SSブログ

東寺のハトと南無阿弥陀仏 [心]

京都駅から奈良方面の電車に乗っていた時、一緒に乗り合わせた女子高生達の会話に思わず苦笑してしまった。
京都駅を出てすぐの所に、「東寺(とうじ)」という真言宗の寺院があり、車窓からも国宝指定を受けた五重塔を見ることができる。
A子「あっ、 五重の塔だ! 法隆寺じゃない?」
B子「ホントだ~! 法隆寺の五重塔だ~!」
C子「でも法隆寺って奈良じゃなかった? もう奈良に着いたの?」
B子「そんなに早くは着かないでしょ~?!」
A子「法隆寺じゃないなら、京都タワー?」
と、車内でこんな会話を大声でしているので、見かねた乗客の一人が
「あれは東寺の五重の塔ですよ」 と教えてあげたのだが、
A子「へ~ぇ、東大寺にも五重の塔があるんだ~」
B子「えっ? 東大寺?東寺?どっち?」
C子「東寺って言わなかった?!」
A子「あっそ~ぉ、 じゃ~、京都タワーってどこにあるの?」
って …(^.^;)
どこから来て、どこに行くのか知らないけど、とても愉快な女子高生達であった …(^^ゞ

2667598そういえば以前、東寺の境内を歩いていた時のこと…。
歩く私の足元にたくさんのハトが群がり、普段ならばそのまま行き過ぎるところを、その日は一羽のハトに目が止まって思わず立ち止まった。
群がるハトの群れがあちらの方へ飛んで行っても、その一羽のハトだけは私の足元から飛び立とうとはせず、不自由そうに小砂利の中から餌を探しながら私の周りをウロチョロしていた。
そのハトには足首から先の片足が無かった…。
他のハトの食べ残しや、偶然に舞い落ちてくる木の実を貪り食べながら必死で生きているその姿に、私は思わず目を捕らわれてしまった。

哀れだと思った…。
助けてあげたいと思った…。
その時、「南無阿弥陀仏」と口から出てきてハッとした。

「お前が哀れで見ていられない。
どうかこの弥陀にお前を救わせてくれよ」

そう言って阿弥陀様の方から頭を下げて下さってるのだ、と、いつも聞かせてもらっている御法が脳裏によみがえった…
慈悲の大きさは異次元的桁ハズレに違うけれども、私がこのハトを見て、哀れに思い、救ってやりたいとの気持ちを起こして、どうすればよいのかとこれを思案した、この一連の流れこそ「仏願の生起」ではないか・・・・・
私はこのハトと全く同じで、この私にかけられた阿弥陀様の願いなど微塵も知ることなく、今を生きることにただ必死になっている…。
自身を哀れむことがないのは、自身の醜さ、罪深さ、不憫さなどがまるでわかっていないからだ。
私はこの一羽のハトを見て、いつ死ぬともしれない身でありながら、欲望任せに小さな生き甲斐に身を窶している… 
あぁ、かわいそうだ…、聞かせてあげたい…、助けてあげたい…、と思う心そのままが、阿弥陀様の目から見られた私じしんで、このハトと何もかわらないだと思った…
だからと言って何もかわらない…、 わからないものはわからないままに、 ただそう聞かせていただいた。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。