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ネパールの植民地的治外法権租界 in カトマンズ [アジア]

A.M.6:30 カラスの鳴き声がうるさくて目が覚めた。 イヤな気分である・・・
窓を開けて見ると、部屋の前の中庭で開かれた昨夜のパーティーの残飯をあさりに、無数のカラスが芝一面を覆うように群がっていた。

目覚めの悪い朝…、 しかも今日は特に予定もないのでダラダラと朝の準備をしていると、「早めに支度して、公園に散策へ行こう」とMRさんが誘ってくれた。
これに勢いづいて急ピッチで身支度を整え、朝食をとっているところへ、少し遅れてIKさんが同じテーブルについたので、「今日のFree time(~10:30)は何するの?」と聞いてみると、「近くに別院があると聞いたので行ってみる」とのことだった。
「だけど所在地がわからないから地図が欲しい」と言うIKさんに、親切なMRさんが、「ガイドブックを持ってるよ!」というと、「それ借して」とIKさん。

朝食後、私たちの部屋にガイドブックを借りに来たIKさんにMRさんが、「ウチラも出掛けたいから、9時までに(20分位で)返してね」と言ってガイドブックを手渡したのだが、結局IKさんはそれっきり戻って来なかった・・・・・
手持ち無沙汰な時間が20分…、30分…と経過して、「コピーするだけで、何でこんなに時間がかかるの?!」とイライラし始めた私にMRさんが、「ロビーに行ってみよう」と提案し、二人で部屋を出た。
ロビーに行くとIKさんがいて、「返しに行けませんでした」と言いながらMRさんにガイドブックを返却し、MRさんはグチひとつ言わずにそれを受け取って、私とMRさんは二人でHotelを出発した。

事前に何も予定を立てられなかったが、ガイドブックを片手にHotelを出た私たちは、まず王宮通りを南に向かって歩き始めた。
Hotelから400mほど南に来た交差点でMRさんが、「来たかった公園(目的地)だ~♪」と、池を指差して言うが、私が地図を確認した限りでは、あきらかに場所が違う・・・(^^ゞ
MRさんの目指す公園は、更に南に行かなければならないが、その道は車よりも人の数の方が多そうなゴチャゴチャとした道だった為、MRさんは第一希望の目的地を断念し、第二希望の公園へと向かうことにした。
その交差点から大通りを西に向かって再び歩き出した私たちだったが、MRさんが想像していたよりも公園は遠く、また、ネパールの警備官や軍人に道を尋ねても、彼らは地図を見ることすら不得手なようでまったく要領を得ないため、MRさんは再び目的地を変更し、このまま四角くHotelの周囲を一周してから、Hotelへと戻ることにした。

そしてカンティパトst.まで来た時、ネパールに来て初めて機能している信号機を見つけて私はパチリと写真撮影をし、ここから北に向かって信号待ちをしていると、交差点の対岸からライフルを肩にかけた兵士に手招きをされたような気がした。
「何だろう? 気のせいかな?」などと思いながら青信号で横断歩道を渡ると、手招きをした兵士に「カメラを見せろ」と声をかけられた。
私がカメラを差し出すと、「何を撮った?」と聞かれたので、「信号機だよ」と答えながら写真を見せると、二人の軍人は「問題ない」と言っているのだが、一人の軍人がその二人に何やらゴチャゴチャ言っている。
私が、「何か問題あるの?」と聞くと、私の撮った写真の片隅に「塀」が写っているのが問題だという。
確かに、写真画面の右10分の1のところに、わずかだがクリーム色の壁が写ってはいるが、それがど~した?という程度のもので、二人の軍人は笑いながら「問題ないよ」と言っているのだが、一人だけは納得がいかないらしく、「オフィスまで来るように」と言われた。
私がこれを拒否すると、「大丈夫、大丈夫、何の問題も無いから」とその軍人は言うが、私はMRさんに、「最悪の事態を考えて、MRさんは一人でHotelに戻ってください」と言ったのだが、MRさんは私を一人置いては帰れないと言って、結局二人でオフィスまで連行された。

オフィスに入ると受付に座る軍人の服に、USAのワッペンを見つけ、ますます訳がわからなくなったが、私はとっさに、「MRさん、英語が通じないふりをしましょう」と言った。
オフィス内でも私の撮った写真の議論がなされて、「問題ない」という人もあれば、「とりあえず…」と言う人もあり、でも結局、私は別室へと連れて行かれることになったので、この時もMRさんに、「先にHotelへ帰ってください!」と言ったのだが、MRさんは頑として「なっちゃんを連れて帰るんだ」と言ってくれて、心強かったけど、申し訳の無い気持ちでいっぱいだった。
そして一人、取調室へと連行された私は、彼らの質問には一切答えずに、日本語で散々文句を並び立てたのだが、取調官の一人が別の人に、「英語が話せないのなら友達に通訳をしてもらうから取調室に連行するように」と言ったので、私はあわてて、「ちゃんと話すから友達まで巻き込まないで!」とお願いしたのだが、結局MRさんまで取調室に呼ばれてしまった。
取調室に入って来たMRさんは、「時間が無い! 早くしろ!」と彼らを促すが、彼らは自分たちが聞きたいこと以外には、一切耳を貸そうとはしなかった。
生まれて始めて刑事ドラマの犯人役を演じたような気持ちにさせられたが、取調官の私に対する態度は、丁寧、且つ、楽し気にも見えた。
そして20分ほどしてやっと開放され、私たちは時間ギリギリにHotelへと帰ることが出来た。

帰国後、自分の身の上にいったい何が起こったのかを調べてみると、私が撮った交差点の一角に、「アメリカンクラブ」というアメリカ人の保養所があるということがわかった。
カトマンズ在住のK氏によると、カトマンズ市街のど真ん中にある「アメリカンクラブ」は、軍事施設や大使館などではなく、アメリカ人を中心とした外人用の保養施設(レストランなど)で、外見はごく普通の「塀」にしか見えないために、私のように風景を撮った片隅や、何かを写したその背後にその「塀」が写ってしまうこということが多々あって、毎日、毎日、何人かの観光客がその落とし穴に落ちるように連行・拘束されているだのそうだ。
私のように調書をとられて20分そこそこで出てこれるというのは、よっぽど問題が無かったのだろうと・・・・・

現地の各国大使館領事も米国大使館に抗議をしているのだが、一向に改善されないそうだ。

「威張ってんじゃないぞ、アメリカ!!」 と、大声で言いたかった!!! 

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