をしたくなった。[るんるん]

夫は友達と買い物に行くらしい…
私は、デジカメとガイドブック、それにお気に入りのMusic CDと、S先生からお借りした本を持って車に乗り込んだ。

27720352772036








最初にむかったのは、大府の大倉公園。
先週末でツツジ祭りは終わってしまったが、まだ多少は咲いているはず、と期待して行ってみると、ツツジはちょうど満開を終えたばかりで、まだまだ十分に楽しめた。
大倉公園は、ノリタケカンパニーリミテドの初代社長が大正時代に別邸として使っていたその跡地を、昭和50年に市が買い取って公園化したもので、2,800本のツツジをはじめ、サクラやアジサイなどの花の名所になっている。
そして何と言ってもここ大倉公園には、ナンジャモンジャの樹(正式名称・ヒトツバタゴ)があって、ちょうど見頃をむかえていた。
ヒトツバタゴはモクセイ科の落葉樹で、枝先に円錐形についた集散花序で、花冠は4裂に深く長く切れ込み、純白の花を樹冠いっぱいにつける。
ヒトツバタゴ (Chionanthos) という名の通り、Chion(雪)のような、Anthos(花)である。
日本では、対馬と、岐阜・愛知に隔離分布しているだけの貴重な樹木で、現在では絶滅危惧II類にも指定されている。
“ナンジャモンジャ”として広く知られるようになったその名の由来は、昔、明治神宮外苑にあったこの木の名前がわからずに、「何と言うもんじゃろか?」と言ったことに端を発し、これが“ナンジャモンジャの樹”として、広く伝わったのだとか…。

園内の竹林や紅葉の木陰はとても居心地がよくって、ここでのんびりと読書でも楽しみたかったのだが、ブ~~~ンと羽音をさせて飛ぶ虫と、二足歩行のオヤジ虫たちが鬱陶しくって落ち着けず、お腹も空いてきたので大倉公園を後にした。

2772080Launch[レストラン]は、以前に一度だけ入ったことのあるネパール料理のレストランに入った。
この店の店員(ネパール人)の愛想の無さに居心地が悪くて、もう二度と来ることはないだろうと思っていたが、実際にネパールに旅行してみて、「なるほど、愛想の無いのはネパールの国民性! ネパールでは笑顔も無料(ただ)じゃないんだな!」というのがわかったので、なんとなくもう一度入店する気になった。

お店に入ると、さすがにGW! ファミリーが目立つ。
店員は相変わらずそっけなく、「少しくらいは笑って見せてよ!」とお願いしたくなるような愛想の無さだが、逆にネパールっぽくっていいかも?!とさえ思った。
メニューを見て、「今日はGWだし!」と自分なりの理由で、おすすめデラックスランチを注文した。
(↑ 写真) これで一人前! 
お味の方は、かなり日本風にアレンジしてあるのでチョット物足りない気もするが、なかなか美味しくいただきました。

2772037この後は、碧南の広藤園にむかう。
駐車場スペースも広く、園内には多くのベンチが置かれ、観光協会さん、がんばってる~って感じ!
ここの藤は、「ひろの長藤」といって、よく目にするノダ藤よりも花房が長く、説明書きによると、1.5mにもなるのだというが、そんなに長いものは探しても見つからなかった。
園内では、シンセサイザーの演奏や次々と入れ替わる見物客でなかなか落ち着かない感じだったので、早々に次の目的地へ向かうことにした。

この後行ったのは、安城市の城藤園。 
ここも藤の名所だとガイドブックには書かれてあるが、とてもチンケなもので、観光協会の提灯はかかっているものの、小じんまりとした敷地には雑草が伸び放題・枯れ放題で、藤の樹の手入れも全くされていない荒地に花の状態だった。
したがって、虫の数も半端ではなく、逆に、見物客は誰一人としていなかった。
藤棚の横の、こんもりと盛られた小山の上に、子安観音と書かれた旗が何本も立てられていた。
そこは木陰に木漏れ日が心地よく、今日の気候と相まってとてもい~感じだったので、ここで読書でもしようかな?!と思ったが・・・
おっと! どこから湧いて出たのか、またオヤジ虫に話しかけられてしまった[わーい(嬉しい顔)]・・・
人気もなく、チョット怖かったのでまたまた早々に退散[exclamation]
なかなか落ち着ける場所ってないもんだ…

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半生キャラメル [心]

2769525義母は、自他共に認める思い込みの激し~ぃ頑固者。
その義母が、今日は簡保のバスツアーで、富山の砺波チューリップフェアーへ日帰り旅行に行って来て、夕刻、上機嫌で帰宅した義母が、「お土産だよ~!」 と、お刺身かまぼことキャラメルのお土産を買ってきてくれた。
義母はすごく得意げに、「これね~、今、話題の生キャラメル! ほら、テレビで義剛さんがやってるヤツよ~! 一度食べてみたかったのよね~!」とすごく嬉しそうに手渡してくれたのだが、「富山の義剛さんって?」 と 私…。
喜ぶ義母には言わなくてよかったことなのかもしれないが、間違いを言わずにはおれない性分なので、ついつい…(^.^ゞ
「テレビで人気になった義剛さんの生キャラメルは、北海道の花畑牧場の商品なんだけど…(^_^;)」
と言いながら包装紙を開けてみると…、
確かに、外箱は花畑牧場の生キャラメルと瓜二つなのだが、パッケージのどこにも‘花畑牧場’ の表示は無い。 
しかも、‘生キャラメル’ではなく、‘半生キャラメル’と書いてある。
「あのね、お義母さん…、 これ花畑牧場のじゃないよ!」 と私が言うと、
「チューリップフェアーだもん、花畑じゃん!」 と義母…。
全然ずれてる・・・・・[ふらふら]
「テレビで話題になっているのとは違うけどね(^.^ゞ だって、ここに‘半生’って書いてあるし…」 
と言うと、義母は、「騙された! あぁ、偽物買わされた! あ~ぁ~、また騙された~」 と、落胆する義母。
おいおい、誰も騙してないし、強制して買わせた訳ではなかろうに・・・(^^;)

義母のご機嫌に水を差してしまって申し訳なかったが、我が家ではこれは日常茶飯事のこと。
別に私が取分けて冷静な目を持っているのではなく、義母が飛びぬけて、先入観の早とちりにプラスして頑固なだけなのだが・・・(^^ゞ
義母は、一を聞いてそう思い込んだら、その考えがすべてだと決めつけ、こうなったらもう他の話しは耳に入らない。

私は、私が御法を聞く時、結局は私も義母と同じなのではないかと思った。
自分の考えに捕らわれ、自分の理想を正しいと決めつけ、それ故に真実の言葉が耳に入ってこない。
義母に、「お義母さん、自分でその性格わかっているなら何とかならないの?!」とは言うものの、私自身、御法を聞く上で何ともなっていない。
自分の中で「正しい」と決めるつける根拠も、結局は自分の思いでしかなく、その自分の尺度が正しいのかと問えば、これは日々時々に変化するものであって、まったく当てにはならない。
そうとわかっていながら、常に自身のものさしを頼りにしてしまう我から抜け出せない。
そうか、これが迷っている凡夫の姿というヤツだな、と義母を通して我が身を見せてもらった。

しばらくして夫が仕事から帰宅した。
帰ってくるなり、ダイニングテーブルの上に置いてある、例のキャラメルを見て、
「おっ! 花畑牧場の生キャラメルじゃん!」
と喜ぶその姿に、「親子だね~」と、ため息をついた…[たらーっ(汗)]

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♪ もう恋は。 ♪ [心]

今日は、少し風が強くて寒いけど、青空に新緑の映える晴天。
なのに私は、朝から同じ曲を何度も繰り返し聴きながら、デスクに額をつけたままうつ伏せて、ただボーっと時を過ごしていた…
やらなきゃならないことはたくさんあるのに、なんにも手がつかない…、 動けない…、
焦る心も、不安になる心、泣きたくなる心も、みんなみんな消えてしまえ!!!
だけど…、真っ赤に腫れ上がった心は、とても痛々しくて…
フッと、手のひらに痛みを感じて我に帰ると、ギュッと握りしめた拳の両手のひらに、少し伸びた爪が食い込んで赤く窪み、傷跡がクッキリと描かれていた…

気分転換にどこかへ行こうか…、
でも、やらなきゃならないことがあるから…、
そんな自己問答を繰り返しながら、心ばかりが疲れて行く…
もう…、 午前が終わっちゃった…。   正午を知らせる音が、意識を現実へと引き戻す・・・・・

今朝、不意に思い浮かんだメロディーが頭の中でRefrainされていたので、何となくCDを手にとり、Repeat機能を使って この曲だけを もう1時間以上も聴いている。
でも、何で私はこの曲を聴いているんだろう…  それも朝からず~っと…。
そう思いながら歌詞に耳を傾ける。
曲は、谷村有美の「もう恋は。」 むか~し昔、たまたま買ったCDに入っていた曲。
まったく忘れていたそのメロディーが、何故か今朝から私の頭の中で繰り返されていた。

   肌の熱さが、少しわかりかけている今日は、
   白く冷たいミルクがとてもおいしい。

   好きな言葉をポツリ つぶやいてみたら、
   涙出そうになるけど、それも嬉しい。

   振られないとわかる時だけ、夢中なふりしたよ。
   もう恋は、違う宇宙(そら)を見つけ、揺れているよ。

   手紙と電話だけが、あなたへ続く小径(こみち)
   それは切ないことでも、歩き続けた。

   強いまなざし、そっと見せてくれた瞬間(とき)、
   きっと、わたしの笑顔は、時間を止めたね、

これ、失恋の詩?  それとも、恋に臆病になっている恋心を歌っているの?  
ど~も 私には、この歌詞の意味はピンとこないな~ぁ
そう思いながらも、この曲に何かを感じた、その直感みたいなものが気になって、
「この曲の歌詞、私の気持ちじゃなくて、相手の気持ちだったとしたら…?」 と 思い、視点を変えてこの曲を耳にした瞬間、涙が溢れ出した… 南無阿弥陀仏

   振られたってしかたないし、あなたを責めないよ
   もう恋は愛に変えて、ずっと離さないよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

   もういちど、いえ 何度でも、冷たくしていいよ
   もういちど、いえ 何度だって、心、届けるよ

私は、こみ上げる思いを抑えることが出来ずに、嗚咽した。
こんなに泣いたのは、母を亡くした日、あの日以来だと思った。
さっきまでのボーッとした感覚は、もうそこには無く、言い知れない慈悲の念だけが心に届いて、これを受けきれない私自身は大声を張り上げるしかなかった・・・・・
「私には、もう、届けられている」 
それが、有り難かろうが、有り難くなかろうが、そんなことは関係ない。
私は一人、身体中を震わせながら大声で泣くしかなかった・・・・・

声が嗄れ、喉の痛みを感じながらフッと時計を見ると、もう、1時間以上も泣いていた自分に驚いた。

昨日の、MRさんとHMさんの来訪。 厳しくもあたたかいYuさんからのメール。
そして、この曲を私に届けてくれた仏さま。
「私は何もわかっていない…」、「そしてこれからも私には何もわからない…」
だけど、生きたお働きが私にかけられていることだけは実感した。 南無阿弥陀仏

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夢の後先(独り言) [心]

昨日、我が家に降臨された菩薩方のお言葉をBLOGに書き残そうとしても、実は、その大半を聞き流し、忘れてしまって文字にならない。
すごくもったいないと思うが、昨日は、「今、ここの所の私」、常に感じ、常に動き続ける自分の心を言葉に出していこうと、今までとは違う体験を望み、実践を試みた。

今までは、お同行の言葉から、また生活の中から、自分にピタッと来る御法を探しながら聞いていた為、何か御法的な感じがすると、それを記憶しよう、考えてみようと、心にメモをとるスタイルが板についていた。
でも、それは過去の自分に捕らわれていく姿で、今の自分を無視してはいないか…、と思い、昨日は、過去の思いに捕らわれず、言葉に振りまわれずに、今、私は何を思い、何を感じたているのかを表現してみようと思った。
また、それを可能にしてくれた菩薩方だった。

聞いた言葉ひとつ一つに反応する心や、全く動じない心や、様々な心が交錯する様子を客観的に見ていると、やはり一つとしてとどまることを知らない“無常”というものが実感される。
ただ、御法は、客観的では聞けず、自分という主体を仏様のものさしで見ていかねばならないと教えてもらったのだが、そこのところが、まだコクリと飲み込めていない自分がわかる。

また、HMさんに、「今まで、何 聞いとったん?!」と指摘され、確かに、聞いた、知ったと覚えていただけで、私は何も聞いてなかった…、何もわかってなかったんだな~と知らされた場面もいくつかあった。
これを、人から言われて初めて気付く自分の不甲斐なさに、落ち込んだり、また感動したり…、
刻々と変化する自分の心を見ているのは実にFunnyだが、その中の一点を常に避けている自分に気付き、何だかとても嫌な感じになる…。
MRさんに、「その嫌な所に仏様はおるんやで! そこでしか遇えんのやで!」と言われても、私は好き好んでそこに触れようとは思わない。
蓋をして、無視して、逃げる・・・ という作業を無意識の内に繰り返しながらも、これに反発をしている私も存在している。

聞いて初めて気付かしてもらったことに反応する心は、常に両極端な二つの心に分かれている。
例えば、「自分の思いや考えなどは、チョット横に置いといて聞くんやで!」と言われて、すぐに反応した口からは、「自分の思いを横に避けたら、何にも無い自分になってしまうがな…」と言葉にしながら、一つの心では、「あぁ、そうなんだ! 空っぽにしなきゃ~聞けんというのは、そ~ゆ~ことだったのか!」と肯定する一方で、「それじゃ~ダメだ! そんなことは出来ん!」と否定を繰返すもう一つの心がある。
これに疲れた・・・・・

数日前、法座の集いの時は、「ただ、聞く。 そのまんま聞かせて頂く」 ということが、こんなにも楽で、簡単なことだったのかと知らされたが、昨日はそ~ゆ~聞き方が全く出来ない…
どうしたら? どうやれば? という計らいだらけの汚染心に耳まで占領されていた。

ただハッキリとしたのは、今まで、「なっちゃん、何が欲しいん?」と聞かれても、欲しいモノだらけでちゃんと答えられなかったけど、今は言える。
「私は、確信が欲しいんです!」 と・・・・・
この間違いに捕らわれて身動きの取れなくなっている自分の姿を簡単にイメージすることが出来ても、そこから抜け出すことは難解で、もがき苦しんでいる感じ・・・・・

私は何を言っているんだか・・・・・
まったく文章になっていない・・・・・
今日の私は変だ・・・・・

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菩薩来迎 [心]

今日は、暑がりの私ですら暖房器具をONにするほど寒さを感じた一日だった。

ここしばらく、慌ただしい朝を迎える日が続いたが、今朝は、のんびりと朝のひと時を過ごすことができた。

10時半、家を出て和菓子店と洋菓子店を経由してから待ち合わせ場所の駅へと車で向かう。
変な緊張感で、自爆しそうな感じ・・・・・

待ち合わせ場所の改札口前に見慣れた人影を発見して、自爆寸前でとどまった気持ちに嬉しい感激が走り、無意識の内に駆け出した。
「MRさ~ん[黒ハート]
たった二週間前ぶりに会うMRさんが、ひどく懐かしく感じられた。
それから5分ほどして、「また迷っちゃった~!」と、HT姉さんも到着!
三人そろって歩き出すと、再び変な緊張感がぶり返して、なんだか自分自身に不自然さを感じながら、Launchには少し早めだが、近くのイタリアンレストランへと向かった。

レストランのテーブルについて改めて二人の顔を見ると、Yuさんからのメールが実感されて、何もかもがもったいない気持ちで胸がいっぱいになった。
MRさんは京都から、HMさんは三重からわざわざ私に会いに来てくれて、こ~ゆ~ご縁を作ってくださった大きなお働きがヒシヒシと感じられる一方で、こんな私で申し訳ないと慮る気持ちもムクムクと頭を持ち上げる。

食事をしながらの会話はすべてが仏法で、これ一つでも聞き逃したら申し訳がないという気持ちから肩に力が入りすぎ、それ故に、私の集中を妨げる周囲の雑音の方が気になって、意識は散漫するばかり…

食事の後は場所を自宅に移して、今年2月に旅したインド・ネパールの旅行写真を見ながら思い出話に花が咲いた。
この後、「眠くなってきた、おやすみ~」と、MRさんはお昼寝Time。
しばらくはHMさんと二人でおしゃべりをしていたが、何だかスラスラ言葉が出てくる自分が不思議だった。
今までは、「こんなことは口にすべきじゃない…」とか、「こんなことを話すのは恥ずかしい…」とばかりに、口を閉ざして来た事も、HMさんには素直に話せた。
一時間ほどして、HMさんと二人だけで会話をしていた中に、MRさんが目を閉じたままの状態で会話に入ってこられ、すっかり寝ていたと思ったが、実は今までの会話のほとんどを聞いておられたその姿に、またまたMRさんの超人さを思い知らされた。

夜の8時近くまで仏法三昧で…、
でも、一向にラチのあかない私というヤツ…、

そして今は、心も頭も いっぱい いっぱいという感じ。

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春の検診(動物病院編) [随筆日記]

2760668今日は春の健康診断。
と、言っても、私ではなく、我が家の四本足の子供たちのこと[犬]
今年6歳になるパパ犬を筆頭に、5歳半のママ犬と、その子供で、4歳になる長女と、2歳の長男の、計4匹のトイプードルである。

(左から、Merci,Fleur,Ange,Carine)

パパ犬のAngeは、気弱で、甘えん坊で、イジケ虫だけど、家族思いの優しい性格の子。
ただし、奥さんのFleurには頭が上がらず、いつも彼女の視線にビクビクしている、チョット情けないパパ犬。
ママ犬のFleurは、少々メタボな肝っ玉母ちゃんで、子育て上手だけど、子供のしつけにはチョット厳しい(^.^ゞ、大黒柱的な存在。
夫であるAngeを完全に尻に敷き、「あたしが大将!」と自負しながらも、飼い主にはとても忠実なおりこうさん。
娘犬のCarineは、手のつけられないほどのおてんば娘で、高い所も、水の中も、全然へっちゃら!
究極のひがみ症で、High temperなやんちゃ娘だけど、ママ犬のFleurだけは、ど~にも怖いよ~で、とってもビクビクしてる。 その半面、パパ犬のAngeには無視を決め込み、完全に見下している様子。
息子犬のMerciは、素直で、明るくて、とっても元気な男の子。 ママ犬やパパ犬と遊ぶことも好きだけど、お姉ちゃん犬のCarineと一緒に遊ぶのが一番大好き!

そんな4匹家族を連れて、動物病院へ行って来た。
検査内容は、体重測定はもちろんのこと、目・耳・肛門のCheckや、関節炎の検査、それに検便や血液検査という具合に、人とあまり変わりはない検査を、春と秋の年に二回行う。
春の検診はこれにプラスして、予防接種とフェラリアのお薬を一年分いただくので、家計は大打撃である[爆弾]
でも、わが子だから・・・・・    でも、苦しい~   うぅぅ[ふらふら]

検査結果は、ママ犬以外は全員合格[かわいい]
ママ犬のFleurは、去年の夏ごろから膠原病の疑いがあって、やっぱり今回も花丸な結果はいただけず、再び通院生活が始まった。 かわいそうに・・・・・

動物病院の待合室は、満員電車のように人とペットであふれかえっていた。(予約制のはずなのに…)
怪我、骨折、皮膚病、心臓病、癌、などなど、畜生界も過酷である…

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6年半ぶりの再会 HUGH [随筆日記]

朝8時、駅前のHOTELで待ち合わせ。
予定よりも30分早くに着いてしまった。 
ドキドキする…   何を話そうか…  それよりちゃんと話せるかな~?  ドキドキ!

HUGHとの再会に、ワクワクとした緊張感を楽しみながら時間を過ごす。
アメリカに住んでいた間、二年間ず~っと私の Private Lesson をしてくれていたESLのTeacher、
HUGH ROBERTSON
日曜日に来日して、翌月曜日に成田から福岡へ。 
そして再び東京に戻る前に途中下車して、私と会う時間を作ってくれた。 すごく嬉しい[るんるん]

遠くから両手を広げて駆け寄るHUGHとの6年半ぶりの再会。
Hugした身体は、私とは対照的に以前よりも少しやせていたけど、あたたかな笑顔は全然変わっていない。
離れていた年数を感じさせたのは、Trademarkのあごひげ。
以前よりも随分伸びて、Bronze Color だったのが、すっかり White Color になっていた。

会話の出だしは、やっぱり英語のこと…(^.^ゞ
「HUGHに教えてもらった英語、すっかり全~部忘れちゃった! だから今日は、HUGHが頑張って日本語で話してね!!」 って言ったら、真面目なHUGHは、ホントに必死で日本語を駆使しながらお話ししてくれた。

何せ私はESL-Schoolの落ちこぼれ…
私の通っていた語学学校は、半年ごとのサイクルで進級するのだが、私はLEVEL1からLEVEL2に進級できず見事に落第して、一年目はしっかり一年間、一年生のままだった。
二年目には、LEVEL2からLEVEL3へ進級できたが、もともと苦手で嫌いな英語を学ぶだなんて面白くもなんともなく、次第に学校へは行かなくなってしまった。
でも、毎週一回、HUGHが家庭教師をしてくれる英語の授業は大好きで、これは帰国する直前まで続けた。

HUGHは現在五十歳台後半のイギリス系アメリカ人で、職業は自称MUSICIAN。
オーケストラのフルート奏者でありながら、CDデビューしているバンドのサックスフォン奏者でもあり、その傍らでESL-Teacheもしている。
でも、純粋な音楽家といえば、そうではなく…、 昔は、ミシガン大学で人類学の研究をしていたという経歴を持つ変わり者、 つまり、私好みの人種 (^^)v

HUGHのWifeは日本人で、去年のリーマンショックのおりに彼女だけが日本へ帰国してしまい、現在アメリカと日本での遠距離結婚生活中!
そんな訳で、Wifeに会う為に来日することになったHUGHと、そのおこぼれにあずかって私まで再会させていただき、超LUCKY[手(チョキ)]

2756334すっかり英語の話せなくなった私との会話に苦戦したHUGHであったが、時間はアッという間に過ぎ去り、別れの時が近づく…
二人で駐車場に向かい、私の車の中で待つMerciの元へ!
以前、HUGHに送った手紙に我が家の愛犬の写真を同封したところ、犬好きなHUGHより、「ぜひ会いたい」と言われたので、今日は愛犬の末息子Merciを連れて来て車内に待たせてあった。
感激するHUGHに抱かれたMerciは、見たことのないHUGHのひげに頬ずりされて、かなりビビッていたけど、HUGHはとっても嬉しそうだった。

「また、必ず会おうね!」と、別れのHugをした後、Merciと二人でHUGHを見送った。

「楽しみ~!」 が、 「楽しかった…」 に 変わる瞬間が嫌い・・・・・

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もしも… [心]

27548062754807家の近くにある Wedding House へダンとLaunchに行った。
平日で、Partyのない日にしか営業していないレストランなので、なかなか足を運ぶのが難しく、今回が初めて!
メニューは、7種ある炭焼きグリルのメインディッシュの中から一品選んで、その他のSide Menuは、Buffet Styleで¥1,050! これに、Drink & Dessert Barをつけて、¥1,580と結構お得!
お腹いっぱいいただいた[exclamation]
スタイリッシュに整えられたガーデンでは、結婚写真の前撮りをしているカップルが、とっても幸せそうな笑顔でカメラに向かってあれこれポーズを決めていた。
うふっ[ムード]  チョットだけ懐かしいけど、あの頃に戻りたいとは思わないな~[猫]

以前、物書きを趣味にしていた時に、出版社から「もしも・・・」というテーマでエッセイを書いて欲しいとの依頼があり、原稿を書いたことを思い出した。
企画書籍のかたちで数十名のエッセイストが書いたその本が出版されて手元に届き、それを読み進める内に、編集者が言っていた、「観点の違う個性」という意味がよくわかった。
作品の多くは、「もしもあの時こうしていたら…」とか、「もしも○○だったら…」とか、「もしも○○になれたら」などという内容のものがほとんどで、逆に、私の作品はそれらを頭から否定する内容だったので、アララ…と苦笑しながら読んだものだ。

帰宅してから、さっそくその本を読み返して、また苦笑した。

人は自分の人生において、いったい幾つの分岐点に立つのだろう。
そして私は、今まで歩んできた人生の中で、いったい幾つの分岐点を越えてきたのだろう。
時として人は、「もしも、あの時…」と過去を振り返り、別の道を選んでいたらと後悔することがある。

と、こんな生意気な書き出しで私の作品は始まっている。

私は、自分の人生を振り返った時「もしも、あの時」と、分岐点に立ち戻るような後悔はしたくない。 (中略)
人として過去を振り返ることも大切だけど、今まで自分が選んできた道、自分の歩いて来た道を後悔しても始まらない。 (中略)
もしもあの時、別の道を選んでいたら…、なんていう考えは、今日まで積み重ねてきた人生の、自分否定になってしまう。

当時、自分が文中に書いたその言葉に、今、お釈迦様を思った・・・・・
すべてを捨てられたお釈迦様と、何一つ捨てられず、今生にしがみ付いている私が、過去も、今も、そしてこれからも・・・・・

今まで私が、この道を選んで歩いてきたからこそ出会えた人たちは、まぎれもなく私の人生において、かけがえのない人たち。 (中略)
この人生の中で出会えたたくさんのご縁を感謝できるような生き方がしたい。

な~んて、 ハハハ、 笑っちゃう…
仏法に出会う前の、今から5年ほど前の自分に出会って思うことは、あの時、自信を持って確信していた「これぞ確か」と言っていた私って、いったい何者?
そして今の私も、あの時と同じ・・・・・
間違っていることも、迷っていることも、まったくわかってない・・・・・

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ただ、逃げて、逃げて、逃げる [心]

物心のついた頃…、いや…、まだ物心もつかず、自分の意思で歩くこともできなかった幼い頃から、毎晩同じ夢にうなされ続けた過去がある。

2752841夢の中のまだ幼い私は、祖母の背におぶわれて、自宅横にある寺の境内を抜けてその裏手にある祖母の家(母の実家)へとむかう。
そして、祖母の家の門前の際にタンポポが咲いているのを見つけた私は、祖母の背より、「そのタンポポを取って!」とねだり、
祖母が少し腰をかがめたその時、
視界の開けた私の目の前に、突如、巨大で邪悪な黒い怪物が私めがけて襲いかかってくる、
という場面で悲鳴を上げて、その自分の声で私は夢から覚める。
毎晩、毎晩、全く同じ夢を見て、同じ所で悲鳴を上げて大泣きをする私。
そして、恐怖の夢から覚めた後には、現実の恐怖へと続き…、毎晩大泣きをする私にたまりかねた父によって、私は毎晩、真っ暗な小部屋に一人きりで閉じ込められて、恐怖心をかき消すように泣き叫んだ。

いつ頃からこの夢を見始めたのかは定かではないが、妹が生まれた時には一人部屋を与えられたので、それ以前…   多分、1,2歳の頃から、3,4年間、毎晩、毎晩、まったく同じ夢を見続けてうなされた。

実際の身体の成長と共に、夢の中の私も成長して行った。
4,5歳になった頃、走れるようになった私は、夢の中でも、もう祖母の背におぶわれることはなくなり、いつの間にか、毎晩見続けていた同じシチュエーションのあの夢を見ることはなくなったが、しかし、得体の知れない恐ろしいものから必死で逃げる、という夢に毎晩うなされることには変わりなかった。

考えてみたら、物心つかぬ頃の夢の記憶を持っているのもおかしな話しだが、毎晩見続けたあの夢の光景は、夢に出てきたタンポポの花びらを数えることが出来るくらいに、今でも鮮明に覚えている。

就学前から毎晩見続けていた逃げる夢。
いつも、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げ切れることなく恐怖で夢から覚める。
何に追われているのかわからない…。
何が恐怖なのかもわからない…。
ただ、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、ひたすら逃げて、・・・・・
そんな夢を十数年も毎晩見続けていると、逃げ足だけは速くなり、私は恐怖に慄きながらも早く逃れるコツを覚えて、逃げ上手になって行った。

高校生になったある日、夢の中で私は薄暗い林の中を逃げ惑いながら考えた。
私を追ってくるのは誰なの?! 
この恐怖の正体は何なの?!
私は、ありったけの勇気を振り絞って逃げることを止めた…
そして、恐怖をかき消すように大声を張り上げながら必死の思いで振り返った。
何て叫んだのかは覚えていないけど、あの時の勇気と、振り返った時の光景は今も忘れてはいない。
何も無かったのだ…
私を追ってきた邪悪な黒いものの存在も、振り返ったその景色の中には、誰も、何も無かった…

15年間、毎晩見続けた逃げる夢は、その日を境にピタッと見なくなった。

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♪ 泣きたい日もある ♪ [心]

2750488雨の日って、すごく人恋しくなる。
傷つきやすくなったり…、一人でいることに怯えたり…、
でも、嫌いじゃない…。 雨の日も好き。

昼下がり、久しぶりに万里子と音楽を聴いた。
窓の外は雨…。 私の好きな雨が降っている…。

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   ぼんやりして過ごす午後は 時間も騒音(ノイズ)も消えて
   自分の年 思いながら ほおづえをついた…
   大人になりたい 子供に帰りたい
   いろんなわがままで 出来ているの 私…

遠藤京子さんの‘泣きたい日もある’という歌
思いがけず流れた懐かしいその曲に、心が引き込まれて、フッと会話が止まった。
そしてそのまま、窓をたたく雨をぼんやりと眺めながらそのメロディーに耳を傾ける。

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   手本のないこの道は 時に長くそびえ立ち
   雨上がりは 誰かに導かれるよう
   あなたになりたい あなたを忘れたい
   あふれる願いで 生きているの 私…

思い出に浸るわけではなく、ただその歌が、す~っと 今の私の心に入ってきた。
悲しいかな…、 
こんな曲の中からも仏様は私に語りかけてくる…
歌詞の一つ一つが、御法のように私に溶け込む…
込み上げてきた涙をこらえながら、あわてて自分の心から目をそらす

   泣きたい日もある 素敵な日もある   雲になれば雨 恋をすれば涙
   あなたを思えば心 せつなくゆれる   恋してる

   ただ嘘をつかずやっていけたなら それでいいと思う
   願いも わがままも 泣きたい日も あの人も  この世のすべてに 恋してる

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2009年4月の支部法座 [仏法]

今日は、二ヶ月ぶりの支部法座があった。 
と、言っても、二ヶ月前の支部法座はインドへ旅行中だった為に参加できず、私にとっては四ヶ月ぶりの支部法座であった。

御法話のテーマは、“二種深信”。 講師は大好きなS先生。[るんるん]
なのに、気分はBLUE![バッド(下向き矢印)]
それに、先週の‘真宗の集い’法座から、「何につけても、ありがたい!ありがたい!」な~んて気持ちがここ数日続いていたのに、御法座を前にして、「ありがたい」っていう気持ちが、どっかに行っちゃった!
法座に向かう電車の中でも憂鬱ならば、会場入りしてからでも気分が乗らず…、
「逃げちゃいたい…」って気持ちが、ニョキっと顔を出す。
でも、ま~ぁ、今日の御法座があってもなくても、「ありがたい」なんて気持ちは、一週間と持たないものだな~ぁ…、我ながら呆れるばかり。

でも、御法座の前後に会場を満たすお同行のお念仏は、「有り難いな~」としみじみ思う今日この頃!
なのに、今日はみんな、いつもより短め少なめ、なぜだろう…?

御讃題は、善導大師のお言葉より、
一には決定して、深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこの方、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して、深く、彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受して、疑いなく、慮りなく、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず。

御法話のテーマ “二種深信” については、先月の講習会でG先生からお聞かせいただいたが、あの時は出鼻から置いてきぼりを喰らってしまい、苦手意識が芽生えてしまったので、小さな不安を感じながら法座に臨んだ為、何を聞かれてもなかなか声に出せなかった。
でも、講習会で躓いた“三心”のお話しから丁寧に説いてくださって、御法話はとてもわかりやすく、教学的ではない聞き方、「先生が私に一番仰りたいことは何なのかな~ぁ」という聞き方をしようという余裕があったように思う。

まず、一見、自力のような『観無量寿経』の三心も、『大無量寿経』と同じ他力による三心であり、その三つの心は、深心(信楽)という一つの心に収まるということ、また、口で称えるお念仏こそが大事であるということを、初めて善導様の御苦労であきらかにしてくださったのだと教えていただいた。
その深心の中身を開いて、仏様の御本願に遇った人の、他力廻向の信相(信じる人のすがた)を二つに分けて教えてくださったのが“二種深信”であり、これは、知った・覚えたではなく、自分がこの二種深信の心とピッタ~っと一つになるという体験をするまで仏法は聞かんといかんということをお話し下さって、初めて、やっと、講習会のG先生のお話しと重なった。
それまで“二種深信”は、信後の人しか理解できないお話しなんじゃないかな~と思っていたその間違いに気付き、「この“二種深信”こそがものさしなんや」と言われたことに、コクンと頷けたような気がした。

そして、“二種深信”の内容に部分にお話しが移って、まず胸にドキュンと来たのは、「自身は」 という“機の深信”の主体のところだった。
仏法は、「人間は」とか「衆生は」などと聞いている内はわからへん!
仏法は、世間一般の話しとして聞くんではなく、「自分は」と、この「私」のすがたを聞かなあかん、というところに大きく頷いた。
善導様は、この“二種深信”の中に、「自身(私)」を、三世に分けて説かれたと教えていただき、
現在 = 現に是れ、罪悪生死の凡夫、
(私は、今まさに、罪悪を積み重ね、生き死にを繰返している、煩悩まみれの者柄なんだ。)
過去 = 曠劫よりこの方、常に没し、常に流転して、
(私は、無始よりず~~~っと、常に生死の苦海に沈没し、常に迷いを繰返してきた。)
未来 = 出離の縁、あることなし 
(私には、これから先も永遠に、この生死の苦海、この迷いの世界から離れ出るご因縁のそのカケラすら、あることが絶っっっ対に無い!)

これも、今までは信後の人の心だから…、な~んて他人事で聞いていた時には何も感じなかったけれど、何度も何度も、「私は」と読み返す内に、すごいキツイな~と思った。
これを深く信ずる心を廻向されるだなんて・・・・・・ 
逃げるしかないじゃん!
そんな逃げることしか出来ない私を、救う手がかりのまったく無い私を、どこどこまでも追いかけて、「必ず救い摂るぞ」と言われたって、当の私は、「迷惑じゃ!」、「信じられん!」としか言えん…
それなのに、「ど~にかしてくれ!」とばかりに、「疑いなく、慮りなく」などの美味しい言葉にはしがみ付きたくて手を伸ばす私…
阿弥陀様の御心を聞かせていただいても、ちっともピンとこない自分に嘆いてみたり、それじゃ~ど~したらと計らってみたりと、横に置いといたはずの自分の心の中に、いつの間にかドップリと浸かっている私…
今日の御法話では、そんな私を見せていただいた。
そして、「願力 = 仏様の深い深い願い(人間に生まれてきた本当の意味にめざめてもらいたいという願い)が力となって私に届く御法である」と聞かせていただいて、「あぁ、私の願いなんじゃなく、仏様の願いなんだな~ぁ」と聞かせていただいた。

御法座の後は、楽しい楽しい懇親会[ビール]  これで元気を回復したなっちゃん[黒ハート]
そして今日は、懇親会の後に時間が余っちゃったんで、YuさんとNKさんを誘ってミスド懇親会をした。[手(チョキ)]
これが結構グッときた。
いただいたプリントの“二種深信”の御文を前に、あ~だ、こ~だと雑談をしているうちに、“二種深信”って第十八願そのものじゃん[exclamation] 仏願の生起本末じゃん[exclamation] って所にピントがピッタと合った感覚がした。

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ガーデニング [随筆日記]

2739866今日は、行く予定にしていた法座にはやっぱり行かず…(^.^ゞ、久しぶりにガーデニングに勤しんだ!

今年は財布の中身も寂しくて、なかなか園芸費にまで手が回らないとあきらめていたが、思いがけず夫から¥3,000のおこづかいをもらったので、これを足しにして隣町の大きな農園へ行き、花の苗をたくさん買い込んだ。
セット売りのまとめ買いでペチュニアやマリーゴールドなどを100株ほど購入して、自宅の花壇に絵を描くように植えていくと、やっと我が家のガーデンも春らしい装いになった!

今日はのどかだな~ぁ[かわいい]

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本派三河別院の報恩講&灌仏会 [心]

2735798先日、偶然に立ち寄った本派三河別院の関係者の方に「遊びにおいで」と誘われて、報恩講&灌仏会の行事にヒョッコリ飛び入り参加させていただいた。
こ~ゆ~大きな寺院の法座に出させてもらうのは初めてだった為、ちょっとドキドキしながらも、開始の30分ほど前に三河別院へ到着。
別院では、男性陣が会場の飾り付けに慌ただしく動きまわっているその横で、女性陣は本堂の片隅に設けられた余剰品バザーの物色で賑わっていた。
みんなから、「あんたどなた?」という視線を向けられはするものの、誰も何も声をかけてくれないので、居心地が悪いな~と思いながらも、私は本堂に設けられた一番後ろの椅子席に遠慮がちに腰をおろした。
10時になって鐘が鳴らされ、順次、僧侶の方々が御仏前に座される中、本堂の片隅で受付けが始まった。
そしてお勤めが始まってもなお、受付けに並ぶおばあちゃんたちのおしゃべりは止まらず、これにとっても違和感を感じながらも、初めて耳にする節で『正信偈』のお勤めに参加させてもらった。
お勤めが終わる頃ようやく受付も落ち着いたので、私も受付に行って、「初めて参加させていただくのですが、受付は必要ですか?」と尋ねると、ただ一言「要らんです」と言われて、用意してきた懇志も受け取られなかった。

お勤めの後、開会の宣言がなされて、いよいよ玄好寺・山科知瑞布教師の御法話が始まった。
しかし、「強い信念に生きることが大切」とか、「罪深き女人がどのように子育てに携わるか」など、取り留めの無いお話しにチョット幻滅しながらも、「今、阿弥陀様は、私に何を言っておられるのかな~ぁ」などと考えながら、初めの内はただぼんやりと聞いていたが、しばらくして法話のテーマが一つに定まってきた。 
それは川村官房長官の母で、元々敬虔なクリスチャンであったインテリジェンスな川村とし子さんと、その姑で平凡・無学な農婦の川村ふでさんのお話であった。

嫁いでからもキリスト教一筋のとし子さんであったが、愚痴一つこぼさずいつも穏やかな姑・ふでさんが喜んでおられる浄土真宗の教えとは何ぞやという疑問から、『歎異抄』三章の悪人正機説と出会ったことをきっかけに、やがて改宗されたというストーリーの中から抜粋しながらお話ししてくださった。
布教師さんと私とでは観点が少々ずれてはいたものの、私なりに聞かせていただいたことで一番心に残ったことは、ふでさんが独り言で、「顔も言葉も人に向けるものだから、気をつけないかんの~」と言われたその言葉を、布教師さんは道徳的見地から説かれたが、私は、ふでさんは他者に写る自分の姿を見せてもらっていたんじゃないかな~と聞かせていただいた。
そんなこんなで、すべてが一本違うんじゃないかな~ぁなんて、頭を垂れて聞けんでも、やっぱり自分に届けられている大嫌いの南無阿弥陀仏を称えたくなってきて小さな声で「なまんだぶつ」とつぶやいた。

午前の前半の御法話が終わって、後半の御法話は七高僧の中の源信僧都のお話であった。
源信僧都の略歴や、『往生要集』の概略、横川法語の一節などが記されたプリントを配ってくださったほか、カラーコピーされた数種類の弥陀来迎図や地獄絵図を使った御法話はとても取っ掛かり易くて興味を誘われた。

2735799午前中の行事が終了した後は、図々しくもお斎(おとき)をごちそうになった。
おばさんたちが作ってくれたシンプルな散らし寿司だったが、そのお米の一粒一粒まで、何だかとっても有り難くって、こんな食事は初めてだな~と感じたら、ついうっかり涙が出てきた。[もうやだ~(悲しい顔)]
隣りのおばさんに、「私、初めてなんです~」とだけ短く言い訳をすると、「緊張せんでえ~で~! 誰だって、何だって、始めてはあるもんだでね!」と自分勝手に解釈して慰めてくれた。

お昼休みは、見知らぬおばちゃんやおじちゃんたちと、お釈迦様の花御堂を囲んで甘茶をいただいたが、これがムチャクチャ不味くて、マジに吐きそうになった。 うぅぅ、苦行だ~ぁ!!
その後は世間談義しか耳に入ってこなかったので座を立ち、チラシコーナーで『一味』という小冊子をもらって、一人、席に戻って読みふけっていると、妙好人・庄松さんのお話が載っていたページにさしかかり…
その中に、字の読めない庄松さんが、「『大無量寿経』を読め」 と意地悪を言われたが、ためらうことなく経典を手にして、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよ」 と読まれたというお話しを読んで、知っている逸話であったはずなのに、初めて聞いたようなその一文に、また涙がこぼれてしまい、[もうやだ~(悲しい顔)] 誤魔化すのに一芝居を要すこととなった。

1時半、鐘と音と同時にお勤めが始まったが、大半の人にとっては他人事のようであった。
御法話は午前に引き続いて源信僧都の『往生要集』のお話をいただいた。
そこで阿鼻(無間)地獄のお話しをしながら一枚の地獄絵を見せていただいた中に、「8万4千の蛇と、4匹の銅狗(地獄の犬)が、口や毛穴から火を吹いて・・・」というお話しをいただいて、なぜ我が家の犬が四匹になってしまったのか[犬]が、わったような気がした。

この後も御法話はあっちこっちと散乱しつつも、再び川村ふでさんのお話をされた中で、グッときたのは、ふでさんが孫の建(たけ)ちゃん(官房長官)に、「建ちゃんや。 ばあちゃんは隣の部屋におるで、建ちゃんはこの仏間から襖を隔てたばあちゃんに向かって、こう言ってくれ…」 と、お願いをした。
そして建ちゃんは快くこれを引き受け、ふでさんがまだかまだかと待つ中、こう呼びかけた。
「 ふでや~、 そのまま来いよ~、 待っておるぞ~ 、間違わさんぞ~ 」 と・・・・・
その声は、孫の建ちゃんの声ではなく、阿弥陀様の声だった、と・・・・・
・・・・・ 何だか言葉を失った・・・・・

布教師さんの説かれる言葉の中には、布教師さん自身の様々な不安が見え隠れして、他人事ではない自分自身を見せていただいたような気がした。
そして最後に教えてくださった、「風は見えねど、風の姿はなびく草の上に見ゆ」という言葉に、
「そ~やね~、阿弥陀様の姿は見えんけど、阿弥陀さまのお働きは、時折、風のように感じることは出来る。
でも私はその風を、当たり前の如く受け流すことしか出来ん…[台風] ザルやな~ぁ」と聞かせていただいた。

御法座の最後には恩徳讃を全員で歌ったのだが、今日、三回目の涙が溢れてきた。[もうやだ~(悲しい顔)]
初めての御法座体験であったが、本当に御恩徳というのが感じられた。
でも、自由に泣けへんし[もうやだ~(悲しい顔)]、念仏も遠慮せなあかんのは[ふらふら] 酷やったな~ぁ

おさがりで頂いたフルーツキャンディーも含めて、本当に有り難うございました。[黒ハート]

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お花見2009 奈良吉野村の千本桜 [随筆日記]

今年最後(?)… いや… 今生最後(?)となるかもしれないお花見に行ってきた。
行き先は、奈良県吉野村の千本桜。
半月ほど前 Dear BOSSに、「私をDriveに連れてって[車(セダン)]」な~んて、何かのタイトルのような台詞を口にしたらその希望を叶えてくれて今回の 1 day trip が実現した。
行き先は、桜が大好きな私に合わせてDear BOSSが “吉野の千本桜” に決めてくれたのだが、これには何だか不思議な縁(えにし)を感じた・・・・・

2735365 お互い気楽な旅にしよ~ぉと言うことで、初めての日帰りBus tourに申し込み、吉野までのんびりとしたバスの旅を楽しむことになった。
早朝5時起床の6時出発と、ちょっとハードな朝になったが、バスに乗ってしまえば気楽なもので、おしゃべり三昧をする内にアッという間に吉野に着いてしまった。
でも、時間は正午近くになっており、吉野での滞在時間はたったの3時間と限定されて、私たちは足早に上千本へと急いだ。

吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場で修行道大峯奥駈道の北の入口となっている。
そして桜の名所として名高い吉野の桜は、7世紀頃、修験道の開祖・役行者(役小角:えんのおづぬ)が、仏様が権(かり)の姿で現れた神(化身)としての金剛蔵王権現(釈迦・観音・弥勒の三尊合体の権現)を造像した時、その姿を吉野のヤマザクラの木で刻みお祀りしたことに始まって、以来、花見のためにではなく、蔵王権現や役行者を信仰する証として、信者らの献木により植え続けられた結果、現在の花の吉野となったのだと言われている。
その吉野山には、シロヤマザクラを中心に、約200種、30,000万本の桜が尾根から谷へと山全体を埋め尽くし、下千本 → 中千本 → 上千本 → 奧千本 へと、約1ヶ月をかけて咲き上がっていく為、約一ヶ月にわたって桜の花見を楽しむことが出来る。

2735366私たちが出かけたのは4月16日、 既に下千本の桜は青葉に変わり、中千本では八重桜が満開をむかえていたが、上千本では散り際のヤマザクラが見られるということで、せっかくだから行ける所まで行こうと目標を奧千本に定めて歩き始めた。
吉野山観光駐車場でバスを降ろされ、早々に歩みを進めて竹林院近くのバス停まで30分ほどで到着したが、ここから上千本の金峰神社までは、急な上り坂を3km(1時間~1時間半)も登り続けねばならないということで、上り坂の苦手な私は先行きに不安を感じて、文明の力・ケーブルバスを利用することにした。
しかし、ピストン輸送のケーブルバスも1時間20分待ちであるとのこと…、 
これでは集合時間に間に合わないのであきらめざるを得ず、再び、「行ける所まで歩こう!」ということになって歩き出したのであったが…
なにせ相手は急勾配の上り坂… 後ろへ、後ろへと身体が引き戻され、なかなか前へと進めない(^.^ゞ
足にマメが出来始めたのか足裏にプクッとした痛みも出てきて、「も~ダメ…!」とGroggy out !(^_^;)!
残念だが、急ぎ足で駆け登ってきた道を、のんびり、ゆっくり、ふらりふらりと戻ることにした。

所々で桜の花や軒を連ねた店々をカメラに収めながら金峯山寺(きんぷせんじ)まで戻る。
結婚前までは毎年訪れていたこの場所に十数年ぶりに立った。
以前感じていた「人恋しさ」や「空虚」といった感覚は今は無く、ただ懐かしさだけがあたたく迎えてくれた。

中学の時、歴史の授業で飛鳥時代を学んでから、私の中では日本史の授業は飛鳥・奈良時代で完全にSTOPしてしまった位にこの時代へ惹き込まれていった。
その頃読んだ歴史本の中で、特に興味を持ったのが役小角で、周りの友達がテレビタレントやアイドルを夢に見る中、私の夢の中には見たことも会ったことも無いが、役小角が現れた。(なぜかそう確信しているだけなのだが…)

高校生になっても奈良への憧れは止まず、ますます興味を持って歴史・文学書を読みあさり、大学への進学が早くに決まっていた為、暇な高3の冬にとうとう初めての一人旅を決行した。
行き先は奈良・飛鳥の里。 宿は母が民宿を予約してくれて前金で精算済みという、親の手を借りた一人旅だったが、この時から一人旅、そして奈良の虜となってしまった私は、その数ヵ月後の春には二度目の一人旅に旅立ち、再び奈良を訪れることになって、この時訪問したのが、ここ吉野山の金峯山寺であった。

この他にも、自分の名の由来となった土地である等々の諸々の縁・繋がりを奈良には感じていたので、今回、久しぶりに訪れることになった奈良行きの1 day tripには、とても感慨深いものを感じた。
なので、山を覆うような桜の花々は見られずとも、この日は私にとって、とっても大切な一日となり、心には満開の桜が咲きっぱなしの一日であった。

早めにU-ターンをしてしまった為、集合時間まではまだ間があったので、見晴らしのよいCaféでCoffee Time。
このまま時間が止まってくれたならば…、と思うほど、切なく穏やかなひと時は無常にも過ぎ去り、帰りのバスに乗る。
バスに乗ると青かった空は厚い雲で覆われ、どんよりとした重っ苦しい雲行きになったが、車中でのおしゃべりはとても楽しく、帰路は4時間近く絶えることのない会話の花のお花見でENJOY![かわいい]

Tourを終え、夕食にはチーズフォンデュとイタリアンをいただいたが、私としたことが何だか胸いっぱいであまりたくさんは食べられなかった。
でも、それくらい楽しい一日であった[黒ハート]   THANK YOU SO MUCH[ぴかぴか(新しい)]

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片思いの包容 [仏法]

先週末の法座の集いではいくつもの初体験があった。
まずは定員制であったこと。 少人数制であるという安心感と、半面どんな顔ぶれになるのかという不安感が同居したが、この不安感についてはそろったメンバーを見て逆に安心感へと変わった。
しかし、御法話の無い法座であること。 それ故に「受身ではない法座を!」との主旨説明があったが、それがどのようなものであるのか検討もつかずに緊張ばかりが高まっていった。

参加の数日前、前回の法座の集いを振り返られたS先生のBlogを読ませていただいたが、どのようなスタイルであるのかは要領を得ず、ただ漠然とS先生のグループに入ろうということだけは心に決めて参加した。
しかし、驚いたことにこの法座は、「自分自身がそのスタイルを作り出していく法座である」ということで、まったくの未経験者である私はど~したらよいのかまったくわからず…、
ただアタフタとしているままにグループ分けが進められ、成り行き任せの私は流されるままに一つのグループに落ち着いて、これも阿弥陀様のお導きと受け入れたもののS先生のグループには入れず、でも、私の希望の半分は満たされたグループだった。
しかし最終的にブループ分けは難航し、重たい荷物を背負わされた形でUMさんが行き場を見失ってしまわれた。
私としてはUMさんに同じグループに入って欲しいと思ったが、UMさんがそれを望んでいないことを遠まわしに聞いていたので、正直すぐには足が動かなかったが、片思いでも私の希望を伝えるとUMさんはこれを快く承知してくれて、私の希望は叶って三姉さんと共にこの法座に参加することが出来て、これは本当に嬉しかった。

初回の法座では、少しの緊張と初めて味わう安堵感の中で、アッという間に法座は終了してしまい、その後の懇親会に持ち越す形で、私はUMさんにくっついて御法を聞かせていただいた。

何を聞いていた時だったか覚えてはいない。
でも、UMさんが私の肩を抱き寄せて包み込んでくれた時、ほんの少しの緊張の後に、ものすごくあたたかい気持ちになって、UMさんが耳元で、「どんななっちゃんだって阿弥陀様はず~っと昔から、こ~やってなっちゃんを抱きしめてくれているんだよ」と囁いてくれた言葉に、涙が溢れ出して止まらなくなった…
UMさんの腕の中にいながら、阿弥陀様に包まれているみたいで・・・・・

いつも遠くに追いやっていた阿弥陀様が、本当はいつも包んでくれていたんだって感じた。
阿弥陀様は、ずっとず~っと片思いのまま私を抱きしめていてくれていたんだって感じた。

この時UMさんに心の内を聞かれたけど答えることが出来なかったのは、私の中で不安の灯火が消えることなく揺らめいていたから・・・
でも、UMさんとKYさんに、「感じることが大切なんだ」って言われて、とても安心できた。

何も考えたくなかった…、 ただ感じていたかった…、 あの包容のあたたかさを…

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Positive thinking と Negative thinking [心]

今にして思えば、幼い頃から徐々に形成されてきた性格に加え、小学生の時に起こったある出来事をきっかけにして自分の心に鍵をかけ、いつの間にかその扉も鍵も見失ってしまった私。
しかし、三十数余年の歳月をかけてその扉を埋めて隠して忘れ去っていた私の前に現れたその人は、「君には開けなければならない扉がある」と言いながら、半年前、私にその扉を開ける鍵を手渡そうとした。
でも私は、怖くて、怖くて、その鍵を受け取ることが出来なかった。
そして今も、鍵はその人の手の中にある。
だけど、私が隠した扉の上に分厚くかけられた砂は、今はきれいに取り払われて、私が開けることの出来ない(開けたくない)扉のその存在だけはハッキリと目にすることが出来る。

先日、私のことを、「なっちゃんは、Positive Thinking(プラス思考)だから羨ましい。 自分はNegative Thinking(マイナス思考)の人間だからとても真似できない…」と言った人があった。
そ~かな~? 確かに、他人からはそう見えるのかもれない。
半年前までは、自分でも自分に騙されて、私はPositive Thinking(プラス思考)なんだって思っていたくらいだものね!
でも本当は私って、Negative Thinking(マイナス思考)の塊なんだって、私の扉の鍵を持っているその人に言われたことで、私自身が気付いちゃったんだ…。

自分の存在否定・・・・・
鍵を持っているその人から見た私は、今にも切れそうな綱の上を歩いているように見えるって言われて、私自身、それを容易に想像することができちゃった・・・・・
私はいつだって死にたがってる…。
私は生きていちゃいけない…、 私が存在すること自体が罪なんだ…
いつだって行き着く答えは「死」だった・・・・・
私は、そんなNegative Thinking(物事を悲観的な方向に傾斜した考え方)を扉のむこうに押し込め、知らん顔してPositive Thinking(物事を肯定的な方向に傾斜した考え方)をサラッと演じながら、これこそが私なんだと思い込もうと必死に生きてきたのかもしれない・・・・・
おかげで無意識の内にNegative Thinkingな私でいられる時間は延びたけど、御法の上ではこれが邪魔物だというのだから厄介だ!

そんな訳で時々鍵を持つその人が意地悪をして私の扉をこじ開けようとするが、私だって負けてはいない、それを楽しみながらも逃げる術は身につけたつもり?だ。
有り難くも逃げさせて頂くのが私のお仕事♪と、やはりPositive Thinkingで幸せを探し求める私なのである。

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順おじいちゃんと発芽玄米 [仏法]

先週末の法座の集いの中で、妙~に心に残っているのが、順おじいちゃんが話してくれた発芽玄米のお話だ。
おじいちゃんが暇つぶしと健康のために発芽玄米を育て始めて、その時に感じたことをお話してくださったShort Short Story

乾燥した玄米にね、水を加えて置いておくだけで数日後には小さな芽が出てくる。
その発芽した玄米を見ていたらね、“あぁ~、玄米だって、お米だって、その一粒一粒が生きているんだな~”って感じたんだ…

おじいちゃんのその短いお話は、私の心に深く深く染み込んで、いろんなことを知らされた。
それを言葉にするとすごく安っぽいものになっちゃうと思うけど、私なりの想いを列記するならば、

「生き物を食らう」ということを罪と戒め、聖道門の人たちや葬儀の席上では、今も生ものをご法度としているところがあるようだが、これを基本として考えた場合、肉や魚を食らうことは罪であっても、豆や野菜を食らうことは罪ではない、ということになってしまう。
私自身、御法話の中で、「このお肉は私が生きる為・食べる為に犠牲にした命で、因果応報、今度は私が食べられなあかん。
私がさばいた魚のように、因果応報、今度は私がまな板の上で頭を切り落とされてさばかれなあかん。」
と聞かせてもらって、殺された動物たちの気持ちを想像しながら、「嫌じゃ、怖い」と思うことはあっても、殺した植物たちの命まで考えたことなどなかった。
例えばコンビニでおにぎりを買う時など、「たらこのおにぎりよりも、梅干のおにぎりの方が殺す命は少ないのだから罪は軽い?」な~んていうバカな思いが涌き出て来たことがあったが、米粒一つ、海苔一枚の命のことなんて思いもよらなかった。
だから、おじいちゃんの、「お米だって、その一粒一粒が生きているんだな~」という言葉が、心にグサッときた。

以前、S先生が御法話の中で有福の善太郎さんのお話をしてくださって、その時教えてくださった善太郎さんの残されたお言葉の一節がまざまざとよみがえった。

     私は、煮られにゃならん、焼かれにゃならん、突かれにゃならん、
     何万劫も、この私は、苦しみ受けて かなわんのこの私なれども、
     ここに阿弥陀如来の、助けてやろう、救うてやろうのお慈悲 ・・・

私は、日々、他の命を食ろうて食らい続けなければ生きてはゆけない。
この私ひとつの命を生かすために、私はいったい幾つの命を奪い続けねばならないのだろう。
それを悪とも罪とも思わんで、私が思うことはただ、因果応報と教えられてこの報いを受けるのは嫌だ・怖いと言うばかり…
なぜ、そ~までして私は生きるのか
なぜ、こんなことが私には許されているのか
今まで考えてもみなかったことが知らされて、その先にあるのはやっぱり阿弥陀様の御慈悲でしかないと、私はそう聞かせていただいた。

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今は、ただ感じていたい… [心]

今日は、夫が 「釣りに行くので一緒に海へ行かないか」と誘ってくれたので、久しぶりに同行する。
もっとも私は釣りをするわけではないので、ノートパソコンと読みかけの本を持って車に乗り込んだ。
行き先は未定・・・  こんなことはめったにないが、今日は夫任せで海へと出発[車(RV)]

もともと、海派の夫 VS 山派の私 、 それに、行き当たりバッタリ派の夫 VS キッチリ計画派の私なので、今日のようなお出かけは始めてかもしれない?!

車で1時間ほど走った所で、オープンしたばかりのshopping Centerを見つけて1時間ほど道草をしてから知多半島の先端へと向かった。
こちらに来るのは久しぶりで、前回来た時のことを思い出してチョットブルーな気持ちになった。
最後に来たのは五年前…  今は亡き母が、かろうじて外出できた頃に、「最後になるかもしれないから海が見たい」という母の希望でこの海岸線をドライブした。
今日のように穏やかであたたかな日だった。

私の記憶の中で母の姿はこんなにも鮮明に生きているのに、でも、もう母はいない…
「私にとっての母の死」とは、永遠の別れだった。 
でも、「母にとっての母の死」とは何だったのだろうか…  そして、「私にとって私の死」とはいったい何なのだろう…
そんなことを考えようとして…、でも、考えることはすぐにやめた…
昨日の法座の集いでUMさんが何度も何度も言ってくれた、「でも、死ぬんやで!」という言葉が、また耳元で聞こえたから…。

海辺に着いて車を停め、久しぶりに潮風を浴びながら、来る途中で購入したお弁当を広げてLaunchTime。
その後夫は釣りへ、私は昨日の記憶をパソコンに書き写すなどして午後のひと時を海辺でのんびりと過ごした。

夜、帰宅してすぐに夫はバレーボールの練習に行ってしまったので、私は再びパソコンに向かってメールの整理などをしていると、Yuさんからキツ~イ一言メールが届いた…(^^ゞ
「どこを見ている? 何が欲しい?」って・・・
私は反発する心そのままにメールを返した。
「どこを見ているのか? 何を求めているのか? そんなことを聞かれても、それでひねり出した答えなんて自分自身が作り出した産物でしかない!」と…
自分の見ているもの、自分が求めているものを表現する為の言葉を、自分の中から探し出すことに意味があるのかな~?って思ったから…

眠れずに過ごした法座の集いの夜に、布団の中でこんなことに気が付いた。
「この先どうしたいのか、どうなりたいのかを探し求めたって、まったく意味が無いじゃん! それよりも、今ど~なんかが大切なんだ。 だからMRさんは、「今、ど~なん?」ってよく聞いて下さるんだ!」って。
でもね、それを言葉にしようとすると頭が働いちゃう。
「今、ど~なん?」、「今、何を見ている?」、「今、何を求めている?」、
それらを言葉で表現する為に自分自身に探りを入れるよりも、私はただ感じていたいだけなのに・・・と思った。

でも、Yuさんのメールで、阿弥陀様は私の中にもいてくださるんだな~って感じられて、すっっっごく[黒ハート]有り難かった。
まだまだ全然書き足りないけど、この眠気には勝てない・・・(^_^;)[眠い(睡眠)]

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ダブルブッキング [随筆日記]

先週の金曜日から、三日間の日程で催された陶房の作品展 “一器一会” も今日が最終日。
今日は片付け仕事の後、ご苦労様会もあったが、私は昨日・今日とこの作品展に参加することができず、残念でもあり、メンバーには負担をかけることとなり申し訳なかった。
今年は例年よりも盛況だったとのことだが、景気悪化のあおりを受けて、値下げをしても財布の紐はきつかった…、とのメールをもらった。

たまたま予定が重なって、昨日・今日の二日間は、浄土真宗の法座の集いが催されていて、自分の中でこれを欠かすことは絶対に出来ないので、陶房の先生には頭を下げて法座の方へ参加させていただく身となった。

この二日間の聞法は、私にとって実に身のあるものだったが、これは後日記載しよう…
昨夜は全く眠れなかったので、今は目が開けていられない状態なので・・・・・
ふわ~~~ぁ

明日から陶芸作品展 [随筆日記]

昨日の昼間に、明日から始まる陶芸作品展で販売用に出品する作品の写真撮りをして、昨夜パソコンにデータをおとしたら、デジカメのバッテリー交換をしたより前の写真がすべて消えていた…[がく~(落胆した顔)]
「嘘でしょ?!?!?! なんで?!?!?! こんなことってある?!?!?!」
・・・・・  ただ呆然とするばかり…   ガックリである… [もうやだ~(悲しい顔)]
とりあえず、写真撮りの完了した作品だけは昨夜の内に値札を付けて梱包したが、今朝は早朝から再び写真撮りをして、値をつけ、梱包してと、チョット慌ただしかった。

展示用の作品もほぼ決まり、昼過ぎになってようやく一息ついた。

午後からは陶房へ行き先生のお手伝いをして、このあと、車いっぱいに作品を詰め込んで運搬、搬入、会場の設営と大忙しで、アッという間に今日という日が過ぎ去り、帰宅したのは夜の9時を過ぎていた。

出展作品は迷いに迷った挙句、今回は小さな作品をいくつか出品することにした。
何のことはない…、結局最後の窯開けが間に合わなかったのである…

今となっては、展示用の作品よりも、販売用の作品が一つでも多く売れることを願うばかりであるが、昨夜・今朝と二日がかりで付けた値段が安すぎるとの指摘を受けて、結局、今日、会場で全部値段を付け直すハメに・・・[ふらふら]
値段を上げて僅かばかりの売り上げを伸ばすよりも、値段を下げて一つでも多くの作品を売りたいと私は思っているのだが、陶房として開催する以上は、個人プレーはご法度とのこと… 
納得はするけど、トホホ…である。

今日はもう一つ、トホホ…な出来事があった。
作品展の準備をする際、女性陣が作品の搬入や会場のセッティングなどの力仕事で奮闘しているその傍らで、男性陣がおしゃべりに熱中していたことが、ず~~~っと気になっていて、手も足もたりなくなってしまった時についつい口が出てしまい、[ちっ(怒った顔)]「男の人も展示台の運搬、手伝って下さい!」とイライラの直球ボールを投げてしまった。
みんな素直にやってくれたけど、自分としてはトホホ…な発言であった・・・

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灌仏会 (花まつり) [随筆日記]

旧暦の4月8日は、お釈迦様がお生まれになられた日であると伝えられている。

お釈迦様の御誕生を祝う行事が灌仏会(かんぶつえ)であり、通称、花祭り(はなまつり)として知られ、この他にも、降誕会(ごうたんえ)、龍華会(りゅうげえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、などの別名もある。

2706009左の写真は、ネパール・ルンビニのお釈迦様がお生まれになった場所に建てられた遺跡である。
(詳細は、 http://namuamidabutsu.blog.so-net.ne.jp/2009-03-02 )

お釈迦様がルンビニ園の花園でお生まれになられた時、その御誕生を喜ばれた龍王が天から飛来して甘露・香湯(ソーマ、アムリタ)の雨を降り灌ぎ、これを産湯とされたという故事にちなんで伝えられた行事が灌仏会であり、日本では推古天皇の時代(606年頃)に始まったとされている。

子供の頃、私はこの花まつりの行事が好きだった。
但し、仏教的な意味ではなく、ただ単にお菓子がもらえるからという理由からである。

母方の曾おじいちゃんがお寺の出身だということもあって、何故かは知らないが、当時羽振りのよかったおじいちゃんが、自宅の横にお寺を建ててしまったそうな…。
でも、お寺と言っても住職がいるわけではなく、特に宗派には囚われず、地域の集会場のような感覚で建てたそうで、町内の寄り合いや、子ども会の行事、葬式など、多種多様に町内の人たちに開放していた。
祖父亡き今は、町内の人が交代で管理をしており、古くはなったが今も現役の庵である。

私の実家は、その庵の境内の一角をおじいちゃんから譲り受けて両親が家を建てた訳で、庵の境内に家があるのか、家の庭に庵があるのか、といったところだ。

その庵で、毎年花まつりの行事が催され、本堂の中央には花御堂(はなみどう)が設置され、その色とりどりの花々で飾り付けられた花御堂の中に灌仏桶を置いて、甘露の代わりに甘茶を注ぎ、その中央に安置したお釈迦様の像に柄杓で甘茶をかけてお釈迦様の御誕生を祝う。
当時の私は、花まつりの意味も、お釈迦様も、何も知らずに参加していたが、ただ仏様の行事であることだけは何となくわかっていた。
なぜならば、花まつりの日は、町内の仏壇のある家々を訪問して、その家の仏壇に向かって合掌するとお菓子をいただけるので、この日ばかりはお仏壇が有り難く感じられたものだ。
穏やかな春の日差しの下で、袋いっぱいに詰め込んだお菓子をほおばりながら、花々で彩られた花御堂を眺めていたあの頃の光景が、今も鮮明に思い出される。

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浄土真宗 三河別院 [随筆日記]

先週末、岡崎さくら祭り見物の前と後に、浄土真宗の三河別院へ参拝した。

お花見に行く前に訪れたのは、大谷派三河別院(お東)。
国道一号線より2本北に別院通りと呼ばれる道があり、その通りに面して建つ大谷派三河別院は、この近辺で一番の面積を誇るのではないだろうか…? とても立派な本門が視界に入った。

実は今回、計画的に別院へお参りに来た訳ではない。
ネタをバラせば、トイレを探してウロチョロしていた訳でして… (^^ゞ  
しかし見渡せどもコンビニエンスは見当たらず…
この時目に付いたのが寺院らしき立派な塀と鐘楼だった。
お寺ならトイレがあるぞ!と入り口まで行くと、正門前にそそり立った石柱に、「真宗大谷派 三河別院」と彫られた文字を見て、「へ~ぇ、ここが!」 ということでその門をくぐって、…トイレへ行ったわけである。

2705494境内に設置された立派なトイレを拝借してスッキリしたところで、「せっかくだから阿弥陀様にご挨拶でもして行こう!」と思い立って本堂へと上がった。

誰もいない、ひっそりと静まり返った本堂で、少し遠慮気味に「なまんだぶつ、なまんだぶつ…」と称えると、二つの心が湧いてきた。
「阿弥陀さんはすごいな~、ホントに私を引っ張って、引き寄せて、付きまとっておられるんだなぁ~。
今日、ここで、‘なまんだぶつ’が出てくるなんて予想もしてなかった…、有り難いなぁ~」 という心と、
「自分の口から出てくる念仏が、ど~しても好きになれん…
‘この汚い口から飛び出す念仏が私に耳に届くなんて、何て有り難い!’ な~んて、思えへん…
だからブツブツっとしか‘なまんだぶつ’が言えんの…」 という心。
相反する自分の心と、目の前の阿弥陀様の像をただボーっと眺めていたら、事務所の方からおじいちゃんが出て来て、「寒かろ~でストーブ付けたるわな~ぁ」と言って石油ストーブに火を入れてくれた。
そんなに寒くはなかったけど、ストーブの近くに行っておじいちゃんと言葉をかわす。
「御本尊の阿弥陀様像は随分古そうだけど、いつ頃のものなの?」
「さ~ぁ、ワシではよ~わからんでの~ぉ。 これにおおよそのことは書いてあると思うが、ワシは読んだことがない」 と言いながらこの別院のチラシを一枚手渡してくれた。
そのチラシに目を通しながら確認形式でおじいちゃんとの会話をまとめると以下のようになった。
1889年(明治22年)に第21世本願寺法主・嚴如上人が三河国に訪れ、赤羽別院(幡豆郡一色)と暮戸会所(岡崎)を統廃合して三河別院にするという通達を出したが、地元門徒から撤廃の反対を受けた為、代わりに翌1890年(明治23年)に丹後峯山別院の御本尊を移して新たに建てられたのがここ三河別院の起源とされている。

しかし、1945年(昭和20年)の太平洋戦争の時に、岡崎地区一帯は空襲によって焼け野原となり、この時伽藍も焼失してしまったが、御本尊は門前の門徒さんたちの機転によって守られたとのことであった。
つまり私が質問した御本尊の阿弥陀様像は、丹後峯山別院の起源まで遡らなければわからないほど古いものだということはわかった。

そして戦後20年を経て1965年(昭和40年)から復興工事が始まり、5年の歳月をかけて現在のかたちに再建されたとのことであった。

この後おじいちゃんに、奥の書院や庭園などを案内していただいた。
しかし、チョット驚いちゃったのは、
「こちらには何人くらいの僧侶の方がお勤めをされているんですか?」と聞いたところ
「今は10人の門跡さんが朝晩修行されていますよ」と聞いて、「門跡」? 「修行」? とビックリした!(◎o◎)! が、聞き流すことにした(^.^ゞ

そして、お花見の後に参拝したのが、本派三河別院(お西)

2705493こちらも計画的にお参りに来た訳ではなく、ネタをバラせば、花見を終えて駐車場まで戻ってきた時に、たまたま駐車場の目の前にあった不思議な形状をした建物が気になって門前の石柱を見てみたら、「本派 三河別院」と彫られてあったので、「へ~ぇ、ここが!」 という訳でその門をくぐった次第である。
そこで、「せっかくだから阿弥陀様にご挨拶を!」と思って本堂に入ろうとしたが、鍵がかかっていて中に入れない…

「浄土真宗のお寺は、どなた様でもお参りが出来るように、門には敷居などの段差を設けず、日中はお堂の錠も外して、誰でも阿弥陀さんを拝めるようにしてあるんですよ」
と、以前、浄土真宗の僧侶から聞いていたので、浄土真宗のお寺を見つける度に本堂へ上がらせて頂く習性になっていたが、時々、進入禁止のお寺もある。
しかし、ここは別院だし、「そりゃないよ~ぉ」と大きな声で愚痴ったら、本堂の隣りの建物から、「今、開けま~す」との声がした。
そして中から出てきた初老のおばあちゃんに本堂の鍵を開けてもらって、阿弥陀様の前に座し、またボソボソっと「なまんだぶつ」を称えさせて頂く。
そしてまた、おばあちゃんに2,3質問をしたけれど、やっぱり、「さ~ぁ、わたしじゃわからんね~」と予想通りの返事をもらう。

おばあちゃんの話しと頂戴したここのチラシをまとめると、本願寺三河別院は、1886年(明治19年)に岡崎説教所として設立されたのが起源で、本派三河別院に昇格したのは1918年(大正7年)のこと。
その後、やはり1945年(昭和20年)の岡崎空襲の際に建物は全焼してしまい、バラック小屋の仮本堂を建てて、そこに戦火で家を失った門徒らが共同生活していたそうで、話しをしてくれたおばあちゃんも3年間下宿されたそうだ。
1953年(昭和28年)にようやく本堂が再建されるも、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風によって再び本堂は大破し、現在の建物は、翌1960年(昭和35年)に再建されたものだそうだ。
その本堂の形状がお寺らしからぬ外観で、チラシによるとインド風の建物ということだが、一見、さびれた新興宗教の建物の様にも見え、なぜインド風なのかはおばあちゃんにもわからないとのことだった。
本派三河別院には僧侶の方はおらず、行事がある時だけ近くの本派の寺から僧侶が出張されるのだとか。
大谷派三河別院との格差は歴然で、おばあちゃんは痛くこのことを気にしておられた。

思いがけず両派三河別院を参詣することができて、ただ「南無阿弥陀仏」・・・・・

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お花見2009 東谷山フルーツパーク [随筆日記]

2702085昨日は、三河地方のお花見処を散策したので、今日は、尾張地方のお花見処として、東谷山フルーツパークへお出かけ。
東谷山(ひがしたにやま)と読んでいたが、実は東谷山(とうごくさん)と読むのだと知った!
東谷山(とうごくさん)は、愛知県名古屋市の東北端(守山区)と瀬戸市との境界にある山で、名古屋市内の山としては最も高い山なのだそうだが、標高198mしかない。

東谷山の南西山麓にある東谷山フルーツパークは、農業公園として1980年に開園。
桃、梨、林檎、柿、みかんなどの馴染みのフルーツ畑や、芝生広場、日本庭園、果樹温室などある。

2702084今回、ここ東谷山フルーツパークを訪れたのは、NETで「シダレザクラまつり」のPRを見たのがきっかけで初めて足を運んだわけだが、予想以上によかった
園内には約1,000本のシダレザクラが咲き、こちらはまだ五分咲き程度であったが、シダレザクラ以外にも、ソメイヨシノやヤマザクラなど数種類の桜や、桃類やアーモンドなどの果樹の花も見頃を迎えており、春爛漫の花の世界が広がっていた。
シダレザクラのピークは今週末辺りだと予想される。

そもそも「サクラ」という名の由来は、一般説として「咲く」に複数を表わす「ら」を付け加えたものであると言われているが、春になると里に降りて来る稲(サ)の神が憑依する座(クラ)ということで「サクラ」と言われるようになったという説もある。
「サクラ」とは、バラ科サクラ亜属植物の総称であり、日本では600種以上の品種が自生している。
日本で最もPopularなサクラは江戸末期に自然種のオオシマザクラ(大島桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の混合種として改良されたソメイヨシノ(染井吉野)で、現在ではサクラの代名詞となっている。
ちなみに、ソメイヨシノ(染井吉野)の「染井」とは、江戸時代の江戸染井村(豊島区)という地名からきている。

サクラは日本の春を象徴する花であり、また日本人に最も馴染みの深い花もあり、平安時代以後の日本において、単に「花」といえばサクラのことを指すそうだ。(平安時代以前の「花」は、梅を指す。)

2702086『万葉集』の中にも数々のサクラを詠んだ和歌は多いが、やはり私にとっては、親鸞聖人が、

  明日ありと 思う心の 仇桜
        夜半に嵐の 吹かぬものかは
と、無常をお示しくださったこの歌が、サクラを見る度に思い起こされる。
私は、ど~にも こ~にも 無常を感じられへんな~ぁ…   と…

東谷山フルーツパークの帰り道に、愛知県森林公園に立ち寄った。
全国森林浴100選の森に選ばれているこの森林公園は、428haの広大な園内に約4,000本のサクラが植えられており、数種のサクラを除いてほぼ満開の状態だった。
春休みの最終日とあって園内の芝生広場は親子連れで混み合い、四方に注意を向けながら歩かないと、どこからボールが飛んでくるかわからないほど賑わいをみせていた。

2702087第一駐車場近くの池の周りに人だかりができていたので除いてみたら、そこにはカピバラの姿が!!
日本名は、オニテンジクネズミ(鬼天竺鼠)。
体長1m・体重50kgほどで、ネズミの仲間では最大の大きさを誇る。
草食性だが歯はけっこう鋭く、ネズミと言われればそう見えないこともないが、泳ぐ姿はビーバーにも見えるし、両手で食べ物を持って食べるその姿はとっても愛らしかった!
ここ森林公園では檻の中で飼っているわけではないので、自由に触ることも出来る。

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お花見2009 家康行列 と 岡崎城・桜まつり [随筆日記]

2695798三河国・岡崎城の春の風物詩「桜まつり」のMain Eventとして開催される戦国祭り「家康行列」は、戦乱の世を鎮めて天下を統一した徳川家康公の遺徳をしのぶとともに、三河武士の事績をたたえるため、江戸時代より龍城(たつき)神社の祭礼として伝わる伝統的な行事である。
岡崎城天守閣の横にある龍城神社は、徳川家康を祭神とした岡崎東照宮と、徳川四天王の一人・平八郎忠勝(本多忠勝)を祭神とした映世大明神を合祀し祭った神社で、江戸時代より毎年4月に大名行列の古札を持って神輿で町を練歩くという祭礼があり、これを起源として毎年1,000余名の武者等が、伊賀八幡宮を起点に岡崎城までの3kmを2時間かけて練歩くという時代絵巻「家康行列」が、市の主催で開催されている。

1542年に徳川家康公が誕生した岡崎城は、1455年に三河守護代の西郷弾正左衛門稠頼が築城し、これを1524年に松平清康(家康の祖父)が攻め落として松平家の居城とした城で、別名を龍城ともいう。
竹千代(家康)8歳の時、松平広忠(家康の父)が家臣の謀反によって殺害されたことで岡崎城は今川家の支城として城代が置かれたが、松平元康(家康)19歳の時に、桶狭間の合戦で織田信長によって今川義元が敗死したことで、岡崎城を取り戻して今川家から独立した。
その後、家康が本拠を浜松城に移した為、岡崎城には長男の松平信康が入ったが、信康は謀反の疑いをかけられて自刃させられ、徳川幕府を開いてからは、徳川家譜代大名等が居住するようになった。

1873年(明治6年)の廃城令によって岡崎城は破壊され、現在は本丸と周辺の曲輪や石垣、堀などの遺構を残すのみとなったが、しかし1959(昭和34年)、市民の要望によって天守閣が復元され、その敷地は岡崎公園として整備されて、日本の歴史公園100選、桜の名所100選、日本の都市公園100選に選ばれている。
特に桜の名所として知られ、天守閣を中心に約1,700本の桜が咲き誇り、毎年桜の季節は、多くの人々で賑わう。

以前、岡崎支店に二年間の勤務経験があり、その時 駅から支店まで 岡崎公園内が通勤コースの一部であったため、私にとって岡崎城はとても思い出深い場所である。
しかし、祭り=人混み が苦手であるが故に、「家康行列」は見物したことが無かったが、今年は何となく祭りに行く気になって、何となく岡崎「家康行列」に決めた。
最終候補まで残った静岡「大御所花見行列」は昨日行く予定だったが、その気にならなかったので、来年、機会と気持ちがあれば行こうと思う…。

岡崎市内は大渋滞で予定より遅れて到着したが、会場から遠く離れた岡崎市役所の駐車場所はまだガラ空き状態で、予定通りに駐車することが出来た。
A.M.10:15 さっそくウォーキングを開始!
先ずは大谷派三河別院を訪問して阿弥陀様にご挨拶 (これについては近日中に報告)

2695806市役所から北に1.5kmほど歩いて伊賀川の畔に到着。
伊賀川は昨年8月のゲリラ豪雨によって死者を出してしまったが、普段は水位も低く両川畔には2kmに渡って桜並木が続く静かな小川である。
一方、岡崎公園の南を流れる乙川は言わずと知れた桜の名所であるが、ここ伊賀川の方は隠れた桜の名所であるとの友人情報を頼りに今回初めて訪れた。
700本のソメイヨシノが作る桜のトンネルの中を静かに流れる川面には、いたずら好きな小鳥たちが落とした桜の花がゆらゆらと流れ行き、桜の木々花々の隙間をぬって差し込んだ木漏れ日の中を歩くと、この川の流れのように時間がゆっくりと流れているように感じられる。
ここには露店もないし、人出も少なく、友人の情報通り、とっておきの穴場であった。

桜のトンネルの中でお弁当を食べていると、ボチャン! という大きな音と共に目の前に落ちてきたものは・・・・・  ヒヨドリの運…、ではなくウンチっち  これには要注意[どんっ(衝撃)]

食後に向かった先は伊賀八幡宮である。
ここ伊賀八幡宮、1470年、松平四代親忠が松平家(徳川将軍家の祖)の氏神として家運長久・子孫繁栄を祈願する為、三重県伊賀国から社を移したのが始まりと伝えられる神宮で、「家康行列」の出陣式がとり行われる行列のスタート地点である。
境内は既に数百人の行列体と見物客でごった返しており、人波をかき分けながら奥に進むと、拝殿前には徳川家康をはじめ徳川四天王等が現代式のセレモニーに参加していた。
面白いのは、境内にたむろしていた三河武士たちで、タバコをふかしたり、携帯電話をしたりと、身形が甲冑を身につけた武士姿であるだけに、そのアンバランスさには苦笑した[わーい(嬉しい顔)]

2695797鉄砲隊のPerformanceで出陣式は幕を閉じ、「家康行列」がいよいよSTARTした。
ParadeのCourseが3kmもあるので、観客は道の両サイドに散らばって、沿道から余裕で見物できるのが嬉しい。
「家康行列」の先頭は、江戸より伝わる慣わしにより、神輿と宮司の隊列から始まって、続く時代絵巻隊は、“竹千代”(家康の幼年期)と少年武者列を先頭に、大型車の荷台に乗車したお姫様方が後に続く。
先ずは、“於大の方”(14歳で岡崎城主松平広忠に嫁いだ家康の生母) の車を先頭に、次の車には、“築山御前”(今川義元の姪(瀬名姫or鶴姫)で、家康の正室。
後に信長の命により家康に処刑される) と “亀姫”(家康と築山御前との間に生まれた長女)。
その後には、“千姫”(家康の孫娘。家康の三男・徳川秀忠と正室・江の長女) と “珠姫”(家康の孫娘。家康の三男・徳川秀忠と正室・江の次女) が乗る車が続く。

そしていよいよ三河武士の隊列が登場するが、その先頭は、“水野勝成”(家康の破天荒な従兄弟)。
次に、“岡崎三郎信康”(家康と正室・築山の長男で、織田信長の娘の徳姫と結婚したが、母・築山の嫁イビリに端を発し、信長の命により、父・家康によって処断された)。

この後、徳川四天王を前後に二人づつ配した、主役の徳川家康が登場した。
まず、“井伊直政”(徳川四天王・徳川氏きっての政治家・外交官)。
次に、“本多忠勝”(徳川四天王・本能寺の変の後、堺に滞在していた家康に伊賀越えを行わせた名将)。
この後にメインである “徳川家康” が登場!
そして、“榊原康政”(徳川四天王・幼くして松平元康(家康)に見出され小姓となり、「康」の字は家康より武功を賞されてを与えられたもの)。
最後に、“酒井忠次”(徳川四天王・家康の父・松平広忠に仕え、家康が今川の人質となった時、最高齢者として同行) の一隊が通過して行った。

2695807私たちはゆっくりと行進する「家康行列」を追い越しながら沿道を岡崎城へと向かった。
こちらはやはりすごい人手で、ビックリ仰天である! 思うようになかなか前へ進めない・・・
取り合えず人波をかきわけながら公園を一周して早々に退散し、乙川河川敷に腰をおろした。
乙川の、殿橋より西は露店や人が溢れてまったく落ち着けないが、殿橋より東側では、思いがけずのんびりとお花見を楽しめることができた!
特に明代橋を越えてからは花見客もまばらで、しかも桜の木が古いのでとても見応えがあり、こちらも穴場スポットである。
桜の木の下には黄色い菜の花と鮮やかな緑の草地が広がり、空には青空! 最高のお花見日和であった。
桜は8~10部咲きで、もうしばらくは楽しめそうだ。

お花見ウォーキングの締めくくりは本派の三河別院で阿弥陀様にご挨拶をしてから帰路についた。

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ウォーキングの後遺症 [随筆日記]

昨日は晴天[晴れ]、今日は雨[雨]
昨日は元気[わーい(嬉しい顔)]、今日はチョットだけ筋肉痛…[ふらふら]

昨日は、ウォーキング友達のZenさんと五条川の川畔をお花見しながら散策して、その後は桜咲く名古屋城を散策して、そのままぷらっと栄まで歩き、セントラルパークを散策しながら、チョットだけズルしてタクシーに乗って大須観音へと向かった。
一日の終わりは[ビール]ビールと焼肉で心もお腹も大満足[るんるん]  とっても楽しかった[exclamation×2]
しかし、久しぶりのウォーキングだったので、今日は筋肉さんがピキッて言ってる…[たらーっ(汗)]

一人っきりの週末・・・
お花見にでもでかけよ~かな~と思ったけど、雨だし…、筋肉痛だし…、
友達に連絡するのも億劫な感じ…、 ということで、お家でおとなしく読書にふける・・・

明日は夫を誘って[かわいい]お花見にでも行こうかな~
ど~か、青空さんとめぐりあえますよ~に[exclamation]
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お花見2009 名古屋城 [随筆日記]

考えてみたら…  名古屋城を訪れるのは18年ぶりか…?
地下鉄を浅間町で下車して、乾いた喉を潤す為にZenさんと[ファーストフード]McDonaldでおやつTime、 久しぶりにシェイクとアップルパイをいただいてから、いよいよ名古屋城へ。

まず、最初に向かった先は、名古屋城の南西にある名古屋能楽堂で、その入り口には名古屋城と能楽堂をBackに、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正の銅像が聳えていた。
尾張の鍛冶屋の子として生まれた加藤清正は豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川氏の家臣となるが、生涯豊臣家に忠義を尽くした武将・大名である。
また名将・加藤清正は、同時に築城の名手として知られ、この名古屋城の構築にも携わったと伝えられている。

2688998能楽堂の西側に、とってもりっぱな桜の木を発見[るんるん]
かなりの古木で、その根元から四方に幹を伸ばしたその姿は、この地にしっかりと肝を据えた大名然とした風格であった。
家族連れやカメラマン、それに結婚式の写真の前撮りをしている人たちがいたが、人出は少なく、ここは落ち着いてお花見の出来る穴場である[exclamation]

この後、12年前に建てられたという名古屋能楽堂を見学。
残念ながら今日は何の催しもなかったが、館内には「能」や「狂言」の小道具や写真等が展示されており、自由に見学が出来るようになっていて、それらを見ていたら「能」にとても興味がわいた。
以前から「薪能」の幽玄的な世界には興味があったが、能楽堂で「能」を観た経験はなく、近いうちにぜひ観覧したいと思った。

2688999能楽堂を後にして名古屋城へと向かい、名古屋城正門から入場([有料]¥500/1人)する。
城内に入るのは初めてである。

名古屋城は、織田信秀(織田信長の父)の居城であった今川氏・織田氏の那古野(なごや)城跡地に、徳川家康が天下統一の最後の布石とし九男義直のために築いた城であると伝えられる。
また名古屋城は、大坂城、熊本城とともに日本三名城に称され、「尾張名古屋は城で持つ」とも歌われ、大天守の屋根に輝く金の鯱は、名古屋の象徴にもなっている。
しかし、太平洋戦争時、1945年(昭和20年)の名古屋空襲により、本丸御殿や金鯱をはじめ、そのほとんどがアメリカ軍による焼夷弾の直撃を受けて焼失し、戦後から現在に至るまで、修復・改修工事が続けられている。

昭和34年に修復されたとう正門をくぐって南面石垣に上がると、その石垣からお堀に流れ込むように枝を伸ばす松と桜の連なった美しい風景を見ることができる。

本丸御殿を囲う堀には芝がはられ、鹿たちが美味しそうに草をほおばっていて、私たちはその上に架かる表二之門から中へ入った。
大変残念なことに今年の1月から本丸御殿の復元工事が始まっており、本丸御殿址の大半は工事用フェンスの高い壁に覆われ、とっても雰囲気が悪かった。
いつも思うことだが、歴史的建造物に修復工事は必要不可欠だと思う。
でも、工事中も工事前後の入場料金と同額というのは納得しがたい…。
去年、京都の銀閣寺に入場した際、銀閣寺しか見学するもののない銀閣寺そのものがビニールシートに覆われて、工事中だと知らなかった私たちは定額の入場料を支払ってビニールシートの見学のみとなり憤慨した。
今回の名古屋城は、本丸御殿以外にも見所があるのでまだ良いが、やっぱり損をした気分はぬぐえない…。

気を取り直して天守閣へ向かう。
地階からエレベーターで一気に5階まで上がり、そこからは7階の展望室まで階段を登ると、名古屋の街が東西南北一望できる。
西には御深井丸越しにキャッスルHotel、南側からは遠く名古屋の中心市街地の高層ビルを望み、東面からは緑豊かな二之丸庭園と愛知県体育館、北方向には水を湛えたお堀越しに名城公園を望むことが出来た。
帰路は階段を使って、各階の展示物を見学しながら地階に戻り、不明門より出て、提燈に灯りの灯った御深井丸を散歩しながら夜桜ならぬ、夕桜を見物して正門まで戻った。

桜はまだ7,8部咲き程度であったが、初めての名古屋城にはチョット感動[ぴかぴか(新しい)]
本丸御殿の復元工事が完了したら、またぜひ来てみたい[揺れるハート]

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お花見2009 岩倉の五条川 [随筆日記]

2688012今日は、親友のZenさんとお花見デート[かわいい]
昼過ぎに名駅で待ち合わせて、十数年ぶりに名鉄電車に乗って岩倉駅で下車。
駅から東へ徒歩2,3分の所にある神明生田神社の境内を抜けるとすぐに五条川の川畔に出る、とても交通の便が良い花見の名所だ。

山内一豊公の誕生碑がある神明生田神社の境内には山車の蔵があって、その庫の大きさ(高さ)から察するに、さぞ大きな山車であるろうと推測されるが、残念ながら山車巡行は翌日の4/4(土曜日)だと言う事で、その姿を見ることはできなかった。
この山車は年に二回、「桜まつり」と「宵まつり」の時に蔵から出され、下本町神明生田神社、中本町神明大一社、大上市場新溝神社の3台の山車が岩倉街道を巡行するそうで、山車に備えられたからくり人形の実演が見ものなのだとか…。
機会があれば見てみたいが、人混みは苦手だな~ぁ…

山内一豊は、2006年の大河ドラマ「功名が辻」で世に名を知られた、戦国時代・安土桃山時代・江戸時代を生き抜いた武将・大名で、ここ岩倉の地が一豊誕生の地とされているそうだ。
一豊は15歳の時に父盛豊が織田信長に討たれて流寓の身となるが、「内助の功」として名高い見性院(千代orまつ)と結婚した頃より織田信長に仕えるようになり、信長没後は豊臣秀吉に仕えて、数々の功績を得ながら出世していった。
そして秀吉の死後は徳川家康に忠誠を示して、関ヶ原の合戦にて家康を勝利に導いた政治的功績により、家康より四国土佐で20万2千600石の領主となり高知城を築城した土佐藩の初代藩主である。

そんな史実とこの桜とは無関係で、今年初のお花見は、日本のさくら名所百選にも選ばれた岩倉市・五条川(農業用水)の桜並木を散策する。
尾張地方での桜見物は私にとって初体験であったが、こんなに立派な桜の名所を知らなかったとは…、不覚であった…。
岩倉駅を中心に、北は石仏駅・南は大山寺駅の東に流れる五条川の川畔約8kmに渡って、その両岸をソメイヨシノなどの桜が1,600本植えられている。

桜はまだ7~8部咲きというところだが、平日の晴天とあって、人出はかなり多い。
しかし明日には、山車巡行や「のんぼり洗い(鯉のぼりの川洗い)」が催されるそうなので、きっと身動きが取れないほどの混雑振りだろう~…。

私たちは神明生田神社から北に向かって歩きながら、他愛も無い思い出話しに花を咲かせながら桜並木をのんびりと進み、明治橋でU-ターンした。
桜もすごいけど、出店もすごい(^.^;)…
でも、ブルーシートはほとんど見られないし、露店も桜の花の隙間から見え隠れする程度などで、景観的には悪くない。
所々に渡された橋から眺める五条川は、両川畔から伸びた桜の枝が交差して、桜のトンネルを作り出し、これはかなり見ごたえがあってお勧め
時間があれば、散り際の桜の花びらが川面を流れる頃に、もう一度来てみたいと思った。

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桃の花 [随筆日記]

2684005お隣さんの敷地から可憐な枝を伸ばし、今年も我が家の庭に春を彩った隣人の桃の花が満開を迎えた。
今日は風が強いものの晴天に恵まれて、お花見にでも行こうかな~とも思ったが、寒さに負けて自宅にて桃の花見を楽しむ。

春の訪れというのは、同時に私の大好きな冬の終わりを告げることになるので、あまり好きではないが、「春」という季節自体は好きだ。
でも、春の先にある「夏」を思うと、やはり「春」は憂鬱になる… (夏が嫌い…)
でも春の花は大好き[るんるん]
特に桜の花が一等に好き[黒ハート]

私が生まれた時、父が私の誕生樹として庭に紅白一対の梅の樹を植えた。
紅梅は上に伸び、白梅は横に広がって、現在では両樹共かなり立派に成長している。
だから私は梅の花にも特別の愛着はあるけれど、それでもやっぱり桜の花には敵わないかな?!

子供の頃、近所の駅に大きな桜の樹があって、毎日のように登って遊び、桜が満開になる頃には、その花の一部となって桜の樹の上で夢想に耽りながら過ごすひと時が大好きだった。
大人になって、様々な桜の名所に出かけるようにはなったが、やっぱり子供時代を一緒に過ごしてくれたあの桜の花が一番好きだ。

今年の桜の開花宣言からすでに二週間が過ぎようとしているのに、近所の桜はまだ五分咲き…
今週末はお花見のスケジュールが目白押しだが、どうやら満開になるのは来週以降になりそうだ。
まっ、こればっかりは仕方ないね!!

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陶芸展の準備 [随筆日記]

来週末に催される陶芸作品展の制作が大詰めを迎え、今日は陶房で最後の作品の作陶作業や打ち合わせ等に追われてかなり忙しかった。
最終的に出品する作品をまだ決めていないし、その他諸々の仔細もこれから詰めていくので、来週いっぱいまでなかなか落ち着けそうにない。
作品展は、来週の4月10日から三日間の日程で市民会館にて催される。
毎年恒例となっているので一年かけて準備をしているのだが、やはり間際にならないと諸事が運ばす、いつも最後の窯に願いをかける自体となってしまう。
今年も8日の午後に最後の窯出しを予定しており、翌9日には展示会場の設営に取りかかり、10日からの開催にMemberは大童である。

昨日焼き上がった作品では、たったの一個しかHITしなかったので、次回の窯にもあまり期待は出来ず、たぶんほとんどが売却品として出品されることになるだろう・・・
なかなか期待通りにはいかないが、それもまた面白い。

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