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2009年2月7日(土) インド ―(国境越え)→ ネパール [アジア]

ピプラーワー(カピラ城跡)から15分ほどバスで走って昼食会場となる、ロイヤル・リトリートに到着。
ここは以前、マハラジャ(昔の地方領主)が虎狩り用の別荘として使用していた建物で、現在はHOTEL兼RESTAURANTに改装利用されている、ちょっとしたコテージ風のGuest Houseだ。
リトリート内には、DiningroomやSittingroomの他に、それぞれ趣の違ったGuestroomが7,8部屋あって、虎狩り用の別荘らしく、館内のいたるところにトラの剥製が飾ってあった。 
((^_^;)剥製さえなければ、けっこう良い所なんだけどね~・・・・・)

[レストラン]Launchは、インド料理のBuffet
今回の旅日程では、これが本場インドで食べられる最後のインド料理になるので、食欲は無かったけど頑張って味わいながらいただいた。
でも、拓郎さんお勧めのカスタード・フルーツは、頑張らなくてもおかわり出来ちゃう位に美味しかった[揺れるハート]

2590788食事が終わってDrink代金のおつり待ちをしていたら、庭の方からにぎやかな声が聞こえてきた。
「ゾウだよ! ゾ~さんが来たよ!!」 とMemberのはしゃぐ声!
会計を済ませて外に出てみると、一頭の子ゾウがMemberを二人ずつ乗せて、庭を行き来していた。
三歳になるオスのマリュ君と言うそうだ。
私もMemberの元へ行くと、ちょうどOTさんがゾウの後方から落ちそうになっていて、必死でゾウに取り付けられた手綱にしがみ付いていたOTさんを見ながら、「83歳で、あの握力はスゴイな~!」と感心させられた (^^ゞスゴイ
そのふた組後にゾウに乗ったHMさんも 横からずり落ちそうになって半泣き状態のまま手綱にしがみついていたが、それを見て、ゾウの調教師があわてて助けようとしているのに、「あらら~」と言いながらのんびりと傍観しているMemberとの、その温度差が見ていて微妙に笑えた(^.^)…
私も挑戦[exclamation] KHさんとのゾウ乗り体験で、昔の貴族気分を味あわせてもらった[かわいい]

午後3:40 ロイヤル・リトリートを後に、いよいよネパールへ向けて出発だ!
のどかな田園風景を眺めている内に、風邪薬の副作用で再びウトウトしてしまい、インド最後の風景をカメラに収めることが出来ず、すご~くショック・・・・・(T_T)/~~~

2590789午後5:20 国境の町スナウリに到着。
にぎやかな商店が立ち並ぶ中に、‘INDIAN CUSTOMS’という看板が立っている。
この看板がなかったら、まったく見分けのつかないような店舗の並びに、Immigration Controlはあった。
国境と言っても、開閉式のGateも遮断機も無いので、現地の人は特に手続もなく勝手に行き来している。

私たちはバスに待機したまま、拓郎さんとジャマールさんだけが出国手続に向かう。
その間に、一人のインド兵が銃を肩にかけたままバスに乗り込んできて、一瞬Memberに緊張がはしったが、兵士は何を見るでもなく、バスの通路を一往復して出て行った。
兵士が降りると、拓郎さんとジャマールさんを置いたまま、バスはソロリソロリと歩く速度で徐行しながら、Immigration Controlから50mほど先にある、インドの国境を示すArchをくぐりぬけた所で停車した。
前方にはWelcome to NEPALと書かれたArchがある。
ということは、この30mにも満たない中間の町は、インドかネパールかどちらに属しているのだろう?
何をするでもなくバスはしばらく停車した後、再びソロリソロリと動き出し、ゆっくりとネパールの国境を示すArchを通り抜けた。
ということは、ここはもう国境を越えたネパール側の町、バイラワということである。

インド側のスナウリもネパール側のバイラワも、呼び名が国によって変わるだけで、同じ町なのだそうだ。
つまり、町の中心より南側がインド領で、北側がネパール領になるということらしい。
しかし、この一本道に並んだ商店は、インド側の華やかさに比べて、ネパール側は質素そのものだった。
意識しなければわからないままに越えてしまいそうな国境だが、よく見るとやはり違いはあると感じた。

国境を越えたバスは20mほど先で停車した。
拓郎さんとジャマールさんがインドで下車してから20分が経過した頃、今度はネパール兵が一人、インド兵と同様に銃を肩にかけてバスの中を一往復して降りて行った。
今度は緊張というより、鬱陶し~な~という感じで兵士を見送る。

2590790辺りが暗くなってきて、露店にろうそくの炎が揺らめきだした。
5日前、インドに入国した時、入国審査で空港職員に賄賂を要求されたが、ここでもやはり同様の嫌がらせを受けているのか…、 拓郎さんもジャマールさんも一向に戻ってこない。

ここで気分転換! とばかりに、S先生が歌を歌いましょ~[るんるん]と提案された。
今朝、私が始めて耳にした三帰依文の曲から始まって、懐中電灯で手元の聖典を照らしながら、20分ほどみんなで仏教歌を唱歌した。
私にとってはどれもこれも、初めての曲で、初めての体験だったけど、S先生やMK先生が隣りの席に来て歌ってくださったので、何とかついて歌えた。[カラオケ]

1時間近くたって、ようやく拓郎さんとジャマールさんがバスに帰ってきた。
ここから宿までは20kmほどで着くという。  今日こそは早くHotel入りしたいものだ。

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2009年2月7日(土) シュラーヴァスティ → カピラ城跡(インド領・ピプラハワ) [アジア]

2590785シュラーヴァスティのサヘート(祇園精舎)の出入り口では一人の少年が、そしてマヘート(舎衛城)の出入り口では二人の少年らが同じ曲を歌っていた。
私にとっては初めて耳にするメロディーであったし、歌詞の意味もわからなかったのだが、何だかすごく耳につくというか、不思議と気になったので、バスに乗ってからS先生に、「何の曲なのでしょうか?」と質問すると、「パーリ語の三帰依文だ」と教えてくださった。

 Buddham Saranam Gacchami (ブッダン・サラナン・ガチャーミー) 南無帰依佛
 Dhammam Saranam Gacchami (ダンマン・サラナン・ガチャーミー) 南無帰依法
 Sangham Saranam Gacchami (サンガン・サラナン・ガチャーミー) 南無帰依僧

「メロディーは日本のものとは違うけど、歌詞は同じだ」とS先生は説明してくださった。
そのメロディーが耳の奥でRefrainされたまま、バスは次の目的地へと走り出した。
今日も長距離Driveになるとのことだが、夕方には国境を越えてネパール入りするので、今日はとうとうインド最終日となってしまった。

バスが走り出して10分もしない内に、一気に体力の限界がきた。
体の外側だけがポワ~と春みたいに暖かくって柔らかな感じがするのに、体の内側はウィルスに侵食されてボロボロのドロドロって感じで、座席に腰掛けているのがやっとの状態だった。
幸い今日は隣りの座席に誰も座っていなかったので、自分のカバンを枕に横になった。

気がつくと、いつの間にか熟睡していて、みんながバスから降りてゆく気配で意識が戻った。
誰かが、「青空トイレだよ」と声をかけてくれたけど、まったく起き上がる気力が無かったので、そのまま車内で横になっていると、また誰かが(S先生かな~?)「鶴だよ! インドの鶴がいるよ!」と声をかけてくれた。
「あぁ、写真を撮りに行きた~い!」って思ったけど、まったく体が動かない (-_-)zzz
「起きなきゃ~… 起き上がらなきゃ~…」と頑張って、ようやく体を立て直して座席に座れた時には、もうバスは動き出していて、鶴の姿も見ることができなかった[もうやだ~(悲しい顔)]

「ならば、もうチョット寝よう…」と思ったところに、MRちゃんが私の隣りの座席へ移動してきたので横になることは出来ず、私は窓にもたれかかって眠ることにした。
しかし・・・・・、 後方座席のS先生と会話を始めたMRちゃんの声が、私の左耳元に直撃するので、それが私の頭痛headに祇園精舎の鐘の音のようにゴ~~~(~_~;)と響いて、とても眠れる状態ではなくなってしまった…(/_;)
座席を変わろうかな~とも思ったけど、変に誤解されてMRちゃんを傷つけちゃってもいけないし…、と思ったのでしばらく我慢していたら、今度はMRちゃん、わたしの左肩を枕にお昼寝Timeに入ってしまった ..(・・$)..
これで完全に身動きが取れなくなってしまった私… (^_^;)  
しかし、おかげですっかり目が覚めた (^^ゞ  ある意味、復活[exclamation]

2590786午後1:40 昼食は後回しにして、先にカピラ城跡の見学となった。

カピラ城は、お釈迦様のご実家とも言うべき、釈迦族の居城であった。
サンスクリット語では、「カピラヴァストゥ」と言い、「カピラ」というのは仙人の名で、「ヴァストゥ」とは城のことである。
仏教遺跡が次々と発掘される中、釈迦族(シャーキャ・サキヤ)のカピラヴァストゥの所在については、いまだに正確な位置が特定されていない。

現在、ネパールのタライ地方にあったとして、ネパール領タウリハワー郊外のティラウラ・コット説があり、インドとネパールの国境から北へ約5km、お釈迦様の誕生地ルンビニーからは、西北西に23kmの地点にある。
ヒマーラヤ・ダウラギリ南峰の麓で、バーナ・ガンガーの河畔に、南北に450m・東西に500mほどの長方形のレンガで構築された城壁が発見されており、外側には溝やタンクなど、城としての要素を備えた建造物の遺構がいくつも発掘されている。
また、紀元前600~200年頃(マウリヤ期)の土器や硬貨や装飾品なども出土しているが、カピラヴァストゥであることを裏付けるものは何も発見されていない。

もう一つは、ティラウラコットの南東25kmの距離にある、インド領のピプラーワー説で、ルンビニの南西15kmに位置し、ヒマーラヤの雪解け水が注ぎ込む勇壮な穀倉地帯である。
ピプラーワーからは、直径23mのストゥーパと僧院跡が発見されているが、城としての遺構はない。
ただ、このストゥーパから水晶製の舎利容器と、僧院跡からは ‘カピラヴァストゥ’と記されたシーリング(印)が発見(ニューデリー博物館に展示)されているが、しかし他所から持ち込まれた可能性もあるので決定的な証拠とは認められていない。

また、ピプラーワー・ストゥーパから南へ1kmの所に、ガンワリヤ遺跡が発見され、こちらは城ではないがレンガ積みの宮殿らしき建造物の遺構が発掘されている。

2590787今回私たちが訪れたのは、ピプラーワー遺跡の方だが、こんな平地に城を造るかな~?というほど視界は広かったが、ヒマーラヤを望むことは出来なかった。
そして、少々見飽きてきたレンガ造りのストゥーパや僧院跡の見学よりも、遺跡公園としての美しさに目を奪われた私とMRさんが睡蓮池の方へ向かうと、Memberも続々ついて来て、池の周りを10分ほど散策した後、みな早々にバスへと戻った。

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