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2009年2月5日(木) 五日目の総括 [アジア]

バスは途中二度ほどトイレ休憩の為に政府が管轄しているという宿舎で停まった。
まったく別の場所にある別の宿舎であるはずが、まったく同じで造りの上に、香辛料とお香の香りと匂いまで同じなので、思わず「エッ」と錯覚してしまった(^.^)。

灯りの無い夜のDriveは少し退屈・・・
でも、夜闇の農村地帯を[やや欠け月]満月間近の月明かりが照らし、それもまた幻想的な風景だった。
小さな村の路肩に並ぶ屋台は、夜遅くまで店を開けている。
売れもしないだろうに、何故こんなに遅くまでOPENしているのかな?と思ったら、その屋台自体が仕事場であり寝室になっているのだと気付いた。
そうやって、流れの変わらぬ時間の中で生きているのだと知った。

夜の8時頃、Guideのジャマールさんが途中の町で買ったオレンジとバナナを差し入れてくれたが、バナナはチョット苦手なのでオレンジだけをいただいた。
そしてクシナガラの宿、ロイヤル・レジデンシー・Hotelに到着した時には、夜の10時を少し回っていた。
Drive疲れのせいか空腹感はなかったが、バスから降りて、休む間もなく食堂へ直行。
そしてパーティーが始まった![手(チョキ)]

2577550なんと、今回の “仏跡巡拝・11日間” の旅の間に、25名のMember中、4名が[バースデー]御誕生日を迎えるという偶然! 
そこでMain Guestには内緒にしたまま、KY夫妻幹事のもと、[プレゼント]Birthday Partyが企画されていた。
食事の挨拶の前のSurpriseに、4名のGuestも笑顔で[バー]Champagneにて乾杯
S先生、アメリカのKTさん、広島の二人のおかあさんHMさんとYSさん、お誕生日おめでとうございま~す[黒ハート]
Dinnerは、インドの鍋料理をMainにBuffetでカレー、そして食後には取り分けたBirthday Cakeをいただいた。
同室のMRさんも少しずつ食べられるようになってきたのでホッとした。

食後、部屋に入ると私のスーツケースが行方不明になっていたので心配したが、クシナガラには届いていたので一安心!
MRさんは、「バスの中でズ~っと寝てきたから眠れるかな~?」と言っていたが、私がシャワーを浴び終わる頃には、既に夢の中にいた。 スゴイ…!(#^.^#)
私はまた一人静かに翌日の準備をしてからベッドに入った。

2577549今朝、ガンガー河から見た朝日が瞼によみがえる。
そして、クシナガラへの道中に見たあの夕日も・・・・・
太陽を神と崇める地球の人々の気持ちがよくわかる。
私はそれに依存こそしないけど、やっぱり感じることはたくさんある。
どんなにすがり付いても時は過ぎてゆく・・・・・  それが無常・・・・・
それに、太陽だけは変わらないんだよね~、
2,500年も前にお釈迦様が目にされた光景と・・・・・
仏跡地ではあわただしくって何も感じられない私だったけど、
太陽を見ていたら、お釈迦様をすごく身近に感じることができた。
自分勝手な思い込みだけど・・・・・、 わかっているけど・・・・・。

それから、S先生の言葉が途切れたあの瞬間…。

アニャータ・コンダンニャ(阿若・憍陳如)、アッサジ(阿説示)、マハーナーマ(摩訶摩男)、バッディヤ(婆提梨迦)、ヴァッパ(婆敷) の 五人の比丘らはどんな心持でお釈迦様の言葉を聞き、どんな気持ちでそれを受け止め、どんな世界に入っていったのだろうかと、S先生の姿を見てフッと思った。
“初転法輪”とは、仏の悟った法(真理)を初めて輪の如く転ず、これが、仏・法・僧の誕生であり、ここから道は開かれたのだ。
お釈迦様が五比丘に説法したことで、法(真理)は初めて人の言葉となった。
それが、国を超えて、時を越えて、私をこの地へと導いた。
この奇跡を、私は表面上、当たり前の如くに受け止めているが、その実、この余りにも強大な力の存在を肌で感じ、そのプレッシャーに慄いている私もいる。
認めたくないのだ・・・・・
それが怖いのだ・・・・・

お釈迦様が始めて言葉になされた法は、中道とその実践法たる八正道、苦集滅道の四諦、四諦の完成にいたる “三転十二行相” であったと資料にはある。
でも、私には難しいことは何もわからない。
ただ、私にもわかるように、「この道を行けよ」と示してくださったお釈迦様と、「早く来いよ」と呼んで下さっている阿弥陀様がいるのだという真実は、有り難くも聞かせて頂く身になったのだと教えていただいた。
そして、これを有り難いとも思っていない“私”というヤツの本性も見させていただき、そこから逃げることに必死になっている“私”というヤツにも気付かせていただいた。
「これ以上 何が欲しいの?」 と、毎度の如くご同行に問いかけられる。
その答えこそ、喉の奥につまった異物のように、私を不安にさせ、イライラさせているものの正体なのだ。

疲れた・・・・・   
明日のために…、 必ず来ると自負する明日のために、今日はもう寝よう・・・・・

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2009年2月5日(木) サールナート → クシナガラ [アジア]

時刻は正午を30分ほど回っていた。
鹿野苑を後に、昼食場所へ向かうと思いきや・・・ また旅行社お勧めの土産物店、それも日本人が経営するShopへと連れて行かれた。
一般参加のTourだったなら、「私は外の露店で買い物してきま~す[るんるん]」と言って出かけてしまうところだが、なにせ今回は団体旅行(^_^;)  
そう易々と個人行動をするわけにもいかず、店内でおとなしく待機することにした。
それに旅行社が案内するインドのShopでは、客が店内に入ると、防犯上の理由からか、出入り口に鍵をかけてしまうので、内緒で外に出ることも出来なかった。
20分ほどのshoppingで、8万円もする御念誦を購入したMemberもいたが、皆それぞれに楽しんだようだ。
そして私のお楽しみ…、やっとLaunch timeである。
昼食は昨夜泊まったHotelのRestaurantでいただいた。
私はけっこう美味しくいただいたが、Memberの多くが、「カレーはもう飽きた」などとぬかしておった。
[パンチ]けしからん! !!![わーい(嬉しい顔)] ここはインドじゃ[exclamation]

2577049P.M.2:10 Launchを終えてHotelを出発した私たちのこれからのScheduleは、クシナガラまでのLong Drive。 [バス]
今日は後方に座ろうとバスの後部座席に座ったのだが、S先生の計らいで、IKさんの隣りに空いていた特別席(最前列の通路側)に座らせてもらうことになった。

今回の旅で初めてお会いしたIKさんとの会話に花を咲かせながら、車窓から見る風景を楽しんだ。
IKさん(Man)はとっても真面目な人だけど、真面目過ぎる故にそこがメチャメチャ笑える。
たとえば、物売りや物もらいがたかりに来ても、その一人ひとりにちゃんと挨拶をして返事をしているところなんか、律儀すぎて頭が下がるほどだ。
そのIKさんと、家族の話や、仕事の話、昔の思い出話や、求道の話など、尽きることなくおしゃべりをした。

2577050しかし、インドの街というのは、“おエライさん”と呼ばれる人が移動をする度に、道路や施設などがそのおエライさんの為に貸し切り状態になってしまうので、こちらのScheduleが狂わされるものだと知った。
今朝見学した博物館も、“おエライさん”が来ているからと入場禁止になっていたので、見学順序を変更した。
そして今も、“おエライさん”が来ていて周辺の道が通行止めになっているとのことで、ただでさえ慢性渋滞のヴァーラーナスィの道路には、車や二輪車に人や牛がごった返していた。
どこの国も、生い立ち・家柄・社会的地位・財産などで人間をランキングしているが、ここインドでは未だ根深く残るカースト制度の影響で、他国以上に人間をランク付けしているのだな~と、ヴァーラーナスィの街を見ていて改めて感じた。

ヴァーラーナスィの街をやっとのことで脱出して、小さな町をいくつか通り過ぎ、夕闇迫るP.M.5:30、バスはなんにも無い農村地帯の道路わきに停車した。
そこで、「夕焼けタ~イム[晴れ]」 とTourConductorの拓郎さんに案内され、カメラを手にバスを降りると、西の空には大きな夕日が n(^0^)n
白い花咲く畑の奥の草原には、インド孔雀の群れが遊び、その奥に広がるカラシ菜畑に咲く黄色の花を照らすように、太陽は徐々にその大きさを増しながら西の空へと傾いていった。
これがインドの風景なんだ・・・・・ お釈迦様も目にされた風景なんだ・・・・・  そう思うと嬉しかった。
太陽を背に写真を撮るMemberの横で、私は一人、浸ってしまった~[ぴかぴか(新しい)]

2577051

出発の号令がかかって振り返ると、バスの前後には何故か人だかりが出来ている。 何故???
どこから沸いてきたのか現地の人々がバスの周囲に整列し、物珍しそ~ぅに私たちのことを眺めている。
「何見てんのよ~!?」と言うのはこちらの台詞で、「あんたらこそ何見てんのさ!?」と、いつの間にか私たちの方が見物対称になっていた。
確かに…、この太陽を毎日見慣れている現地の人にとっては、この太陽を物珍しそうにカメラに収めている私たちの姿こそ、不思議以外の何ものでもないよね。
でも、そうやって当たり前のことを当たり前だと思うこと事態、とても贅沢なことなんだって思い知らされた。
傲慢さ故の無いものネダリだよね・・・・・ そんな私って ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

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2009年2月5日(木) サールナート(鹿野苑)の遺跡群 [アジア]

考古博物館から移動し、いよいよお釈迦様が最初に御説法をされたという初転法輪跡地・鹿野苑へと向かった。
鹿野苑は、別名・ムリガダーヴァ(鹿の森林)とも呼ばれ、またお釈迦様在世の頃にはリシパタナ(仙人の集まる所)とも呼ばれ、紀元前3世紀のマウリヤ王朝から、シェンガ朝、クシャーナ朝、グプタ朝、パーラー朝を経て12世紀に至るまでの1,500年間、インドの宗教的拠点として数多くの求道者たちが集い栄えた場所であるといわれている。
ここも要入場料の為、疎ましい物売りはついて来ないのでゆっくりと見学することが出来る。

2576265周囲を鉄のフェンスで囲まれた鹿野苑(ろくやおん)のGateをくぐり、整備された通路を進んで行くと、右手遠くにダーメーク・ストゥーパが徐々にその姿をあらわしてゆく。
その歩道を30mほど行った右手にダルマラージカ・ストゥーパがあり、ここがお釈迦様が五比丘に対して始めて法(真理)を説かれた場所(初転法輪跡)だとされている。

マウリア朝時代(紀元前3世紀)に、アショーカ王によって建てられたと伝えられるダルマラージカ・ストゥーパ(法王塔)は、直径14m・高さ30mを超える巨大な塔であったと伝えられるが、残念ながら1794年にヴァーラーナスィのディワーン藩王によって破壊され、現在はそのストゥーパの基壇を残すのみになっている。
7世紀頃この地を訪れた玄奘三蔵(唐の僧・三蔵法師)は、「基壇は傾いているものの、今なお30mを越える高さで、その手前には21mほどの石柱が立っている」と記している。
その21mほどの石柱というのが、ダルマラージカ・ストゥーパの北東横にあるアショーカ王柱である。

マウリヤ王朝第三代のアショーカ王(紀元前268~前232頃)は、暴君として名の知れた王で、強大な勢力をもって他国を征服していったが、即位9年目のカリンガ王国征服では、あまりの無残さに武力による征服を深く後悔し、この時より政策転換をして、以後は自らが仏法に帰依し、法(仏教)の精神に基づいて国家を統治しようとした。
アショーカ王は、お釈迦様の仏舎利を8本の塔のうち7本から取り出して新たに建てた84,000の塔に分納したと伝えられ、また全国各地の磨崖や大小の石柱に仏法を彫って国内各所に立てたとされる。(現在確認されているアショーカ王石柱は十本ほどである。)

2576264鹿野苑内に、かつて15mほどの石柱の上部に四頭の獅子(ライオン)の柱頭がのっていたというアショーカ王柱も、現在は基部約2m(直径70cm)だけが残され、それは鉄格子とフェンスで二重に囲われていた。
これもイスラム教徒による破壊の爪跡で、この石柱の上部が先ほど見学した サールナート州立考古博物館に展示されてあった 法輪と四頭の獅子柱頭であり、インド共和国の国章となったモデル彫像である。
この石柱にはブラーフミー文字が刻まれているが、これは僧伽(仏教に帰依する集団)の分裂を戒める法勅が書かれているのだそうだ。

アショーカ王柱を背にして残るレンガの積まれた遺跡が、ムーラガンダ・クティー(初転法輪寺)と呼ばれる巨大な精舎跡である。
現在は建物の礎石部分と、左右一対の石柱が残る祠堂跡と階段が遺るのみである。
玄奘三蔵によると、精舎はレンガで造られ、一辺が19m・高さは61mもあり、四方には黄金の仏像が彫ってある、祠堂には等身大のお釈迦様の石像があったなどと記している。

2576266奉献塔と呼ばれる小さなストゥーパたちの間を通って向かった先は、鹿野苑でひと際目を惹く、東に大きく聳え建ったダーメーク・ストゥーパである。
ここは、お釈迦様が五比丘に説法(初転法輪)をした後、二度目の説法をされた跡を記念として建てられたと伝えられている。

ダーメークという名は、ダルメークシャー(法を観ずる所)という言葉に由来し、ダーメーク・ストゥーパは法眼塔とも称されるそうだ。
アショーカ王の時代(紀元前3世紀)に創建され、グプタ朝末期(6世紀)に現在の形に造営されたというこの塔は、二つの円筒を積み重ねた形状で、基壇は直径約28m、全高43.6mのインド最大のストゥーパである。
ストゥーパの基部(12m辺り)には蓮の花などのレリーフが刻まれ、石で覆われた仏像を祀る厨子が八方向に造られている(仏像は残存せず)。
またS先生の本によると、ストゥーパ頂上部には、「諸法は因より生ず」と書かれた石盤があるのだそうだ。

私たちはその巨大なダーメーク・ストゥーパの下で円陣を組み、「釈尊の一代記」を輪読した。
お釈迦様が説法をなされたこの場所で、S先生が言葉を詰まらせた…。
湧き上がる思いをこらえきれないS先生の姿を見て、S先生と五比丘の心が重なったように見えた。
そして、何も湧き上がる心の無い自分の醜さを必死で打ち消そうとする私がそこにいた。

2576267お勤めならぬ輪読を終えた私たちは再び歩き出し出口へと向かった。
途中右手に、分厚いコンクリートの屋根で覆われ有刺鉄線の張り巡らされた パンチャタン寺院(五塔寺)跡(一辺5m・高さ1mほどしか残っていない)を横目で見ながら、私は一人、Memberとは少し離れて歩いた。
なんだかチョット落ち込んだ自分を、誰にも気付かれたくなかったから・・・・・

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